« 2011年11月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月18日 (金)

Ken FollettのTriple

たまりにたまった本を整理しはじめることにした。何しろ中学校時代からの本が整理されずに残っているのだ。さすがに本の置き場に困り始めている。

 

整理しながら本を手にする。旺文社文庫、そう、もう絶版になっている旺文社文庫がある。

モンテクリスト伯爵

ジャン・クリストフ

野生の声

 

なつかしいなぁ。でも、ストーリーは大方忘れてしまった。でも、もう2度と読むことはないだろう。

 

創元社文庫だと、いまだに出版され続けているものがある。

グリーン家殺人事件

Yの悲劇

Xの悲劇

フランス白粉の謎

チャイナ橙の謎

ガーデン殺人事件

シャーロック・ホームズ冒険

シャーロック・ホームズの帰還

赤い館の秘密

 

推理小説が多い。これらももう再読することはないだろう。

 

Book Offに持って行ったが、段ボール2箱で500円にしかならなかったが、引き取ってくれるだけましである。

 

整理している中でケン・フォレッとのペーパーバック版が出てきた。1979年印刷となるから大学卒業直後のことだ。手にしてベッドにもぐりこんで読み始めたら目茶目茶おもしろい。先週末の軽井沢旅行にも持参して昨日朝読了した。

 

主人公は、ロンドンはイーストエンドの貧しいユダヤ人家庭に生まれ、第2次世界大戦では連合軍のイタリア作戦に参加、ドイツ軍の捕虜になり強制収容所で地獄の体験をするも生き延びて、戦後はイスラエルに移住、イスラエル諜報機関のスパイである。

時代は1968年前後のこと。戦後オックスフォード大学で主人公と出会った旧友が物語に絡んでくる。

Yassinはパレスチナ生まれのアラブ人で、ルクセンブルクの金融機関に勤めるがエジプトの諜報機関のエージェントである。

ロシア人のRostovは、KGBの諜報員として登場する。

物語は、エジプトがロシアの支援を受けつつ核施設を密かに作って核兵器を作ろうとする情報をキャッチしたイスラエルが自らの安全保障上の危機を乗り切るために、プルトニウムを手に入れる作戦を展開するところから始まる。

 

当時核兵器は、アメリカ・ソ連・英国・フランス・中国の5か国独占の状況であった。主人公はルクセンブルクにあるヨーロッパの原子力機関の職員から情報(ホモの職員を脅して核処理燃料の輸送データを入手)を得海上輸送される船を乗っ取りイスラエルに持ち帰るというプランである。

 

この計画を巡って、ルクセンブルクで偶然再会したYassin(エジプトの諜報員)とKGBRostovが阻止するために動き出す。彼ら3人の恩師でオックスフォード大学教授のイギリス人の妻の娘Suzaが主人公Dicksteinの恋人となる。彼女の母はヨルダン人、つまりアラブ系であり教授もアラブ寄りの人間である。

 

エジプトの諜報機関には、イスラエルのモサドにソ連・アラブ側の情報をリークするダブルエージェントがいたり、それを知っているKGBが偽情報を流したり、国益を巡る諜報員の活動を実態さながらに描いていてスリリングである。

 

モサドは主人公が恋に落ちたスーザがアラブ側の諜報員であると疑い、KGBもそのように彼女を扱ったが、冷徹なKGB諜報員のRostovは最後の最後で墓穴を掘ることになる。

 

手際よくジブラルタル海峡を過ぎた輸送船を乗っ取っろうとした主人公だが、Yassinの計らいで一足先乗っ取りに成功したパレスチナ解放戦線の一味と戦う羽目になり多大な犠牲を払って何とか確保する。

 

その船を抑えてイスラエルが秘密裏に核兵器を持とうという意図を世界に暴露して漁夫の利を得ようとするKGBRostovの目論見は最後の最後で頓挫する。Rostovの船に囚われの身となっていたスーザは、通報受けた主人公が単身船に乗り込んで来て救われる。

 

エンターテインメント小説だけにハッピーエンドではあるが、作者ケン・フォレッと氏の才気がいたるところで垣間見えるなかなかの出来だった。30年近く眠っていた本がやっと日の目を見た瞬間だった。

