2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

トップページ | 2006年9月 »

2006年8月17日 (木)

ロシアとは?

ロシアの沿岸警備隊の発砲をされて日本漁船の船員死亡事故が起きた。 だから、というわけではないが、山内昌之氏の「ラディカル・ヒストリー  ロシア史とイスラム史のフロンティア」を昨夜紐解いた。1991年に出た本だからもう15年前だ。私の場合、積読が多い。 そのころ、ソ連が崩壊した直後だった。 それで、タイトルに引かれて衝動買いしたのだと思う。

日本にとって、ロシア(ソ連)は、幕末以来、常に北方からやってくる脅威だった。日米安保条約でアメリカの核の傘で守られていた冷戦時代は、一番恐怖感がなかった時代かも知れない。 ロシアというと、日本人はロシア文学(ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなど)を思い出す。ソ連といえば、レーニン、スターリンと共産主義。 

輝ける星?社会主義ソ連も15年前にあれよあれよと崩壊して、ロシアに戻ってしまったが、そもそも、ロシアとは何だろうか? 実は、アメリカと並んで、20世紀はソ連の時代でもあった。 20世紀とは、ヨーロッパが没落して、新興のアメリカとロシアが覇権を競った時代と言える。日本もその一角に加わったのだったが。 岡田英弘氏の「世界史の誕生」を読むと、ロシアとは、モンゴル帝国の継承国家と解釈できる、との指摘があった。其の時は、目から鱗であったものの、もうひとつしっくりと理解できなかった。 

そもそも、ロシアは、ビザンチン(東ローマ帝国)の正統なる後継者を持って任じたキリスト教を奉ずる文明国ではないか? アメリカが西へ西へと向かったように、ロシアは、東へ、東へとウラル山脈を越え、シベリアを横断、太平洋に達した。清朝の故郷、沿海州や満洲の地を南下して、時まさに、帝国主義の時代。 ふがいない清朝、大韓帝国の代わりとなって、日本が立ちはだかり、日露戦争ではロシアを破った。 本能的に日本人は北方の脅威ロシアを嫌う。まして、日ソ中立条約を反故にして、火事場泥棒を働いたソ連を誰が許そうか? スターリンは、日露戦争の敵討ちだと言った。ソ連時代の教科書では、日露戦争は日本の侵略と書かれているそうだ。 しかも、真珠湾と同様、戦線布告なしの卑怯な戦争として。

ロシアのアイデンティティは、「タタールのくびきからの開放」に隠されている。この言葉には、遅れた野蛮なアジアの圧制から自らを解放して、西洋の文明の伝道者として、東へ拡張していった自己正当化という契機が見られる。 しかし、山内氏によると、ロシアの祖先たちとアジアが出会った9世紀の頃、彼らは先進文化圏であるイスラム教徒から「さまよい歩く野生のロバ」「不潔で人前でも平気で性行為をする」などネガティブな叙述されているという。野蛮なのは、ロシア人の祖先たちであった。 一方で、このスラブ人の祖先たちは美しいブロンド奴隷としても珍重されたらしい。 女子テニス界の美女シャラポワを思い出せば良い。タタール人とは、フィンランドやハンガリーの祖先と東から移動してきたトルコ系遊牧民の混血だそうだ。彼らが、モンゴルの世界制覇でジンギス・カーンの長男が作ったキプチャク汗国に臣従した人たちでありモンゴルに同化した。また、このタタール人居住地は、イスタンブールとモスクワの中継貿易地としても栄えたのだという。 これが、17世紀のイワン雷帝のころから、徐々に価値の転倒、アジア否定が始まり、ロシアの神話化が始まるらしい。このあたりの逆転現象とロシアの東への膨張はどうして起こったのか? アメリカ、中国、ロシアとそれぞれ違いはあるが、いずれも大文明圏であり、周辺部族を飲み込んで膨張している国である。 日本にとっては、それぞれに厄介な国だと思う。

2006年8月16日 (水)

