2018年12月16日 (日)

寒さに負ける日々・・・

12月14日(金)晴

6時過ぎの目覚め。アカハラの声を今朝も聞く。そして、The Global Cold Warを読み続ける。アメリカはカーター政権からレーガン政権へ。ソ連は、ブレジネフ亡き後、アンドロポフ、チェルネンコを経てゴルバチョフ体制へ。ソ連のアフガン介入と失敗は、ソ連の国内経済の不振(西側はエレクトロニクス革命があった)、原油価格の下落とともに、社会主義体制に対する失望と疑念になっていく。ナショナリズム、特にイスラム圏においては、アメリカ型でもソ連型でもない宗教にもとづく伝統回帰をしていく。ホメイニさんは近代化を否定したわけではなく、停滞を招いた旧来の宗教的伝統の欠点について否定したのだった。

1979年の春に自分は大学を卒業してとりあえず社会人となってサラリーマン生活を始めた。卒業直前にはイラン革命、卒業直後にはアフガン戦争の勃発。冷戦の流れが変わる分水嶺、ターニンング・ポイントだった。社会主義体制の崩壊の始まりであった。そのタイミングで出会ったのが、小室直樹氏の「ソビエト帝国の崩壊」であった。

当日は、北区滝野川のアパートに大学に通う弟と同居生活をしていた。1983年からオランダに研修で1年でかけた。弟は故郷の地方銀行員となりアパートを引き払ったが、本は実家に送っていてくれた。2005年、26年間務めた会社を早期退職して実家に戻ったとき、暇に任せて自分の持ち物を整理したときに出て来て目に留まった一冊がこの本である。

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ソ連によるアフガン介入戦争は、1980年のモスクワオリンピック参加をアメリカはボイコットを招く。日本も当然ながらボイコットせざるを得なかった。マラソンの瀬古選手が全盛時代、金メダルを狙える大会だったが。瀬古選手は1984年のロサンジェルスオリンピックに参加したが、全盛期を過ぎたこともありメダル圏外に終わる。不思議なのは、イギリスがモスクワオリンピックに参加したことだ。米英関係は決して1枚岩ではないということだろうが何故?いまでもよく理解できない。どういう力学があり、政治的判断がなされたのだろうか。

レーガン政権となったアメリカは、ベトナムのトラウマをものともせず、また、ソ連のアフガニスタンにおける泥沼化(ベトナム化)を見透かしたように、各地で介入を強化していく。アフガン戦争では、パキスタン経由でいわゆる「聖戦」を主張するイスラム原理主義者たちを支援する。結果は、2001年の9.11テロ事件に繋がるものだ
った。

イラン・コントラ事件というのもあった。親ソのイラクと対立関係にあったイランを助けることとアメリカ大使館占拠事件を解決することを期待してイランに武器を売り、その資金で中南米への介入(当然ながら、抑圧的な軍事政権を助け、未熟で稚拙な左翼政権を倒す手助けだ)をする。ソ連のアフガン侵攻が国際的非難を引き起こし、これが結果的に米国の中南米介入の隠れ蓑となってしまったようだ。

朝食:納豆、アジの干物、ご飯。アジの干物の塩加減(いつもはききすぎ)がよく実にうまい。アジの干物を馬鹿にしてはいけないと改めて認識。

足のリハビリのため病院へ。おそらく今回が最後かなぁ、と思いながら、病院に到着、診察カードを受け付けの機械に入れるがいつもの反応が違う。おかしいぞ、と思っていると、なんと、リハビリのアポは二日前の12日(火)9時からであった。私の勘違いだった。2階のリハビリ室にいってマネージャーに会いにいったが、お休み。スタッフの方に伝言をお願いしてすごすごと退散。参ったね・・・。

気を取り直してそのまま、銀行へ。両親の年金が出たので記帳と出金。さらに、近くのK百貨店の食品売り場へ。アイナメ1尾(煮つけ用)とキンメダイの干し物(800円、2尾、特別セール)などを購入する。銀座ナイルのチキンカレーも二つ買う。それから、煮つけに使う山椒の実。

昼前の帰宅。昼食は、ハゲ天の天丼弁当。出来立てのホカホカの天ぷら!

午後の日課はお休み。日中の気温が10度を切る寒さで釣れる気がしない。また、体を冷やしたのか、クシャミと鼻水が止まらない。大事をとって、炬燵にもぐりこみ、The Global Cold Warを読み続ける。

夕食:アジの干物と豚肉のシャブシャブを肴に日本酒の熱燗を飲む。しかし、どうにもくしゃみと鼻水がとまらない。食後、風邪薬を飲んで、体を温めてから早々とベッド潜り込む。

12月15日(土)晴、北風強く寒し

今朝もアカハラの声を聞く。明るくなる直前のタイミングで6時10分ごろだ。

The Global Cold Warもいよいよ終盤に近付いた。ゴルバチョフ時代になり、アフガンでの苦境、数週間で片がつくはずがずるずると増援を続ける事態(軍隊の逐次投入ほど問題の多い戦い方はない。いわゆる、軍事における禁じ手)と国際的なソ連批判。ソ連型の社会主義体制(=反帝国主義)に向けるまなざしは色あせた。大きな理由は、独立後の国造りにおいて国内の終息することを知らない内紛で国の秩序が崩壊してしまったこと。一方で、中国や東南アジアの国ぐにの目覚ましいい発展(韓国と台湾)がおおきくクローズアップされた。日本は、絶頂だった。当時はまだGNPという経済指標が使われていたと思うが、やがて日本は米国を抜き去るであろう、という専門家の声もあがっていた。

日本はいよいよバブル時代に入ったころだ。入社当時、1ドルが350円前後。ドイツマルクが120円くらいだった。1986年のプラザ合意後、円高政策を日本が自主的にとり始め!(西側の圧力)みるみるうちに200円を切った。ロサンジェルス・オリンピックではソ連が報復で参加ボイコットをした(日本と同じで東欧諸国もボイコット)。米国の陸上選手カール・ルイス、柔道の山下選手が活躍した。1980年代後半、地下が高騰、暴騰して、東京23区の値段合計で全米が買えるという状況がしばらく続いた。アメリカに出かけた人が、アメリカのお店を見て買いたいものがなくなった、といっていた(私自身は2013年まで訪米経験なしだからよくわからない)。海外では、プール付きの一軒家が1000万で購入できた(ハワイ、米国本土、オーストラリア等)。三菱地所がロックフェラーセンタービルを買った。多くのにわか成金となった日本人は使うあてもないまま投資目的で不動産を買いあさった。

職場では朝から電話が鳴りっぱなしだった。何をしなくても仕事が舞い込んだ。毎期の予算達成。残業とお酒を飲む日々。自分の体重は入社時が60キロ、1980年代の後半は一時的に80キロを超えたなぁ。職場のY君によると、京王プラザホテルの1階のコーヒーショップで夜遅く軽食を取っていたら(仕事で)、地上げ屋風の人がずかずかとやって来て、隣のテーブルを占領し、メニューを手にして、「姉チャン、メニューにあるの全部持ってきて」と。

当時、イラン人はヴィザなしで日本に来ることが出来た。北京経由の便でツリーストが沢山やってきて、それに関わる仕事をしばらく担当した。イラン人が、アラブ系でないと認識したのはその時が初めてだった。イタリア人かスペイン人みたいな感じだった。言葉はペルシャ語。イスラム教徒だが、お酒は飲むこと。精算が終わるとホテルの部屋でピスタチオや胡瓜を肴にビールで乾杯して語らった記憶が懐かしい。

朝食:納豆、笹かまぼこ、ご飯少々にお新香。

朝食後、母の使いで近くの郵便局へ。入金と記帳。往復30分弱。帰宅して日記を書く。父はデイケアーの日。

お昼: 五目御飯(冷凍)を少々とバナナ。

午後は、一昨日の餌(青イソメ)の残りが気になり釣りに出かける。阿字ヶ浦海岸のサーフからの投げでイシガレイを狙ってみようかと仕掛けを作って車を走らせた。現場に到着してみると釣り人はルアーを投げる人が少々いるだけ。干潮前後が釣れる、というのが過去のカレイ釣りの経験則がある。干潮は16時半ごろ。うーん、どうしようと迷った。風が冷たい。餌も少ない。買い足さないといけない。来週の天気予報だと暖かくなる。今日は、やっぱり、那珂川にしよう、ということで心変わりして那珂川のマイスポットへ。しかし、釣果はなし。アタリすらなかった。北西の風が冷たくて、護岸のススキの茂みの影に身を潜めて時間をやり過ごした。

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16時過ぎに帰宅。テレビで刑事コロンボを見る。アイルランドへの武器密輸出をテーマにしたもの。一度見たことがある。副音声の英語で聞く。8割くらいの理解度。最後の三分の二は日本語に。犯人が詩とナンセンス・ライムを吟ずるところがあるが、言語で聞いてもわからなかったであろう。最後の犯人を追い詰めるコロンボの嗄れ声の説明も、微妙な機微に触れることが多いので自信がなかった。推理ものはそうである。

夕食:キンメダイの干物を肴に日本酒の熱燗を飲む。キンメダイの味は、昔、東京の虎ノ門にあった飲み屋「よっちゃん」を思い出す。伊豆下田産のキンメダイを焼いたもの(大きいサイズで半身)に日本酒と醤油をかけて食べるだが、肉厚で脂が乗って実にうまかった。その再現は無理だが、キンメダイは美味だ。仕上げは、豚肉の生姜焼き1枚とあったたかい味噌汁にお新香。

一日があっというまに終わってしまった。何やら物悲しい気分。冬至まであと少し。熱い湯舟につかり、19時過ぎには2階へ上がる。ベッドに潜り込み、ひたすらThe Global Cold Warを読み耽る。

2018年12月14日 (金)

本格的な冬の寒さで昼間のセイゴ釣りは厳しいか?

