2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

« 入院日記 リハビリ編 その15 | トップページ | 入院日記 リハビリ編 その17 »

2018年6月15日 (金)

入院日記 リハビリ編 その16

6月7日(木)

梅雨入りの翌日だが雨はあがり、晴れとなった。日中はぐんぐん気温が上がった。
朝食は目玉焼きと人参が入った味噌汁に御飯少々。人参の味噌汁は父の好物だ。
足の傷みは殆どない。手術の傷口はとうに瘡蓋となっているが、骨は?来週火曜のレントゲン検査が待ち遠しい。

暇に任せて、物思いにふけっていると、足の怪我に意識が戻り、転倒して骨折した瞬間のことが生々しくフラッシュ・バックする。

単なる、と言うには重症だった今回の怪我。事故で命を落とす瞬間にならなくて良かったとつくづく思う。

それにしても、あの土手の葉陰に隠れていた柔らかいブラスチックの使い捨てコップを踏んで仕舞うなんて。従軍カメラマンで初期のベトナムの戦場で地雷を踏んで呆気なく命を落としたロバート・キャパを何の脈絡もなく思いだす。彼の写真集をたまに引っ張り出してパラパラと眺めるのが好きなのだが、最後の写真は地雷を踏む直前のものだ。

今回の事故に関連してうけたもうひとつのショックは、私よりも早く転職し成功した知人の死である。た彼は大組織の単なる駒に甘んずることに安住することを拒み、飛び出した。保険セールスの独立自営者として存分に天分の営業力を発揮して成功していた。付き合いから、貯金の積もりで彼の勧誘そのままに生命保険に加入していた。今回の入院で連絡を取ろうとしたところ昨夏に亡くなったことを知って愕然としてしまった。

意欲が湧いて久々に昼前からパソコンに向かう。この一ヶ月の出来事はベッドに横たわりながらメモにしていた。自分の気持ちに整理をつける意味もある。ブログもタイトルを変えて、釣りブログとは別にして完成した一部をアップした。

その後、ルーティンの足のリハビリ運動をたっぷり行う。3時のおやつは、杏子ケーキとフルーツ・ジュース。

夕食は家で寿司の出前をとった。両親からビールは飲まないのか、と言われる。完治するまでは飲まないことにしているので、お茶と水で乾杯する。私の退院祝いらしい。完治したら完治祝いの大盤振る舞いをしようと思う。

二日ぶりに夜はシャワーを浴びてサッパリする。左足が使えないのは大変だ。父が使うためにレンタルした浴室用の椅子を毎回使っている。

6月8日(金)曇り、時々晴れ

3時にトイレ。明け方、軽いお腹の傷み。朝の便がやわらかかった。傷み止めの薬の影響か。

朝は味のりと笹かまとワカメの味噌汁に御飯少々。両親は完全な和食派だ。シリアルかバターをたっぷり塗ったこんがりトーストも食べたいが何せ自分の思う状況は自ら作り出せない介護状況下にあるのだからワガママは言えない。

ブログにマレーシアについて書いたのだが、思いだして金子光晴の「マレー蘭印紀行」を引っ張り出して読む。彼が旅行したのは、満州事変直後の昭和7年の事だ。

当時のマレーシアは、大不況時代の1930年代でゴム価格が暴落でマラヤ海峡植民地もどん底だった。マレー人や華僑やインド人が混在して生活する様子はは今とかわらないようだ。ユダヤ人、アラブ商人も一目置く最強のチッテとはどういう人たちなのだろうか。時代が時代だけに絶望的に貧しい細民マレー人のその日その日暮らしの様子が熱帯の自然描写(密林、ニッパヤシ、カユ・アピア=炎の木、猿、カワセミ、スコール)とともに詩人の言葉で淡々と語られている。日本人がゴム園や鉱山開発で進出してできた街バトパハに金子は逗留しながらシンガポール、クアラルンプール、ジャワ、スマトラなどを放浪した。妻を途中で先にパリに送り出して、絵を描いては売り歩いて生活費を稼ぎながら自分の旅費ができるまでの束の間の気楽でありつつ先が見えない漠然とした不安に苛まれながらがら漂流する独り旅だった。

Malay_indonesia

私の最初のマレーシアへの旅は1986年の2月だった。その2ヶ月あとにドイツの作家エルンスト・ユンガーは金子光晴と同年の1895年生まれだ。当時91歳という年令をものともせずに彼はは昆虫採集と2度目のハレー彗星の観察にマレーシアを訪れた。連想が連想を呼び、本棚から「2度目のハレー彗星」をパラパラめくって午後を過ごす。

Zweimal_halley

お腹の具合が気になる。便がゆるい。夕食は食べたが、痛めどめの薬は飲まず、下痢止めの薬を飲む。「弱り目に祟り目」だね、と母が残酷なことを言う。

安倍首相が渡米しトランプ大統領と会談した。北朝鮮と米国の首脳会談は世界が注目している。専門家は長期戦の予想だ。北朝鮮を抹殺しようなどと誰が思うだろうか。北朝鮮の生存権は否定しない。だが、今の体制をそのまま認めていいのか。日本が敗戦時に軍部が責任を取らされ再出発できたように金体制を排除する選択肢はないのか。核開発はそれを不可能とする金一族と軍部特権階級の生き残り戦略たる所以であり、交渉は堂々巡りとなり、過去を繰り返すことになるのではないだろうか。何か偶然の要素が思わぬ好転をもたらすことしかないのではないか。偶然の要素が暗転するということもある。中国もロシアも毛沢東やスターリンが死んでようやく状況に変化がもたらされた。

早くも台風5号が発生した。日本に接近するらしい。

« 入院日記 リハビリ編 その15 | トップページ | 入院日記 リハビリ編 その17 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 入院日記 リハビリ編 その15 | トップページ | 入院日記 リハビリ編 その17 »