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2008年2月29日 (金)

教育について思うこと (1)

K先生が亡くなられたと奥様から連絡があった。1950年代後半からアメリカに渡りミシガン州の名門大学で博士号を取得され、家族をかかえてカナダに移って就職されて20数年。やがて、日本から声がかかり、大学で教えること10数年。昨年退職して、自分の不手際で子供が日本国籍をとり損ねた責任を感じたらしく、お気に入りのカナダに帰化していた先生は、その母国に戻って悠々自適の生活にはいろうとした矢先のことだった。

人生の後半まで、アングロサクソン連中が幅を利かす大手の会社で人事部長まで上り詰めた日本人だった。現地で非情な競争を勝ち抜いたタフさと同時に日本人の柔らかさを合わせもった滅多にお目にかかれないキャラクターであった。

職場でも上から下まで一目どころか二目も三目もおかれて、状況が込み入り判断に迷いが生じると決まって、ズバリ、核心をついた言葉で、周りを納得させてしまう、見識も並外れた人物。私の人生では、たった11ヶ月しかお付き合いできなかったが、先生のもとで仕事を始めてすぐに、この人は並外れたすごい人物であることが、実感できた。そして、いま、すばらしい人物を失った悲しみと同時に、こんな人がいたのだ、というすがすがしい気分に浸っている。

中年の後半にさしかかろうとしている私だが、いつのまにか先生ならどう考えて判断されるだろうか、と意識するにせよ、無意識であるにせよ、先生の刻印を受けているのだと改めて思う。先生と出会えて本当に良かった、と思うのだ。と、ここまで来て、ハッとするのだ。人生の師とは、こういう人を言うのだ。先生は偉大な教育者でもあったのだ。

英語を使った仕事なので、私の英語力の不足を指摘され、半年間は先生の授業(ビジネスコレポン)にも出席したが、授業の半分は人生を振り返った面白いお話である。半分は毎回テーマを決めて、作文をさせられ、最後は先生の添削・講評。日本人の英語使いだが、鍛えられ方が違う。Ph.D (博士号)を取り、現地の大手企業でのキャリアの中で一貫して人事・総務を取り仕切り日本人で英語の文書管理をした人だ。日本のいわゆる某大学系英語界の権威筋がこう言っているから、そうなんだ、なんて言われても、全然へっちゃら、そんな言い方は英語で聞いたことがないな、こういう言い方があるんだ、と自己流を貫く。

したがって、日本の「いわゆる学校英語教育」に物足りない学生たちの人気は抜群だった。英語の実力は折り紙つきだったが、それに加えてとにかく話が面白い、そして、面倒見がよい、と来れば慕われるのは当然だ。しかも、生半可な経験談ではなく、いろいろ失敗して、白人達に負けないために、毎日夜中の2時、3時まで頑張った若き日のこと- 君、英語でハンディがあるんだから、彼らの2倍はやらないと勝てないんだよ、とある日先生はポツリと言われた - の話には、なるほど、そうなのか、と納得させられるし感じ入ってしまうのだった。もっともっと面白い裏話を沢山聞いたが、過激なのでここでは書かない。

先生ご自信も、自分は学校の先生ではない、ビジネスマンだ、と日頃からおっしゃられていた。しかし、最近の教育の問題を見るにつけ、日本の教育の一番の問題は、「教育者の質」なのだ。

続く

2008年2月27日 (水)

春の椿事か?トラツグミ再び!それもダブルで・・・

春一番が吹いたのに、冷えこんだ今朝。学生のいないキャンパスは静まり返っている。

オンシーズンのオーバーホールをしながら、ゆったりとした時間が職場を流れている、と行きたいところだが、なかなかどうして、人生は思い通りにいかないナ。結構忙しいのだ。と思いつつも、今日は昼休みの1時間、野鳥たちと久方ぶりで戯れた。(やっぱり、暇なんじゃないっすかぁ?)

