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2018年7月31日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その24

7月29日(日) 曇り、後晴

夜中に雨風がすごいことになると心配していたが、静かに台風は西にそれて去って行ったようである。深夜前に一度目が覚めたが外は普通の夜と変わらね静けさだった。

5時半にウグイスの囀ずりで目が覚め、日記を書く。テレビをつけると、台風は逆走してどんどん西に進んでいる。前代未聞の展開。朝6時前だが姫路付近まで行ってしまった!

テレビで「自然百景」を見る。東京の西のアカマツがある里山。5月。渡り鳥のオオルリ(青色)、キビタキ(黄色)の心踊る囀ずりとその姿。ハルゼミの羽化。数々の種類の蜻蛉。ハンノキの葉をたべ蛹になるミドリシジミ蝶の幼虫(毛虫)。成虫となった蝶の羽の妖しいほどの美しさ。

野鳥のエナガ(在来種)も登場した。「ダーウィンが来た」の再放送で早春の子育てを最近見たが、一度に10羽位の雛を育てる。餌は尺取り虫(蛾の幼虫)。早春に子育てをするのは天敵のヘビ(アオダイショウ)が冬眠から目を覚ます前に巣立ちさせるためだと言う。見事としか言い様のない巣には外部を覆う苔の他に野鳥のダウンの羽毛を使う。ツミやオオタカなどの猛禽が捕まえた餌の鳥の羽をうまく利用しているらしい。自分も、実家の近くの雑木林(ブラタモリの番組でも登場した地元の「笠原水道」)で偶然巣立ちしたエナガに遭遇した事があり、付近ではオオタカもよく見かけたし、オオタカが仕留めて食べた後の鳩などの残骸を時折見かけたことを思い出して、成る程と思った。エナガは都内に進出しており、オオタカやツミの都会進出と相関関係があるらしい。5月に退職した大学のキャンパスでもよく見かけたし、ツミらしき声も聞くことがしばしばだったのもうなずける。

朝食(石窯パン、ロースハム、胡瓜、トマト、牛乳にバナナ)をとり、30分たっぷりのリハビリ・ストレッチをこなしてゆっくりしていると、アブラゼミの声に混じって、何ともうツクツクボウシがソロで鳴いているではないか。夏の盛りに微かな秋の兆しがもうそこに。

2階に上がり、映画昨日見た「PK 」の付属のDVD を見る。カットされたシーンや映画が出来るまでの舞台裏の秘話を編集したもので楽しい附録だった。最後に黒澤明監督の言葉が付されていて、彼の現代の映画人への影響力を思わずにはいられない。

Pk2

2階の部屋の温度計を見ると30度。暑さが戻って来たようだ。

今日のブック・サーフィンで手にしたのは、「Arthur Koestler」The Homeless Mind。ページをめくっていると購入した時のレシートが出てきた。2000年5月14日。ロンドンのチャリングクロスのブラックウェルズと言う本屋だ。25ポンド。当時は、1ポンド=220円前後だったと記憶する。

この本はケストラーの本格的な評伝だ。ハンガリー生まれのユダヤ人。ウィーン工科大学で学び、卒業間近に学業を放棄してパレスチナを放浪し、ジャーナリストとして 活躍し、秘かにドイツ共産党に入党。革命後のソ連を旅したり、飛行船で北極圏をとぶ。ヒトラー政権後ドイツを離れ、スペイン内戦ではフランコ軍に捕まり危うく銃殺されるところをイギリスに助けられる(イギリスの新聞社の特派員が身分)。スターリンの粛清を契機に共産党を離れる。なんだ、この人はというほどの冒険心を持った人だ。

スターリンのモスクワ裁判を描いた「Darkness at noon(真昼の暗黒)」 で有名になる。左翼的シンパだが一貫してソビエト体制の批判者となる。ソ連が崩壊して冷戦が終了してからはそれまでの時代の雰囲気が変わってしまった。敗戦後の日本もそうで、かつては社会主義は歴史の必然=人類の進歩=左翼思考が当たり前の「善」であり、疑念を表明すれば保守反動と罵倒される時代があったのだ。私の世代が最後だと思うが、いまだに目が覚めないまま盲信を続けるオールド左翼が生き残っているのは残念だ。が、いずれ死滅するであろう。

ケストラーの自伝3部作は翻訳のある一冊も含めて50代の前半に読破した。自伝は、政治に翻弄された波乱に満ちた若き日の前半生しか扱っていない。戦後は、書斎にこもりア、メリカのスタンフォード大学で研究したり、科学論(「機械の中の幽霊」等)を展開したり、死刑廃止運動に関わったり、晩年はパラ・サイコロジーにのめり込む。最後は南アフリカ人の妻を道連れにして自殺している(パーキンソン病)。ユダヤ人だがシオニズムには曖昧な態度を取った。女癖もよろしくなくレイプ事件も起こしている。自伝では隠されたケストラーの素顔が新資料と解釈でユダヤ人歴史家によって呈示された興味の尽きない本。600ページ近いこうかんな本だが拾い読みで7割ほど読了している。私の理解を越えるものが多々あるが、ケストラーは私を魅了して止まない作家のひとりだ。

Homeless_mind

日が傾いた遅い午後、車でスーパーへ買い物に。野菜の値段が上がっていると言うがよく分からない。胡瓜、レタス、茗荷、鶏のモモ肉、納豆、スイカ、巻き寿司、おはぎ、カツオの刺身、豪州産牛肉、アイスクリーム。五千円少々なり。

ビールを飲みながらカツオの刺身をメインに食べる。にんにく醤油で。サイドメニューは冷しトマト。

曜日の感覚が薄れて来た。
療養だから仕方がないが、備忘録の日記をつけないと時間がたってから振り返ると真っ白な白紙に跡形もなく消えてしまうような気がしてしまう。記憶やその日の出来事と感慨を克明に綴ることが、自分を保つ唯一の支えだ。イライラ感を紛らしてもくれる。

熱海のホテルが高波の被害を受けたようだが、ひょっとしてシャトーテル赤根崎ではないか。

2018年7月30日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その23

7月28日(土) 雨

5時に目覚めた。まだ雨は降っていない。ラインで弟に昨日の通院の報告を入れてから、昨日の日記をつけ、朝刊を読む。

地元のもと有力保守派政治家が死去。山口武平氏。97歳。かつて黒い霧事件(票の買収)でも悪名高い人と自分は記憶していた。中央政界に太いパイプを持ち影響力がある人だった。

BS放送でテレビによく登場する戦場カメラマンが横浜の海でマゴチ釣りをしている番組を見ていると、外で雨が降りだした音がする。ウグイスも鳴いている。渡部さんは不器用で心優しい人だ。

父はデイケアに出掛ける予定も、台風接近のため来週からに延期。

Chinese whispers を少し読んでから、ストレッチをやり、朝食(石窯パン、ロースハム、レタス、胡瓜、ゆで玉子、牛乳に玉葱の味噌汁)をとる。

フランスも猛暑らしい。2003年の猛暑の際は何と1万5千人!が命を落とした。扇風機が飛ぶように売れているらしい。ヨーロッパで冷房は一般的ではない。窓を空ければ事が済む。暖房もセントラルヒーティングだ。

雨音がとまったが、外を見ると霧雨が降っている。弟から今週末は休むとラインの返信が入る。

マーク・トウェインの「地中海遊覧記」をパラパラめくる。1867年6月から11月にかけての旅。この年、パリでは万国博覧会が開催。日本の徳川幕府も出展している。

2階に上がり窓の一部を少し空けて、うたた寝する。

昼食はスパゲッティー・ジュノベーゼとコーヒー。

風が徐々に強くなる午後、2階でインド映画を見る。「PK 」という2014年製作。2015年アメリカ出張で飛行機の中で偶然見て感動した傑作。アメリカのハリウッド映画に食傷気味の方にはお勧めだ。昔、「踊るマハラジャ・ムトゥ」を見た記憶があるがそれ以来だ。人生3度目のインド映画。冒頭はターミネーターのシーンを思い出してしまった。他の惑星から地球にやって来た主人公がインドで巻き起こす宗教を巡る騒動をコミカルに描く。歌と踊りも楽しいし、女優アヌシュカ・シャルマがいい。ファンになってしまった。最後に自分の惑星に帰っていく主人公は、ターミネーターというより星の王子様に思えた。冒頭に続くベルギーはブルージュのロケシーンも素晴らしくロマンチックだ。インドのボリウッド映画の実力恐るべしである。私が見たのはAmazonで購入した英語字幕のバージョン。ぶりょうをしばしなぐさめてくれたし、久しぶりに喝采を叫ばずにはいられない映画だ。

https://www.youtube.com/watch?v=FJmyd_h845M

https://www.youtube.com/watch?v=vvM1TlkRegs

https://www.youtube.com/watch?v=m2a3WlRyWGM

Pk

夕食は、ビール、アジの干物、ジャガイモとニンジンの炒め、冷奴に谷中生姜とご飯少々。

Yちゃん親子とラインでのやり取り。東京は土砂降り。塾に行ったYちゃんを母さんが迎えに行って二人ともびしょ濡れで帰宅。

こちら地元は幸い雨も風も大したことはないのにかわいそう。

就寝前にChinese whispers を読むももすぐに眠りに落ちる。

2018年7月29日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その22

7月27日(金) 晴

昨夜は1階のリビングのソファで寝た。涼しくて扇風機もいらなかった。熟睡した。但し、トイレに3度起きた。水分の摂りすぎか?

BS 放送でハンガリーの鉄道の旅を見る。自分も1983年の夏(世界養蜂家大会)と2003年の秋(政府観光局の招待)に2度仕事で出掛けた国だ。但し、ブダペスト滞在だけで、プスタ大平原や近場の陶芸の町を日帰りのエクスカージョンをしただけなので番組は見ていて楽しかった。ワインの産地(トカイ)、平原での騎馬の調教、水球の練習風景(この国はオリンピックは通算で9回金メダル)、コダーイ(音楽家)にちなんだ学校の音楽の授業参観、パプリカ農家訪問とそれを使ったスープの夕食、難民を防ぐためのフェンス、モハチという街は、クロアチア系とドイツ系が混在しているところ。ハンガリー語は一つ覚えていた。Igen(はい、yes )。

ブダペストの記憶。青くはないが風格があって悠然と流れるドナウ川、温泉プール、老舗レストラン「グンデル」のジプシー音楽付きの夕食、どこかのローカル・レストランで食べた鹿のジビエ料理。ハプスブルクのエリザベート皇后がひいきにしたオペラハウス、夕刻のドナウ川沿いの王宮だか砦の洞窟内のワイン・テイスティング。ベルリン大学留学中に知り合って日本人と結婚したハンガリー人の日本語がペラペラのガイドさん(Kuwashima)。
    
8時20分、車を運転して病院へ。レントゲン、Y医師と面談。頸骨は順調に治癒している。装具の体重荷重を3分の1上げて、2階でリハビリをする。次の通院は8月10日。医師は言わなかったが、この日に装具を外すことになるのではないか、と期待したい。完治まで3ヶ月ということを考えるなら8月17日となりさらに1週間遅れるかも。  

母に頼まれた買い物(ネギとトマト)をして帰宅する。13時前。オムライスとコーヒーの昼食をとり2階で軽いシエスタ。

15時のニュース。チョコレート・アイスクリームを食べながら見ていると、フェースブックの株価が何と14兆円近く下落したらしい。明日の台風はコースが西にずれて関東直撃の可能性は低くなった。

退職した職場で付き合いがあったNさんとラインで繋がった。仕事で、県南に来ているらしい。もと高校野球児。野球談義も薀蓄を傾けられて楽しい人だ。私より一回り半若い。

その蘊蓄。昨夜だが、名前に因む蘊蓄を語る番組で珍しい名前の高校野球ナインを見たが、「阿天坊」という懐かしい名前が入っていた。かつて、ロッテ・オリオンズに木樽(きたる)という投手がいた。彼は、昭和39年の夏の甲子園で準優勝した銚子商業のエースだった。その時のチームメートで3番ショートとして大活躍した選手で、「あてんぼう」と読む。今年70歳。卒業後は、地元の水産会社で成功し従業員100名を越える年商35億の売上を誇る社長。甲子園で活躍したことが営業で後押ししたという。ちなみにこの名前は和歌山と関係がある。江戸時代に銚子と和歌山は繋がりがあった。

さらに、銚子商業が敗れた相手は三池工業。監督は原貢。原辰徳の父。東海大相模高校でそれぞれ監督と選手で甲子園に出場した原親子。

さらに蘊蓄を続けると、この東海大相模と1回戦で戦ったのが私の地元の土浦日大。阪神タイガースでそこそこ活躍した工藤投手がエース。9回裏に同点に追い付かれ延長15回(だったと思う)にサヨウナラ負け。その東海大相模も準々決勝でもと巨人の定岡が投げた鹿児島商工に敗れた。

夕食は、目刺し、谷中生姜、冷しトマト、野菜の煮物、にビール。仕上げは永谷園の鮭茶漬け。母から、トマトが熟し過ぎているとの不満。女は歳をとっても細かくてうるさい。健在な証拠でもあると独り苦笑い。

今夜から雨予報のため水撒きは中止。ここ数日でアブラゼミの数が一気に増え今は盛りと鳴いている。ヒヨドリの親子がいなくなり、代わりににシジュウカラが庭木にちょくちょくやって来る。

