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2007年4月29日 (日)

キビタキと戯れる!

今朝は5時に目が覚める。体がだるい。このところずっと忙しい。調子も悪い。にも関らず、野鳥となると、しっかり早起きできるのだ。先週、クロツグミ、センダイムシクイ、ヤブサメなどの夏鳥がやって来た雑木林へと、はやる心を抑えながら出かけた。

そして、ついに、キビタキに会うことが出来た。昨年も同じ時期オオルリと交互に現われてくれたこの雑木林。今朝は、昨年とは反対側の雑木林の縁で早朝から、精力的に囀っていた。なかなか姿を見せてくれなかったが、じっと待つこと30分、とうとう姿を現した。元気なこと、元気なこと。じっとしてくれない。小枝の上で囀ったかと思うとまた別の枝に移ったり。それも緑の茂る高木の茂みが多い。だが、時折裸の枝にも止まってくれた。

あの小さな体なのだなんと大きな声で囀るのだろうか?黄色と黒のツートンカラーも美しい。2時間近く、ずーっとキビタキにつきっきりで戯れた。

キビタキの姿と囀りは→

http://www.yachoo.org/index.php?action=Book&mode=Show&id=560

http://midopika.cool.ne.jp/songs/index.html

囀りだが、6番と9番が今日聞いた囀りに近い。それにしても、キビタキの囀りのバリエーションが多いのにはビックリする。これからもしばらくは、初夏のキビタキの囀りが楽しめるだろう。 残念なのは、オオルリの声を聞けなかったことだ。明日に期待・・・

2007年4月28日 (土)

本と戯れる~私の濫読(3)

翌日の日曜日:

今日は野鳥観察はなし。外の天気が悪い。一日2階で本に囲まれて過ごそうということになる。 

2週間ほど前、新聞でアメリカの作家カート・ボネガット・ジュニア氏の訃報が目に留まった。学生時代に「チャンピョンたちの朝食」を読んだ記憶が蘇った。正義の国アメリカを笑い飛ばすブラックジョークに満ちた傑作だ。卑語もふんだんに出て来る。同氏の「スローターハス ファイブ」は第2次世界大戦でのドレースデン爆撃を扱った傑作で、映画にもなっている。

何故か、大学の授業で使った書き込み入りのテキストとすっかり古びてしまったペーパパックを持っているので、引っ張り出してきて、あちこち、行きつ戻りつしながら、ざっと再読した。

Wide-open beavers inside (女性の秘所のこと)も思い出した。思わず笑ってしまう。この本が出版されたのは1973年だ。ベトナム戦争によってアメリカの社会はがらっと変わったとは1960年代にアメリカのカリフォルニアで労働者として働きながら生活していた作家の石川好も語っているところだ。古きよき時代にFuckとか卑猥語は口に出せなかったのが、公然と女性でも口にするようになったという。

次に手にしたのは、翻訳本「メイキング・ラブ」。10年近く前に翻訳が出て、書評にものった本と記憶する。自分の性生活をここまで正直に赤裸々に語った本も珍しい。しかも、著者はポルノを書くのではなく、れっきとしたピュリッツァー賞を受賞したこともある著名な人だ。

少年時代の性の目覚めから初体験、そして、これまで出会った数々の女性たちとの快楽の探求をつづっている。読み始めると止まらない。セックスに関しては、当人同士しか分からないこととは言え、こう赤裸々に語られると、自分のこれまでのセックスライフがいかにも貧困ではないか、と思えてしまう。ざーっと飛ばし読みしたが、一番最後の箇所でなんと、ドイツの作家エルンスト・ユンガーのキャプテン・リチャードの言葉が引用されているのでビックリした。キャプテン・リチャード曰く「ここが我らの王国、君主国の最良のものにして、最良の共和国。ここが我らの庭園、我らが幸福」。セックスに関しては当事者だけの禁断の世界だ。何をしても許される。お互いが良ければ、ということだろうか。

キャプテン・リチャードとは、ユンガーのSF小説「ガラス蜂」の主人公である。ドイツ語版と英語版を持っているが、これまた、現在までのところ積読状態だ。思い切って、英語版を取り出して読み始めてみた。1950年代後半に出版された本だというが、ユンガーが1998年に亡くなった後に出た再版のようだ。権力とテクノロジーがテーマになっている。誇り高き軍人だが敗戦によって食い詰めてしまっている主人公がキャプテン・リチャードだ。昔の仲間のつてで、最新のテクノロジーを駆使して巨大企業となったZapparoniというイタリア人の経営する会社のセキュリティー担当責任者として雇われる物語だ。100ページほど読み進んだが、なかなか物語は進行しない。主人公は採用面接に広大な敷地にあると思われる本社へと赴くのだが、なかなか謎の権力者Zapparoni氏にたどりつかない。キャプテン・リチャードの軍隊時代の回想が延々と続く。 ここで一休みすることにして本を置いた。

感じとしては、彼が第二次世界大戦中に書いた「大理石の断崖の上で」と雰囲気が似ている。こちらは、ヒトラーのようなタイプを連想させる新しい権力者勢力の拡大と災難の恐怖を一人のアルカイックな生活を送る自由人が、白日の悪夢をみているかのごとく描いた作品である。読後感はなんとも言いようのない奇妙なものだった。

