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2008年3月 3日 (月)

教育について思うこと (4)

我が敬愛する小室直樹氏曰く、

     日本の明治政府は、優秀な官僚は作った(東大法学部)が、優秀な政治家を作るシステムを作らなかった。

     東大法学部は科挙になってしまった。

そして、マックス・ウェーバーを引用して言う

③ 最良の官僚とは最悪の政治家である。

明治時代も、維新という偉業を成し遂げた人材が「元老」という形で残っている間は良かった。元老がこの世を去り、明治に生まれ明治に教育を受けた新しい世代が政権を担った時代が国を指導したのが、第一次世界大戦後のベルサイユ体制という時代だった。

大英帝国が没落をはじめ、アメリカはまだ、覇権国家となっていたにも関わらず、自覚が足りずモンロー主義的な高関税の保護主義的国家であった。極東は、力の空白地帯となった。中途半端な力の日本がぽつんと残ってしまった。必死に利権を守ろうとするイギリスと、門戸開放を唱えて中国大陸に利権を求め始めたアメリカ。日英同盟が解消されて、世界はウィルソン主義、つまり、民族自決の時代であり、民族独立の気運が高まり始めた時代だった。また、ロシア革命を経て成立したソ連は革命を輸出し始めた。そのような状況で、日本は満州の利権、ドイツの敗戦による棚ぼた式に取得した山東省の利権を守ろうとしたのだったが、その後の歴史は、当事者能力のない中国の内戦に引きずり込まれ、日本自らが孤立し(=英・米・ソが手を結んで、しかも日本はメリットに疑問符がつく三国同盟に行ってしまった)、暴発し、310万の同胞の死を招くという最悪の事態を招いてしまった。 何故か? 明治に教育された新しい世代の指導者が道を誤ったからだ。

一般に、大東亜戦争にいたるターニングポイントは、1932年の満州事変から始まるとされるが、これには伏線があった。日米対決の目はすでに日露戦争講和条約交渉時から始まっていたのだ。アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の取り持ちで日露講和が成立したが、何故アメリカは日本を助けたか?ロシアの南下を抑えるために、日英同盟を側面から支援したのだ。腹の中は、中国大陸への利権獲得のための進出だ。門戸開放だ。日本はほどほどにしなければいけなかった。ポーツマス講和と同時進行でアメリカの巨大鉄道資本家ハリマン財閥の南満州鉄道共同出資提案をいったんは受け入れながら、小村外務大臣が帰国後くつがえしたのがけちのつき始めだった。満州にアメリカ資本を入れて共同利権事業とすれば、満州事変を起こす必要がなかっただろうと言われている。

そして、中華民国政府に対する対華21か条の要求だ。 ベルサイユ条約で第一次世界大戦の敗戦国ドイツの山東半島の利権をそっくりものにするための中国に対する要求だった。 このあたりまでは、イギリスも北京政権を支援していたものの、これを契機に徐々にそして実に巧妙に国民党政権支持に向かうことになった。いつの間にか、国際世論=(英語圏のマスメディアが作り出す世論という意味)は、中国の批判を日本一国に向けさせる契機を作ってしまったのだ。 

ソ連のコミンテルンの暗躍もすごかった。ソ連は、植民地主義の悪「不平等条約」をすべて破棄した。彼らが世界に革命を輸出するための戦略とはいえ、若い中国の知識人をひきつけたことは間違いない。 世はアメリカのウィルソンの民族自決によってナショナリズムが高揚していた時代だった。

続く

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