 

ところで、小説の最後のエピローグでパレスチナ問題の難しさをアラブ人政治家がたとえる話は示唆に富むものだった。

 

「パレスチナ問題は、イスラエルが核兵器を持ったことによって、永遠に解決しないだろう。アラブ側に核兵器はないのだ。パレスチナとはいわばイギリス連合王国のウェールズみたいなものだ。ウェールズ人(スコットランド人と同じくケルト人)は、1000年くらい前にアングロ・サクソン族に占領された被占領民族なのだ。1000年間彼らは屈辱に耐えてきた。出来ることというのは、最近もそうだが、警察署に爆弾を仕掛けることくらいだ。」

 

中東におけるイスラエルとパレスチナ問題に解決の糸口はない。パレスチナ人はウェールズ人のような運命を辿るのだろうか。

 

中東で現在唯一核兵器を持っていると思われるイスラエル。イスラエルはNPT に加盟していない。イランの核問題はイスラエルの存亡にかかわる安全保障問題なのだ。極東に住む平和ボケした日本人からは彼らの緊張感を理解することは不可能だろうか。

 

極東にも核問題はある。北朝鮮だ。北朝鮮は、核を持つことで金王朝政権と取り巻きの特権階層(軍人)の存続を図っている。現在五か国協議の枠組みで解決を図ろうとしているがようとしてその糸口は見えてこない。しかし、脅威の最前線にいる韓国はもちろん、日本には緊迫した脅威の実感がないのも事実である。何故なのだろうか。

P


2012年5月 8日 (火)

Kissinger氏の「On China」を読む (その2)

1970年前後の国際情勢は、今日からするとまったく違っていた。

アメリカ合衆国は、194910月に毛沢東率いる中国共産党が樹立した中華人民共和国と国交がなかった(蒋介石の中華民国を承認していた)。

西方では、インドと国境紛争を抱えて敵対していた。

南方のベトナムではアメリカが介入して55万の軍隊が派遣されていた。ベトナムと国境を接する中国は北ベトナムを支援していた。

 

そして、肝心の社会主義の同盟国ソ連とはスターリン死去後のフルシチョフ政権を修正主義と批判・対立しウスリー江では島の領有をめぐって軍事衝突があり、嘗ての友好関係から一転して敵対関係となり、ソ連は国境付近に軍事力を結集していた。

もちろん、アメリカの子分となってしまった日本とも国交はなかった。

外交的には八方塞り状態だった。

 

内政も混乱の極みだった。毛沢東主導で行った1950年代後半の大躍進政策は2000万とも3000万とも言われる餓死者を出すという惨禍を招いた。劉少奇副主席らの実務派に批判され主導権をうばわれた毛沢東は面白くなかったらしい。

 

ここらあたりが凡人の我々には理解に苦しむのだが、唯我独尊、嫉妬深い毛沢東は、実務派の経済立て直しは必要と感じつつも、共産主義革命=永久革命に情熱を持ち続ける、というに満ちた「確信犯」だった。「共産党の親分は自分なのだ」、という自己顕示と権力闘争のために、両派を戦わせながら(劉少奇、周恩来、鄧小平の実務派と毛沢東の3番目の妻・江青らの4人組)や林彪ら人民解放軍らの永久革命派)、権謀術数の限りを尽くして周りの人間を使い捨ての駒のように犠牲にしては、自らの正当性を維持しつつ権力を掌中に維持し続けたのだった。

 

キッシンジャー氏が周恩来首相と秘密会談を行った1971年から72年にかけての中国内政情勢は、外交と同様に出口なしの状態だった。その極め付けが「林彪事件」だった。謎が多いとされる事件だが、文化大革命の過程で、劉少奇の追い落としに功のあった林彪を自分の後継者にしたものの、人民解放軍の実権を握りナンバーツーとなった林彪の影響力に自分の地位が脅かされる不安を感じた毛沢東の粛清劇だったらしい。クーデターを試みた林彪は、失敗し逃亡を企てたものの飛行機がモンゴル上空で墜落(撃墜?)して死亡した。

 

