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2006年10月31日 (火)

靖国神社に行ってきた!

仕事が一段落して、昨日、今日と休みを取った。 年老いた両親は父が80歳、母が75歳。 今年の冬に、九州旅行に一緒に行こうと思っていたのだが、母が病で倒れて、願いは叶わなかった。 

そこうするうちに、母は全快したものの、自宅療養、私は、偶然にも地元で職が見つかり、勤め始めて半年が経ってしまった。 前の会社を辞めるとき、旅行券をもらったのに、期限切れ直前と気づいて、あわてての東京一泊旅行であった。

もう、東京で見るものはない、と言う父だが、中国・韓国ともめている靖国神社にはちょっと言ってみたいナの一言で決まった。 実は、私も、九段下をうろうろしたことはあっても、意識的に避けてきて、鳥居を見ただけで中を見たことはないのだ。

上野から地下鉄を乗り継いで11時前に到着した。 九段坂をとことこ歩いて、鳥居をくぐり、大村益次郎の銅像をうろうろした後、ゆっくり歩きながら本殿にたどり着いた。 平和な風景である。 韓国人の団体がグループ写真を撮っているかと思うと、どこかの企業研修であろうか、リクルートルックの若者達の団体もあった。

お賽銭を入れて、平和を祈り、神社の方に親子スリーショットの写真シャッターを押してもらって、それから、問題の遊就館を見学した。 入場料は大人一人800円で安くはない。

日本古代から始まって、日本人の心、大和言葉で歌われた和歌と一緒に日本の武具が展示してある。 鎌倉、室町、江戸と続いて、幕末・戊辰戦争・明治維新、西南戦争、日清戦争、北進事変(義和団事件)、日露戦争、満州事変、日支事変、太平洋戦争と続く。 最後は、太平洋戦争で日本の為に命を捧げて散って行った軍人の写真、名前が壁という壁に展示されていて、圧倒される。 戦争の悲劇に思いを馳せて、うなだれてしまう。 つい60数年前のあの激しい憎しみと戦いは一体なんだったのだろうか? 日本人・日本史から見た戦争博物館というものかも知れない。 イギリスはロンドンに大英帝国戦争博物館なるものがある。 私は、ロンドンに数年住んでいたが、残念ながら、ロンドンの戦争博物館を見損ねている。

たままた、PHP新書で出たばかりのイギリスのジャーナリストで著名なビル・エモット氏の「これからの10年、新黄金時代の日本」というのを読みかけていて、靖国神社の「遊就館」と南京の「大虐殺の館」を考える、という章を読んだばかりでもあった。

同氏は、最近、この靖国神社(遊就館)と南京大虐殺館の両方に足を運んで取材もしたらしい。 2005年、ロンドンで同氏は、大英帝国戦争博物館でアラビアのロレンス特別展が開かれる中、エコノミストと日頃から関係の深い高位高官関係筋を招待してカクテル・パーティをしたらしい。 かつての敵国のドイツ大使も来たし、イギリスの植民地として激しい搾取にあえいだインドの大使も来たという。 エモット氏は、別に両大使から異論は唱えられなかったが、日本の靖国神社や南京の大虐殺館では、このようなイベントは不可能であろう。 何故かと問う。 同氏はポーランドのアウシュビッツ博物館(世界遺産になっている)と併せてこの3つは「未解決の歴史を記念している」ように感じると言っている。 一方、大英帝国戦争博物館は、「現在ではなく過去の歴史に捧げられている」と言う。 アウシュビッツ、南京、靖国のそれぞれの博物館は、過去をテーマにしているが、現今の人の考え方に影響を与えるために利用されている、という。

大英帝国博物館について、イギリスの場合の帝国主義が、免罪になってるようなエモット氏の解釈がなりたつかどうかは疑問だと思う。

ユダヤ人問題については、日本人として差し迫った問題として意識しにくく、本質を理解するのがむつかしい。 大体、日本人にユダヤ差別など存在しないと思う。 むしろ、中近東の状況を見ていると、ヨーロッパであれだけいじめられたユダヤ人がなぜにあのように、アラブ人を虐げるのか? アメリカが肩入れして、やり過ぎじゃないか、とすら私には思える。 

日中の確執についてだが、同氏は、南京の30万虐殺という数字が、当の中国人学者も首をかしげていて、躊躇していること、又、アメリカのアイリス・チャンの銅像がたっていたりして、明らかな政治宣伝の道具であることを指摘して、日中の学者が歩み寄って本当のところを突き止めるべきだし、靖国の「遊就館」のいわゆる、日本史の見直し(太平洋戦争敗戦後の東京裁判に関しては、インド人パール判事の無罪論を大きく訴えて、極東軍事裁判の不当性を主張している)についても、苦言を呈している。 

日本人として、南京については、同氏のコメントに同感である。 一方、靖国の「遊就館」の歴史解釈の見直しに関してはどうだろうか? 日本の国論は分かれるのではないだろうか? 講和条約を受け入れたということは、東京裁判を肯定しているのだから、東京裁判否定は、すなわち、戦後の日本が存続した講和以後の体制を否定することになる、という人もいる。 両親などは、敗戦以前、明治以降から1945年までの歴史は、日本が悪である、というコミンテルン・テーゼそのままに、素朴に信じているようである。 

靖国神社見学後、タクシーで築地に移動して、おいしい寿司を食べ終わって、ひとしきり、昔の話をした。 小学生の頃、東京見物に来たこと。 浅草、上野公園、 秋葉原の交通博物館、東京タワー、 中学生のころ、テニスの全国大会に出場してプレーしたのは、今も残る日比谷公園のテニスコートだった、などなど。 そして、靖国の話になった。 「海ゆかば・・・・・」 海軍の歌だが、この原作者が、大伴家持であることを私も含めて3人とも知らなかったことで大笑いした。 

東京裁判史観と言われる、現在の歴史の見直し、ということについてだが、私が、明治維新から、日清戦争、日露戦争というのは決して日本がひとり「悪」を背負うものではないこと、満州事変・日中戦争だって、現在では、考え方として、蒋介石率いる国民党軍と日本帝国軍を戦わせて、漁夫の利を得る、ソ連・スターリンと毛沢東率いる中国共産党の謀略が本質だった、という考えもあるという話をしたら、両親は押し黙ってしまったままうなずくだけだった。 かく言う私は、歴史には正しさなぞない、というニヒリストである。 勝てば官軍、ということだろうか。 イギリス・アメリカ アングロサクソン連合軍が第二次世界大戦の勝者であったが、結果的に良かったと思っている一方で、日本があのような悲劇的な戦いをしたことが、間違っているとも思わない。 日本が意図する・意図しなかったに関係なく、日本は19世紀から20世紀にかけて、世界史の中で光芒を放ち、アジアを開放したことは間違いのない事実である、と思っている。 アングロサクソンにあれほど盾突いたドイツにも敬意を感じている。ヒトラーは余計だったが。 戦後、奇跡の復興を果たしたのはドイツであり、日本である。戦勝国のイギリスもフランスも中国も、或る意味で敗戦国でもあったのだ。 

しかし、歴史は勝者の歴史であることも事実である。 そして、歴史はここ300年近くずーっと勝者であり続けたイギリス・アメリカというアングロサクソンの言語・論理が正しいのである。 日本人にとっては悔しいことであるが、日本人としてすべき当然の自己弁護は執拗にしていくべきではないか、というのが私の率直な考えである。

2006年10月22日 (日)

アオジがやって来た!