12月12日(水)雨、後曇り

6時過ぎの目覚めだが外は真っ暗。朝から雨模様。そして寒い。陰鬱な天気。読書灯をつけてThe Global Cold Warを読む。

7時過ぎ、キッチンに降りて朝食(納豆とご飯)。

午前中は、ハローワークへでかける。職業相談と手当支給の手続きだ。

お昼:石窯パンとコロッケ。

午後はベッドの中でThe Global Cold Watを読みふける。イラン革命とアフガニスタンの情勢。時代は1970年代中盤から後半。ニクソン政権が倒れ民主党のカーター政権。ソ連はブレジネフ政権。キッシンジャーが敷いたデタントの時代。イラン革命は1978年の12月。私が大学を卒業するころだ。友人宅(確か、江古田だった)のテレビでぎっしりと広場に埋め尽くした民衆の映像を記憶している。それから11年後、同じような光景がルーマニアであった。イランのパーレビ国王はアメリカに亡命したが、ルーマニアのチャウシェスクは銃殺になった。1960年初頭のキューバ革命以後、ソ連の社会主義陣営の攻勢が続き、ベトナム戦争での北ベトナム・共産党政権の成立(1975年)がソ連にとってのピークだった。イラン革命は、アメリカ支援の腐敗王朝でもなく、ソ連支援の世俗的な政権でもなく、ホメイニさんというイスラム復古主義者による革命だった。どちらの超大国にも組しないあたらしい潮流の始まり。アフガニスタンは、ソ連寄りの共産主義者を含む左翼政権が内輪もめと分裂を繰り返す中でソ連がテコ入れするために(アフガン側からの度重なる要請のもと)介入(数週間の予定)が、結局ソ連にとってのベトナム戦争となってしまった。1970年代後半から、ソ連の計画経済は停滞を始め、穀物の輸入国に転落してしまった。じわじわと西側(アメリカを中心とする資本主義国)と経済における優位性を失っていく。

夕食:イワシの丸干し、オーストラリア牛のステーキ、白&赤ワイン、ご飯少々、石窯パン、けんちん汁とリンゴ。

夜、Yちゃんのママとクリスマスの会食の相談。シャブシャブを一緒に食べて、買い物して、カラオケに行くことに。瀬里奈のしゃぶしゃぶを予約する。

12月13日(木) 晴、のち曇り

6時過ぎの目覚め。久しぶりに夢を見る。最初の職場I君と直近の職場のK氏がだぶる。大学のイベントなのだが、詰めがあまくイベントの趣旨がずれた参加者のパフォーマンスが続き、会場はざわざわ、スキャンダルになってしまう。自分のコントロールが効かず大失態となる。ああー、どうしよう、というところで目が覚めたのだ。膀胱が一杯。

6時過ぎ、アカハラの声を聞く。The Global Cold Warを読み続ける。

アフガニスタンという国からの連想:

① アフガニスタンとの縁は1979年、最初の入社した会社で、第三世界の初等教育に関するシンポジウムに関わる仕事だった。広島大学の教育学の大家がオーガナイザー。複数の関係者を海外から呼び寄せたのだが、その時の一人はアフガニスタンからだった。テレックスを使った電報を送った記憶と、来日したあとの現場のアテンドでアフガニスタン人を始めて目に
したのだった。

② 梅棹忠夫氏の「モゴール族探検記」(岩波新書)を随分昔だが読んだ記憶。本ももっている。チンギスハーンのモンゴル大帝国で移り住んだモンゴル人の末裔をアフガニスタンで訪ね調査する話だ。モゴール語という言語が代々伝えられているが、死語になりつつある。1950年代の話だ。モゴールは、ムガール帝国のムガールと同じ意味。モンゴルを意味する。

③ アフガニスタンに行ったことはない。中央アジアと中近東のイスラム圏は、カザフスタンのアルマータとクエートにドバイだけだ。2003年と2004年のこと。9.11同時多発テロを契機にアメリカがイラク戦争、アフガン戦争を仕掛けたことがきっかけで、日本も協力することになった。それに関わる現場の仕事(ロジスティック)でウクライナで作られたアントーノフという超大型輸送機で自衛隊の人に同行したのだった。すごい輸送機だった。なにせ、機関車だって運べるらしい。日本の自衛隊は、海外で戦うことを想定していないから、人員と物資を輸送する手段がないのだ。イラン・イラク戦争で三井物産関係者を助けるために日本航空を使う話があったそうだが、普通の国なら軍事輸送機が使われたはずだ。日本はすったもんだして、結局トルコが助け舟を出してくれてトルコ航空機で日本の民間人は助けられたという。札幌の千歳空港からアントーノフに乗り込み、韓国のインチョン空港で給油、そのままアルマータへ。飛行機の中で読んだ本が、「アフガニスタン 戦乱の現代史」
(岩波新書)だった。

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朝食は、納豆、塩鮭、ご飯少々、けんちん汁とリンゴ。日記を書いて、少々買い物をする。遠投用の釣り竿の一本の修理をする。この釣り竿は、購入したものではなく、那珂湊漁港でハゼ釣りをしていた2008年冬に釣り上げた竿!!!である。爾来、この10年間大変お世話になっている竿。大切にしたい。

お昼:スパゲティーナポリタンとコーヒー。

食後は、日課の釣り。釣れる気がしないセイゴ釣りだ。那珂川の潮は全然動かない小潮。ならばと涸沼川の下流域へ。昨年年末には20尾近く釣ったマイスポットだ。

Hiunumagawa


結果はボウズ。那珂川はアタリが2回(針掛かりせず)あったが、まったく魚の反応がなく15時45分納竿。時間的には潮が上げ始める頃合いであと1時間がまんすれば釣れたかも知れないが寒さと気力がついていかない。釣れなくても、自然観察と護岸での歩行訓練で時間つぶしは出来た。川の対面の護岸にはアオサギが。水面には、オオバンが。時折、ボラが水面からジャンプするシーンが。後ろの草地の縁を歩いたらキジの雌が足元からいきなり飛び出して枯れ草地の中に姿を隠す場面にも遭遇。

16時半過ぎ帰宅。夕食の準備をする。

夕食:カジキマグロ&セイゴの蒸し煮でワインを飲みながら石窯パンを食べる。仕上げはイワシの丸干しとご飯。いずれの魚も残り物だが、うまい!

熱い湯舟につかり2階のベッドに潜り込んだのが20時前。猛烈な眠気が襲ってきて20時半前には眠りに落ちた。

2018年12月12日 (水)

セイゴ釣りは初めてのボウズ。 セイゴの白ワイン蒸し煮を作る。

12月11日(火) 晴


6時過ぎ、熟睡のあとのさわやかな目覚め。しかし、部屋は寒い。マンションとの違いを実感。ベッドの中でゴロゴロ。外はまだ暗い。日の出がどんどん遅くなっている。日の入りは徐々に遅くなっている。冬至はまであと10日ほどだ。アカハラの声は聞こえなかった。

朝食:納豆、セイゴのオイル焼きの残りとご飯にみかん一個。セイゴのアラ汁は昨夜で完食したらしく残りがなかったのが残念。

食後は2階で日記を書く。それから、近くのスーパーへ買い物に。あっという間に午前中が終わってしまう。

お昼:コーヒー石窯パンのコロッケサンド。

午後は日課の釣りに出かけるが、気温が低いので多分釣れないだろうとの予感。潮は中潮だが、干満の動きが弱いサイクルだ。現場に到着すると水位も低かった。



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先週の大潮直前の中潮の潮位はというと:
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同じ中潮だが大潮の前と後では大違いである。これだと厳しいないなぁ。2週間前の状況を思い出せば、潮が動き始めた頃合いに2度か3度のアタリがあって1尾か2尾の釣果だった。今回はそれにまして気温が10度前後だ。竿は3本出したがアタリがないまま、しかも、エサをかじられた形跡がないまま時間が過ぎる。15時過ぎ、1度鈴がなったが、魚は餌を吐き出したのだろうか、ほとんど餌がついたまままだった。2度目の鈴がなった。一度きり。仕掛けを回収するとイソメの頭の部分を残してきれいに無くなっている。それっきりだった。15時45分、納竿。初めてのボウズで家路につく。

夕食:買い置きのメカジキマグロとセイゴの切り身を使ったフランス料理を真似た一品を作る。白ワインとバターを使い、白身の切り身の上に玉ねぎのみじん切りとマッシュルームのスライスを乗せ、10分ほど蒸し煮する。残り汁(正式には裏ごしするのだが)に生クリームを入れて少しに詰めてバターと小麦粉を少々入れてとろみをつけて味付け。お皿に盛り合わせた魚の切り身にソースをかけて出来上がり。写真を取り忘れたが、出来栄えはグッド。和風味しか知らない両親はきれいに平らげてくれた。自分も、白ワインを飲みながらカジキマグロとセイゴを食べたが、確かに行ける。レパートリーがまた一つ増えた。これは「ボンファム」(素敵な奥様という意味のフランス語)という簡単な家庭料理。ムニエルが脂っぽい人にもグッド。タイの酒蒸しのフランス版だ。

食後は、テレビで喜劇「駅前金融」を見る。土曜日の飲み会でM氏(M大将と私は呼んでいる)は全シリーズ見たと言っていた。チャンバラ映画と同様、昭和の高度経済成長期の日本という時代を活写した映像資料としても見れる映画だろう。社長シリーズ、座頭市シリーズ、若大将シリーズ、大魔神シリーズ、怪獣シリーズ(ゴジラ・ラドン・キングギドラなど)、過ぎ去った時代を60歳を過ぎた現役を去った世代が懐かしみながら楽しめる娯楽だ。今回は、フランキーがトランペットを吹き、ドラマをたたいたり、三木のり平が成功した金持ちのビジネスマンで登場したり、役柄がいつもとは違う。伴淳三郎は高利貸し役、森繁さんは、会計士で登場。フランキー・堺は今回は通常のパターン、振られ役(相手は大空真由美)、池内淳子はフランキーに惚れるが振られ役。三木のり平はビジネスに失敗、最後は、大空真由美と屋台を引く場面も。最後は、喧嘩しながらもよりを戻す森繁と淡島千景の相合傘で終わる。1965年、東京オリンピックの翌年の映画。和田弘とマヒナスターズが冒頭と途中で歌を披露。全編、ゴタゴタ、ドタバタだが、最後は何ともいえない、これでいいのさ、という終わり方は、高度経済成長期の日本そのものかもしれない。

2018年12月11日 (火)

2泊3日の上京、飲み会と神田古本街巡り

12月8日(土) 晴

10時前、弟夫婦がやってきた。毎年この時期になると母の使いでお歳暮の手続きに来る。従兄からもらった米は脱穀が必要なのでそれもお願いする。本来なら自分がするのだが、母が足のことを慮って弟にやってもらいなさいと!