キッシンジャー氏の周恩来や毛沢東との会談と回顧しながらの氏のコメントは現代史の生き証人の言葉だけに読んでいてゾクゾクしてしまう。当時、キッシンジャー氏は40歳後半後半の若造だった。片や、毛沢東、周恩来はたたき上げの革命家で日中戦争とその後の国民党との内戦を勝ち抜いて大混乱の中国を再統一した「超大物」であり半端な政治家・革命家ではなかった。

 

周恩来に初めてあったときキッシンジャー氏は周恩来氏の存在(圧倒的な存在感、優雅さ、炯々と輝く眼光、鋭い知性、包容力等)に圧倒されたことを正直に告白している。(同氏に、「まともに戦略の話などできない」と酷評される日本の政治家・外交官とはまったくレベルが違うということだろう)。

 

話は脇道のそれるが、日本の政治家のレベルが何故にかくも見劣りするのか。宮崎市定氏の指摘に納得せざるを得ない。 つまり豊臣秀吉級の人間が中国にはゴロゴロいるというのだ。人口一億の日本を束ねる指導者が人口13億を束ねる中国の政治家と比較するのが間違っているということだろう。しかも、中国は多民族国家である。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康級の人物が各地域に割拠しているのだ。このレベルの指導者が、ベストエイト、ベストフォーで戦い、決勝で勝ち残ったチャンピョンが、中国の歴代の皇帝であり、毛沢東だったのだ。

 

キッシンジャー氏は、近代ヨーロッパ外交史の権威だが、そもそも16世紀に現在のヨーロッパ地域に於いて「主権国家」が登場して勢力均衡による外交が確立し伝統となり、第一次世界大戦前まで続き、その結果として両世界大戦による惨禍の結果EC,EUという統一欧州共同体が出来たことを踏まえて、16世紀から20世紀世紀前半までのヨーロッパを紀元前の中国春秋・戦国時代になぞらえている。

 

このブログは、この本の要約ではない。気になるところを記そう。 最終章を先に読んだのだが、キッシンジャー氏は、21世紀の現在、中国の台頭を、19世紀後半のビスマルクによるドイツ統一事業がヨーロッパの地政学的状況に根本的な変革をもたらし、結果として第一次、第二次世界大戦につながった事実に触れながら、アメリカ合衆国をイギリス、中華人民共和国をドイツになぞらえたアナロジーに注意を促す。

 

歴史がそのまま繰り返せばとてつもない悲劇となる。そうはならないだろうと、キッシンジャー氏は言う。単純な人は米中戦争を考えてしまうが、第一次大戦まえのヨーロッパの指導者は、近代兵器の惨禍を予想できなかった。21世紀の今日の指導者達はそれを知っている。

 

米中は相互の国益を追求しながら、破滅的な対立にならないよう、おもに非軍事的に調整を図りながらともに「進化」していく関係を築くべきであると提言し、それは可能なはずだと言う。

 

(続く)

2012年5月 6日 (日)

Kissinger氏の「On China」を読む その(1)

キッシンジャーの「On China」を読み始めた。2011年の春に出版されて評判になった。Timesにはイギリス人の歴史家Niall Ferguson氏の書評も出ていたし是非読んでやろうと思ってアマゾンですぐ注文した。しかし、なかなか熟読する時間を見つかられずに半年が経ってしまった。

P

 

やっと時間が出来た連休前に読み始めた、と、皮肉なことに新聞広告で岩波書店から「キッシンジャー回顧録」という名前で翻訳が出たことを知った。題名が良くないと思う。やっぱり、原題のニュアンスは尊重すべきだろう。「キッシンジャーの中国論」が妥当ではないか。

 

読みながらつくづく思うのは、欧米の政治家がどれだけ中国を中心とする東アジアの歴史と現状を理解しているのか、という疑問である。旧西ドイツの首相だったシュミット氏も彼の著書で「無知ぶり」を正直に告白している。彼らは、驚くほど自分たちの文明・文化圏以外の世界については無知なのだ。彼らにとっての教養とは、あくまでも同じキリスト教共同体から発展したヨーロッパ史であり、その枝分かれした北米アメリカ史なのだ。

 