仕事が一段落してホッとした今朝、6時半から2時間ちかく、近くの小川と雑木林を散策した。 夏鳥が姿を消しつつ、冬鳥の到来の季節である。

いつもの鳥たちを確認しながら、気づいたのはカケスの姿があちこちで見られたことだ。 今月始めにも3時間ほど散策したが、カケスの姿が濃いのにはびっくりした。 カケスは、カラスの仲間で、鳴き声は美しくないが、その姿はなかなかである。 以下をクリック:

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/karasu/kakesu.htm

なかなか、美しい姿だと思う。

小川沿いにセキレイ類(ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ)とサギ類(コサギとアオサギ)が随分いた。 特に、セグロセキレイがあちこちで囀って、その美しい囀りを聞かせてくれた。 一番最初にセグロセキレイの美しい囀りを聞いたのは、流山の田圃を歩いていた3年前の1月の午前11時ごろ。冬の快晴で風は冷たいが、太陽が真上にあって、気持ちよく散歩していたときだった。 突然、どこからともなく、チィジュイジュイ、と元気な囀りが聞こえてきて、魅せられてしまったことを昨日のことのように思い出す。今日は、そのセグロセキレイの囀りを至る所で楽しませてもらった。

セグロセキレイはこんな鳥です 

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/sekirei/segurosekirei.htm

やがて、雑木林に到着。縁は、小さな池になっていて、葦が茂っている。 コサギがじっと佇んでいる。 コガモもやってきている。 雑木林の縁では、ウグイスの地鳴きがところどころで聞こえる。ジャ、ジャ、ジャッという独特の声だ。 時折、ケキョケキョケキョと谷渡りと言われる鳴き声が混じる。 

雑木林沿いをしばらく歩いた。 モズの高鳴きがあちこちでする。 1度など、モズの物まねも聞いた。 どうもヒヨドリのピーヨ、ピーヨを盛んに真似しているようだ。 

そして、アオジの地鳴きを今秋、始めて聞いた。 ジッ、ジッと数は少ないが、笹の茂みの中に何羽かいるようだ。 秋が深まる丁度今頃やってくるのが冬を告げるアオジだ。 今年の春は、アオジの美しい囀りを何度きいただろうか? 美しいソプラノである。 インターネットとはとても便利だ。 検索して探したら、アオジの囀りをアップしているサイトを見つけた。 

ここをクリックしてください。

http://www.birdlistening.com/home/bird/aoji.htm

最初の囀りはスキップ。 2番目の囀りと3番目の囀りが、アオジの囀りの特徴をよく伝えている。本当は、生の自然の中で聞くのが一番の贅沢で、その音感は、録音とは違う。 鈴の音がなるような、とても美しい囀りで何度聞いても飽きない。囀り始めるのは、ウグイスより遅く、3月終わり位から4月の半ばまで平地で囀り、その後は、高山に移動してしまうので、平地では聞くことが出来ない、季節限定。

2番目の囀りのバックには、ホトトギスの囀りも入いる。 「トッキョ キョカ キョク」と聞こえます。 おそらく、アオジに託卵をたくらむホトトギスではないだろうか? (託卵: ホトトギスは、オオヨシキリやホオジロやアオジなどに巣に自分の卵を産みつけて、彼らに子育てしてもらう)。

そして、アオジの姿は:

http://www.gt-works.com/yachoo/

まだまだ、美しい囀りを聞かせてくれるのは半年近く先のことであるが、アオジ達が平地に降りてきたということは、これから、秋が深まり、冬が到来する兆しである。

2006年10月21日 (土)

土曜日の夜の安堵

ここしばらく、ずーっと忙しかった。 イベントの担当責任者だったのだ。 4月に新しい職場に入り、そのまま、すぐ担当させられた案件である。 そして、半年後の今日が、本番だった。 秒読みが始まった今週は半ば憂鬱、半ば、責任を全うしなければという気合のせめぎ合いであった。 慣れない職場でもあり、緊張の連続であった。 

今朝は、さっぱりとした気持ちで職場に向かった。 夕方には結果が出ている。 笑っているか、それとも、とんでもない失敗で落ち込んでいるか? 

結果的には、前者で終わってほっとして、ひとりブログで呟いているのが、この土曜日夜20時過ぎである。 直前の緊張を引きずったまま、本番に突入、夢中になってあっというまの4時間であった。 始めての試みで、小さいところではいろいろ反省点があったが、ゲスト達は、大いに楽しんでいたようだ。 笑顔でわかる。 職場のトップの顔にも笑顔があった。 スタッフもアルバイトも皆、笑顔だった。 よかったぁ~。

イベントを担当するというのは本当に大変である。 一人では何も出来ない。組織を動かしながら、1つの目標に向かって成果を出すことが求められる。 緻密な頭脳に加えて、人を動かす力も必要だ。 何回やっても、特に、新しい案件を最初に実施するというのは、緊張を強いられ、神経をすり減らす。 

イベントの最たるものは、国家間の戦争であろう。 ここで、戦争を引き合いに出すのは突然な飛躍かも知れないが、 「戦争」こそは、イベントの中でも最たるものではないだろうか? それも、国家間の「命」を掛けたイベントである。人知の限りをつくしての戦いである。

たとえば、日本海海戦の東郷平八郎にしても、作戦参謀秋山真之にしても、日本という国家の命運をになって、バルチック艦隊を待ち受けた軍人たちのトップたちの神経のすり減らし方は、並みの人間には想像できない。 司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を読んだことがあるが、日露戦争で活躍した日本の軍事たちは、勝利したあと、みな次々と倒れて早死にしたらしい。

それを考えれば、平和時で、失敗しても命を落とすわけではない私の場合など、比較にはならない。 本気度が違うのだ。 と言えば、元も子もないなぁあ。 人間にとって最高のイベント「戦争」とは比較できないが、やはり、私にとっては、大きな緊張を強いられる仕事だったし、無事成功裏に終了して、満足感というか、終わった後の虚無感となんとも言えない恍惚感がある。 これを、人は「充実感」と言うのだろうか?

 

明日は、久しぶりのバードウォッチングに出かけよう!

2006年10月17日 (火)

野鳥との出会い~そっくりさんのツーショット「タシギ」と「ヤマシギ」

シギ類は苦手な鳥である。 苦手というのは、観察してもなかなか見分けがつかないか、なかなか観察できないか、どちらかである。 私は、いわゆる、オーソドックスな?バードウォッチャーではないのだ。 とにかく、歩き回ってこちらから野鳥を探しに行く。 いろいろ聞くと、スポットを見つけて、じっと、待つことも大事なことらしいのだが、とにかく、私は健康目的もあって、歩いて、歩いて、歩いてしまう。

冬場の寒い頃、千葉の流山界隈の田んぼや小川や湿地帯などをあてずっぽうに歩いていると、時折、足元からジェッといきなり声を出して逃げて行く鳥に良く出会ったものだ。 兎に角、逃げ足が速く、あっという間に、遠くへ飛び去って姿を消ししまうのだ。 また、しばらく歩いていくと、また、いきなり足元からジェッと逃げ去るのだ。 この繰り返し。 まともに、この野鳥の姿をじっくりと双眼鏡で観察できたためしがないのだ。 一度でいいから、じっくりと見てみたいものだといつも思う。 飛び去る姿とその様子から、タシギだということは大体想像がついているのだが。

2004年の2月の頃だったともう。 北小金の坂川や流山の雑木林をほっつき歩いていたある日、いつもの通り、高台の坂をあがり、春先はホオジロがよく囀ってたなあ、とソングポストを見やりながら、畑地を右手に歩いて、小さな雑木林を抜けようと薄暗い小道に差しかかった時、左手から右手の雑木林の茂みに鳥の姿がすーっと走った。 何だ!何だ! 早速、目線で追いかけ、逃げ込んだ近くを徘徊すると、一羽の鳥が佇んでいる。 新しい種との出会いか? 心臓が高鳴る。 双眼鏡で覗くと、ヤヤヤヤヤーッ! シギの仲間の鳥だゾ! タシギがこんなところにいるなんて? 図鑑でしか見たことはないタシギにそっくりなのだ!  雑木林にタシギ? いぶかりながらも、その場に立ち尽くすこと10分あまり、じっくりと身動きひとつしないで、じーっと立ち尽くすシギ君を観察した。 なんとも言えない充実感があった。 くそ寒い冬、外には誰もいない。 空風が吹きすさぶそんな薄暗い雑木林の中に、童顔の中年男が、双眼鏡を抱えて、一羽のシギ君と対峙している。 なかなかの情景である。 

帰り道、何度も、シギ君の姿を反芻しながら、ほんわりとした気になって帰宅して、図鑑を覗いてみると、どうもタシギではなく、ヤマシギのようである。 しかし、タシギとヤマシギとどう区別するのか、よく分からない。 ちなみに、ヤフーの野鳥図鑑を見ると以下の如し:

タシギ

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/sigi/tasigi.htm

ヤマシギ

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/sigi/yamasigi.htm

それぞれの写真からだと、そんなに似てないな、と思われる方もいるかも知れないけれど、いやいや、実物はホントに似てるんですよ! 私の見たヤマシギは! それとも、タシギがたまたま雑木林にいたのか?

