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2006年9月26日 (火)

強烈な人 「田中清玄自伝」

本人の筆になる自伝ではない。ジャーナリストがインタビューを行い膨大な証言からまとめられた、田中清玄氏の波乱万丈の記録である。私が読んだ自伝の類では、まれに見る傑作である。とにかく話が面白い。

明治維新で敗れた没落会津藩士の家に生まれ、青森を経て函館で育つ。当時の函館は、海外に開けたばかりのモダンな町だったらしい。ロシア正教の教会もある。旧制弘前高校では共産主義思想にふれマルクスボーイとなる。東大に進学して活動を続けるが、忽ち特高に検挙・監獄に収監される。誇り高き会津藩の母は、これを恥として自決する。田中にとっては、これが全ての原因ではないにしても、出所を許され禅師のもとに身を寄せながら、改心する。いわゆる転向である。

親の財産を元手に、土建屋請負で財をなすと、戦後は政界のフィクサーとして活動を始める。私には、児玉誉士男や笹川良一らと何が違うのか、この本を読むまではよく知らなかった。武士の末裔としての自覚からか、自分はかれら成り上がりチンピラヤクザとは違うんだという、「プライド」をもち、彼らとは常に一線を画して生きてきたきたという。同じ右翼でも、獄中で出会った橘孝三郎(農本主義者として「愛郷塾」を水戸市郊外に設立。 5.15事件の首謀者。因みに、評論家の立花隆は彼の甥に当たる)を、本当の右翼と敬愛していたという。

戦後は、マルクスボーイ時代に培った人脈を見込まれアメリカ進駐軍の諜報活動に従事する。いわゆるCIAのスパイとなり、対ソ連共産主義の諜報である。 読んでいて一番スリリングだったのは、このくだりである。

戦前、東大新人会(マルクス・ボイーズの巣窟)に籍を置いて地下活動をやっていた当時のモスクワのコミンテルンから東京に派遣されれてきたソ連大使館員のスパイ(女性)が、戦後になって田中氏にコンタクトしてくる。共産側も当然再度のリクルート活動をしかけて来たのだろう。

田中氏の例は氷山の一角であり、どれだけの左翼転向者がどちらかのスパイになりすまし、カウンター・インテリジェンス(二重スパイ)をやっていたのだろうか? 田中氏がスターリンに疑義を覚えるのは、自分たちを指導する(オルグする)モスクワから派遣される人間が、出世してモスクワに帰ると次々と姿を消す指摘である。これは、のちに明らかになったスターリンによる惨憺たる大粛清劇で犠牲になった人たちである。

朝鮮戦争の経緯もソ連の崩壊とともに、北側がスターリンに了解を取って仕掛けたことが今日判明しているが、田中は、モスクワから派遣されたスパイとのやり取りから、察知し、当時の吉田茂首相に情報をもたらしている。吉田からアメリカ側に伝えたらしいが、アメリカ側、最後まで相手にしなかったようだ。

マルクス主義転向者が、何故に土建屋業で財をなし、戦後は政界の黒幕としてのし上がって行けたのか、このあたりの事情ははよく分からない。毛並みのよさはともかくとして、本人は痩身で強そうには見えないが、喧嘩は、子供のころから滅法強かったと言う。強かったのは、体だけではなく、「意思」「信念」の強さ、つまり今日の日本人が忘れてしまった
「気骨」のあるサムライという姿が浮かび上がってくる。

安保闘争当時は、新左翼に近づき資金援助するが、これは自民党の吉田派が行った岸内閣打倒劇である。新左翼は代々木系・正統派共産主義を批判する同じ共産主義を奉ずるセクトであるが、共産主義を内部分裂させるアメリカおよび日本保守派の巧妙な意図が、CIAの資金を流し込んで行った反米闘争なのではないか? このあたりは、冷戦終了後、アメリカで続々と公開されるCIA文書をもとに書かれた共同通信社の記者が書いた「CIA対日工作」ではからくも、明らかになった。田中清玄氏は、l児玉誉士男が放った刺客に命を狙われ、被弾するも命を取り留めたりするが、児玉氏は何を隠そう、岸信介の懐刀であった。