2018年7月28日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その21

7月26日(木)曇り後晴

5時半の目覚め。ウグイスの囀りが聞こえる。窓からはいる早朝の心地よい風。2日前までの猛暑が嘘のようだ。 

朝食とストレッチを終えた後、2階でAsterixを読んでいると、ケアマネージャーがくる。父を車イスに乗せたりベットの端に座らせて足腰のリハビリをするがこの2週間で体力が落ちてしまった。あまり話しもしなくなった。明日の様子を見て熱が出なければ明後日からデイケアに復帰することにした。母も、血圧の上がギリギリの110。これ以下に下がると薬を処方しなければならない。
今後のことを打ち合わせて終了したが、午前中一杯かかってしまった。
なるようにしかならないと思いつつ、自分の不如意に思い至り気分が落ち込む。

お昼:バター・チキンカレーとナン二枚、ヨーグルトとコーヒー。母は、カレーの色(本格的なインド風)と見たことも食べたこともないナンを胡散臭げに見る。

涼しい2階でAsterixを読了後、アイスクリームを食べながら3時のニュース。 オウム真理教の死刑囚残りの6人の刑の執行が行われた。暇に任せてテレビチャネルを次々に変えながらサーフィンする。夫や妻や子供虐待の殺人、不正入試にからむ高級官僚の収賄から余罪の発覚、ロサンジェルスの山火事やペンシルバニアの鉄砲水、トランプ大統領は中国の関税報復措置に対抗するために1兆円を越える補助金を支持基盤の農家へ措置すると発表・・・。と、速報で、多摩市のビル建設現場で火災があり死者がでているらしい。

夕刻、庭の水撒き。柚子の木に水を掛けると、一ぴき、二匹、三匹といるはいるはアブラゼミが飛び出した。玄関や庭土とコンクリートの縁ではニホントカゲが一ぴき、二匹。

夕食は、ビール、冷奴、もろきゅう、谷中生姜、アジの干物、納豆にご飯少々。両親は姪が送ってきた素麺。

Yちゃんに胃の具合をラインで聞くと良くなった、と返事あり。代わりに今度はママが口内炎らしい。

明日は2週間ぶりの通院の予定。今日も終日涼しくて過ごし易かった。しかし、週末は台風12号が関東地方を直撃する予報。雨が降るのはいいけど嵐は困る。

2018年7月27日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その20

7月25日(水) 曇り後晴

6時前の目覚め。涼しい。快適と言ってもいいくらいだ。

台風12号が発生した。11号は日本の東遠く離れて通り過ぎるようだが、この台風は関東地方を直撃しそうだ。猛暑から台風かぁ、とため息。

ここに来てイライラ感の頭がもたげ出している。父は快方に向かっているが全快とは言いがたい。母も相変わらす鼻声で風邪気味のまま。自分は怪我から全快せず、本来の生活(どんな?)からほど遠い状態。東京での生活は途切れたまま。

ベットに横たわり物思いに耽るのが原因か。体を動かせ!余計なことは考えるな!、か。

いつもの朝食をとり、ストレッチをこなし、日記をつけ、テレビで高校野球決勝観戦し、いつものお昼(焼そば、コーヒー、スイカにアイスクリーム)を食べる。午後は、郵送物の投函、スーパーで買い物(自分用)、ATMでの振込み等で外出。1日はあわただしくはないが、かといって、張り合いがあるわけでもなく、何となく過ぎていく。

夕刻前の一時、Asterixと Obelixを読む。ローマ帝国時代を背景にローマ化に抵抗するガリア人を主人公にした漫画。作者はベルギーの人。ドイツ語版だが1990年代の一時期に凝って読んだものだ。10冊近く集めたが未読のものを手にする。娯楽の読み物だがラテン語(解説つき)もでてくる。30年近くの眠りからのお目覚め。2階にあまり整理されず貯められたままの本の数々は人生に踏み迷った自分の精神遍歴を反映しているみたいだ。

Asterix

水撒きを念入りにやる。アブラゼミが一ぴき蜘蛛の巣の犠牲になっているのを発見。玄関付近でトカゲ。庭の植え込みをヒヨドリの巣立ち雛が今日はあちこち飛び回っていた。

夕食は、豚じゃがならぬ鶏じゃが。ビールに谷中生姜と冷奴。納豆にご飯少々。

シャワーを浴び、19時のニュース。アテネで山火事による多数の死者が出た模様。

Yちゃんからライン。焼肉レストランで食事らしい。お腹の調子はだいじょうぶ、と聞くと、多分だいじょう、の返事。若い人は回復が早い。 サムゲタンかなにかかな、食べるのは。お腹に優しくて栄養価が高いし。でも値段は高いかな。

退職した職場の後任のK氏から連絡。今夏はマレーシアに短期出張するとのこと。他に関係者がアイルランドとカナダに出張派遣するらしい。いろいろあるらしいが、健闘を祈る。

2018年7月26日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その19

7月24日(火曜日) 晴

目覚めは5時過ぎ。気温は26度。このくらいなら冷房も扇風機は要らない。

自宅療養期間は、ワールドカップで盛り上がった一方で、大阪の地震、西日本の豪雨災害、そして、猛暑の日々と日本は散々だ。政府は「猛暑災害」と位置づけて対策を始めつつあるようだ。しかし、熱波は世界的な現象。アメリカのカリフォルニアでは摂氏51度を記録。カナダでも熱中症の死者が。スウェーデンで山火事。北極でも33度。

幸い、地元は今朝から涼しい。昨夜は冷房をつけずに眠ることができた。

いつものパン食の朝食後、ストレッチをやり、テレビをつけて地元の高校野球の準決勝の試合を見ていると、弟夫妻が買い出しにきてくれた。今回がおそらく最後になるだろう。2ヶ月半に渡って毎週末片道50キロ近く車で走って生活必需品の補給をしてくれた。大変だったと思う。斯く言う自分も昨年11月から骨折するまで、毎週末東京と地元を往復する日々だった。退職3週間後に控えての不覚。大分転倒の瞬間のイメージは遠のいたが、まだ時折フラッシュバックする。

実家で使うパソコンのインターネットのセキュリティに問題があることが判明。2012年に5万円で買った安物。買い換えないといけないようだ。セキュリティのアップデートや管理維持費用は10万円とかかかるらしい。5万円のオファーをする業者も有るようだが。

お昼:カレーコロッケと肉まんにコーヒー。

高校野球の試合が終了してから近くの日用品雑貨店に買い物にいく。庭の水撒きのホースが少し短い。届かないところ(東向きの柚子の木など)があって、つなぎの2メートルを購入する。帰宅して、さっそく水撒きをする。柚子の木も喜んでくれているだろ。

Hosu


<昨年は不作だった柚子の木。ヒヨドリが子育てをしたこともある>

Yuzu2

1日1回は車で近場に外出し松葉杖は1本は使うがそこそこ両足歩行することが日課になって1週間経過したが、次のステップを待つことへのイライラがまた始まりつつあるのを感ずる。

夕食(豪州牛、ビール、もろきゅうと谷中生姜、冷やし中華)後、映画「続社長洋行記」を見る。先週の続き。三船敏郎が香港美女の尤敏(ゆうみん)の婚約者でワンシーンで登場した。思いを寄せる森繁、加東、小林の三人トリオはがっかり。1962年当事の箱根と芦ノ湖やプリンスホテル、都内大手町、パレスホテルや複数のホテルのカットシーンを食い入るように見てしまう。フランキー堺が、香港のグラブで森繁に中国語で「本田」は「バカ」の意味と説明するシーンがあるが冗談だろう。新珠三千代が「本田チャーン」と誘い掛けるシーンでは今回も笑ってしまった。毎回のように成就しない二人の恋のアバンチュール。1962年当時の海外渡航は外貨持ち出しに制限があった。香港の接待で香港ドルの不足を心配する当時の日本人シーンも時代を感じさせるものだった。次週の予告を見ると、6月に見た「社長漫遊記」だ。このシリーズはひとまず終了のようだ。私の療養より先に終わってしまった。残念。しかし、この2ヶ月楽しませてもらった。

Yちゃんにラインで連絡を入れると胃炎になって体調を崩したらしい。私の身近な人はみなバイオリズムの底にいるらしい。

2018年7月25日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その18

7月23日(月) 晴

5時過ぎの目覚め。昨夜は冷房を切らずに寝た。完璧とまでは言わないが、寝返りもかなり自由にできるようになった。左足首をあまり気にしなくてもよいというのは大きな進歩。

朝食:石窯パン、茹で卵、ロースハム、ミルク、ヨーグルトとパイナップルの缶詰。

食後にストレッチ、午前中は2階で寛ぐ。

奥本氏の紀行文に刺激されたのか、内田百間、阿川弘之の鉄道ものをパラパラめぐる。

Tetsudo

お昼:鴨南蛮そばと肉まんにコーヒー。

病院で両親の薬の引き取り、退職した職場への郵送、スーパーで買い物等で、車で外出する。

東京の青梅市は40.8度。埼玉の熊谷市が 41.1度。いずれも国内観測史上の新記録。地元は35度。暑かった。汗だくだくとなった。

夕刻までの時間は2階で奥本氏の蝶を追いかけて海外を駆けめぐる写真集を見て過ごす。外ではアブラゼミが一気に増えて鳴いている。

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Houseki

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夕食はビールを飲みながら、カツオの刺身、冷奴、枝豆、谷中生姜ともろきゅうにご飯少々。食後は庭の水撒き。18時すぎだが涼しい風が吹いて暑さは和らいだ。

早々と2階の冷房の部屋に入りうたた寝する。手術から9週目かあ。長いないあと言う感慨。スーパーで買い物をしていた時、装具をつけて歩く私を見ながら、「家のと一緒ね。大変だよね。頑張ってね」と涙ぐみながら年配と言っても、私と同じくらいのおばさん(そう、私もオジサン)から声をかけられたのだった。

読書灯を点けて、奥本氏の「虫の春秋」を読んだり、「都市の生物」の写真と解説を読む。カナブンとコガネムシの違いの見分けかたをテレビの夏休み課題特集でやっていた。カナブンは羽根の付け根が三角、コガネムシは丸っぽい。カナブンもコガネムシもリンネの分類でいうコガネムシ科だ。カブトムシもコガネムシ科だ。

Tokai_seibutu

酷暑の中、無聊を慰めるには、環境問題は一旦忘れて、鳥獣戯画の世界を逍遥するにしくはなし。

22時を過ぎると東向の窓から涼しい風が入り始めた。冷房を止めて就寝。

2018年7月24日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その17

7月22日(日) 晴 酷暑

5時過ぎに目が覚める。熱帯日・熱帯夜が1週間続く。熱中症で命を落とした人が30人近い。高齢者で冷房がない、あっても使わない人が犠牲者だ。

昨日に続きミンミンゼミが聞こえる。朝のうちはミンミンゼミ。午後からとくに夕刻から夜はアブラゼミが鳴くようだ。東京の板橋の石神井川沿いではたまにクマゼミの鳴き声を聞くことがある。クマゼミは西日本から北上して東京あたりまで分布を広げている。

30分のストレッチをして朝食。目玉焼きとレタスとロースハムを石窯で焼いたフランスパンにはさむ。ミルクにパアナップルのヨーグルトのフルーツ。

父は平熱だがまだ風邪から回復しきれていない。食欲が戻っていない。そして母の声が風邪声になってしまった。熱はないが常備薬から風邪薬を出して飲んでもらう。

今日はこれまでで一番の酷暑。朝の8時で30度になっていた。午後になって最高気温は36度を記録。

終日2階のエアコンのある部屋でブックサーフィンをしながらうとうとしたり、日記を書いたりして過ごす。音楽は御休み。

昼食:五目チャーハンとソース焼そばにスイカ少々。それにコーヒー。

3時のおやつは、冷たい水とキットカットチョコにお煎餅少々。

奥本氏の「斑猫(はんみょうの)の宿」:

コルシカ島を昆虫好きな仲間と滞在する第11章。切り立った山の花崗岩、足元の波打ち際から果しなく広がるキラキラ輝く海、白い家、ミルト(ギンバイカという植物でリキュール酒になる)の茂み、憧れのパピリオ・ホスピトン(コルシカキアゲハ)。ファーブルを手がかりに想像を膨らませての訪問だったが、準備不足と時間不足から、栗の林道を歩き黒豚と戯れ、その糞を喰らうセンチコガネに出会うも伝説の巨大な栗の木にもコルシカキアゲハにも出会えず。次々ととっぴな要求に戸惑うコルシカのガイド氏の顔の感じからコルシカ人とコルシカキアゲハの生物地理学的な類似性に思い至る。曰く「コルシカキアゲハはとうしょてき矮小型となり、全体にずんぐりと、また浅黒く特化した」。要するに、本土のフランス人=キアゲハならコルシカ人=コルシカキアゲハ。

≪キアゲハについてはこちら⇒真ん中より手前にコルシカキアゲハが出てくる≫
http://www.pteron-world.com/topics/classfication/papilionidae/papilionini4.html

最後に落ちがある。探し求めた伝説の栗の木は、帰国後、ファーブルの本で確認すると、コルシカではなくシチリアにあるのだった。

本の表紙がなかなかグッドだ。ハンミョウのデザイン。

Hanyunoyado_3

夕食:豪州牛ステーキを肴にビール。サイドディッシュは胡瓜とレタスのサラダに冷奴。仕上げは、銀座ナイルのチキンカレー。久しぶりにフルコースを食べた気分になる。

庭の水撒きをたっぷりやって、リビングで「激論!クロスファイアー」を見る。

その感想:

トランプ大統領の化けの皮が剥がれつつある。アメリカの民主制度の悪い面をトランプ大統領は体現している。自国の利益にも反する貿易戦争を仕掛ける愚かさ。北朝鮮との首脳会談は「興行」で実務レベルの非核化は何ら進展していない。11月の中間選挙対策のためのパフォーマンス、支持者へのアピール。批判は多いが、支持率は堅持している。世界の覇権を握る大国がいよいよ普通の地域大国に回帰が始まった。中国、ロシア、アメリカ、EU による「三国志」ならぬ「四国志」時代の到来。 

2018年7月23日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その16

7月21日(土) 晴

5時過ぎにに座敷で目覚める。父が倒れ介護の便宜もあってキッチンに隣接した和室に移ったのは去年の11月末のこと。自分が畳の上で布団に寝るのは実に久しぶりだ。ベッドの柔らかさがないのが贅沢な不満ではあるが。

朝食前にリハビリのストレッチを30分たっぷりやる。

日記を書いていると今年初のミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきた。真夏本番の到来と気付かされる瞬間なのだろうが、どっこい、すでにもう真夏たけなわだ。

朝食は、フランスパンにバター風味のマーガリンをたっぷり塗って、ロースハムとレタスをはさんで頬張る。それにバナナとヨーグルトに野菜ジュースとミルク。

装具の爪先の裏側が少し剥がれているのに気付くが家にに接着剤がないのでスーパーにでかけた。車に乗るのに一汗かくくらい今日は朝から暑い。味のり、木綿豆腐、谷中生姜、国産ニンニク、鮭茶漬け、ポテトサラダをついでに買う。スーパーの商品に圧倒され久しぶりに足を運ぶといろいろ買ってしまう。

起床時には37度を下る平熱だった父の体温がお昼前の検温で38度を越えた。点滴を派遣看護師のかたにお願いし、解熱剤を必要に応じて飲ませることに。

お昼:ラーメンとチャーハン、スイカ。

真夏日の酷暑は耐え難く午後は2階で過ごす。時折ウグイスの囀ずる声が聞こえる。

やることがないので、うとうとしたり、物思いに耽ったり、本を読んだり、時々暑い隣の部屋でインターネットをサーフィンしたりする。

長年折に触れて愛読しているGeorge Mikesの東南アジアの旅行記を読んだり、Joseph Conradの短編集の中の「The End of the Tether」を読んだり、奥本大三郎の「本を枕に」と「虫の春秋」  を読んだりしていると、いつの間にか17時近くになる。

Conrad


Okumoto_2

庭の水撒きをやり、夕食の準備をする。

ビールを飲みながら谷中生姜、冷奴、もろきゅう、鯖の塩焼きと納豆にご飯少々。

接着剤を使って装具の修繕をする。瞬間接着の優れもの。

プロ野球後半戦。巨人は昨日に続き広島に逆転負け。崩壊した投手陣を立て直さないと。唯一頼りの菅野で今日は負けてしまった。広島カープの強さはセリーグで圧倒的だ。そして、どうして阪神、負けぐせがついている。今週の伝統の巨人戦は3連敗。

今夜の暑さは尋常ではなく一旦は1階の居間で横になったが、眠れず2階に戻って、冷房の心地良さに身を委ね、本を読み耽った。

2018年7月22日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その15

7月20日(金)曇り、時々晴

昨夜は1階の居間のソファで寝た。熱帯夜だったが扇風機で寝られた。

5時過ぎに目が覚める。いつもより涼しい。ウグイスも気持ちよさそうに囀ずっている。

昨日は劇団四季の演出家の浅利慶太氏が亡くなった。同氏の功績は、日本人に静養生まれのミュージカルを身近なものとして普及させた功労者、と締めくくっても当たらずとも遠からずか。

そして、今朝は、黒沢映画で有名な脚本家の早坂忍氏の訃報に接した。「羅生門」「生きる」「七人の侍」は学生時代に見たが、「七人の侍」には圧倒された。これを越える日本映画はまだ出ていないのではないか。

30分のストレッチ後にシリアル、ヨーグルト、バナナの朝食。

午前中は、再び意を決して車で市内の銀行にでかけた。2ヶ月半、お金は出ていく一方で、年金は65歳からの受給を選択している。失業手当の手続きやら他の諸々も一切手付かずだ。保険会社の処理は何とか6月にしたので保険料は振り込まれていたので一安心。私学共済保健の支払い(3ヶ月分)の支払いは郵便局で振り込んだ。住民税、固定資産税、等は来月末だ。半年間ゆっくりしたら何か仕事を探そうとは考えているが、出ていく金が多くて心配になってくる。

帰り道にスーパーに寄って、スイカ、アイスクリーム、オーストラリア産の牛ステーキ肉とフランスパンを買って帰宅した。

父は念のためにケアマネージャーさんが近くのクリニックに連れて行ったので不在。肺炎が恐いのでレントゲンと抗生物質の点滴を受けているよし。

お昼過ぎに、ケアマネージャーさんと一緒に近くのクリニックまで徒歩で父の迎えに行く。院長と面談。肺炎の兆候はないので安堵した。ただし、明日も点滴をしたほうが良い。炎天下、一緒に家に徒歩で戻った。自宅のすぐそばに掛かり付けの医者がいると言うのは本当に心強い。

父は、スイカを少し食べてベッドに横になった。

遅い昼食(スパゲッティー・ぺぺロンチーノ、コーヒー、フランスパンを少々。スイカ)を食べて、2階の部屋で休憩する。今日は、両足歩行を始めてからは一番長い距離を歩いたので疲れたのか、一時間ほど眠った。

ユンガーの日記を読み続ける。1974年3月29日の77歳の誕生日をチュニジア滞在中に迎える。21歳の誕生日は西部戦線でのドイツ側の大反攻作戦の激戦中に塹壕で祝った。音頭を取ってくれた戦友とはドイツ占領時代のパリでも再会し、後々まで事あればこの事を話題にしてくれた。

午前中の暑さはそれほどでもなかったが、午後になるといままでになく厳しさを増した。エアコンが効いた部屋を出る際の熱風がしんどい。

17時過ぎに庭の水撒き。

夕食は肉野菜炒めを肴にエールビール。納豆とご飯少々。スイカとパイナップル。

食べ終わって、寛いでいるとアブラゼミが鳴き始めた。数はまだ疎らながら増えてきた。装具をはずしシャワーを浴びて汗を流す。

居間で扇風機の風に当たりながらしばしボンヤリする。今夜は居間の隣の座敷で寝ることにした。2階で寝るのは心地いいのだが、装具をはずしているのでトイレが面倒なのだ。装具をつけたまま寝ると左足の踵がいたくなり眠れない。

眠くなるまでのしばしの間ヘミングウェイのIn our time を手にしてパラパラめくる。記憶に残っていた Cat in the Rain を再読。イタリアの海浜のホテル。雨が降っていて、部屋で昼間から退屈している男女。男は本に没頭。女は、男に問い掛けても生返事しかしてもらえず(情事の後だろう)、たまたま見つけた窓の下の雨宿りする子猫に感情移入し捕まえに行くが、現場につくと居なくなっていた。手ぶらで部屋に戻るとホテルの支配人から(多分別の?)猫が届けられる。何とも言えない余韻を味わう。しかし、34年前とは同じではないだろう。34年経過してどうしたか。わからない。ともかく、女を魅了し満足させ続けることは男にとっては難儀なことだ。女は愛嬌、男は度胸ではなく我慢。

2018年7月21日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その14

7月19日(木) 晴

5時過ぎに目が覚める。

2階のベッドでストレッチをやり1階の居間へ。装具を左足につけて杖なしの両足歩行でキッチンへ。

朝食は、鯖の塩焼きと生玉葱のスライスのサンドイッチを作って食べた。パリパリのフランスパンがないので食パンで代用。それにバナナとミルク。

午前中は、5月の連休明け以来、久しぶりで2階の片付けと掃除機で清掃をする。2部屋あるが汗をたっぷりかいた。ゆっくり緩慢にしか体を動かせないのだが、いい運動かつよきリハビリとなった。

お昼はコーヒーとチキンライスに冷えた桃を食べる。父の姪が贈ってきた果物。まだ、少し硬く熟し切っていない部分があった。食べるのが少し早かった。

午後はエアコンを効かせた2階で昼寝とブック・サーフィン。書斎と言うほど大袈裟なものではないが、この年まで集めた本が山のように積み重なったままだ。これから少しずつ整理して行こうと思う。

朝食で食べた鯖と玉葱サンドイッチだが、随分昔に読んだ本に玉葱のスライスをパンに挟んで食べるシーンがあったことをおもいだした。ヘミングウェイじゃないかなと思いあたって、オランダ研修時(1983ー4)に買って読んだ短編集(In our time )本を見つけ出してページをめくってみるとあった!

大自然の中でマス釣りをするためにひとりでキャンプをする孤独な主人公が早朝に餌のバッタ取りをした後の朝食のシーンで出てくる。Big Two-Hearted River: Part II だ。

Hemingway

オニオン・サンドイッチも立派なサンドイッチだ。キュウリもそうだ。馬鹿にしてはいけない。キュウリ・サンドはEnglish Tea には必ず出てくる定番の一つだ。和食の海苔巻きにもかっぱ巻きという立派なものがある。

エアコンが効いた部屋を出ると、蒸し風呂のような熱気。祇園祭の京都は39.8度を記録したという。岐阜は連日40度を越えた。どうにかならないか、この暑さ。子供が野外学習で命を落とし、老人が冷房のない部屋で死んでいたりで気の毒なことが起きている。

父に合わせて毎日17時過ぎに始まる夕食は、冷えたビールと牛丼。ビールの肴は鯖の塩焼きの残りと生玉葱にチーズ。デザートはこれまた冷えたパイナップル。ただし、缶詰め。

食後、庭に出て水撒きをやった。ゆずの木はもう小さな緑色の実をつけ始めている。

Yuzu

涼み始めた夕刻、居間のテレビで、「ちょっとディープな海外旅行(エーゲ海のギリシャはザキントス島)」を見ているとすぐ近くでアブラゼミが鳴き始めた。

私のギリシャはエギナ島。強烈な日差しと白色の壁の家々と真昼の静寂。あちらこちらで聞こえるセミの鳴き声。光輝くエーゲ海。オリーブオイルとタコのサラダ。アテネのピレウス港からの渡し船での日帰り旅だった。

アテネには2泊した。パルテノン神殿とリカビトスの丘。シンタグマ広場の雑踏。車がうるさくてあまり眠れなかった名前も忘れてしまった安ホテル。空港から乗ったタクシーと偶然横を伴走するバイクに乗る地元の若い男女。運転する男の剥き出しの胸毛、後ろに乗る女きょうせいの鮮烈な印象。市内に入り古代ギリシャ時代の遺跡の跡を通りすぎる際には饒舌な運転手の説明は:That is before Jesus Christ。刻みこまれた34年前の1984年5月のある週末の記憶。

地中海沿岸はタコを食べるが、日本食の影響もあり健康食?として世界的に需要が高まっていると言う。モーリタニア産の茹で蛸はスーパーでよく見かけるがいまヨーロッパ需要で値上がりし日本の輸入は激減していると言う。

因みに、地元の水産会社は大ぶりのタコを米国に輸出。良い値がついているらしい。

2018年7月20日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その13

7月18日(水) 晴

2ヶ月半ぶりの2階での睡眠は快適だった。

7時過ぎから30分たっぷりのストレッチをして朝食をとる。ロースハム、マカロニサラダ、キュウリ、レタスを具にしたサンドイッチと野菜ジュース。

父はまだ微熱あり。軽い食事はできた。10時過ぎにに担当のケアマネージャーさんが様子を見に来てくれた。せき止め、解熱剤などの処方の注意やクリニックの担当医への報告など、猛暑のなかお世話になる。今週土曜もデイケアは休み休養することに。

お昼:チキンライス、コーヒーにバナナ。

食後、意を決して、床屋へ車ででかけた。自宅からすぐだ。10分かからない。2ヶ月半ぶりで頭はボサボサだ。バリカンで刈り上げてかなり短く髪の毛カット。ボウズにはしなかった。

Photo


帰りはすぐそばのスーパーに立ち寄り、アイスクリームと鰹の刺身を買ってから帰宅した。一時間ほどの自力による外出は成功した。スーパーですぐ近くのHさんの奥様とバッタリ。

午後はクーラーを効かせた2階で昼寝をしながらウォーレスの「マレー諸島」を読む。1854年から1862年ごろまで足かけ8年にも及ぶ博物学者というか雇われ動植物ハンターとしての体験を綴った膨大な記録。地理誌でもある。冒頭のシンガポールの描写やアンボイナだかで知りあった日本事情通のドイツ人博物学者(オランダ商館駐在で江戸にも足を運んだ)から得た情報の記述など興味深い。時代は幕末の騒然とした時代だが、ウォーレスは数年に渡りマレーシアやインドネシアを旅し、フローラとファウナを探索した。

夕食:鰹の刺身をたっぷりのすりおろしのにんにく醤油で食べる。ビールがことのほかうまい。

シャワーを浴び、涼しい2階の部屋でユンガーの日記を読む。トルコ滞在は1974年7月27日で終る。

Yunnga

2018年7月19日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その12

7月17日(火) 晴

明け方トイレに起きて用を済ませた直後、地震があった。震度4。それで目がしっかり覚めてしまった。時計を見ると4時半を過ぎたところ。

気温は25℃前後。曇り空だが、予報では35℃くらいまで上がるようだ。真夏日と熱帯夜はしばらく続くようだ。

トランプ大統領がプーチン大統領とヘルシンキで会談した。二人は、同じ穴の貉(むじな)だ。ひょっとすると、北朝鮮のあのロケットマンも。各界で物議を醸し、戸惑いと批判の大合唱。北朝鮮もロシアもほくそ笑みを浮かべているのでは。ふと思ったが、北朝鮮は、中国やロシアにとっては、アメリカにとってのイスラエルみたいなものではなかろうか。