今年の冬も、自宅の近くの農地を歩いていて、やはり、いきなり足元からジェッと声を上げて逃げ去るタシギに何度か出会った。 そして、やはり、その姿はまだ、じっくりと観察できていない。 石の上にも10年の忍耐がないと、難しいのかも知れない。 ヤマシギは、雑木林を結構歩き回っている割には、2004年の冬の1回きりで、その後、まったく出会っていない。 たった1回きりのヤマシギである。 というか、ヤマシギにしてもタシギにしても、じっと観察したのは、ヤマシギだと思っている、例の流山の雑木林での1回だけなのであーる。

2006年10月15日 (日)

記憶に残るB級?名画 「黄色いロールスロイス」

確か、イタリアのリズ・オルトラーニ監督の1964年製作の映画だったと思う。 3部形式のオムニバス映画だ。 映画は一台のロールス・ロイスを巡る3つの「不倫」物語である。 

その2番目だったと思う。 ジョージ・C・スコットが扮するアメリカで大成功したイタリア系アメリカ人が、 愛人を伴って母国イタリアを旅行する物語である。 愛人役がシャーリー・マクレーン。 舞台は、イタリアのカプリ島。 エメラルドグリーンの地中海。 美しい青の洞窟。 ジョージ・C・スコットは、久しぶりの故郷イタリアで、愛人のマクレーンを観光に連れまわす。 イタリアの文化と故郷の誇り!  何故か、いらいらするマクレーン。 イタリアの名所旧跡を見せられて、マクレーンは、「柱の数が多すぎるわよ!」などと、ご機嫌斜めなのである。 

そこで、出会ったのが、地元の青年役で登場するアラン・ドロン。 早速、シャーリー・マクレーンを口説く。 ドロンの口説きがいい! そっと、囁く。 「君は美しい、特に左から見る横顔はとても!」  かくして、マクレーン嬢は、一時の恋に落ちる。 

女は皆イタリア男にくどかれ、そして、落ちる。 

このオムニバスの、次の物語、第3話に登場するイングリット・バーグマンも、イタリアのネオ・リアリズムの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督に落とされた。 

デビット・リーン監督描く傑作「旅情」でも、アメリカ人の売れ残りミスを演じるキャサリン・ヘプバーンもイタリア人ロッサノ・ブラッツィの前に落ちた。

ドロンとマクレーンの恋のバックには、なかなかいい曲が流れていた。 Let’s forget about Domani。 記憶危ういが、要は、明日のことなんか忘れて、今日、この今を楽しもう! ということではなかったか。 Domaniとはイタリア語で明日、英語のTomorrowのことである。

他の2つの物語はあまり記憶にないが何故かこのシーンだけは小生の記憶にいつまでも残っている。 「太陽がいっぱい」のドロンは、はまり役だったが、この映画のコメディタッチで登場したジゴロ風のドロンもお似合いだった。

最近、急にこの映画が見たくなって、中古ビデオとかDVDを探しているのだけれど、なかなか手に入らないのが残念だ。 

2006年10月13日 (金)

野鳥との出会い ~ イカル

アトリ科の仲間である。 よく見かける仲間にはシメというのがいる。 これは別の機会に紹介したいのだが、今回はイカルである。 早く出会いたいなあと思っていて、なかなか出会えなかった鳥がこのイカルである。

出会いは突然だった。 今年の五月の連休、御前山に出かけた。 風光明媚にして、野鳥観察にはもってこいのスポットである。 小学校時代に遠足に行って以来のことである。

キビタキ、オオルリの鳴き声を聞きながら、標高数百メートルの低い山を登った。 途中、シジュウカラ、ヤマガラなどにも出会いながら、山頂付近に近づいた。 キビタキが盛んに囀っているのだが、なかなかその姿が見えない。 こっそりとあたりをウロウロしながら、その姿を捉えようとするも、うまく行かず、やがてキビタキはどこかに飛んで行ってしまった。 がっかりの一言。 山頂の椅子に腰掛けて、しばらは、山の麓のすばらしい景色をぼーっとして眺めていた。

と、突然、少し大きめの、羽ばたくと白い班が目立つ野鳥がいきなり現れ、目の前10メートル先の一本の裸の木の天辺に止まったのだ。 そして、いきなり、囀り始めた。 いやぁ、驚いた。 始めて聞くさえずりだ。 ゆっくりと双眼鏡で覗くと、イカルである!!!

ものの本によると、その囀りを「お菊二十四」(オキクニジュウシ)と聞きなすそうだが、私にはそうは聞こえなかったが、ホオジロやムシクイやヒタキ類とは一味違う、美しい囀りにしばらくウットリとしてしまった。 キビタキを逃した落ち込みは十分取り戻した。

5分近く、たっぷりとイカルは目の前でその姿と囀りを聞かせてくれた。 残念ながら、少し自分が後ろに動いた瞬間に、イカルの目と私の目があって、イカルはあっという間に、麓を挟んだ向かいの山に飛び去った。

幸福感に包まれた私は、尾根伝いに歩く。 途中、ヒガラやエナガの声を聞き、まったく人気のない道を1時間は歩いただろうか? 麗しき5月のそよ風に吹かれながら、まったく人気のない山道と周辺の緑とさわやかな空気を満喫し、ウグイスやヤブサメ(ウグイスの仲間)の声を聞き、何度か、このイカルの美しい囀りをあちこちで聞いた。 そして、恍惚感に浸った。

やがて、お昼近くになった。 そろそろおしまいにするかぁ、と思って麓の出発点に戻る途中、ふたたび、キコキコキコという音に注意を引かれ目を見やると、イカルが2羽、3羽と飛んできて、目の前の川沿いにある立派な民家の大きな庭の木に止まって、また美しい囀りを聞かせてくれたのだった。 

イカルはこんな鳥です。

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/atori/ikaru.htm

アトリの仲間特有の怖い顔をしてますが、鳴き声は美しく、緑豊かな山であの囀りを聞くと、体全体に幸福感が漲ります! 

2006年10月12日 (木)

小さなキツツキ ~ コゲラ

野鳥とは、それぞれの出会いがある。 コゲラとの出会いも忘れがたい。 2003年の年の瀬も押し迫ったある日、前日の金曜日は友人と痛飲して、安ホテルに泊まってしまった。 二日酔いの土曜日、コーヒーを飲んで、帰宅する途中のことであった。

駅からぼーっとした頭で歩いていたら、禅寺の手前の民家の庭の柿の木のあたりから、突然ギィーッと聞きなれない声がして、足を止めた。 バードウォッチングを始めたばかりで、野鳥に限らず、木々や草地から漏れてくる音には非常に敏感に反応する習慣がついていた。

はて、何か? と思わず目を見やる。 なかなか目の焦点が合わないのだが、盛んにギィッ、ギィッと声がする。 よく見ると、小さなこげ茶色で白い斑点がある小鳥が、柿木の幹を盛んに上下に伝い歩いている! かと思うと枝に飛び移って、上下に忙しくまた動き回っている。 しばらく、見とれてしまった。 何という鳥だ? かわいい鳥だな・・・。

帰宅して、図鑑を調べると、コゲラだった。 日本一小さいキツツキ。 47年の人生で、一度も気づかなかったコゲラ。 ところが、一度、認識すると、このコゲラ、やたらにあちこちで出会うことに気づいた。 こんなにも、満ち溢れているのかぁと感動した。 繁殖力旺盛である。 どうもカラ類のシジュウカラと混じっていることが多い。 特に冬場は。

双眼鏡を持って、雑木林の縁や中を歩いていると、あちこちから、コゲラとシジュウカラの声が聞こえてくる。 ツーピィー、ツーピィー、ツーピィー(シジュウカラ)とギィッ、ギィッ(コゲラ)。 ぜんまい仕掛けのおもちゃのよなコゲラ。 なかなか、かわいいキツツキである。 時折、キョ、キョ、キョと声を上げながら木から木へと移るかと思うと、トロロ、トロロと木を突っつく音を出したりする(ドラミングと言う)。

なんとも、可愛らしい、チャーミングなキツツキであることよ。 1年中会える留鳥である。

コゲラはこんな鳥です:

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/kitutuki/kogera.htm

2006年10月11日 (水)

音の記憶 ~ グスタフ・マーラーの音楽

クラッシック音楽とは無縁な生活を送ってきた。 決して嫌いではない。 中学生のころは、クラッシックコンサートの時間があって、ベートーベンをよく聞いたものだ。 モーツァルトの曲も聴いたはずだった。 高校時代は、映画音楽とフォークに凝り、大学に入るとロックだ。 やがて、会社に入ると、ひたすら、仕事に没頭して、音楽なんて・・・・・・。

バブル景気真っ盛りの頃。 或る日、確か、小雨が降る冬のことだったと思う。 吉祥寺の街をぶらぶら歩いていたら、マーラーの交響曲5番のあの有名なアダージョのメロディーが突然耳に入ってきた。 足が止まってしまった。 小林秀雄氏が、大阪の道頓堀だかどこか知らないが、モーツァルトの音楽に出会ったように! 

