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2006年10月 6日 (金)

フランスの歴史を自己流に考える

大学時代にドイツ語を勉強して以来、いろいろ歴史、哲学関係の本は読んで勉強してきたし、卒業後は、民間会社に就職して、主としてヨーロッパ方面と関わる仕事をしてきた。 それでかどうか、分からないが、ヨーロッパに対する興味というのは途切れることなくずーっと続いている。

今日、アメリカを無視しては世界を語れないことは確かだ。 「欧米諸国」と言う言葉がよく使われるが、「欧(=西ヨーロッパ諸国)」の厳密な対象は、近代化に成功した主としてフランス、ドイツ、ベネルクス地域が主体で、実は、イタリア、スペインはもちろん、そして、当然ながら旧東欧諸国は、「欧(西ヨーロッパ)」とは違うのである。 フランスもロワール川以南の南フランスもやはり違うようだ。 

そして、英語圏が作り出すアングロサクソン諸国(イギリス、カナダ、アメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランド)は、ヨーロッパ大陸とはまた一味違う独自の世界である。 

北欧は、「欧(西ヨーロッパ)」に入れても良いかも知れないが、ロシアはまったく違う。 旧東欧はゲルマンがスラブ化する過程、ロシアはスラブ人がモンゴル、トルコなど騎馬遊牧民の影響を受けて変質している国(同居している)ではないだろうか?

まずは、ヨーロッパの両翼、フランスとドイツの比較をしてみよう。

クイズダービーという昔のテレビ番組にも出ていた学習院の篠沢秀夫氏(仏文学者)が書いた「フランス三昧」(文春新書)はとてもいい本で、現在のフランス共和国にいたる歴史がわかりやすく書いてあって、面白く読んだ。 この人は、学識の深い人で歴史学者ではないのだけれど、実に見事にフランスの歴史を日本人に分るように説明している。 碩学にしか出来ない技だと思う。 フランスをもっと知りたい、と知的好奇心を満たしてくる。

今のフランスは、もろもとローマ帝国を滅ぼす原因となった入植ゲルマン人の一派であるフランク族の王様の小さな所領(現在のパリ周辺、所謂イル・ド・フランス)から始ったらしい。 そのイル・ド・フランスの王様がどんどん回りの部族長(別の王様)の領地を奪って大きくなって行った。 フランス革命までは、土地も人々も皆、王様が所有していた。フランス革命で、王様の首がギロチンで刎ねられ、普通の人々が王様に代わって土地と人々の所有者?になって、今日でいう国民国家が出来た。 

フランスという名前は「フランク族」から由来するという。 フランス人というのはゲルマン人なのだ! というと???と思うかもしれない。 正確に言うと、昔世界史で習った、ゲルマン民族の大移動、早い話が、狩猟民族である野蛮な侵略者が北欧や中央アジア(コーカサスあたり)からこの地にやってきて、もともとの住人(ケルト人)を征服・君臨した。 すでに、当時住んでいた、ケルト人は、抹殺されたわけではなく、これら少数派のゲルマン人と同居する状態で融合してというか、その慣れの果てが今日のフランスらしい。 フランス精神を、別名「ゴール精神」というそうだが、ゴール人とはガリア人(ラテン語)のことである、ケルト人のことである。

フランク族は、サリカ法というゲルマン部族法で統治されたそうだが、当時において、ロワール川以南から地中海にかけては、まったく別世界だったそうだ。 所謂、プロヴァンス地方。 ここはジュリアス・シーザーにいち早く制覇され、ローマ法で各所領の部族長(王様)が治めていた。 もともとは、ロワール以北と同じケルト人(ガリア人)である。キリスト教が布教される前の話だ。

 このあたりの経緯は難しい歴史の本だけでなく、「Asterix」というフランス版の漫画(私の愛読書でもある)があって、大変楽しく、歴史の勉強にもなる。 パリは、当時Lutecia(ラテン語)と呼ばれていた。 そう言えば、パリにこの名前のホテルもあったな。 ついでに、スイスはHelvetiaと呼ばれた。 イギリスは、ご存知、Britania。 スコットランドはCaledoniaである。

そう、地中海世界なのだ。 マルセイユはマッサリアと当時は呼ばれていて、もともとはギリシャ人の殖民ポリスからスタートしたのだった。 イタリアもスペインも対岸の北アフリカ沿岸もそうだった。 プロヴァンス地方は、当時はラテン語でプロヴィンキアと呼ばれたそうだ。 現在の名前の語源である。 言葉も、ラングドックという地方があるように、オック語であり、現代フランス語のもとであるオイル語は、ロワール以北からベルギーに掛けてのフランク族の言葉で系統が違うらしい。

中世までは、プロヴァンスが経済的にも優勢で、文化的にも高かった。イタリアのダンテは当時最先端の文化語であるオック語を参考にして、イタリア語を開発したそうな! 現代フランス語は、フランス革命後、共和国政府によって強制的に広められた「人工語」だそうだ! ベースはオイル語。(現在のウィ(ハイ)を昔はオイルと発音していたそうだ。 オック語は「ハイ」をオックと言っていたので、この呼び名があるという) つまり、18世紀末のフランス革命以来、フランスが邁進した「国民国家」を作るに当たって、国民はすべからく同じ言語を喋るべしと!ということで、こういう事態が起こったのだ。

プロバンスのオック語は死語と化した。 日本では明治政府が言文一致体の国語を作ったのが篠沢氏によるとフランスに遅れること約80年です。(フランス革命が1789年、明治維新が1868年)。 つまり、篠沢教授曰く、フランスというのは、言語的には統一されているものの、一つの共通の民族がすむ日本みたいな国ではないのだ、ということをおっしゃっている。

と、今日は、ここまで。 明日は、ドイツ語圏のことを語ってみたい。

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