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2018年8月13日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その37

8月11日(土) 曇り、後晴

4時過ぎにトイレに起きてから眠れなくなる。うとうとしていると、ミンミンゼミの合唱が始まった。

日記をつけて、6時過ぎ、新しいストレッチをやる。それから筋肉トレーニング。テレビでは、タイのブタの血を使った麺料理を紹介している。地震があった。震源地は福島。震度4。

帰省ラッシュ。東北自動車道路は41㎞の渋滞。先祖の墓参り。最近は樹木葬と言うのがあるらしい。

足の完治がなかなか進まず、フラストレーションがぶり返した。ただ、待つだけの日々だ。気晴らしはあるけれど、長続きはしない。

「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」を読み続ける。

後書きを読むと、翻訳者は、日本は真珠湾攻撃ではなくオランダ領インドネシアの石油を取りにに行けば良かった(オランダに宣戦布告)、と言う日下公人氏の指摘を引いている。ハルノートなるものはアメリカではマスコミも知らず、密室で処理されたものだった。日本はインドネシアの石油を取りに行くのは、アメリカが経済封鎖(=宣戦布告に等しい)を日本にしかけて来たからだ、と世界に公言してから堂々と蘭印を攻める。少なくとも、アメリカが日本と戦う大義名分にはならなかった。

米英は共同で日本と戦う合意がルーズベルトとチャーチルの間に確かにあった。しかし、1941年から43年は、連合国側はとても日本の軍事力に対抗するすべをアジア・太平洋地域に持っていなかった(あるいは、お粗末な軍事力で日本に対する抑止力があると思い込んでいた)。優先される欧州のナチスドイツとの戦いで手が一杯だった。英米のアジア戦略は、基本的に日本抑止だった。

帝国日本海軍は、真珠湾攻撃の後、2度目の博打に近いミッドウェイ海戦で実質的に太平洋と言う広大な戦場で戦うために必要な機動艦隊を大方失ってしまった。

真珠湾を先に攻撃したのは愚策だったが、それでも、ミッドウェイで戦わずに艦隊を温存し、フィリピンとマリアナ諸島の防御力を高める体制構築に主たるエネルギーを1942年から43年にかけて注いでいれば(航空基地建設と飛行機の配備、機動艦隊との連携と潜水艦による敵の通商破壊)、連合国(アメリカと同義)の攻勢は抑止され、時期的に相当遅れたはずで、そうなれば、ソ連との冷戦が順序として先になる可能性もあった。つまり、日本人のトラウマとなっているあの様な妥協の余地のない1945年夏の敗戦とはかなり違った結果(妥協による停戦)があり得た。

日本は、緒戦の華々しい勝利に酔い(勝利病)、帝国の防御圏の拡大に走り戦力を消耗してしまい、本来の自給自足に基づく帝国を維持し、英米との長期持久戦に備えるべく防御体制を確立する機会を逃してしまった。

お昼:エビピラフ、麦茶、スイカ

2階で、マサラ・サウンドを聞いたり、ベッドでうとうとのシエスタ。インド映画のDVD を2枚と「インド映画を10倍楽しむ方法」をアマゾンで注文する。

父がデイケアから戻る前、庭の水撒き。アブラゼミのメスを捕まえた。写真を撮ってリリース。

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夕食:冷やしトマト、冷奴、枝豆、鮭の粕漬け、ビールと納豆ご飯。

東京のYちゃんのお母様とラインの交換。勉強はお休み。お母様とお友達を誘って東武練馬をブラブラして涼んでいる。お盆休みは一緒に遊ぼうと約束していたのだが残念。

弟から連絡。背中の痛みで病院に午前中でかけたらしい。単なる筋肉痛ならいいのだが心配だ。明日の実家訪問は中止。

台風去って、酷暑が戻ったが、夜は涼しい。ここ数年はお盆に出かける日々だったが、こんな形で夏をひっそりと過ごすことになろうとは。ひっそりと静まりかえった真夏の宵、つらつらと、これまでの来し方を思い、これからの行き末に思いを馳せながらぼんやりと過ごす。

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