2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« 東京で、両親を「鉄板焼き」でもてなす ~ ステーキ編 その1 | トップページ | 私のヨーロッパ体験記 ~ その1 »

2006年11月 8日 (水)

雑木林での夢想 ~ その1

職場では、BBCニュースが一日中流れている。 今日は、朝から、アメリカの中間選挙速報が流れている。 騒がしい。 さすがの共和党も、失速して、今回は民主党が挽回しているようだ。 アメリカの留学生によれば(彼らは皆カリフォルニアの出身)、民主党支持者で、今回は、必ず民主党が勝つそうだ。 自分たちも支持している、と自信の程である。

私には、関係ないことだ。 井上陽水に「傘がない」というイイ歌ががあったなぁ~。

朝から、不機嫌なのだ。 バイオリズムが悪いのか? 職場の女性に、虫の居所が悪いでしょう、と見抜かれてしまった。 言動の端々にイライラ振りが出てしまうのだろうか?男だって、生理(精神の生理)はあるのだ、と言いたいのだが、女たちは、煩い。 とてもよく気がつく。 彼女たちがいないと仕事が流れないのも事実である。 

昼休みは、また近くの雑木林に出かけた。 昨日は昼過ぎから風が強かった。 そして、夜は今年初めての木枯らしが吹いた。 帰り道は、体が震えるほど冷たい風に吹かれた。 帰宅すれば、ニュースで北海道では竜巻で9人が命を落としたという報道。 何と運の悪い9人だろうか? 冥福を祈りたい。 仕事の打ち合わせ会議をして100メートルも飛ばされて命を失ったという。

さて、アメリカである。 私は一度もアメリカに行ったことがない。 物心ついてからの自分を思い出すと、アメリカの影響なしには考えられない。 アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ。 ドイツ語を勉強してヨーロッパにのめり込んだけれど、結局、遠い遠い回り道をして、今、アメリカについては猛烈に勉強したくなっている。 でも、なかなか、いい入門書がない。

トクビルの「アメリカの民主主義」は古典に上げられているけれど、何度読もうと取り組んでも挫折してしまう。 中屋健一氏の「明解 アメリカ史」も時折紐解くのだが、もうひとつという感じだ。 インターネットでアメリカ関連の本を検索すると山ほど出てくるのだが・・・。

決定版がないのだ。 アメリカは中国と同じで「ひとつの世界」であろうことは、なんとなく想像がつく。 自宅に貯め込んでいた本の中に、批評家江藤淳氏の「アメリカと私」がある。1960年代のアメリカ。それも、プリンストン大学での体験にもとづいた本だ。 しっくりこない。 さすが、江藤氏の話には、氏の才気が感じられる鋭い指摘もある。 しかし、アメリカの本質?はなかなか見えてこない。 

高校生のころ、小田実氏の「何でも見てやろう」に熱中した。 海外への憧れを掻き立てられた本である。 とてもいい本だと思う。 この本が扱う時代は、アメリカの絶頂期1950年代後半のころの話だ。 司馬遼太郎氏の「アメリカ素描」というなかなかいい本もある。 しかし、皆、直感で体当たりして、鋭い指摘はあるけれど、個人の体験の枠を出ていない。 

アメリカに住んだことのある人が、アメリカに行ったことのない私があれやこれや言うと、お前に分かるわけがない、というようなことを言われたことがあるが、そうだろうか?アメリカにずーっと住んでいても、アメリカが何なのかさっぱり分かっていない人は、当のアメリカ人も含めてゴロゴロいる。 一人ひとりの体験がそれぞれアメリカのイメージを持つことは間違いではない。 それらをひっくるめて、アメリカで起こっていること、個々の体験から、政治の意思決定まで含めて、総合的にアメリカとはこうなんです、と説明する何かを私は知りたいのだ。

小室直樹氏の「アメリカの逆襲」を見ると、「アメリカの強さの本質とは、国民の4割が人間は死なないと信じている(ファンダメンタリズム=キリスト教原理主義者)宗教国家であるという事実、人類史上はじめて社会契約で出来た国であるという歴史にある」 - これが日本人には絶対見えない謎であるという。 アメリカの政治とは「神政政治(テオクラシー)と人間政治(デモクラシー)」との間の激しい緊張によって生まれた独特のものだそうだ。

国家というのは普通自然発生するものらしい。 一つの宗教、一つのイデオロギーが生んだ人造国家、これがアメリカである。 これと比較できるのは、新約聖書が生み、パウロという天才が育み育てたローマ・カトリック教会と資本論が生み、レーニン、スターリンの天才が育てたソ連(もう崩壊したが)があるのみだそうだ。 この3者は類似点はまったくないのだが、アメリカを真に理解しようとすれば、3者の比較分析によって可能であろう、と言う。 誰か、やってくれないものだろうか?