二十歳の頃のドイツで・・・

815日、小泉首相が靖国神社参拝でマスコミが朝から大騒ぎしている昨日、成田空港に出かけた。勤めている大学の学生がアメリカの大学に交換留学生として出発するための見送りだった。 アメリカン航空カウンター前は、長蛇の列である。 先週のイギリスのテロ未遂の影響もあり、チェックインは警備体制の厳しさもあって、1時間以上もかかったが、無事、出発していった。 希望に胸を膨らませて、目を輝かせての出発である。 1セメスターだけの留学だが、自分の大学時代の3ヶ月のドイツでの語学研修を思い出していた。 

これは留学ではなく、大学で正規の授業を取ったわけでもないが、やはり自分の人生を振り返ると、とても楽しく、忘れがたい体験であったことは間違いない。1976年のヨーロッパの夏は記録的な猛暑だった。当時、アエロフロートで毎回出るチキンの機内食がうまいナ!?!と思いながら初めてヨーロッパに足をつけたのが、絵本のように美しかったコペンハーゲン、列車でドイツに入りオランダ国境近くのリンゲンという小さな村で2週間の語学研修(現地のドイツ人学生と研修施設にいっしょに泊り込んでの集中講座)や、その後、一人になって、約2ヶ月間、ハノーバーの工場で働いたり、ハノーバー工科大学で知り合った学生たち(ポーランド人、エジプト人、スイス人、オランダ人、オーストリア人、ギリシャ人、スウェーデン人、フィンランド人、フランス人、ユーゴスラビア人、アメリカ人、韓国人、パキスタン人)達と、ベルリン旅行したり、ブレヒトの三文オペラを見に行ったり、フィンランドの女の子と親しくなったり、悪がきたちとFKK(ヌーディストクラブ)に出かけたりして、それは、それは、楽しい思い出だらけで、締めくくりはパリ研修で終わった。ドイツと違ってパリは大都会で、食事がおいしかったこと、そして、滞在中に毛沢東が死んだことが、印象に残っている。 

ハノーバーでは、ある日、路面電車乗り場で電車を待っていると、初老の男がやってきて、「あなたは日本人か?」と話しかけられ、原爆の話をしたこと、 ポズナン出身のポーランド人リシャルト君とは気が合い、ヌーディストクラブで知り合ったドイツ人ペーター君がいる「裸足」という名前のパブでビールを飲みながら、お国自慢をしたり、ドイツ人の悪口をいったり、サルトルのことやゼロ戦の話をしたこと、同じポーランド人でバルバラという名前の女の子が3人いて、皆美人で、ある日、一緒に、フェリー二監督の映画「アマルコルド」という映画を観にいったこと(一人のバルバラはそれはもう肉感的で、顔を10センチ近くまで寄せて息を掛けながら話すのには参った)、Kolpinghausという昔はドイツの徒弟制度で修行する若者が泊まったという宿舎で相部屋になったパキスタン人のイスラムの祈りを見せてもらったり、本場カレーをご馳走になったこと、ギリシャ人の名前(男)がやたらにヤーニが多いこと(その中の一人のヤーニは伊達男で、スウェーデン人の女性を一夏の恋人にしていて、我々男たちが集まる席でのベッドの中の自慢話は羨望の的だった)、インターナショナルの歌を教えてもらったユーゴスラビア人は、ドイツ語が流暢だったが、定冠詞・不定冠詞がまったく欠落していること(最近、当時のアドレス帳にある記帳を見ると、スロベニアはリュブヤーナ出身であることに気がついた)、フィンランド人のユハ君の名前は、スロベニア語では「スープ」という意味で皆で大笑いしたこと、などなど、次から次へと当時の情景が連鎖反応を起こして浮かび上がってくる。 今頃、みんなどうしているだろうか? 

