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2018年9月 9日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その65

9月7日(金) 曇り

2時過ぎにトイレに起きて眠れなくなる。2時間ほど日記を書いたり、メールを送ったりして再び眠る。

エロチックな夢をまた見た。何と今回はエロスの女神が微笑んでくれた。目が覚めて時計を見ると6時前。

テレビをつける。北海道の地震災害報道が延々と続く。関西、北海道が大打撃を受けて、特にドル箱の観光業界は悲鳴を上げるだろう。

足のリハビリ簡単なストレッチだけにして、石窯パンのトースト、目玉焼き、ミルクの朝食。

8時過ぎ、車で病院へ出かける。レントゲン撮影後、担当医師と面談した結果、ようやく装具を外す許可をもらい、その上でリハビリを継続していくことに。5月7日の骨折から4ヶ月。長かった。

待つ合間に持参した「第二次世界大戦アメリカの敗北~米国を操ったソビエトスパイ」を読み始める。ルーズベルト大統領政権で重用され活躍したスタッフの二人(ハリー・ホワイトとアルジャー・ヒス)はスターリンのスパイだった。長年疑われて来たが決定的証拠はなかった。冷戦が終了した1990年代にヴェノナ機密文書(数年前にスノーデン事件が起きた米国家安全保障局の前身組織が第二次大戦中から冷戦時代に行ったソビエト外交文書暗号解読プロジェクト)が公開され、二人がスパイであることが明らかになった。ホワイトは日本が開戦を決断をする最終的な原因となったハルノートの起草者。ヒスは、ヤルタの密約や国連創設に深く関わった当事者。

2階のリハビリルームで装具なしの歩行訓練の初歩を教えてもらう。ストレッチと筋力トレーニングをして終了した。次の通院は来週水曜日でリハビリだけをやることに。歩行練習は問題なかったが左足の動きまだまだ。完治したわけではないのだ。次のステップ(フェーズ3)の始まり。

簡単な買い物(蚊取り線香、豆腐、石窯パン、お萩)をして帰宅。結果を両親や東京のYちゃんのママに報告。

昼食:石窯チーズピザとエビピラフにコーヒー。

全米オープンテニスで女子の大阪選手が決勝進出を決めた。凄すぎる!

午後は、昼寝をしたり本の整理をする。大学時代に学んだヘンリー・ジェームスの短編テクスト2冊が目に留まりパラパラとめくる。

Henry_james

年数がたち黄ばみが酷いヘミングウェイの長編「For whom the bell tolls(誰が為に鐘は鳴る)」だが、読み始めた「第二次世界大戦アメリカの敗北~米国を操ったソビエトスパイ」の中で面白い記述がある。

スペイン内戦は、一般に、共和政府の民主主義勢力と軍部ファシスト勢力の争いとされているが、実際には共和政府=共産主義勢力と反共産主義勢力の闘争だった。

ベストセラーとなった「誰が為に鐘は鳴る」は、ソビエトのプロパガンダ(ソ連は英米と同じ民主主義勢力)の為に広告塔となる作品になった。ソ連の歓迎するところとなりコードネーム「アルゴ―」がつけられ、以後ヘミングウェイは役割を自覚しない「第5列のスパイ」としてソ連に利用されていく。

For_whom_the_bell

夕食:ビール、ベーコンとジャガイモの炒め、アイナの山椒煮、冷奴。納豆とご飯少々。

夜、「第二次世界大戦アメリカの敗北」を読了した。以下、感想:

第二次世界大戦は、体制が違いながらも資本主義の権化である英米と資本主義と相いれない共産主義ソ連が手を組んでドイツと日本(にイタリア)のファジズム政権を打ち負かす「中国の国共合作」のグローバル版であった。

イギリスの立場と状況:
独ソ不可侵条約と独ソによるポーランド分割によりドイツと戦う羽目になり(ソ連の加担は無視)、フランスが早々と戦線離脱したため、ドイツとの一騎打ちの戦いとなってしまった。本土攻略は防げても、とても一国で相手できないため、第一次世界大戦のようにアメリカの援助がどうしても必要だった。ヒトラーがソ連に侵攻したのは僥倖であった。チャーチルはソ連を支援して独ソがともに疲弊させ共倒れになることを望んだ。そのためには、アメリカの対ソ支援(イギリスはすでに破産状態)と参戦はどうしても必要であった。自らの大英帝国の権益を守ることが最優先課題。

ソ連の立場と状況: 
独ソ不可侵条約はドイツとの国境の安全保障の解決策で、意図は、ドイツの侵略意思を英仏に向けることにあった。ドイツの条約反故によるソ連侵攻はスターリンの不覚であったが、イギリスとアメリカの支援のお蔭で敵に勝る人的・物理的資源を総動員してドイツに反撃・勝利することが可能となった。

