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2008年3月 2日 (日)

教育について思うこと (3)

中央公論の2月号を読んでいたら、もと東大学長の話として、これからの日本の教育は、従来優秀だとされた中間層が没落していく中で(これは先進国の特徴だそうだ)、トップエリートを如何に世界レベルで本当に戦えるレベルにするかが今後の日本の課題、だと指摘していたのが印象に残った。

話は飛躍するが、かつて明治維新は世界の偉業として注目を浴びた。安岡正篤氏は、幕末の日本は中国で言えば三国志の時代に比肩しうる時代であり、日本史上、これほど人材が出た時代はないという。明治維新をなしとげた人たちは、明治以降の近代国家で教育された人間ではないことに注意する必要がある。明治で教育を受けた人間が、主役で登場したのは大正から昭和なのだ。そして、見事に日本を没落させてしまった。(※明治維新と日本人の能力における欠陥、宿阿については別途論じたい)

敗戦後、軌跡の経済復興を果して世界をふたたび驚愕せしめた日本だったが、冷戦崩壊とバブル崩壊後、迷走に迷走を続けている。つい最近まで日本は経済一流、政治は三流と言われていた。今は、経済も危ないといわれ始めている。 冷戦の崩壊とは、ソ連と戦うためにアメリカが日本を見方につけながら共産主義運動の防壁とするための日米安保条約を無意味にしてしまったのだ。 アメリカは、自らの立場をあやうくしかねない日本の追い落としを冷戦終了後の戦略とした。そして、結果は、彼らのやりたい放題で惨状を呈しているのだ。言いなりで無策の日本。 自民党の役割は終わったのだ。 さあ、どうする日本!!!このような時代こそ、我々を導いてくれる良き指導者が必要ではないか?

日本には優秀な官僚がいるではないかと言う人もいる。しかし、これは昔の話だ。近代国家を作るにあたっての国づくりをする際にはどうしても必要な装置だった。東大法学部は官僚養成学校だったが、ある時期までは大成功した。

もともと近代社会を作るには豊かな中間層が必要だったのだが、維新当時には日本にはいなかった。だから、廃藩置県で路頭に迷った武士の末裔を官僚で吸い取って再生させ、これらモラルの高い少数のエリートが国民の啓蒙も含めて効率よい国作りをしたという。

これは、ドイツをモデルにしていて、伊藤博文は憲法を作るために、まずロンドンに行ったのだが、幕末維新以来のスポンサーのロスチャイルドに相談に行った (エドモンド・ロスチャイルド自伝に書いてあります)。 その上で、国情からドイツを見本とするように勧められてドイツをモデルにすることになった。実は、ドイツも、日本と同じで中間層がいない国で、すべては優秀な軍人官僚(ユンカー)がビスマルクという稀有な政治的逸材によって国を統一した(明治維新に遅れること3年の1871年)。それまでのドイツは日本の藩と同じで領邦国家が<英語でいうState>が何百とあって、いわゆる近代国民国家の体をなしていなかった。

ビスマルクに相当するのが、明治維新の元老達による指導体制であった。彼らは幕末の動乱を乗り越えた軍人政治家であった。しかも、吉田松陰の薫陶を受けた教養人でもあった。

欧米列強の圧倒的武力で植民地されかねない状況で、明治維新をなしとげ、明治国家を作り上げたこの元勲たちとはどういう人たちだったのか? 白洲正子自伝には、祖父の樺山公爵が、明治維新に残った連中はみなクズだった、という印象的な挿話がある一方で、日清戦争終結のため下関にやってきた李鴻章をして、伊藤博文という人物を絶賛せしめたという。明治の優秀な官僚たちは、まだ漢学という儒教的教養と武士道という道徳で陶冶された、この偉大な元勲達(指導者)のもとで国つくりを行い、ピークといわれる日露戦争まで上昇を続けたのだった。

続く

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