2006年8月15日 (火)

愛着のある本

愛着のある本というものがある。 吉田健一氏の「書架記」もその一冊である。吉田茂首相の息子で、文学青年、若き日にイギリスのケンブリッジ遊学。同時代の日本人とはおよそ隔絶した環境で教養を身につける。この本は、氏が愛着を持つ本についてのおしゃべりなのだが実に楽しい。ラフォルグとかプルーストとかボードレールとかヴァレリーとかこんな高級な?本をいとも簡単に原語で読んで、手に入れた本の経緯なども交えた氏の本に対する愛着が感じられる。実に、楽しそうに吉田氏は語りかけてくる。 

そんな中で、エリオット・ポウルの探偵小説、という1章があって、第一次世界大戦後にパリにやって来たアメリカ人ジャーナリストで、いわゆるフランコフィルという奴だ。 パリに惚れたアメリカ人である。この人の書いたThe Last Time I Saw Parisというのは出色の出来のパリガイドらしい。 吉田氏の永井荷風の「ふらんす物語」なんて寝言に近い、というくだりを読むと、無性に読み無くなってしまったものだ。

ずいぶん昔のことだが、この本を読んで、一度、本屋に注文して入手しようとしたが、適わなかった。絶版だったようだ。 それから10数年の月日がたった。田舎に戻って、ある日、本を整理していて、この本がひょっこり出てきた。 当時はなかったアマゾンドットコムで試しに検索してみたら、びっくりだ。 引っかかって来た。 まだ、版を重ねているのだ。 早速注文した。英語の本なのだけれど、戦間期、最後の光芒を放ったパリの香りがする本に違いない。実際に読んだら、がっかりするかも知れないが。こればっかりは、読んでみないと分からないが、胸が時めいてしまう。

2006年8月14日 (月)

野鳥の囀りはα波 エゾムシクイ編

キクイタダキの囀りは、滅茶苦茶、感動もの的に美しいという囀りではないが、滅多に聞ける囀りではないだけに、希少価値があるのだ。 もうひとつ、感動ものの囀りは、エゾムシクイである。 埼玉県の見沼の雑木林で、やはり、これは2003年の5月の連休前後だったと思うが、日曜日だったかの朝の10時前後、人気がいない静まり返った雑木林わきの舗装されていない道路の水溜りで、スズメとメジロの水浴び場面に偶然遭遇して、じっと観察していたときのことだった。 

なかなか、この水浴びシーンはかわいらしくて、見ていて楽しかった。 鳥はきれい好きで、体のダニなどを落とすために、水に入り羽ばたきしながら、体をきれいにするのだ。数羽が群れでやってきて、順番にばしゃばしゃと水浴びするシーンは微笑ましかった。 皆、気持ちよくてはしゃいでいるかのようだ。 うっとりと、眺めているうちに、すぐ後ろの雑木林から聞き慣れない囀りが聞こえてきた。 これが又、3分ほどたっぷりと何度も、何度も囀って呉れるのだ。 緑の濃い木の茂みのどこかで、囀っている。 姿は残念ながら見えない。 石のように凍り付いて、その音楽を何度も反芻した。 

帰宅して、CD-ROMで確認すると、エゾムシクイであることが分かった。 ウグイスやオオヨシキリと同じ仲間である。写真でみるとウグイスにそっくりである。 しかし、囀りが全然違うのだから、不思議なものだ。 姿だけ見ていたら、絶対に分からない。 野鳥の会のベテランなら、分かるのかもしれないが。そして、野鳥の囀りというのは一端、その種類と一緒に特定・確認すると、絶対に忘れないのだ。 今年の5月連休前後も、このエゾムシクイの囀りはところどころで聞いた。 あの3年前、見沼で聞いた囀りと同じメロディである。 今回は、粘りに粘って、そっと音源に近づき、じっと待った。 そして、梢の天辺の茂みを伝い歩いては囀るエゾムシクイの姿も、ちらり、とだが、双眼鏡で確認することが出来た! ちなみに、エゾムシクイよりも頻度高く、聞いたり見たり出来るのが、同じ夏鳥としてやってくるセンダイムシクイである。 4月後半から5月上旬にかけては、平地のあちこちの雑木林で、渡りの途中(標高の高い山地の森林に移動して子育てをする)の羽休めで囀りと姿を堪能することが出来る。

エゾムシクイ 

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/uguisu/ezomusikui.htm

センダイムシクイ →

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/uguisu/sendaimusikui.htm

ウグイス →

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/uguisu/uguisu.htm

皆似てますでしょ!

