映画「パピヨン」、モーム、ユンガー

大分前のことだ(もちろん大地震の前)、ある日の夕方仕事が終わって帰宅して遅い夕食を取ってコタツにはいりテレビのスイッチを入れると、BS3で映画「パピヨン」をやっていた。 金庫破り(無実の罪???)で終身刑を受け、中南米フランス領ギニアにある脱出不可能と言われる流刑地に流されたスティーブ・マックイーン演じる主人公パピヨン(胸に蝶の刺青がある。フランス語で蝶はパピヨンだ)が不屈の闘士で最後は脱出に成功する話だ。

2度脱走を試みて連れ戻されその都度5年間、合計10年の独房生活を強いられながら耐え抜き、最後は絶壁に囲まれる孤島に島流しになるのだが、ここでも不屈の精神を発揮して椰子の実を袋につめた浮き袋を作って海流に乗って30数キロ先の陸地に一か八かの脱出行を敢行して生還したという実話にもとづく話だという。

途中で切り上げて寝ようと思いながらついつい最後まで見てしまった。最近の映画はさっぱり見なくなったが、こうして昔の映画を見るとなかなかいい映画があるなぁと思う。何がいいのかうまく言えないが、ロケ映画の美しさ(「アラビアのロレンス」は何回見ても感動する」)とか当時(たぶん1920年代前後)の植民地の風俗などを見ているのが興味深かった。それとともに、最近の映画をあまり受け付けなくなったのはやっぱり歳をとったからだろうか、という疑念も密かにわが心に忍び寄る。

サマーセット・モームの短編集を英語の勉強と思ってこのところ時間を見つけては古びて黄ばんだペンギンブックスで読んでいる。この作家は大英帝国の絶頂から凋落の兆しが見え始めた20世紀前半に太平洋諸島をあちこちほっつき歩いた人だ。日本にも来ているし、中国をはじめマレーシア、シンガポール、太平洋の諸島をくまなく巡り歩いた。ポール・ゴーギャンに会いにタヒチにも行っている。

その短編にもパピヨンが収監されたギニアの刑務所を扱った短編もある。モームの作品は、ヨーロッパ人やアメリカ人が流れ流れて住み着いた太平洋の国々・島々で赤裸々に見せる人間のおかしさ、みにくさ、残酷さ、愚かさを描いている。どれも最後に結構な「落ち」があってその語り口はエンターテインメントそのものだ。

短編の名手を上げろと言えば、ロシアならチェーホフ、フランスならモーパッサン、アメリカだとヘミングウェイとするとイギリスはモームだろう、と思うがいかがなものだろうか。ドイツ語圏の軽妙短編の名手がなかなか思い浮かばない。カフカの短編はそれなりに好きだが気楽に読めるものじゃないしねぇ。多作のトーマス・マンはいい短編を結構書いてはいるのだが。

パピヨンの映画に戻ると2度目の脱出では、追跡から命かながらに一旦は逃げたが意識を失ってしまう。目が覚めると、現地土民の集落で介抱されていた。海辺での原始的ながら一種の桃源郷にいるがごとき生活をするのだった。土着の文明化されない人たちは心優しく、貞操観念も西欧キリスト教社会のような堅苦しいタブーもなく、主人公は夢のような安らぎの中で時間を忘れて生活するのだったが、ある日目がさめると、誰もいなくなって主人公一人が残されていたのだった。(映画ではその後、修道院に保護を求めたものの彼女たちの通報結局刑務所に戻されてしまう)。モームの短編にも現地土着民のこの手の話があちこちに出てくる。

ストーリーとは直接関係ないが、囚人たちが流刑地の官吏たちの金儲けの為に捕虫網でモルフォ蝶を取るところが印象的だった。欧米の大金持ちが蝶のコレクションをするために作った捕獲・輸送のネットワークの末端ではこのような仕入れと流通ルートがあったということだろう。

蝶のシーンを見ながら、連想が広がった。1980年代前半のこと、自分がアムステルダムで研修をしたころT君という仕事仲間がいたのだが、彼は蝶のコレクターだった。私は後任で彼のアパートを引き継いだのだったが帰国の前日の荷造りを見てびっくりした。身の回り品はすべて船便・航空便で送ってしまい、スーツケースの中は採集した蝶のサンプルと蛹だったのだ。彼は日本に帰国後もオーストラリアのシドニー、北米アメリカはニューヨーク、そして自分が職場を離れる頃はシカゴと仕事で渡り歩いたはずだが蝶に対する情熱はその後も続いるのだろうか。ちなみに、彼はアニメ「おばQ」(古いと言うなかれ)に登場するキャラクターでいつもラーメンをすすっている小池さんにソックリだった。

連想はさらにドイツ人の作家エルンスト・ユンガーに繋がる。映画「パピヨン」を見た翌朝のこと、寝床のどこかに置いてある「2度目のハレー彗星」(1986年に70数年ぶりにハレー彗星が地球に接近した際に90歳を超えたユンガーがシンガポール・マレーシア・インドネシアなどを旅行した日記)を引っ張り出してパラパラと拾い読みをした。本人は、蝶ではなく甲虫類のコレクターだった。