余談だが、とっくに冷戦が終了し、歴史の見直しが可能になった21世紀の今日から振り返ると、1960年安保というのは、正に茶番劇であったと言えないか。 なぜなら、同じ自由民主党の中で、党人派=鳩山派 対 官僚派=吉田派の権力闘争とその妥協の産物であったからだ。吉田派はCIAの資金を利用して、一方で安藤組傘下の右翼青年・チンピラを動員しつつ、もう一方で、反代々木系の新左翼にも金をばら撒き日本の左翼運動を分裂させるという巧妙な左右挟み撃ちをしたというのが真相ではなかったか?

田中氏の人脈で驚かされるのはその幅の広さである。暴力団安藤組の組長との交流を始め、世界的経済学者のフリードリッヒ・ハイエク教授*** 注参照 との交流、(京都大学の今西錦司氏との対談をセットしたりもした)、はたまた、アラブの王族たちとの付き合いなど、並みの日本人ではない。田中角栄のことを聞かれてのコメントが面白い:

「彼は偉大な政治家だが、生まれは百姓である。私は、武士の末裔である」。

明治維新とともに武士階級は滅んだが、この強烈な自覚こそは、胡散臭く見られがちな政界のフィクサーでありながら、戦後の「成金・拝金主義」が跋扈する世相のなかで凛として、「ノブレス・オブリージェ」を全うした本物の日本人サムライであったのかも知れない。少なくとも本人はそう自覚していたに違いない。

いずれにしても、下手なスパイ小説より断然面白い自伝であり、且つ又、戦後日本の政治の実相が伺い知れる時代に対する貴重な政治的証言となっている。皆さんに是非一読を薦めたい好著である。

注)
***
ハイエク教授
オーストリアはウィーンの出身の経済学者。
ユダヤ系であった為、ナチスによるドイツ併合とともに、ロンドンへ亡命。ロンドン大学経済学部で教え、戦後は、アメリカのシカゴ大学に移る。自身、ノベール経済学賞をもらっているが、教え子には、同じくノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンがいる。

日本では、アメリカのベストはハーバード大学というイメージがあるが、ハーバードはリベラル派のトップ。 一方、シカゴ大学は保守派のトップ大学である。したがって、ケインズの流れを組むハーバードとは一線を画し、反ケインズ派でレーガン政権時代に主流となるマネタリストを多く生み出している。言ってみれば、共和党のブレインを多く輩出している。亡命ドイツ系ユダヤ学者が多く活躍しているのも特徴(ハイデッガーの不倫でも話題を撒いたハンナ・アーレント、レオ・ストラウスなど。 レオ・ストラウスはアリストテレス学者で、弟子には「アメリカ精神の終焉」を書いたアラン・ブルーム、その弟子が、冷戦終了直後「歴史の終焉と最後の人間」という世界的ベストセラーを書いたフランシス・フクヤマ氏である)

ハイエク氏は、ケインズより1世代若いが、戦前からライバルと目され、ケインズ経済学が全盛時代にあって、「隷従の道」を著し社会主義的計画経済を批判(ファシズムも国家社会主義として批判している)し、終始一貫して、イギリスの伝統である自由主義派であった。晩年は、ヨーロッパに戻り、フライブルク大学教授。又、モンペルラン・ササエティーの
会長も務めた。 田中氏は、ハイエク氏のノーベル賞を受賞式に招待され晩餐会のテーブルで同席の栄誉を得たという。日本人としては稀有な
ことではないだろうか?

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コメント

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トラックバックに失敗したので直接urlを貼っちゃいます。私も「田中清玄自伝」を読み感銘を受けたので、このエントリを読んで嬉しくなってしまいました。

自伝の中でも、氏素姓にこだわった発言がかなりありましたよね。

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