アメリカが、中国が、EU がお互いにWTOに提訴。経済はブロック化するのか。1930年代の再現。違いは3つのプレーヤーのうち、ひとつは中国ではなく日本だった。もうひとつは、EU ではなく大英帝国だった。

フランスのワールドカップ優勝は20年ぶり、2度目でパリは終日祝勝で盛上った由。そして略奪も。初回の優勝は1998年で、活躍したエンバパ選手が生まれる前の話。

私はその年の1月にロンドンに最初の職場の仕事で赴任した。日本が初参加した大会で、観戦を楽しみにしていたが、仕事のトラブル(それもワールドカップがらみ、と言うと分かってしまうが)に巻き込まれ、心ここにあらずの日々だった。だから試合は見たかも知れないが記憶は殆どない。

リハビリのストレッチを30分たっぷり行い、朝食(ロースハムサンド、シリアル、ヨーグルト、バナナ)を食べる。

日記を少し書いて、意を決して車に触ることにした。

左足の装具が邪魔くさいが、何とか運転席に座る。冷房が心地いい。問題なく運転はできそうだ。そして、後部座席にそのままになっていた釣具を片付けた。汗だくだくとなったが、これもリハビリの一環だ。

昨夜から父が咳き込んでいる。風邪だ。微熱があることがわかり、訪問看護師が近くのクリニックから薬を処方してもらい届けてくれた。

お昼は、牛丼とカレーパンにコーヒー。

そして、うだるような暑さの午後。とうとう負けた、2階のエアコンにスィッチを入れることにした。熱中症が恐い。

リモコンの電池を取り換え、電源に繋ぎオン。作動した。窓を締め切り、30分ほどして部屋に戻ると快適な24℃の部屋になっていた。

二時間ほど昼寝した。ポカリスウェットで水分補給して、スッキリした頭でユンガーの日記を読む。1974年、9月のトルコ旅行(Alanya滞在)だ。9月20日から23日の部分を読む。でここ数日は不活性だったが、嘘みたいに集中して読んでいるといつの間にか夕方になる。

夕食は、肉野菜炒め(パプリカと玉葱が沢山)を肴にビール(エール)。仕上げは銀座ナイルのチキン・カレー。

高齢の父が心配。熱は朝のうち38度を越えたが、夕刻には37度に下がった。食欲がなく母は梅干し入りのお粥を食べさせた。

19時から映画「社長洋行記」を観る。サブ・タイトルはThree Gentlemen from Tokyo 。1962年の作品。業種は製薬。自社製品の販売代理店開拓のためにに香港出張する森繁・加東・小林トリオ。のっけからゴルフ接待に出かける森繁が妻からの娘のできちゃった婚のことを打ち明けられてのドタバタ騒動のシーン。ストーリーより時代を感じさせる香港ロケシーンが楽しい。ホテルはアンバサダー。森繁は得意の中国語を喋った。聞いていると広東語ではなく普通語だった。香港女優の尤敏(ユーミン)が美しい。香港名物の蛇を鍋で食べるシーンもあった。一瞬だがSONYの広告看板も映る。香港の東京亭の女将(新珠三千代)が社長の森繁に「本田ちゃーん」と甘えるシーンも笑ってしまう。蛇を食べ過ぎて腹痛を起こした森繁は、部下の加東大介営業部長と小林桂樹社長秘書課長にマッカーサーの如くI shall return の言葉を呟き、二人を香港に残して急遽東京へ一時帰国するところで、前半が終了。次週に続く。千夜一夜の如く続くこのシリーズ。自分の療養とこの森繁喜劇はどちらが先に終了するかも気になってきた。

クーラーがガンガン効いた2階に上がり、一時間ほどウォーレスの「マレー諸島(上・下)」をパラパラ読んで22時過ぎに就寝。

Uxoresu

2018年7月18日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その11

7月16日(月) 晴

6時前に目が覚めた。

ワールドカップはフランスが優勝した。応援していたクロアチアは残念。スコアは4対2。フランスの圧勝。戦力の層の厚さやスケジュールでもフランスが有利だったから、驚きはしなかった。一ヶ月楽しんだお祭りもこれでお仕舞い。祭りの後の物悲しさ。

So geht es weiter im Leben.  (So it goes further in life)

Yちゃんと朝のライン交換。塾はないけど、復習を家でする予定らしい。折角の三連休は勉強漬け。ちょっと可哀想。

朝食は、納豆、目玉焼き、キャベツサラダにご飯。

左足の膝したが更に細くなった。装具でかなりきつく絞めている関係で、筋肉が固くなるらしい。

弟夫妻が買い出しにくる。今週後半からは軽い買い物を自分でやってみることは弟に伝えた。徐々におんぶに抱っこの全面依存状態から脱却する頃合いに来ている。「自立」だ。

お昼は、厚切りロースカツサンドと焼おにぎりに麦茶。パイナップルの缶詰のデザート。Yちゃんは餃子たべたらしい。

2時間ほど昼寝をする。暑さで何をする気力もなし。クーラーの効いた喫茶店で本を読むか、音楽を聞くにしくはない、と言う思いが去来する。2階の一室はクーラーがあるが、この5年間殆ど東京で生活していたので全然使っていないし、もともとアンチ・エアコン派の自分は極力使いたくはない・・・・・。

Yちゃんからライン連絡。イオンに来てると言う。東武練馬だな。涼しくていいな。東京も36℃近い。

時計は午後5時前。30分くらい前から雷がゴロゴロ鳴っている。5時過ぎに父がデイケアから戻るタイミングで雨が降りだし、何故かアブラゼミも鳴き出した。ワールドカップの表彰の場面も土砂降りの雨だった。

夕食は、もろきゅう、枝豆、焼き鳥弁当にビール。

Yちゃんから、ゲームセンターでとった景品(扇子と財布)や、飲んでいるタピオカドリンクの写真がきた。束の間の真夏日の夕涼みと気晴らしはまだ続いているようだ。

夕方のお湿り程度ではあったが雨のお蔭で幾分かは暑さの体感度合いが和らいだ。シャワーを浴びて汗を流してサッパリした。

夜の読書:奥本大三郎の「壊れた壺」。著者のルイ・ブラッドべり(SFの叙情詩人)へのポジティブな評価のくだりを読む。だが、集中力がすぐ途切れてしまい本を置く。

今日は、歩行練習も気が入らず、ぼんやりした一日。暑さだけのせいではないようだ。積極的な活動が欠如した生活。療養疲れ。無為と倦怠。焦燥感。泰然自若な境地にはなかなかなれない。

2018年7月17日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その10

7月15日(日) 晴

5時に目覚める。

ベルギーがイングランドに2対0で勝利。ベルギー勝利の予想はしていたがその通りとなった。

朝食(シリアル、ミルク、ヨーグルト、ロースハムと刻みキャベツサラダ)、いつものリハビリ。

早速、BSでサッカーを観戦する。守備力では殆ど差はなかったが攻撃力でベルギーに分があったか。ベルギーの攻撃にはキレ、怖さがあった。イングランドが失点をすぐ返していたら試合展開が違っていたかも。結局恐れていたカウンター攻撃を受けてさらに失点してイングランドは2対0で完敗する結果となった。

気温がじりじり上がり、体を動かすのが面倒くさい。
猛暑日だが、明日まで休みで三連休。しかし、東京の知り合いの娘さん(これからは、Yちゃん、と呼ぶことにする)から、塾へ講習に出かけるとのラインメッセージ。大変なんだなぁ。

お昼は、スパゲッティー・ナポリタン、コーヒー、おにぎり1個。

午後は暑さで何をすることもなく無為に身を委ねる。

夕食(ビール、蒸し鷄、キュウリ、ハンバーグ)後も無気力のままぼんやりする。

東京のYちゃんからラインで連絡がきた。塾からお腹を空かせて戻って、いま夕食のトンカツを食べたこと、明日はゆっくする、とのこと。息抜きは必用だよ。よかったネ!を絵文字とともに返信。

寝床で、吉田夏彦著「論理と哲学の世界」を枕元に置いてパラパラ読む。

哲学をきちんと学んだことはないが、大学時代にハイデッガーのテクストを授業で読んだことがある。講師は柿原篤弥先生で、ある日授業に出るとハイデッガーが逝去したと先生はおっしゃる。そして、留学して師事したとあって、しんみりとし授業を早く終わられた。もともと休講が多い先生だったが。ハイデッガーは1976年の5月26日に亡くなっているから、私は大学3年生だった。

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岩波文庫で「存在と時間」もチャレンジしたがなかなか歯が立たなかった。その後、折に触れて解説書の類いを参考にしながらチャレンジしたが、三分の二くらいまでは何とか読んだもののそのままだ。30代前半のころの話だ。

現代哲学には論理学をきちんと理解していることが必須だと言う。ヴィトゲンシュタインはそうだろう。今さら哲学?、かとも思うが、「こんなところで俺は一体何をやってるんだ」という、折に触れて浮かんではすぐ忘れてしまう素朴な疑問は誰でもあると思う。時間がふんだんにあるいま、取り組んでみるのも悪くはなさそうだ。

2018年7月16日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その9

7月14日(土) 晴

熱中症対策もあり昨日は水分をたくさん摂取したのが裏目にでたのか、昨夜は3度もトイレに起きる羽目に。その都度起きるのは辛いが、熟睡は出来た。目覚めは朝の6時過ぎ。

父はデイケアで終日不在(月、水、土の週3日)。自分は、日課のリハビリと2階で日記をつけたり、本やCDの整理しながらYouTubeでクロンチョンを聞いたり。

お昼は、ラーメンと焼おにぎりにコーヒーで済ませて、足の装具の還付金請求の書類を早速作成する。

テレビで、「弾丸独り旅」を見る。あの「細胞レベルで恋してる?」のネタで有名なブルゾンちえみが、羽田空港発着の24時間日帰り香港旅行を敢行。飛行機のクラスはビジネス。高橋真麻の指南による出発前のビジネスラウンジの楽しみかたから座席での楽しみ方7ヵ条を披露。

ブルゾンは、東京の知人の娘さんがよく物真似して知っている若手のお笑いタレント。つまらない番組(番組対象者から外れつつある年齢域にあるということ)ばかりの民放では出色の出来映えの内容で面白かった。ビジネスの往復切符は20万円。LCCなら数万円だ。片道4時間。20万あるなら、LCC を使って、数日滞在し、香港グルメをそれなりに満喫出来るだろうに。

それはそれとして、まだ売れだして2年目のブルゾンはビジネスクラスは初体験(海外渡航は2回)ということでビジネス・ラウンジとフライト中のサービスが焦点に。シャンペン、アメニティ・グッズと座席のリクライニング位しか選択肢はないのだが、こだわればこだわるだけの楽しみ方があると言うこと。使うお金のもとをきっちりとる、というこだわりも含めて。

自分が最後に香港に足を運んだのは2003年の秋。空港は新しい空港になっていた。ニシキヘビを首に巻いたインド人がいたタイガー・バーム・ガーデンは無くなっていた。連れと一緒のプライベートなわくわくする旅だった。香港はビジネスでない限り男が独り旅する場所ではない。マカオのカジノが目当ての場合は別だろうが。ホテルはシャングリ・ラ。余談だが、豪華な朝食ブュッフェでパリパリのフランスパンを食べていて前歯を折ってしまったのも思い出だ。

天気予報通り気温がじりじり上がる。あちこちで38度を越える。寝起きのために占拠している居間でじっとして扇風機にあたりながら、昼寝をした。怪我をしなければ、今夜あたりは、海の砂浜でイシモチ(ニベ)を狙った釣りに出掛けただろうに。

夕食は、豚肉まんを肴にビール。鯖の塩焼きとご飯少々。食べながら、今度、玉ねぎのスライスたっぷりと鯖の塩焼きのサンドイッチでも作って食べてやろうとふと思いついた。トルコはイスタンブールの名物の食べ方だ。

シャワーを浴びて、装具を外し、代わりにシーネを包帯で巻く。骨は完全にくっついていないからだ。寝ている間も足は固定したほうが安心だ。面倒くさいが要心に越したことはない。

今日の読書は、仏文学者でファーブル昆虫記の新訳でも知られる奥本大三郎氏の「壊れた壺」。

昆虫採集家でもある奥本氏は、エルンスト・ユンガーの「小さな狩」(昆虫採集の自伝的回想)を熟読した。昆虫採集に生涯に渡って持続する情熱を燃やし続けるその魅力は何か。

奥本氏の元体験は、少年のある夏の朝、まだ露に庭の濡れた庭先の木に止まって眠っているエメラルド・グリーンのオオヤマトンボの鮮烈な印象だ。

ユンガーは、それが甲虫のハンミョウだった。川の近くの砂利採取場で、淡褐色の砂地の上に紫と金色を予感させる何か稲妻のようにも、あるいは火花のようにも思える沢山のハンミョウだった。素手で捕まえられず、陽が暮れてしまい、その夜は夢の中で追いかける。貴重なものを追いかけて掴まえられない夢。翌日、ユンガーは学校をさぼり網を持って出直し、虫の正体を確かめた。

極めて普遍的な「詩と真実」の巧みな比喩だと奥本先生は言う。

本の前書きに曰く、

「夜ふけに漂うてきた梅の香気は、ふと、鼻を打った瞬間にのみ存在する。花を掴んで思い切り息を吸ってみても、そこにはもう何もない。一瞬の感動をとらえた自分自身が、既にそこにいないからである。感動は渓流に落ちた花である。それほど捕らえがたく逃れやすい。プルーストが生涯をかけて『失われた時を求めて』を書いたのは、ただその一瞬の戦慄のことが知りたかったからなのである。」