同氏の著作は全集版が出ているのであるとき思い立って買い揃えたのだが、仕事の忙しさと言うか、辞書を引きながら地道に読んでいく根気が続かないのと、趣味のアウトドア(釣りと野鳥)にかまけて、積読状態が続いている。学生時代に脇圭平氏の「知識人と政治」(岩波新書)に出会って以来、20世紀前半のドイツ思想史に興味を持ち続けているのだが、登場する人物で最後まで執拗に私から離れないのがこのユンガーだった。

著者の本質は一番最初の著作に現れておりそれ以後の変遷はその「変奏曲」にすぎないということを誰かが言っていたと思うが、映画」「パピヨン」が引き金となって再び読みかけたまま長い間放って置いた「InStahlgewittern」(「鋼鉄の嵐の中で」)の英語訳版「Storm of Steel」を読み始めた。この本は、2000年の夏に仕事でイギリスを旅したときにバーミンガム市を散策しながら偶然入った本屋の片隅で見つけ興奮しながら衝動買いした本だった。「Zweimal Halley」(2度目のハレー彗星)を購入したのは1987年新宿の紀伊国屋書店の洋書コーナーだった。Juengerという名前が中に飛び込んできてハッとさせられ、これまた衝動買いしたのだった。

長い眠りから覚めて再び手にしたこの本は、第一次世界大戦の従軍日記だが、凄惨な塹壕戦の中で生と死に向き合いながらも、戦場の日常のなかでせっせとパイプを吹かせながら読書をしたり昆虫採集をしたり、仲間と酒を飲んでの狂騒を演じたりしたり、地元の女性(ジャンヌ・ダルクと命名している)とのエピソードなど様々な身に起こることを淡々と突き放して書いている出色のドキュメントだ。ヒュマニスティックな抒情が一切ないのがいい。

私がユンガーに惹かれ続けている理由はわからない。何故だろうと思いながら1年前の冬のある冷え込みの厳しい日曜日の午前中に読了した。ドイツ語でざっと読みした時は深いもやの中をさまよった感じだったが、英語版ではかなり霧が晴れたようである。

Photo

| | コメント (0)
|

中国人は100年前と変わっていない?

ほぼ2年間休眠していたブログの復活となる。もともとは野鳥の観察といろいろな本について自分で呟いて見たいと思って始めたのだったが、2008年夏場から少年時代に熱中した釣りに再び目覚めてからはご存知のとおり釣りブログとなってしまった。

(ご存じない方はこちらを覗いて下さ→http://sasurai-no-angler.cocolog-nifty.com/blog/)

復活ブログサイトは、本を中心に時折野鳥に触れたいと思う。

2011年も今日が10月最後の日だ。3月11日のあの大地震で何かが変わったような気がする。それが何だかはよくわからない。個人的には、今年はあまり良いことはなかった。鬱々とすることは齢を重ねて少なくなったが、このところ仕事もそうだし、個人的にはここで書けないトラブルに遭遇したり、ストレス多き年だ。厄年だ。今年も残すところあと2ヶ月だが、何とか乗り切れればなぁ、と思っている。

9月の健康診断でびっくりしたのは体重がなんと4キロも減ったことだ。別に減量に注意していたわけではないのだが、重苦しさで気分がへこんでいる時は、体重が減るものなのだと改めて思った。

さて、本の話題に移ろう。中国で最近2歳の子どもが車にぶつけられて路上放置されたまま、通行人が9人も無視して通り過ぎた上に、もう1台の車にも轢かれて、病院に搬送はされたが、とうとう亡くなったという報道を見た。この時思ったのは、あれだ、アーサー・スミスの「中国人の性格」で100年以上も前に書いてある通りじゃないかと。

日本では戦前(つまり大東亜戦争前)に翻訳されたようだが、アマゾンで検索しても出てこない。ならと、英語版を探したらちゃんと出てきて購入したのが6年前。当時のベストセラーだというが、21世紀の今日でも中国理解のためには欠かせない基本的な本として読まれ続けているということだろう。時折英語の勉強も兼ねて拾い読みしながら最近読了したところだった。

その本の21章がAbsene of Sympathyという表題が付いている。その中に、当時の川で座礁したイギリスの船から多くの人が川を泳いで溺死から逃れようとしているのに、中国人たちはいたって無関心か、必死で泳いでいる人間を殺して所持品を奪う姿を目撃して衝撃を受けたという報告されている。当時、つまり清朝末期の中国は、4億を越える人口を抱えているものの、内乱と天候不順(旱魃・洪水)で過酷な生活状況、ほとんどの人はその日暮らしだったというのも衝撃的だった。 これは古代中国から慢性的な中国の問題であり、2000年以上もこの過酷さを生き抜いてきた彼らの頭にあるのは、生存のために必要なもの、つまり、「金」と「食事」しかないのだ、と断言している。

