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2008年2月29日 (金)

教育について思うこと (1)

K先生が亡くなられたと奥様から連絡があった。1950年代後半からアメリカに渡りミシガン州の名門大学で博士号を取得され、家族をかかえてカナダに移って就職されて20数年。やがて、日本から声がかかり、大学で教えること10数年。昨年退職して、自分の不手際で子供が日本国籍をとり損ねた責任を感じたらしく、お気に入りのカナダに帰化していた先生は、その母国に戻って悠々自適の生活にはいろうとした矢先のことだった。

人生の後半まで、アングロサクソン連中が幅を利かす大手の会社で人事部長まで上り詰めた日本人だった。現地で非情な競争を勝ち抜いたタフさと同時に日本人の柔らかさを合わせもった滅多にお目にかかれないキャラクターであった。

職場でも上から下まで一目どころか二目も三目もおかれて、状況が込み入り判断に迷いが生じると決まって、ズバリ、核心をついた言葉で、周りを納得させてしまう、見識も並外れた人物。私の人生では、たった11ヶ月しかお付き合いできなかったが、先生のもとで仕事を始めてすぐに、この人は並外れたすごい人物であることが、実感できた。そして、いま、すばらしい人物を失った悲しみと同時に、こんな人がいたのだ、というすがすがしい気分に浸っている。

中年の後半にさしかかろうとしている私だが、いつのまにか先生ならどう考えて判断されるだろうか、と意識するにせよ、無意識であるにせよ、先生の刻印を受けているのだと改めて思う。先生と出会えて本当に良かった、と思うのだ。と、ここまで来て、ハッとするのだ。人生の師とは、こういう人を言うのだ。先生は偉大な教育者でもあったのだ。

英語を使った仕事なので、私の英語力の不足を指摘され、半年間は先生の授業(ビジネスコレポン)にも出席したが、授業の半分は人生を振り返った面白いお話である。半分は毎回テーマを決めて、作文をさせられ、最後は先生の添削・講評。日本人の英語使いだが、鍛えられ方が違う。Ph.D (博士号)を取り、現地の大手企業でのキャリアの中で一貫して人事・総務を取り仕切り日本人で英語の文書管理をした人だ。日本のいわゆる某大学系英語界の権威筋がこう言っているから、そうなんだ、なんて言われても、全然へっちゃら、そんな言い方は英語で聞いたことがないな、こういう言い方があるんだ、と自己流を貫く。

したがって、日本の「いわゆる学校英語教育」に物足りない学生たちの人気は抜群だった。英語の実力は折り紙つきだったが、それに加えてとにかく話が面白い、そして、面倒見がよい、と来れば慕われるのは当然だ。しかも、生半可な経験談ではなく、いろいろ失敗して、白人達に負けないために、毎日夜中の2時、3時まで頑張った若き日のこと- 君、英語でハンディがあるんだから、彼らの2倍はやらないと勝てないんだよ、とある日先生はポツリと言われた - の話には、なるほど、そうなのか、と納得させられるし感じ入ってしまうのだった。もっともっと面白い裏話を沢山聞いたが、過激なのでここでは書かない。

先生ご自信も、自分は学校の先生ではない、ビジネスマンだ、と日頃からおっしゃられていた。しかし、最近の教育の問題を見るにつけ、日本の教育の一番の問題は、「教育者の質」なのだ。

続く

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