実は、学生のこと、池袋の文芸座地下で、一度ならずこの音楽は聴いていた。 ルキノ・ビスコンティ監督の傑作「ベニスに死す」で効果的に使われていたのは、このマーラーのアダージョだった。 当時は、こんな、映画を理解する能力に欠けていたのか、心地よいけだるい音楽に身をゆだねて、途中で眠ってしまったのだ。 妙に心を揺さぶる音楽だなという印象だけで、映画の主人公は、何故あんな少年に夢中になるのか、理解しがたい思いを抱いたものだった。 それっきり、忘れていたのだった。

それが、突然、吉祥寺の街で、再び鮮やかに蘇ってきたのだった。 躊躇することなく、CDを購入して、その日からマーラーを聞きまくった。 交響曲の1番から9番まで、ズービン・メータ、シノーポリ、バーンスタイン、テンシュテット、ブルーノ・ワルター、ゲオルグ・ショルティなど何でも聞いた。 歌曲も聴いたし、サントリーの宣伝で当時使われていた「大地の歌」(ドイツ語はDas Lied von der Erdeで本来は、この世=現生の歌というのが正しい訳だ)を何度聞いたことだろう。

悪妻と言われた?マーラーの美女妻アルマ・マーラーの回想録や、イギリスの鬼才ケン・ラッセル監督の映画「マーラー」も見たし、柴田南男著「グスタフ・マーラー」(岩波新書)も読んだのだった。

とにかく、マーラーに凝りに凝った。

そして、ある日、ぱったりと、マーラーを聞かなくなった。 何だったのだろうか? あの、入れ込み振りは? 実家の押入れの中に、大切に仕舞ってあるのだが、この数年、指一本触れていないし、音を再生していない。 このプッツン振りをどう説明したら言いのだろうか? 

2006年10月10日 (火)

音の記憶 ~ エリック・サティーの音楽

こんな、しゃれた音楽があるのだろうか? 初めて聞いたのはオランダはアムステルダム。 それも、彼女!の部屋である。 友人と二人で日本食レストランの人から紹介されてしばらく付き合った女の子である。 我々男二人との三角関係の付き合いだった。ブティックで働くキュートな女性だった。名前はアレクサンドラと言った。確か、エボニーという犬と一緒に住んでいた。

ある日、夕食に招待してくれた。 我々男二人に合わせて、彼女はもう一人ガールフレンドを呼んでくれた。 22の会食。 花束を持って、彼女のアパートへ。 我々男二人は、ドキドキしながら、階段を上がっていった。 

部屋は、ロウソクが灯され、なんとも言えないロマンチックな雰囲気だった。 紹介されたダニエラは、びっくりするほど超美人だった。 我々は舞上がってしまった。早いペースで、ビールを飲み、ワインを飲み、酔った。 肝心の何を喋って、何を食べたのか、さっぱり覚えていない。 食後、コーヒーを飲みながら、ふと、皆が無口になっていて、背景に流れている音楽が妙に心に染み入った。 

何という音楽ですか? と聞いてみると、アレクサンドラは、フランスの作曲家 エリック・サティーよ、と教えてくれたのだった。 

しばらくして、私達は、日本へ帰国した。 翌年の夏、彼女は、日本に遊びに来た。 3週間近い休暇でやってきたのだ。 日光、鎌倉、箱根、高山、金沢、福井、京都、鳥羽などを周遊して、最後は、私のアパートにも一週間泊まっていった。アムステルダム時代の友人もやってきて、この時は、またまた三角関係が復活しての奇妙な同居だった。

しばらくは文通が続いた。 1度出張でアムステルダムに寄ったときも再会して、会食をしたりもした。 やがて、時が経ち、音信不通になってしまった。 時は日本がバブル景気で真っ盛りのことだった。 世間は沸きかえっていたが、私は、満ち足りなさを感じて、禅に興味を持ったり、ヨガに凝ったり、哲学書を読み漁ったりした日々だった。 

週末の深夜、静かな住宅街にある部屋で、何者にもとらわれず自由な想念に身をゆだねながら、サティの音楽を聴いていると、何故か苦々しさとなつかしさの入り混じった整理のつかない感情に襲われる。

2006年10月 9日 (月)

私の「世界カタコト辞典」から ~ その1

私の「世界カタコト辞典」より

Ich habe Schnupfen (ドイツ語で、「私は鼻かぜをひいている」の意味)

Handle so, dass die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten koenne

(ご存知、哲学者カントの実践理性批判より、有名な「定言命法」で、「あなたの意志の格律(die Maxime deines Willens)がつねに同時に普遍的立法として妥当するように行為せよ」という意味 - ウィキペディアフリー百科事典より)

二十歳のころドイツでいろいろな人と出会って自分の世界が広がったことは、8月のブログで書いた。 その翌年の大学4年生の時、ドイツから、学生、一般のサラリーマンが、そのお返しということで、日独友好交流の為に、来日した。 そして、一人のドイツ人青年が私の実家の水戸に2週間ホームステイし、大学の友人たちと日光に出かけたり、京都・奈良に出かけたりしたのだった。

名前は、ミヒャエル君である。ドルトムント市出身。ドイツ文学と体育を専攻。金髪碧眼で美男ではないが、おお、これは確かに映画でも良く見る西欧の外人だというタイプであった。

高校1年の弟もカタコトの英語で、ちょうど、王貞治が現役でホームラン世界新記録を達成したころで、一生懸命そのことを説明していた。

母は、いろいろ食事に気を使ったりしていたが、心配することはなく、ミヒャエル君は、朝の魚の干物もぺろりと平らげ、旺盛な食欲と充分過ぎる位の日本文化への適応振りを示し、我が家あげての歓待を受けたのである。

父などは、ヒトラーは偉大な政治家であった、などと見当はずれなドイツ礼賛をする始末であった。

ある真夏日の1日、那珂湊に住む叔父夫婦に一日招待され、2人で自転車でサイクリングを楽しみながら遊びに行った。

学校の教師をしている叔父夫婦の温かい昼食の歓待を受け、小生のよれよれの通訳でも話は大変盛りあがり、一段落してから、叔父に連れられて、付近を散歩した。平磯海岸で始めてミヒャエル君は太平洋を見て感激していた。その後、地元のお寺の住職さんを訪ねた。叔父の紹介によると、当の住職氏は、戦前の京都帝大の西田幾多郎門下生で哲学科で勉強しらしい。

住職さんは、ドイツからの青年を見て、昔学んだというドイツ語の本をどこからか持ってこられた。 かび臭く、ほこりを被っている。 昔学んだドイツ語の哲学書である。 埃に咽ながら、いきなり、甲高い声で、Ich habe Schupfen (ドイツ語で「私は鼻かぜをひいている」という意味)と言い、それから上記の文章を空んじられたのである。

ん!? 我々は、鼻風邪をひいているというのはわかったが、その後はさっぱりわからない。 カントの有名な文句らしい。 そういえば、大学のオーストリア人の先生の授業のテキストの中にあったあったような気がする。

我々は、いたく感銘を受け、何度もIch habe Schupfenを連発する住職氏に親しみを感じたものである。 そして、この言葉を、2人で何かあると、「Ich habe Schupfen」と呟き、大笑いした。 ただただ、周りの人間達は、怪訝そうに何故笑うのという顔をするのだったが。

2006年10月 8日 (日)

赤い鳥 - ベニマシコ

幸せを呼ぶ赤い鳥、かどうかは知らない。

関東では冬鳥として、枯れ草が生い茂る草原か、雑木林の縁とか、河川敷の草地などで見かける鳥だ。 フィ、フィ、フィフィフォという囀りとも地鳴きともつかない声で分かるが、出会う頻度となると、それほど多くはない。夏の繁殖の季節は北国(北海道方面)へ行ってしまうので、その美しい囀りはCD-ROMでしか聞いたことが無い。

一番最初に出会ったのは、確か、埼玉県の見沼だったと思う。芝川の土手沿いに2月の寒い朝、双眼鏡をぶら下げてぶらぶらと歩いていたときに出会った。 土手の枯れ草には、ホオジロ、オオジュリン、アオジ、モズ、カワラヒワ、ジョウビタキ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カシラダカ、シメ、ツグミ、アカハラなどなど、いつもの野鳥を確認しながら歩いていると、いつもと違う野鳥がいることに気づいた。 双眼鏡で覗くと表情が違う。立ち尽くして、何度も何度もその特徴を確認して、図鑑で見ると、どうも、ベニマシコのようだ。 しかし、全然赤くない。紅色ではない。 どうもメスのようだ。 その後、近くの調整池でも突然、目の前の草地から近くの小さな木に飛び移った小鳥がいて、これがまたメスのベニマシコであった。 双眼鏡でしげしげとその何とも言えない表情を眺めたものだ。