私自身も昆虫少年だった。購読した少年雑誌にも夏休みの付録で採集セットがついていて、昆虫採集に没頭したものだ。私の場合はセミとトンボとクワガタ。母の実家の近くの竹林で夏の早朝の露にぬれた沢山のオニヤンマがひっそりと羽をやすめているところに出会った衝撃と感動は忘れられない情景だ。

生まれ育ったこの家の直ぐ側は畑や原っぱと雑木林で四季折々の昆虫採集には持って来いな自然環境だった。夏になると早起きしてわくわくどきどきしながら雑木林の中に分け入り昆虫採集に熱中したものだ。春先には菜の花畑が一面黄色になりヒバリがごく普通に鳴いていた。そんな夢のような環境も今はない。宅地化による開発だ。20年近くになる。朝な夕なに盛んに鳴いたヒグラシは跡形もない。

昆虫採集のたとえである「小さな狩」に出かける時のあのわくわく感は、自分がこの歳でいまも情熱を傾ける野鳥観察や魚釣りで味わうわくわく感と同じだ。ひょっとすると、女性との快楽を前にしたあの戦慄にもにた感情のたかまり(金子光晴は「血が騒ぐ」と言った)や、ユンガーが生き抜いた第一次大戦の殺戮の戦場で経験した恐怖の戦慄(驚愕の美学)もこれらはどこかで繋がった同根ものではないだろうか。

そして、19世紀に盛んだった博物学はエロスが潜む余地を残していたが、20世紀の生物学はエロスを抹殺してしまった。つまり、不能者(インポ)ということだ。こういうことをユンガーは言っているようだ。

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2018年7月15日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その8

7月13日(金) 晴

4時に目が覚めてから眠れなくなった。

日記を書いたり物思いに耽る。

ここしばらくウグイスの朝の囀りがなくなった。せわしいヒヨドリの声ばかりが聞こえる。

朝のワールド・ニュースを見る。ロシアは第二次大戦のクルスクの戦闘の勝利記念日。ドイツに攻め込まれたソ連が攻勢に転ずる切っ掛けとなった戦車戦。

BBCは招かれざるトランプ大統領を迎えるロンドン市民の様子を伝える。イギリス国王の公式な招待はなし。イギリス議会のスピーチもない。BREXITで英国は米国マーケット頼み。中国があるのでは?

今日は通院の日。朝食(シリアル、ミルク、ヨーグルト、焼豚とレタス)をとり、タクシーで病院へ。

運転手と骨折談義になる。彼も10年前に夜の飲み会の後の帰宅中に溝に落ちて左足の骨折。手術はなく、ギブスで1ヶ月とリハビリ数週間で完治したらしい。私の場合は脛骨が折れたので時間がかかる。

リハビリを入念にやり医師と面談。レントゲンは問題なし。装具の精算をして終了。11万少々を現金で払ったが7割は保険処理で還付されるのが救いだ。1ヶ月位しか使用しないのだが。次の通院は2週間後。左足荷重の増加はそれからとなる。装具が取れるまで後1ヶ月か。

今日は車椅子を全く使わなかった。大病院の中を相当の距離を行ったり来たり出来た。来週には、自分の車を運転して買い物が出来るのではないか。タクシーの運転手も左足骨折で右足は問題なかったのでギブスをしたまま運転していたと言う。

帰宅して昼食(アメリカン・ドッグ、焼おにぎり、コーヒー)。

午後は寝不足気味もありまったりとして過ごす。病院で相当歩いたので午後の歩行訓練はお休みにする。

夕食(ジャンボ目刺し、コロッケ、ビール、ご飯少々)後も、ぼんやりとして過ごす。エアコンのない居間で扇風機の風にあたりながら、積ん読ままにしていたErin Meyerの「The Culture Map」を手にする。パラパラ拾い読み。

21時から映画「ジュラシック・パーク3」を見る。恐竜・怪獣ものは大好きだ。日本の誇るゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ、ガメラ。洋ものなら、キングコング、恐竜100万年(肉体派の女優ラクウェル・ウェルチ)。小学生の頃の冬休み、林君と言う同級生とゴジラ対キングギドラを見に行った。当時は、入れ替えなしだった。夢中で繰返し観ているといつのまにか夜になっていて父親に連れ戻された記憶がある。

寝不足と言いつつ、深夜近くまでテレビを見て夜更かししてしまった。




2018年7月14日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その7

7月12日(木) 晴

熟睡して目が覚めたのは6時過ぎ。

クロアチアがイングランドに勝利。延長戦で2対1。

錦織はウィンブルドンのベスト・エイトならず。

西日本大雨災害は混乱のまま。被災した住民は茫然自失。虚脱状態。水はないは、電気も通らす、加えて熱帯日でどうするのか。そんななかで溜池の堤防決壊による更なる洪水の危機。今回の悲劇は想定規模を上回る雨量が原因とは言え、こんなにも安全とは脆いものなのか。

秋刀魚の初競りで高値がついた。公海上ででの中国船が乱獲している影響らしい。健康ブームが火をつけていると言う。タイではドリアンのバブルが発生。これまた、中国の健康ブームが原因で爆輸入を引き起こしている。中国マーケットの巨大さの影響力のほんの一例。中国がくしゃみをすれば世界に激震が走るそんな時代になりつつある。

米中貿易摩擦はまだ始まったばかりだが、先はまだまだ見えない。加速度を増すグローバル化は今後も容赦なく進むだろう。マネーは利益を求めて、次々と新しい投資先を全地球規模で展開を続けているのだから誰も止められない。現在の保護主義は一時的な現象のように思える。かといって、市場万能主義の行き過ぎに「否」と言わざるを得ない負の側面をどうするのか。

トランプ大統領が訪欧している。物議を醸す発言に関係者は戦々恐々しているらしい。ワールド・ニュースを見ると「Germany is captive to Russia 」と発言。NATO の安全保証の問題がメインだが、ドイツ牽制の発言。同盟国のはずなのだが。狙いは防衛費の欧州諸国の負担額増だろう。

左足は依然として腫れぼったいが、日ごとに和いでいる。歩行自体も大分楽になた。足が慣れて来たのだろうが、最大の荷重はまだ30キログラムまで。私の体重は71キログラム。

朝食(シリアル、ヨーグルト、焼豚とレタス、バナナ)の後、ストレッチをしながらBSでベルギー対フランスを観戦。フランスのディフェンスの強さがベルギーの速攻を封殺した。圧倒的な攻撃力もフランス相手では蟷螂の斧に過ぎなかったのか。

終日、日課の両足歩行やストレッチをしながら、1階と2階を行き来して過ごす。今日は涼しくて2階の東向きの部屋は快適だった。

ライ・クーダーの「パリ・テキサス」やアール・クルーのアコースティック・ギターのCDを聴いたり、

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「A Wicked Witof Oscar Wilde」やユンガーの日記 を読み続ける。

お昼は、焼そばとコーヒーにメロン。鮭おにぎりを半分。

今日は、母の87歳の誕生日。父は、自分の誕生日は分かるが母の方はあやしくなってしまっている。父は10月で92歳になる。夕食は出前の寿司を取って母のお祝いをする。お酒(ビール)は私だけ。

食後、居間で寛いでいると近所でアブラゼミが鳴き始めた。ニイニイゼミをまだ聞いていないのに。

BSでクロアチア対イングランドの試合を観戦。イングランドの堅守がクロアチアの攻撃をよく封じていたが最後は経験に勝るクロアチアが押しきった形。決勝はクロアチアを応援したいが、フランスに分があるような気がする。

2018年7月13日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その6

7月11日(水) 晴

4時の目覚め。カラス、ドバト、ヒヨドリの順に声が聞こえる。

タイでは最後の5人が救出された。日本の大雨災害の犠牲者は膨らむばかり。200名を越える大惨事。安倍首相は外遊をキャンセル。

ワールドカップは、フランスがベルギーを破った!事実上の決勝戦。快進撃のベルギーが負けてしまった。ベルギー対クロアチアの決勝戦を夢見ていたのだが残念。

巨人が3連勝。母は大喜びだが、レギュラーの選手を見ると殆ど知らない。辛うじて、坂本と長野(ちょうの)位だ。高橋由伸は監督。

プロ野球にはそれなりに愛着を持って接して来たが、ワールドカップの時期は例外となってしまう。負けたらおしまい(予選リーグ戦も負けると決勝トーナメントは難しくなる)と言う高校野球と同じ切迫感と国別対抗心(ナショナリズム)が大きな要因だと思う。野球は似たような世界規模の大会をやろうとしても、普及していないため無理だ。クリケットのほうも似たようなものだ。イギリスのかつての植民地では普及しているが、それでも20ヶ国位だ。

野球談義を続ける。私は江川世代。若い時の強烈な印象は忘れられない。江川の全盛は高校2年だったと密かに思っている。2年秋の関東大会の準決勝で当時の強豪校銚子商業から21の奪三振。江川を倒すためにレベルアップを図った銚子商業は2年後に全国制覇した。作新学院は江川のワンマンチームだった。県大会決勝(2年)では9回までノーヒット・ノーランの好投も味方の援護なく敗退。3年でもノーヒット・ノーランで甲子園へ。2回戦で銚子商業に延長戦(確か16回)の末サヨナラ押し出し四球で敗退。

高卒時に即戦力として日本ハムがドラフト1位指名したが、見向きもせずに東京六大学へ。慶応に落ちて入った法政大学でも活躍した。大学卒業時は確か阪神がドラフト1位の指名権を得たが、浪人する。結局、巨人入りはするが、政治力による規則の盲点をついた小林との電撃トレード、言ってみれば裏口からやっと念願の巨人入りをすることになった。円熟した活躍はしたが、微妙な影がつきまとった。半端ない逸材だた江川の悲劇。

世代によって、黒い霧で消えた池永や甲子園決勝戦でノーヒット・ノーランをやってのけた松阪を押す人もいるだろが、私は断然江川だ。球速は高校時代が一番速かったと言う人もいる。しかし、過去最高のピッチャーとなるとどうか。400勝を上げた金田正一か。金田の現役時代をを目撃した最後の世代が自分の世代かも知れない。

朝食は、納豆、焼豚、レタスにご飯とバナナ。

午前:ストレッチや両方歩行を念入りにやる。地道な努力。2ヶ月近く歩いていないのだから、細くなり筋力が衰えた両足の負担は半端ない

昼食:ほうれん草と茸のパスタにコーヒー、それとメロン。

午後は殆どを2階で過ごす。

本棚から「The Wicked Wit of  Oscar Wilde」を取り出しパラパラ拾い読みする。ロンドンのナイツブリッジにある本屋で買った。

Oscar_wilde

ユンガーの、台湾滞在の部分を拾い読み。客船「Hamburg」は高雄に入港。1965年8月14~15日。共産中国とかなりの軍事的な緊張状態にあった頃だ。

夕食:豚肉となすの炒め(ウスターソース味)と枝豆とチーズを肴にビール(小缶)とご飯少々。

シャワーを浴びて、居間で休憩しながら映画「アナコンダ」を途中から観る。ジョン・ボイドが際立つ悪役で登場。アナコンダの捕獲に取り付かれ、最後はアナコンダに飲み込まれる哀れな末路。映画「ミッドナイト・カーボーイ」で若き日のジョン・ボイドを観たのは高校時代の地元のオデオン座だった。お目当ての「明日に向かって撃て」の二本立てだったが、お目当て以上に印象に残る映画だった。

ソファーに横たわりながら気ままに「Chinese Whispers」 を拾い読みするがすぐに眠くなttaた。21時過ぎ就寝。

2018年7月12日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その5

7月10日(火) 晴

5時に目が覚める。

日記を書いたり、退職した職場のTさんにメールを返信する。

左足の指先を見る限り、右足先と殆ど変わらない。但し、親指だけは上に反らす動きがまだ出来ない。

昨日から天気が回復し今日はかなり暑くなりそうだ。

タイの洞窟は更に4名が救出された。残りは5名。

隣のNさんの家の屋根のアンテナの上で朝からヒヨドリがしきりに鳴いている。ウグイスの様に囀ずれば愛でられるのに、と思う。カラスもそうだ。ブラックバードというクロツグミに似た野鳥がヨーロッパにいるが囀ずりは本当に惚れ惚れする。同じ黒い鳥でも大違いだ

ウィンブルドンの錦織がベスト・エイト入りした。芝のコートなので、彼のプレー・スタイルはどちらかと言うと不利だ。更に勝ち上がれるか。2013年の9月にアメリカ出張時、彼は全米オープンで快進撃した。惜しくも決勝で破れたが。全米はクレー・コート(土)だ。

テニスはわが若き日の情熱の対象だった。もっとも、軟式庭球だったが。だから、当時はダブルスしかなかった。日比谷公園のテニスコートで中学生の第一回全国大会に県の代表として出場した。1回戦は島根県代表に接戦で勝ったが、2回戦で愛知代表に完敗。因みに、同じ県代表の女子は優勝した。時は1970年の大阪万国博覧会の年だった。