昨夜は雨がふった。地面が濡れている。コンクリートジャングルの東京と違って北関東の地方都市。いつものコースを歩く。もみじ谷に来た。 散歩人もいる。ツグミの姿が2羽、50メートルくらい先に見える。一羽がさーっと逃げる。もう一羽はまだ地面で餌を探している。ん?ちょっと違うな。双眼鏡で何気なく覗いて見ると、何、何、何、トラツグミちゃんじゃないのぉ~!!! 一気に血圧があがった。 丁度年老いた夫婦が通りかかって近くの茂みに姿を消したが、しばらくしてまた姿を現してくれた。こちらを向いたり背中を向けたり、左サイド、右サイドとポーズを取ってくれた。至福の瞬間、とはこのことか。約5分ちかく、たっぷりとその美しい???姿を堪能した。私は、覗きか!!!???

やがて犬を連れた若い女性の散歩人が現れて、オシマイ。緊張がほぐれた。気がつけば、まわりには、ジョウビタキ、シロハラ、キセキレイ、マヒワ、ルリビタキと次々と姿を現してくれた。調子よくなってきたぞ。

地面がゆるんでいて、ミミズが取りやすいのかあちこちでツグミの仲間に出会った。職場近くの雑木林に差し掛かった。アカハラ、アオジ、カシラダカ、シメ、ツグミ、シロハラ、モズ、ザリガニを捕らえて飲み込もうとするコサギなど次々と野鳥達に出会う。そして、また、一羽の未確認飛行物体を30メートル先に確認して、あわてて双眼鏡を覗くと、何、何、何ぃ、トラツグミじゃないのぉ~。やったぁ~。今日はダブルだぁ!!このトラツグミは、新年早々であったあのトラツグミに違いない!!!

脳内はα波に満たされた。満足、満足。5分ほど立ち尽くしてたっぷりと2度目のトラツグミちゃんと対峙させてもらいました。 

さてとぉ~、そろそろ行かないと、時間に遅れる。ステップを踏みながらルンルンルン気分で、アカゲラの声とキクイタダキの地鳴きを聞きながら(姿を捉える時間がなかったのが残念)、最後はマヒワ(マフィアではありません)の夫婦に出会って、束の間の「真昼の情事」は完了した。

2008年2月26日 (火)

春一番、S氏、大いに語る 

相変わらず仕事に追われているが、思い立って某月某日の金曜日の夕方上京した。東京まで特急で1時間ちょっと。

20時頃、都内某所で知り合いと落ち合い、飲み始める。ビールと熱燗。刺身(タコとカツオ)と煮魚(ホウボウ)、焼き魚(イサキ)をつっつきながら、近況の話。話は弾み酔いがあっという間に全身をつつみ、心地よくなる。「ああ、このまま、死んでもいい」、というところまではいかないが、2次会に銀座のどこか、記憶ではたどれない狭い路地をはいった地下で、断片的な記憶では、随分年増の化粧の濃いおばあちゃん達に囲まれて、ウィスキーの水割りを何杯のんだことか。若い女性ではないので、話ははずまず、カラオケを歌いまくった。「僕わぁあ~、呼びかけはしな~いぃ~、遠くぅ~過ぎ去るものをぉ~・・・」そして、M先輩が歌い、S君が歌い、あとは、記憶はとぎれとぎれになっている。

先輩が精算していたような気がした。駅で別れた記憶がない。

気がつくと、コタツに入ってビールを飲んでいる。ガスに火をつけてお湯を沸かした。カップラーメン食べたっけ?

明け方、二日酔い状態で目が覚める。頭がいたい。友人のS氏が濃い髭面をてかてかにして鼾をかいている。カップラーメン、俺、食べたっけ? 全然記憶がない。 ひょとして、S氏が2人前くったんじゃないか?

トイレに行って、ふたたびベッドに潜り込む。8時前に目が覚めた。しかし、体全体がアルコールの中を泳いでいる感じだ。髭が濃いS氏も目を覚ました。私が水道水を立て続けに飲むと、彼は、勝手知りたる他人の家、冷蔵庫から缶ビールを2本見つけて飲み始めた。あっという間に、飲み干す。

テレビをつけてニュース番組を見る。イージス艦に衝突して沈没した漁船。可哀想だがどうしてよけられなかったのか?S氏の世相講談が始まった。 ビールがなくなったので、飲み残しの酒を振舞った。たる酒だ。常温でごくごくと飲む。うまいねぇ~とS氏。ポテトチップスをぼりぼり食べながら、お昼近くまで、S氏のご高説を伺う。 私はその間水道水を5杯飲んだ。