中国人は変わっていないということだろうか。3年前に他界した中国通のS君も、中国には日本でいう(あるいは欧米社会)「社会」が存在しないのだと、自説を述べていたがが、その通りなのだろう。あるのは、宗族=家族(日本とは意味合いが違う)の絆という我々には想像できない血と情のどろどろした共同体とそれ以外は敵、つまり、三国志的世界なのだという。中国人には家族以外の関係がないわけではない。三国志的世界で言えば、「義兄弟の契り」というのがあるのだ。日本のヤクザを思い出してしまうが、血縁家族とは違う人間共同体があるという。が、断じて、公共心をはぐくむような社会は存在しないらしい。

とは言っても、中国に詳しい先生からお話を聞く機会があって、北京オリンピック後に久しぶりに北京に行ったら、北京の人たちのマナーがすごく良くなっていて、驚いたという話を聞くと現代中国には我々日本人と価値観を共有出来そうな世代・層が経済発展の結果として生まれているのだろうか、という甘い幻想を持ちたくもなる。

本当の中国はどうなのだろうか。中国は広くて大きい。多民族国家であり、豊かになったとされる4億の外に、戦前の日本の農村よりもっとひどい、農民がまだ9億もいるという現実を考えると、やっぱり、アーサー・スミスの観察はまだまだ有効なのではないか、と思わざるを得ないのである。

Photo

| | コメント (0)
|

ブログアドレスを変更しました。

ブログアドレス変更しました。ログイン名やパスワードが混乱して新しいページを作りました。

http://sasurai-no-angler.cocolog-nifty.com/blog/

| | コメント (0)
|

間奏曲~サッパ釣り

不振にあえぐイシモチ釣り。ビギナークラスの私にとっては超えなければならない山なのだが。インターネットサイトでいろいろ情報を検索すると10匹だ、20匹だ、30匹だとある。何故なのか?釣れないのは、釣っている場所に①魚がいない ②魚がいるけれども食い気がないのどちらかだろうと察しがつく。

魚が居る場所、つまり釣れる場所が大事だ。これまで2箇所しか試していないがそこそこ釣れる場所だから結構な釣り人もいるわけだ。ところで、魚がいるけど食い気がないというところが味噌だろう。「時合(じあい)」が大切だ。お魚さんたちは24時間食事をするわけではない。潮の干満(上げ潮、下げ潮)、潮どまり前後、朝・夕マズメなどなど。

鹿島方面が釣れるとは聞いているが、自分としては地元にこだわりたい。観察していと、やはり地元の日焼けした漁師風の人は釣れないながらに数を上げている。自転車でさーっとやって来て竿一本で2時間。その間に10匹とは行かないがポツン、ポツンとコンスタントに25cm前後のサイズを釣り上げるのだ?何故なのか。

釣れる時間と場所が分かっているのだ。先週の自分のように「これは無理だな」と思ったら、さっさと諦めること、釣れるとなったら手返し良く、私のように仕掛けを絡ませたり、隣の人とお祭りして時間をロスしたりしないで集中して釣ること・・・・・。私のようにとにかく一匹上げるまではとバカな粘り方はしないのだ。

8月に国際イベントを控えて日に日に忙しくなる此の頃。しかし、仕事中も時折、イシモチが亡霊のようになって私の脳裏に現れてくる。

昨日は、待ってましたとばかりに午後から竿を担いで(実際には車のトランクに入れて)釣りに出かけた。ただ、「保険」が欲しかった。半日やって何も釣れないのは辛い。それで気になっていた涸沼川に寄り道した。大貫橋周辺は一ヶ月前にサッパ釣りで盛り上がっていた。あれなら、自分も出来るし、ちょっとやって見ようという気持ちだった。

14時過ぎ、途中釣具店によってサビキ仕掛けなるものを買って、釣り場に到着した。サビキの種類の多さには呆れる。何を買ったらいいのかビギナーには分からない。安売りの3セット180円、6本針の5号と6号をとりあえず一つつず買ったのだった。

現場は一ヶ月前ほどの賑わいはなかった。もうシーズン終了間際ということだろうか?しかし、彼方此方で銀色の魚体が水面から上がっているのが確認出来た。早速、超安値で購入したサビキ釣り用の磯竿らしき竿(4.5メートル)にとりあえず5号針と3号の錘をセットして投入した。流れは上げ潮になって涸沼の方にゆったりと逆流している。これが大潮ならサビキしかけの下の3号錘はあっという間に岸の方に流されてしまうところだ・・・

第一投は空振りだった。隣の人が少し遠めに投げてサビキながらやるといいとアドバイスしてくれた。第二投で2度、3度サビいていると、コツツン、コツツツ~ンと小さいアタリが来た。リールを巻くと約12センチの小型のサッパが一匹付いていた。サッパ釣りの開演である。

16時過ぎまでの2時間、一度根掛かりで仕掛けをなくし、本日2本目投入の6本針仕掛けが根掛かりで下から一本ずつ針がなくなり最後は4本針での釣りとなったが、かなりの数のサッパを釣った。ほぼ入れ食い。時折、2度、3度の空振りはあったが。サイズもだんだん大きくなって15cm~20cmのものも結構混じった。