朝食(シリアル、ミルク、ヨーグルト、焼豚とレタスのサンドイッチにバナナ)後、ルーティンのストレッチと両足歩行。時計を見ると9時半。

西日本大雨災害の犠牲者は朝の新聞で126名、お昼正午で136名。行方不明者がまだかなりいるためもっと増えることは確実だ。

台風8号が発生したが日本列島には接近せず中国大陸へ抜けるようだ。大雨が降ると重慶付近だか長江の水位は14メートルも上がると言う。

炒飯とコーヒーの昼食をとって、扇風機の風に当たりながら居間で休憩。BSでワールド・ニュースを見る。

カタールに拠点があるアルジャジーラ。西側勢力の影響から自由なアラブの立場で情報発信している報道機関だ。そのスポンサーでありカタールがテロリストを支援している疑惑があって、2022年にサッカー・ワールドカップの開催国だが、近隣諸国と国交断絶状態で開催できるかどうか不透明になっているらしい。中東の混乱は想像を越える複雑さだ。サウジアラビアとイランの対立、トルコのイスラム回帰、シリアの混迷。欧米のきょうとうほとしてのイスラエルの存在。

13時からBS映画「インサイダー」を観る。ひさしぶりの真面目な社会派の映画。1998年制作。実際にあった実話に基づいた作品だ。タバコが健康に悪いとタバコの包みに堂々と書かれるようになったのはこの事件があったからだろうか。主人公のアル・パチーノが映画のなかで大学でマルクーゼから学んだという科白もあった。マルクーゼは、リベラルな左翼で学生運動を扇動した教祖だ。日本で言えば、羽仁五郎か。科学者でタバコ会社の技術責任者のラッセル・クロウは、危険性をよく知る立場にあり販売優先の社長と対立し解雇された。アル・パチーノのCBS放送 と接触を契機にタバコ訴訟で専門家として真実を証言した結果、様々な圧力が一家にかかり、家族は離れて行ってしまう。アル・パチーノに協力して看板番組のインタビューでの告発に応じるも放送が取り止めとなる危機が。しかし、最後にはタバコ産業という巨大な利益集団の圧力との闘いに勝利を勝ち取る。
ユナ・ボマー事件の犯人の逮捕が同時期に重なっている。クリントン大頭領とモニカ・ルインスキーの不倫事件も世間を騒がせていただろう。私は倒産しそうなロンドンの支店で奴隷のごとく仕事に没頭、どちらかと言えば報われることのない苦闘をしていた。

2階での音楽観賞:
趣向を変えて、ショッキング・ブルーのロックとクロノス・カルテットのクラシック風アフリカン・サウンドを堪能する。ショッキング・ブルーは「Venus」と「Never marry a railroadman」(イントロが最高!)の2発だけで終わった感じだが、まだ健在のようだ。https://www.youtube.com/watch?v=kkhhpvUsFiI

夕食:枝豆、チーズ、だし巻き玉子、笹かまぼこを肴に冷たいビール。焼肉(豚)でご飯少々。

夜のロードショウは、お待ちかねの「続・社長忍法帖」を観る。フランキー・堺の役回りは毛馬内(けまない)と言う北海道人として登場。鹿児島出身の日系アメリカ人から大変身だが、狂言回しの役どころは変わらない(毛ガニも面白おかしく使われていた)。東京オリンピック直後の作品で、モノレールや整備された高速道路、赤坂見附界隈とホテル・ニューオータニや代々木体育館等々が写されている。赤羽集合団地は知らなかった。
札幌のクラブのマダム新珠三千代との待ち合わせは何と銀座第一ホテル。2階にあったフロントの近くのソファに座ったシーン。大阪出張では梅田の新阪急ホテルがショトに出てきた。そして、京都の歌舞練場の都おどり。
お笑い・お色気コメディーはまたまた楽しませてくれた。来週はロケ地が香港。60年代のレトロな香港が楽しみだ。

リハビリの総括:
両足歩行は合計5回。延べ35往復。600メートルくらいは歩いた。左足首周辺はパンパンに張っていた。まだまだだナァ。この「まだまだ」が終わるのはいつのことか。

2018年7月11日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その4

7月9日(月) 曇り後晴れ、夕方一時雨

両足歩行開始して今日は4日目。

朝食(海老シュウマイ、シリアル、ヨーグルト)後、装具をつけたがむき出しの左足首周辺は昨夜よりは和らいだものの腫ぼったいままだ。

デイケアに出掛ける父を見送り、午前中は、歩行練習を繰り返し行う。装具はシーネよりかなり重く不自由だが、両足で歩ける喜びは大きい。

合間にユンガーの日記を辞書を引きながら読み続ける。この日記(Siebzig Verweht)は、ユンガーが70歳になった翌日の1965年3月30日から始まっている。私は、当時数え年で10歳と15日だった。日記文学のいいところは、最初から読み通す必要がないことだ。気ままに、自分が気になるところを思いつくままに読める。些末なことも書いてあるが、ふと漏らす本音や省察はすべてを理解する(出来るわけがない)必要はなく、適宜読み飛ばしながら自分に引っかかるものから自分の妄想を膨らませるきっかけを見出す楽しみがある。

お昼は2週間ぶりにカツサンドを作って食べる。

BSで映画「テレフォン」を見る。チャールズ・ブロンソン主演。1978年制作でブロンソンの映画は結構見たが、この映画は記憶がない。

スリーパーという敵国に普通の市民として生活し、ある状況が到来したら行動を起こすスパイがいることは知られている。

日本でも北朝鮮のスパイ事件があったし、昨年だかアメリカで冷戦末期にスリーパースパイで潜入し、冷戦終了後も祖国のために覆面のままアメリカ市民として生活を続けていたロシア人の記事を読んだ。

映画では、パスワード(詩人フロストの詩の一節)を聞くと潜在意識に作用して本人は命知らずのテロリストになる恐ろしい洗脳を受けたソ連スパイたちが、ソ連当局上層部の内部の抗争で暴走する。組織内部の裏切り者が次々とスリーパーにシグナルを送ってテロ行為の実行する。ブロンソンはKGB からの指令を受け、この裏切り者を消す役回り。

もともとは、核戦争が起こったら米国内部を撹乱するのが目的でソ連が米国へ送り込んだスパイたちだが、映画が作られた当時はデタントの時代で核戦争の危機は遠のいていた背景があった。

ロシアは冷戦が終わってもスパイ活動は活発にやっている。イギリスでの神経ガスによる殺人で物議を醸したのも記憶に新しい。

ロシアだけではない。本家のイギリスやアメリカは勿論、中国も相当に悪どいことをやっていることは常識だ。そして、蛇足にはできない、特筆すべきなのがイスラエルのモサドだ。この国は、核兵器すら所有しているのは「open secret 」だと言われている。

夕食は、茄子のオリーブ油炒めともろきゅうを肴に缶ビール(小)を飲む。仕上げは、銀座ナイルのチキン・カレー。足が完治して上京したらムルギ・ランチを食べに行こう。最後に食べたのはいつだったか。

西日本の大雨災害は日に日に拡大するばかりた。死者は100名を越えた。雨は収まったようだが。

タイでは洞窟に閉じ込められた少年たちの救出が始まったらしい。現時点で4名の救出が確認された。

大リーグで戦列に復帰した大谷選手が代打で勝ち越しホームランを打った。

東京の親しい知人とラインのやり取り後、就寝。

2018年7月10日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その3

7月8日(日) 曇り

5時過ぎの目覚め。

テレビをつけると、クロアチアとロシアの延長後半。ロシアが一点入れて、2対2で終了。PK 戦となる。クロアチアが勝利した。

海苔と厚焼き卵とご飯にフルーツジュースとヨーグルトの朝食。

ストレッチをやって、装具を装着し廊下を歩く。左足首は昨夜寝る前はパンパンに張っていたが今朝は大分和らいでいる。

10時過ぎ、弟夫妻が買い出しにやって来た。2週間ぶりになる。冷蔵庫の中は殆ど空だ。

大雨は、広島、岡山、愛媛で被害が大きい。死者は60人を越えた。高知や岐阜もひどいことになっている。700ミリを越える雨が降った地域もあるらしい。それがどのくらいずごいのかは1階が水没した場面を見れば分かる。

お昼は昔なつかしのコロッケパン。

両足歩行を繰り返し行う。1クール=廊下5往復。約80メートル前後。これを、朝、昼、午後、夕刻と4から5クールを日課にすることとした。1日で400メートル位だが慣れればクール数を増やす。

合間に2階に上がり降りを4回繰り返す。これも結構なトレーニングになった。

2階では今日もクロンチョンに聴き惚れた。真夏の陽気で風に吹かれながら聴くにはぴったりだ。

夕食は、弟が買って来たメンチカツとレタスと枝豆とチーズを肴にエール・ビールを飲んだ。仕上げは、冷し中華そば。

パンパンに張った左足の装具を外して、扇風機に当てながら、居間のソファベットで体を休め、ディスカバリー・チャネルで恐竜の特集を見る。

地球に衝突した隕石の引き起こした爆発は広島型原爆の約10億倍と見積もられる。いわゆる爆発直後の100メートルを越える津波や「核の冬」による気候の変動で、恐竜はすぐに死に絶えたわけではない。雑食する羽に覆われた種類はかなり環境に順応して相当永く生き延びたことが考古学的に分かって来ている。そして、最終的には絶滅した。人類にも何れ絶滅する時が来るだろう。

ユンガー日記の続き:

自分の62年を振り返ると海外は仕事であちこち出掛けたが、どういうわけか、フィリピンとベトナムは行く機会がなかった。

フィリピンの特徴は東南アジア海域では東チモールと並んで宗教が、カトリック(南部はイスラム)であることだ。人種的には、台湾も含むマレー系らしい。

東南アジア全般に言えることだが、中国文明とインド文明とイスラム文明がぶつかり合う十字路である。ベトナムは南はインドの影響が濃厚、北は、中国の影響が強いらしい。インドネシアでもバリ島は、ヒンズー教が残っている。フィリピン南部の島々はイスラムでマレーシアやインドネシアに近い。

2018年7月 9日 (月)

入院日記~リハビリ・直立歩行編 その2

7月7日(土) 曇り

今日はよく考えると七夕だが、日本列島はそれどころではない。心配された大雨は地元には降らなかった。一安心だ。しかし、西日本ではかなり被害が出ている模様。一安心は不謹慎かも知れない。

サッカーは、ベルギーがブラジルを2対1で破った。ベルギーのパワーは本物だ。波に乗っている。フランスもウルグアイに勝利。

寝不足気味だが、ユンガーの日記を読む。1965年7月25、26、27日のマニラ滞在の部分。第二次世界大戦戦没者の墓地に2度足を運び、強者どもが夢のあとの感慨にふける。都市化を象徴するコンクリートへの嫌悪。水牛と多毛作の水田風景とコンクリートの対極である土への共感。タール火山とそのクレーター湖。独立の闘志リザール、マッカーサーへの興味。植物園のような墓地で初めて出合った蝶(Ornithoptera = トリバネアゲハ)、等々。

海苔と厚焼き卵とご飯の朝食後、リハビリをしてから、装具をつけて廊下で歩行練習する。そのまま、2階へ上がり、クロンチョンを聴きながら、物思いにふける。

炒飯とコーヒーの軽いお昼を食べて、BSでワールドカップの観戦。フランス対ウルグアイ。ウルグアイはワールドカップにでも出ない限りまず世界の檜舞台に登場することはないだろう。いいチームだが、主力選手の一人が怪我で欠場。攻撃力の差が出て完敗した。

観戦後、両足歩行の練習する。2階への上がり降りも入念にした。転げ落ちて元の木阿弥にならないように。

その後は、ソファでうたた寝したりユンガーの日記を読んだりして過ごす。

西日本の台風被害は徐々に分かってきた。死者・行方不明は100名近くに。特別警報が事前に出され、心の準備があってもだ。

夕食(最後のハンバーグ)の後、シャワーを浴びる。左足の膝したも久しぶりにさっぱりした。

ブラジル対ベルギーを観戦。実力派同志が激突する好ガード。2点目のベルギーの速攻が凄い。最初のベルギーの得点は自殺点。鮮やかな日本戦の逆転劇で勢いがあるベルギーに運が味方したか。ブラジルは力があることは試合を見ていて素人でも分かるが、ベルギーの勢いが勝った。

アジア勢としての日本は今回もベスト16の壁を破れなかったが、ベストエイトの戦いを見て明らかなように、フィジカルな強さとスピードは今後も鬼門になり続けるだろう。韓国は日本の上をいくフィジカルな強さを持っているが、それでも、欧米・南米・アフリカには見劣りする。フィジカルにフィジカルで対抗すると劣勢側の反則が当然ながら多くなる。韓国は予選リーグでイエロー・カードが最多だ。

観戦中に、地震があった。震源地はまたしても千葉。震度5弱。地元のここは3。もし集中豪雨の地域に地震が加わったら大変なことになる。

明日は模擬試験を受験する知り合いの娘さんからラインがきた。勉強中にマンションが結構揺れたらしい。そして、「原子力発電所が止まったとテレビで報道してるよ」と。テレビで確認して、「だいじょうぶだよ」と気遣いの感謝と「明日の試験頑張ってネ」の励ましメッセージを入れる。すると、「勉強モードに入った」確認の返信が即有り。SNSは苦手だが絵文字も多用してラインだけは何とか使えてはいる。絵文字(emoji)は既にオックスフォード英語辞書にもある英語の語彙になっている。名誉なことではない過労死(karoshio)もそうだ。

2018年7月 8日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その1

7月6日(金) 曇時々雨 

明け方は強い雨が降っていたが一時的に上がったようだ。

早目の朝食(シリアル、フルーツジュース、ヨーグルト、ミルク)をとって、8時10分、タクシーで病院へ。

リハビリ室でストレッチをやっていると、オウム真理教の松本被告の死刑が執行されたとのニュース。世間を震撼させた事件から23年にもなる。63歳。私より一つ上。日本のバブル景気が終わりを象徴するような不気味な事件だった。理科系の秀才とチベット仏教が融合したカルト集団。