お昼過ぎ、弟夫妻はまだ戻っていないが、家を出る。お礼はラインですませる。特急に乗り上野経由で新橋へ。最初の職場の関係者(アウトバウンド)との年に1回か2回の飲み会である。昨年12月は自分の父の具合が悪く上京を断念、延期をお願いした。今年の5月を予定していたが骨折で成立せず、9月に延期。ところが、足の回復に予想以上に時間がかかり、結局12月となってしまった。

15時の30分前に新橋に到着。昔を懐かしみながら周辺を散歩る。
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15時10分前、いつもの居酒屋に足を運ぶと、すでにM氏とS氏が待っていた。そもそもの飲み会はこの3人でずいぶん昔に始めた飲み会だった。頻繁に会う仲ではなかったが、どういうわけか、たまぁに思い出したように飲もうと誰かが誘うともう、徹底して酔っ払い激論をするというパターン。いつもS氏と自分が激論を戦わせて、常識人のM氏がバランサー役として茶々をいるパターンであった。途中で、3人の仕事は別々になったが、今でもこうして集まってバカ話をするという仲である。我々3人に、途中から二人が加わっていまは5人である。62歳の私は最年少。一番上がM氏で70歳。15時前に4人目のMG氏も到着、開店と同時に居酒屋の個室で飲み始めた。直後に、K氏がやってきた。MG氏は、今は亡き畏友のSW氏を介しての付き合い。定年後はマラソンとサイクリングに情熱を傾けて全国を行脚している。K氏は、私の最初の職場の課長だった方。全員が(私は除く)、M氏の所属する大きな部署の同じ釜の飯を食った仲間である。

若きし頃の失敗談や強烈な印象がのこる場面を思い出しては爆笑、近況を交えながら、人の話はあまり聞かず、皆が勝手に喋り、肴をつまみ、ビールと焼酎のお湯割りを延々と飲み続ける。終わったのは22時半過ぎだった。20時半に一次会が終了。我々のとめどもない話(国際政治、文学をメインに、思いつくまま森羅万象)で二人(MG氏とK氏)は1次会で退散されたが、我々3人は、アイリッシュパブでさらに2時間、延々とああでもない、こうでもないというおしゃべり。時計を見て、うーん、もう帰らないと、と口惜しそうに別れたのだった。
都営三田線で内幸町から板橋区役所前まで乗って、一気に寒くなった夜の東京を歩いてマンションへ。バタン、キュー。


12月9日(日) 晴

昨夜は、トイレに4度も通うことに。そして、薄明るくなった6時過ぎに目が覚めたがあの二日酔いの感覚。アルコールの中で体がたゆたっている。うとうとながら、8時過ぎからインターネット・サーフィンを始める。コーヒーとこんがり焼いたトーストとみかん一個の朝食以外は、ベッドの中で午前中を過ごす。

午後1時前、仲宿商店街のインドレストランへ。いっぱいだった。10分待つのがいやで、美味しかった思い出のあるにぎり寿司屋へ。ところが、ここはランチタイム終了(お昼は数量限定あり)。どちらのレストランも本格的でおいしいところ。残念。インドレストランをスキップしたのは、10分待つのがいやなのではなく、胃の疲れを意識したからかもしれない。しかたなく、隣の喫茶店に入って、ポーク生姜焼き定食を食べる。昔なつかしのスパゲティナポリタンではなく、豚肉生姜焼きである。ポークだと後ろにソテーかジンジャーが付くと思うのだが、ポーク生姜焼きとは豚肉生姜焼きと何が違うのだろうか。聞くと、デミグラスソースが掛かった洋風料理とのこと。学生時代、荒川区に住んでいたが、下宿先のすぐ近くに「レストラン富士」というのがあって、一週間に2回ぐらいは、生姜焼き定食かポークソテー定食を食べたことを思い出す。あの美味しさは何だったのだろうか。あれ以来出会っていない。

食事が終わって、神田神保町へ。久しぶり(1年ぶり?)の古本街を歩く。あなたの趣味はと聞かれれば、釣りと野鳥観察とふつうは答えるが、実は、本屋巡りも趣味である。本を買うならインターネットで検索して買うことはできるのだが、自分の足で本屋をぶらぶらしながら、目に飛び込んできた本をパラパラめくって、立ち読みしたり、ほしい本は買う、というのはそれはそれで楽しいことだ。


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今回は、チャーチルの第二次世界大戦回顧録の英語版(ペンギンブックス)ⅢとⅣの2冊を400円(200円x2)で買う。1950年初版、1985年再版で、買ったのは1988年だ。ノーベル文学賞を受賞したチャーチルである。是非原文を読んでみたいと思っていたが、偶然にもこんな安値で見つけたのだからもうけものである。それに、「魚の博物辞典」(講談社文庫 末広恭男著)600円(定価は1996年の初版のときで1500円)。これは、ベッドで寝る前にパラパラめくって釣りの対象となる魚たちのうんちくを学ぶには絶好の本と見た。他にもいろいろ買おうかどうか迷う本はあったが、あまりリュックが重くなるといけないとおもい自重した。



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一冊気になったのは、中国のユダヤ人についての本だ。唐の時代、ユダヤ人が中国に流れ着いた。現在の開封市にその末裔がいるらしい。19世紀の半ばまではシナゴーグもあったらしいが、今は記憶だけで何も残っていないらしい。中国がユダヤ人たちを同化してしまった?邱永漢の本(「食は広州にあり」)のどこかでも、ユダヤ人が豚肉を食べるようになったのは中国のユダヤ人だけだ、言っていたくだりがあったと記憶する・・・。

三省堂書店にも寄った。何も買わなかったが、小室直樹氏の評伝が目に入った。上下2巻で6000円近い。立ち読みしつつも購入はせず。伝説の東大法学部教室を使った小室自主ゼミのところを読んだ。小室氏は、京大の数学科卒。大学院は大阪大学で専攻は経済学(小室氏によるとマルクス経済学という表現は間違っている。マルクス経済学は近代経済学の一つの支流。アダム・スミスへの批判なのだが、批判とは発展的継承ということ、とどこかで語っていたと思う)。指導教官の一人は後にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授となった森嶋通夫氏である。そして、米国へフルブライト留学。サミュエルソンのもとでも学んだが、興味は社会学へ。タルコット・パーソンズのもとで学ぶ。帰国して、東大で博士号を取る。丸山正男、大塚久雄等の巨匠に師事した。マックス・ウェーバーを学ぶために大塚久雄教授の近くに引っ越して教えを受けたという。気が付けば、30代半ば、6畳の畳部屋の一人暮らし。正業による生活の手立てなし。そのために東大の教授の!論文指導のアルバイトをしていた!!カッパ・ブックスとの出会いと始まった小室ワールド。売れに売れた時局評論。ロッキード事件のときの田中擁護論。1980年代から2000年代の30年、私も氏の著作は出版されるたびに購入して夢中で読んだものである。


欧米の社会科学のスタンダード(水準とそのロジック)を肌でわかって、それを日本の中で展開した人。既存の日本のアカデミックな閉鎖社会(横文字を縦文字にするだけの低レベルな蛸壺社会)を超越した異才であった、ようだ。正業の社会科学系の教授連はこっそりカッパ・ブックスを読んで、文献目録にはあげずにこっそりと盗まざるを得なかったと想像する。ノーベル経済学賞の候補にもなったロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授であった森嶋通夫氏は自伝いおいて、大阪大学大学院生時代の小室氏を評して「ただ者ではなかった。将来必ずや名を成す人」という印象を持ったと書いている。

夕方、巣鴨でYちゃん母娘とジョナサンで待ち合わせ。Yちゃんは今日も模擬試験と塾の講習で18時まで勉強したらしい。近くのジョナサンで待ち合わせて一緒に夕食を食べた。外食チェーンだが、洋食大好き人間の私である。Yちゃんもハンバーグは大好き。ローストビーフが載っているハンバーグをYちゃんが、ママは、フォアグラ載せ、私はエビフライ2本付きのハンバーグをそれぞれ注文して食べる。さすがにアルコールはなし。体が拒否していた。近況の四方山話しに花が咲く。Yちゃんは明日は学校だ。カラオケタイムは次回にして、20時過ぎ、帰宅。シャワーを浴びて、ベッドにもぐりこみ、就寝。


