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2011年11月29日 (火)

映画「パピヨン」、モーム、ユンガー

大分前のことだ(もちろん大地震の前)、ある日の夕方仕事が終わって帰宅して遅い夕食を取ってコタツにはいりテレビのスイッチを入れると、BS3で映画「パピヨン」をやっていた。 金庫破り(無実の罪???)で終身刑を受け、中南米フランス領ギニアにある脱出不可能と言われる流刑地に流されたスティーブ・マックイーン演じる主人公パピヨン(胸に蝶の刺青がある。フランス語で蝶はパピヨンだ)が不屈の闘士で最後は脱出に成功する話だ。

2度脱走を試みて連れ戻されその都度5年間、合計10年の独房生活を強いられながら耐え抜き、最後は絶壁に囲まれる孤島に島流しになるのだが、ここでも不屈の精神を発揮して椰子の実を袋につめた浮き袋を作って海流に乗って30数キロ先の陸地に一か八かの脱出行を敢行して生還したという実話にもとづく話だという。

途中で切り上げて寝ようと思いながらついつい最後まで見てしまった。最近の映画はさっぱり見なくなったが、こうして昔の映画を見るとなかなかいい映画があるなぁと思う。何がいいのかうまく言えないが、ロケ映画の美しさ(「アラビアのロレンス」は何回見ても感動する」)とか当時(たぶん1920年代前後)の植民地の風俗などを見ているのが興味深かった。それとともに、最近の映画をあまり受け付けなくなったのはやっぱり歳をとったからだろうか、という疑念も密かにわが心に忍び寄る。

サマーセット・モームの短編集を英語の勉強と思ってこのところ時間を見つけては古びて黄ばんだペンギンブックスで読んでいる。この作家は大英帝国の絶頂から凋落の兆しが見え始めた20世紀前半に太平洋諸島をあちこちほっつき歩いた人だ。日本にも来ているし、中国をはじめマレーシア、シンガポール、太平洋の諸島をくまなく巡り歩いた。ポール・ゴーギャンに会いにタヒチにも行っている。

その短編にもパピヨンが収監されたギニアの刑務所を扱った短編もある。モームの作品は、ヨーロッパ人やアメリカ人が流れ流れて住み着いた太平洋の国々・島々で赤裸々に見せる人間のおかしさ、みにくさ、残酷さ、愚かさを描いている。どれも最後に結構な「落ち」があってその語り口はエンターテインメントそのものだ。

短編の名手を上げろと言えば、ロシアならチェーホフ、フランスならモーパッサン、アメリカだとヘミングウェイとするとイギリスはモームだろう、と思うがいかがなものだろうか。ドイツ語圏の軽妙短編の名手がなかなか思い浮かばない。カフカの短編はそれなりに好きだが気楽に読めるものじゃないしねぇ。多作のトーマス・マンはいい短編を結構書いてはいるのだが。

パピヨンの映画に戻ると2度目の脱出では、追跡から命かながらに一旦は逃げたが意識を失ってしまう。目が覚めると、現地土民の集落で介抱されていた。海辺での原始的ながら一種の桃源郷にいるがごとき生活をするのだった。土着の文明化されない人たちは心優しく、貞操観念も西欧キリスト教社会のような堅苦しいタブーもなく、主人公は夢のような安らぎの中で時間を忘れて生活するのだったが、ある日目がさめると、誰もいなくなって主人公一人が残されていたのだった。(映画ではその後、修道院に保護を求めたものの彼女たちの通報結局刑務所に戻されてしまう)。モームの短編にも現地土着民のこの手の話があちこちに出てくる。

ストーリーとは直接関係ないが、囚人たちが流刑地の官吏たちの金儲けの為に捕虫網でモルフォ蝶を取るところが印象的だった。欧米の大金持ちが蝶のコレクションをするために作った捕獲・輸送のネットワークの末端ではこのような仕入れと流通ルートがあったということだろう。

蝶のシーンを見ながら、連想が広がった。1980年代前半のこと、自分がアムステルダムで研修をしたころT君という仕事仲間がいたのだが、彼は蝶のコレクターだった。私は後任で彼のアパートを引き継いだのだったが帰国の前日の荷造りを見てびっくりした。身の回り品はすべて船便・航空便で送ってしまい、スーツケースの中は採集した蝶のサンプルと蛹だったのだ。彼は日本に帰国後もオーストラリアのシドニー、北米アメリカはニューヨーク、そして自分が職場を離れる頃はシカゴと仕事で渡り歩いたはずだが蝶に対する情熱はその後も続いるのだろうか。ちなみに、彼はアニメ「おばQ」(古いと言うなかれ)に登場するキャラクターでいつもラーメンをすすっている小池さんにソックリだった。

連想はさらにドイツ人の作家エルンスト・ユンガーに繋がる。映画「パピヨン」を見た翌朝のこと、寝床のどこかに置いてある「2度目のハレー彗星」(1986年に70数年ぶりにハレー彗星が地球に接近した際に90歳を超えたユンガーがシンガポール・マレーシア・インドネシアなどを旅行した日記)を引っ張り出してパラパラと拾い読みをした。本人は、蝶ではなく甲虫類のコレクターだった。

同氏の著作は全集版が出ているのであるとき思い立って買い揃えたのだが、仕事の忙しさと言うか、辞書を引きながら地道に読んでいく根気が続かないのと、趣味のアウトドア(釣りと野鳥)にかまけて、積読状態が続いている。学生時代に脇圭平氏の「知識人と政治」(岩波新書)に出会って以来、20世紀前半のドイツ思想史に興味を持ち続けているのだが、登場する人物で最後まで執拗に私から離れないのがこのユンガーだった。

著者の本質は一番最初の著作に現れておりそれ以後の変遷はその「変奏曲」にすぎないということを誰かが言っていたと思うが、映画」「パピヨン」が引き金となって再び読みかけたまま長い間放って置いた「InStahlgewittern」(「鋼鉄の嵐の中で」)の英語訳版「Storm of Steel」を読み始めた。この本は、2000年の夏に仕事でイギリスを旅したときにバーミンガム市を散策しながら偶然入った本屋の片隅で見つけ興奮しながら衝動買いした本だった。「Zweimal Halley」(2度目のハレー彗星)を購入したのは1987年新宿の紀伊国屋書店の洋書コーナーだった。Juengerという名前が中に飛び込んできてハッとさせられ、これまた衝動買いしたのだった。

長い眠りから覚めて再び手にしたこの本は、第一次世界大戦の従軍日記だが、凄惨な塹壕戦の中で生と死に向き合いながらも、戦場の日常のなかでせっせとパイプを吹かせながら読書をしたり昆虫採集をしたり、仲間と酒を飲んでの狂騒を演じたりしたり、地元の女性(ジャンヌ・ダルクと命名している)とのエピソードなど様々な身に起こることを淡々と突き放して書いている出色のドキュメントだ。ヒュマニスティックな抒情が一切ないのがいい。

私がユンガーに惹かれ続けている理由はわからない。何故だろうと思いながら1年前の冬のある冷え込みの厳しい日曜日の午前中に読了した。ドイツ語でざっと読みした時は深いもやの中をさまよった感じだったが、英語版ではかなり霧が晴れたようである。

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