2006年8月13日 (日)

野鳥の囀りはα波 キクイタダキ編

野鳥観察、いわゆるBird Watchingという趣味に目覚めて数年になる。 まだまだ駆け出しだし、年配者が多くて気が引ける野鳥の会のメンバーにはなっていない。双眼鏡ひとつで、野山を駆け巡り、いそうなところや地鳴き(野鳥が発する警戒音)・囀りを頼りに、自己流で野鳥を観察し、図鑑と照合しながら種類を確認するフィールドワークである。 姿を見ること自体の楽しさは言うまでもない。肉眼と違って、双眼鏡で拡大された小鳥たちの姿を眼前にしたときの感動はなんとも言えない。 姿ばかりでなく、そのうち、囀りで野鳥の種類を特定することがまた、楽しみになってくる。 何百種類もの野鳥の囀りを録音したCD-ROMも売り出されていて、暇なときには、小鳥類のCDを聞くこともしばしばである。 α波のオンパレードで、見事な癒し系音楽である。 バッハやモーツァルトやマーラーも良いけれど、新鮮な空気と緑あふれる初夏の自然の中で、あるいは、ちょっと肌寒いけれど、緑が芽吹き始めた早春の小川のせせらぎの中で、美しい野鳥の囀りを聞いたときの感動は、筆舌に尽くしがたい。 

まだまだ100種類くらいしか知らないビギナーレベルなのだが、ホオジロ、アオジ、メジロ、ウグイス、カシラダカ、オオルリ、キビタキ、イカル、シジュウカラ、コマドリ、セグロセキレイ、ハクセキレイなどこのあたりの囀りは、とても美しいし平地の雑木林で期間限定のものもあるが、足を運んで耳を澄ませれば普通に聞けるのだ。 早春から初夏にかけての早朝の雑木林はこれらの野鳥たちのシンフォニーで満ち溢れている。 スズメ、カワラヒワ、カケス、オナガ、モズ、コゲラ、ヒヨドリ、ムクドリ、キジバト、キジ、コジュケイ、ツグミ、アカハラ、シロハラなども声は出すが、囀りとは言いがたいし、聞きほれるほどのものではないが、自然の中を歩きながら、彼らの発する音で、存在がわかるのも、また楽しい。

2004年の早春のある日、当時住んでいた千葉県・松戸市の北小金の雑木林を歩いていたとき、あるお寺でふと足を止めた。静まり返った境内の奥まった林の松の木の天辺から、虫の鳴くような音色で小鳥が囀りだした。 初めて聞く囀りだ。 双眼鏡で覗くがとても小さい小鳥で、よく確認できない。今まで見たことも無い鳥であることは確かだ。5分近く、辺りの静けさのなかで存在を誇示しながら囀り続けると、近くにメジロたちもやってきて私と一緒に鑑賞している様子だ。 やがて、この未確認の小鳥は、その場を去って近くの梢の緑の中に姿を消した。 しばらくは、そのばに立ち尽くして、興奮が冷めなかった。何という小鳥だろうか? 図鑑を見るが、どうにも分からない。 逆光であったし、デジスコープのような重い機材を持って歩くのは趣味ではないし、双眼鏡では特定出来なかった。 残念の一言。 

長い間、あの小鳥は何だったのだろうか?と折に触れては思い出すのだった。 が、これが、ひょんなことから氷解した。 今年の春、某夜、過去の日記を読み返していて、この日のフィールドワークの記録として、「この虫の鳴き声みたいな囀り」という記述に目が留まり、CD-ROMの解説をあちこちめくっているとある野鳥にぶつかった。キクイタダキという14センチぐらいの日本でも一番小さな野鳥である。頭の天辺が黄色いが、あの時は逆光で、かなりの高木の天辺で囀っていたのでこの特徴には気がつかなかった。ドキドキしながら、CD-ROMを聞いてみると、2年間の歳月を経て、あの時のあの囀りが、再現した。 そうかぁ、キクイタダキだったのかぁ。この夜は、あの時の興奮が蘇り、しばらく寝付けなかった。

