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2018年6月25日 (月)

入院日記 リハビリ編 その25

6月23日(土) 曇り後雨

お日様は昨日だけのようで朝から曇天模様。

ブラジルはかろうじて後半ロスタイムに2得点して勝利する。南米唯一の娯楽。負けると国民は容赦しないお国柄だ。たかがスポーツではない。勝ち負けで戦争が起きたりミスした選手が殺されたり。選手たちは命懸けだ。ネイマールは涙を流しながら安堵した。

朝食後の読書はユンガーの日記「Siebzig Verweht」(漂流の70年)を読み続ける。

アフリカのアンゴラ訪問記。滞在時はまだポルトガルの植民地で、独立するのは1970年にはいってから。第一次大戦後、植民地を失って西アフリカから追い出されたドイツ系移民が逃げて来て落ち着いた末裔の農園を訪ねる。近くのお墓にフォン・リヒトホーフェンの名前。独立闘争派による反乱は1961年に始まった。血なまぐさい殺戮。コーヒー園。ホストの狩猟。

終日、2階で休憩しながら惰眠を貪る。

お昼は炒飯とコーヒー。夕食は、ツナ缶詰めとシーフードカップ麺。買い出し人不在で食料在庫も乏しくなりつつある。

都内の長年の知り合いに近況の連絡。子供は中学受験もあり週末も塾に通っているという。励ましのメッセージをラインで送る。

就寝前の読書は「Chinese Whispers 」を読む。

この言葉はいわゆる伝言ゲームのことらしい。ハーフの中国系イギリス人でオックスフォード大学で歴史を専攻し、ガーディアンの記者をしている、若い世代による中国論。生まれも育ちもイギリス。子供時代に2年間香港に滞在。父の親戚は広東省の田舎に住んでおり、移民の本場。アメリカ大陸横断鉄道の建設にも多くの人がこの地域から海を渡った。著者の一族にも20世紀初頭に成功し故郷に錦を飾った親戚がいるらしいが、息子世代が阿片に溺れ食い潰したらしい。

著者は戦後にイギリスへ渡りシェフィールドでクリーニング屋から身を興した父のもとに1979年生まれ。私が大学を卒業した年だ。ロンドン勤務の時のスタッフで呉恵さんというスタッフがいたが、出身は確か広東省だったと記憶する。漢字の読みが普通語と違う。ワイ・リンと皆で呼んでいた(日本人が漢字読みするとゴ・メグミさんである)。呉音に近いとされる日本の音読みならゴ・ケイさんとなるのだが、まったくもって違うのには面食らったことを覚えている。

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