まだ、アルコールが抜けない。12時過ぎ、さてとぉ~、行きますかぁ・・・ 戸締りして外に出ると、暖かい!!!春一番だね!!!コートいらないよぉ~。もうすぐはぁ~るですねぇ、ちょっと、気取って見ませんかぁ~・・・じゃなくて、「ちょっと、いっぱいやってませんかぁ~」と相変わらず旺盛な飲酒欲を見せるS氏。 お腹すいたから、何かつまもうか? 俺は飲まないけど、と私。

と言って入った中華の居酒屋。中国にはこんなのないんですよね、と中国通のS氏。最近北京で半年ほど仕事で行っていた。最近の中国事情。北京郊外の村を訪ねたのだが、何と、日当1万を出して、人民解放軍のアルバイトを雇い、訪問したという。北京という都市を離れれば、中国はもう治安がままならない危ない世界らしい。ウソのような信じられない話だが、真顔で本人は言うのだ。

ウーロン杯はS氏。私はウーロン茶。小皿で水餃子、茸と海老の炒め、イカと高菜の炒め、鶏とナッツの炒め、小松菜の炒め、あと一品ほど頼んで話始める。何故か中華料理は炒めものが多い!!! 話はいつしか、大東亜戦争の話になった。S氏は明治維新と昭和史に詳しい。饒舌になったS氏は機関銃のように次から次へと薀蓄を語る。 300万の日本人が命を失ったあの戦争。 何故あんな馬鹿な戦争をやったのか。 誰の責任だ!悲憤慷慨するS氏。私は、ひとこと、ひょっとして天皇さんじゃないの、と茶々を入れる。戦争を止めさせることが出来た天皇さんだ。始めるときにノー、と言えばよかったんじゃないの? そこで天皇機関説がどうのこうの、統帥権がどうのこうの、米内・山本・井上の海軍がどうのこうの、山本多聞がどうのこうの、と延々と続いた。

S氏は容貌魁偉である。日本人には見えない。かつて、アントワープのダイヤモンド店の工房に入ろうとして、「インド人は入っちゃ駄目だ」と言われたこともあったという。7年ほど前に、中国の大連に一緒に旅したが、ホテルにチェックインした後、両替をした。私は日本語で日本円を中国元に両替できた。しかし、彼がフロントで中国語(中国では普通語という)で話しかけると、フロントの係員は胡散臭げに現地人がくるところじゃないよ、と追い払ったのであった。

S氏の声は大きい。時折悲憤慷慨しながらS君の大音声が居酒屋に鳴り響きっぱなしだった。

16時過ぎ、さてとぉ~、行きますかぁ、と腰をあげる。もっと飲みたそうなS氏だったが、田舎に帰らなければならない私。明日は、ちょっとばかり仕事をしないといけないのだ。また近いうちに、と別れた。

上野駅に出ると、春一番の空模様は荒れに荒れて、電車はストップ。足止めを食った。動かない電車の中で、持参したアーサー・ケストラーの自伝の続きを読み始めた。ウィーン工科大学の卒業を控えて、突然家を飛び出し、イスラエルへ。キブツより規模の小さい荒野の原始共産制を実践する開拓村に身を置いたり、不合格になってヒッチハイクをしながらハイファにたどり着き、飢えを経験しながら職探し。4日間の絶食も経験する。飢え死にの恐怖を意識しながら、ギリギリの生活を克明に心理の襞までこまかく描写している。縁あってUllsteinというユダヤ資本が支配するドイツのベルリンにある大出版社の中近東特派員の口があると紹介を受け、イスラエルから一番安い方法で(船と鉄道)でルーマニアのコンスタンツ~母国ハンガリーを経由してベルリンへ。途中、ダンサーと知り合ったり。頭はぼーっとしているが、話しはめちゃめちゃ面白い。引き込まれてあっという間に2時間が経過。

やっと列車は動き出した。 20時半過ぎ、北関東の某駅に到着。 やれやれ、 無事帰ったか。 昼間のポカポカ陽気が嘘のように、冷たい風がびゅうびゅうと吹いている中21時半、帰宅。