12月10日(月) 晴


6時過ぎの目ざめ。実家とちがって気密性の高いマンションの部屋は暖かい。暖房なんかいらない。

フランスのパリは3週連続でデモ隊が暴れている。ガソリン税の問題だけではなさそうである。BBCの記事を読んでみると、マカロン政権になって、金持ち優遇政策が鮮明になった。物価上昇(増税等)もあり、年金生活者と低所得層が打撃を受けている。中間層の所得もほとんど増えていない。環境対策からRenewable Energy導入のためのコストをねん出するために増税する政府措置へのノーである。マクロン大統領=EUが地球温暖化の対策として進める代替エネルギー政策の一環がこれだ。温暖化の根拠に疑義を呈しているトランプ大統領が早速ツイッターで揶揄したらしい。しかし、平和的なデモ行進が荒れている理由は何なのか?誰が後ろにいるのか?BBCはそこにも切り込んでいる。右派と左派の過激勢力や一部の犯罪者などが当初デモの動きに入り込んでいるようだとのコメントもあった。

日産のカルロス・ゴーンさん事件は、司法手続きに対する海外からの批判が出ている。「推定無罪」の原則からいかに本人が有罪に見えても、結果が出るまでは「無罪」として扱う、そんな意味だと理解しているのだが、日本にはそれがない、限りなく灰色でも法に守られるべきだ、というスタンス。しかし、日本の場合は、マスコミ報道とそれを許す日本社会が実質的に犯罪者扱いにしてしまう(かつての「田中角栄ロッキード裁判」がそうだった)。検察の取り調べ方法(弁護士不在)と拘束日数についても疑義が呈されている。主権国家日本がすべてを律するとは言え、どうなのだろう。いまだに「死刑」がある国日本と、死刑をすでに廃止した国が多い欧米諸国)。

それはさておき、切れ者でやり手のカルロス・ゴーンさんは本当に立派な企業経営者なのか。大前研一氏の記事が目に付いた。結論から言えば、倒産寸前の日産立て直しに関し、しがらみのある(日本の感覚からは切れない)関連業者切りで借金漬けから開放した点では見事であったが、それ以降の実績は疑問符が付けられている。コストカットはやったけれど、それでどうした、次のステップとして、日産の企業価値を高める手腕があって立て直したかという点ではまったくゼロ。日産をうまく使ってルノーがうまい汁をすっている、という現実(構図)のことを言っているのだ。日本のシェアーも当時の2位から5位に落ちた。販売台数にこだわる(中国とアメリカ)ためにの結局日産を食い物にしてしまったままで、2期目と3期目のこの10年の日産へのメリットは全くないと見ている。日本人の視点からすればやるせない気持ちになってしまう。グローバリゼーションの視点で発想するゴーンさんに徒」「っては、実績作りがメインであり、それに見合う褒賞をえること、日産はうまく利用されただけ、と見えなくもない。しかし、そこまでドライだからこそ、1兆円を超える負債をバッサリの業者切りが出来たということだろうが。

朝食は、コーヒーとこんがり焼いたトーストに目玉焼き。午前中は、Yちゃんのお母さんとお茶を飲みながら世間話し。餃子のお昼を御馳走になって家路につく。暗くなる前には帰らないと・・・・・。

日本列島は日本海側と北海道で雪。本格的な冬の到来。外の空気は冷たかった。土曜日からそうだった。上野駅で、体を温めようと讃岐うどんを食べる。それから、東京バナナの菓子(両親の好物)と新刊本「アメリカ」(小室直樹の弟子である橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の共著、河出新書)を購入して、特急に乗る。
1時間15分ほどで地元に到着。駅ビルの食品街で少々買い物(春菊2束で100円!カジキマグロの切り身、エビのマリネサラダなど)をして帰宅した。久しぶりの2泊3日の上京の旅は無事終了した。

夕食:セイゴの切り身のオリーブオイル焼きを作って白ワインを飲む。仕上げは、昨日食べ損ねたカレー。中村屋のレトルト・チキンカレー。食後のデザートはリンゴ。

お風呂で体を温めたあとは、2階で休憩。日記を付けた後、早速に「魚の博物辞典」を手にしてベッドにもぐりこむ。21時すぎ、眠くなり就寝。



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神田で追加で購入したイングリッド・バーグマンの自伝(200円)。私の学生時代に見た女優としての彼女は、「オリエント急行殺人事件だった」。「カサブランカ」は、両親の独身時代
の映画。
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2018年12月10日 (月)

大潮でのセイゴ釣りは、まずまずの結果!

12月7日(金曜日) 曇り後晴


昨夜は21時に就寝。23時前にトイレに起きる。そして、次のトイレが2時半、そして、次が4時半。3回のトイレ。このところ同じパターンだ。お茶の飲みすぎか。


6時前にまた目が覚めて朝の読書。The Global Cold Warはようやく第7章The prospects of socialism:Ethiopia and the Hornを読了。

いつものアカハラの地鳴きを今朝は聞くことが出来た。雨が降った昨日は聞こえなかった。か、アカハラが鳴かなかったか。

朝食:けんちん汁, 身欠きニシンと石窯パン少々にご飯、ミカン一個。

午前中、父が受け取る配当金の換金に郵便局へ。徒歩で15分。往復30分。2キロ弱。いい足の運動だ。換金した金額は私の車のガソリン代ということで預かった。

昼食: 五目飯を電子レンジで温めて両親と分けて食す。それに、ホットコーヒー。

週末の明日から月曜日までは上京する予定である。今週は今日が最後の釣り。しかも、大潮の初日。期待感を持って那珂川河口のマイスポットへ出かけた。現場に到着したのは13時前。3本の竿を出す。一本は60㍍前後。一本は50㍍前後。最後の一本は40㍍前後にした。すぐに、遠投竿にアタリが来たが20㌢未満のセイゴで即リリース。今日は期待できそうだ。ところが、釣れるのは木っ端セイゴばかり。釣ってはリリース、釣ってはリリースを続ける。針を飲まれて鰓を痛めたセイゴは20㌢未満だがキープすることに。


14時過ぎ、いつものハゼ釣り師が立ち寄る。一昨日は、ハゼ15尾釣ったという。すごい!疑似青イソメで!お見事としか言いようがない。しばらく釣り談義をしたが、不思議とこのハゼ釣り師がいるときはアタリが来ない。15時前、それじぁと、ハゼ釣り師が現場を去った直後(釣り師は車に乗ってエンジンを掛けたところ)、真ん中遠投竿の鈴が勢いよく鳴った。久々に力強い大物のアタリだ!ソレッ、フィッシュ・オン! リールを巻き始めると竿先を通じてグングンと獲物の感触。間違いなく30㌢以上のサイズ。鰓洗いをされないように急いで巻いたが、やっぱり、手前で激しい鰓洗いの試練。しかし、しっかりと口に14号の丸セイゴ針が掛かっていたので問題なく護岸に取り込むことが出来た。ホットとした。今日はこれで終了でもいいと思うくらいの解放感を味わう。目測35㌢前後。



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時合が来たぞ、とばかりに餌をつけて再投入する。すると、今度は、上流側の50㍍ポイントの竿の鈴がなった。2度、3度とリリン、リリン、リリン。木っ端セイゴのアタリとは音が違う。来たぞぉ、と合わせを入れてリールを巻くと、グングンと魚の抵抗を感じる。手前でやはり鰓洗い。針はしっかりと鰓の奥に引っかかっていた。ハリスは4号。まず切られることはない。目測30㌢前後のレギュラーサイズ。本日2尾目。15時を回った直後の5分間で2尾。



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さらなる期待感が膨らむ。あと30分~40分は出来る。餌のイソメもまだその分くらいはある。自転車で通りかかった散歩人が声を掛けてきた。地元の人ではなく、今秋に四国は高知から転勤でここにやってきたという。四方山話をしていると、本日のアタリ竿、真ん中の遠投竿(60㍍前後)に再びアタリ。30㌢前後のレギュラーサイズが来た。そして、再び、四方山話。四国にはカレイがいない(カレイは寒流系の魚)、グレ(メジナ)などの磯釣りが盛ん。とは言っても、こちらの釣り師の数にはびっくりされた様子。釣り人は少ないそうだ。同じ海に面する県だがこんな違いがあるとは。天下の清流・四万十川がある高知。那珂川は関東では知られた清流ですと説明した。陽が陰って来た。竿の片づけに入った。本日のアタリ竿を残して、下流側、上流側と片付ける。その間、小さいアタリがあった。木っ端セイゴだと思って放っておいて最後にリールを巻くと、グングンと抵抗する。本日4尾目も30㌢のセイゴ。これで納竿! 大漁である。高知の方と車を止めてある神社までいっしょに話をしながら歩いて、そこでお別れした。

釣果 セイゴ6尾(35㌢1尾、30㌢~31㌢3尾、18㌢2尾)



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16時半、久しぶりに高揚した気分で帰宅する。デイケアのYマネージャーが父の面倒を見終わったところだった。近々に関係者が集まって今後の父のケアーの方針について確認のミーティングを開きたいというので了解する。リハビリはデイケアーの3日だけ。家では訪問看護師は来ていただくが寝たきりだ。家でも週一回はリハビリを30分やってはどうかという提案だ。もちろん了承である。

夕食:豚肉のシャブシャブを生姜醤油で敢えて赤ワインを飲む。仕上げは、豚肉と納豆と春菊のお浸しにご飯少々。春菊の苦味が何とも言えず美味い。

バスタブに湯を張り体を温めて2階へ。The Global Cold Warを読み進めようとベッドにもぐりこんだが、すぐに眠くなる。半日の釣りはいい体の運動だ。以前のように帰るころにぐったりとした疲れることはなくなった。足も9分くらいまで回復したと思う。今日の釣りの場面を反芻しながらあっという間に眠りに落ちた。

2018年12月 7日 (金)

12月に蚊が出る!?  レモンはお皿の太陽だ・・・・

12月5日(水曜日) 雨後,曇り、そして晴

昨夜は、蚊がブーンと飛び回った。深夜過ぎのこと。日中の気温が20度を超え!夜も秋の夜長のころのあたたかさ。冬眠?していた蚊が目覚めたのだろうか。たまらずベープマットを取り出して点ける。そして、熟睡。