私の直感で言うと、アメリカは確かに限りなく自由な国である。いろいろな人から話を聞いたり読んだりしたものを総合すると、選択肢の幅が広いのだ。 やろうと思えば、何でも出来る。 すべて、自己責任。 失敗するのも自由。 そして、現実は大方が失敗する。 ほんの一部の成功者=既成勢力と稀な成り上がり者と多くの貧困層。 グローバリズムの成れの果て。 こういう言い方は、すでに価値判断を含んでいて、ネガティブに言っているように取られるかもしれない。 

アメリカの政治だが、「世論」に左右されながら、その時の「ある勢力」が国を乗っ取って、好き放題のことをする、ということだろうか? 「世論」が足かせになっているが、一端「世論」がOKすれば、イラク戦争のような滅茶苦茶なことも出来るわけだ。「ある勢力」とは、やはり、「世界の資本が集まるアメリカにとって、その利益を最大限上げるような組織体の当事者と関係者」と言えば良いのだろうか? 世界の資本は一端アメリカに集まり、そこから全世界に再投資されているのが現実である。

真昼時の雑木林周辺は、誰も居ない。 静かだ。 相変わらずカケスが元気に飛び回っている。 ヒヨドリの数もめっきり増えた。 シジュウカラに混じって、ヤマガラの姿も見える。一度など、数メートル近くまでやってきた。 私は石のようになって、じっとして、観察する。お弁当を食べて、ぼーっとしながら、いろいろな想念が頭の中を流れていく。 

昨日寝る前に、ベッドの中で少し読んだ、江藤淳の「文学と私」の文章が浮かび上がる。戦後、サルトルを読んでいたこと。「嘔吐を読んだとき神経症気分の表現が哲学的厳密さの表現に使われているのを見て、ヒントを与えられた」こと、「音楽(ラグタイム)が救いになっているのも気に入った」こと。しかし、「サルトルには少し下品なところがあると感じていた」こと。 江藤淳氏の本など読んだことがなかった。 たまたまダンボールの中の本を整理したら、出てきたので手にしただけなんだけれど。 最近は、さっぱりフランスものは手にしていないな。 今読みかけなのは、ジュリアン・グラックの「シルトの海岸」ってやつだったな。 これって、ドイツの作家ユンガーの影響を絶対受けていると思うのだが。

頭の中では、いつの間にか、先週、東松山で飲んだカラオケパブのママさんの歌が鳴り響いている。 中国語の歌なのだが、そのメロディーが実に美しかった。 頭に取り付いて離れない。 仕事中も、風呂に入っているときも、何度も蘇ってくる。 そういえば、中国の本で、ヨーロッパの小説とか日本の小説のようなものが全然ないな、読んだことないな。 魯迅とか林語堂とか読んだことあるけれど、その後の世代はずーっと空白だ。そういえば、「上海ベイビー」というのは読んだことがある。 私より、一回り以上若い世代で、上海でドイツ人の愛人体験をもとに書いたなかなか出来た現代小説だった。

私の憂鬱、苛立ちは一向に解消されない。 雑木林の中を昨日ほどではないが風が吹き抜けて行く。 13時近い。 トボトボとキャンパスに向かって歩き始める。 雑木林を出たところで、ヒッ、ヒッ、ヒッというジョウビタキの声。 電線を見上げると、美しいオスのジョウビタキであった。

« 東京で、両親を「鉄板焼き」でもてなす ~ ステーキ編 その1 | トップページ | 私のヨーロッパ体験記 ~ その1 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 東京で、両親を「鉄板焼き」でもてなす ~ ステーキ編 その1 | トップページ | 私のヨーロッパ体験記 ~ その1 »