2008年2月10日 (日)

味覚の記憶~パエリャ~

連休の初日は、恒例のバードウォッチングを3時間楽しんだ。1ヶ月ぶりに逆川緑地周辺をうろついた。空はどんよりとミルク色に染まり、日本列島は雪模様となるらしい。とにかく凍えるような寒さだった。大好きなルリビタキ、ジョウビタキ、エナガそして、今年の目玉キクイタダキにも出会えて満足した。収穫は、この時期にイカルに出会ったことだった。

インターネットで検索すれば・・・

http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta-ikaru.html

http://www2.odn.ne.jp/wildbird/atori_4.htm

毎年5月の連休に北関東の嵐山と言われる御前山にバードウォッチングに出かけるのだが、2006年あの山頂で美しい囀りとともに目の前で対峙した出会いが忘れられない。昨年は、春先に徳川博物館のある雑木林で囀っているのを通勤途中に聞いたものだ。アトリの仲間だが、カワラヒワやシメに比べると出会う機会はかなり限られているように思う。先日はキャンパスでマヒワに出会ってうれしかったが、アトリに至っては、もう4年近く出会っていないのだ。

帰宅して昼食をとったが、食べたのは「すいとん」。久しく食べていなかった。凍えていたのでからだがホカホカに温まった。一息つきながら、いつも「家の人」に食事を作ってもらっているが、今日は俺が何か手料理をしよう。 うーん、ようし、今日はパエリャだ。何故か?それはよくわからない。

天気予報がはずれて雪ならぬ凍えるような小雨の中、早速食材を買いに出かけた。海老、鶏肉、アサリ、イカ、セロリ、鞘インゲン、赤ピーマンなどなど。こんなところだろうか?にんにく、たまねぎ、オリーブオイル、トマトは買い置きがある。 とは言え、まだ夕餉の準備までは時間がある。コタツに入り、大福餅をたべたりお茶をのんだり、本を読んだりしてゆったりしながら、そういえばパエリャをはじめて食べたのは・・・いつのまにやら味覚の思い出に浸り始めた。

我が人生で初めてパエリャを食べたのは何とアムステルダムだった。1983年の秋のことだ。会社派遣の研修員で赴任してすぐのこと、前任者と引継ぎが終わって、生活のことをいろいろ話していたら、やっぱり米が食べたくなる、ということで、中華料理はインドネシア風のものもふくめてたくさんあるから心配ないけど、米を使ったおいしい料理が他にもあるんですよ、と言って紹介されたのが、悪名高いというより観光名所として世界的に有名な「赤い飾り窓」の一角にある教会!!!のすぐそばのスペイン料理店だった。

記憶は定かでないが、4人か5人の若い独身男性が、深鍋のなかの黄色いサフランライスと一緒に黒いからす貝にそっくりな貝(あとで、ムール貝ということを知った)やイカ、鶏肉、赤いピーマンなど具がたくさん入った炊き込みご飯で、めちゃくちゃうまかったのだった。しかし、若かっただろうか、Tボーンステーキやらタルタル肉のサンドイッチだとかナシゴーレンだとかいろいろ食べ歩いているうちにすっかり記憶から忘れ去られてしまっていた。

次にパエリャを食べたのは、1999年の秋深まるパリだった。仕事は大きな壁にぶつかり、後ろ向きの仕事をする毎日。残務処理をしながら日本帰国をひかえたある日打ち合わせでロンドンからパリに出かけた後、ぐったり疲れてお別れ会をしようということになった。パリに永いS氏の提案でパリは世界中の料理がおいしく食べられるという口宣伝に載せられて何と入ったのは、セーヌ左岸のとあるスペインレストランであった。しこたまワインを飲み、ギターの弾き語りの演奏を聴いたりで、何をたべ何を語らったのかほとんど記憶がないのだが、最後にパエリャを食べたのをかろうじて覚えている。当時の我が心はいろいろなもの思いに引き裂かれ美食どころではなかったのだった。

