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2006年10月 7日 (土)

ドイツ・ベネルクスの歴史を自己流に考える

昨夜からの続きで、今日は、ドイツ、ベネルクス(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)だ。

ドイツ語圏は、紀元後9年、同じフランク族でもローマ軍がアルミニウス(ドイツではヘルマンというそうだ)にトイトブルクの森(オランダ国境に近い、現在のOSNABRUECKの近くらしい)で殲滅されて、ライン河畔を防衛線にしたことから、ローマ化されなかったフランク人の末裔が現在のドイツ人ということになっている。 このゲルマンの各地に割拠する諸王達の有力な人たちが神聖ローマ皇帝になったようであるが(あってるかな)、意識としては、ローマ帝国を引き継いだということだったようだ。

ローマ帝国って、5世紀だかに崩壊とか世界史の本にあるけれど、当時の人たちとしては、そういう感覚はなかったらしい。 ローマ教皇が力を持ってローマ皇帝はいつのまにかいなくなり、代わってゲルマンの世俗王達が、各地にローマ文明を意識しながら割拠していたわけだ。

ちなみに、東ローマ帝国=ビザンチン帝国からオスマン帝国をへて生き延びた古代ギリシャ人の末裔たちは、近世に至るまで自分達をローマ人と意識し、自らを呼んでいたらしい。ギリシャ人という今日の意識は、19世紀になって初めて出てきた意識だという。 又、驚きなのは、ヨーロッパの由緒ある貴族の系図を辿っていくと、ローマ帝国時代の入植ゲルマン人郡団長(部族長)に繋がるという。

ウィーンとかケルンとかトリエとか古代ローマ文明と蛮地の境界の砦であった。ライン川とドナウ川が境界であった。 この未開なフランク人たちが、ローマ文明に触れて、教化を受け独自のドイツ性を発展させ、同じフランク族のフランスとは違ったアイデンティティを作りながら、現在の東欧からロシア方面に殖民していった。 ベルリンからモスクワの間も、基本的にはドイツ文化圏である。 フランス以西からすると、ローマ化しなかったゲルマンがドイツということ。 だから野蛮だと。 

その中で、ハプスブルク家はスイスの小さな所領から「数奇」な運命を背負って、中世から20世紀初頭まで、一時はスペインとも縁組して世界帝国まで築いたり、最後は、腐臭を放ちながら、19世紀末に最後の光芒を放ち、20世紀文明に多大な貢献をして、いまはその役割を終えて静かに、余生を生きている。 これが、今日のオーストリアである。 EUの経済の牽引車として、第2次世界大戦後、敗戦国でありながら日本と同様、経済力ではダントツなのがドイツである。 

スイスのドイツ語圏の人もオーストリア人もベルギーやルクセンブルクのドイツ語を話す人も、ドイツ語文化圏というのを共有している。 ドイツというのは、文化概念である。 国をまたがって文化圏が成立している。

日本語の「国籍」という言葉に相当するドイツ語にはStaatsangehoerigkeit(意味的には、国の所属)とNationalitaet(意味的には、民族性という意味。)の二つがあって、前者はスイス人、とかドイツ人とかオーストリア人ということ。 後者は、「ドイツ語文化圏所属」という意味である。 このあたりは、日本人には想像を絶する。 

ベネルクス諸国に言及すると、 スイス、フランスのブルゴーニュ地方、ルクセンブルク、ベルギー、オランダあたりは、もともとフランク王国が3兄弟に分配されたときの長男が受け継いだ土地で、歴史的には、現代のフランスとドイツ・オーストリアの間の勢力争いで翻弄されて来た地域で共通している。

1617世紀のオランダ独立戦争は、当時の支配者であった、ハプスブルク・スペインに対する戦争だった。反ハプスブルクだったフランス王(ルイ何世だったか)は、イギリス王と組んで、
オランダ独立を助ける。 当時、オランダはヨーロッパ一番の富裕な国だったらしい。 財源は、ニシンとフランドル地方(今のベルギー)の毛織物。 イギリス、フランスは後進国だった。 

オランダ絵画は富の絶頂にあった頃のオランダ市民(正確にはネーデルラント=現在のオランダ、ベルギー)が、飽食し、バブルに浮かれていた風俗を描いている。 いずれも市民が飲み食いしている情景が描かれている。 精妙なニシンや牡蠣など、中世の宗教画とはまったくちがう、写実的な描写も、この背景があってこそ、レンブラントの様な絵が何故生まれたのか、つまり、実利的な市民社会の出現を理解できるのではないか。

欧米諸国の「欧」とは、フランス、ベネルクス、ドイツである、と最初に書いた。 イタリア、南フランス、スペイン、ギリシャなどいわゆる地中海世界はヨーロッパアルプスを境に分かれているのだ。 地中海世界と同様、ドイツの東側の諸国、旧東欧も位置づけとしては、ヨーロッパの周辺国なのである。 

イギリスは、同じ英語圏である北米(アメリカ・カナダ)に連なる、ヨーロッパのもう1つの周辺、と言うには、政治的力が段違いに強く、アングロサクソン文明というヨーロッパ大陸文明とはかなり音色の違うカウンター文明の趣きをなしているように思える。

と、ここまで、自由自在、勝手気ままに、自分流ヨーロッパの歴史のおしゃべりを繰り広げてしまった。 支離滅裂の感を免れないような気がする。 今までの蓄積と最近の読書で、興味はいろいろな方向に展開し、いろいろな想念が沸き起こり、なかなかまとまらない。 イタリア論だとか、旧ハプスブルク帝国のこととか、バルト3国のこととか、ギリシャのこととか、も語りたいのだが、今日は、このあたりで・・・・。

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