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2008年7月21日 (月)

Elias Canettiの自伝第一巻を読了!

週末は、Elias Canettiの自伝に没頭した。長らく積読状態だった本を思い出したように本棚から取り出して、翻訳本を読み始めたら、おもしろくて食事とトイレの時間を除いてずーっと2階の風通しがよいベッドにゴロリとなって読み続けてしまった。

1巻は、著者の幼年時代から思春期(1905年~21年)を扱っている。驚くのは著者の生まれた文化(言語)環境だろう。15世紀にスペインから追い出されたユダヤ人の末裔で、オスマン帝国に庇護のもと成功した商人の家に生まれたのだが、大家族で語られる言葉は古風なスペイン語だというから驚きだ。周りは素朴なブルガリア人が話すブルガリア語の世界。カネティ一族の家庭で代々話されてきた古スペイン語は、オスマン帝国支配下でトルコ語の語彙がかなり浸入していたという。ドナウ川の対岸はルーマニアでロマンス語系のルーマニア語も理解した。トルコ人、ギリシャ人もいれば、ロシア人もいる。一族の支配者、強烈な家父長権を発揮する祖父は17カ国語が出来るというのが自慢だったという。

エリアスの両親はしかしながら、若き日にウィーンで教育を受け、ドイツ文化の薫陶を受けた。家族での夫婦の会話はなんとドイツ語だったという。幼き日の著者にとっては、それは謎の言語であった。

ウィーンで近代教育を受けた両親(特に母はCanettiに強烈な刻印を残す)は、バルカン半島の「東方的」文化環境に満足出来ず、伝統的家父長権を振りかざして一族の人間を威圧する祖父の軛を逃れを飛び出したのだった。トルコのパスポートを持って母方で成功した商人が住むイギリスのマンチェスターへ移住する。しかし、一家に待ち受けていたのは、あまりに早すぎる父の死だった。

父の突然の死によって、一家は母の希望でウィーンへ移り住むのだが、ウィーンまでたどり着くまでに、一家の伝を頼ってパリ、スイスのローザンヌを旅する。 あちこちに分散するCanetti一族というかスペイン系ユダヤ人(スパニオール)のネットワークには驚くばかりだ。ウィーンに到着する3ヶ月前にエリアス少年は、母親からドイツ語の特訓を受けるのだが、瞬く間にドイツ語をマスターしてしまうのだから驚きだ。

幼年時代を思い出しながら家族や級友達を語るカネティの筆致は精細にして執拗である。そこから浮かび上がるのは母親と長男の特別な関係だ。母親は、ユダヤ人ではあるが、スペイン系のスパ二オールの末裔にして誇り高き一族であるという自覚が強烈であり、いわゆるオーソドックスな宗教的ユダヤ人達とは格が違うと、息子がウィーンで始めて意識したユダヤ性に特別の意識を吹き込む。

豚肉を食べないユダヤ人だが、マンチェスターで息子にベーコンを食べさせた母親。近大教育を受けた啓蒙主義者にしてコスモポリタン。文学的教養から発する彼女の批評は息子を常に緊張状態に置く。母と息子は毎晩読書をしながら「真剣勝負の対話」を続けるのだった。あいまいな言辞に対する母親の明晰な批評と容赦のない嘲笑。

27歳にして未亡人になった母は教養あふれる溌剌とした美しい女性で、長男のエリアスは母に言い寄る男性にことごとく嫉妬を燃やす。母を誰にも渡さないゾ。カネティという個性は、このように母との絶えざる緊張を強いる対話を通して母のあるものが自分のあるものと融合して出来たのだった。

しかし、子供のエリアスにとって母の記憶はあくまで子供の一面的なところの記憶であった。3人の子供を抱えて、切り詰めた生活を強いられる中、母は、何度か病に倒れる。家族はウィーンを去りスイス(チューリヒ)に移住する。サナトリウムに入る母と女子寮の中の唯一の男性として幸福な日々を送るカネティと全寮制の小学校にはいる弟二人はバラバラな生活を送る。

離ればなれになりながらも文通を通して母と固い絆で結ばれるエリアスだったが、スイスの平凡な田舎で本に囲まれて惰弱に育つ息子に危惧を懐いた母は、息子を打ちのめす批評をしてフランクフルトへ移住することを決意する。

以上が第1巻である。時代は1905年~1919年まで。第一次世界大戦というヨーロッパを揺るがす大事件を前半はウィーンで、後半はチューリヒで体験している。チューリヒでは、あるカフェで新聞をうずたかく積み上げて議論する禿頭のレーニンが登場したりもする。

読んでいて何より面白かったのは、この自伝がユダヤ人という日本人にとってはおよそ想像を絶する宗教の民の内情が、オスマン帝国の片田舎、ブルガリアの伝統的世界から両親とともに近代的な世界に抜け出ようとする新しい世代の「教養小説」(ビルドゥングス・ロマン)として、執拗で浩瀚な筆致であますところなく描かれていることだろうか。

筆者の記憶は美しい幼少時代のバルカン半島の風俗、母が実家の果樹園の中で子供の頃よじ登って本を読んだという桑の木や氷結したドナウ川を馬車で渡っていた厳寒のある日オオカミに襲われた話、カネティ一族の邸宅と中庭の様子、物乞いジプシー一団の描写、トルコによるアルメニア人虐殺で家族をすべてなくしたアルメニア人男が中庭で悲しい歌を歌いながら薪割りをする情景。イギリスと特にスイスへの親近感などが綴られる。

スイスはハプスブルク王家の起点となったところだが、ハプスブルク帝国の軛から自らを開放して自由を勝ち得たことに対するスイス市民への共感は、学校で学ぶ古代ギリシャ史の民主主義と共振する。ハプスブルク・ウィーンの皇帝・貴族・ブルジョア達の形式張ったものものしい世界と、スイスの世俗的で平等な市民社会との比較。マクロな歴史叙述では決して見えてこない数世代に渡る記憶と20世紀前半の革命と戦争の激動の同時代の目撃者として20世紀のドイツ語圏が生んだ希なる才能がその文学的泉からのとめどもなく語り続けるのだ。 読みながら、その深い囁きに耳をそばたて、時代を超えた人間のいとなみに共感を覚えさせられた。

読み終わっての余韻がなんとも言えない。著者と一緒にしばらくそのまま留まっていたい、そんな本だった。

第2巻は敗戦後の不穏なワイマール時代のドイツはフランクフルトが最初の舞台となっている。このままだと、一気に第3巻の1937年まで読めそうだ。

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