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2011年10月30日 (日)

中国人は100年前と変わっていない?

ほぼ2年間休眠していたブログの復活となる。もともとは野鳥の観察といろいろな本について自分で呟いて見たいと思って始めたのだったが、2008年夏場から少年時代に熱中した釣りに再び目覚めてからはご存知のとおり釣りブログとなってしまった。

(ご存じない方はこちらを覗いて下さ→http://sasurai-no-angler.cocolog-nifty.com/blog/)

復活ブログサイトは、本を中心に時折野鳥に触れたいと思う。

2011年も今日が10月最後の日だ。3月11日のあの大地震で何かが変わったような気がする。それが何だかはよくわからない。個人的には、今年はあまり良いことはなかった。鬱々とすることは齢を重ねて少なくなったが、このところ仕事もそうだし、個人的にはここで書けないトラブルに遭遇したり、ストレス多き年だ。厄年だ。今年も残すところあと2ヶ月だが、何とか乗り切れればなぁ、と思っている。

9月の健康診断でびっくりしたのは体重がなんと4キロも減ったことだ。別に減量に注意していたわけではないのだが、重苦しさで気分がへこんでいる時は、体重が減るものなのだと改めて思った。

さて、本の話題に移ろう。中国で最近2歳の子どもが車にぶつけられて路上放置されたまま、通行人が9人も無視して通り過ぎた上に、もう1台の車にも轢かれて、病院に搬送はされたが、とうとう亡くなったという報道を見た。この時思ったのは、あれだ、アーサー・スミスの「中国人の性格」で100年以上も前に書いてある通りじゃないかと。

日本では戦前(つまり大東亜戦争前)に翻訳されたようだが、アマゾンで検索しても出てこない。ならと、英語版を探したらちゃんと出てきて購入したのが6年前。当時のベストセラーだというが、21世紀の今日でも中国理解のためには欠かせない基本的な本として読まれ続けているということだろう。時折英語の勉強も兼ねて拾い読みしながら最近読了したところだった。

その本の21章がAbsene of Sympathyという表題が付いている。その中に、当時の川で座礁したイギリスの船から多くの人が川を泳いで溺死から逃れようとしているのに、中国人たちはいたって無関心か、必死で泳いでいる人間を殺して所持品を奪う姿を目撃して衝撃を受けたという報告されている。当時、つまり清朝末期の中国は、4億を越える人口を抱えているものの、内乱と天候不順(旱魃・洪水)で過酷な生活状況、ほとんどの人はその日暮らしだったというのも衝撃的だった。 これは古代中国から慢性的な中国の問題であり、2000年以上もこの過酷さを生き抜いてきた彼らの頭にあるのは、生存のために必要なもの、つまり、「金」と「食事」しかないのだ、と断言している。

中国人は変わっていないということだろうか。3年前に他界した中国通のS君も、中国には日本でいう(あるいは欧米社会)「社会」が存在しないのだと、自説を述べていたがが、その通りなのだろう。あるのは、宗族=家族(日本とは意味合いが違う)の絆という我々には想像できない血と情のどろどろした共同体とそれ以外は敵、つまり、三国志的世界なのだという。中国人には家族以外の関係がないわけではない。三国志的世界で言えば、「義兄弟の契り」というのがあるのだ。日本のヤクザを思い出してしまうが、血縁家族とは違う人間共同体があるという。が、断じて、公共心をはぐくむような社会は存在しないらしい。

とは言っても、中国に詳しい先生からお話を聞く機会があって、北京オリンピック後に久しぶりに北京に行ったら、北京の人たちのマナーがすごく良くなっていて、驚いたという話を聞くと現代中国には我々日本人と価値観を共有出来そうな世代・層が経済発展の結果として生まれているのだろうか、という甘い幻想を持ちたくもなる。

本当の中国はどうなのだろうか。中国は広くて大きい。多民族国家であり、豊かになったとされる4億の外に、戦前の日本の農村よりもっとひどい、農民がまだ9億もいるという現実を考えると、やっぱり、アーサー・スミスの観察はまだまだ有効なのではないか、と思わざるを得ないのである。

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