裏を返せば、日本の政治家を始め、アジアの政治家がどれだけ欧米(ヨーロッパ・北米のキリスト教圏)の歴史・文化を理解しているかという、問いになるが、状況は同じだろうか。いや、明治維新で西洋化に目覚めた日本を始め、いわゆる近代化路線を取らざるを得なかった東アジアのみならず全世界の非西洋諸国の政治家たちはいやがおうでも手本として主要欧米諸国についての知識と理解を持たざるを得ないのだから、欧米のカウンターパート達よりは少しは上回っているのではないだろう。

 

キッシンジャー氏は、南ドイツの片田舎に生まれたドイツ系ユダヤ人だ。ヒトラーの迫害を逃れてアメリカに移住。どういう経緯でハーバード大学に入れたのかはわからないが、秀才ぶりを発揮して、ハーバード大学院で19世紀のヨーロッパ外交史の論文を書いて博士号を取った。米ソ冷戦真っ最中だったニクソン政権時代に大統領と二人三脚でそれまで国交のなかった中華人民共和国と国交回復を実現して世界をあっと言わしめた辣腕の外交官にして冷徹な戦略家、というのが私の知る大まかな氏について知るところである。

 

日中国交を回復した故田中角栄氏がロッキードスキャンダルで失脚して刑事被告となって晩節を汚しても「井戸を掘った恩人」として中国は彼に敬意を表し続けた。キッシンジャー氏は、そのアメリカ版である、とは言っても彼は晩節を汚している分けではない。キッシンジャー氏と中国との繋がりは深い。

 

大革命家にして大戦略家かつ暴君であった毛沢東とその子分(毛沢東に死ぬまでいじめられ続けたらしいが)周恩来との出会いから始まって今日までの歴代の中国のトップとの付き合いは長い。1972年から今日までの50年、半世紀である。国際政治学者として日本では紹介されるキッシンジャー氏だが、正確に言えば、彼はstrategist、つまり、戦略家というのが正確なところだろうと思う。

 

読みながら思ったのは、21世紀は中国が19世紀半ばごろから強いられた「150年」の屈辱をようやく清算して、かつての大国へ回帰する過程なのだ、ということだ。過去20世紀のうち18.5世紀において中国の力は圧倒的だった。その圧倒ぶりは、島国に住む現在の日本人には実感しずらい。

 

満州事変から日中戦争を戦って日本は中国に負けたのだが、大方の日本人の認識は中国に負けたのではなく、アメリカに負けたと漠然と思っている人が多いだろう(最近は、日本とアメリカが戦ったことを知らない世代が結構いると知って私はショックを受けたのだが)。

 

歴史をきちっと勉強すれば、日本は中国に負けたことが良くわかる。大戦略家であるキッシンジャー氏は、最初のほうの章で「孫子」に触れている。中国の古典「孫子」は、「戦いで最上は戦わずして勝つこと」としている。19世紀のプロイセン軍人クラウゼヴィッツの「戦争論」は、兵力の運用に重きがあるのに対して、「孫子」の戦略的観点(心理戦、謀略)はその上を行っているのだ。しかも、紀元前200年~400年のころの話なのだ。

 

日本は、中国の戦略に負けた。蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産党(八路)軍は、西安事件を契機に2度目の国共合作を実現した。彼らの伝統的な戦略である「遠交近攻」政策に基づき、当面の敵である侵略者・大日本帝国と戦うために同じ帝国主義で苦しめられたイギリスやアメリカ、ソ連と手を結んだ。日本が真珠湾攻撃をした時点で、アメリカの第2次世界大戦の参戦が実現し、イギリスのチャーチルも国民党の蒋介石もこれで、日本に勝てる、と狂喜した。

 

冒頭でキッシンジャー氏は、中国の「独自性」(singularity)を強調している。そして、その独自性は、性質は違うが、アメリカ合衆国の「独自性」(exceptionalism)と対をなしている。どちらも、本来であれば、自足的で、周りに気遣う必要がない。違いは歴史の集積からくる中国独特の儒教文明に対し、アメリカは「Manifest Destiny」に象徴される使命感(民主主義とキリスト教を世界に広める)である。

 

