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2007年10月14日 (日)

気ままにおしゃべり(7) 寺山修司~丸山薫~小田実

ふるさとの 訛りなくせし 友といて モカ珈琲は かくまでにがし   「歌集」

グローバリゼーションの時代と言われて久しい。ネスカフェのインスタント珈琲しか知らなかった田舎の学生が東京に出て味わった本格的な珈琲の香りと味。しかし、今日では「喫茶店」はもう死んでしまったのではないか?娯楽があまりなかた学生時代、私は友人と喫茶店によく足を運んだものだ。今じゃさっぱりだが。

当時は、クラシックやロックやジャズを専門に流す喫茶が結構あって珈琲一杯で何時間も粘ったものだ。あるいは、友人と馬鹿話する一方で真面目なおしゃべりも少しはしたと思う(天皇制をどう思う、から始まる政治の議論や、ヘッセの「デーミアン」読んだか?とか、M君は「ハイデッガー全集を読破したらしい」ゼ、オレはさっぱり分からなくて放り投げたよ、などなど)。 

運動部や文化サークル活動に熱中するならともかく、私は、何となく体育会系の雰囲気に馴染めずテニスクラブをやめて、悪友とマージャンをするか、パチンコするか、真面目に図書館にこもって勉強するか、4畳半の裸電球がぶら下がった殺風景の部屋で難しい哲学書を読むか、とにかく授業をサボって部屋で惰眠を貪るそんな日々を送っていた。

8月のブログで登場したN君とはよく喫茶店でモカを飲んだものだ。キリマンジャロ、ブルーマウンテンなど時には奮発もした。山形出身の友人だったN君は寺山修司の声帯模写が絶妙だったナ。 

吶々と早口で語る寺山氏。競馬狂でもあった。 井伏鱒二氏の漢詩訳「花に別れの譬えもあるさ、さよならだけが人生だ」をもじって、「サヨナラだけが人生なら、また来る春は何だろうか」と同氏の競馬エッセイの本の帯にあった。

N君の家に一度遊びに出かけたことがある。蔵王でスキーをしたり、寒河江の実家のそばのパチンコ屋に出かけて遊んだりした(当時はパチンコに凝っていた時期だった)。教師だったお父様と話していたとき、何かの拍子で詩人の丸山薫氏のことが話題になった。 丸山氏はもともとは本州愛知の出身だが戦中から戦後にかけて山形に疎開していて地元ではとても有名だとのことだった。丸山薫氏の詩はたまたま一つだけ知っていた。

汽車にのって

あいるらんどのような田舎へ行こう

ひとびとが祭りの日傘をくるくるまわし

日が照りながら雨のふる

あいるらんどのような田舎へゆこう

この詩を知ったのは、先日亡くなった小田実氏の「何でも見てやろう」だった。思うに自分はまともに詩集なぞ読みきったことがない。どこかの誰かがイイ、と言った詩を拾い読みして原典を買ってきて読む、というのが多いのだ。

小田実氏の「何でも見てやろう」は高校時代に出会って感激した本だった。描かれるアメリカは、1950年年代後半であり、まだ公民権運動もベトナム戦争もなかった。ソ連と冷戦が始まっていたが、世界一豊かなアメリカがキラキラ輝いていた時代だったと思う。 21世紀の今日のアメリカと何と遠く隔たってしまったことか!今や、アメリカは世界のお荷物となり始めているのではないか!これについては、また近々別に論じたいと思う・・・。

小田実がアメリカにいた時代はアメリカの絶頂期だった。マリリン・モンローもジョン・F・ケネディもまだ生きていた。この本は、フルブライト留学生としてのアメリカ体験と、ヨーロッパ、中近東、イラン、インドと巡って日本に戻るまでの11ドル旅行だ。元祖バックパッカーではなかっただろうか?同氏の本は大学時代まではあらかた読んだが、ベトナム戦争終了後から、ボートピープル問題、カンボジア問題、北朝鮮問題が出てくるなかでの同氏の政治的スタンスにはついて行けないものを感じて決別した。しかし、良いものはいい、ということで「何でも見てやろう」は1969年の新装版を今も大事に保管して数年に一度は思い出したようにページをぱらぱらめくって拾い読みしている。 

(続く)

Kif_1490

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