2006年冬、田舎に戻って、職探しをしていたある日、近くの川の河川敷を歩いていたら、フィ、フィ、フィフォとあの懐かしいベニマシコのいる様子。 残念ながら双眼鏡を持っていなかったので、確認できなかったが、10数羽の群れが餌を漁っていた。 間違いなくオスも居るはずなのに、そのときも赤い鳥、ベニマシコのオスを間近に見るのはお預けとなった。

この年の春のある日、毎日のように朝5時に起きて、3時間は近くの小川と雑木林をほっつき歩いた。 そして、又、聞いた。 あのフィ、フィ、フィフォ!!! しかし、またまたメスであった。 これが2~3度続いて、もう永遠に赤い鳥、ベニマシコのオスには会えないのかと諦めかけたある日、とうとう、念願が適った。 フィ、フィ、フィフォ。 心をときめかして、今度こそォ!!! 双眼鏡に入ってきた姿は、胸から腹にかけて薄い紅色をした正真正銘のベニマシコのオスだった。 しかも、カップル2組だ。 30分は立ち尽くして、二組のカップルのデートを観察した。 ああ、憧れのベニマシコ!!! 

ベニマシコはこんな鳥です →

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/atori/benimasiko.htm

バードウォッチャーのプロなら、何でこんなに興奮してぇ!と思うかもしれないが、こちは、ビギナークラス。 やっと出会えた、ベニマシコのオス。 その後、2度、3度と再会したが、4月に入り、姿を見なくなった。 北海道の方に、子育てをするため移動したのだろう。 

又、秋深まる頃には、越冬に戻ってくるだろう。 私だけが知っているこのベニマシコ探鳥スポットでまた再会することを楽しみにしている。

2006年10月 7日 (土)

ドイツ・ベネルクスの歴史を自己流に考える

昨夜からの続きで、今日は、ドイツ、ベネルクス(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)だ。

ドイツ語圏は、紀元後9年、同じフランク族でもローマ軍がアルミニウス(ドイツではヘルマンというそうだ)にトイトブルクの森(オランダ国境に近い、現在のOSNABRUECKの近くらしい)で殲滅されて、ライン河畔を防衛線にしたことから、ローマ化されなかったフランク人の末裔が現在のドイツ人ということになっている。 このゲルマンの各地に割拠する諸王達の有力な人たちが神聖ローマ皇帝になったようであるが(あってるかな)、意識としては、ローマ帝国を引き継いだということだったようだ。

ローマ帝国って、5世紀だかに崩壊とか世界史の本にあるけれど、当時の人たちとしては、そういう感覚はなかったらしい。 ローマ教皇が力を持ってローマ皇帝はいつのまにかいなくなり、代わってゲルマンの世俗王達が、各地にローマ文明を意識しながら割拠していたわけだ。

ちなみに、東ローマ帝国=ビザンチン帝国からオスマン帝国をへて生き延びた古代ギリシャ人の末裔たちは、近世に至るまで自分達をローマ人と意識し、自らを呼んでいたらしい。ギリシャ人という今日の意識は、19世紀になって初めて出てきた意識だという。 又、驚きなのは、ヨーロッパの由緒ある貴族の系図を辿っていくと、ローマ帝国時代の入植ゲルマン人郡団長(部族長)に繋がるという。

ウィーンとかケルンとかトリエとか古代ローマ文明と蛮地の境界の砦であった。ライン川とドナウ川が境界であった。 この未開なフランク人たちが、ローマ文明に触れて、教化を受け独自のドイツ性を発展させ、同じフランク族のフランスとは違ったアイデンティティを作りながら、現在の東欧からロシア方面に殖民していった。 ベルリンからモスクワの間も、基本的にはドイツ文化圏である。 フランス以西からすると、ローマ化しなかったゲルマンがドイツということ。 だから野蛮だと。 

その中で、ハプスブルク家はスイスの小さな所領から「数奇」な運命を背負って、中世から20世紀初頭まで、一時はスペインとも縁組して世界帝国まで築いたり、最後は、腐臭を放ちながら、19世紀末に最後の光芒を放ち、20世紀文明に多大な貢献をして、いまはその役割を終えて静かに、余生を生きている。 これが、今日のオーストリアである。 EUの経済の牽引車として、第2次世界大戦後、敗戦国でありながら日本と同様、経済力ではダントツなのがドイツである。 

スイスのドイツ語圏の人もオーストリア人もベルギーやルクセンブルクのドイツ語を話す人も、ドイツ語文化圏というのを共有している。 ドイツというのは、文化概念である。 国をまたがって文化圏が成立している。

日本語の「国籍」という言葉に相当するドイツ語にはStaatsangehoerigkeit(意味的には、国の所属)とNationalitaet(意味的には、民族性という意味。)の二つがあって、前者はスイス人、とかドイツ人とかオーストリア人ということ。 後者は、「ドイツ語文化圏所属」という意味である。 このあたりは、日本人には想像を絶する。 

ベネルクス諸国に言及すると、 スイス、フランスのブルゴーニュ地方、ルクセンブルク、ベルギー、オランダあたりは、もともとフランク王国が3兄弟に分配されたときの長男が受け継いだ土地で、歴史的には、現代のフランスとドイツ・オーストリアの間の勢力争いで翻弄されて来た地域で共通している。

1617世紀のオランダ独立戦争は、当時の支配者であった、ハプスブルク・スペインに対する戦争だった。反ハプスブルクだったフランス王(ルイ何世だったか)は、イギリス王と組んで、
オランダ独立を助ける。 当時、オランダはヨーロッパ一番の富裕な国だったらしい。 財源は、ニシンとフランドル地方(今のベルギー)の毛織物。 イギリス、フランスは後進国だった。 

オランダ絵画は富の絶頂にあった頃のオランダ市民(正確にはネーデルラント=現在のオランダ、ベルギー)が、飽食し、バブルに浮かれていた風俗を描いている。 いずれも市民が飲み食いしている情景が描かれている。 精妙なニシンや牡蠣など、中世の宗教画とはまったくちがう、写実的な描写も、この背景があってこそ、レンブラントの様な絵が何故生まれたのか、つまり、実利的な市民社会の出現を理解できるのではないか。

欧米諸国の「欧」とは、フランス、ベネルクス、ドイツである、と最初に書いた。 イタリア、南フランス、スペイン、ギリシャなどいわゆる地中海世界はヨーロッパアルプスを境に分かれているのだ。 地中海世界と同様、ドイツの東側の諸国、旧東欧も位置づけとしては、ヨーロッパの周辺国なのである。 

イギリスは、同じ英語圏である北米(アメリカ・カナダ)に連なる、ヨーロッパのもう1つの周辺、と言うには、政治的力が段違いに強く、アングロサクソン文明というヨーロッパ大陸文明とはかなり音色の違うカウンター文明の趣きをなしているように思える。

と、ここまで、自由自在、勝手気ままに、自分流ヨーロッパの歴史のおしゃべりを繰り広げてしまった。 支離滅裂の感を免れないような気がする。 今までの蓄積と最近の読書で、興味はいろいろな方向に展開し、いろいろな想念が沸き起こり、なかなかまとまらない。 イタリア論だとか、旧ハプスブルク帝国のこととか、バルト3国のこととか、ギリシャのこととか、も語りたいのだが、今日は、このあたりで・・・・。

2006年10月 6日 (金)

フランスの歴史を自己流に考える

大学時代にドイツ語を勉強して以来、いろいろ歴史、哲学関係の本は読んで勉強してきたし、卒業後は、民間会社に就職して、主としてヨーロッパ方面と関わる仕事をしてきた。 それでかどうか、分からないが、ヨーロッパに対する興味というのは途切れることなくずーっと続いている。

今日、アメリカを無視しては世界を語れないことは確かだ。 「欧米諸国」と言う言葉がよく使われるが、「欧(=西ヨーロッパ諸国)」の厳密な対象は、近代化に成功した主としてフランス、ドイツ、ベネルクス地域が主体で、実は、イタリア、スペインはもちろん、そして、当然ながら旧東欧諸国は、「欧(西ヨーロッパ)」とは違うのである。 フランスもロワール川以南の南フランスもやはり違うようだ。 

そして、英語圏が作り出すアングロサクソン諸国(イギリス、カナダ、アメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランド)は、ヨーロッパ大陸とはまた一味違う独自の世界である。 

北欧は、「欧(西ヨーロッパ)」に入れても良いかも知れないが、ロシアはまったく違う。 旧東欧はゲルマンがスラブ化する過程、ロシアはスラブ人がモンゴル、トルコなど騎馬遊牧民の影響を受けて変質している国(同居している)ではないだろうか?