右隣に陣取った年配の人は6メートルはあろうかと思われる延べ竿で針が10本くらい付いてる竿で私より後から来て私より沢山のサッパを釣っていた。針は3号か4号?ハリスは大丈夫?柔らかい竿なので15cm超えのサイズが来てもハリス切れしないようだ。

サッパというと関東では外道扱いされる魚らしい。岡山県では「ママカリ」と言ってとても美味しいお惣菜になる魚だというが。しかし、近年関東でも徐々に食べる対象として浸透してきているのだそうだ。このサッパは寿司でもお馴染みのコハダの仲間だという。酢で締めた青魚は私の大好物だ。しめ鯖には目がない。オランダで味わった酢漬けニシンも大好物。だから、サッパ釣りも悪くない。下の写真は今日の釣果だ。何匹いるでしょう?答えは一番最後です。

Photo

16時半前、前半戦を終了して大洗へ。アオイソメ2パックでのイシモチ釣りである。砂浜から遠投をしようと目論んでいたがどこも海水浴客でごったがえしている。諦めて那珂湊漁港の堤防へ移動した。2週間前に終日粘って一匹も釣れなかったあの場所である。2000円分のアオイソメと秋刀魚餌をクサフグに献上してしまった悪夢の釣り場である・・・。

帰宅したのは深夜だった。17時過ぎから釣り始めて3時間はまったく釣れなかった。何度かアタリらしいものはあった。一度はフグに針を切られてしまった。しかし、前回のような投入してすぐにチリチリと竿先が震えるようなフグ攻撃はなかった。我慢、我慢と自分に言い聞かせてながら、バシバシバシッとあの強烈なアタリが来たのは21時を過ぎる頃だった。日が暮れたせいもあり、50歳を過ぎた老眼気味の私には餌付けはもちろん、身近なところの視力がぐっと落ちる。投入した2本の竿にそれぞれトラブルがあって、片方は仕掛けを力糸ごとロスしてしまった。片方は何とか回収できた。今回はなれない夜釣りで竿先につけたケミホタルと道糸のトラブルだった。

待望の25cmサイズのイシモチを釣り上げて時合が来るかぁと、期待したが、その後また1時間は沈黙。徐々に意気消沈。餌もだんだん無くなってきた。22時過ぎ、バシバシッではなくヒクヒクヒクという微妙なアタリがあった。フグとは違うナ、小型のイシモチかナとリールを巻いて見ると目測16cmの超小型のイシモチだった。残り少ないアオイソメをたっぷり付けて再び投入。もう一方の竿を片づけた。と、またヒクヒクヒクという微妙な竿先の動き。ソーレ、とばかりに竿をあおってリールを巻くと軽い。空振りかぁ?と思ったが上げて見ると目測17cmの先ほどより1cm大きめのイシモチだった。

あと一回分のアオイソメを針に付けてラストチャンス。しかし、空振りだった。諦めきれずにサッパ2匹を取り出し身餌にして30分ほど釣りを続けた。1度ヒクヒクヒクとアタリが来たが、空振り。時計を見ると23時を回っていた。ヤバイ、ヤバイ、家に帰らねば・・・。

20cmサイズを5匹以上釣ろうとというビギナーの儚い目論みは残念ながら露と消えてしまった。周りは小雨ならぬ霧雨だった。

Photo_2

サッパの釣果:

57匹(2匹はイシモチ釣りの身餌に)。

| | コメント (0)
|

ニイニイゼミの声を聞く。そしてイシモチ釣り・・・

昨日の金曜日。キャンパスを歩いていいるとニイニイゼミが落ちていた。絶命していた。♀みたいだった。縁起が悪いなどとはまったく思わず、拾ってカバンにしのばせ、帰宅後写真を撮った。もうニイニイゼミが鳴く季節なのだ。今年はまだ聞いていないが。

Photo

一週間仕事に追われて家と職場を往復していそいそと食事を掻きこんで睡眠を取るという日々が続く。そんな折の気晴らしは、懐かしの名画を見ることか?BS放送で先週だが、「荒野の用心棒」を見た。クリント・イーストウッドが若い。眉間に皺を寄せ寡黙でマッチョな男を演じている。「太陽にほえろ」の石原裕次郎もそうだった。悪役のジャン・マリア・ボロンテとの最後の決闘シーンも良かった。しびれたね~。同じ週に「荒野の決闘」や「シェーン」をやっていたけど、断然「荒野の用心棒」だと思う。のこりの二つは見ていてまだるっこい感じがして途中でチャンネルを変えてしまった。マカロニ・ウェスタンは変な理屈がなくて男の美学にあふれている。やっぱり、監督のセルジオ・レオーネだね。黒澤明の「用心棒」の西部劇版だというけれど、その黒澤明は「荒野の決闘」や「駅馬車」を作ったジョン・フォードからいろいろ盗んでいるという話だ。

このところ天気が安定しないが、今朝はヒヨドリのうるさい声で4時半に目が覚めてしまった。先週の釣りは散々だった。腰が重い。またボウズが怖い。餌取りフグの猛攻撃で戦意を喪失してしまった。の、だが、やっぱり、3時間くらい釣り糸を垂れて見ようか?幸い雨は降っていない。