どちらの国、というか私に言わせれば「文明圏=一つの世界」なのだが、我々日本人やヨーロッパ人が考える「国」=nation state (通常「国民国家」と訳される)とはmagnitude(度合)がまったく違う。ヨーロッパ大陸国は、ドイツ・フランスおよびベネルクス3国を中核に「ヨーロッパ合衆国」らしきものをつくろうとしているが、アメリカ合衆国も中国も国家としての度合いはこの「ヨーロッパ合衆国」規模なのだ。

 

(続く)

2012年5月 5日 (土)

村上春樹の「1Q84」を読む

開したにもかかわらず半年また沈黙してしまった。新緑の季節を迎えて気分爽快。忘れていたわけではないのだけれど、身辺がやっと落ち着いてきた。これからしがらくは読書日記のエンジンを全開しよう!!

 

連休前半は野暮用で東京へ。久しぶりにシングルマザーの母娘と楽しい時間を過ごして来た。娘はバレエを習っていてその発表会もあった。かわいいですねぇ。良かったですよ。招待してくれてありがとう!!

 

一緒に食事したり、遊園地に出かけたり、買い物に出かけたり、自転車乗りの練習に付き合ったり、疲れましたねぇ、でも、自分はとても元気になってまた田舎に戻って来た。

 

往復の移動中やや深夜、早朝の自由時間は一人で久しぶりに小説を読んだ。村上春樹の「1Q84 」の文庫本(14)を携行したのだった。彼の本を読むのは「ノルウェーの森」を1990年前後に読んで以来だろう。 

 

1984年というと、もう28年前のことだ。1984年のその年、私はアムステルダムで仕事をしていた。若かった。主人公の天吾くんとほぼ同じ年だったなぁと思いながら、第一巻から読み始めたら、面白くてずんずん引き込まれて昨夜遅く4巻まで読了。

 

ストーリーのことはまだ読んでいない人のために書かないけど、子供のころに心の傷を負った二人の登場人物、予備校で数学を教えながら小説家修行をしている男・天吾くんと戦闘的フェミニストにして女版「必殺仕置き人」(すでに3人の男を殺している殺人者)である青豆(あおまめ)さんを中心に、60年代から70年代に盛り上がって消えていった新左翼運動に関わった若者達のユートピアの果てに、80年代のバブル景気がまさに始まったばかりの1980年代に登場してきたオウム真理教を連想させる宗教団体を巡って物語は展開していく。

 

月が二つ見える、空気さなぎ、リトル・ピープル。「巫女」の役割を果たしているらしき発達障害と思われる17歳の美少女の口から語られるこれらの謎に満ちた言葉。小学校時代にたった一度手を握っただけだが惹かれあう天悟と青豆は、この「巫女」=ふかえりさんの狂言回しに乗って1Q84年という「捻じれた?」奇妙な現実の世界へと誘われていく。読んでいて刺激的で楽しい。これが村上ワールドなのだろうか。

 

個人的には、1984年というとジョージ・オーウェルの「1984年」を思い出す。リトル・ピープルとういのは、オーウェルの「1984年」に出てくる独裁者ビッグ・ブラザーのパロディである。当時、冷戦は続いていたし、ソ連が5年後に崩壊するとはまったく想像も出来なかった。

 

学生時代に、すでに新左翼運動は下火にはなっていたが、新左翼崩れの先輩と話したこともあるし当時の雰囲気はよく覚えている。自分は、考え方に付いていていけないなぁと思いつつ、同級生と同じようにリクルートスーツに身を包み何とか就職(オイルショックで就職は厳しかった、2012年の今日ほどひどくはなかっただろうが)して数年経過し、仕事に没頭する毎日だったが、何か飽き足らない日々で、ヨガに興味を持ったり、哲学書や宗教書を読み漁ったりしていた。私にとっての1984年は、バブル景気に突入する直前で日本中が沸き立ち始める兆しがあり、世の中が何か変わったな、と思えるそんな年だった。

 

小説にはいたるところで音楽が重要な役割を果たしている。基調音はヤナーチェクだ。映画「存在の耐えられない軽さ」で出会ったピアノ曲を愛好する私だが、「シンフォニエッタ」は聞いたことない。聞きたくなった。

 

続巻の登場が待ち通しいい

120505_174601

« 2011年11月 | トップページ | 2012年6月 »