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2018年9月 7日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その63

9月5日(水) 朝の内雨、曇り時々晴

昨夜は一晩中強い風が吹き荒れた。幸い北関東の地元はそれでも被害が出るほど酷くはなかった。

5時過ぎ、突然の地震で目が覚める。茨城の沖合いが震源地で震度4。結構な揺れだ。台風は去って行ったが、関西国際空港を始め、昨夜は西日本に甚大な爪痕を残した。関空はすぐには復旧しないのではないか。

リハビリを済ませ、朝食は固くなった石窯パンをトーストとしてたっぷりバターを塗って食べる。

父がデイケアに出かけるより早く車で家を出る。雨も風も止んでいた。ハローワークの初回講習だが、一時間ほどで終了。外は薄曇りから日が差し始めた。帰り道、スーパーで買い物をする。

昼:ドライカレーとガーリック・トーストに麦茶。

昼前から気温がグングン上がり、食後は2階の冷房室に避難して、シエスタを貪る。

本の整理をして見つけた小谷野敦氏の「退屈論」を拾い読みする。比較文化論の専門家による評論。以下が読んだ感想:

人生とは文明が進むほど「退屈」との闘いになる。新しい宗教、犯罪、資本制社会のビジネス活動、自由恋愛、麻薬、戦争、贅沢な消費、あらゆる遊び等は、退屈のもととなる余分なエネルギーの排出口であり、退屈から逃れるために、人はそれらにスリル、陶酔、快楽を求めざるを得ない。人間の実存は悲しい。出口なしになると人は引きこもり、最悪は、自殺となる。楽観的実利主義の哲学が生き抜くためのキーワード。

Taikutsu

夕食:山椒の実で煮付けたガジキマグロでビールを飲む。付け合わせは、さやいんげん、冷奴、谷中生姜。仕上げは、鮭茶漬けと笹かま鉾。

BS放送で映画二本立ての夕べを過ごす。

一本目は「狼よさらば」途中から見始める。懐かしのチャールズ・ブロンソンが主演。ダーティ・ハリーとモチーフは同じ。チンピラに妻が暴行され精神をズタズタにされてしまうが、犯人は野放しのまま。怒り爆発のブロンソンが街のチンピラを無差別に挑発し次々と拳銃で殺害していく話。警察はこれにより犯罪発生率が大幅に下がった事実を密かに歓迎する。ブロンソンは犯人として警察に特定されるが逮捕を免れ、他所へ移ることを条件に許される。銃社会アメリカの悲しい現実。

二本目は、インディ・ジョーンズの第4作目。見逃していた映画。さすがにここまで来るとマンネリ化を感じる。第1作のヒロイン(マリオン)が、インディの息子を生んでいた。その息子とインディがペルーで冒険を繰り広げる。スピールバーグ監督のエンターテイメント映画だけにショット一つ一つが行き届いている。ハリウッドのドル箱映画だけある、と言いたいところだが、見た後の印象はいま一つだった。

最近見たインド映画の秀作のほうがよほど新鮮で印象が強い。

佐藤忠男氏の指摘の通り、画面は暴力と破壊とスピードののオンパレードだ。
オリエンタリズム的な描きかたも健在だ。主人公のアメリカ=善、敵のナチスや共産主義=絶対悪、背景となる非西洋世界=野蛮な未開(西洋の導きが必要な対象)、という構図は第1作から全く変わらない。ステレオ・タイプは不滅か。実に映画は自国の「うぬぼれ鏡」だ。真実を何らかで表現するのがアートであるならば、商業主義(娯楽としての面白さ)とどう折り合いをつけるのか。


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