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2018年9月26日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その82

9月24日(月) 曇り

モズの声で目を覚ます。本格的な秋の到来を告げるモズがやって来た。時計を見ると5時半過ぎ。

モズの声を聞いて決まって思い出す俳句がある。

もず鳴いて 秋の日和を 定めけり (正岡子規) 

何故か連想でもう一句:

肩にきて 人なつかしや 赤蜻蛉 (夏目漱石)

晩夏から初秋にかけて自分の季節感をぴったり表現するのがこの2句だ。自分にとって実体験がそのまま句になっている。解釈は一切必要なし。一瞬の悟り。

赤トンボは子供の頃、お盆の時期に父の実家で墓参りに行く途中の山道で群れをなして飛んでいた。じっと立ち止まっていると親しげに!頭の上や肩に止まるのだった。句を反芻するたびにこの記憶が鮮やかに蘇る。

左足のむくみは大分ひいて来ている。外見は普通に歩いているように見えるが、歩く度に左足首周辺には僅かな痛みがある。軋みと言った方がいいだろうか。まだ骨と神経がしっくり調和していない。テレビでニュースを見ながら、左足のストレッチに汗を流す。膝の屈伸も無理しない程度でやり始めた。

石窯パンをトーストとして刻み葱を入れた納豆を乗せた朝食をゆっくり食べてから、部屋の片付けと日課の日記の書き込みに没頭する。そして、気が付けばお昼だ。仕事をしなくても、何かに集中していると時間の経過は本当に速い。

エビピラフのお昼。そして午後の一時はBSでイタリア映画「ニューシネマパラダイス」を観る。2回目だが、1990年前後の頃ビデオで見て以来だ。

見終わって、最後が記憶と違うのでウィキペディアで確認すると劇場版と完全版の二種類があることがわかった。初回に見たのは完全版だった。

完全版では、主人公のトトは、恋人のエレナに駆け落ちの約束をすっぽかされ失意の内に町を離れ、そのまま二人の別れになるのだが、原因はアルフレートによるトトの将来を慮ってエレナに駆け落ちを止めさせたのだった。苦い思い出を抱き続けて30年ぶりにアルフレートの葬式で帰郷したトトはこの事実を初めて知る(エレナはトトの同級生とその後結婚している)ことになる。そして、エレナと再会するのだが、エレナから逢うことはやめようと言われる。今回の劇場版はこれが全てカットされ、トトが兵役で不在中にエレナは音信不通となって行方が分からなくなったままという設定。

「青い目の女は難しい、口説いても一方通行で終るのが関の山だ」、このアルフレートのトトへのアドバイスは映画の中でのジョン・ウェインの台詞らしい。この台詞に従えば、「完全版」より、兵役中に音信不通になってエレナに無慈悲に振られる(女の気まぐれ)今回の劇場公開版のほうがよりふさわしいかも知れない。

改めてこの映画の感想:

トリビアな指摘となるが映画では文字が読めない観衆が登場するが同時代の日本(1950年代)にはまずいなかった。シシリアの初等教育は日本より立ち遅れていた証左か。

映画館や野外上映に人々が集まり一体感を持って一喜一憂するのは日本でも1970年代まではあったと思う。テレビとビデオの普及でこれが消滅してしまった。

主人公の青年トトが故郷を離れたのは、日本でも多くの若者がより良い将来を切り開くため故郷(農村)を離れて上京したのと同じ。この映画は、ある意味、イタリアの戦後の男版「おしん」だろう。日本で公開された時、記録的なヒットとなったのは特に終戦直後生まれの世代(団塊の世代)の共通体験を人々がこの映画に見いだしたからだと思う。大正・昭和一桁世代が「おしん」に見いだしたように。
近代化の荒波の中で俺たちは必死に泳いで頑張って来た。けれど・・・失ったものもある。グローバリゼーション=故郷喪失の悲しみ、失われていくいとおしいものへの挽歌。

理屈はどうあれ、この映画は泣かせる映画だ。最後の帰郷シーンの数々では涙腺が弛み放しになってしまった。

夕食:昨夜に続き豪州牛のサーロインステーキを赤ワインを飲みながら食べる。国産の霜降り牛のような油身と柔かさは望めないが、直火で焼いて適当に油を落とし、胡椒を軽く振ってワサビ醤油で食べると充分に美味い。
歳を考えて、一枚(200g前後)を両親にも分けて6割程度を自分が食べることにしているが、今夜は一枚全てを一人で平らげる。

今日は中秋の名月。夜空を見上げると曇り空でお月様は見えない。残念。去年はYちゃん母娘とお月見をしたことを思い出してラインで連絡。東京は月が出ているようだ。いいなぁ。

夜の読書:「マンと三島ナルシスの愛」(高山秀三著)を読む。

Mishima5

三島由紀夫とは何者か。昨夜は、「トーマス・マンと三島由紀夫」をパラパラ読んだ。9月3日の日記でコリン・ウィルソンの「カリスマへの階段」での三島由紀夫の悲劇の分析を読んで自分なりに整理しようと気になっていた。

著者は私の大学時代(1970年代半ば)の同級生。文学青年で、大学1年次にショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を読んでいた。田舎出の私はドイツ語の勉強と思って一夏かけてトーマス・マンの「トニオ・クレーガー」を辞書を引きながら何とか読み終えたレベルだった。早熟で大人の高山君は親友の間柄ではなかったが喫茶店でコーヒーを飲みながら彼がものした小説(蝉供養)の話を聞いたことを今でもよく覚えている。

折に触れて購入したまま世俗の仕事の忙しさで埃を被るままにしていた本の中の一冊がこの本だ。

芸術創作活動には自らを破滅に導きたいという衝動がどこかにある、という。三島由紀夫が自らの師として私淑したのが森鴎外とトーマス・マン。三島とマンの小説に共通するのは同性愛。

マンが亡くなって20年後(1976年)に公開された日記には同性愛のことが想像以上に赤裸々に語られ関係者は驚きを隠せなかったという。三島もマンも結婚して家庭を持ったが、それは仮面であって内面では自己の否定できない衝動との葛藤と闘った。しかし、同じなのは此処まで。一方は名声に包まれながら晩年を過ごし80数年の長寿を全うしたが、三島は世界を震撼させる切腹事件を起こして40代半ばにしてこの世を去ってしまった。

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