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2006年8月12日 (土)

夏休みは読書三昧

今日から夏休み。9連休である。この十数年、こんな夏休みを取った記憶がない。何をするか? 読書三昧である。 どうせなら、プルーストの「失われた時を求めて」あたりを読破してやろうか? などと思うのだが、どうも、文学には手が行かない。繊細な感性のトレモロに浸るより、まだまだ、俗世の生臭さに興味が行ってしまうようだ。

学生時代から濫読が続いている。 仕事で中断はするものの、ずーっと、暇があれば、本を読んできた。独身だからというのもあるかも知れない。普通の人が、結婚し、子供を作り、仕事に没頭し、時間の大半を取られれば、本を読んだり、瞑想にふけったりする時間はないだろう。

昨夜は、1980年代の小室直樹氏著作「アメリカの逆襲」「中国資本主義の挑戦」「韓国の悲劇」を深夜まで紐解いた。同氏には、ベストセラー「ソビエト帝国の崩壊」があるが、それに劣らず、上記3作は卓越した、アメリカ論、中国論、韓国論である。 氏の深い学識に基づくするどい論点に感心し、うなずきながら、最近の国際政治に思いを馳せた。 

やはり、21世紀の今日、気になるのは、「中国論」であり「アメリカ論」である。 その後に、「ロシア論」「ヨーロッパ論」となるであろう。 小室氏の論点の中で、「日本人の外国(交)音痴」というのがあるが、これは日本人の弱点であろう。孫子の兵法ではないが、敵を知らないし、したがって、己も知らないところに、戦略など立てようもないのだと思う。

 

高名な外交評論家が、20世紀はアメリカを見誤った世紀だった、とどこかで言っていた。ヨーロッパも日本も、果ては、スターリンのソ連も。「悪の論理(地政学とは何か)」を書いた倉前盛通氏によれば、20世紀のアメリカの戦略はマハン(地政学者)の戦略をそのまま実行したものだったそうだ。 日本海海戦の作戦参謀秋山真之が弟子入りしたあのマハンである。アメリカはソフト・帝国主義の権化である。いかにして、インディアンを抹殺したか、メキシコからカリフォルニアを奪ったか? スペインからフィリピンを奪ったか?太平洋戦争とは、中国を巡る日米対決であったのだ。そして、皮肉なことに、両者とも中国を失った。失う」とはどういう意味だ、と突っ込んでくる向きもあるが、近代化に失敗した中国が、近代資本主義に食われるのは仕方が無いし、日・欧米の帝国主義から身を守るなら、共産主義で武装して、鎖国するしかなかった。

1990年の冷戦終了とともに、左翼史観の呪縛が溶けて、歴史の見直しが可能になってきた。 戦争を知らない世代として、自分も長らく、軍国日本悪者論=東京裁判史観に組みしていたが、いろいろなことが明らかになるにつれて、事実とはそう単純ではないと思うようになった。 歴史の客観的評価というのはむつかしい。当事者がいる間は不可能であろう。中国などは、共産党独裁が続く限り、今の態度は変わらないであろう。 韓国にしても北朝鮮にしても然り。 歴史の捏造という点では、実際、彼ら(中国、北朝鮮、韓国)の方が、実際日本よりひどい。歴史といっても2種類あるのだ。 学者先生が唱える客観的な学としての歴史と一方で国民国家として国民を統合するための、自国に都合のよい歴史(日本で言う戦前の国史)つまり、教育の現場で子供たちに教える愛国的な歴史。中国や北朝鮮、韓国の歴史は、日本の戦前の国史と同じレベルである。日本に於いては、戦前までは神話(日本書紀、古事記)を歴史的事実として教えていた(古事記、日本書紀の解釈の仕方については、歴史家・岡田英弘氏のユニークで説得力のある「倭国の時代」が大変参考になる) 

アメリカにしても中国にしても太平洋を挟んで相対峙する大国である。 日本も経済力という点では大国だが、現在は、アメリカの保護のもと繁栄している属国というのが現実である。属国ではあるが、フィリピンなどとは比べ物にならない大国の属国である。しかし、日米安全保障条約が、第二の日英同盟の末路を辿る可能性はある。密かに思うところでは、アメリカと中国は、日米安保に組み入れられた日本の現状と憲法第9条を維持したいのではないか。中国にとって、日本は目の上のたんこぶである。本来、負けるはずのない優秀な中国がこの100年、日本に負けっぱなしである。日本人が嫌いなのはわかる。私が中国人なら迷うことなく、生意気な日本人に腹を立てるだろう。つまり、嫉妬である。理屈ではない。 朝鮮半島も同じである。 西洋文明が襲い掛かる前の東アジアの序列から言えば、日本は一番下の弟分なのだ。それが、「国民国家による統合と近代化」という「西欧の魔法」の習得に於いては、断然、日本が優等生であり、いつのまにか、日本は、過去のことなどすっかり忘れて、西洋人と同じ高みから、中国、朝鮮を見下した。アメリカが、ヨーロッパで戦前の日本の大陸政策のような振る舞いをしたらどうなるか? 