まずは、ヨーロッパの両翼、フランスとドイツの比較をしてみよう。

クイズダービーという昔のテレビ番組にも出ていた学習院の篠沢秀夫氏(仏文学者)が書いた「フランス三昧」(文春新書)はとてもいい本で、現在のフランス共和国にいたる歴史がわかりやすく書いてあって、面白く読んだ。 この人は、学識の深い人で歴史学者ではないのだけれど、実に見事にフランスの歴史を日本人に分るように説明している。 碩学にしか出来ない技だと思う。 フランスをもっと知りたい、と知的好奇心を満たしてくる。

今のフランスは、もろもとローマ帝国を滅ぼす原因となった入植ゲルマン人の一派であるフランク族の王様の小さな所領(現在のパリ周辺、所謂イル・ド・フランス)から始ったらしい。 そのイル・ド・フランスの王様がどんどん回りの部族長(別の王様)の領地を奪って大きくなって行った。 フランス革命までは、土地も人々も皆、王様が所有していた。フランス革命で、王様の首がギロチンで刎ねられ、普通の人々が王様に代わって土地と人々の所有者?になって、今日でいう国民国家が出来た。 

フランスという名前は「フランク族」から由来するという。 フランス人というのはゲルマン人なのだ! というと???と思うかもしれない。 正確に言うと、昔世界史で習った、ゲルマン民族の大移動、早い話が、狩猟民族である野蛮な侵略者が北欧や中央アジア(コーカサスあたり)からこの地にやってきて、もともとの住人(ケルト人)を征服・君臨した。 すでに、当時住んでいた、ケルト人は、抹殺されたわけではなく、これら少数派のゲルマン人と同居する状態で融合してというか、その慣れの果てが今日のフランスらしい。 フランス精神を、別名「ゴール精神」というそうだが、ゴール人とはガリア人(ラテン語)のことである、ケルト人のことである。

フランク族は、サリカ法というゲルマン部族法で統治されたそうだが、当時において、ロワール川以南から地中海にかけては、まったく別世界だったそうだ。 所謂、プロヴァンス地方。 ここはジュリアス・シーザーにいち早く制覇され、ローマ法で各所領の部族長(王様)が治めていた。 もともとは、ロワール以北と同じケルト人(ガリア人)である。キリスト教が布教される前の話だ。

 このあたりの経緯は難しい歴史の本だけでなく、「Asterix」というフランス版の漫画(私の愛読書でもある)があって、大変楽しく、歴史の勉強にもなる。 パリは、当時Lutecia(ラテン語)と呼ばれていた。 そう言えば、パリにこの名前のホテルもあったな。 ついでに、スイスはHelvetiaと呼ばれた。 イギリスは、ご存知、Britania。 スコットランドはCaledoniaである。

そう、地中海世界なのだ。 マルセイユはマッサリアと当時は呼ばれていて、もともとはギリシャ人の殖民ポリスからスタートしたのだった。 イタリアもスペインも対岸の北アフリカ沿岸もそうだった。 プロヴァンス地方は、当時はラテン語でプロヴィンキアと呼ばれたそうだ。 現在の名前の語源である。 言葉も、ラングドックという地方があるように、オック語であり、現代フランス語のもとであるオイル語は、ロワール以北からベルギーに掛けてのフランク族の言葉で系統が違うらしい。

中世までは、プロヴァンスが経済的にも優勢で、文化的にも高かった。イタリアのダンテは当時最先端の文化語であるオック語を参考にして、イタリア語を開発したそうな! 現代フランス語は、フランス革命後、共和国政府によって強制的に広められた「人工語」だそうだ! ベースはオイル語。(現在のウィ(ハイ)を昔はオイルと発音していたそうだ。 オック語は「ハイ」をオックと言っていたので、この呼び名があるという) つまり、18世紀末のフランス革命以来、フランスが邁進した「国民国家」を作るに当たって、国民はすべからく同じ言語を喋るべしと!ということで、こういう事態が起こったのだ。

プロバンスのオック語は死語と化した。 日本では明治政府が言文一致体の国語を作ったのが篠沢氏によるとフランスに遅れること約80年です。(フランス革命が1789年、明治維新が1868年)。 つまり、篠沢教授曰く、フランスというのは、言語的には統一されているものの、一つの共通の民族がすむ日本みたいな国ではないのだ、ということをおっしゃっている。

と、今日は、ここまで。 明日は、ドイツ語圏のことを語ってみたい。

2006年10月 5日 (木)

「国家の罠」を読む

某月某日の土曜日。 8時過ぎの起床。 出かける家族に残され、一人、ゆっくり本を読んだ。

佐藤勝氏著「国家の罠」 ~ 外務省のラスプーチンと呼ばれて~ を一気に読んでしまった。実は、先週は、この方の第二著「自壊する帝国」を先に読んで、感銘を受け最初の著書にしてベストセラーになったこの本を手にした次第なのだが。

数年前、マスコミを賑わせた田中真紀子・鈴木宗夫・外務省の三つ巴の内紛劇もからんだスキャンダルで東京地検特捜部に逮捕された外務省の役人である。著者の写真を拝見すると、西郷隆盛如き、「異相」である。日本人にはちょっと見えない。 ロシア大使館に勤務していたときは、よくロシアのアジア系少数民族に間違えられたという。

読み始めて、ぐんぐん引き込まれた。 氏の文体がすばらしい。無駄な言葉がなく、コンパクトで、鋭い。 著者の才気あふれる、畳み掛けるような文体は、読んでいて、実に心地よく、また楽しい。

同氏は、クリスチャンで同志社大学の大学院で神学を勉強し、さらに、チェコに留学したくて、外務省にノンキャリアで入省した変わり者である。 うまく、外務省を利用して、公務員としてお金をもらいながら、神学の勉強を続けて、その後のキャリアアップの段階で、適当に辞めるつもりだったらしい。 しかし、人生は本人の思惑とは違う運命を用意していた。 語学研修は、結局、希望のチェコ語に派遣されず、ロシア語を勉強する羽目になった。外務省のロシア・スクールのロシア語研修は、ロシアではやらないのだ。まずは、イギリスの陸軍学校で徹底的にロシア語を勉強し、その後、モスクワ大使館に赴任。モスクワのモスクワ大学で「おまけ」のロシア語学習(本人は、幻滅して、神学の勉強をしたり、ロシア人脈を気づき始める)後、こと志と違って、モスクワ大使館勤務になり、そこで自分の才能に目覚め、めきめきと頭角を現し!本省に戻って、情報分析官として活躍した。 情報分析官? つまり、インテリジェンスである。 

ロシアとイスラエルに情報ネットワークを持ち、ロシア情報分析においては追随を許さない実力を発揮、外務省内では一目置かれる存在であった。 鈴木宗夫氏との出会い、橋本、森、小渕首相の流れで、2000年までに日ソ平和条約を締結して、北方領土問題に決着するべく、現場に深く関わった人である。

これが、小泉政権誕生、田中真紀子外務大臣登場によって、外務省を舞台とする泥仕合の結果、東京地検特捜部から逮捕、起訴されたことは記憶に新しい。あれは、一体全体なんだったのだろうか? 氏は、結局、200310月、26ヶ月の有罪、執行猶予4年の判決を受け、控訴。 現在も裁判中である。 

ロシア情報には、アメリカ経由の情報、ヨーロッパ情報、そして、イスラエル情報の3つがあること。 前の2者については、当然と思うのだが、3番目のイスラエル情報といのが味噌だ。 ゴルバチョフが登場してソ連が崩壊、ロシアとなって、かなりのロシア人がイスラエルに流れ込んだ。 現在、イスラエルの人口の内6人に一人はロシア系なのだという。ロシアとイスラエルのつながりは深いのだ。 

それと、インテリジェンスの世界は人脈が全て。それも、信頼関係がベース。 お互いに、こいつは出来るな、そして信用できるな、となると、親しき中にも礼儀ありだが、核心に迫る情報がいとも簡単に転がり込む。 結局このような人脈を作ったりする、泥臭い仕事は現場の仕事であって、キャリア組みの外交官が出る幕ではないのかもしれない。 