ユンガーだが、時々昔の本を読んでいるといろいろなところで引用されていることに気づいて改めてこの作家の重要性を認識する。日本では殆ど知られていない作家だが。例えば、昨年亡くなったピーター・ドラッカー氏の処女作「経済人の終わり」を最近再読したのだが、第1次世界大戦と世界大恐慌の体験によって何が明らかになったかというと、それまでの資本主義と社会主義は崩壊した、ということと言い切っている。「Modernity(近代産業社会)が要求する目的合理性と機械化は、それ自らの自動運動をはじめ人間が制御できず、人間はその不合理の淵に沈んでしまう非情さに真っ向から取り組み、人間の孤立化と分子化を是認し、本来の存在理由を失ってしまった人間の役割について哲学的表現を捜し求めた」のがユンガーだと。

アメリカのカート・ボネガット・ジュニアの小説もユンガーのように哲学的ではないが、「人間のロボット化」というのが彼のSF小説の重要なモチーフになっている。

毎日、毎日、当たり前のように職場に出勤して、時にはうまく行ったり、時には失敗を繰り返し、日々が過ぎていく自分の生活を振り返ってしまう。自分は本当に幸福なのだろうか?チェーホフではないが、「何故、私たちは本来こうしたい、と思っている生き方ができないのでしょうか?」との呟きとため息が出る。チェーホフは19世紀のロシアの人間を描いたのだが、何と現代の人間(自分だけか?)に通じる言葉を吐いていることか?

日本で活躍しているハンガリー人の天才数学者?にして大道芸人としての趣味を持つピーター・フランクル氏は、何故、日本に住んでいるのか?と聞かれ、日本人のサラリーマンの生活を自分もしなければならないとしたら、日本には住まなかっただろう、というのは意味深長である。日本は治安も良いし、住みやすい国であることは確かだ。公的・私的なサービスも海外に住んだことのある人なら、一長一短はあるが、比較にならないくらい日本の方が良いと思うはずだ。ああ、それなのに。なんなのだろうか?この息苦しさは?

ユンガーの生きた時代は確かに、悲劇的だった。第一次世界大戦と第二次世界大戦、その間、革命騒ぎが世界のあちこちであったし、沢山の血が流れ、無辜の人々の命が失われた。

その不条理を、平和ボケしたこの現代の日本人、いや、当のヨーロッパ人も忘れてしまっているのではないか。戦後(古びれてしまった言葉だ)60年近く、西ヨーロッパと北米と日本は繁栄を謳歌してきたが、また、あのような(私自身経験のない)不条理な運命に苛まれることがないと誰が言えようか?しかも、現在は、ポストモダンの言葉とは裏腹に、ますます、グローバリゼーションの名のもとに、テクノロジーによる権力と支配は巧妙に行われているではないか?

その意味で、想像を絶する不条理と恐怖を身をもって体験して、激動の時代を行き抜いたユンガーの紡ぎだす言葉には、進歩する物理的環境とは裏腹に、進歩することのない人間の意識・無意識への強烈な照射があって、魅惑されるのだと思う。

フランス人の哲学に寄れば、「幸福とはおいしい食事をすることと、魅力的で美しいパートナーとセックスをすること」に尽きるらしい。確かに、これはもっともなことだ。しかし、これだけでは人は生きていけないことも確かだ。人生の大半は、この快楽を享受するための前戯ではないだろうか?前戯だけで本番がなければ、まさに不幸だが。しかし、もっと本質的なことは、食事とセックスだけではやはり十分ではないということだ。そして人生の大半はそのための前戯でもないのだ。権力と名誉というものがある。「人生は舞台、そしてあなたは役者」だとすると、やはり、人間は何らかの役割を担う運命にある。そして、そこには権力の行使の問題が不可避的に出てくるのだ。死を賭けた戦争でも、またその擬似体験版である、企業間の競争と優勝劣敗。日常生活の中での経済活動の単位となる組織の中に於いても。男女関係もそうだし。

以上は、年に何度か、ふと深い物思いに浸る瞬間に湧き上がって来る問いだ。そして、また、日々の忙しさに打っちゃることで、しばらくは、意識の外に宙吊り状態のままにしておくのだ。

私は、ずーっとこの繰り返しで今まで生きてきたような気がする。

某月某夜、深夜過ぎ就寝。

2007年4月26日 (木)

本と戯れる~私の濫読(2)

本をパラパラめくりながら、物思いに耽っていると午前中はあっという間に過ぎてしまった。

昼食を取って、しばらくゴロゴロしながら休む。そして、昼寝でもしようかと思い2階のベッドにおもむろに入る。たまたま目に留まったミケシュの「いかにして70歳になるか」を手にする。英語版だ。1度読んだことがあるが、随分昔のこと。最近は、仕事柄、しっかりした英語を勉強せねばと、持っている英語関連の本を再読し始めた。辞書を引かずに、100万語読む。確かに、辞書を引かなくても大体の意味は分かるし、ストーリーに引かれてずんずんと読み進めた。著者はハンガリー出身のジャーナリスト。第二次世界大戦勃発とともにイギリスに亡命・帰化してしまったがこの本は晩年に書かれた自伝である。