診察室で歩行補助装具をつける。松葉杖なしで直立した。2ヶ月ぶりで不思議な感じだが、問題はなさそう。しかし、慣れるまでが大変そうだ。レントゲンの写真を見せられながら医師と面談。脛骨(けいこつ)が漸くくっつく兆しがでてきた。腓骨(ひこつ)はもう殆んどOK。装具の精算もあり来週金曜日に再び通院し様子を見ることなった。後は回復を待つだけだから、自分次第だ。リハビリをしっかりやれということだ。

リハビリルームの2階に戻り、トレーナーと2本足歩行の練習をする。恐る恐るとだが、痛みも殆んどなくなんとか両足で歩くことはできた。

目処が立ったところで終了しコンビニで焼き鳥を買って、帰宅したのは13時半過ぎ。

昼食は、昨夜の残りのドライカレーを食べる。デザートはやっぱりヨーグルト。それにコーヒー。

やれやれ、疲れた。トイレの小用は立ったままで済まし、2階も2本足と松葉杖1本で上がる。これも2ヶ月ぶり!。

日課にしているクロンチョンを聴きながら、日記を書き込み、ゆっくりする。

夕食は、ビール、焼き鳥、厚焼き卵、キャベツとシソの葉のサラダにご飯少々。

ニュースは日本列島を襲っている大雨と松本被告ら7名の死刑の報道で溢れる。

西日本の大雨の災害はかなり深刻の度合いを強めている。死者もすでに3名出ている。冠水した道路を運転していて水没したのが既に2件。

松本被告だが、自分のエゴで社会に復讐をしたのだと思う。信者はバブル経済でそれなりに豊かになったはずの社会においても心が満たされず何かを求めた若者世代だ。カルトの教祖として、松本は閉ざされた集団の彼らの上に絶対者として君臨し、盲信する彼らの金をむしり取り、自分のエゴを満足させようと犯罪に利用した詐欺師だった。これが事件の本質だと思う。本人は法廷において自分の罪を一切認めておらず、改悛の情の吐露もなければ、本心を語ることもなかったというが、社会への憎悪そのものをエネルギーにカルト集団を産み出したパワーは半端ではなかった。

夜の読書はお休み。テレビサーフィンで夜更かししてしまった。

2018年7月 7日 (土)

入院日記 リハビリ編 その37

7月5日(木) 曇り

昨夜は風が強く吹いた。雨も降った。蒸し暑さはない。一息つけそうだ。

朝食は、納豆、ツナの缶詰、ご飯少々に玉ねぎと卵入りの味噌汁。それに、ヨーグルト。

リハビリ後、BS放送でパリの生牡蠣の話し。1997年放送。牡蠣をむく職人は昔は出稼ぎ人が9月から翌年の5月まで従事する季節労働者の仕事だった。
1960年代に牡蠣の病気が流行し日本の真牡蠣が導入され、フランスの牡蠣産業を救った。その恩返しが2011年の東日本大震災で宮城の牡蛎が全滅の危機の際のフランスによる支援だった。

アメリカに数年前出張して生牡蠣を食べる機会があったが同じ事がアメリカでも起こったらしい。牡蠣の名前は「kumamoto」だった。ロサンジェルスのマンハッタンビーチでも、ミルウォーキーのミシガン湖畔のシーフードレストランでも同じ日本種の牡蛎がメニューに載っていてびっくりしたことを覚えている。

今日は涼しくて心地よい。2階でクロンチョンを聴きながら、パソコンに向かったり、のんびりしていると、いつの間にか時計は12時半。

昼食:スパゲッティ・ミートソースとコーヒーにデザートのメロン。

食後は、昨日に続きBSで西部劇を観る。今日は「荒野の用心棒」。文句なしに面白い傑作。何回みても飽きない。1964年製作で、マカロニ・ウェスタンのデビュー作だがこれを越えるマカロニものは出ていないと思う。

見終わって夕方まで、金子光晴の「ねむれ巴里」をソファにゴロリとなって読み耽る。読了した「西ひがし」はヨーロッパから帰国するところから始まるが、ブルッセルについて「身じまいのいい、きれいな小都市で、猫のような顔の小娘ばかりがあるいているところだ」という冒頭の始まりが何とも言えず魅惑的で頭から離れなくて2階の本棚から引っ張りだした。売れない詩人と「新しい女」タイプの妻とのパリ貧乏滞在記だ。

夕食:カレーピラフ、ハンバーグステーキにひじきの煮物と麦茶。

サッカー日本代表が帰国。空港にファンが押し寄せた。結果次第では卵を投げ付けられることもある。今回は韓国がそうだった。コロンビアだと自殺点献上した選手が命を落としたことも過去にはある。たかがサッカーとは言え、盛り上りのボルテージで見るとワールドカップはオリンピックをしのぐ世界一のイベントと言うのも頷ける。

明日は通院していよいよ両足歩行になる予定。但し、天気予報は関東地方も大雨。

2018年7月 6日 (金)

入院日記 リハビリ編 その36

7月4日(水) 曇り 終日風強し

蒸し暑さは少し和らいだ。

マレーシアのナジブもと首相が逮捕のニュースが流れる。汚職の話しは大分前から噂になっていた。

この国は、エネルギー資源としての石油が自給できる幸せな国だ。日本の苦境(資源があまりないヨーロッパも同じ)は、原油価格の高止まりが大きい。資源たけがあっても、それだけでも駄目だが。

資源で食っている運のいい主な国:オーストラリア、中近東の産油国、ブラジル、ロシア、南アフリカ。

アフリカは資源大国だが、資源を自国のために利用しきれていない。分配を巡り内部分裂があり世界の既成勢力が内部抗争を利用して利益を貪る構造から未だ脱却できていない。

コロンビア、英国にPK 戦の末破れた。スウェーデンがスイスを破り、ベスト・エイトが揃った。

さぁ、どこが本命だろうか。ランキングよりチームの勢いだ。クロアチア、フランス、日本戦で苦戦して逆転したもともと実力のあるベルギーあたりか。伏兵が、ブラジル、イギリス、スウェーデン、ウルグアイ。どれも試合観戦したが力があり勢いに乗ればチャンスはあるように思える。

ロシアは開催国で頑張ったがここまでではないだろうか。過去に韓国のベスト4という「疑惑の判定」による奇跡はあったが、いまは、写真判定制度が導入され、アラブの笛とかでも揶揄される買収による審判の不公平が入る余地は少ないだろう。

台風7号の影響で曇り空。涼しい風が吹いている。明日は雨らしい。リハビリ後、2階で過ごす

YouTubeでクロンチョンを検索。いくつのサイトをサーフィンするが自分のCDがベスト。サーフィンの途中でこんな面白いのがあった。題名はオランダ語(Geef mij maar Nasi Goreng) で、英語ならJust give me fried rice。

https://www.youtube.com/watch?v=mU7udSDh83M&list=RDgONIeAyiGQs&index=2

現地インドネシアで育ったオランダ系の人間がインドネシア独立後、現地に居られなくなって母国に帰ったものの、自分はインドネシアがなつかしい、あの、ナシ・ゴーレンが食べたい、それも目玉焼きがのったやつ。それとビール。という何の変哲もない歌詞ではあるのだが。

お昼:焼そば、おにぎり、コーヒー。

BS で西部劇「アパルーサの決闘」を観る。2008年の製作。最近の映画事情に詳しくない自分には出演の俳優は全然知らない。しかし、なかなかのできの渋いB級西部劇だった。見初めて、スイッチを切る映画が多いが、最後まで引き込まれて観ることができた逸品。

時代は1880年代のメキシコに近い辺地の町。付近は無法者たちが我が物顔でのし歩く無法地帯で、冒頭は、保安官が法を執行しようとして、逆に殺されたままう場面だ。
そこに、固い友情で結ばれた二人の正義執行人と称する流れ者のガンマンが主人公が登場し、保安官を請け負い悪人をやっつける敢然懲悪のお話しだ。だが、人生の機微が盛り込まれている。

主人公の一人(年輩の方は)が、町に流れてきた魅力的なオルガン引きの未亡人に惚れてしまう。チェーホフの可愛いい女をふと思い興させるこの女は、状況次第で、その場を支配するいちばん強い男になびいてしまうタイプ。主人公のもう一人も陰で(危険な稼業なので保険の意味で)誘惑する女だ。

悪漢を逮捕し、裁判で死刑が確定するも、護送途中で何とこの女が悪漢一味の人質となり悪漢を逃がす羽目に。

命をかけて彼女(悪党の一味とも懇ろになってしまう)を救いだし、悪漢を取り戻すのもつかの間、死刑になるはずだった頭の働く悪漢が大統領特赦で死刑を逃れ、町に舞い戻り、羽振りよく金にものを言わせて町の有力者を懐柔し、可愛いい女もなびき始め!、保安官請負業の契約も危うい状況になる。

主人公の片割れはこれに我慢がならない。インデアンか娼婦の女しか知らないボスを救い、一途に惚れ込んだ女と一緒になれるよう、悪漢の伊達男と決闘し殺すことで決着をつけると、コンビを解消し、片割れの主人公は一人当てのない旅に出るところでThe End 。

夕食は、ビールとカレー、玉ねぎサラダ、ヨーグルト。

知り合いから印鑑を同封した書き留め便が届く。

外は風が強い。台風は熱帯低気圧になった。明日は雨の予報。一時的に蒸し暑さは解消して一息つけそうだ。

2018年7月 5日 (木)

入院日記 リハビリ編 その35

7月3日(火)晴

目覚めると5時前。サッカー観戦はしなかった。目が覚めたら、勝っていた、という淡い夢を深い眠りの中で見ていた。

残念ながら、淡い期待は満たされなかった。日本はベルギーに負けた。一時は2点リードしたが最後は自力に勝る相手の力でねじ伏せられてしまった。ワクワクドキドキの楽しみが終ってしまったのは残念。ランキング60位と3位の強豪との実力差だと納得するしかない。

朝食後、BSで、試合観戦したが、後半20分時点ではひょっとしてまさかこれは勝てるのではないか、という雰囲気があった。その直後ベルギーに1点(大きな弧を描くヘディング得点もあるんだ)入って、それまで何とかしのいでいた防御がこじ開けられてしまうと、あれよあれよの30分間の逆転劇で悪夢を見ているようだった。今日は、にわかサッカーファンも含めて多くの人が、祭りの後の寂しさと虚脱感を味わっているだろう。

お昼:味噌ラーメン、メロン、コーヒー。それとおにぎり1個。

タイの洞窟で行方不明の13人は無事発見。10日近くのサバイバル劇。洞窟奥の五キロ地点。水で簡単には出られないらしい。

家の回りでヒヨドリが喧しい。子育てのための巣作りを近くでやっているのは間違いない。過去に三回子育てを観察した。二度失敗で一度はネコに雛をやられ、もう一度は抱卵の放棄。

午後は2階でクロンチョンを聞く。真夏並の暖かい風に当たりながらしばしうたた寝。

関東は猛暑が続く一方、台風7号が日本列島に接近中。その影響なのか、何と北海道が大雨。河川氾濫による被害。

夕食:ローストビーフ、野菜のオリーブオイル炒めにご飯少々。ビールはおやすみ。かわりに麦茶。

「社長忍法帳」を観る。外遊記の業種はデパートだったが今回は建設会社。小林桂樹は独身ではなく司葉子と新婚ほやほや。札幌支店にフランキー堺。おとぼけ、お色気コメディ。新珠三千代は札幌のクラブのマダム。池内順子は東京の馴染みの芸者。北海道ロケのショットが楽しい。毛蟹、ラーメン、サンアイホテル(現在のパークホテル)、登別温泉。三木のりへいの宴会芸は今回はなし。東野英二郎が特別出演。東京オリンピック直後の作品。来週は後半の続編。いつまで続くこのシリーズ。

北海道に最後に足を運んだのは2004年だったか。千歳空港から貨物チャーター機で韓国の仁川、カザフスタンのアルマータ経由でクウェートへ出張した時だった。帰りはドバイでゆっくりして、バンコク経由の帰国だった。

忘れられないのはアルマータ。カザフ語でリンゴの意味。トルコ経のカザフ人が多いが、日本人そっくりのモンゴル系や白人のロシア系が住む国の首都。わずか、8時間程の滞在だった。ホテルでの休憩と街の市場の散策しか出来なかったが、ケバブの店があったこと、と初めてカササギという野鳥を観察したことが記憶に残っている。ちょうどこの時、スペインでは列車の爆弾テロがあった日だった。ホテルのテレビで真っ先に知った。

2018年7月 4日 (水)

入院日記 リハビリ編 その34

7月2日(月) 晴

6時前に目が覚める。

今日もウグイスが元気に冴えずっている。聞き入っていると、隣の部屋からニュースが聞こえてくる。

事件は色々あるが、ロシアがスペインを破った。ランキング70位で日本より低いロシアが。スペインにとっては一発勝負の悪夢であったろう。弱いものが強いものに勝つことはある。一般に、優劣比が4:6以内であれば劣性でも勝つことは可能らしい。戦略・戦術の問題。指導者の問題。

アメリカのトランプ大統領は指導者としてどうなのだろうか。政治は、結果責任と言うが、合理性・一貫性に欠けるかに見える政策は次々と物議を醸しており、世の専門家たちが盛んに論じているところだ。