ということで、今朝は那珂湊ではなく大洗へ。釣り公園に足を運んだ。超満員だった。釣り始めてすぐ隣の人がフグを釣り上げた。いやな予感。 右手には、やたらに声の大きいもと野球部という感じの日焼けした長身の男とたぶんガールフレンドにもうひとり先輩格の釣り師という3人組が陣取っていた。どういうわけか、この3人組に次々とアタリが来る。また来たぁ~を連発する日焼けした長身の男には参った。おまけに、ガールフレンドは、超ビギナーズラックか、第一投だかなんだか早々と20cmを超える良型のイシモチを釣り上げた。

右目で睨みながらイライラする私。しかし、アタリはサッパリ来ない。喧嘩したガールフレンドの呪いがまだ解けていないのだろうか?やっと、釣り始めて2時間ごろ、16cmほどの超小型イシモチが3.9mの投げ竿に掛かったのだった。泣きたい気持ちだった。そして、そのまま、また竿は沈黙続けた。左手の太平洋側に突き出た奥の場所と右手の3人組以外はサッパリ釣れていない。どうしたことだろうか?うーん、帰ろうかぁ、目がチラチラし始めたとき、やっと、あのバシバシバシッというアタリが来た。一呼吸置いて竿をしゃくるとグーンと重みが乗った。来た来た来たぁ、やっときたぁ。これをどれほど待っただろうか!水面から姿を現したのは目測23cmの銀色に輝くイシモチだった。

時計を見るともう12時だ。時間切れだ。これを潮に納竿として家路についた。結局イシモチ2匹と外道にカニが2匹という貧果だったが、一応イシモチの姿を拝むことが出来てとりあえずは納得したのだった。明日は母の77回目の誕生日である。もうちょっといいサイズのものをあと2匹、3匹は釣りたかった。

次回は釣り公園が締まる19時以降に、浜からの遠投で夜釣りをやってみようと思う。

2

| | コメント (0)
|

イシモチは何処へ?

このところ曇空と時折の雨の日々。昔の梅雨とはいささか趣きが異なるのだが、なかなか釣り日和とならない。

6月の始めに孵ったコブハクチョウの雛はすくすくと育っている。

Photo

職場の近くを歩いていたら超ミニサイズの蛙君に遭遇した。それが下の写真だ。

Photo_2

このところ訃報が多いし、毎日蒸し暑いし、彼女と喧嘩したり、イライラし通しである。週末は雨の天気予報にも関わらず釣竿を持ってイシモチ釣りに出かけたが、心の中は落ち着かない。いつもなら無心に釣りに没頭するはずが、雑念が心の中に入り込んで来るのだ。どうした、君ぃ~・・・。

秋刀魚の切り身とアオイソメ3パック、合計2000円分の餌を準備して早朝から午後遅くまで一日釣り糸を垂れたのだが釣れるのはフグばかりだった。イシモチ一匹の姿を見たら帰ろうと粘ったもののとうとう最後までその姿を見ることは出来なかった。舶来のアオイソメはすべて餌取りのフグに献上してしまった。

外道のフグ君だが、釣れたばかりの君は美しい。目の淵はオレンジ。目の色はエメラルドグリーンだ。口は小さいくせに鋭い歯で投げ入れた仕掛けの餌を30秒で食い尽くしてしまう餌取りであった。しかし、美しいものには棘どころか、猛毒が隠されている。君はどのみち食えないのだ・・・。

Ca1flvgf_3   イシモチの姿が消えた。一体何処へ。まさか、喧嘩中の彼女の呪いではあるまいに・・・。

| | コメント (0)
|

S君死す・・・ああ、合掌。

マイケル・ジャクソンが死んでマスコミは大騒ぎとなっている。エルビス・プレスリー以来の超大物の早すぎる死。プレスリーが死んだのは1977年の夏のことだった。まだ私は大学生だった。前年にドイツを旅して、そのお返しにというわけではないがドイツから学生がやって来て、水戸の我が家にも2週間ほどホームステイしたのだった。たまたまある日のこと東京に遊びに出かけて、夕刊フジの見出しで知ったのだった。それを拙いドイツ語でミヒャエル君伝えると、彼はシンプルなドイツ語で一言呟いた。 「Unser Elvis ist tot」(俺たちのエルビスが死んじゃった)。

次の大物の死というと、フランク・シナトラかなぁ。シナトラが亡くなったのは1999年の春ごろだったような記憶がある。イギリスで忙しい日々を送っていたある日、お客さんのアテンドでバーミンガムかどこかでうろうろしていた時だったと記憶する。終日テレビではニュースを流していた。

この年の秋には、パリに出張してセーヌ左岸のSofitel Rive Gaucheというホテルで施設見学をしていた時、携帯電話が鳴った。電話に出ると実家の父からだった。従兄が癌で亡くなったという知らせ。当時彼はまだ50歳だった。