キクイタダキとはこんな鳥です。

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/uguisu/kikuitadaki.htm 

2006年8月12日 (土)

夏休みは読書三昧

今日から夏休み。9連休である。この十数年、こんな夏休みを取った記憶がない。何をするか? 読書三昧である。 どうせなら、プルーストの「失われた時を求めて」あたりを読破してやろうか? などと思うのだが、どうも、文学には手が行かない。繊細な感性のトレモロに浸るより、まだまだ、俗世の生臭さに興味が行ってしまうようだ。

学生時代から濫読が続いている。 仕事で中断はするものの、ずーっと、暇があれば、本を読んできた。独身だからというのもあるかも知れない。普通の人が、結婚し、子供を作り、仕事に没頭し、時間の大半を取られれば、本を読んだり、瞑想にふけったりする時間はないだろう。

昨夜は、1980年代の小室直樹氏著作「アメリカの逆襲」「中国資本主義の挑戦」「韓国の悲劇」を深夜まで紐解いた。同氏には、ベストセラー「ソビエト帝国の崩壊」があるが、それに劣らず、上記3作は卓越した、アメリカ論、中国論、韓国論である。 氏の深い学識に基づくするどい論点に感心し、うなずきながら、最近の国際政治に思いを馳せた。 

やはり、21世紀の今日、気になるのは、「中国論」であり「アメリカ論」である。 その後に、「ロシア論」「ヨーロッパ論」となるであろう。 小室氏の論点の中で、「日本人の外国(交)音痴」というのがあるが、これは日本人の弱点であろう。孫子の兵法ではないが、敵を知らないし、したがって、己も知らないところに、戦略など立てようもないのだと思う。

 

高名な外交評論家が、20世紀はアメリカを見誤った世紀だった、とどこかで言っていた。ヨーロッパも日本も、果ては、スターリンのソ連も。「悪の論理(地政学とは何か)」を書いた倉前盛通氏によれば、20世紀のアメリカの戦略はマハン(地政学者)の戦略をそのまま実行したものだったそうだ。 日本海海戦の作戦参謀秋山真之が弟子入りしたあのマハンである。アメリカはソフト・帝国主義の権化である。いかにして、インディアンを抹殺したか、メキシコからカリフォルニアを奪ったか? スペインからフィリピンを奪ったか?太平洋戦争とは、中国を巡る日米対決であったのだ。そして、皮肉なことに、両者とも中国を失った。失う」とはどういう意味だ、と突っ込んでくる向きもあるが、近代化に失敗した中国が、近代資本主義に食われるのは仕方が無いし、日・欧米の帝国主義から身を守るなら、共産主義で武装して、鎖国するしかなかった。

1990年の冷戦終了とともに、左翼史観の呪縛が溶けて、歴史の見直しが可能になってきた。 戦争を知らない世代として、自分も長らく、軍国日本悪者論=東京裁判史観に組みしていたが、いろいろなことが明らかになるにつれて、事実とはそう単純ではないと思うようになった。 歴史の客観的評価というのはむつかしい。当事者がいる間は不可能であろう。中国などは、共産党独裁が続く限り、今の態度は変わらないであろう。 韓国にしても北朝鮮にしても然り。 歴史の捏造という点では、実際、彼ら(中国、北朝鮮、韓国)の方が、実際日本よりひどい。歴史といっても2種類あるのだ。 学者先生が唱える客観的な学としての歴史と一方で国民国家として国民を統合するための、自国に都合のよい歴史(日本で言う戦前の国史)つまり、教育の現場で子供たちに教える愛国的な歴史。中国や北朝鮮、韓国の歴史は、日本の戦前の国史と同じレベルである。日本に於いては、戦前までは神話(日本書紀、古事記)を歴史的事実として教えていた(古事記、日本書紀の解釈の仕方については、歴史家・岡田英弘氏のユニークで説得力のある「倭国の時代」が大変参考になる) 