ジャーナリストの田原氏の番組でも識者が指摘していたが、欧米が主導する現代世界の大きな問題の1つは、「アメリカの平和」を享受しながら留まることを知らない中国の力の台頭が自由主義的な資本主義システムとどう折り合いをつけるか、であり、欧米世界がバラバラに対立を始めているため、中国が漁夫の利を得ている現状がある、と言うものだった。

地政学という学問は日本では敗戦のトラウマから抹殺に近い扱いを受けていると言う。地理と言う、いかんともし難い与件に基づいた国家の自己保存のための学問である。

東アジアでは、紀元後の8割=1800年は中国世界だった。過去200年近くは例外で欧米世界のシステムに組み込まれる課程で従属を強いられ、屈辱をあじわった。これからの100年は欧米の強さの源であるテクノロジーと近代資本主義システムのうち、少なくともテクノロジーについては追い付き追い越そうとする中国が独自の価値観で欧米的資本主義システムを書き換えたシステム変更の強制力を作り出せるかどうか、と言うことらしい。中国はそれをやろうとしている。既に攻めぎあいは随分前から始まっている新冷戦である。イスラム世界やロシア、インド、アフリカはその新冷戦を左右する大きな変数項である。

朝食はハムエッグと納豆にご飯とフルーツ・ジュース。

リハビリ後、ロシア対スペインの試合を見る。内容的には、ひいて守るロシアを攻めきれず決めてに欠けるスペインの退屈なパス回しの時間が多かった。攻めあぐみ、延長戦でも決められず、嫌なPK戦で結局負けてしまった。

昨夜、部屋で大きなゴキブリを見かけて、ギョッとした。早速ゴキブリホイホイを仕掛ける。虫好きとは言えゴキブリばかりは願い下げだ。

お昼:昨日の残りの炒飯。冷凍食品だがなかなか美味。いとこからのアンデス・メロンがデザートで、それにコーヒー。

食後の休憩。シエスタ。そうだ、暫く、音楽を忘れていた。音楽を聞こう。2階で窓を開け放ち風をいれて、インドネシアのクロンチョンを聞いた。今の気分に合うサウンドはあまりない。クラシックじゃない。ジャズでもない。最近のポップスもだめだ。ポルトガル人の末裔とインドネシアの土着文化が融合したサウンド。楽器は西洋(ギター、バイオリン、フルート)だがメロディが土着のサウンド。これだ!

Kronchong

保険会社に連絡すると既に保険料は振り込まれたらしい(29日)。入院費用は45万近かったが、諸々の保険で全額カバーできて一安心。

落語の桂歌丸さんが亡くなった。81歳。

夕食:枝豆とポテトのバター炒めを肴にビール。仕上げは和風ハンバーグと刻みキャベツとご飯少々。

「西ひがし」の続き:

「再会した妻から船中で年下の金持ちボンボンの画家修行中の青年と関係を持っていたと打ち明けられた上で、自分の妻を巡り青年と対峙する羽目になる。妻の本音は「楽しいけれど、彼はどこか物足りないところがある」。つまみ食いの火遊びらしい。対峙後の二人の水浴。どういうわけか欲望が蒸発して、肌を合わせるかわりに一緒にドリアンを食べ!、翌日彼女は一足先に帰国の途に。

嵐が去って、虚脱感で寝腐る金子が人づてに彼女のメモ(踏み迷っている自分にアドバイスがほしい主旨の文章がびっしりとした文字で埋め尽くされていた)と15ドルの現金を受けとる。だらだらぐずぐずしていると、暫くして帰国した彼女から早く日本に戻るよう催促の手紙が来る。子供が病気で実家で看病していると。

この手紙で心が軽くなり、既に帰国便の船を予約していた金子は船が入港になるまでの時間を惜しんでバトパハへ。宿で知り合った栃木出身の純朴青年(樫村君)を連れて。もう放浪は終局であり当地に戻ることはないと予感し選んだのがこの地だった。

日本人クラブ2階の藁布団にゴロリと体を横たえた。思い入れのある白肌のの娘の面影を求め街を逍遙する。船の到着が早まり、広東系の娼婦に溺れる樫村君をおいたまま慌ただしくシンガポールに戻り帰国の途に。

神戸港から妻の実家(宇治山田)に駆けつけると、妻は置き手紙をして既に上京していた。内容は、「子はかすがいだ。例の青年とは終った。早く東京に来て」と言うもの。

どっちがどっちを振り回しているのか。奔放な二人の生きざま。泥沼の関係になる一歩手前で事態は新たな展開になり関係が続く。心が動揺した時は、鼻歌を歌って流されるままに身を委ねやり過ごすのが金子流だった。」

2018年7月 3日 (火)

入院日記 リハビリ編 その33

7月1日(日) 晴

夜中に1度目覚めた。深夜過ぎの2時半ごろ。東京の知り合いに誕生日メッセージをラインでおくった。

今日から7月に突入である。嗚呼、タメ息。私は5月7日のままだ。日時がどんどん私を置いて遠ざかっていく感じで落ち着かない。

サッカーは決勝トーナメントが始まった。アルゼンチンとポルトガルは破れた。

早速に朝食後、BSでサッカー観戦。4対3で面白い試合だった。フランスの19歳が評判どおりの半端ないスピードで2得点。アルゼンチンを打ち砕いた。

お昼は、肉まんと炒飯にコーヒー。それに従妹から届いたメロン。

午後の昼寝。シエスタ。

目覚めてスッキリ、再びBSでポルトガル対ウルグアイの試合観戦。こちらも引き締まってスピーディーな試合。ロナルドは封じ込められ、1対2で敗退。

夕食は、銀座ナイルの特製のチキンカレーをビールを飲みながら食べる。デザートはヨーグルト。

銀座ナイルは歌舞伎座のそばにある学生時代に偶然入った本格的なインドカレーレストランだ。1980年代は職場が新橋だったのでよく通った。当時は創業者のナイルさんもまだ健在だった。インド独立の闘志(チャンドラ・ボース派)で戦時中は日本のスパイとして協力し中国大陸で活動したことは氏の自伝に詳しい。

署名入りの自伝はナイルで買って斜め読みしたまま、大学時代の友人のN君に貸したのだが、そのまま行方不明となっている。そのN君が亡くなったは1997年。21年前のことだ。

記録的に早い梅雨明けで、早くも夏真っ盛りの暑さだった。ぼんやりしながら、サッカー観戦で過ごす1日となった。

2018年7月 2日 (月)

入院日記 リハビリ編 その32

6月30日(土) 晴

夜中にキッチンからのピーピー音で目が覚める。製氷室が開け放したまま。母が夜中に氷水を作って閉めるのを忘れたようだ。

再び眠りに落ちて次に目がさめるたのが6時前。

風は依然として吹いているが、弱まってはいる。彦根市では突風が襲って被害が出た。

熟睡した後の朝食がうまい。ハムエッグにキャベツとプチトマト。シリアルとミルクにヨーグルトを混ぜて食べる。

午前:ルーティンのリハビリ、2階でパソコンのメールチェック。

寝起きしている居間には冷房なし。開け放した網戸窓から入る風と扇風機が頼り。暑さは異常だ。母が心配して覗き来たが、逆に高齢の自分が熱中症にならないよう注意をする。

母の兄は、炎天下、庭で草取りをして体調を崩しそれが肺炎を起こして呆気なく命を落としてしまった。2004年、当時80歳だった。

お昼はお握り(梅干し)とコーヒーにカップ焼そば。

午後:居間のソファーで、ゴロリとなって金子光晴の「西ひがし」の続きを読む。

「マレーの東岸の日系資本のゴム・プランテーションに足を運ぶ。かつてはジョセフ・コンラッドも放浪したこの地域のジャングルは虎やゾウ、マラリア蚊に満ち満ち、海(南シナ海)は、赤道直下でも見られた沖縄の漁師も避けて通るくらいにまがまがしい様相。このくだりの金子の自然描写は読んでいて精彩があり素晴らしい部分で引き込まれる。

何とかお情けで絵を買ってもらい資金を確保してシンガポールに戻るも英国人と現地人のハーフの妖しい美女に入れ込んでマレーで絵を売って得た帰りの日本までの旅費を散財してしまう自堕落さ。久しぶりに沸き起こった詩の創作の衝動に突き動かされて、試みるもできばえに納得が行かないもどかしさ。」

退職した職場の関係者からメールの連絡あり。近況報告だが、一緒に苦労して!昨年から開始したプログラムは何とか順調に動いているようだ。送別会は延期したまま皆で待っていると言う。私の時間は止まったままだ。

東京の懇意にしている知り合いの娘さんからラインのメッセージが来た。明日ママの誕生日。自分は全国模擬試験の準備で大変らしい。御祝いメッセージを送る約束をし、勉強頑張れのフレー・フレー応援コールで返信。毎年、一緒に御祝いの食事をする楽しみが今年は断念。

夕食はビールを飲みながら出前の寿司を食べる。

「西ひがし」の続き:

シンガポールを抜け出し、再びマレーの海峡植民地へ。西岸を北上してタイピン、イポーを抜けてビルマを目指す旅だ。日本に帰っても当てがない。会いたい人は親族を含めて一人もいない。詩人金子は反逆児だった。社会の慣習を無視して周囲と摩擦を起こす。日本版モダニスト。各地で出会う日本人が今は相場が崩れて厳しいがその内なんとかなると言う相変わらず白人植民者と同じ甘い幻想を抱き現地人を見下しながら、ガチガチの大和魂に凝り固まって回りと摩擦を起こす彼らの狭量さへのチクリとしたコメント。マラッカの夜は隣部屋のインド人役人と愛人の一晩続きの愛の行為で眠れず、自分の見通しへの不安からバトパハ経由でシンガポールに戻る。調度自分の妻が、フランスから戻りシンガポールに到着することを知る。この女性も新しいタイプの女だった。金子が海外放浪に出たのもマルクス主義にかぶれた若い画家との三角関係を解消するためもあった。一人息子を妻の実家に預けて・・・」

2018年7月 1日 (日)

入院日記 リハビリ編 その31

6月29日(金) 晴、終日風強し

前夜から深夜過ぎのサッカーをテレビ観戦。ポーランドに負けた。落胆の一瞬もあったが、コロンビアがセネガルに勝利したことで、セネガルとはマナーポイントで2位を確保。なんと言う幸運。マイアミの奇跡の時に決勝トーナメントを逃した西野監督は胸を撫で下ろしているであろう。勝負ごとは勝たないといけない。Vulgar Winner(勝ちに拘り策を弄したせこい勝利) か Good Loser(勝敗に拘るより真っ向勝負で潔く負ける) 。

日本は卑しく負けることで大きな勝利を勝ち取った。コロンビア様に感謝だ。直接対決で勝たせてもらい、かつ、ライバルを蹴落としてくれたのだから。

6時半、ウグイスが庭にきて何度も気持ちよさそうに何度も囀ずる。

しかし、自分の心は鎮まらない。何だろう、この不協和音は。ケガによる普通の生活からの脱落による精神的ショックから未だに立ち直れていないのだ。

8時過ぎにタクシーでは病院へ。リハビリと左足の歩行補助装具を作る為の型どり。一週後に完成。左足に体重を徐々に掛けるリハビリ。1ヶ月で通常歩行になるでしょうとのこと。後5週間かぁ。我慢、我慢と自分に言い聞かせる。

装具は十万円ちょっと。本人負担は3割だが一旦は全額!自己負担して健康保険に還付申請が必要らしい。また面倒だなあ。

気温がグングン上がり30度を超え、さらに熱風が吹きつけている。

病院のコンビニで焼き鳥を5本買って昼過ぎにタクシーで帰宅。今夜は、ビールで一杯やろう。

お握りとコーヒーの昼食後、居間でダラリとなって休憩。思い出して、吹き抜けの車庫に戻った車の窓を開け放つ。ディーラーさんのアドバイスだが、言われた程の臭いではなかった。車は、買い物以外は、趣味の釣りで使っているだけだ。

日記を書きながら、映画「マッドマックス」を見る。1979年製作。大学を卒業して社会人になった年だ。メル・ギブソンが本当に若い。豪州版のダーティ・ハリー。

夜、BS11で「世界の国境ハンター」の総集編を見る。オランダ・ベルギー編でスーパーのAlbert Hijnの看板が目に入って懐かしさを感じる。1983~84年、当時28歳でオランダに研修で滞在した。寝起きしている実家の居間には現地滞在の記念品のデルフト焼き(アムステルダムの運河風景と一輪挿しの花瓶、皿)が今もそのまま飾ってある。

Alexandra、Arianne、Almaは女性の名前だが、仕事やプライベートで紹介してもらい親しく交流(どんな?)した記憶に残る人たち。

週末のテニス、クリスマスのパリ旅行、イースターのベルリン旅行、キリスト昇天祭のアテネ旅行。ベルギー・ルクセンブルクへのドライブ旅行では第二次世界の激戦地アルデンヌ地方を走り抜けた。
釣りは2回挑戦したが不発(船でサバ釣り、ベルギーでマス釣り)だった。

食物では、クロケット(コロッケ)、フリカンデル(ソーセージ)、ルンピア(春巻)、ブローチェ・タルタル(生の牛肉サンドイッチ)、ナシ・ラムス(インドネシア風炒飯)、ナシ・ゴーレン(同焼そば)、コナイン(家畜の兎?)、パンナクック(パンケーキ)そして、ビールとTボーン・ステーキPatat Frit met allesは、フレンチフライに玉葱やマヨネーズやケチャップを掛けた豪華盛りでこれだけでお腹が一杯になる。ローストチキンの半切りも良く食べた。生まれて初めてパエリアを食べたのは飾り窓付近の教会の近くのスペイン料理店だった。

思い出が次々と沸き起こり尽きない。

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