第1次世界大戦直前にハンガリーの田舎町に生まれ、敗戦とハプスブルク帝国の崩壊、ジャーナリストになる夢を追いかけ、両親と妥協の末、ブダペスト大学で法学博士号を取る勉強の傍らジャーナリスト修行との掛け持ちの日々。映画や舞台の批評を書き、女優と浮名を流したりする。ミュンヘン危機とロンドン取材。第二次世界大戦中でのBBC関係の仕事。1945年、祖国解放の年、母国ハンガリーには帰国せずにイギリスに留まる。

出版した「いかにして外人になるか」はベストセラーになり、以後ユーモア作家として成功する。数々の旅行記を著す。高名な数学者である弟が勤めるプリンストン大学ではアインシュタインと知遇を得て自著を献呈したくだりや、同じブダペスト出身の作家アーサー・ケストラーとの出会いと友情関係の話が出てきたり、ハンガリー危機の際のBBC取材や、趣味のテニス、妻、子供たち、人生訓、そして、時折織り交ぜられるジョークが楽しく、あっという間に再読完了。日曜の午後、外は天気が悪くて寒かったが、いい本を読んだあとの余韻に浸ってポカポカ気分になる。

アーサー・ケストラーは気になる作家だ。ミケシュの著書で知っていたが、第2次世界大戦前から戦後の1時期にかけては、ジャーナリスト兼政治的著作物で著名であったが、ある時期を境に、哲学(科学論・オカルトなど)にのめりこんで、次々と本を書き、最後は、病を得て婦人と心中してしまった。手元には、彼の後期の著作「ホロン革命」や「機械の中の幽霊」もあるし、自伝で唯一翻訳が出ている「目に見えぬ文字」もある。さらに、ロンドンのチャリングクロスの本屋で偶然購入した評伝「Arthur Koestler Homeless Mind」(英語版)も本棚に見える。いずれも読みかけのまま放り出しておいたものだ。唯一読破してのは彼の「スペインの遺書」である。スペイン市民戦争の取材で出かけて、フランコ政府軍の捕虜になり死刑の判決を受けて収容されてイギリス政府関係筋の尽力で解放されるまでの自分の心中を綴ったドキュメントである。毎晩死刑囚の銃声を聞きながら・・・いつ自分の番が来るのか、おびえながら・・・。

書き出しの1行で、魅了されて引き込まれてしまう本がある。ケストラーの「目に見えぬ文字」もそうだった。

「清らかな泉に赴くように、私は共産主義に赴いた。そして、水禍に見舞われた町々の残骸と溺死者の死体の散乱する汚濁の川から這い上がるようにして、私は共産主義を捨てた。」

東京は八重洲ブックセンターで偶然この本を見かけて手にしたとき、最初のページを開いてこの書き出しに出会ったとき、「雷に撃たれたように」惚れ込んでしまった。定価6000円。高いなぁ。本棚に戻した。その後、何度かこの書店に立ち寄るごとに、この本のそばを通りかかると、この本が気になり、そのたびにこの本を手にして、最初の書き出しを読み返し、目次を眺めたものだ。その後忘れてしまっていたが、数年後のある日、再びこの本を目にして、ついに購入した本だ。こうなると、本の内容よりもその出会い方と書き出しだけで購入したのか、といぶかりたくなるが、現在四分の一まで読了している。 

夕方、家族で夕食団欒のひと時を過ごす。そして、お風呂に入り再び2階へ。再び英語の本に手を伸ばす。「Excuse me, Miss, have you seen the Acripolis?」だ。副題が、A Foreign Woman’s Guide to Greek Godsとある。今から20年以上前のこと、アムステルダムで研修していたころ、友人とアテネに遊びに出かけた。確か、5月のことだ。23日。ジュネーブ経由で今はもう無くなってしまったスイス航空で飛んだ。到着してタラップを降りてビックリしたのは、ヨーロッパの香りというより、中近東の香りを強く感じたことだ。エキゾチックだった。タクシーで街中のホテルへ。併走するオートバイには胸毛が見えるにやけたギリシャの色男が、後ろにこれまた挑発的な美女を乗せていた。

青いエーゲ海と白い家々が軒を連ねるエギーナ島では沢山の蝉が真昼時あたり一面で鳴いていた。アテネのリカビトスの丘、パルテノン神殿、シンタグマ広場、ウーゾ酒の香り、ブズーキという弦楽器とギリシャの踊り。泊まったホテルは道路に面していて、夜通し車が行きかい、煩くて眠れなかった。すべては遠い昔のセピアカラーで忘却のかなたに消えようとしている。

黄色い背表紙のこの一冊の本。アテネに魅了される北欧、イギリス、ドイツ、アメリカ、オーストラリアの白人女性たち。いわゆるプロテスタントの国々の白人女性たちが、イタリア人以上に?情熱的なギリシャ人男性に追い回され、女として目覚め、恋に落ちていく。女性向けのユーモアたっぷりの指南書である。シンタグマ広場で、エーゲ海の島々で、バスの中で、ディスコの中で、いたるところで、貴方はギリシャの男たちの恋のターゲットになる。

