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2008年4月 5日 (土)

世界カタコト辞典 (7)

Teilweise nicht hatte nai  (ドイツ語と日本語のちゃんぼんで「ところどころ張っていない」の意味) と Kann ich Ihnen behilflich sein ? (ドイツ語で「何かお困りですか?」の意味)

アムステルダムに1年間の研修で赴任して1ヶ月ほどたった1983年の11月のある日、ハンブルクに住んでいた女性のYさん(日本人)から突然電話がかかってきた。「XX君、急な話だけれど、休暇を取ったからそっちに遊びに行くノ、案内してくれない?」

私は一気に舞い上がってしまった。年上だけれどなかなかの美人だ。K大学独文科出身の才媛で会社を辞めて当時の西ドイツはハンブルクに職を得て住んでいたのだった。

ハンブルクから到着したYさんを東京駅にそっくりなアムステルダム駅(逆かぁ)で出迎えて、予約しておいたホテル(もちろんシングル)に案内、夕刻は市内の南、高級住宅街がある行きつけのレストランに招待した。いつもは、一人か友人の同僚と食事をしていたレストランに入った瞬間、中の人たち(当然オランダ人)の注目を浴びるほどYさんはやはり美しかった。

何を話したのか覚えていない。Beaujolais Nuveau(ボジョレ・ヌボー)を飲んだような記憶がある。ムール・マリニエールも食べたのだと思う。それとリンゴソースがおいしいポークソテーも食べたはずだ。定番なのだ。しかし、その後が問題だった。私には勇気がなかった。たとえば、ホテルオークラの最上階でカクテルを飲むとか、いろいろあったのに、結局は駅に戻り飾り窓を散歩してホテルに送り届けて、私は一人アパートに戻ったのだった。

翌日彼女は、私のアドバイスに従って市内観光をして夜また会う予定だった。しかし、昼過ぎに会社の私に突然電話がかかってきて、「私、やっぱり帰る」とハンブルクに帰ってしまったのだった。ああ、とちってしまったぁ・・・と思ってももう遅かった。

半年後の5月のこと。私はハンブルクへ遊びに出かけた。Yさんにも会うつもりだったというよりも、仕事でお世話になったK氏が是非遊びに来い、というご招待あってのことである。K氏は、私より一回り上の世代で、昨年亡くなった小田実氏の「何でも見てやろう」にあこがれ、日光で知り合ったドイツ人を頼りに渡独。横浜~ナホトカまで船、そこからシベリア鉄道でモスクワ経由、フィンランドへ。そこで、女性を引っ掛けて、妊娠させて、逃げ出して、ドイツへやってきて、柔道を教えながら大学に通った。結局、卒業はしなかったが、こちらで仕事を見つけて独立していた侍日本人だった。K氏の家のお庭でガーデンバーベキューを楽しんだ。気を使ってか、どうかしらないがYさんも招待されてやってきた。饒舌なK氏はさかんに冗談を飛ばして我々や招待されたドイツ人達を笑わせてくれた。K氏の家はいまでも覚えているがあの文豪の名前にちなんだThomasman Strasseにあった。買ったばかりの家だかで天井の張替えなども作業中だったらしい。その天井を指さして、Teilweise nicht hatte naiと語るKさん。ドイツ人のS氏が思わず噴出す始末だった。

翌日は彼女の運転する車で(私は当時もそしてつい3年前まで運転免許を持っていなかった)ドライブを楽しんでトラーベミュンデ、リューベックに足を伸ばした。トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」の舞台となったゆかりの場所だ。確か、50マルク札のデザインにもなっていたリューベックの城壁跡だか教会の建物にも案内してもらった。

Yさんは、方向音痴でよく道に迷った。私も田舎に戻って車を運転して初めて分かった。道が分からないと迷うのだ。当たり前の話なのだが。気ままに運転するほどには運転技術もないし、自信がないので走り方が不安定になる。私は隣に座りながらナビゲーター役だった。道に迷って地図を見ながらどこだ、どこだ、とやっていたら年配の折り目ただしそうなドイツ人が通りかかり、Kann ich Ihnen behilflich sein?と助け舟を出してくれた。

最終日は、天気がよかったことを記憶している。ハンブルク市内のアルスター湖を散策しドイツ人に混じって日光浴をした。シューマンの「麗しい五月」を髣髴とさせ青空が広がり、日光が燦燦と照り、5月の香りが心地よかった。

私の記憶はこれだけである。23日した。Baselerhofというホテルに宿泊したのも覚えている。しかし、Yさんと一緒に何を食べて何を喋ったのかさっぱり記憶にない。不思議といえば不思議なものだ。結局二人の間には何事も起こらなかった。今でも鮮やかに記憶が残るのは何故か、K氏の饒舌とドイツ語と日本語のちゃんぽんフレーズ、Yさんがよく道に迷ったこと、ハンブルクの5月の麗しい天気と、そしてリューベックで道に迷って声を掛けてくれた初老の言葉なのだ。

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