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2008年3月 8日 (土)

日本の教育について思うこと (5)

最近出た「ロックフェラー回顧録」を読んで、1900年の義和団事件の賠償金を使ってアメリカは中国人の為に北京に病院というかメディカル・カレッジを作っているのにはうなってまった。 賠償金を軍事力増強に使った日本と何という違いだろうか?

すでに第2次世界大戦後の新植民地主義政策を先取りして?中国人民の人心掌握の布石を打っているのだ。宣教師の布教活動も大きな力になっていた。その意味で、日本の大陸政策におけるソフト戦略は惨敗である。

世の中は植民地主義・帝国主義=悪、ナショナリズムの高揚時期にあったにも係わらず、日本はイギリスと同じ事をやりながら(アメリカはもっと巧妙に帝国主義的だった)、その悪を一身に受けてしまった。特に中国で五四運動の矛先は日本にまとまってしまった。 これは、国策としては大失策だった。 日本の指導者は何をしていたのだろうか?

日本政府は終始、北京の政権を正統政権と見なし、いわゆる革命派の孫文は、見捨てられたため(不平等条約撤廃や満州鉄道の返還とか日本の権益をご破算にしようとしたのだからまあ理解できないわけではない。特に満州利権は、日露戦争で日本軍の血で購った利権である。中国=当時の清朝は拱手傍観だったのだから、虫が良すぎる話だ)、彼を結局ソ連に接近させて、国共合作の種をまいてしまったのだった。

スターリンが時期尚早と中国共産党ではなく終始国民党を支援したことは注目に値する。 国民党はソ連が作ったのだ!!! その後の紆余曲折で、蒋介石軍は、反共に転ずるものの英・米ばかりかソ連も支援し続け(西安事件で、毛沢東は、蒋介石を殺そうとしたが、スターリンがノーと言った)、また、共産党は米ソが支援した。しかし、水面下では、英、米、ソはそれぞれに思惑をかかえながら牽制しあっていた。

ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発しドイツがヨーロッパを制覇して風前の灯だったイギリスにチャーチルが登場してから風向きが変わった。 チャーチルの偉業、ルーズベルトと組んでアメリカの世論を覆して第二次世界大戦に参戦させる一大作戦を徹底的に繰り広げたのだった。 暗号名イントレピッドがアメリカで暗躍し、蒋介石の縁組先の宋一族(浙江財閥資本)を使った対米マスコミキャンペーンを繰り広げ、ハリウッドの映画での反ナチス映画(あのカサブランカとかヒッチコックの映画)の展開もその一幕であった。日本を囲い込んでアメリカへの戦争をけしかけたのは実はチャーチルの戦略だったのだ。

混迷の時代、大不況下の1930年代のブロック経済化した世界において、当時のアメリカは自給自足できる国であり、保護主義政策を取り続けた(アメリカが自由主義経済に転換したのは1945年以降)。イギリスは大英帝国のブロックで自給自足の世界を形成した。残されたほかの国はどうしたか。 なんという悲劇。食い合いをせざるを得なかった。だから、その中で、旧来の白人国家に依存していたら自分達はやっていけない、という危機感のもとに満州事変を起こしたのは仕方がなかった。 ここまでは私も認めるのにやぶさかではない。 

しかし、満州から山海関を越え、いわゆる「中国本土」に入ったことは、共産主義勢力や英米の策謀にはまり日本が泥沼に嵌まる愚策だった。その後も、蒋介石が指導する国民党と和解する機会もあった(上海事変)にも関わらず、近衛文麿が相手にせず、と突っぱね、最後は日米交渉の結果、いわゆる「ハルノート」の挑発に「逆切れ」して、日本史上最悪の愚作「真珠湾攻撃」をやってしまった。結果は、アメリカの原爆投下にまで至る敗戦であった。

続く

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