明け方、雨の音を聞いた。5時前に目が覚め、The Global Cold Warを読んで、7時過ぎ、外を見ると雨は止んでいた。

朝食は塩鮭、納豆、ご飯にホットミルクとお茶。父はデイケアーの日。食後の2階のベッドでThe Global Cold Warを読みふける。欧米の歴史書は精緻にして浩瀚だ。分量が膨大。後ろの参考文献(本文の根拠なる注)だけでも70ページ近い。集中力と体力がいる。とくに、バックグラウンドとなる知識が欠ける地域がテーマの部分は、読んでいて当該地域の政治的に分裂する党派が複雑でどっちが西側欧米派、どっちがソ連・キューバ派あるいは中国派なのかわからなくなってしまう。

この本を読みながら、少しずつだが、中近東(アフリカはまだまだ)の地政学と紛争の経緯と今日の状況が自分の頭の中で少しずつだが整理されてきた。

ところで、サウジアラビアの国王がトルコのサウジ大使館で起きたジャーナリスト殺害事件にまちがいなく絡んでいるようだが、トランプ大統領はアメリカの長年にわたる利害関係を考慮して批判を抑えている。彼らが得る莫大な石油収入から莫大な額にのぼるアメリカの武器を購入してくれるからだ。サウジアラビアとの関係は、フランクリン・ルーズベルト大統領の時代から始まっている。戦略物質としての石油を抑えたのはイギリス(イラク・イラン)とアメリカ(サウジアラビア)だった。

アメリカの中東政策の基軸はイスラエルとサウジアラビアだ。イランは英国の勢力範囲だったが、第2次大戦後にボロボロとなった国力もあり、1970年代にはアメリカにその影響力を譲ることになる。1950年代、イランのモサデク政権の転覆とパーレビー国王政権の樹立の経緯ほど、英国帝国主義の悪あがき(石油利権)と反植民地を謳いながらも、ナショナリストの当該政権を転覆する活動を行ったアメリカの罪は大きい。その結果がホメイニ革命だった。パーレビー王政は、いわゆる、買弁王朝だった。膨大な石油資源の利潤をイギリス・アメリカと分け合う形で妥協した政府だった。「社会正義」という観点でいえば、モサデクさんのほうにより「分」はあった。

老獪なイギリスも、10数年後のエジプトでは墓穴を掘った。軍人上がりの急進派であるナセル政権がスエズ運河の国有化宣言、イギリスの軍隊のエジプト退去とソ連寄りの姿勢を鮮明にすると、暗殺をもくろむが実現しなかった。イスラエルとフランスと図って軍隊を派遣し中東戦争を引き起こすが、ここに来て、旧帝国主義的行動にと一線を引くアメリカの一喝のもと退散せざるを得ない状況になる。面子丸つぶれ。アメリカにとっては、冷戦をソ連と闘う上で、旧植民地主義的は行動は断じて許せなかった。ナセルのエジプトは、一気にソ連に傾いていく。しかし、その後、イスラエルとの第3次中東戦争で惨敗を喫して勢いを失っていく。後任のサダトさんはイスラエルと和解しながらソ連から一定の距離をとるようになる。

権力という魔物の住む世界は、善悪を超えている。結果が全てだ。それぞれの国(政治・経済・文化)の統一体は、自己保存の本能に基づいて、自分に有利なように振舞うように運命づけられている。理屈ではないのだ。ニーチェのWille zur Macht(力への意志)だ。人間個人の一生もそうだろう。有機体という生命現象はそういうものなのだ。

ロシア革命とソ連の成立とは何なのか。革命の過程でそれまでいい目を見た人は没落し悲惨な目にあっただろう。一緒に革命を目指した人々も権力闘争で敗れ去った人も同じ運命をたどった。象徴がモスクワ裁判であり、トロツキーのメキシコでの暗殺、そして、ソルジェニーツインが描いた収容所列島。。しかし、権力闘争に勝った支配者と大多数の庶民は目の前にある現実を肯定し、前向きに必死になって生きたという事実がある。彼らにとって、革命直後の自国の新しい国造りに干渉した西欧諸国や日本は敵であった。政権発足の過程でそういう図式が出来てしまった。王朝殺しをして成立したソ連(共産主義)に対して大日本帝国が恐れをいただいたのは当然といえば当然であった。ヨーロッパの君主制の国もそうであっただろう。彼らの主張=社会正義が、日本という国の体を否定するものだったのだから。歴史の興亡とはこういうものだ。我々一個人は与えられた自分の居場所でもがく一つの影のようなものでしかないだろう。

とりとめのない物思いに耽っていると、母の声がかかった。新年に向けての大掃除ではないが、バスルームの掃除を手伝った。バスタブの清掃。洗剤を使って浴槽を磨いて汗を流した。たっぷり30分のそれなりの力仕事。左足でも大分踏ん張れるようになった。

お昼:スパゲッティ・ペペロンチーノとリンゴを食す。

午後は、ポカポカ陽気に誘われて日課の釣りに那珂川河口へ出かける。13時半前から16時半過ぎまでの3時間。今日は大潮前の中潮。満潮は14時。



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期待しての釣りだったが最初の2時間はまったく反応がない。途中でハゼ釣りをやってみるかと3本目の竿に6号の針(ハリスは1号)を投入した。その竿にアタリが来たのは陽が大分傾いた15時半前のこと。25㌢前後のセイゴが来た。ハゼではなかった。


<ちょっと痩せ気味のセイゴ>
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先々週まで釣れた良型のセイゴは60㍍前後のところで釣れたので今日は2本の竿とも遠投していた。釣れたのは30㍍から40㍍のところだった。失敗である。もっと早くから近場に仕掛けを入れていたら状況は変わったかも知れない。アタリが出始めたが、なかなか針掛かりしない。アタリの感じが小物臭い。ようやくもう一尾25㌢くらいのセイゴを釣って、納竿。餌はまだたっぷり残っているが、下流への流れが強く仕掛けが流されるようになった。涸沼川並みである。


<夕陽が美しい日の入り30分前>
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今日も、ハゼ釣り師の中年さんと言葉を交わした。一昨日は18尾のハゼを釣ったらしい。置き竿ではなく誘うと良いそうだ。サイズは小さかったらしいが。私とすれ違ったらしい。私は3尾だけだったと正直に話す。

16時半過ぎの帰宅。夕食の準備をと思って、餃子を焼き、昨日釣ったセイゴとハゼのグリルを作っているといつもより早い父の帰宅。

夕食は、餃子でrホワイト・エールを飲み、セイゴの塩焼き(レモン汁とオリーブ油風味)、小ハゼ2尾でご飯を食べる。セイゴを乗せたお皿にレモンの輪切り。昔見た「最後の晩餐」という映画のセリフを思い出した。

「レモンはお皿の太陽だ」


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夕食後は疲れもあり、柚子風呂に入り、2階のベッドに潜り込む。

「MI6対KGB 英露インテリジェンス抗争」をあちこち拾い読みする。元KGB諜報員によるイギリスのMI6との裏面史が叙述されているが、ソ連の視点で書かれているので大変面白い。イギリスの強さは、王室と封建制をいち早く廃棄して産業革命を経て近代国家・近代資本主義を実現したこと、これが表の顔で、裏の顔とはそれと歩調を合わせるように活躍した諜報活動だという。

イギリスの王室はヨーロッパの王室(ロシア、デンマーク、オランダ、ギリシャ等)と繋がっており、入手する情報がすごい。各王室の銀行口座はイギリスの銀行にあり、イギリスの世界的企業の株主としてずらりと名前を連ねている。大英帝国の利益のために、諜報・防諜機関が張り巡らされ、破壊工作活動、プロパガンダ(白、灰、黒の3種あり)によって敵を欺き自国を有利に導くあらゆる手練手管に熟練しているという。しかし、成功もするが、失敗の数々がこの本でも触れられている。アカデミックな著書ではないため歴史的事実に対するケアレス・ミステークも結構散見されるようだが、それ以上に、現役の諜報員による「証言」は、下手な小説をよむより断然面白い。

そして、監訳者の佐藤優氏が後書きで引いている言葉がズシリと来る:
宣伝(プロパガンダ)とは他人に影響を与えるように、物事を陳述することである。


What is propaganda? It is the presentation of a case in such a way that others may be influenced.