最近は知らないが、バリ島は恋を楽しむ独身の日本人女性の隠れたスポットであると聞いたことがある。豊かな国で生活しながら、何か物足りないのが人間の常。主人公のサンドラは一旦、ギリシャを去り、ニューヨークの友人の家に身を寄せるが、忘れられないギリシャの味。最後は、再びギリシャの地を踏むところでハッピーエンド。だが・・・・その後のサンドラはどうなっただろうか?映画「卒業」のダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスのその後が気になるように。など、つらつら思いながら22年ぶりにこの本を読了。

(続く)

2007年4月24日 (火)

本と戯れる~私の濫読(1)

このところ、ずーっと週末は野鳥観察以外はどこにも出かけず、読書に没頭。書物に淫する日々だ。私の読書は大方、以下のような経過を辿る・・・。

たとえば某月某日の土曜日:

たっぷりと熟睡した心地よさで目覚めた土曜日の朝。ゆったりと朝食を済ませると、まずトイレに入る。春のぽかぽか陽気に誘われて、「春眠暁を覚えず」の漢詩が思い出される。やおら、「杜甫」の漢詩をトイレに持ち込んで漢詩を2,3読む。李白とか王維でも良いのだが。漢詩は唐の時代が圧倒的にすばらしい?というのは、素人の思い込みに過ぎないだろうか。私の読解力は高校時代とそう変わらない・・・。

彼らは、今から随分昔(1200年~1300年前)の唐の時代の大詩人だ。唐は、言ってみれば我々日本人の文化に多大な影響を与えている。明治に至るまで「中国」は日本に影響を与え続けて来たと言えるのだろうけれど、唐の時代のインパクト、日本国をあげての?没頭ぶりを考えれば、唐以降の日本と中国の関係は今日の日中関係と同様あまり親密ではなかったように思えると思うのだがどうだろうか?

中国人に言わせると、日本の皇室の雅楽は、唐の時代そのままの中華文明の文化遺産に他ならない。中国人の反応でおもしろいのは、日本の歴史的建造物、例えば、奈良時代の法隆寺にしても、偉大な中国の分家よろしく、日本に中国文化が保存されている、という感覚らしい? 

我々日本人にすれば、アメリカのエンパイヤーステートビル(喩えがちょっと古いか?)よろしく20世紀のテクノロジーの粋をコピーして、東京にモダンな高層ビル群を現在もどんどん作り続けているのだが(日本だけでなく、全地球的にそうなっているのだが)、1300年後のアメリカ人が六本木ヒルズだか汐留のビル群を見てどうコメントするだろうか?そういえば、アメリカには「猿の惑星」という映画があって、最後のシーンは衝撃的だった。東京にも1300年後の未来には同じように、廃墟となった砂浜にうずもれるビル郡だけが残っているかも知れない。尚、穿った見方では、猿の惑星の猿とは実は日本人なのだそうだ。

韓国の時代劇ドラマでは、白装束の文民貴族(やんばん)が出てくるが、あのスタイルは、中国は明の時代のスタイルそのものだという。明の風俗がそのまま朝鮮半島に残っているのだ。本家中国は、清王朝の支配で、すっかり風俗が変わってしまったのだという。チャイナドレス自体が、チーパオという満洲人がもたらしたファッションなのだそうだ。

漢詩で始まった朝の読書は、以上のような連想飛躍があって、2階の「聖域」にあがり、最近出版された「シルクロードと唐帝国」(守安孝夫著)につながり、続いて「DNAから見た日本人」(斉藤成也著)をパラパラと覗くことになる。

前者は、唐という大帝国は、実はユーラシア大陸の交通路のなかでペルシャ系の商人(ソグド人)や匈奴、突厥などモンゴル系、トルコ系の騎馬民族の交易ネットワークに乗った大帝国だったことを詳細に述べている。安史の乱の主人公安緑山はソグド人の父とトルコ人の母の間に生まれたらしい。李白の詩にも歌われうる胡姫とは、ペルシャ系の白人の踊り子であったという。唐の時代の西安は、現代のニューヨークかロサンジェルスといったところだろうか?

後者で面白かったのは、ミトコンドリアDNAの遺伝子系図とやらで、中国の山東省あたりの遺跡の人骨を調べて見ると、今から2500年前の春秋戦国時代の当時埋葬された人たちは、現代ヨーロッパと中近東から中央アジア集団の中間の人間タイプが多く発見されるという。ところが、500年後の前漢末期の時代の人骨を調べると、中央アジア集団タイプになる。現在は、いわゆる日本、朝鮮半島も含めた東アジア集団のタイプで占められているという事実は驚くべきことである。古代中国においては、現在の東アジアとは想像もつかない西ユーラシアの人々の集団があったこと、秦が倒れて項羽と劉邦の戦いで漢が興った内乱でおびただしい人名が失われて空白地帯に新しい系統の人間が入り込んだことはこれと関係があるらしい。

文明的に孤立した日本のことをいろいろ最近考えているのだが、なかなか刺激的である。日本古代の縄文人と弥生人のミトコンドリアDNAはさてどうなっているかというと、大方の予想通り、現代の東アジア人集団に共通する。いってみれば、中国も朝鮮も台湾もフィリピンもマレーシアもインドネシアもモンゴルもだいたい似たり寄ったりということだろうか?後は、北海道出土のものでは、ヨーロッパ人のものと一致するのがあるというのが目を引いた。

(続く)

2007年4月22日 (日)