一方、極東の不安材料である日本の膨張(満州帝国)は、ノモンハン事件でソ連が軍備の優位性を日本に見せつけ、日ソ中立条約の締結という実を結んだ。日本は南進(防御の薄いイギリスやヴィシー政権フランスの仏印、蘭印への資源を狙う)に政策を変換した。

日本と戦っている中国の蒋介石の国民党政権を英米とともに支援し、かつ、将来的には政権を奪取することになる共産党を影で支えるのがソ連の中国での戦略。日本が中国とそれを支える英米帝国主義と戦えば日本が負けるのは時間の問題であり、イギリスやアメリカも欧州以外の地で自分と同じような凄惨な戦いを余儀なくされれば、皆がそれぞれに疲弊するはずだ。帝国主義同志が戦い、国が乱れ、最後は共産党同志がそれぞれの国で革命を興し共産党政権が果実を取る。これが歴史の必然であり、勝利は我々の手にある。

アメリカの立場と状況:
大西洋と太平洋に隔てられたアメリカに戦争の危機はない。大不況からも立ち直りきれていないアメリカにはほかにやることがあるではないか。よそのケンカに首を突っ込むな、というのが基本的スタンス。

イギリスとドイツが共倒れすれば、大英帝国の世界覇権は自然にアメリカに転がり込んでくる。金持ちケンカせずが一番であり、漁夫の利を戦略とすべきだ。

ルーズベルト大統領の政治家として究極の目標は、ウィルソン大統領が失敗した国際連盟に代わる国際連合(米・英・ソ・中)を創設に世界の統治を実現することにあった。ドイツと日本は邪魔であったからそれを潰すために世論を誘導しながらアメリカを戦争に導いた。ルーズベルトは、共産主義思想にナイーブでソ連は制御可能であると考えており、ソ連のスパイが自分の側近の高官になっていることもまったく意に介さなかった(FBIなどから通報があった)。ソ連が制御できない危険存在で、民主主義的な資本主義とは共存はできないという認識(ジョージ・ケナンの有名な長文の電文)は、大戦後のことで後の祭りだった。

この本は、上記を縦軸とすると、ソビエトのスパイであったホワイトとヒスのルーズベルト政権内で果たした役割を横軸としてアウトラインをスケッチした好著である。歴史修正主義的立場と言ってしまえば簡単だが、正統の歴史叙述というのはどこまで可能なのだろうか。チャーチルが、戦後書いた回想録(ノーベル文学賞をもたらした)は、所詮政治家の自己弁護である。チャーチルの政治的決断は、イギリスの墓穴を掘る決断であって、1946年の米国のフルトンで行った「鉄のカーテン」演説は、敗北宣言であった、と著者はいう。

そもそも、第1次大戦で疲弊したイギリスが、2度目の大戦をする余裕はなかった。評判の悪いチェンバレン前首相(宥和政策)は、もともとドイツ(資本主義)とソ連(共産主義)が戦って共倒れになることを戦略としていたのだ。余計なちょっかいを出して、ドイツと戦う羽目になり(ヒトラーはイギリスと戦うことは考えていなかった)、戦争には勝利はしたもの、国庫は破綻、大英帝国の清算を迫られ、無残な戦後のイギリスをもたらした責任はチャーチルではないのか。

チャーチルのフルトン演説(1946年)が当時のアメリカでは評判が悪かったらしい(ソ連を同盟国として持ち上げていたのが、突然、「悪魔」呼ばわりする豹変ぶりに国民はいかがわしさを感じた)。1947年の「トルーマンドクトリン」は、ルーズベルトによる政策が実質的に破たんしたことを宣言するものだったのだが、国民を欺いたルーズベルトの政策をオープンに糾弾することはできなかった。ちなみに、ヤルタ会談は、開催直後には国民に対して「国連創設が同意された」と発表されたのみで、密約の部分は伏せられていた。国民に公表されたのは10年後の1955年だった(議事録がないため、研究書である)。密約で合意されたほぼすべての条項が、基本的にはスターリンが要求する内容になっているのは、国連創設の承認をルーズベルトがスターリンから得るための譲歩だったらしい。

敗戦後ドイツの占領は、当初「モーゲンそープラン」による過酷な政策により、900万!(本当だろうか)もの人が死んだとされる本がカナダ人の研究者によって書かれた(2007年)らしいが、この原案を作ったのもホワイトだった。歴史の教科書には、マーシャルプランしか出ておらず、「モーゲンソー・プラン」はまったく無視されているという。ドイツを奴隷化する過酷な「モーゲンソー・プラン」を覆したのは、ルーズベルトの前の大統領だったフーバーのドイツの占領政策の惨状に関するレポートによる。結局、マーシャルプランが導入され、ドイツは分割されることになったが、西ドイツとして復活した。これがなければ、ポーランドやチェコなどの他の東欧諸国と同じ運命をドイツがたどった可能性が高い。

日本の敗戦による占領政策も、実は似たような経過をたどったのだが、アメリカの単独占領でトップがマッカーサーだったことにより、ドイツに比べ占領の過酷度は緩やかだったようだ。

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