12月6日(木) 終日雨


5時過ぎの目覚め、外からは雨音が聞こえる。気温も一気に下がって寒い。「MI6対KGB英露インテリジェンス抗争」を読み続ける。

寒々とした陰気な師走の冬の天気で終日家に籠って無為な時間を過ごす。

朝食:身欠きニシン、納豆、ご飯、玉ねぎの味噌汁、ホットミルク
昼食:石窯パンのコロッケサンド、コーヒー
夕食:けんちん汁、石窯パン、コロッケとレタスサラダ、ご飯少々にミカン一個。

午後、13時からBS放送で映画「ヒンデンブルク」を見る。ドイツの飛行船で1937年にアメリカで着陸の際に衆目の前で大爆発・炎上の悲劇を起こした史実にもとづく映画。主演はジョージ・C・スコット。高校時代に「パットン将軍」を見た記憶がある俳優。他に、アン・バンクロフトが出演。「ヘレンケラー」に出ていたのを覚えているが、自分にとっては何といっても、メル・ブルックスの「サイレント・ムービー」というコメディーではないかと思う。1970年代の懐かしい映画だ。アン・バンクロフトは、メル・ブルックスの実際の妻にもなっている

ヒンデンブルク号の悲劇の原因は特定できていない。何らかの故障・技術的な原因と反ナチスによるテロという説があって、この映画はこのテロ説に基づいて作られている。ストリーはある程度分かっているが、ロバート・ワイズ監督の手腕はすばらしく、最後までずるずると引き込まれて観てしまった。ナチス心酔派もれいば、伝統的なドイツの良識派でありながら空軍の軍人としてナチス政権に加担する形で職務に取り組みながら、反ナチのテロに肩入れしてしまう主人公。乗客が下船してからの爆破予定が、遅着によって着陸寸前のところで爆発が起こってしまう。最後は当時のフィルムを織り交ぜながらのシーン。ドイツ人同士の反ナチ・ナチ派と中立派の確執、ユダヤ商人、詐欺師などが登場して離陸から着陸の悲劇までの人間模様が一種の緊迫感を伴って描かれている。ヒトラー風刺のピアノ演奏と振り付け入りの歌を披露するシーンがあるが、これは、映画「キャバレー」を思い出させる。
そして、最後に、トリビアなことだが、日本人が登場している。名前は、シムラ・ケンジ。(シムラ・ケンではなかった)。最初のほうの場面だが、空港の呼び出しで名前が放送される。飛行機の中では、賭けポーカーの面子の一人としても登場していた。

フランスでは、ガソリン税の値上げで大混乱している報道が続く。シャンゼリゼと凱旋門周辺も大変らしい。略奪、破壊。混乱の桁が違う。とうとう、税の導入は半年延期となったようだが、その半年間で事態は収束するのだろうか。日本では、新しい元号となる来年の秋に消費税が8㌫から10㌫に上がるのだが、国民のコンセンサスになっている!?ようで静かなものだ。イギリスはブレグジットの落としどころでの紛糾。相変わらずのアメリカとロシアのジャブの応酬、アメリカと中国の貿易戦争。新冷戦の始まり、というか、米・中・ロの新三国志の様相だ。

都営浅草線が始発からとまり大混乱、通勤に3時間もかかっているという。会社休めばいいのに。ソフトバンクの通信障害による大混乱。河野景子さん、貴乃花と離婚していた。知的で美人な姉さん女房に見限られてしまった貴乃花さん、どこしたの。スポーツの天才児(スポーツに限らない)、純粋培養でいわゆる社会的常識(気遣い、譲るところは譲ること)がない。子供がそのまあ大人になってしっまたようなタイプの人のようだ。人生のどこかで必ず思い知る壁に今頃挫折している感が強い。野球の清原も意味が違うが同じだ。

2018年12月 5日 (水)

6年ぶりの涸沼川・大洗駅裏

12月4日(火曜日) 曇り後、晴


6時前の目覚め、アカハラの地鳴きが聞こえてくる。The Global Cold Warを読み続ける。

朝食はホットミルク、石窯パン、アジの干物に納豆。

一段落して、2週間ぶりに地元のハローワークへ出かける。前回の応募はペケだったことを報告。歳が歳だし、ハローワークの一般公募情報以外に管理職経験者向けのデータがあるというので見せてもらう。ゆっくり考えます、ということで、今回はあっさり退散する。帰り道、K百貨店の食品売り場と銀行に立ち寄る。

お昼は、出来立ての天丼弁当。K百貨店で買って来たばかりのもの。鞘いんげん、エビ、カボチャ、レンコン、シロギス。これだけで十分だ。ご飯少な目においしいタレ。食後のデザートは粒あんいりの今川焼き。これも、K百貨店で買った。

一休みして、車で出かける。目的地は涸沼川。現場についてみると、釣り人は川の両岸にかなりの数が。ウィークデーにも関わらず。懐かしの桜の木の対面が空いていたので竿を2本出した。



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上流も下流も昨日見かけた同じ人が竿を出している。皆、私より年配の人たち。こうやって、黙々と時間つぶしをしながら余生を送っているのだろう。ひと際一段と高い声の主もいた。この大洗駅裏の涸沼川で釣り糸を垂れたことのある人で知らぬ人はいないであろう、名人である。いつも自転車でやってきて、人懐かしそうに声を掛けてくる。その声が尋常ではないくら通るのだ。夜釣りに行っても暗闇をとおして聞こえてくるから、あの人、今日もやってるなぁ、と。この場所で釣り糸を垂れた最後は2012年の夏だったと思う。6年ぶりだ。
ところで、肝心な釣りだが、1尾だけの貧果。25㌢ぎりぎりの、涸沼川で釣れるサイズにしてみれば木っ端セイゴである。13時過ぎから15時半までの2時間半、ポツン、ポツンとアタリは出ていたようだが、それほどでもないなぁ、という感じ。特定の場所は、ひっきりなしにアタリがあるようで3尾、4尾と、しかも、目測30㌢は十分あるなかなかのサイズのセイゴを仕留めていた。タモ持参の釣り人も多く、40㌢以上のフッコサイズも時折釣れるようだが、今日はお目にかからなかった。これなら、那珂川と変わらないなぁ、と思いを強くする。人がたくさん並んで「オマツリ」を気にしなくていいマイスポットにまた釣り場を戻そうと思いながら、家路につく。


夕食は、サバの味噌煮で白ワインを飲む。そして、銀座ナイルのチキンカレーを食す。2週間に一回のペース。レトルトだが、うまい。しかし、ムルギランチがなつかしくなった。近いうち、上京する機会があった一度足を向けてみよう。
火曜日の森繁喜劇は、「駅前医院」。すでに見たのでスキップする。

2階に上がり、日記をつけ、The Global Cold Warを読み続ける。エチオピアの章は長い。資源もなにもない南イエメンはマルクス・レーニン主義にもとづく国造りをする親ソの国。エジプトはサダト大統領のもとイスラエルと和解、ソ連から離れていく。サウジアラビアはもちろん歴史的に親米である。エチオピアと国境を接するソマリアはイスラム教徒の国。エチオピアはキリスト教国。エチオピア帝国は多民族国家であり、ソマリア人が多くする地域をだかえているが、ここは分離独立の傾向がある。


エチオピアの軍事クーデターでできた暫定政府は反王政の近代化政党としての模索を始めるが、右、中道、左の寄せ集め所帯。リーダーシップを取るのが貧しい家柄の出でありながら非情な行動を取って頭角を現した軍人の大佐。アメリカとソ連の両方から援助(主として武器)を得ていたエチオピアは徐々にソ連寄りに傾いていく。政権奪取とその後の社会主義国家の建設はソ連モデルである、という信条がそうさせたのか、無慈悲な政治力学は、イデオロギーとは無関係に、相手を出し抜く権謀術数にたけたエネルギッシュな行動派に軍配が上がるよう事を仕向けるのか、そのあたりはわからない。しかし、植民地主義からの解放・独立という流れのなか、ベトナムでの北の輝かしい勝利は、ソ連に有利に働いた。第三世界の指導者には、西洋諸国=植民地宗主国に対する疑念とソ連型社会主義(社会正義)に対する大きな期待があった。


ソ連は、アフリカの拠点として、南イエメンのほか、ソマリアにも海軍基地を置いたりしていたが、エチオピアの親ソ方針転換に合わせて軍事援助を増やしていく。対立関係にあるエチオピアとソマリアの両者にソ連が援助するというのはは矛盾していた。

2018年12月 4日 (火)

The Global Cold Warに没頭する。

12月2日(日) 晴
終日家でゴロゴロして過ごす。釣りはお休み。無為と言っても、釣具屋に出かけ、3.3㍍の小物用の竿の修理(竿先が折れていた)をする。

朝食:納豆、笹かまぼこ、ご飯、ミカン一個。
お昼:石窯パンにホワイト・トソーセージをはさんで食す。
夕食:フランクフルト・ソーセージを肴にエール・ビールを飲む。仕上げはマグロの切り落としとご飯にお新香。
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夜の読書:
「ノモンハン事件の虚像と実像」を手にして第3章まで読む。この本は、ノモンハン事件についてのこれまでの主だった研究成果(日本、ロシア、その他)を取り上げて概観している良書だ。その他、村上春樹が自身の小説(ねじまき鳥クロニクル)で扱っているのを始めて知った。司馬遼太郎氏は歴史小説として「坂の上の雲」の続編としての昭和の日本を書こうとして結局断念した。


事件というには日ソ双方でそれぞれ2万弱の死傷者を出した極地戦争であった。知れば知るほど、太平洋戦争で完璧なまでに日本を奈落の底に突き落とした日本の陸軍の堕落・無能ぶりには唖然とするほかない(後知恵とは言え。というのも当時は、泣く子も黙る帝国陸軍であった。不敗神話と、神がかり的な精神主義。辻正信の、負けたと思うほうが負け、という屁理屈がまかり通っていた)。


第7章で、小松原道太郎師団長が実はソ連のエージェントだったという説も紹介されている。武官でモスクワに駐在したときにハニートラップでソ連のエージェントになったという説を、アメリカのインディアナ大学の黒宮宏昭教授(ソ連政治史)が唱えているらしい。


日本の諜報能力の杜撰さもテーマとなっている。諜報と言えば、MI6,KGB、CIA(英米ソ)が抜きんでている。積読状態であった「MI6対KGB 英露インテリジェンス抗争秘史」を引っ張り出して拾い読みする。



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The Global Cold Warを読んでいても、あちこちで、KGB,GRU,CIAが出てくる。国際政治の表は政治家が仕切るのだろうが、その裏工作は諜報機関がからんでダーティな仕事をしている。暗殺、テロ、プロパガンダ、大衆動員、なんでも御座れ。日本の戦後史もCIAの秘密工作に彩られている。