今週の月曜日、いつものように千波公園を散歩しながら職場に向かう途中で携帯電話がなった。ハイ、モシモシ。東京のN氏からの電話だった。Sが急死しちゃったよ!一瞬わが耳を疑った。心臓がドキンとした。エエエエエーッ・・・絶句した。つい1週間前にメールで近況を聞いたばかりだった。彼は昨年2月のブログに登場してもらった。彼がこれを読んだかどうかは定かではないが・・・。

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c9a8.html

人の命ははかない。まさかS君がこんなに早くこの世を去ってしまうなんて・・・・・。どういうわけか私とは波長が合った。田舎に引っ込んで以来、酒を酌み交わして語り合う機会は減ってしまったが、そろそろ暑気払いでもやりに上京しようかと思っていた矢先のことだった。

フランク・シナトラは天寿を全うしたと言っていいだろう。しかし、マイケル・ジャクソンもプレスリーも私の従兄もS君も若死にだ。生れ落ちた瞬間から人は死に向かって走り出す。「生きること自体が体に悪い」と誰かが哲学的なことを言っていたと思う。

週末は野暮用で潰れた。今日も朝8時から出勤して一仕事をこなし16時過ぎに帰宅。堪えきれずに釣竿をかかえて海へ出かけた。車で向かう途中、ポツリポツリと雨が降り始めた。1時間ほどだが小雨の中で釣り糸を垂れた。先週土曜日の夜釣りパート2は空振りだった。期待して出かけたのにアタリはなし。一度軽く鈴がなったが針掛りしなかった。今日も駄目かも知れない。釣れなくてもいいと思いながら、夕刻の小雨ふる太平洋に4.2メートルの投げ竿で思い切り遠投した。100メートルは優に超えたはずだ。真っ直ぐにコントロール良く仕掛けを飛ばせるようになった。しかし、アタリは一度だけ。そして18cmサイズの小さなイシモチが釣れただけだった。雨足が強くなって、18時半過ぎ納竿。

Photo

| | コメント (0)
|

イシモチ釣り第3弾

待ちに待った週末の土曜日。4時半に起きて那珂湊の堤防に行ってきました。5時半前に到着するとすでに堤防は賑わっていた。しかも、一箇所に固まって。どこで釣ったらいいのかわからない自分は広く空いている場所に陣取り、25号の錘と仕掛けをセットしてアオイソメをたっぷりつけて第一投。気持ちいい!!!

ところが、早速根掛かりしてしまった。全然仕掛けが動かない。右手20メートルほど離れた真っ黒に日焼けした地元人らしき人に、ここは根がありますか?と恐る恐るきくと、そこから向こうは何処に投げても根掛かりするよ!と一言。 何故、最初に言ってくれないの?と心の中で呟きながら、いろいろと釣り場の様子を聞いて教えてもらった。地元の人が固まって釣っている場所は磯場なんだけど皆どこが大丈夫か知っている。しかも、魚が寄っている場所らしい。外部の事情を知らない人はその向こうの方でやったら大丈夫でしょう。

ということで、100メートルほど移動。第一投で仕掛けと錘をロスして意気消沈した私だが、気を取り直して2本の竿を投入した。

しかし、10時までの3時間半、まったくイシモチは釣れなかった。釣れたのは15cmサイズのフグ一匹だけ。しかも、仕掛けを時折回収すると餌はキレイに無くなっている。何が食ってるのか?

帰るかぁ~。10時過ぎにはジリジリしだして帰り支度を始めようかと思っていたら、やっと右側の竿がヒクヒク軽くお辞儀を始めた。我慢に我慢をして、ソーレッ、と合わせる。しかし、軽~い。針掛りしたのか?リールを巻くと15cmサイズのとても小さいイシモチがダブルで掛かっていた。これで、ボウズは免れた・・・。安堵の溜息。

すかさず餌を付けて再投入。そして、またピクピクお辞儀を始めた。ビシビシッという明確なアタリではない。これまたリールを巻いて見ると先ほどより一回り大きい目測18cmのイシモチだった。やれやれ、なぜこうも小さいイシモチばかりなのか?

左手の漁師風のおじさんは秋刀魚の切り身を餌に25cmサイズをさっそく2匹釣り上げている。餌は秋刀魚のほうがいいのか?餌か?腕か?場所か?

そうこうするうちに餌が無くなった。2パック1000円分があっという間に無くなった。最後の餌を付けて投入。車に戻って近くの餌屋へ2パック追加購入に行く。その間約15分。朝方は曇り空だったが、陽が差してきた。日本茶を購入して、3本針の胴付き仕掛けを買って、釣り場にもどり、竿を上げると18cmサイズのイシモチが掛かっていた。これで4匹目。

時計は11時過ぎ。何故か今日も一方の竿にばかり魚が掛かるなぁ、と思ってすぐに、また竿がピクピクし始めた。またミニサイズのイシモチかとリールを巻いて見ると20cmサイズのキスが釣れて来た。初めてのキス。やったねぇ!