センダイムシクイ、ヤブサメがやって来た!そして、エナガの巣立ち雛にも遭遇。

今朝は5時に目覚ましで起床。チーズ入りフランスパンを齧りながら、家を出る。そしていつものバードウォッチングスポットへ急いだ。外はもう明るい。

ウグイスが自宅のすぐそばに住み着いている。昨日も夕方遅くまで1日中囀っていた。パートナーがまだ見つかっていないのだろう。今朝も目覚ると同時に?ウグイスも囀り始めた。スズメも一斉に囀りだした。2階の窓を開ければ、メジロもすぐ近くで複雑な囀りを聞かせてくれている。

ツバメの巣を覗く。すぐ前の電線に1羽ツバメが止まっている。巣を覗くと1羽が抱卵している。すぐ近くの電線でシジュウカラが囀っている。野鳥は早起きだ。

はやる心を抑えながら、徒歩で15分。目的地に到着した。今日は天気がいまひとつだ。天気予報では雨がふるらしい。人っ子一人いない某所雑木林公園。アオジやツグミやシロハラが地面に降りて盛んに朝食を取っている!いきなり、元気なアオジの囀りが近くでした。思わず聞きほれる。3月終わりごろのぐずるような遠慮勝ちの囀りではない。本格的なものだった。

湧き水が出る近くの広場で、雑木林を望みながらベンチに座ったり雑木林の中を歩いたりすること3時間。野鳥の声と時折散歩する年配の人たちの姿があるだけ。雑木林の奥のほうでオオタカの鋭い声がする。2羽の番がいるのだ。時折、カラスの大騒ぎにたまらず飛び出す姿を2度、3度目撃する。シジュウカラ、ウグイス、ヤマガラ、ヒガラ、アオジがひっきりなしにあちこちで囀る。時折、アカハラの囀りも聞こえる。昨日聞いたクロツグミは残念ながら聞こえない。

まだかなぁ、まだかなぁ、と思っていたら、チチョチチョビィーと懐かしい囀りが聞こえてきた。センダイムシクイだ。今年初めての囀りを聞く。これで、今日のバードウォッチングならぬリスニングはOKだ。チチョチチョビィーを何度も聞いているうちに、左手の湧き水がでる小川のそばの笹薮から、虫の声のような鳴き声が聞こえてきた。ヤブサメだ!囀りというよりは地鳴きのような地味な声。姿はめったに見られない。センダイムシクイもうっそうとしげる常緑樹の緑の天辺付近を伝い飛びながら囀っているようで、双眼鏡で拝むことは出来なかった。

昨年は何度か目にする機会があったが、ウグイスにそっくりである。ヤブサメもウグイスの仲間でそっくりさんだ。私のような素人では見分けが付かないという。囀りでかろうじて判別できるくらいだ。 詳しくは昨年8月14日のブログ参照。

http://birds-eat-bookworm.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_3192.html

ヤブサメはたとえば、以下を参照。

http://nwbc.jp/torizukan/24yabusame.html

期待のオオルリ、キビタキには会えなかった。しかし、この後、エナガの巣立ち雛に遭遇。親鳥の給餌を受けていたが、地上から数メートルの緑の茂みの小さな枝に雛たちがぴったりと寄り添っている姿はほほえましく、1時間余計に付き合ってしまった。何羽いるのか良く分からなかった。最初は5羽かなぁ、と思っていたがじっくり観察しながら数えると、何と8羽もいた。皆、親鳥より大きく丸々と太っていて、嘴の周りはまだ黄色い。インターネットで見つけたこんな写真の感じだった。

生憎、空模様が怪しくなって来て、9時半すぎに帰路に着く。4時間ちかく雑木林をほっつきあるいてしまった。帰り道、道端の雑草(オオイヌノフグリ、ホトケノザ、西洋タンポポ、関東タンポポ、ナズナ、スギナ、シロツメクサ、ヒメジオンなどなど)や、蝶々(モンシロチョウ、モンキチョウ、ヤマトシジミ、ベニシジミなど)と戯れながら10時過ぎに帰宅。もちろん、目はキラキラ、心は空っぽで。

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2007年4月21日 (土)

クロツグミの囀りを聞く!

寺山修司だったろうか。サヨナラだけが人生ならば、また来る春は何だろうか、とどこかで言っていたのは。桜が例年通り咲き誇っていたと思ったら、いつの間にか散ってしまった。暖冬だった今年の冬だが、4月に入ってからは寒い日々。それでも、桜が散って、緑が映え始めたと思ったら、この2週間で随分と濃くなってきた。

新学期が始まって、毎日バタバタ、忙しかった。そろそろ夏鳥が姿を見せる今朝は早起きして、バードウォッチングへ、と思っていたのだったが、寝挫けてしまった。真面目に仕事しているから仕方がない!?疲れで体がすこしだるかったが、夏鳥に再会する期待感が打ち勝った。双眼鏡を持って8時半過ぎに家を出る。

自宅近くの雑貨屋さん(コンビニではない)の軒下にツバメの巣が出来ている。昨年も2度子育てして合計10羽が巣立っていった。今年も帰ってきたのはなんともうれしい。

今日は風が強かった。出遅れもあってあまり期待はしていなかった。それでも、ウグイス、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラ、カワラヒワの元気がいい囀りをあちこちで聞きながら、もうすぐシベリアへ渡る準備だろうか、ところどころでツグミたちが群れている姿を目にした。