12月3日(月) 曇り


6時過ぎの目覚め。

The Global Cold Warを読み続ける。1970年代のアフリカ。アフリカのアンゴラのポルトガルからの独立。南アフリカ。全体的には、1975年の北ベトナムのベトナム統一(南ベトナムを飲み込む)がソ連の第三世界への輝かしき介入のピークであり、かつての植民地が独立し国の近代化のモデルとして輝きを放った最後の段階だった。ブレジネフ政権になり、実は、ソ連国内の状況は停滞を始める。穀物は輸入に頼るようになったのもこのころだ。アメリカも、ベトナム撤退、ニクソンのウォーターゲート事件による現職大統領としては前例のない退任があった(職務期間を全うしなかった大統領は暗殺)。

この時期は私の高校・大学時代に重なる。まず、ドルショックがあった。そして、オイルショック(第3次中東戦争)、ベトナムの終戦と北による南の征服(1975年)。ロッキード事件と田中角栄逮捕(1976年、私はドイツにいた)。毛沢東死去(パリでこのニュースを聞いた)。そして、イラン革命(大学卒業の年)。

朝食:ホットミルク、納豆と石窯パンにミカン一個。
お昼:ミックスサンドイッチにコーヒー。
夕食:セイゴのバター焼き、ローストチキンとレタスサラダ、春菊のおひたし、赤かぶ漬けにご飯。

父はデイケアー。10時半、車でふらりと出かける。那珂川河口のいつものマイスポットで竿を出したが、アタリは一回だけ。針掛かりせず。13時過ぎ、大洗漁港に1年ぶりで足を運ぶ。マスコミでも取り上げられた評判の「かあちゃんの店」でお昼を食べようかと思ったがすでに終了していた。残念。

港内を散策すると、地元の釣り師がのんびりとコマセを撒きながらウキ釣りをしていた。いろいろ聞くと、まだ水温が高いから、アジやメジナが釣れるという。昨日は30㌢のメジナを逃したので針を大きくして今日も釣り糸を垂らしているという。やがて、もう一人の地元の釣り師が加わって釣りを始めた。そして、三人目の以前にも見かけた記憶がある釣り師。夕方、陽が落ちて港の照明灯が点くとメバルが釣れるという。昨日は、入れ食い、15尾釣ったと。15㌢~20㌢。3人に共通しているのは使用する餌は、生シラス。


ヒラメ釣りよりはやりやすい釣りだなぁ、と思いつつ、次のスポットへ。涸沼川だ。大洗駅裏といわれるセイゴスポットだ。もう5年以上竿を出していない忘れられた場所だが、那珂湊でセイゴが釣れているという話を小耳にはさんだ。行ってみると、平日の月曜日にも関わらずズラリと竿が並んでいた。一人の釣り師の魚籠を見ると大型のセイゴが数尾入っている。そして、目の前でこっちで一人が、あっちでもう一人がセイゴを仕留めた。アドレナリンが体を駆け巡った。時計は14時半。16時には家に戻ると言って家を出たので1時間ほど竿を出した。一本竿の勝負。しかし、ちょうど潮どまりのタイミングでアタリが止まっているようだ。明日、改めて出陣しようと現場を後にした。明日は雨の天気予報なのだが・・・・・。


外出中の午後に従兄が、今年収穫したコメを持ってきてくれた。キウイや里芋などの差し入れも。父のすぐ上の兄の長男。叔父は、3人兄弟で唯一、農業を営んだ。太平洋戦争中は招集されて最初は満州の牡丹江。毎日がご祝儀の生活と回想していたが、戦前の日本の農村の生活水準は低かった。中国大陸の豊かさは日本の比ではなかった証左である。満蒙開拓団を思い起こす。満州は、石油こそでなかったが、資源は豊かであり、広い土地と少ない人口が魅力であった。地政学的にも西洋を代表して東漸した帝国主義のロシアと清朝が衝突する処だったが、清朝は衰退期で一躍近代化した日本がロシア帝国(共産ロシア)と対峙する役割りを果たした。日清戦争から太平洋戦争の敗戦までの時期。叔父は、敗戦間際は転戦で南方のバカン島へ。残っていたらシベリアの収容所行だった。島ではネズミでもなんでも食べたという。戦略的に重要ではなく米軍が上陸しなかったので玉砕しなくて済んだ。

夜、23時でThe Global Cold Warを読み続ける。南アフリカの次はエチオピアである。ソマリア、エリトリア。私の頭のなかはグシャグシャだ。エチオピアは君主制の国家で、明治維新の日本をモデルに国つくりをしていた!!沢山の留学生が日本とどうように国つくりのために西洋に留学し、彼らが1970年代の国の改革に乗り出す。しかし、実権を握るのは貧しい家柄の軍人であり、政権運営を巡って、自ら「赤色テロル」と宣言して容赦のない反対派の弾圧をしていく。そこに、ロシアとアメリカが絡んでくる。中国も。5章から7章までをこの二日間で読了する。

2018年12月 2日 (日)

もう師走だ・・・

12月1日(土) 晴



夜中から明け方にかけて何度かトイレに起きた。それでも、その都度眠ることが出来た。睡眠障害は克服できそうだ。昼間に体を動かし、早朝と夜は読書に没頭する生活パターン。


今朝は母が寝坊した。6時過ぎからテレビの音が聞こえるはずが聞こえない。6時半過ぎにキッチンでゴトゴト、ガサガサ音がし始めたので様子を見に行く。いつもの元気な母が炊事を始めていた。ほっとする。7時半まで、2階のベッドで朝の読書はThe Global Cold Warを読み続ける。中国のソ連修正主義批判、中国の第三世界論とプロパガンダ攻勢。しかし、中国は文化大革命で混乱の中に沈んでいく。


長年疑問におもっていること:朝鮮戦争は結果として引き分けであった。ところが、ベトナムでの南北の戦いはなぜ北が勝利したのか。

1950年代の朝鮮戦争時は、アメリカ国内はもちろん、イギリスなどが国連軍を派遣したが、1960年代のベトナム戦争では、アメリカの孤軍奮闘となる。黒人の市民権運動と歩調を合わせるようにベトナム戦争に国民は批判的になっていく。イギリスはベトナム介入に協力しなかった。アメリカの撤退後の1975年、南ベトナムは北に飲み込まれてしまった。私が大学2年生のとき。その後、共産党独裁が始まり南ベトナムから大勢のボート難民が発生し、中国との小競り合いの戦争もあった。ベトナムは中国と対抗するために、冷戦終了後、アメリカと和解して、中国の改革開放路線をモデルに今や目覚ましい経済発展を遂げている。ところが、朝鮮半島は、ベトナムとはまったく違う運命をたどることになった。


終戦後は南朝鮮に比べて経済優位(日本が開発した)でスタートしたにも関わらず、その北朝鮮の優位性はすでに1970年代には完全に覆されてしまい、ジリ貧となっていく。1989年のソ連崩壊とともに東欧の政治体制は一変したにも拘わらず、東アジアでは、共産主義政権は崩壊しなかった。北朝鮮は方向を見失い(たかれる国=ソ連がなくなり)、生き残りの担保として核開発に突っ走る。国連から制裁を受けたまま出口なしとなり、世界の極貧国となってしまった。同じ共産党独裁国家なのこの違いは何だ。


朝鮮半島は、北朝鮮ばかりが問題なのではない。韓国も迷走を続けている。南ベトナム政権が崩壊したのに比べて、軍事独裁の南朝鮮の腐敗政権?は生き永らえ、日本と同様にアメリカの庇護のもと、奇跡的な経済復興を遂げ今やG20のメンバーである。しかし、ルトワック氏が指摘するとおり、国のアイデンティティが曖昧なままだ。国の独立を勝ち取ったわけではなく、日本の敗戦とともに転がり込んできた国家主権。しかし、その国家主権も当座は日本軍からアメリカ軍占領軍が主権を引き継いだのだった。国家主権を担うに足る政治勢力を模索しながら、アメリカは、結局日本の統治機構をそのまま使わざるを得なかった。そして、屈辱的なことに、朝鮮人は自治能力がないと見做され、国連の信託統治下に置かれるということになりかけた。冷戦の当初であり、ソ連が傀儡政権として北に金日成政権を作った。アメリカは対抗上、自国に亡命していたイ・スンマン(典型的な両班)を南朝鮮を代表する傀儡政権に据えたのだった。


気の毒なほど韓国という国の成立事情があまりにも惨めなのだ。それが韓国の国体である。実情はどうあれ、中華帝国の朝貢国としての記憶が、自足していた長い時代が彼らの精神のよりどころ(心が落ち着く)のようである。外部の観察者には、韓国は中国の天下の朝貢体制における自らの位置に戻りたがっているようにしか見えない。国の繁栄の機会を提供してくれたアメリカを袖にし続け、安全保障をアメリカに100%頼りながら、それに悖る行為ばかりをしている韓国。日本の1960年前後の安保闘争のころと同じだ。自分の存立の現実がわかっていない。わかりたくない。まるで駄々をこねる子供だ。これが韓国の危うさだ。


北朝鮮は、金一族と取り巻きの軍人たちが国民を食い物にして生き残りを図っているだけだ。核という使えない兵器で世界に脅しの手段で身をまもりながら。韓国のやっていることを見ると、どれだけ北朝鮮から挑発され実際に被害を受けても、何らその報復をする行動を取らず、ひたすら融和的に振る舞い続けるのは謎である。



ロシア、中国、そしてアメリカ(優等生の子分である日本)に囲まれた朝鮮半島は大国のパワーポリティックスに左右され続ける運命にあるかわいそうな運命を背負ったのが朝鮮半島の人たちなのだ。ヨーロッパのポーランドやウクライナと同じだ。東南アジアの地政学において本当に危険なのは朝鮮半島である。第一次世界大戦が、バルカン半島でのオーストリア皇太子の暗殺事件というローカルな出来事から1000万の戦死者を出す大惨事になった如く、朝鮮半島は東アジアの火薬庫的存在であり続けるだろう。