そして、手返しで投入した同じ竿が激しくお辞儀した。よーッし、と一気に合わせてリールを巻くと手応えがある。そして、一旦軽くなった。バレタカ? テトラの際になって再び重くなり釣りあがってきたのは25cmサイズの良型のイシモチだった。これだ、これだ、これだぁ。

これを待っていたんだ。よーし、俄然やる気になってきた。朝の8時半ごろが干潮の潮どまり。上げ三分とは良く言ったものだ。バタバタとアタリが出始めたのだ。一気にボルテージが上がった。

しかし、結局これで終わってしまった。13時半前に納竿。12時から1時間半まったくアタリなし。ひとまず退散とした。家に戻って一休みして、夕方から夜釣りのパート2に備えよう!

パート1、早朝から昼過ぎまでの釣果

イシモチ 5、キス1、フグ1(リリース)。

25cm

| | コメント (0)
|

カッコウの囀り、上野動物園、イシモチ釣り第2弾・・・

先週の木曜日の明け方のこと。夢うつつの中で聞いた。カッコー、カッコー、カッコー。はっと目が覚めたが、もう鳴き声はなかった。何年ぶりだろうか?埼玉県の見沼ではよく春先にカッコウの鳴き声を聞いたものだが最後に聞いてからもう6年近くになる。

知り合いのシングルマザーは面倒見の良さ、料理の腕の良さを見込んでか月に一度は自分の子供と遊んで欲しいと頼んでくる。父性不在の子供に対する教育的見地もあるのだろう。

先週末は本当は釣りに没頭したかったのだが、2歳半の彼女の娘はとてもかわいいのでその娘に釣られて上京した。その娘はアンパンマンのテーマソングに合わせてハワイアン風の振り付けでダンスを目の前でしてくれるのだがこれがまた見ていてとても楽しい。ポツリ、ポツリと言葉も喋る。膝の上に載せて絵本を読んであげたり、上野公園に出かけて遊園地で遊んだり、動物園で大好きな象やペンギンを見たり、怖い怖いスマトラ産のトラを間近に見たり。深川丼やクラムチャウダーを作って一緒に食べたり。すっかり、パパになってしまった。月一回の代理パパ・・・。

とはいうものの土曜日の早朝は早起きして大洗で半日ほどイシモチ釣りを敢行した。前回の8匹を上回りたいと思っての釣行だったがそうは問屋さんが卸してくれなかった。2週間前のような潮の濁りがなかった。イシモチは濁りを釣れ、とはものの本にも書いてあった通りだった。最初の30分で20cmサイズ1匹と16cmサイズ1匹を釣り上げることは出来たのだが、残りの4時間、ただただ竿は沈黙するのみだった。来週は、夜釣りに切り替えようか? 今日も、職場の往復は徒歩だったが、頭の中は不完全燃焼で終わったイシモチ釣りの復讐戦でイマジネーションがどんどん膨らむばかりだ・・・。

6月13日(土)の釣果はたった2匹のみ・・・トホホ。

Ishimoti

| | コメント (0)
|

コブハクチョウの雛、サンコウチョウ、ホトトギス、そして本日イシモチを釣る。

先週半ばのこと。ゆっくり朝食を取り10時前にいつものように千波公園を歩く。ついにコブハクチョウの雛が孵ったようだ。一ヶ月近く抱卵していたと思う。いつなのか、いつなのかと待ち続けたのだが、ついに3羽の雛が孵った。

Photo

今週の火曜日のこと。コブハクチョウ親子に挨拶してもみじ谷を通り抜けて桜山を歩いてているとホーイ、ホイホイという声が聞こえてきた。心臓がドキン。エーッ、もしかして、サンコウチョウ!?立ち止まって耳をすます。ホーイ、ホイホイと護国神社の境内の裏の雑木林付近から聞こえる。忍び足で近づいて、カバンから双眼鏡を取り出してじっと待機する。ホーイ、ホイホイ。2度、3度、4度と鳴く。しかし、姿は見えない。 焦ってきた。そして、とうとう鳴き声が止まってしまった。残念だった。移動の途中だったのだろうか?

今年はホトトギスの鳴き声をまだ聞いていない。水曜日の夜中にうとうとしながら夢うつつの中で聞いたような気がした。

今週末は天気予報では雨模様で釣りは駄目かと半分諦めかけていたが、土曜日の昼から雨があがった。御日様が顔を出した。ヨシッ、明日の日曜日は1年前のリベンジだ、とばかりに今朝は早起きしてイシモチ釣りに出かけた。

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/index.html

昨年は久慈川河口だったが見事な空振り。今日は無理をせず大洗港魚釣園にした。電話で確認して見ると午前中が釣れるらしい。仕掛けも本格的なタックルは必要なくチョイ投げで良いという。

昨夜は22時に就寝。興奮したのか深夜1時に一度目が覚め、トイレに行ってまた寝る。次に目が覚めたのが3時半。もう眠れなかった。仕方なくベッドのなかで、マッキンダーの「デモクラシーの理想と現実」を読む。大英帝国が誇る大戦略家である。曽村保信氏の「地政学入門」を参照しながら。日本人は戦略が苦手である、と言われるのが気になっていた。そもそも戦略とは何ぞや、といろいろ勉強を始めたところである。