アメリカにしても中国にしても太平洋を挟んで相対峙する大国である。 日本も経済力という点では大国だが、現在は、アメリカの保護のもと繁栄している属国というのが現実である。属国ではあるが、フィリピンなどとは比べ物にならない大国の属国である。しかし、日米安全保障条約が、第二の日英同盟の末路を辿る可能性はある。密かに思うところでは、アメリカと中国は、日米安保に組み入れられた日本の現状と憲法第9条を維持したいのではないか。中国にとって、日本は目の上のたんこぶである。本来、負けるはずのない優秀な中国がこの100年、日本に負けっぱなしである。日本人が嫌いなのはわかる。私が中国人なら迷うことなく、生意気な日本人に腹を立てるだろう。つまり、嫉妬である。理屈ではない。 朝鮮半島も同じである。 西洋文明が襲い掛かる前の東アジアの序列から言えば、日本は一番下の弟分なのだ。それが、「国民国家による統合と近代化」という「西欧の魔法」の習得に於いては、断然、日本が優等生であり、いつのまにか、日本は、過去のことなどすっかり忘れて、西洋人と同じ高みから、中国、朝鮮を見下した。アメリカが、ヨーロッパで戦前の日本の大陸政策のような振る舞いをしたらどうなるか? 

いずれにしても、中国や韓国は、日本に対してあまりにも生々しい悲惨な体験を通して(自らの堕落が原因で悲劇を招いたのに、それを日本のみのせいにしている限り、彼らは日本に勝てないだろう。 例えば、韓国だが、最近は歴史ドラマでも李朝を美しく描いたドラマが日本で放映されているが、イザベラ・バードの19世紀末の旅行記「朝鮮紀行」にある李朝時代の描写にあるごとく、とんでもない国であったのが本当の姿であったようだ。つまり、半分は自ら招いた悲劇なのだ)、恐怖感を持っているし、アメリカですら日本に対しては「ある種の恐怖感」を持っている。「放っておくと、いつの間にか、自分たちのお株を奪って、組織的に動く日本にしてやられてしまう」、という恐怖感である。 だから、両大国は、どこかで、日本が憲法改正の上、核武装を含む自主独立の道を封じ、平和な経済活動という点に於いても、手を結んで、「出る杭」(日本)を抑え続ける戦略を取る可能性が大きいと思う。特に、中国は、あらゆる国際的な場面で日本の足を引っ張る戦略を取り続けるであろう。 すさまじい嫉妬、つまり、彼らの劣等感とプライドの為せる行為である。アメリカにしても、日本を、対中国に対する最後の「切り札」「奥の手」としてのオプションの余地を残したいのだ。いざとなったら自閉して、自給自足が可能な両大国はもともと、自分勝手な国で、他所の小国など本音ではどうでもいいのであって、自由貿易による経済繁栄が唯一の生きる道である通商国家日本とはもともと性格が違い、お互い同士、むしろ類似点が多いのだ。アメリカが自由貿易の守護神となったのは1945年以降である。

中国の実態についてだが、普通の中国人は、中国人である前に、北京人、上海人、広東人、福建人、客家、台湾人であることが自己アイデンティティであるそうだ。 中国語とは、中国では普通語(標準語)と言い、学校で習得する外国語なのだそうだ。彼らの日常語は、北京語、広東語、上海語、客家後、台湾語であり、ヨーロッパで言えば、英語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語と同じかもっと差がある言語だそうだ。お互いにまったく通じない。 学校で学ぶ標準語・普通語は、ヨーロッパで言えば、「限りなく英語に近い改良したエスペラント語」といった位置付けになろうか。 中国では「方言」というが、当事者にとっては国語であり、他方言は外国語のことなのだ。 上海人にとって、北京人と日本人はおなじ外国人であり、漢字を使用するから中国人(日本人は不完全な中国人)という理屈である。 こうすると、何故、ベトナムや北朝鮮、韓国が漢字を廃止したかが良く分かる。漢字を使い続ければ、中国人にされてしまうのだ。