そして、パエリャに目覚める日がやってきた。それも、中近東のクウェートで!200某年、仕事で出かけたのだったが、ドバイに移動する合間に、市内のホテルで仮眠をとり、空港へ移動する直前に偶然取ったホテルのバイキング料理だった。正確に言うとそれはパエリャではなかった。アラブ風の炊き込みご飯だ。お米はもちろんサフランを使って美しい黄金色だった。赤ピーマンや青ピーマンもはいっていたが、具は羊の肉だった。とにかく美味しかった。要は、サフランを使った米の炊き込みご飯なのだ。具は何でもいいのだ。

かつて仕事で知り合ったドイツ人とパエリャ談義をしたことがある。何故ドイツ人とパエリャ談義? 彼は東ドイツの出身でベルリンの壁が出来たころ西ドイツに逃げ、旅行会社の仕事を得て、ドイツ人の人気旅行スポットのスペインのマヨルカ島に長年住んでいたのだという。その彼によると、いろいろなパエリャのバリエーションがあるのだという。つまり、家庭ごとにレシピがあるらしい。彼の場合は鶏肉ではなく、ウサギ肉を使うという。また、使用する豆にもこだわるのだという。インゲン豆の他いろいろな種類がある。

ドバイのスークで安いサフランを大量に購入して、帰国後の一ヶ月は、毎週のようにパエリャを作った。最初は水加減を間違えてオジヤのようになってしまったり失敗を重ねたが、3度目か4度目からは納得のいく仕上がりになった。底に少しおこげが出来る具合で仕上がるのがベスト。魚介類と肉類と香味野菜とサフランのうま味と香りが織り成す味のシンフォニーがご飯の一粒、一粒に吸収されて炊き上がれば成功である。味付けは少々の塩とレモンの絞り汁に胡椒だろうか? これもお好み次第だ。

時計は、17時前だ。さてとぉー、おもむろにキッチンに立ち、素材の仕込みを始める。田舎に戻って転職して3年になろうとしている。

     鶏肉を簡単にオリーブオイルで炒める。表面全体に焦げ目がつく程度で取り出す。

     オリーブオイルでニンニクとたまねぎのみじん切りをいためる。

     セロリのみじん切り、赤ピーマンのざく切り、鶏肉を順次加え、最後にお米を加えて炒める。

     別途事前に準備した米と同量の水を沸騰させて適量のサフランとチキンブイヨンを溶かしたものをフライパンの中の①~③に加える。

     砂抜きしたアサリを適量、下向きにして全体にちらすかたちで米の中に埋め込む。

     海老を中心点から放射状にシンメトリックにならべる。

     鞘インゲンを半分に切って表面に振りちらす。

     フライパンに蓋をして最初は強火、沸騰したら中火、最後は弱火にする。時折蓋をあけて水分をチェックする。 頃合を見計らって火を止め蒸らす。

久しぶりに男の手料理を披露した。17時35分にはもう完成。炊き込みご飯なんて簡単なのだ。15分ほど蒸らした。炊き上がったフライパンの蓋を取り、レモン汁を振りかけて小皿に盛り付ける。海老は一人2本ずつだよ・・・・おいしい、おいしい、と皆が言ってくれる。私も頬張る。水加減もよくアサリのうま味を中心にほどよくそれぞれの素材のうま味が凝縮されて調理できたようだ。ああ、満足、満足。赤ワインのグラスも1杯、2杯、3杯・・・。 テレビでは東京都心も雪模様だという。外は凍えるような寒さ。久しぶりのくつろぎの1日だった。

PS

今回はトマトを入れるのは忘れました。上記③の段階でぶつ切りを入れます。さらに風味が増すでしょう。

2008年2月 6日 (水)

ある日の1日 

早朝のキャンパス・バードウォッチング(7時45分~8時15分)

早朝のキャンパス。いつものように誰もいないキャンパスをぶらぶらと歩く。アオジ、カワラヒワ、シロハラ、シジュウカラ、ジョウビタキ、コゲラ、アカゲラ(鳴き声)、キジバトなどなど次々と姿を見せてくれる。おお、何と言う贅沢!!!