アオジもまだ少し残っている。今週は大学のキャンパスでも囀りを聞いたし。突然、コジュケイのけたたましい恋の叫びを始めた。それも、小さな潅木によじ登ってこれでもかこれでもかと鳴いていた。チョットコイ、チョットコイ、チョットコイ・・・・。アオゲラらしき地鳴き(恋の歌)も時々聞こえる。エナガのカップルも居た。どうも近くに巣があるようだ。

頭はぼーっとしている。まだ、来ないかぁ。オオルリとかセンダイムシクイとか、キビタキ・・・人一人いない公園を、初夏の香りすら感じる風に吹かれて歩いていると、今までとは違う囀りが聞こえてきた。心臓が高鳴った。おお、クロツグミの囀りだぁ!

湧き水がでるところの石段を上がる。心臓がバクバク。ヨーロッパやニュージーランドでも聞いたことのあるブラックバード(クロウタドリ)に似たとても美しい囀り。

CDでも何度も聞いてメロディーは分かっている。まさに、CDが再現されたかのような囀りがすぐ近くの高い木の上の方からする。

双眼鏡で姿を探すが、どこにいるのか?そろり、そろり、近づいて姿を探すのだが、とうとう見つからなかった。警戒心の強いツグミの仲間だからだろうか、囀りは突然止んでしまった。

何とか姿を見るまでは、と1時間近く粘った。1度だけ、2度、3度囀りがあったが、また止んでしまった。図鑑ではおなじみのクロツグミだが、残念ながら姿を拝むのはお預けとなってしまった。しかし、しかし、今日はクロツグミの囀りを人生で初めて聞いた、それも平地のなんでもない雑木林で!新しい種との出会いに、久しぶりに満ち足りた自分を感じることが出来た。

自宅に戻り、CDで復習をして、おまけでビートルズのブラックバードを聴いて、そして、たっぷり昼寝を貪った。

クロツグミについては、インターネットでも沢山書き込みがあるんですね。

http://www.k4.dion.ne.jp/~chitata/merle%20noir.html

http://f35.aaa.livedoor.jp/~gotozoo/bird/kurotsugumi.htm

http://kochan01.cool.ne.jp/link/yatyo/kurotugumi.html

2007年4月 6日 (金)

味の記憶 その5 カツレツ~ キエフ風チキンカツレツ・狩人風カツレツ・ウィーン風カツレツなどなど

阿川弘之氏の「食味風々録」をぱらぱら読んでいたら、ビフテキとカツレツの章で、同氏がパリで食べた「コットレット・ア・ラ・キエフ」のくだりに出会い、思わず、そうだぁ、と呟いてしまう。私にも思い出がある一品である。

ロンドンで仕事をしていたころに出会った料理だ。来る日も来る日も仕事に追われ、ロンドンという食事には期待できない?大都会で、毎日をジャンクフードで打っちゃる日々だった。が、夜は若い日本から派遣されてきた研修員とよくイタリアレストランやハノーバー・スクウェアーにある日本料理店に出かけてはお腹一杯食べたものだ。

パスタやピザ、カツどん、餃子、チャーハン、ラーメン、焼肉定食、鯖の塩焼き定食にあきあきしていたある日、会社の近くのイタリアレストランでメニューを見ながら、何か違うものを頼んでみよう、ということで、Chicken Kievというのを頼んでみた。誰も食べたことのないメニューだ。どんなのが出てくるのか?あまり期待しないで待っていた料理だったが、出てきたのはチキンカツレツだった。

こんがりと狐色に揚げられた鶏肉。ナイフを入れると、バターとレモンとニンニクとパセリの混じったスープが中から溢れ出て来ていかにも美味そうな匂い。一口頬張ると、メチャクチャ美味かった。これをきっかけに、病み付きになってしばらくは、このキエフ風チキンカツレツを贔屓にしたものだ。

カツレツというと、ミラノ風カツレツ、ウィーン風カツレツとあるが、こちらは、豚肉とか仔牛肉を使っていたと思う。ドイツ語では、Schnitzel(シュニッツェル)と言う。1976年に初めて海外に出かけてこのシュニッツェルを食べたのは、チェーンレストランWienerwald(ウィーンの森)で場所は北ドイツのハノーバーだった。学生でお金もなく、お腹がすいていたので、ウィーン風カツレツに山盛りのフライドポテトは美味かったことを覚えている。

次の記憶は、やはり、ドイツのフランクフルト郊外の地元レストランで、取引先の方にご馳走になった「狩人風カツレツ」(Jaegerschnitzel)であった。これは、カツレツに盛り沢山のキノコを使ったクリームソースがたっぷりかかった料理だ。

元祖オリジナルはミラノ風カツレツだと聞いた。フランス料理だって、イタリア宮廷料理が17世紀以降に洗練されて出来たものだ。イタリアは偉大なり。残念ながら、ミラノには出かけたことがないので、ミラノ風カツレツは味わったことがない。しかし、ミラノの伝統は、ハプスブルク帝国の支配時代を通じて、ウィーンに根を下ろし、今ではオーストリアを代表する?定番メニューの一つとなっているようだ。