中国という概念は、しいて比較すれば、ヨーロッパと概念レベルと同じである。EU諸国に相当するのが現在の中国であり、韓国、日本は域外の国なのである。

ということで、中国という国、あるいは中国人とは何か、というのが日本人にとって理解が難しいのは当然で、ヨーロッパとは何か、についてすぐには答えられないのと同じである。又、「中国問題」で厄介なのは、現在の国境である。歴史的無知が原因だ。それは、清朝=中国と理解する「誤解」から始まっている。清朝は中国ではなかった!!! 清朝は、満州族の当主が清という王朝を建てて、万里の長城以南(明の範囲)では中国の皇帝として君臨し、長城以北の満洲(彼らの故郷)においては部族連合の部族長として君臨し、モンゴルに対しては、ハーンとして君臨し、チベットに対しては、チベット仏教の保護者として、君臨したというのが真相であった。ヨーロッパの概念で言う「同君連合」だそうだ(ハプスブルク帝国のように、一人の皇帝が複数の国の長として君臨する統治方法)。中国は清朝の植民地の1つであったわけで、モンゴルやチベットを領土にしたことなど無いのだ。中華民国・中華人民共和国は、清朝の領土を継承したと称しているが、武力で乗取ったというのが真実に近い。

以上は、歴史家・岡田英弘氏の著書を片っ端から読破して、理解した中国理解のポイントである。京大・東洋史学の泰斗宮崎市定氏や貝塚茂樹氏の著作にはずいぶん親しんだが、うっそうと生い茂る中国史の事実の靄の中で、本質がなかなか見えなかったが、岡田氏の本を読んで、目から鱗の体験をした。 岡田氏は、アメリカに留学する前に、漢文資料を片っ端から漁り、中国史を分かっていたつもりだったらしいが、アメリカで中国研究者(中国人も含む)と交流することで、自分は何も理解していなかった、ということに気づいたという。 

100年以上前に、アメリカの宣教師が中国人について書いた本が今でも読まれているそうだが、最近入手した。「Chinese Characteristics」(Arthur Smith著)である。この夏休みは、じっくりこれを読んでみようかと思う。 

2006年8月11日 (金)

ウグイスは今日も囀る

最近、朝6時ごろになると決まってウグイスが近くにやってきてホーホケキョと元気に囀る。初囀りが、3月始めだったと記憶するが、8月半ばでもウグイスは囀るのだ。何と美しい囀りだろうか? 

ウグイスを見たことの無い人の為に

→ http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/uguisu/uguisu.htm

今年は、5月連休前に、近くの雑木林で、渡りの途中のコマドリ、オオルリ、キビタキ、ノビタキ、センダイムシクイ、エゾムシクイなど夏の渡り鳥の囀りも聞いた。 ウグイスの囀りは誠に美しい。 オオルリといい勝負だ。一時は、ホトトギスが近くにいて、キョキョキョとよく鳴いていて、これは、ウグイスが狙われているなと心配したものだ。ちゃんと子育て出来ただろうか(ホトトギスはウグイスの巣に卵を預け、代わりに育ててもらう。その際、ウグイスの卵、雛を巣の外に追い出して、親からもらう餌を独占してしまう、つまり、ウグイスの天敵なのだ)。

今朝、静まり返った大学のキャンパスを歩いていたら、小鳥の死骸を見つけた。 5月から6月にかけては、やたらにスズメの死骸に出会って、野鳥というのは大変なんだな、と思った。スズメは、ツバメやシジュウカラと同じで、2度子育てをする。1回あたり5個から6個の卵を産み雛を育てる。だから、10羽から11羽の雛を1つのツガイは、一年当たり育てることになる。 それでも、成長して立派に大人になるのは1羽いるかいないからしい。自然環境は厳しいのだ。平均寿命は、1.5年とからしい。 

ところで、キャンパスで見つけたのは、何と、ウグイスの死骸だった。どうも、建物の透明なガラスの部分に衝突して命を落としたようだ。ウグイスというのはなかなか臆病な鳥で、滅多にその姿を見せてくれない。色も地味な灰色(ウグイス色はメジロ)なのだ。眼窩に白い線がある。尻尾が短い。今年生まれ育った幼鳥である。 手で触ってみると、すこし体温が残っている。 可哀相な死を迎えたウグイスに合掌。

トップページ | 2006年9月 »