2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 入院日記 リハビリ編 その10 | トップページ | 入院日記 リハビリ編 その12 »

2018年6月10日 (日)

入院日記 リハビリ編 その11

5月30日(水) 曇り

夜中にトイレに起きず4時過ぎの目覚め。イソヒヨドリの囀ずりは5時を回るころに聞こえた。

日大アメフトの元監督とコーチはアメリカンフットボール連盟から「除名」、つまり、実質的な永久追放となった。今回の問題発覚からの日大の関係者の対応はお粗末過ぎた。法的には正しくても倫理の問題だ。学生の言うことは幼いし、指導者からすれば言葉は比喩なのかも知れない。しかし、大学のアマチュアスポーツだ。教育者の観点が抜け落ちている。社会は敏感だ。法的な問題ではない。危機管理学部は地に堕ちるだろう。

フットボール理事会の記者会見の報道を見ると、元監督は指示をしたと判断したようであり、そうだとすれば世間を欺いたことになる。モラル崩壊に唖然とする。最近の高級官僚の不祥事にも共通する堕落を感じてしまう。

納豆の朝食後、家に電話。父はちゃんとディケアに出かけた由。足を冷しながら午前はボブスボームを再読する。Mさんからラインで連絡あり。まだ退院になっていない旨返信する。

昼食はスパゲティミートソースとカボチャのスープにヨーグルト。

リハビリは足の担当の方が娘さんの痣の手術の準備、麻酔問診でおやすみのため替わりの方が担当した。階段の松葉杖を除き全て同じメニューをこなした。終了後、足のレントゲンを撮る。

3週間振りにホット珈琲を飲む。アイスモナカが売り切れだったのでバニラアイスカッブを購入して食べた。

直後、看護婦さん付き添いで松葉杖の練習。一周半歩く。時計は16時を回っている。

体重測定。71.8キロ。200グラム減った。

そのまま談話室でテレビを見る。岡山の14年前の女児殺人の犯人が捕まった続報。相変わらず日大アメフトのスキャンダル報道が圧倒している。大相撲のグルジア出身の力士が大関になった。

談話室の足のけがで入院してリハビリでよく顔を合わせる年配の人。よく演歌を掛けて本を読んでいるが今日は昨夜のシルビー・バルタンに刺激されたのか、メアリー・ホプキンスのヒット曲「悲しき天使」や加藤登紀子も歌った「百万本のバラ」をスマートフォンで聴いている。どちらもロシアの曲だ。ウクライナでプーチン政権に批判的なジャーナリストが銃でうたれて死亡したと言う。恐い国だ。イギリスではもとスパイでイギリスに亡命したロシア人がやはり毒ガスだか何かしらで命を狙われた。確か娘の方は意識を回復してイギリス当局に保護されているはずだ。

夕食後、家に電話。父と話した。元気そうだ。私がこのような失態を演じ、全ての負担が母と弟夫妻にかかってしまっている。長年付き合っている東京の知人にも申し訳ない気持ちだ。

夕食後、談話室で読書。21時前に「英米にとっての太平洋戦争」下巻を読了。チャーチルとルーズベルトそれぞれ英米の二人の戦争指導者から見た太平洋戦争の一大叙事詩的大作。

以下自分なりに理解したことをまとめると:

「欧州戦線の敵ドイツに対する英米同盟国と極東の敵日本に対する英米同盟には違いがあった。

蒋介石の中国は日本と和平締結をちらつかせながら英米から最大の援助を引き出すしたたかな政権だったが腐敗も酷かった。しかも日本とは戦わず将来の共産党との内戦のために戦力を温存することが戦略で、日本と戦うことを避けたために英米の不興を買った。英米の本音は戦略的な観点から中国を支援し、中国大陸からの日本爆撃は叶わなかったが、日本の戦力を中国大陸に釘付けすることには成功したものの、ソ連の対日参戦が見えてくると、戦略的な価値は大きく下落した。

それでも蒋介石政権を支援し続けた理由には帝国主義戦争をカモフラージュするためファシスト強権政権にも関わらずアジアの「民主主義政権」と持ち上げ自らの偽善に眼を瞑って自分たちの陣営に加えたのであり、また米国内に抱える人種問題の不安に対する担保とする意味合いもあったようである。

太平洋戦争は英米日による帝国主義戦争であり、初戦の日本の勝利は西洋の絶対的優位の神話を打ち砕き敗戦はするものの西洋による植民地主義の解体を早めることに繋がった。

太平洋の戦争は人種戦争の側面を濃厚にもっていた。戦争前半の英米関係はそれなりに対等であったが、後半は米ソ関係が主となりイギリスはアメリカへの従属を強いられた。

大英帝国は20世紀初頭の日英同盟が衰退の端緒であり1960年代後半から70年代初頭にかけてのスエズ以東から軍事力を引き揚げることにより終焉した。

チャーチルは偉大な戦争指導者だったが、一方で頑迷故老な帝国主義者で極東への理解に乏しく関心も薄かった。ルーズベルトも同様に偉大な戦争指導者だったがオポチュニストであり、東南アジアに対する政策はかなり曖昧で定見と言うものがなかった。チャーチル同様にアジアに対する理解に乏しく、結局のところ米国は自分たちの「明白な使命」(Manifesto Destiny)がアジアにおいて挫折することを理解するには朝鮮戦争とベトナム戦争を戦うこととなった。

著者はパル判事による日本無罪論には否定的であるが、極東での悲劇的な戦乱の淵源が西洋帝国主義の侵略にあることを認めている。」

23時前に就寝。読了の興奮からなかなか眠れなかった。

« 入院日記 リハビリ編 その10 | トップページ | 入院日記 リハビリ編 その12 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 入院日記 リハビリ編 その10 | トップページ | 入院日記 リハビリ編 その12 »