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2008年7月 2日 (水)

世界カタコト辞典から

Goy  “ゴイ”と発音する。 語源はヘブライ語? 「(ユダヤ人からみて)異邦人、外人」の意味

昨夜は、先週土曜日に釣り上げた手のひらサイズのカレイ2枚を唐揚げにして弔った。うまかったゼ。

カラッと揚がって香ばしかった。食べながら、ロンドンで食べたフィッシュ・アンド・チップスを思い出してしまった。

ロンドンのフィッシュ・アンド・チップスのフィッシュの方の特徴は、タラにしろヒラメにしろカレイにしろ、衣が分厚く油を沢山すっているので、カロリーに注意すること。現地の人の食べ方を見ていると、衣をわざわざ取って中の美味しい白身の部分を塩とモルトビネガーを振りかけて頬張る人が多い。ロンドンで生活していた時は、大部お世話になったイギリスのジャンクフードだ。

今朝は4時前に目が醒めた。このところ、この時間になると、決まってヒヨドリが隣のNさんの家の屋根にとまって、盛んに囀る。美しい囀りではないが、生を謳歌するような、溌剌とした周りを圧倒する音量で目が覚めてしまうのだ。そう、うるさいのだ。やめてくれぇ~、叫びたくなる。どうも、近くに巣があるようなのだ。もうひと眠りと思うのだが、うとうとしながら眠れない。思い切り読書灯をつけて、本に手を伸ばした。

中根千枝氏の「社会人類学~アジア諸社会の考察」(講談社学芸文庫)を手にした。職場でR先生と話していたときに、「族譜」のことが話題になり、中国の宗族について気になり始めた。先生は、第1巻(目次)は持っているそうで、全部で10数巻になるという。普通は、20年くらいごとに、新たな世代が書き加えられるというが、先生の族譜の場合は、大分前だが、90年ぶりに編纂されたという。義和団事件から、辛亥革命、国共合作、日中戦争、日本敗戦後の内戦、共産党による統一、大躍進政策と文化大革命による混乱続きで、長らく滞っていたのが理由で、鄧小平さんの時代になってからのことだという。 中根氏によると中国及び朝鮮半島やインドもアラブなど広範囲にわたってユーラシア大陸は「父系社会」だという。 ところが、日本は、父系社会ではないし、母系社会でもないらしい。朝鮮半島も含めた東アジアと何か隔たりを感じるのは、この社会構造の故かも知れない。

私の友人で中国通のS氏は、「中国には社会がない」、と言い切っていた。「社会」とは「公共性空間」、と言い換えられると思う。 さらに別の言い方をするなら、「日本人が日本人社会という意味で、中国には中国人社会は存在しない」ということになるだろうか。 中国人にとっての社会=公共性空間とは、「宗族」のことではないだろうか? 「宗族」を超えた世界は、異界、異邦人の世界のようなのだ。「宗族」の外に対しては、平気でウソをついても良いし、商売をしても値段が「宗族」(=血縁共同体)とそれ以外では違うのだそうだ。 中国には、このほかに、「幇」(ほう)という「宗族」(=血縁共同体)とはまた別の、「義理人情で結ばれた人間関係の世界(=三国志でいうあの桃園の義盟=擬似的血縁関係)」、はっきり言えば、「秘密結社の世界」、これは、例えば、辛亥革命を担った孫文を指させた客家の秘密結社「洪門」(天地会)がそうらしく、中国共産党も言ってみれば「秘密結社」だったと言う、もあって、宗族(=血縁共同体)とは違うもう一つの公共空間を作っているのだという。

中国人の社会とは、結局、この二つの世界のことであって、その世界以外は、異界、異邦人の住む蛮地ということになる。極端に言えば煮て食おうが焼いて食おうが、そんなの関係ねぇ、ということになるらしい。中国という世界はこの二つの世界を包む全体集合のことであり、無数にある集合同士の力学が最終的に中国という国の政治現象を作り出しているのだ。だんだん、話が難しくなって来た・・・。

なかなか、本題のGoyに辿り着けない・・・。

ひとしきり、物思いに耽って、8時過ぎ朝食を取った。それから2階に上がってベッドルームに足を入れた途端、本棚にある1冊「ドイツの中のユダヤ」(ピーター・ゲイ著)の背表紙が目に入った。そして、次の瞬間、「Goyという言葉が鮮やかに脳裏に蘇って来た。何故、今、ここで?不思議なものだ。 連想に引きずられて、身支度しながら、話はまたロンドン時代に戻るのだった。

私は、ロンドンの北Finchly Northに半年ほど住んだのだが、事情があって市内に引っ越すことになった。一週間、不動産屋に通いいくつかの物件を見学した。担当する営業マンが車で私を連れて行ってくれたのだった。確か、Golders Greenにある物件を見にいったときのこと、車にもう1人の営業マンも同乗、彼等の世間話を聞く羽目になった。イギリス人同士のしかも下町風の訛がある英語は、なかなか難解である。しかし、彼等が何を話題にしているのかはおおよそ理解できた。彼等はユダヤ人なのだ。それと車のナンバープレートがどうのこうの、と盛んに議論していた。しかし、標題の言葉は実は彼等の口には上らなかったと思う(か、発音が聞き取れなかったのか)。 ただ、話は直感で?理解したのか、私は車を降りて、こっそりナンバープレートを確認したのだった。ナンバープレートには、数字に混じってGOYというアルファベット文字が並んでいたのだ。 どこかで、頭の中をくぐり抜けた単語だった。 ピーンと来た。ユダヤ人にとっての「外人」(=非ユダヤ教徒)、という意味だった。普通、ユダヤ人は、「異邦人」として否が応でも自己認識に迫られるのだが、敬虔なユダヤ教徒としての自己意識からすると、周りこそ「異邦人」達なのだった。従って、語感には、「軽蔑的」な意味があるという。

彼等がひそひそ声を落としてしきりに苦笑いしながら語っていたのが分かるような気がした。自分こそ異邦人なのによりによって、車番にGOYがつくなんて!ということだったと思う。

続く

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