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2008年2月26日 (火)

春一番、S氏、大いに語る 

相変わらず仕事に追われているが、思い立って某月某日の金曜日の夕方上京した。東京まで特急で1時間ちょっと。

20時頃、都内某所で知り合いと落ち合い、飲み始める。ビールと熱燗。刺身(タコとカツオ)と煮魚(ホウボウ)、焼き魚(イサキ)をつっつきながら、近況の話。話は弾み酔いがあっという間に全身をつつみ、心地よくなる。「ああ、このまま、死んでもいい」、というところまではいかないが、2次会に銀座のどこか、記憶ではたどれない狭い路地をはいった地下で、断片的な記憶では、随分年増の化粧の濃いおばあちゃん達に囲まれて、ウィスキーの水割りを何杯のんだことか。若い女性ではないので、話ははずまず、カラオケを歌いまくった。「僕わぁあ~、呼びかけはしな~いぃ~、遠くぅ~過ぎ去るものをぉ~・・・」そして、M先輩が歌い、S君が歌い、あとは、記憶はとぎれとぎれになっている。

先輩が精算していたような気がした。駅で別れた記憶がない。

気がつくと、コタツに入ってビールを飲んでいる。ガスに火をつけてお湯を沸かした。カップラーメン食べたっけ?

明け方、二日酔い状態で目が覚める。頭がいたい。友人のS氏が濃い髭面をてかてかにして鼾をかいている。カップラーメン、俺、食べたっけ? 全然記憶がない。 ひょとして、S氏が2人前くったんじゃないか?

トイレに行って、ふたたびベッドに潜り込む。8時前に目が覚めた。しかし、体全体がアルコールの中を泳いでいる感じだ。髭が濃いS氏も目を覚ました。私が水道水を立て続けに飲むと、彼は、勝手知りたる他人の家、冷蔵庫から缶ビールを2本見つけて飲み始めた。あっという間に、飲み干す。

テレビをつけてニュース番組を見る。イージス艦に衝突して沈没した漁船。可哀想だがどうしてよけられなかったのか?S氏の世相講談が始まった。 ビールがなくなったので、飲み残しの酒を振舞った。たる酒だ。常温でごくごくと飲む。うまいねぇ~とS氏。ポテトチップスをぼりぼり食べながら、お昼近くまで、S氏のご高説を伺う。 私はその間水道水を5杯飲んだ。

まだ、アルコールが抜けない。12時過ぎ、さてとぉ~、行きますかぁ・・・ 戸締りして外に出ると、暖かい!!!春一番だね!!!コートいらないよぉ~。もうすぐはぁ~るですねぇ、ちょっと、気取って見ませんかぁ~・・・じゃなくて、「ちょっと、いっぱいやってませんかぁ~」と相変わらず旺盛な飲酒欲を見せるS氏。 お腹すいたから、何かつまもうか? 俺は飲まないけど、と私。

と言って入った中華の居酒屋。中国にはこんなのないんですよね、と中国通のS氏。最近北京で半年ほど仕事で行っていた。最近の中国事情。北京郊外の村を訪ねたのだが、何と、日当1万を出して、人民解放軍のアルバイトを雇い、訪問したという。北京という都市を離れれば、中国はもう治安がままならない危ない世界らしい。ウソのような信じられない話だが、真顔で本人は言うのだ。

ウーロン杯はS氏。私はウーロン茶。小皿で水餃子、茸と海老の炒め、イカと高菜の炒め、鶏とナッツの炒め、小松菜の炒め、あと一品ほど頼んで話始める。何故か中華料理は炒めものが多い!!! 話はいつしか、大東亜戦争の話になった。S氏は明治維新と昭和史に詳しい。饒舌になったS氏は機関銃のように次から次へと薀蓄を語る。 300万の日本人が命を失ったあの戦争。 何故あんな馬鹿な戦争をやったのか。 誰の責任だ!悲憤慷慨するS氏。私は、ひとこと、ひょっとして天皇さんじゃないの、と茶々を入れる。戦争を止めさせることが出来た天皇さんだ。始めるときにノー、と言えばよかったんじゃないの? そこで天皇機関説がどうのこうの、統帥権がどうのこうの、米内・山本・井上の海軍がどうのこうの、山本多聞がどうのこうの、と延々と続いた。

S氏は容貌魁偉である。日本人には見えない。かつて、アントワープのダイヤモンド店の工房に入ろうとして、「インド人は入っちゃ駄目だ」と言われたこともあったという。7年ほど前に、中国の大連に一緒に旅したが、ホテルにチェックインした後、両替をした。私は日本語で日本円を中国元に両替できた。しかし、彼がフロントで中国語(中国では普通語という)で話しかけると、フロントの係員は胡散臭げに現地人がくるところじゃないよ、と追い払ったのであった。

S氏の声は大きい。時折悲憤慷慨しながらS君の大音声が居酒屋に鳴り響きっぱなしだった。

16時過ぎ、さてとぉ~、行きますかぁ、と腰をあげる。もっと飲みたそうなS氏だったが、田舎に帰らなければならない私。明日は、ちょっとばかり仕事をしないといけないのだ。また近いうちに、と別れた。

上野駅に出ると、春一番の空模様は荒れに荒れて、電車はストップ。足止めを食った。動かない電車の中で、持参したアーサー・ケストラーの自伝の続きを読み始めた。ウィーン工科大学の卒業を控えて、突然家を飛び出し、イスラエルへ。キブツより規模の小さい荒野の原始共産制を実践する開拓村に身を置いたり、不合格になってヒッチハイクをしながらハイファにたどり着き、飢えを経験しながら職探し。4日間の絶食も経験する。飢え死にの恐怖を意識しながら、ギリギリの生活を克明に心理の襞までこまかく描写している。縁あってUllsteinというユダヤ資本が支配するドイツのベルリンにある大出版社の中近東特派員の口があると紹介を受け、イスラエルから一番安い方法で(船と鉄道)でルーマニアのコンスタンツ~母国ハンガリーを経由してベルリンへ。途中、ダンサーと知り合ったり。頭はぼーっとしているが、話しはめちゃめちゃ面白い。引き込まれてあっという間に2時間が経過。

やっと列車は動き出した。 20時半過ぎ、北関東の某駅に到着。 やれやれ、 無事帰ったか。 昼間のポカポカ陽気が嘘のように、冷たい風がびゅうびゅうと吹いている中21時半、帰宅。

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