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2008年3月 1日 (土)

教育について思うこと (2)

そもそも教師を生業にしている先生方は、ある意味で学業が優秀な方が多いだろう。世間一般はそう思っている。しかし、学業だけでは、人間は駄目なのだ、というのがK先生を見てもよく分かる。人間の真価が問われるのは、専門以外の分野でどれだけ見識を示せるかだ、と誰かが言っていたような気がする。 

「専門馬鹿」という言葉があるが、人間である以上自分の寄って立つ立場(専門)は必要だ。しかし、これだけでは十分ではない。必要なのは人間の情熱、そのもととなる「魂」「気迫」である。亡くなられたK先生は、何事にも真剣に妥協を許さず取り組まれた。 それが現場にもひしひしと伝わる。 だから、仕事には厳しかった。 おい、出来たかぁ、と仕事の進行具合をチェックしながら、こんなんじゃぁ、全然駄目だよ、やり直し、ここが駄目だ、と。 若い職員は畏れ(恐れ)ていた。 しかし、非合理を押し付ける暴君ではない。いろいろな問題、迷いが生じて判断に困るときの一言一言が核心をついている。グサッと我々の心に突き刺さる。確かにそうだ。 そして、やって見るとそうなる。 皆は、先生の行動に注目し、引っ張られていく。 これがリーダーシップだ。このようなリーダーシップと判断力はやはり、並みの人では出来ないことだ。これが人材たる所以だ。やはり、鍛えられて、本人が努力の積み重ねがないと蒸留してこないものなのだ。

いわゆる世間的に偉いと思われている「教師」だが、彼らにもピンからキリまでいることはいまや世間の常識となっている。親達はいい先生に子供を指導させたい。 当たり前である。 格差社会といわれる今日の日本だが、特に公立教育のレベルダウンはお金はかかるものの教員の質も含めて努力をする私立高校の後塵を拝してしまっている。 東大合格者トップテンは私立の名門校(東大合格だけがいい教育の結果ではないが)に占められて久しい。公立には「企業努力」というモチベーションが稀薄だ。最近変化の兆しがあることは喜ばしい限りだが。一流予備校の先生は、年俸数千万と及び聞くが、それだけの競争を勝ち抜く能力があってのことだ。ただし、現在の日本の「教育の劣化」という観点からいうと、教え方がうまいだけでは、本当の意味で求められるいい教師とは言えないと思う。 教育の質ということを問題にするなら、「優秀な教師」に尽きるのではないだろうか?

では「優秀な教師」とは何か? 学校秀才が学歴をひっさげて社会に出る。 しかし、結果がでる人生の後半において、そもそも学歴が必要だったか、と言われると、かなりの人は「否」という実感を持つはずである。そして、何が大切だったかというと、勉強したことはあくまでも必要条件にしか過ぎず、十分条件は社会の中でもまれ身に着けていくものなのだ、ということで、こればっかりは、教科書には書いてないし、「コツ」つまり「肝心なこと」は誰も教えてくれない。

持って生まれた能力とは言うものの、人との出会い、「触媒」があって、あとは本人の努力(気づいて、盗んで、自分なりのスタイルを確立する)で進化していくものだ。 それが、人生の戦いのなかで勝敗を決める。 

結果として、あなたが出世したかどうか、これはまた別問題である。 ある人いわく、日本の場合、大企業の役員の少なくとも半分は、本当にこの人役員なのというタイプらしい(=つまり、ゴマスリで出世したひと。ゴマスリはゴマスリでまた認められることは大変なことなのだが、これでは人物が育たない)。

実力がありながら敗れ去るものがいるのもこの世の中である。 話が脱線しそうだが、良き教育者とは何か? 結局、どれだけその人が子供達から青少年に対して、知性と同時に徳性(いろいろな状況で判断しながらどうふるまうか)を感化することに尽きるのではないか? ある状況があって、それに対してあなたはどこまで責任を持って対処することができるか。立場によっていろいろなケースが出てくるのだが、振り返ると人生とはこの連続である。

だとすれば、現在の教員制度は大きな欠陥である。大学を卒業して人生経験において、実社会の競争にもまれていない若造(失礼)が、本当に自信を持って子供や青少年に接しながら彼らに生きていく上で必要な「魂の陶冶」をすることが出来るであろうか? 

もちろん、教師として教育界という閉じた世界の中でキャリアを積むことで立派な教育者となられる先生もいると聞くが、企業においても本当に企業に貢献できる優秀な人材は数パーセントしかいないという。 8割は普通(「数パーセント」に引っ張られる側)、1割は煮ても焼いても食えないお荷物、といわれるように、教師の世界の実態も同じだろう。 企業経営の観点から言うと、8割の普通の人をどれだけ、数パーセントの人材に引き上げるか、だそうだ。 だとすれば、教師の世界もそうであろう。 

続く

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