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2007年4月 2日 (月)

桜咲く春、ディーリアスを聞きながら・・・

昨日は、ポカポカ陽気だった。初夏のような心地よい陽気に誘われて、野山をあちこちほっつき歩いた。野鳥は一段と勢いよく囀る。特にあちこちでカワラヒワが囀っていた。あちこちで、群れが、電線の上で、木の上で、ピリピリコロコロ、ビュイーン、ビュイーン。ピリピリコロコロ、ビュイーン、ビュイーン。

http://nwbc.jp/torizukan/26kawarahiwa.html

ドイツのハンブルクに滞在した3年前の5月連休のこと、早朝、近くのアルスター湖を散策して朝食にホテルに戻った時、ホテルの屋上のアンテナの上で、このカワラヒワ(現地ではどうもズアオアトリと言うらしい)がまったく同じ調子で囀っていたのにはビックリしたものだ。

まだ咲き残っているコブシの木の白い花が散るのを惜しみながら、覚えたての雑草をしげしげと観察したり、沢山の野鳥の囀りを聞いたりして、歩き疲れて、帰宅して、一休みした午後のひと時。久しぶりに、そして、思い出したようにイギリスの作曲家ディーリアス(Frederic Delius)の「春初めてのカッコウを聞いて」を聞いた。春に相応しい音楽だ。毎年、春先にはこの曲を聴く。

作曲はイギリス人、といっても、ドイツ人の両親のもとにイギリスで生まれ、アメリカに渡り、ライプチヒで音楽の勉強をしたりして、結婚してパリに落ち着いた時、本人は永年のボヘミアン生活の結果、梅毒に侵され、晩年は半身不随・失明の苦しみを味わった人らしい。

この曲は、1912年に作曲された交響詩だ。どこまでもなだらかにうねるイギリスの田園地帯を車に乗ってドライブを楽しんだことがある。その田園地帯の風景が脳裏に蘇る。7、8年前の、5月の春先だった。ヨーロッパの4月はまだまだ日本より寒い。

日本では、カッコウは5月半ばくらいになってやってくる。託卵する相手のオオヨシキリやウグイスが卵を産んで暖め始めた直後のことである。カッコウは、ホトトギスやツツドリなどと同じ仲間で、卵をこれらの野鳥の巣に産みつけて、雛を孵してもらい、さらに子育てもしてもらう。しかも、後から卵が産み付けられた卵が、真っ先に孵り、しかも、本来の卵や同時に生まれた本来の雛たちを巣の外に押し出して親からもらう餌を独占してしまう。何ということだ!もともと、体が違う。餌を独り占めして、またたくまに親鳥の3倍近い大きな若鳥になって巣立っていく。

だから、日本の季節感で言えば、「春初めてのウグイスを聞いて」というのが本当のところだろう。1度目のCDが終了した。外から、メジロの囀りが聞こえる。2度目を聞く。なだらかに、早春を感じさせる感じで曲は始まる。カッコーの鳴き声らしきものが入ってくる(楽器の識別がかなりいい加減だ)。クラリネット?静かに人知れず、春の情景が繰り広げられる。最後は消え入るように終わるフレーズがイイ。陶然としていた自分がはっと我に帰って、ちょっと、憂鬱の中に閉じこもっていくような感じだ。勝手にこんな解釈をしていいものかだが、自分の気分にぴったりの雰囲気を持っているのがこの曲だ。

イギリスの鬼才映画監督ケン・ラッセルが、晩年のディーリアスを描いた映画を作っていてなかなかの秀作だというが、ビデオやDVDを探しているのだが見つからない。ケン・ラッセルは、他に作曲家「グスタフ・マーラー」の映画も作っている。エリック・フェンビーという人が、晩年のディーリアスに付き添うようにして生活し、彼の伝記をまとめたというが、これも読んでみたい本だが・・・。

あぶない、あぶない、また、もの思いに耽りそうだ。また、我に返る。外は、もう16時過ぎだが、ウグイスが自宅近くで盛んに囀っていた・・・。

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