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2018年7月29日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その22

7月27日(金) 晴

昨夜は1階のリビングのソファで寝た。涼しくて扇風機もいらなかった。熟睡した。但し、トイレに3度起きた。水分の摂りすぎか?

BS 放送でハンガリーの鉄道の旅を見る。自分も1983年の夏(世界養蜂家大会)と2003年の秋(政府観光局の招待)に2度仕事で出掛けた国だ。但し、ブダペスト滞在だけで、プスタ大平原や近場の陶芸の町を日帰りのエクスカージョンをしただけなので番組は見ていて楽しかった。ワインの産地(トカイ)、平原での騎馬の調教、水球の練習風景(この国はオリンピックは通算で9回金メダル)、コダーイ(音楽家)にちなんだ学校の音楽の授業参観、パプリカ農家訪問とそれを使ったスープの夕食、難民を防ぐためのフェンス、モハチという街は、クロアチア系とドイツ系が混在しているところ。ハンガリー語は一つ覚えていた。Igen(はい、yes )。

ブダペストの記憶。青くはないが風格があって悠然と流れるドナウ川、温泉プール、老舗レストラン「グンデル」のジプシー音楽付きの夕食、どこかのローカル・レストランで食べた鹿のジビエ料理。ハプスブルクのエリザベート皇后がひいきにしたオペラハウス、夕刻のドナウ川沿いの王宮だか砦の洞窟内のワイン・テイスティング。ベルリン大学留学中に知り合って日本人と結婚したハンガリー人の日本語がペラペラのガイドさん(Kuwashima)。
    
8時20分、車を運転して病院へ。レントゲン、Y医師と面談。頸骨は順調に治癒している。装具の体重荷重を3分の1上げて、2階でリハビリをする。次の通院は8月10日。医師は言わなかったが、この日に装具を外すことになるのではないか、と期待したい。完治まで3ヶ月ということを考えるなら8月17日となりさらに1週間遅れるかも。  

母に頼まれた買い物(ネギとトマト)をして帰宅する。13時前。オムライスとコーヒーの昼食をとり2階で軽いシエスタ。

15時のニュース。チョコレート・アイスクリームを食べながら見ていると、フェースブックの株価が何と14兆円近く下落したらしい。明日の台風はコースが西にずれて関東直撃の可能性は低くなった。

退職した職場で付き合いがあったNさんとラインで繋がった。仕事で、県南に来ているらしい。もと高校野球児。野球談義も薀蓄を傾けられて楽しい人だ。私より一回り半若い。

その蘊蓄。昨夜だが、名前に因む蘊蓄を語る番組で珍しい名前の高校野球ナインを見たが、「阿天坊」という懐かしい名前が入っていた。かつて、ロッテ・オリオンズに木樽(きたる)という投手がいた。彼は、昭和39年の夏の甲子園で準優勝した銚子商業のエースだった。その時のチームメートで3番ショートとして大活躍した選手で、「あてんぼう」と読む。今年70歳。卒業後は、地元の水産会社で成功し従業員100名を越える年商35億の売上を誇る社長。甲子園で活躍したことが営業で後押ししたという。ちなみにこの名前は和歌山と関係がある。江戸時代に銚子と和歌山は繋がりがあった。

さらに、銚子商業が敗れた相手は三池工業。監督は原貢。原辰徳の父。東海大相模高校でそれぞれ監督と選手で甲子園に出場した原親子。

さらに蘊蓄を続けると、この東海大相模と1回戦で戦ったのが私の地元の土浦日大。阪神タイガースでそこそこ活躍した工藤投手がエース。9回裏に同点に追い付かれ延長15回(だったと思う)にサヨウナラ負け。その東海大相模も準々決勝でもと巨人の定岡が投げた鹿児島商工に敗れた。

夕食は、目刺し、谷中生姜、冷しトマト、野菜の煮物、にビール。仕上げは永谷園の鮭茶漬け。母から、トマトが熟し過ぎているとの不満。女は歳をとっても細かくてうるさい。健在な証拠でもあると独り苦笑い。

今夜から雨予報のため水撒きは中止。ここ数日でアブラゼミの数が一気に増え今は盛りと鳴いている。ヒヨドリの親子がいなくなり、代わりににシジュウカラが庭木にちょくちょくやって来る。

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