2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

« 尖閣諸島問題雑感 | トップページ | 手術当日 ~ その2 »

2018年6月 4日 (月)

入院・退院の日々 その1 ~ 手術まで

5月7日(月) 天気 曇後雨

昼食後の午後、涸沼川の大貫橋に出かけて、何と、土手で転倒。左足を骨折してしまった。15年前に職場の階段の踊り場でこけて軽い左手首の骨折をしたが、生活にほとんど支障はなかった。

ところが、今回は左足首の骨折(転倒したときにはボキッと音がした)の場合はそうはいかなかった。

この日は、13時すぎから大貫橋上流でせいご釣りをしていた。雨の予報だがまだ降っていなかった。1時間半ほどで、セイゴ3尾、手長エビ1尾を釣った。雨がパラパラ降りだした。散歩人がやって来て四方山話しをしていたら、竿先の鈴がなった。4尾のセイゴが釣れた。取り込んで、魚を手にして、これで帰ろうと土手を斜めに横切り車の後ろに向かう途中、誰がポイ捨てしたのか、折から雨でぬれた草の葉に隠れていたプラスティックのコップに気付かずに踏んでしまいすってんころりん、足首を変にひねりながら滑って転んだのだった。

一瞬に地獄に落ちた。意識はしっかりしているが、周りの風景がよそよしく遠のいていった。散歩人が救急車を呼んでくれた。近くの病院に搬送された。レントゲン写真が取られ、気が付くと医者が骨折だね、手術が必要だね、最低でも2週間の入院・・・・・・・・

ショックをう受け何も考えられないまま、入院は実家の家の近くにするので今日は帰りますと入院を断り宛名なしの紹介状をいただいて、タクシーを呼んで帰宅したのだった。自分の車は涸沼川に置きっぱなしだ。

5月8日(火)

前夜は足の痛みが少しあったがうとうとながら眠ることはできた。朝食後、職場に連絡を入れる。人事責任者に連絡を入れ退院するまで休むと伝えた。年休分20日使えるとのこと。たまたまだが、自分は今月末で円満退職の予定で引き継ぎも課長補佐にあるていどしていたので問題はないので心配はなかった。

タクシーを呼び、地元で一番大きい病院へ急ぐ。9時過ぎのこと。前日搬送された病院で借りた松葉づえを使って、窓口で健康保険証もないまま事情を説明し診察券を発行してもらい、整形外科に並ぶ。レントゲンや血液検査やもろもろで1時間近くかかった。そして、順番が来て診察を受ける。入院してください、と言われる。準備もないまま、車いすと看護婦が現れ4階の病室へ運ばれた。

時計を見ると13時を過ぎていた。家族に連絡を入れ入院のことを説明、機動性のある弟に翌日来院してもらう段取りをしてベッドに横になった。

夕刻、複数の担当医たちが現れ、足を検分した。足の手術は翌日9日(水)を当初考えていたが、水泡が出来ており様子をみないといけないとのことになった。

5月9日(水)

4人部屋に三人が入っている。左隣の人の鼾で早朝は眠れなかった。幸いなことに本日退院らしい。

昼すぎに弟がやって来た。入院に必要は下着やら電気カミソリやら洗面セットやらすべて院内の店で購入してもらった。便利なもんだ。この病院は昨年11月父がデイケアー先で血圧があがり意識を失い搬送されて2週間ほど入院した病院である程度勝手がわかっているのも心強い。しかし、まさか自分が入院患者としてお世話になるとは。足を動かせないし、行動の自由がない。トイレにいくのもそのたび看護婦さんを呼ばないといけない。不便極まりない。

涸沼川の車が気になり、ディーラーの担当者に電話して事情を話したところ取りに行ってくれるという。JAFのレッカー車が事故じゃないと使えないらしい。ありがたや・・・。

弟に自宅から本を何冊か持ってきてもらった。

平川平祐氏の「源氏物語の翻訳者としてのアーサー・ウェイリー」

ホッブズ・ボーム 「帝国の時代」

クリストファー・ソーン「英米にとっての太平洋戦争」(下)

リンドバーグ「第二次大戦日記」(上)

Photo


Photo_2


普通の通勤ではなかなか読めない本格的な本である。時間はたっぷりあるであろうからとうつもりだ。2週間か3週間は持つだろう。

5月10日(木)

医者から手術は来週前半か半ばに行うと言われた。

3度の食事以外は、左足を冷やしながら、うとうと眠るかひたすら読書に没頭した。手始めに、ホブズボームを詠み始めることにした。

5月11日(金)

前日同様の生活。5時には目がさめる。朝食は7時半、お昼は零時、夕食は18時。21時半ごろ就寝。あとは昼寝と読書。午後は、手術後にそなえてベッドの中で簡単な足リハビリも行なった。

検温と血圧を測る。熱はないが、血圧は上が120~140、下が70~90とあまり安定しない。

手術に向けて、麻酔担当医との問診があった。母が10年前に入院・手術をしたときのやり取りを思いだしながら、ハイハイと話しを聞きながら、すべてはお任せします、一番良いという方法でお願いします、と同意する。

夕方、担当医が来て16日(水)に手術をすることが決まったと聞く。 手術の承諾書の準備をする。

ディーラーの担当者から車を回収したとの報告がありほっとした。店で預かってもらうことに。車内なすごい匂いだったらしい。捨ててもらうようお願いした。点検パッケージで未使用のクーポンがあるとのことで(本来は2月だがわすれていた)それも併せてお願いした。

5月12日(土)、13(日)、14日(月)、15日(火)

毎日同じパターンの生活だ。 早く手術をしたいのと、たかが骨折なのに入院とリハビリも含めて相当期間が必要という医者の話を聞いて、怪我の現実がじわじわと見に染みてきた。自分の家族はみな健康で父は盲腸で入院したくらい。母は76歳の時に胆石の手術で1か月入院した。弟が日帰り入院で白内障の手術をした。それくらいだ。とうとう自分も入院することになったかとため息をつく。

同期や歳の近い先輩で、前立腺癌や大腸ポリープの手術をする人がいることは知っているが、まだ、骨折であれば気が楽か、と自らをなぐさめる。

しかし、気持ちの整理はなかなかできない。病室の相方とも波長が合わないし、うるさい。私も鼾をかいてうるさいらしい。看護婦に2度、3度起こされたことがある。

食事については不満はなかった。田舎育ちの自分ではあるが、できるなら美食はしたいとは思うが、しかし、62歳を過ぎた現在、こだわりはない。一度、鰆が出たときはおやっと思いうれしかった。昔は豚肉とジャガイモが好きだったが、今は、ご飯とみそ汁、それに、魚(鮭やアジの干物)、それに、煮物野菜で十分だと思う。

明日は手術となる前夜は、この1週間は長かったとなぁ、と振り返りつつ明日の手術が順調に早く終わることを祈りつつ、22時前には眠りについた。

« 尖閣諸島問題雑感 | トップページ | 手術当日 ~ その2 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 尖閣諸島問題雑感 | トップページ | 手術当日 ~ その2 »