数年前のある日、ウィーンにはかなり造詣が深い会社の先輩に連れられて、池袋は江古田にあるレストランに出かけて、ウィーン風カツレツなるものを賞味したことがある。学生時代に海外で食べて美味しかった記憶があるのだが、実は味覚そのものはすっかり忘れていたのだった。 シェフが作るウィーン風カツレツは、すでに中年の域に達して、多少は修行を積んですれているはずの自分の舌を納得させるだけの見事なものだった。

そのレストランのシェフは、日本人で、確か、横浜グランドホテルの厨房で修行して、海外に飛び出し、ウィーンに流れ着いてさらに腕を磨いたそうだ。確か、そうだった。カツレツも美味かったが、いっしょに食べたリゾットも美味かった。

ロンドンのキエフ風、フランクフルト郊外の狩人風、日本は江古田のウィーン風のカツレツ。どれに軍配を上げるか?これは、ちょっと難しい。強いて言えば、やはり、バターとレモンにニンニクとパセリがミックスしたロンドンの、もう名前は忘れてしまった、ニューボンドストリート界隈にしては、すこし、安っぽいイタリアレストランで食べたあの、Chicken Kievになるだろうが、狩人風も、ウィーン風カツレツも、又、機会があれば是非賞味したい料理である。

(続く)

2007年4月 4日 (水)

旅の記憶シリーズ(3)菜の花を巡る旅・ 我が家~鹿児島~ドイツの田舎

菜の花は大好きだ。宅地化が進んで我が家の東向きの畑と雑木林がいつのまにか無くなってしまった。18歳で上京したのだが、それ以来ろくすっぽ実家には寄り付かなかった。それでも、7~8年前までは、たまの夏休み、帰省すれば、東向きの畑と雑木林からは涼しい風が入って、2階のベッドで昼寝を貪るのはなかなかの快楽だな、と思ったものだ。言ってみれば別荘みたいなものだった。

子供の頃、春先になるとあちこちでヒバリの囀りを聞いたものだが、そのころの情景はあたり一面咲き乱れる菜の花の黄色と一緒に、なつかしく、そしてまた愛着を感じるセピアカラーの記憶として残っている。

社会人になって、しばらくてのこと、30代前半のころだろうか?鹿児島に出張したとき、鹿児島空港から市内までバスで移動中に、ぼんやりと外の景色を眺めていたら、一面、黄色・黄色・黄色の菜の花畑に出会った。息を呑んだ。

途端に、郷愁を覚えたものだ。春先の菜の花畑の黄色・黄色・黄色。そして、あちこちで乱舞するモンシロチョウ。

東京を引き払って、田舎に戻った年2年前の春、ドイツを仕事で旅行した。あちこちでまたまた、あの黄色い菜の花を見かけた。聞くところによると、環境問題に取り組む国の政策で積極的に菜の花を栽培してるという。時期はまさに、麗しき5月。 Im wunderschonen Monat Mai …. ロベルト・シューマンの歌が頭の中で響き渡る。

帰国前日の夕方、取引先の人に連れられてフランクフルトの郊外をドライブし、夕刻、旅籠風のレストランで夕食を取った。旬のアスパラガスを賞味した。何の変哲もない白い根っこを湯がいたものだが、バターソースを掛けて食べる。なかなか美味かった。

おいしいドイツビールを飲み、香草入りのワインも一杯飲んだ。MAIL BOWLERとかなんとか。ご一緒していただいたS女史は、Saumagen(豚の胃袋)を食べている。 大丈夫っすか? そんなグロテスクなもの食べて! おいしいですよ! 名前と違って、中身は胃袋ではないんです、といいながら、酢漬けのキャベツと一緒に頬張っている。 胃袋でないなら、一体何なんだろうか? しつこく聞くのが憚られて、小職も一口頂いたが、なかなか美味であった。 「豚の胃袋」と言われて、腰を引いてはいけないのだ。

デザートはApfelstrudel。 ドイツ風リンゴケーキだ。一口頂いたが、めちゃくちゃうまい。一口頂戴して、私は、自家製のチーズをさらに食べた。 このチーズはモッツアレラチーズみたいでアッサリしている。玉葱の輪切りとワインビネガーが掛かっている。 こういう食べ方もあるのか! メニューの名前は、Hauskaese mit Musik。 日本語で訳すと、「音楽付きの自家製チーズ」である。 Y社長によると、音楽付きの意味は、チーズを食べるとオナラがでるとのことである。 洒落た名前をメニューに付けるものだと感心する。

レストランのシェフは190センチはあろうかという巨体の持ち主。Y社長によると、ある日本人の女性に惚れて一度、日本まで追いかけていったらしいが、夢破れて、いまは、この辺りでは評判のレストランを経営しているのだと言う。人間は挫折を糧に、飛躍するということか?そして、挫折は、人を哲学者にもする。 レストランのメニューを見ればわかる。 持って帰りたいぐらいだった。ドイツの文人の食に関する箴言の抜書きがところどころにプリントされている。肉料理のところは19世紀の哲学者ニーチェだった。

Man lebt nicht nur vo Brode, sondern auch vom Fleische…….

