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2006年10月31日 (火)

靖国神社に行ってきた!

仕事が一段落して、昨日、今日と休みを取った。 年老いた両親は父が80歳、母が75歳。 今年の冬に、九州旅行に一緒に行こうと思っていたのだが、母が病で倒れて、願いは叶わなかった。 

そこうするうちに、母は全快したものの、自宅療養、私は、偶然にも地元で職が見つかり、勤め始めて半年が経ってしまった。 前の会社を辞めるとき、旅行券をもらったのに、期限切れ直前と気づいて、あわてての東京一泊旅行であった。

もう、東京で見るものはない、と言う父だが、中国・韓国ともめている靖国神社にはちょっと言ってみたいナの一言で決まった。 実は、私も、九段下をうろうろしたことはあっても、意識的に避けてきて、鳥居を見ただけで中を見たことはないのだ。

上野から地下鉄を乗り継いで11時前に到着した。 九段坂をとことこ歩いて、鳥居をくぐり、大村益次郎の銅像をうろうろした後、ゆっくり歩きながら本殿にたどり着いた。 平和な風景である。 韓国人の団体がグループ写真を撮っているかと思うと、どこかの企業研修であろうか、リクルートルックの若者達の団体もあった。

お賽銭を入れて、平和を祈り、神社の方に親子スリーショットの写真シャッターを押してもらって、それから、問題の遊就館を見学した。 入場料は大人一人800円で安くはない。

日本古代から始まって、日本人の心、大和言葉で歌われた和歌と一緒に日本の武具が展示してある。 鎌倉、室町、江戸と続いて、幕末・戊辰戦争・明治維新、西南戦争、日清戦争、北進事変(義和団事件)、日露戦争、満州事変、日支事変、太平洋戦争と続く。 最後は、太平洋戦争で日本の為に命を捧げて散って行った軍人の写真、名前が壁という壁に展示されていて、圧倒される。 戦争の悲劇に思いを馳せて、うなだれてしまう。 つい60数年前のあの激しい憎しみと戦いは一体なんだったのだろうか? 日本人・日本史から見た戦争博物館というものかも知れない。 イギリスはロンドンに大英帝国戦争博物館なるものがある。 私は、ロンドンに数年住んでいたが、残念ながら、ロンドンの戦争博物館を見損ねている。

たままた、PHP新書で出たばかりのイギリスのジャーナリストで著名なビル・エモット氏の「これからの10年、新黄金時代の日本」というのを読みかけていて、靖国神社の「遊就館」と南京の「大虐殺の館」を考える、という章を読んだばかりでもあった。

同氏は、最近、この靖国神社(遊就館)と南京大虐殺館の両方に足を運んで取材もしたらしい。 2005年、ロンドンで同氏は、大英帝国戦争博物館でアラビアのロレンス特別展が開かれる中、エコノミストと日頃から関係の深い高位高官関係筋を招待してカクテル・パーティをしたらしい。 かつての敵国のドイツ大使も来たし、イギリスの植民地として激しい搾取にあえいだインドの大使も来たという。 エモット氏は、別に両大使から異論は唱えられなかったが、日本の靖国神社や南京の大虐殺館では、このようなイベントは不可能であろう。 何故かと問う。 同氏はポーランドのアウシュビッツ博物館(世界遺産になっている)と併せてこの3つは「未解決の歴史を記念している」ように感じると言っている。 一方、大英帝国戦争博物館は、「現在ではなく過去の歴史に捧げられている」と言う。 アウシュビッツ、南京、靖国のそれぞれの博物館は、過去をテーマにしているが、現今の人の考え方に影響を与えるために利用されている、という。

大英帝国博物館について、イギリスの場合の帝国主義が、免罪になってるようなエモット氏の解釈がなりたつかどうかは疑問だと思う。

ユダヤ人問題については、日本人として差し迫った問題として意識しにくく、本質を理解するのがむつかしい。 大体、日本人にユダヤ差別など存在しないと思う。 むしろ、中近東の状況を見ていると、ヨーロッパであれだけいじめられたユダヤ人がなぜにあのように、アラブ人を虐げるのか? アメリカが肩入れして、やり過ぎじゃないか、とすら私には思える。 

日中の確執についてだが、同氏は、南京の30万虐殺という数字が、当の中国人学者も首をかしげていて、躊躇していること、又、アメリカのアイリス・チャンの銅像がたっていたりして、明らかな政治宣伝の道具であることを指摘して、日中の学者が歩み寄って本当のところを突き止めるべきだし、靖国の「遊就館」のいわゆる、日本史の見直し(太平洋戦争敗戦後の東京裁判に関しては、インド人パール判事の無罪論を大きく訴えて、極東軍事裁判の不当性を主張している)についても、苦言を呈している。 

日本人として、南京については、同氏のコメントに同感である。 一方、靖国の「遊就館」の歴史解釈の見直しに関してはどうだろうか? 日本の国論は分かれるのではないだろうか? 講和条約を受け入れたということは、東京裁判を肯定しているのだから、東京裁判否定は、すなわち、戦後の日本が存続した講和以後の体制を否定することになる、という人もいる。 両親などは、敗戦以前、明治以降から1945年までの歴史は、日本が悪である、というコミンテルン・テーゼそのままに、素朴に信じているようである。 

靖国神社見学後、タクシーで築地に移動して、おいしい寿司を食べ終わって、ひとしきり、昔の話をした。 小学生の頃、東京見物に来たこと。 浅草、上野公園、 秋葉原の交通博物館、東京タワー、 中学生のころ、テニスの全国大会に出場してプレーしたのは、今も残る日比谷公園のテニスコートだった、などなど。 そして、靖国の話になった。 「海ゆかば・・・・・」 海軍の歌だが、この原作者が、大伴家持であることを私も含めて3人とも知らなかったことで大笑いした。 

東京裁判史観と言われる、現在の歴史の見直し、ということについてだが、私が、明治維新から、日清戦争、日露戦争というのは決して日本がひとり「悪」を背負うものではないこと、満州事変・日中戦争だって、現在では、考え方として、蒋介石率いる国民党軍と日本帝国軍を戦わせて、漁夫の利を得る、ソ連・スターリンと毛沢東率いる中国共産党の謀略が本質だった、という考えもあるという話をしたら、両親は押し黙ってしまったままうなずくだけだった。 かく言う私は、歴史には正しさなぞない、というニヒリストである。 勝てば官軍、ということだろうか。 イギリス・アメリカ アングロサクソン連合軍が第二次世界大戦の勝者であったが、結果的に良かったと思っている一方で、日本があのような悲劇的な戦いをしたことが、間違っているとも思わない。 日本が意図する・意図しなかったに関係なく、日本は19世紀から20世紀にかけて、世界史の中で光芒を放ち、アジアを開放したことは間違いのない事実である、と思っている。 アングロサクソンにあれほど盾突いたドイツにも敬意を感じている。ヒトラーは余計だったが。 戦後、奇跡の復興を果たしたのはドイツであり、日本である。戦勝国のイギリスもフランスも中国も、或る意味で敗戦国でもあったのだ。 

しかし、歴史は勝者の歴史であることも事実である。 そして、歴史はここ300年近くずーっと勝者であり続けたイギリス・アメリカというアングロサクソンの言語・論理が正しいのである。 日本人にとっては悔しいことであるが、日本人としてすべき当然の自己弁護は執拗にしていくべきではないか、というのが私の率直な考えである。

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