ぐるりと回って、運動場のそばを通るとズィーっと地味な小鳥が地面からパラパラと飛び立って近くの小さな木の枝に止まった。おお、ビンズイだぁ!!!久しぶりだね!!!地味だけで、春先の囀りはとても美しい(らしい)。実は一度も聞いたことがない。 

http://birder.web.infoseek.co.jp/name/olive-backed_pipit.htm

午前中の仕事(8時半~12時半)

8時半過ぎ、学生達が研修旅行に出発するので送り出しに出かけた。手続きやら現地の大学との交渉やらでこの半年苦労したが、何とかまとまって十数名が期待に胸を膨らませてアメリカに出発した。一段落、ほっとする。と言っても、あと2つの研修が控えている。イギリスと中国だ。気は抜けない。

真昼の情事(12時半~13時半)

昼休み、少し心が軽くなってお弁当を持って、1時間のバードウォッチング散策に出かけた。なかなかいい出会いがあった。大好きな青い鳥ルリビタキに出会うこと4度。♂が3羽に♀が1羽。 http://birder.web.infoseek.co.jp/name/red-flanked_bluetail.htm

仲間のジョウビタキも♂が2羽、♀が1羽登場してくれた。

http://nwbc.jp/torizukan/12joubitaki.html

ツグミ、

http://www.yachoo.org/Book/Show/524/tugumi/

アカハラ、

http://birder.web.infoseek.co.jp/name/brown-headed_thrush.htm

シロハラ

http://www.cec-web.co.jp/column/bird/bird61.html

にも出会い、やれやれ、調子いいぞぉと最後のフィナーレ地点に差し掛かると、キジバトのけたたましい声とバタバタと逃げる場面に出くわした。カラスも威嚇の声をだしている。

すぐ目の前30メートルのところを1羽の猛禽が横切った。何何々ぃ!!! 双眼鏡で追いかけて、すーっと留まった杉の木の一番高いところにいる猛禽にレンズを向けると、そこには精悍な顔をしたオオタカの美しい姿があった。30秒ほど、オオタカと対峙した私。じーっとオオタカも私を見ているが、耐え切れなくなったのか、猛禽とは言え、非常に用心深くてオオタカはあっという間に飛び去っていった。ふっと、息が抜けた。やはり、緊張した。良かった~・・・

http://www.yachoo.org/Book/Show/144/ootaka/

静まり返った雑木林だが、清水が流れる縁では、ミソサザイがウグイスより1オクターブ高い声で地鳴きをしている。出てこーい、ミソサザイ君!と待ってみたものの一向に出てきてくれない。

http://nwbc.jp/torizukan/15misosazai.html

と、そのうちにモズがさえずり始めた。小さな猛禽モズの囀りは、いろいろな野鳥の物まねである。だから、百舌と漢字で書くのだという。最初はカワラヒワの物まねで始まった。そのうち、メジロになり、ヒヨドリになり、それから、かなり複雑な鳴き声を延々とはじめた。モズのワンマンショーであった。一度なぞ、セグロセキレイの声まで出てきた。いやはや、こんな時期に、こんなところで、モズのワンマンショーを聞けるなんて!!! すっかり、魅了されてしまった私は、満ち足りて事務所に戻り、心浮き浮き状態で、仕事に没頭した。

http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta-mozu.html

午後の仕事 - 省略 (ちゃんと真面目に仕事しました)

夕食タイム(20時~21時)

夕刻、スキップしながら帰宅。 夕食をとる。 豚肉のしょうが焼きが出てきた。随分食べなかったしょうが焼き。一口頬張る。 うまい。と、この豚肉の生姜焼きの味覚は一瞬にして、30年以上も前の学生時代、下宿先の近くの「レストラン富士」(今もあるかな、荒川区西尾久なのだが)で毎日のように食べていた生姜焼き定食を鮮やかに蘇えらせた。そうかぁ・・・。 うまかったなぁ。生姜焼きと交代でたべたポークソテーもうまかった。4年間で豚一頭分はたべたのではなかったか?今でこそ、肉といえば、ローストビーフだ、サーロインステーキだ、と安い輸入牛や国産の高級霜降り肉を食べられるが、当時はお肉といえば豚肉で大変なご馳走だった。

都電が走っていた時代だ。今も健在らしいが。巣鴨新田駅のそばに、「小熊」という雀荘があった。大学2年のとき、そこで四暗刻の単騎待ちで同級生のTY君から上がったな!!!聴牌したときは心臓がバクバクした。そして、対面のTY君がパーソを私に振り込んだのだった。ローン!!! 