同氏にとって、外務省での情報分析官という仕事ははまり役だったが、小泉政権という大きな政治の枠組みの中で、政治力学に翻弄されて葬られてしまった悲劇である。 しかし、それにも関わらず、精力的に著者が発表する本は、鋭い洞察力にあふれ、一読も二読にも値する優れたものだと私は思う。 今後とも、著作を通じて、付き合って行きたい人である。 

ロシアについては自分の勉強不足を痛感したが、これとは別に、イスラエルという存在がまた気になりだした。 直感だが、単なるシオニズム運動によるイスラエル建国という神話の裏には、別の意図が隠されている。 政治的な意図である。 最近のヨルダン侵攻や、アメリカに親イスラエル政策をとらせ続けるアメリカのユダヤロビーの存在もそのひとつ。

又、驚いたのは、著者の叙述の中に、外務省キャリアの東郷和彦氏は、ユダヤ人として見れなくない、とイスラエル政府関係者の話のくだりで、これは目から鱗である。 東郷氏は、もともとは、司馬遼太郎氏の小説にもあるが、豊臣秀吉の朝鮮侵攻で日本に連れ去られた韓国人の末裔であり、東郷和彦氏の祖父は、太平洋戦争中の外務次官でもある東郷茂徳氏で、奥様はユダヤ系の白人だった。 子供はお嬢さんしかいなくて、その息子が、著者の上司の東郷和彦氏である。 よって、イスラエルの帰還法に基づけば、イスラエル国籍を取れる! というのだ。 ユダヤ人とは母親がユダヤ人なら自動的にユダヤ人なのだそうだ。 ユダヤ教信者じゃなくても国籍を取れるのか? ユダヤ人とは何か? 考えさせられる。 日本人のセンスでは理解できない何かがある。

北方領土問題については、イスラエルのソ連・ロシア問題の第一人者ゴロデツキー教授(奥様は、何とイギリスのあのソ連研究の泰斗E.H. カー氏の秘書だったという!)によれば、スターリニズムの負の遺産であって、同じ負の遺産であった東西ドイツ分裂と東欧諸国が1989年のベルリン壁崩壊で、解消されたのに対し、日本は、その同じ機会を活用できなかったことが、今日の事態を招いているという。 ロシアは、チェチェン問題を抱えて、ロシア政治エリートは領土変更問題には抵抗感を持っている。 50年に一度のチャンスを逃したのだ。 そして、ロシアとの交渉は、トップ交渉しかないのだという。

 

などなど。 いろいろ啓発される本であった。

2006年10月 4日 (水)

オランダでジョーク3連発

昨日は、オランダはマーストリヒトでベルギーのビールを飲んで覚えたジョーク書いた。

今日は、アムステルダムで、例のAlma嬢とパブで交換し合ったジョークを紹介したい。航空機会社名にまつわる言葉の遊びである。

ベルギー人というと、オランダ人もフランス人も、どことなく、間抜けというイメージがあって物笑いの種になる。 かつてのベルギーを代表する航空会社サベナ。 綴りは、Sabena。What does it stand for ?  ここでジョークが始まる。 ニヤニヤしながら、Such a bloddy experience never again でしょ、と私。 Alma嬢曰く: Sex and beer every night again ってのはどうかな! 大笑いである。

スカンジナビア人というのは、大酒のみでフリーセックスというのが通り相場、 ここでジョークの予感がある。 スカンジナビア航空と言えば、SASである。 What does it stand for ?  ニヤニヤしながら、Sex after sex でしょ、と私。 Alma嬢曰く: Satisfaction after sex ってのはどうかな! またまた大笑いである。

Alma嬢はオランダ人である。 KLMはオランダ人が誇りとする航空会社である。Flying Dutch Man。 ドイツ人のワーグナーも「さまよえるオランダ人」という楽劇を残した。 KLM、what does it stand for ? Alma嬢曰く: Kiss me, Love me, Marry me ! かわいいでしょ! にやりと笑って、小生は切り返す: Keine Lust Mehr (ドイツ語で、「乗る気がしないよ!」という馬鹿にした表現)。

と、Alma嬢のボーイフレンドが、彼女の名誉を守るためか、じゃあ、ドイツの。Lufthansa, what does it stand for ?  難しい! 考え込む小生に、ニヤリと笑って彼氏曰く: Let us fuck the hostess as no steward available !  参った、とはこのことか!

今日は、徹底して、オランダ・ベルギー人のジョークで行こう。 オランダ語(ベルギーではフラマン語=オランダ語の方言みたいなもの)では、gの発音が大変特殊で、喉の奥から吐き出すような音で、日本語のカタカナ表記にすると「ハ」の破裂音みたいな感じである。

例えば、アメリカの有名なもと外交官(国務長官)Kissinger氏。 英語ではキッシンジャーと発音するが、オランダ語では、キッシンハーとなる。 つまり、Kissing her (彼女にキスしている)とアメリカ人やイギリス人には聞こえるのだ。 さてさて、ジョークは以下の如し:

ブラッセルのシェラトンホテルに、ある日Kissinger氏がお忍び(incognito)で滞在したが、チェックインした翌日、行方が分からなくなってしまった。 ホテルは大騒ぎだが、incognitoなので雇われた敏腕の私服刑事がこっそりとKissiger氏を探すことになった。 

刑事は、各階の部屋ごとにノックをして、マスターキーでドアを開けて、「Are you Mr. Kissinger ?」と確認をして行った。 なかなか、見つからない。 と、ある階のある部屋に来て、ノックして、部屋に入ると、暗い部屋の中のベッドで、女性を下に、上になっている男性がいた。 刑事は聞く: 「Are you Mr. Kissinger ?」。 ベッドの男応えて曰く:「No, I'm Mr. fucking her !」

まだまだ、コレクションは沢山あるのですが、今日は、このくらいにします。

2006年10月 3日 (火)

マーストリヒトで黒ビール、そして美味しいジョークを!

世界カタコト辞典 その2である。 

「Tatoo」 (刺青(をする)の意味」

オランダの南、ベルギーとの国境にMaastrichtという美しい町がある。近くを流れるMaas川 が国境でもありそれを超えるとベルギー。 対岸にはベルギーのLiegeという美しい響きの町がある。 

このあたり一帯はカトリックの牙城である。 カトリックと言えば、修道院である。 いろいろな宗派があるが日本人に馴染みがあるのはザビエル一派のジェズイット派であろう。 

話の展開が見えないと思われる読者もおられると思うが、何を隠そう、神聖な世界に自己を滅却して禁欲的な生活をおくるはずの神に仕える人たちが、大変美味しいビールを作り出したとしたら皆さんはどう思われるだろうか? 元来、お酒と音楽は神を司る神官の専売特許であったらしい。

小生は、このMaastlichtで100種類にも及ぶベルギーのビールの世界を知ることになった。 アルコール純度が12%もある強い黒ビールがあるかと思うと、さくらんぼから作ったフルーティーな果実ビールまでとにかくビールと言えばドイツと思っていた小生はとにかくびっくり仰天。 世界は広い。 最近でこそ、ベルギーのビールは日本でも本格的に知られて愛好家も増えているというが、これは1984年のころの話である。

ところで、ビールとtatooがどういう関係になるかと怪訝に思われる方も多いと思う。アルコールが入れば、人は饒舌になる。 饒舌になると、ヨーロッパではジョークが飛び交う、これまたごく自然なことである。 日本の言葉遊びに近いジョークから、国民性の比較を笑いの種にしたものから下ネタものまで森羅万象、笑いとアルコールで人々は鋭気を養うのである。 

さてここでtatooが登場する。 黒ビールを飲みながら地元のオランダ人が語ってくれた傑作:

江戸時代は鎖国の日本。 外国貿易はオランダが独占。多くの船乗りが日本にやってきた。 行動範囲は限られていたものの、血気さかんな船乗り達にとって、日本の大和撫子とねんごろになったり、ものめずらしい日本風俗に興味は尽きなかった。

そうこうする内に、日本人が背中に龍を象った彫り物、刺青は瞠目にあたいするものだった。 まじめなJan青年(「ヤン」と発音する。典型的なオランダ人の名前)は、この刺青に魅了され、 からだの一部に刺青をほどこして、悠々の帰国をはたしたのであった。

ところが長旅の疲れか、まもなく体調を崩し、入院するはめに。 高熱が続き一時は生命も危ぶまれたものの、看護婦たちの介護もあって徐々に回復する。

そんなある日、当番の老!看護婦Anneke(「アネケ」と発音する。典型的なオランダ人女性の名前その1)は、Jan青年の体を消毒しなが濡れタオルできれにふいていると、へその下のある所に奇妙なもを発見して眼を丸くする。 

早速、同僚の若!看護婦のTinneke(「ティネケ」と発音する。典型的なオランダ人女性の名前その2)に耳打ちする: 「彼ったら、…・・に見たこともないような美しい文字を刻んでいるのよ。それもよりによって。 ADAM(アダムとイブのアダム)ってね。びっくりしたワ。冒涜的よネ! でも素敵だワ! 」

若!看護婦のTinnekeは好奇心にあふれてその翌日の当番にJanの体を消毒しながら、興味深々とその部分に目をやると! 何と、そこには: AMSTERDAM (オランダの首都の名前)という文字が刻まれていた。

男は普通に笑えます。 女性の方は???