いずれにしても、中国や韓国は、日本に対してあまりにも生々しい悲惨な体験を通して(自らの堕落が原因で悲劇を招いたのに、それを日本のみのせいにしている限り、彼らは日本に勝てないだろう。 例えば、韓国だが、最近は歴史ドラマでも李朝を美しく描いたドラマが日本で放映されているが、イザベラ・バードの19世紀末の旅行記「朝鮮紀行」にある李朝時代の描写にあるごとく、とんでもない国であったのが本当の姿であったようだ。つまり、半分は自ら招いた悲劇なのだ)、恐怖感を持っているし、アメリカですら日本に対しては「ある種の恐怖感」を持っている。「放っておくと、いつの間にか、自分たちのお株を奪って、組織的に動く日本にしてやられてしまう」、という恐怖感である。 だから、両大国は、どこかで、日本が憲法改正の上、核武装を含む自主独立の道を封じ、平和な経済活動という点に於いても、手を結んで、「出る杭」(日本)を抑え続ける戦略を取る可能性が大きいと思う。特に、中国は、あらゆる国際的な場面で日本の足を引っ張る戦略を取り続けるであろう。 すさまじい嫉妬、つまり、彼らの劣等感とプライドの為せる行為である。アメリカにしても、日本を、対中国に対する最後の「切り札」「奥の手」としてのオプションの余地を残したいのだ。いざとなったら自閉して、自給自足が可能な両大国はもともと、自分勝手な国で、他所の小国など本音ではどうでもいいのであって、自由貿易による経済繁栄が唯一の生きる道である通商国家日本とはもともと性格が違い、お互い同士、むしろ類似点が多いのだ。アメリカが自由貿易の守護神となったのは1945年以降である。

中国の実態についてだが、普通の中国人は、中国人である前に、北京人、上海人、広東人、福建人、客家、台湾人であることが自己アイデンティティであるそうだ。 中国語とは、中国では普通語(標準語)と言い、学校で習得する外国語なのだそうだ。彼らの日常語は、北京語、広東語、上海語、客家後、台湾語であり、ヨーロッパで言えば、英語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語と同じかもっと差がある言語だそうだ。お互いにまったく通じない。 学校で学ぶ標準語・普通語は、ヨーロッパで言えば、「限りなく英語に近い改良したエスペラント語」といった位置付けになろうか。 中国では「方言」というが、当事者にとっては国語であり、他方言は外国語のことなのだ。 上海人にとって、北京人と日本人はおなじ外国人であり、漢字を使用するから中国人(日本人は不完全な中国人)という理屈である。 こうすると、何故、ベトナムや北朝鮮、韓国が漢字を廃止したかが良く分かる。漢字を使い続ければ、中国人にされてしまうのだ。

中国という概念は、しいて比較すれば、ヨーロッパと概念レベルと同じである。EU諸国に相当するのが現在の中国であり、韓国、日本は域外の国なのである。

ということで、中国という国、あるいは中国人とは何か、というのが日本人にとって理解が難しいのは当然で、ヨーロッパとは何か、についてすぐには答えられないのと同じである。又、「中国問題」で厄介なのは、現在の国境である。歴史的無知が原因だ。それは、清朝=中国と理解する「誤解」から始まっている。清朝は中国ではなかった!!! 清朝は、満州族の当主が清という王朝を建てて、万里の長城以南(明の範囲)では中国の皇帝として君臨し、長城以北の満洲(彼らの故郷)においては部族連合の部族長として君臨し、モンゴルに対しては、ハーンとして君臨し、チベットに対しては、チベット仏教の保護者として、君臨したというのが真相であった。ヨーロッパの概念で言う「同君連合」だそうだ(ハプスブルク帝国のように、一人の皇帝が複数の国の長として君臨する統治方法)。中国は清朝の植民地の1つであったわけで、モンゴルやチベットを領土にしたことなど無いのだ。中華民国・中華人民共和国は、清朝の領土を継承したと称しているが、武力で乗取ったというのが真実に近い。

以上は、歴史家・岡田英弘氏の著書を片っ端から読破して、理解した中国理解のポイントである。京大・東洋史学の泰斗宮崎市定氏や貝塚茂樹氏の著作にはずいぶん親しんだが、うっそうと生い茂る中国史の事実の靄の中で、本質がなかなか見えなかったが、岡田氏の本を読んで、目から鱗の体験をした。 岡田氏は、アメリカに留学する前に、漢文資料を片っ端から漁り、中国史を分かっていたつもりだったらしいが、アメリカで中国研究者(中国人も含む)と交流することで、自分は何も理解していなかった、ということに気づいたという。 

100年以上前に、アメリカの宣教師が中国人について書いた本が今でも読まれているそうだが、最近入手した。「Chinese Characteristics」(Arthur Smith著)である。この夏休みは、じっくりこれを読んでみようかと思う。 

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