5時半にベッドから抜け出して車を飛ばし大洗へ。青空が広がり期待感に胸が膨らむ。わくわくどきどき。ああ、たまらない、この感覚。鶏五目のおにぎりとチキンカツサンドの朝食を駐車場で取って、6時40分に入園。300メートルほど歩いて釣り場に到着。2本の竿数制限があるので、3.6mと3mの柔らかめの投げ竿を準備した。仕掛けは12号の2本針胴付き仕掛けと五目釣り用の9号針2本の吹流し仕掛け、錘はとりあえず10号を装着して早速仕掛けを投入した。

時折強い風、それも北風が吹くいている。思ったより風が冷たい。いやな予感。しかし、この不安を吹き消すかのように、10分ほどで3mの方の竿をまず聞き合わせるとブルブルという軽いアタリがあった。リールを巻くと目測18cm前後の小振りなイシモチが釣れて来た。やったぁ!イシモチを始めてゲットォ~!

日曜日の魚釣り園はごった返している。いつの間にか右隣には子供二人を連れた親子が陣取り3本の竿を投げ入れる。しかも、私の真正面にも平気で・・・と言うかぁ、仕掛けが真っ直ぐ飛ばないようだ。そして、早速「おまつり」となってしまった。「スミマセン」、とお隣さん。「イエイエ、風も強いしお互い様です」と私。仕掛けがごちゃごちゃになって10分近い時間のロス。気を取り直して餌を付けていると、3mの竿が激しくお辞儀した。来てる、来てる。左手のベテランらしき釣り師からも声が掛かった。リールを巻き上げると目測22センチのまあまあのサイズのイシモチが釣れたぁ。

この調子なら結構行けるかな、と思い始めたのだったが、お隣さんの相変わらずの「おまつり」攻撃に悩まされる。しかし、お子さんもいるし、怖い顔はしないでニコニコしながら良いんですよ、気にしないで・・・。善隣外交である。

堤防の先端では常連さんが生餌を使ったヒラメの泳がせ釣りをやっている。そして、歓声があがった。ヒラメが来たのだった。目測40cmのなかなかのサイズ。左隣のベテラン釣り師は、ここの最高記録は70数センチです、と仰る。この釣り師は昨夜から徹夜らしい。夜釣りでアナゴとハゼを釣ったそうだ。見せてもらうと、50cmサイズの見事なアナゴ2本と20cm以上と思われる結構な数のハゼとシャコがアイスボックスの中に納まっていた。

今日は大潮だけれど干潮は10時前。潮回りはそれほど良くない。釣り始めてすぐに狙ったイシモチ2匹釣って気をよくしたもののその後アタリが来ない。周りがぽつりぽつり釣れているのに。ようやく8時半過ぎにまた小振りなイシモチが2匹、3mの竿に連続して掛かった。

それからまた1時間半近くまったくアタリがなかった。どうなってるのだろうか? しかも今日はまだ3mの竿にしかアタリが来ないなぁ、と思い、3.6mの方の竿の仕掛けを9号針の吹流し仕掛けに変更して見ると、何と早速アタリが来たではないあ。こんな物だろうか? その後、3mの竿にも1匹、そして、3.6mの竿に連続ヒット。 11時過ぎまでで合計7匹が釣れた。

しかし、その後は続かなかった。12時半ごろに釣れた21cmサイズのイシモチが最後になった。朝の内は潮に濁りがあった。しかし、昼ごろから澄んできて徐々にアタリが遠のいたて行った。周りではみながサビキ釣りを始めた。私は準備して来なかった。満潮は16時ごろだ。15時まで粘って見たが風は強いし、時折回収する仕掛けは餌が付いたままになって来たところで納竿とした。 せめて10匹(「ツ」抜け)したかったのだが、イシモチ釣り第2弾としてはまあまあのところじゃないかぁ、とそれなりに納得して家路に着くことにした。

車の中はサウナ状態だった。窓を開けて田園地帯を安全速度でビュンビュン飛ばす。途中、涸沼川の大貫橋で寄り道した。釣り人が川岸にずらりと並んでいるのだ。海から涸沼に遡上してくる回遊魚のコハダとサヨリが釣れているという。10分ほど見学したが彼方此方で釣れている。20cm~25cm前後の良型のコハダだ。地元の農家の老夫婦の魚籠を覗かせてもらったら、スゴイ数だった。

うーん、こっちも面白そうだな、いやいやしばらくはイシモチ釣りを極めなくては・・・心の中で一瞬だったが葛藤があった。我に返って再び車に戻り、見渡す限り広がる田園地帯を疾駆しながら、車中を満たす心地良い風と遠くからはっきり聞こえてくる今年初めてのホトトギスの鳴き声にうっとりしながら16時前に帰宅した。イシモチは早速家の人に調理してもらい、軽く焼いてから煮付けにしてすべて供養した。身が柔らかいイシモチだが、焼いてから煮つけると身が締まっていて思った以上に美味だった。

Photo_2

 

| | コメント (0)
|

«アオバズクの鳴き声を聞く!