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2006年8月16日 (水)

二十歳の頃のドイツで・・・

815日、小泉首相が靖国神社参拝でマスコミが朝から大騒ぎしている昨日、成田空港に出かけた。勤めている大学の学生がアメリカの大学に交換留学生として出発するための見送りだった。 アメリカン航空カウンター前は、長蛇の列である。 先週のイギリスのテロ未遂の影響もあり、チェックインは警備体制の厳しさもあって、1時間以上もかかったが、無事、出発していった。 希望に胸を膨らませて、目を輝かせての出発である。 1セメスターだけの留学だが、自分の大学時代の3ヶ月のドイツでの語学研修を思い出していた。 

これは留学ではなく、大学で正規の授業を取ったわけでもないが、やはり自分の人生を振り返ると、とても楽しく、忘れがたい体験であったことは間違いない。1976年のヨーロッパの夏は記録的な猛暑だった。当時、アエロフロートで毎回出るチキンの機内食がうまいナ!?!と思いながら初めてヨーロッパに足をつけたのが、絵本のように美しかったコペンハーゲン、列車でドイツに入りオランダ国境近くのリンゲンという小さな村で2週間の語学研修(現地のドイツ人学生と研修施設にいっしょに泊り込んでの集中講座)や、その後、一人になって、約2ヶ月間、ハノーバーの工場で働いたり、ハノーバー工科大学で知り合った学生たち(ポーランド人、エジプト人、スイス人、オランダ人、オーストリア人、ギリシャ人、スウェーデン人、フィンランド人、フランス人、ユーゴスラビア人、アメリカ人、韓国人、パキスタン人)達と、ベルリン旅行したり、ブレヒトの三文オペラを見に行ったり、フィンランドの女の子と親しくなったり、悪がきたちとFKK(ヌーディストクラブ)に出かけたりして、それは、それは、楽しい思い出だらけで、締めくくりはパリ研修で終わった。ドイツと違ってパリは大都会で、食事がおいしかったこと、そして、滞在中に毛沢東が死んだことが、印象に残っている。 

ハノーバーでは、ある日、路面電車乗り場で電車を待っていると、初老の男がやってきて、「あなたは日本人か?」と話しかけられ、原爆の話をしたこと、 ポズナン出身のポーランド人リシャルト君とは気が合い、ヌーディストクラブで知り合ったドイツ人ペーター君がいる「裸足」という名前のパブでビールを飲みながら、お国自慢をしたり、ドイツ人の悪口をいったり、サルトルのことやゼロ戦の話をしたこと、同じポーランド人でバルバラという名前の女の子が3人いて、皆美人で、ある日、一緒に、フェリー二監督の映画「アマルコルド」という映画を観にいったこと(一人のバルバラはそれはもう肉感的で、顔を10センチ近くまで寄せて息を掛けながら話すのには参った)、Kolpinghausという昔はドイツの徒弟制度で修行する若者が泊まったという宿舎で相部屋になったパキスタン人のイスラムの祈りを見せてもらったり、本場カレーをご馳走になったこと、ギリシャ人の名前(男)がやたらにヤーニが多いこと(その中の一人のヤーニは伊達男で、スウェーデン人の女性を一夏の恋人にしていて、我々男たちが集まる席でのベッドの中の自慢話は羨望の的だった)、インターナショナルの歌を教えてもらったユーゴスラビア人は、ドイツ語が流暢だったが、定冠詞・不定冠詞がまったく欠落していること(最近、当時のアドレス帳にある記帳を見ると、スロベニアはリュブヤーナ出身であることに気がついた)、フィンランド人のユハ君の名前は、スロベニア語では「スープ」という意味で皆で大笑いしたこと、などなど、次から次へと当時の情景が連鎖反応を起こして浮かび上がってくる。 今頃、みんなどうしているだろうか? 

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