人はパンのみで生きるにあらず、 肉もまた必要なり・・・

出典は、「ツァラトゥストラはかく語りき」からとある。 もぐもぐと、食物を咀嚼しながら、あれこれ思い巡らす。 箴言の楽しみだ。

食事をしながら、Y氏の音楽に関する薀蓄を聞く。 「小さい秋みつけた」という日本の歌は、チェコの作曲家スメタナの「パクリ」だそうだ。 スタンリー・キューブリックが「2001年宇宙への旅」で「美しき青きドナウ」を使ったのは天才的なヒラメキである。 私が割り込んで、マーラーの交響曲5番のアダージョ(これほど耽美的なメロディーがあろうか?)は、ルキノ・ヴィスコンティ監督が映画に使いたくて、トーマス・マンの「ベニスに死す」を映画化した、などなど。 

菜の花から脱線してしまった。菜の花に戻る。菜の花はおいしい。我が家で春先は、毎度のように「おひたし」が食卓に出る。飽きない。そういえば、数年前、悪友と広州で遊んだときに、中国人と飲みながらつっついた菜の花の中国風おひたしは絶品だった。海南島に移動する飛行機の乗り継ぎでたまたまビールを飲みながらつまんだのだったが、あの中華風おひたしは、忘れられない。菜の花を湯がいて、ニンニクと油と醤油とお酒と何か調味料の味付けをしたシンプルなものなのだが、何故もあのような絶妙な味になるのだろうか?

2007年4月 2日 (月)

桜咲く春、ディーリアスを聞きながら・・・

昨日は、ポカポカ陽気だった。初夏のような心地よい陽気に誘われて、野山をあちこちほっつき歩いた。野鳥は一段と勢いよく囀る。特にあちこちでカワラヒワが囀っていた。あちこちで、群れが、電線の上で、木の上で、ピリピリコロコロ、ビュイーン、ビュイーン。ピリピリコロコロ、ビュイーン、ビュイーン。

http://nwbc.jp/torizukan/26kawarahiwa.html

ドイツのハンブルクに滞在した3年前の5月連休のこと、早朝、近くのアルスター湖を散策して朝食にホテルに戻った時、ホテルの屋上のアンテナの上で、このカワラヒワ(現地ではどうもズアオアトリと言うらしい)がまったく同じ調子で囀っていたのにはビックリしたものだ。

まだ咲き残っているコブシの木の白い花が散るのを惜しみながら、覚えたての雑草をしげしげと観察したり、沢山の野鳥の囀りを聞いたりして、歩き疲れて、帰宅して、一休みした午後のひと時。久しぶりに、そして、思い出したようにイギリスの作曲家ディーリアス(Frederic Delius)の「春初めてのカッコウを聞いて」を聞いた。春に相応しい音楽だ。毎年、春先にはこの曲を聴く。

作曲はイギリス人、といっても、ドイツ人の両親のもとにイギリスで生まれ、アメリカに渡り、ライプチヒで音楽の勉強をしたりして、結婚してパリに落ち着いた時、本人は永年のボヘミアン生活の結果、梅毒に侵され、晩年は半身不随・失明の苦しみを味わった人らしい。

この曲は、1912年に作曲された交響詩だ。どこまでもなだらかにうねるイギリスの田園地帯を車に乗ってドライブを楽しんだことがある。その田園地帯の風景が脳裏に蘇る。7、8年前の、5月の春先だった。ヨーロッパの4月はまだまだ日本より寒い。

日本では、カッコウは5月半ばくらいになってやってくる。託卵する相手のオオヨシキリやウグイスが卵を産んで暖め始めた直後のことである。カッコウは、ホトトギスやツツドリなどと同じ仲間で、卵をこれらの野鳥の巣に産みつけて、雛を孵してもらい、さらに子育てもしてもらう。しかも、後から卵が産み付けられた卵が、真っ先に孵り、しかも、本来の卵や同時に生まれた本来の雛たちを巣の外に押し出して親からもらう餌を独占してしまう。何ということだ!もともと、体が違う。餌を独り占めして、またたくまに親鳥の3倍近い大きな若鳥になって巣立っていく。

だから、日本の季節感で言えば、「春初めてのウグイスを聞いて」というのが本当のところだろう。1度目のCDが終了した。外から、メジロの囀りが聞こえる。2度目を聞く。なだらかに、早春を感じさせる感じで曲は始まる。カッコーの鳴き声らしきものが入ってくる(楽器の識別がかなりいい加減だ)。クラリネット?静かに人知れず、春の情景が繰り広げられる。最後は消え入るように終わるフレーズがイイ。陶然としていた自分がはっと我に帰って、ちょっと、憂鬱の中に閉じこもっていくような感じだ。勝手にこんな解釈をしていいものかだが、自分の気分にぴったりの雰囲気を持っているのがこの曲だ。

イギリスの鬼才映画監督ケン・ラッセルが、晩年のディーリアスを描いた映画を作っていてなかなかの秀作だというが、ビデオやDVDを探しているのだが見つからない。ケン・ラッセルは、他に作曲家「グスタフ・マーラー」の映画も作っている。エリック・フェンビーという人が、晩年のディーリアスに付き添うようにして生活し、彼の伝記をまとめたというが、これも読んでみたい本だが・・・。

あぶない、あぶない、また、もの思いに耽りそうだ。また、我に返る。外は、もう16時過ぎだが、ウグイスが自宅近くで盛んに囀っていた・・・。

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