仲間達が熱中していた競馬だが、その当時は、テンポイント、グリーングラスなどという名馬ががんばっていた時代だった。そして、「パーソロン」という馬も居たナ。 単騎はパーソで待て、というマージャン格言もあったと思う。

西尾久7丁目の都電駅のそばに、そういえば中華「喜楽屋」もあった。あそこのレバニラ定食はうまかった。レバーもごろごろあったが、緑の韮がいっぱいあった。あんなおいしいレバニラ定食はその後食べたことがない。だいたい、レバーと韮が少なくて、モヤシが圧倒的に多いのだ。

食後の独り言(21時~23時)

中国の餃子の報道がこのところすごい。何故もあのように大騒ぎするのか?大騒ぎする理由はわかるが、ちと、行き過ぎではないか?大学の某中国人の教授も不愉快なコメントをしていた。 すべての中国製品が毒を持っているような報道は大問題だと。昨年の食の偽装問題の報道ぶりおよび当事者の毎回同じ儀式となってしまった謝罪風景にいささかうんざりしているのは私だけだろうか?

わが同胞達は、普通の庶民レベルから新聞の記事を書くインテリのレベルまで、非常に几帳面に潔癖であると思う。細かいところまできちんとしていて、他のいい加減な外人の追随を許さない。しかし、しかしである。ある日本に帰化した外国人の言にあるごとく、大きな巨悪、不正に対して日本人はあまりにも盲目である。外国は、そのような間抜けな日本人にある意味であきれ、失笑を禁じえないのだと。

今の政治はひどいらしい。株価が下がっている=日本売り=市場としての魅力のなさ(少子化でマーケット規模が縮小し将来的な展望にとぼしい)を言う世の評論家は多いが、果たしてそうか?円が強くなっているではないか!!!円が強くなるということは悪いことなのか?決して悪いことではないと思うのだが・・・・・。海外旅行は安くなるし、海外のいいもの(日本製だけがいいとは限らない)を安く買えるのだから。とは言え、ドルの価値が下がっているからで、ヨーロッパの通過ユーロは相変わらずすごいと思う。これからは、ヨーロッパの時代???

いやいや、そう甘くはないだろう。円の実力はまだまだあるという。実力がありながらそれを政治力に生かせる力量のある政治家が出ない日本の悲劇か?

日本の政治はまさにアメリカの属国と成り果てた・・・。所詮、戦争に負けたのだから、という人もいるが。小泉改革の評価は真っ二つん割れる。アメリカの手先なのか、国の税金をむさぼる官僚体制の打破なのか。前門の虎、後門の狼。どちらの道も茨なのか?日本独自の道はないのか?このまま自分勝手なアメリカと中国にはさまれて、小ざかしい朝鮮半島人にいいように利用されるだけなのか?北朝鮮の拉致問題が何故解決しないのか?小沢さんは大嫌いだが、いまだに、アメリカの占領下にある現在の日本を捨てない限り無理だ。普通の国にならなければ駄目だ。いいように利用されるだけだ。現在の日本は、敗戦のままの日本を引きずったままなのだ。マッカーサーの言う12歳のまま、これが護憲だ。

テレビはアメリカの大統領候補選びで盛り上がっている。今度は民主党が政権党に返り咲くだろうという見方が強い。オバマさんかミセス・クリントンさんか? ブッシュ政権はあまりにもひどい。9.11はアフガン、イラク、イラン戦争を起こすための「真珠湾」だった、という「本当の真実」がいまや明らかになってしまった。イラクで頓挫して、イラン戦争は出来ないだろう。 イランはそんなに悪い国なのか?恐怖を煽るマスコミ(欧米も含めて日本も)だが、はたして本当にそうなのか?そして、この1年間の北朝鮮宥和政策は何なのだ?日本への裏切りだ。しかも、それに対し何も出来ず、ずるずると孤立する日本。このあたりは、原田武夫氏の「日本封じ込めの時代」がするどい解釈を示していて示唆的だ。アメリカにあるのは国益追求しかないのだ。日米同盟は、あくまでその中で解釈され利用されいているのだ。とすれば、日本の国益しだいでは・・・・・・・。某外務省OBである高名な評論家は、近代史上負けたことのないアングロサクソンと同盟を続けることが、日本の安全保障の要だといい続けているが。

