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2018年8月21日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その45

8月19日(日) 晴れ後曇

4時過ぎに目が覚めて眠れなくなる。今朝も涼しい。
肌寒いくらいだ。

リハビリをやり朝食は久しぶりに納豆ご飯に目玉焼きを乗せて、トマトとレタスサラダを食べる。

2階に上がり、インド映画映画音楽のジュークボックスを聴きながら、日記をつけたり、ネットサーフィンをする。BBC ニュースを読んでいるとボリウッドの有名女優プリヤンカ・チョプラーがアメリカ人と婚約した芸能記事が目にとまった。彼女は「バルフィ!人生に唄えば」でみたばかり。https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-45234822

昨夜は遅くまでDVDを観て夜更かししてしまったのか眠くなり、ベッドにごろり、一時間ほど朝寝しするとお昼になる。

石窯チーズピザと和風混ぜご飯とコーヒーで昼食。

13時から映画「ラストエンペラー」を観る。1987年の製作。公開時に観たし、その後2度くらいは観たと思うが大分昔の話。改めて歴史の真実について理解したことを整理してみると、

『最後の皇帝溥儀は、極東軍事裁判にソ連の収容所から証人として日本に送られ、「自分は、日本に強制されて満州国の皇帝になった」と証言した。

映画では、原作者の溥儀の家庭教師だった英国人ジョンストンの著書「紫禁城の黄昏」に基づき、中華民国の共和派による一方的な合意破棄に紫禁城を逐われ、さらに一族の墓を暴かれた屈辱を晴らすべく、溥儀は、満州族の故郷に王朝を復活することを夢見て、それを実現するために自らすすんで満州に権益をもつ日本に近づいた、として描かれている。

清朝最後の皇帝溥儀は、即位してすぐに革命による中華民国の時代になり紫禁城に閉じ込められた籠の中の鳥だったが、皮肉にも、自ら望んだ満州国皇帝時代も、結局は大日本帝国(関東軍)に利用される籠の中の鳥となる屈辱を味わうこととなった。そして、日本の敗戦とともに、満州民族の故郷(満州)での祖国復興の夢は潰えた。満州人は祖国の地(万里の長城の北の地域)を失い中国の少数民族になってしまった』

ということになるだろうか。

映画の最後は、アルプス一万尺のメロディが鳴る拡声器を持ったガイドが紫禁城を観光客に案内するシーンに変わり、清朝崩壊と国内の大混乱、日本の侵略と内戦、共産党政権の成立と毛沢東独裁によるその後の迷走を経て1980年代の改革・開放が始まり中国が漸く落ち着きはじたそんな時代、新しい世代の台頭を暗示しながら、激動の時代が終わったことを暗示しているシーンだが、政治の民主化を求める天安門事件はこの映画が公開された2年後に起った。

久しぶりにこの映画を観て、歴史物の映画としては稀に見る傑作であるとの思いがますます強まった。歴史の描かれ方にほとんど文句はないし、視覚芸術としてのショットの美しさ、聴覚芸術としての音楽の素晴らしさもグッドだ。繰り返し見ても、厭きがこない何かがある。

監督はイタリアのベルナルド・ベルトリッチ。政治的立場は、左翼リベラル。この監督にはイタリアの農村の富農と小作人が時代に翻弄される生き様変を描いた「1900年」という学生時代に観た傑作もある。

トリビアな指摘を2つ。

コオロギが映画の冒頭と最後の方の場面に登場する。冒頭のコオロギだが、緑色のキリギリスのようなバッタでコオロギには見えなかったがどうだろか。

紅衛兵のパフォーマンスの一部(造反有理を歌いながら踊る場面)が放映された映画ではカットされていた。テレビ放映の映画は時間枠のためにしばしばこれが起こる。作品に対する冒涜だ。https://www.youtube.com/watch?v=_OPSyFHW7yk

夕食:ビール、豪州産牛ステーキ、レタスとトマトのサラダに冷奴とご飯少々。

昨日は、涼しいので水撒きをサボったが、埃っぽいので、再開した。

池上彰氏の日本の終戦に関する番組を途中から見る。日本の一番長い日、終戦の決断についてだ。

戦争に勝って海外に利権・領土を手に入れると、多大な血で購った故に、簡単には手放せなくなる。地政学上、日本がロシアと戦わざるを得なかったことは事実だが、日本はそのために朝鮮半島と満州にこだわり続け、その後の歴史において最終的に墓穴を掘るこになってしまった。

太平洋戦争の犠牲者はとんでもない膨大なものだった。死んで行った英霊に申し訳ない。軍人は戦争を止めるとは死んでも言えない。死に活路を求める陸軍の考えとは一億総玉砕だ。それを止められたのは天皇だけだった。

ポツダム会談の目的は、ドイツをめぐる戦後ヨーロッパの扱いをめぐる議題がメインで、日本への降伏勧告であるポツダム宣言はトルーマン大統領が主催した副次的な問題だった。宣言は、米英中の3ヶ国によるもので、ソ連は宣言に加われなかった(日ソ中立条約のため)。日本は中立国のソ連に終戦交渉の仲介工作を持ち掛けている一方、スターリンは対日参戦に向けて着々と準備を進めていたという事実には愕然とする。

今日は、高校野球はお休み。日本の暗い歴史に思いを馳せる1日となった。

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