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2018年9月29日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その85

9月27日(木) 雨

5時半前に目が覚める。スッキリした頭で日記を書く。昨日から気温がぐっと低くなった。10月後半の陽気。

6時半、リビングに降りてリハビリを40分、汗を流す。膝の屈伸の角度と足首に掛ける荷重を徐々に増やし限界の少し手前までいくことを繰り返す(100回)。踝や足の平を動かして円周を描いたり、筋肉や筋が対応できる範囲を増やす。

テレビのニュース:ロンドンに本来なら北極圏に棲む?白イルカがテムズ川に迷い混んで2日目だが元気らしい。

朝食は、石窯パン、納豆、サラミ、レタスに麦茶。

小雨の中、郵便局へ用足しで出掛ける。外は気温は20度に届いていない寒さ。帰りに少々買い物をする。

お昼:五目焼きソバ、栗、カレー・コロッケにコーヒー。

13時から映画「太陽はひとりぼっち」を観る。始めてだ。アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」にあやかって題を付けたのかも知れないが、全く路線が違う。監督がアントニオーニだから頷ける。娯楽映画を期待すれば裏切られること間違いなし。

美男のアラン・ドロンは株式仲買い人で金・女・物欲の充足を追求する俗物を体現する役柄。

美女のモニカ・ヴィッティは不感症なのか男にうぶなのか、男にあまり興味を示さない。冒頭から、婚約者との結婚を破棄するシーンだ。株取引きにのめり込む母(株の暴落で大金を失ってしまう)に同調できず自分は金に興味はないという。婚約者とわかれた後に言い寄って来たドロンにもどっち付かずの態度を取り続ける。しびれを切らしたドロンから問い詰められると、彼女の答は「わからない」。

この映画、セリフがとても少ない。道路を走る車も少ない。殺風景で人気のない街のシーン。よそよそしい登場人物たち。理由はわからないが、キリコの絵を連想した。

主人公はドロンではなくモニカ・ヴィッティだが、小型飛行機で空の遊覧をしたり、アフリカの黒人を真似た躍りをしたり、気晴らしする。翻訳の仕事もしている。ドロンにはどっち付かずの態度だが時折り美しい笑顔を見せたりもする。しかし、何かが起きてドラマとはならない。結局、二人はどうなるのでもなく映画は終わってしまう。

金をめぐる株の売買シーンで人々は狂騒を演じるが、株価の暴落で呆気なく萎む。大金を失った一人の男は鎮静剤を買い、カフェで水をオーダーして飲むのだが、コースターの裏側にメモを残して立ち去る。主人公は一部始終を見ていて最後にメモを覗くと、同じ花の絵をたくさん描いた落書き。

製作は1962年。実存主義哲学がヨーロッパ大陸を席巻している時代思潮を反映したフランス・イタリアの合作。映画はイタリア語バージョンで、ドロンはイタリア語を喋っていた。

とてもクールで人を食った映画だった。

余談だが、「太陽がいっぱい」と「太陽はひとりぼっち」の2曲が入っている(従って、サントラ版ではない)  45回転のドーナツレコードを今も大事に保管している。実家には当時の物が(高校時代まで)かなり整理されないまま押入れの中に残っている。

Taiyou

<おまけ>

Gunman

夕食:鯖の塩焼きと大根・人参の和風煮物を肴に国産赤ワインを飲む。デザートは梨。

大リーグの大谷選手が第22号の決勝ホームランを打つ。

夜、BSで歴史家の磯田道史氏がナビゲーターの「英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け」を見る。1867年12月9日の「王政復古のクーデター」は大政奉還を決断し大きな譲歩をした徳川慶喜が上から明治維新を指導しようとした目論見を否定するクーデターであった。

薩摩藩の大久保と西郷らの目論見とは、徳川勢力とは一切妥協せず、維新後の国家体制から排除することで徹底した中央集権国家を作り上げることが目的だった。

しかし、彼らの考えは少数派だった。実際に有力藩主たちは慶喜を支持していた。それを引っくり返す一か八かの策謀が大久保と西郷によってめぐらされ、慶喜は見事に嵌められたのである。(坂本龍馬が暗殺されたのは、現実的な龍馬は徳川勢力を排除しない慶喜派であったから薩摩によって暗殺された、という根強い説がある)。鳥羽・伏見の戦いで戦力的に優勢な幕府軍は慶喜が途中で逃げ出し無様な負け方をして、政局は薩摩側に味方した。テレビの解説者の一人は、慶喜には禁門の変での大きな犠牲が頭にあった。少数派の革命軍(薩摩)は犠牲を厭わない無慈悲さがあった。革命の帰趨とはそういうものだと。

薩長連合による徳川抜きの明治維新政府が成立した背景には、少数派だが、このような攻撃的で無慈悲な過激さにもとづく策謀と幸運があった。不利な情勢下でも突っ走った薩摩に軍配が上がった。

そして、このような経過をへて誕生した維新政府は以後の日本政府のDNAとなる。ある意味、朝鮮半島から満州、更に、中国本土、東南アジアへと日本が膨脹していく力の源流となり、太平洋戦争でアメリカと戦い排除されるまでその力は奔流となって日本の近代史を形作ったと言える。

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