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2006年9月16日 (土)

映画「悲情城市」と台湾

この映画を見るのは3度目ある。1990年代にレンタルビデオで2回、そして今回DVDを購入して3回目となった。やっぱり、何度見ても、いい映画だなあと思う。日本人の描かれ方も、中国本土とは違って、絶対悪としての対象では描かれていないのがうれしい。描かれ方に違和感がない。

舞台は大東亜戦争で日本が敗戦した直後の台湾(中華民国)。日本には2.26事件というのがあったが、台湾には19472.28事件というのがあった。日本敗戦からこの映画は始まる。

日本人が戦争で敗れ、桜が散るように去っていくと、今度は、蒋介石の中華民国の軍隊がやってきた。やっと、日本帝国主義から開放されたと思ったら、今度は、大陸本土から、威張り腐った割には、ぼろ雑巾のようなみすぼらし身なりの国民党軍がやってきた。最初は、これで台湾は良くなるだろうと皆が漠然と思っていたら、国民党軍は、とんでもない奴らだった。 これじゃ、民意を失い、共産党軍に追い出されても仕方が無いくらいだった。台湾人にとって、犬(日本)が去って豚(中華民国)がやってきただけだった。 およそ近代国民国家制度と無縁にして、秩序そのものがない中国大陸の慣習が持ち込まれた台湾住民は、卒倒した。 これなら、まだ、日本時代のほうが、抑圧はあったけど、まだましだった。

戦後の混乱のなかで、国民党軍は中国本土からの密輸物資を垂れ流して大もうけしていた。 たまたま、密輸タバコを街頭で売っていた地元民が密輸・闇物資の取り締まりの揉め事の際に殺された(大元の国民党軍の悪を罰せず、とかげの尻尾きりよろしく、弱者が犠牲になった)ことがきっかけになって、台湾全土で暴動が発生した。 大陸で内戦を戦っていた蒋介石は、国民党派遣軍の陳儀将軍に徹底した弾圧を命じた。 死者・行方不明の数は数万人にも及び、未だ、その真相は明らかにされていない。映画では、そのあたりの悲劇的経緯をある家族を中心にその人間模様通して、淡々と描いている。

台湾とは何か? 台湾語という土着の言葉があるそうだが、国民としてのアイデンティティを作ったのは皮肉なことに日本らしい。歴史的には、隋だか唐のころの中国の文献に小琉球だか大琉球という名前で出ていたらしいが、もともとは、高砂族などの太平洋島嶼民と同じ民族が住んでいた島らしい。地理的に中国大陸に近く、明から清朝時代にかけては、海賊の基地になったり、人口爆発(清朝になって始めて、中国の人口は1億を超えて、4億まで増えた)に伴う窮乏化で、対岸の福建省から多数の流民が入り込んだ。ポルトガルやスペイン、そしてオランダもやってきた。西洋に発する主権国家なる概念がもともとなかった東アジアでは、まさに、帰属はあいまいな島だった。

19世紀にはいって西洋帝国主義諸国が砲艦外交でアジアを次々に植民地化していくなかで、日本が日清戦争の結果、台湾を清朝から割譲し、植民地にしたが、それまで、そこは清朝も化外の地としていたくらい蒙昧な地域だった。

台湾人が国民として意識し始めたのは、日本語という強制された国語と近代化政策(社会インフラの設置と教育制度の確立)だったらしい。 もともと土着の南方ポリネシア系の住民や、福建省から移り住んだ福建人(福建語を話す)や、客家(客家後を話す)などが混在して、統一言語などなかった状況に初めて共通言語をもたらし、国民意識を作ったのは日本だった! 日本語を強制されて日本語を通して、彼らは、台湾人というアイデンティティを作ったのだそうだ。

台湾人(中国人という胡散臭い言葉は使いたくない)達にとっては、日本植民地時代も差別されて嫌だったけれど、蒋介石の中華民国はもっと酷かった。 戦後の中華民国政府によって、台湾人達は、日本語が禁止されると同時に、台湾の本来の土着の言語である台湾語は禁止され(家庭の中や外で遊ぶときや使用されていた)、学校ではいわゆる「普通語」(北京官話)が国語として教えられた。 

2.28事件をきっかけに敷かれた戒厳令は、冷戦期間を通じて、1980年代後半まで続けられたようで、その間、蒋介石の息子の政権から李登輝に引導が渡され、1990年代の歴史的な大統領選挙(中国の歴史上初めて、首長が選挙で選ばれた! 台湾は中国ではないという人もいるだろうから、中国史上初めてというのは???かも知れないが)が行われ、客家にして台湾人としてのアイデンティティを持つ李登輝大統領の時代を迎え、選挙で国民党を破った民進党がその後与党となり、台湾人の政権が誕生した。

私にとっての台湾の記憶は、19862月に仕事で旅行したときの台北だけである。未見だが、「さようなら再見」という傑作台湾映画で描かれているパターンで旅行したのだった。 映画というと、ヨーロッパやアメリカ一辺倒で見てきたのだが、アジア各地でも良い映画が続々と出来ていることは、評論家の佐藤忠男氏の紹介でいろいろ勉強し機会があれば出来るだけ見るように心がけている。 

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