朝食(納豆、アラ汁、笹かまぼこ、ご飯、ミカン一個)。リハビリはお休み。今日は、何もしないでぼんやりすごそうかと思っていたが、やはり、じっとしていられない。父がデイケアーに出かけた後の10時半、車で出かける。天気はとてもいい。ポカポカ陽気。
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しかし、潮のせい(長潮)とやはり水温が下がり水がすんでいる昼日中の時間帯の魚の採餌活動は不活発だった。アタリはなく、エサもほとんどついたまま。予想どおりだった。その後、那珂湊漁港にも立ち寄ったが小さなハゼ2尾のみに終わる。



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早々に切り上げて、15時過ぎ帰宅した。お昼はサンドイッチと肉まんだけだったのでお腹がすいたため、鍋焼きうどん(インスタント)を食べる。


夕食:ホウボウの煮つけ、鶏のもも肉のロースト、白ワイン、ホウレンソウのお浸し、アラ汁とご飯少々。
ニュージーランドでは150頭近いクジラが浜辺に打ち上げられて死んだらしいが、再び30頭近いクジラが打ち上げられたらしい。どうしたことだろうか?シャチに追われた?地元の大洗海岸でも7,8年前、磯に大漁のイワシが打ち上げられたことがあった。嬉々として網をもちイワシすくいをした記憶がある。クジラとなると分けが違う。日本人ならクジラ肉を食べるが彼らは愛玩動物の一種と考えている。


2階に上がり日記をつける。よく考えたら、今日から12月。師走だ。ケガしたのは初夏の5月。いまだにリハビリを続ける日々。2018年は、有終の美を飾って退職をと思っていたが、有終の美どころではなかった。それでも、骨折で良かった。内臓器官の癌とか何かだったら・・・。そんなことを思いながら、ベッドに潜り込み、The Cold Global Warを読み続ける。

2018年12月 1日 (土)

11月も終わってしまう・・・ハゼ釣りは不調。

11月30日(金) 晴


昨夜は、読書で夜更かししてしまった。寝たのは深夜を過ぎていた。久しぶりのこと。それくらいルトワック氏の本に熱中してしまった。目覚めの読書は、The Global Cold War。キューバでベトナムがテーマとなる。冒頭は、中ソ敵対と文化大革命の1960年代。


朝食は、塩鮭、アラ汁、ポテトサラダとレタス、ご飯にミカン一個。食後は、週2回の生ごみ出し。キッチンで湯沸かしをしながらリハビリ(爪先立ちと屈伸)。
ルトワック氏の続き:


台頭する中国、特に、日本にとって試練となる尖閣諸島問題について。著者は、日本にとって大戦略に基づく積極的な動きは全く必要ないという。提言しているのは「封じ込め政策」(containment)。予想されるあらゆる中国の挑発に対して、即座に対抗手段を打てるようシミュレーションをして実際に行動できる環境を整備することだという。尖閣諸島を占拠されてから、国内で議論したり、アメリカに相談をする、というのは絶対に避けなければならない。アメリカの立場は、第3者の領土問題には中立である、ということ。ということは、中国が尖閣を占拠した場合は、排除すべく行動を取る!!!ということ。

何年か前にフランスがかつての植民地マリ共和国にフランス軍を派遣したことがあった。ルトワック氏によれば、危機が発生した場合に即座の行動が要求され、大統領の命令一つで(当時はオルランド大統領)即実行できること、これが大国の条件であるという。もし、ある日、尖閣諸島が中国海軍に占拠されたら?日本の首相の命令で何ができるのか?心もとない状況である。氏によれば、海上保安庁、自衛隊の特殊部隊、航空自衛隊、外務省にそれぞれ緊急事態に際して取れる行動があるという。事が起きた時点で、首相の電話一つで即対応できるような仕組みを事前に作っておくことが大事だという。

そういう意味で、ドイツもフランスのレベルで軍隊を動かすことは出来ないらしい。日本と同様敗戦国の悲哀だ。政治力は失ったままだ。経済力で勝負。戦勝国の組織=国際連盟の枠組みの中で。日本も同じなのだ。国際連盟と日本語に訳されているが、United Nationsとは第2次世界大戦の枢軸(ドイツ・イタリア・日本)に対する「連合国」のことである。「国際連盟」という訳語は不適切であるというか、本当の意味を指摘したのは小室直樹氏だ。

いずれにしてもドイツはEUの実質的支配者であり、ドイツ帝国の夢はついに実現されたと揶揄する人もいるが、結局、ドイツは政治力を放棄することで経済的にEUを制覇し平和的発展を遂げることが出来ているということだろう。Brexitの問題はイギリスの悪あがきだろう。移民問題が大きいというが、根はアメリカと同じで行き過ぎたグローバリゼーションへの反動だと思う。しかし、この流れは止められない。かならず、その反動がまたやってきてグローバリゼーションは進んでいくような気がする。西ヨーロッパ内部には地政学的なリスクはもはや存在しない。問題はその外部であるイスラム世界から押し寄せる移民と、ヨーロッパに見えながら半分アジア的と見なされるロシアという大国である。

中国という厄介な存在が今後どういう方向に政治転換していくのか。シカゴ大学のミアシャイママー教授が主張する「大国の悲劇」(中国にとっての周辺のアジアは、アメリカにとってのラテンアメリカだから、中国の現在の行動は必然であり誰も止めることはできないという)が実現してしまうのか。そうだとすれば、20世紀前半の悲劇が再現されてしまうのではないか。
11時、浅田歯科医院へ。最後の歯の治療。虫歯ではないだろうから、しばらくは、このままで様子を見ることにした。寒くなり冷たい水が奥歯に沁みるのは相変わらずだが、痛みはない。ただし、固いものは噛めない。仕方がないことだ。これまで通り、左の負担を庇うべく、右奥で噛むしかない。いずれ、右奥には過重負担による影響が出てくるであろうか。まあ、心配していても仕方のないこと。今あることは過去の積み重ね。前を向いて行こう・・・
お昼は、コーヒーと石窯パンと帰路購入したミネストローネスープと串カツ。


食後は、那珂湊に出かけた。セイゴ釣りはお休み。おさかな市場で5尾700円でホウボウを買った。それから港内散策、

<地元の水産高校の練習風景>

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それから、昨日の残った餌で14時過ぎから15時半までハゼ釣りをした。

<漁船の間を狙う。遠投したり船の影を狙ったり、いろいろやったけれど・・・>

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結果は3尾。ここでは、3尾しか釣れない。1尾は18.5㌢の天ぷらサイズだった。
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残り2尾は13㌢。毎回同じ釣果。



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16時半過ぎに帰宅し夕食の準備をする。セイゴのバター焼き(ムニエル)を作り、父の帰りを待つ。夕食は白ワインを飲みながらムニエルを堪能する。仕上げは、串カツ、セイゴのアラ汁とポテトサラダにご飯。


夜の読書:

2階の部屋の炬燵にもぐりこみ、ゴソゴソと本をかき分けて取り出したのは、阿部勤也氏の「ハーメルンの笛吹き男~伝説とその世界~」。



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学生時代に!購入してそのまま読まずに田舎に眠っていた本。ハーメルンが伝説の発祥の地である。読んでいると懐かしい地名が出てくる。ヴーザー川、ミンデン、リューネブルク、ハノーファー、ツェレ、などなど。1976年のドイツ研修ではハノーバーに2か月滞在してインターンシップを経験した。ハノーバー工科大学(当時)の国際センターで沢山の友人が出来た。その友人のギリシャ人のホームステイ先がハーメルンだった。週末に遊びに行って、町の庁舎の広場でRattenfaenger(ネズミ捕りの笛吹き男)の寸劇を見た記憶がある。ミンデンは、誰の伝手だろうか、ビートルズのリンゴ・スターにそっくりの若者と仲良くなり、一泊お世話になった。ヴェーザー川のほとりを散策し、夜は飲みに出かけ、彼のレコードの収集(ドイツのフォークシンガーのデーゲンハルト)を聞かせてもらったり。もの思いに耽りながら、パラパラと読む。


寝床に入り、今度はゲーテのファウストの第2部。高橋義孝氏訳の新潮文庫。ゲーテの本は長らく迂回してきた。読んでいてつまらない。退屈させるような本ではないか、と思っていた(今もそう)。戦前、と言ってももう73年以上前の話だが、ドイツ語とドイツ教養主義は日本の高等教育のモデルだった。ゲーテも読まれていたが、ナチス・ドイツの敗北とそれによりもたらされた惨禍はドイツの地位を貶めた。ドイツの伝統は否定され、ドイツでもゲーテは読まれなくなったという。とは、云いながら、オール・オア・ナシング式に捨てられるゲーテではないとも思っている。ドイツ人の思考におけるゲーテとニーチェの影響はずば抜けて高い。ゲーテは作家専業ではなく、何よりも政治家(と言っても人口数万のワイマール公国の大臣)であり、そのベースがオールラウンドな教養人だった。100年遅れて出てきた19世紀のニーチェとなると、かなり怪しいい。バランスを欠いた半狂人の詩人哲学者だが、キリスト教社会に対する批判=近代社会の出現と脱宗教家・世俗化・大衆化に対する批判者という点でゲーテと共通する部分が多々ある。


20世紀前半の書物で一番刺激的な本は、自分にとってはシュペングラーの「西洋の没落」になる。この本を読破するのは大変だ。日本語訳を持っているがなかなか読み通せない。英語版の縮刷版を何とか読んだが、眩暈がするほどの壮大な人類の興亡に対する叙事詩的は哲学書である。そのシュペングラーが師と仰ぎ、思索するインスピレーションを得ているのがゲーテでありニーチェなのだ。


意気込んでファウスト第二部を70ページほど読むも、結局は睡眠薬の役割りに終わってしまった。時計は23時前だった。

«セイゴ釣りは渋かった。深夜まで読書に耽る。