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2006年11月17日 (金)

私のヨーロッパ体験記 ~ その3

職場での体験はそれなりに勉強にもなり楽しいものでしたが、やはり、何といっても、いっしょに遊んだ学生たちとの交流です。工場は、16時には仕事が終わります。日が沈む22時までの6時間は外は明るいんです。たっぷりと時間がありました。若くて、元気でしたら、遊び歩きました。付き合ったのは、工科大学に全ヨーロッパから集まる私と同じような学生たちです。定期的な集まりがあり、仲良くなる機会がありました。

国籍をあげて見ます。ドイツ人、ポーランド人以外に、韓国人(よく喋る青年でした。韓国の人というのは、積極的でどこに行ってもアクティブです)、スイス人、オランダ人、イタリア人、アメリカ人、ユーゴスラビア人、フィンランド人、スウェーデン人、エジプト人、フランス人、ノルウェー人、カナダ人、パキスタン人、オーストリア人、イタリア人と仲良くなりました。何ヶ国ですかね。16カ国、自分も入れて17カ国ですか。すごいですね。皆が皆、職業訓練体験と語学の勉強でハノーバーに集まってきて、こうやってドイツ語を介して、楽しむんですね。 少し、紹介しましょう。

特に仲良しになったのは、例のポーランド人なんですが、その友達の女性3人が全員バルバラと言いまして、ポーランド人の女性にはバルバラが多いんですね。3人もなかなかチャーミングな美人でして、気後れしました。が、一緒に映画にいったりしました。ポーランド人というのは何かと親日的なんですね。それで、周りが、ポーランドは美人の産地なんだ、と教えてくれました。ドイツ人はみな体が大きいんですが、ポーランド人は皆小振りなんですね。見た映画はよく覚えてます。フェデリコ・フェリーニ監督の「アマルコルド」やブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」を見ました。 

それから、ギリシャ人ですけれど、これがまた男ばっかりで、5人くらい友人がいたんですが、3人が「ヤーニ」と言うんです。英語のジョン、ドイツ語のヨハンです。アテネの町を歩いていて、石を投げて、誰かに当たる。痛い、といわれたら、ごめんね、ヤーニ、と言えばいい、というジョークがあるそうです。ハノーバーの市内の湖によく皆で水泳に出かけたものです。それで、ギリシャ人なんですが、ギリシャ彫刻とは趣が違って、どうも、印象が、トルコ人と似ているんですね。後で知ったことですが、現在のギリシャ人というのは、ローマ帝国時代を経て、その後の長い歴史、特に、オスマントルコの長い支配を受けたりして、血の混合があって、今日の姿になったということだそうです。

スイス人は、ニコルと言いまして、知ってる方もいると思いますが、スイスはドイツ語圏とフランス語圏とレトロマン語圏の3ヶ国語が共通語です。彼は、フランス語圏出身で、ドイツ語にはものすごいフランス訛りがあり、とてもチャーミングに聞こえて、女性に人気がありました。

ユーゴスラビア人は、髯を生やして、キューバのカストロにそっくりで、カストロとあだ名されていました。今回、この話をするに当たって昔の写真と手紙を見てたら、かれは、スロベニアのリュブヤーナ出身だったことに気づきました。ユーゴスラビアはなくなってしまいましたね。当時はまだチトーさんが生きていて、独自の社会主義路線でソ連と距離をとり、西側諸国とも交流があったんですね。彼には、「インターナショナル」という歌を教えてもらいました。今でも、私はドイツ語で、歌詞を覚えていて歌うことが出来ます。

フランス人は女性のモニカ。写真に写ってますね。ピンクのパンタロンはいてます。9月に帰国した直後、当時のソ連の空軍パイロットがミグ戦闘機で日本に亡命した事件があり、フランスの彼女から問い合わせの手紙をもらい、返事を出した記憶があります。

これは、ベルリンのゼミ旅行ですね。写真には、ポーランドのバルバラの一人も写ってますね。ちょっと太めですね。それと、アメリカ人のキャサリンです。彼女は、ベルリン旅行参加者の中では一番の美人で、男性学生は皆で彼女の気を引こうとやっきになってました。誰も失敗しました。平等に付き合ってくれまして、私も2時間ほど、ベルリンの目抜きとうりを腕を組んで散歩しました。ブランデンブルク門の前の壁です。もうありませんが。 階段で撮っている写真には、他に、オランダ人、彼の名前は忘れてしまいました。宿舎で、アメリカ西部劇ドラマ「ボナンザ」をビールを飲みながら見て、話し込んだ記憶が残ってます。それと、エジプト人のモニー。 彼女は、エジプトの裕福な家の出で、カイロのドイツ学園を卒業してましたから、ドイツ語は一番よく出来ました。 利発な人で印象に残ってます。

それと、フィンランド人のガールフレンドが出来まして、いい思い出を作りました。写真はここにはありません。秘密です。ヘルシンキから電車で1時間くらいのヒュビンカというところの出身で、北欧人らしく、真っ白な肌、金髪に青い目でした。 が、北欧でもフィンランドは北欧人とは違ってました。フィンランド語はヨーロッパの言語とは隔絶してまして、話によるとウラルアルタイ語の仲間で日本語とは遠い親戚にあたるという話でした。少数民族のラップ人は狩猟民族で蒙古斑が出るそうです。ハンガリーなんかもそうです。それで、お互いに親近感を持ったのかもしれませんね。彼女は、黒澤明の映画や、生け花とか日本文化も知っていたのも親しくなった原因だったかも知れません。 

 

それから、ルームメートですが、最初はオーストリア人でしたが、その後、なんと、パキスタン人でした。彼は、パキスタンからやってきた労働者で、経験なイスラム教徒でした。パキスタン特性のカレーをご馳走になったり、コーランを詠唱しながらメッカに向かって祈る姿も一度見せてもらいました。

写真でツーショットで写っているのは、ステファニーというドイツ人の女子学生で、数学専攻の子でした。背景は、何と、フランスはパリの郊外のベルサイユ宮殿のお庭です!

(続く)

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