2006年10月 2日 (月)

モズの高鳴きを聞く!

鵙鳴いて 秋の日和を 定めけり 

正岡子規の俳句らしい。

先週から、どうも、自宅付近に、モズの気配を感じていたが、とうとう、モズの高鳴きを聞いた。 9月の声を聞くと、河川敷や畑地や雑木林の縁などでは、キチキチキチと目立つところでモズが縄張り宣言する鳴き声を「高鳴き」と言うらしいが、もう10月である。

私の住んでいるのは住宅地だが、つい数年までは、東向きは小さい草地と雑木林、その向こうは畑地だった。 子供の頃、春先になるとあたり一面、麦畑や咲き乱れる菜の花畑では、ヒバリがビーチク、パーチク、すごい数で鳴いていたことを記憶する。 

ところが、数年前、宅地化の波が押し寄せ、いつの間にか、畑は消え、雑木林はなくなり、草地もほんの小さな空き地になってしまって、昔の面影はほとんどない。 それでも、東京などに比べれば、緑の木々はところどころ残っているからだろうか、8月後半までは、ウグイスの囀りを聞くことも出来る環境なのだ。

近くの駄菓子屋(懐かしい言葉だが、まだあるのだ)の雨よけの下では、今年、ツバメが巣を作り、2回子育てした。 5月の連休明けから7月の終わりまでの約3ヶ月、毎日、巣を覗いては、ツバメの成長・巣立ちを見守った。 ツバメの姿は、8月になると町から消えてしまう。 田んぼや河川敷などで虫を食べて、ねぐらを作り、秋になると南へと移動する。

9月20日過ぎから、夏鳥がどんどん移動し始めた情報が入ったが、仕事で忙しく、残念ながら、バードウォッチングはお預けである。 春先に見かけたオオルリやキビタキの子供たちの姿が見れるのだが残念だ。 ちなみに、自分は野鳥の写真撮影には手を出していないので、自分で写真を撮って掲載できないので、野鳥図鑑のホームページにリンクします。 

オオルリはこんな鳥です

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/hitaki/ooruri.htm

そして、キビタキはは、こんなに美しい!

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/hitaki/kibitaki.htm

残念だなぁ・・・・・。

とはいえ、今朝は、近所の家の柿の木の天辺で高鳴きするモズを見れたのは満足だ。 思わず、双眼鏡でしばらく見とれてしまった。 猛禽類では一番小さい鳥であろう。

モズの姿はこんな感じです!

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/mozu/mozu.htm

なかなか、キレイな鳥だと思う。 10月となると、まもなくジョウビタキなんかも朝鮮半島から越冬に備えて早々とやって来るだろう。 そして、住宅地のテレビアンテナなんかの天辺でヒッ、ヒッ、ヒッと盛んに囀るはずだ。 これもなかなか綺麗な鳥だが、バードウォッチングを始めたころは、モズと間違えたこともあっった。

ジョウビタキはこんな鳥です。

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/tugumi/jyoubitaki.htm

秋深まると、庭のピラカンサ(サンザシ)の赤い実を啄ばみにやって来る。 ヒヨドリも来るし、メジロも来るし、12月になると、大好きなツグミを来るなぁ。

ということで、野鳥の観察はやめられない。 

2006年10月 1日 (日)

未完の傑作 「詐欺師フェリックス・クルルの告白」

1999年ロンドンの夏~秋にかけて英語版で読んだ。 この本は、マンの絶筆である。

書き始めたのは第一次大戦の始まる前、80歳を超えて結局完成しないで終わってしまったが、30歳から50年書きつづけてきた(途中もちろん中断しているが)ひょっとすると、一番トーマス・マンが書きたかったテーマかも知れない。それは何か?

「芸術」というと何か崇高で立派なものだと思う人が多いかもしれないが、そのいかがわしさをかなり自覚していたのがマンだ。詩人を例にとろう。実利主義が跋扈するこの近代の資本主義時代に、詩人など必要だろうか?繊細な感性によって、この現実世界のなかにポエジーを見出しそれを言葉で構築していくプロ。

しかし、「売りと買い」「食うか食われるか」が現実の非情なこの世界ではは決して勝者になれない役立たずの余計者でもある。詩人というこの道化者。敗北者。何故に、それにもかかわらず、世間は「詩人」に敬意を表するのだろうか?彼らはこの世の普通の人々の生業になじめず、不器用で、時には滑稽ですらあるのに。

詩人というのは、芸術家一般と置き換えても良い(音楽、絵画、映画、陶芸、歌舞伎、能、などなど)。美を作り出すのが芸術であるとしても、肝心の作り手である本人は、美からもっとも隔たっているというこの逆説。

人はなんらかで美しいもの一般に魅惑され続けながら生きていくというのがこの殺伐とした非情とも言える現実のもう一つの現実ではないだろうか?さて、その美の作り手である芸術家の内なる実態を知ったら……・。

物語は、決して生まれは卑しくはないが、破産が原因で自殺したシャンペン業者の父親を持つ青年。生まれ持った美貌と演技の才能で、徴兵検査に落第する演技をし見事、兵役を免除、名付け親となった叔父のツテでパリへ。パリへ行く列車の中で、偶然にもある大金持ちの貴婦人の宝石を手に入れてしまう(盗んでしまう)。

パリで就職するのは、今もチュイレリー公園の前にあるSt. James Albhany名門ホテルである。主人公は、エレベーター・ボーイの職を手に入れる。時代は19世紀末か今世紀初頭、いずれにしても第一次大戦前の時代。見事なコスチュームを身につけ持ち前の美貌と演技力と語学力で滞在する富豪立ちを次々と魅惑して取り入っていく。

スコットランドの独身城主。ルクセンブルクの貴族の有閑マダム、何と、パリへの列車に乗り合わせた貴婦人、つまり宝石を偶然から盗んでしまった人だ。この貴婦人とはベッドをともにし、最後は、すべての宝石をせしめてしまう。それも婦人が敢えて主人公に盗まれるように仕向けるのである。婦人は、主人公の教養の無さに気づくが、主人公の美しさ、優雅さに屈して快楽の世界に身を任せる。

客に評判の良い彼はある日、高貴な生まれの青年学生と知り合う(もちろん、客とボーイの関係)。青年学生は、いわゆるディレッタント。お金に不自由するわけでもなく、一生、労働とは無縁に暮らせる資産家の御曹司だ。が、女に入れ揚げ、学業を放棄する不良振り。 行く末を心配した両親が、女と縁を切らせるために、世界旅行を思いつく。新しい世界を見せて人生の見聞を広めるよう仕向け、冷却期間を設ければ女とも切れるだろうと。

ところが、どっこい不良青年も悪知恵は天下一。主人公の優雅さと才能を見こんだ不良青年は、役柄を交代しようと申し出た。世界旅行を提供するから、自分に成り代わってくれと!自分は、女とよろしくやっている。契約成立!

かくて、フェリックス・クルル青年は、最初の旅の目的地ポルトガルへと向かう。金持ち御曹司に成り代わって!列車の中で、やんごとなきポルトガル人ククック博士と知り合う。

リスボンではその家族(魅力的な妻と娘)に出会う。主人公は、高貴な生まれの青年を堂々と演じ、リスボンの王室にまで紹介され国王を魅了する。かと思えば、滞在を伸ばし、何とか頑なで尖っている性格の娘の心を捉えようとする。場面は、娘が心を開いて主人公になびくところで密会の現場を母親に見つかり、二人のこれからは?主人公の旅は?さて、乞うご期待。

で残念ながら未刊となってしまった。誰か、続編を書いてくれないだろうか?英語で読んだので細部が粗い読み方になってしまったが、例によって、文中思わず書きとめたくなるような、「魅惑的な文章」にでくわことたびたびで、楽しく読了した。

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