アメリカの選挙制度は複雑だ。大統領は直接選挙じゃないことに今更ながら気づいた。現在は候補者選び。11月の本選まで各政党(と言っても二つしかないが)で候補者選びをする。

11月の本選は、各州の選挙人を選ぶのであって、多数票を獲得した州がすべての選挙人を獲得する。これってどういうこと? この複雑な過程をとる理由は何なのだろうか?一説には、ポピュリズムを廃するための装置だというが。確かに、ドイツのヒトラーは、世界でもっとも民主主義的といわれたワイマール憲法時代に合法的に人々の選挙で選ばれ首相になり、合法的に法改正して終身独裁者になった。大衆というのは判断を誤るものだ。だとすると、アメリカの民主主義とは何なのだ?

世界が注目しているアメリカの大統領選挙。確かに、誰が大統領になりどういう勢力が政権を動かすのか? イラン、北朝鮮はもちろん、中国もロシアもヨーロッパも、くしゃみすれば飛んでしまいそうな小さな国々もみな、注目している。 形上は民主主義の体制だが、実質的にはスポンサーが巧妙に世論を操作してやりたい放題(自らの利益確保=財閥、そう、アメリカには日本では敗戦後に解体されてしまった個人資本家=財閥が存在している、しかも、馬鹿でかい巨大なものが)のアメリカ。自由で豊かな国アメリカはいまだにその神話の魅力を世界に放射し続けているが・・・・。

2008年2月 1日 (金)

厳冬の今朝、キャンパスにマヒワ舞う!

秋セメスターもまもなく終わる。交換留学生たちも元気に帰っていった。試験期間中で、職場はひっそり静まり返っている。冬場は毎朝恒例の早朝バードウォッチングを敢行する毎日である。

雨上がりの一昨日の朝はまるで3月上旬の陽気だった。野鳥達はいきいきと地面におりて動き回っていた。キクイタダキとはこれでもか、これでもかと毎日のように職場周辺で毎日出会い、戯れている。

Goldcrest(キクイタダキの英語名) loves pine trees. キクイタダキは松の木がお好き。キャンパス内のいたるところに松の木があるのでが、あちこちで出没してくれる。昼間書類を持って本部棟を往復する途中でも体育館のそばの松の木でシリリリッと虫のなくような独特の声でキクちゃんに気づく。こんなに身近な鳥だとは信じられないくらい、今冬はキクイタダキをよく見かける。ああ、今年限りじゃないことを祈るばかりだ。

そして、大寒の2月。今朝は厳しく冷え込んだ。敷地内のコンビニの前の大木には毎朝カワラヒワの群れが、キリキリコロコロビーン、ビーンとたむろしているのだが、今朝はそのカワラヒワを圧倒する数の野鳥の群れがいるのに気づいた。静まり返るキャンパスに私の革靴の音がこだまする。と、一斉に、ワーッとこの小さな野鳥が飛び立った。30羽、40羽、5羽? おお、マヒワじゃないかぁ! マフィアではない。 マヒワだ。 身近にいそうで、なかなかめぐり合えない野鳥である。出会うといつも何十羽もの大きな群れで木の実なでの餌をあさっている小さな野鳥である。

http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta-mahiwa.html

http://www.cec-web.co.jp/column/bird/bird66.html

ちなみにカワラヒワは、

http://www.cec-web.co.jp/column/bird/bird21.html

似ています。バードウォッチングを始めてすぐに出会った野鳥はカワラヒワ。それに比べると、マヒワに出会う回数は極端に少ない。記憶をたどれば、バードウォッチングを始めて2003年の1月か2月に流山の公園で一度見たきり、2007年の冬まで見る機会がなかったのが本当のところだ。2007年は3度ほど徳川博物館のある雑木林縁でハンノキ?に大きな群れがいたのだった。今年はまだだなあ、と思っていのだが、今朝偶然にもあのマヒワの大群にであったのだった。

私の足音を聞くとマヒワは一斉に空を舞い一目散に遠くへ飛び去ってしまった。

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