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2018年9月28日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その84

9月26日(水) 曇り

お彼岸(秋分の日)が過ぎてめっきり日が短くなったことに改めて気付く。6月は4時過ぎには明るくなり始めていたが今はようやく5時半頃だ。外は静まり帰っている。早起きのカラスの声が聞こえるだけ。ウグイスの囀りを最後にきいたのは8月上旬だっただろうか。

世間では目下、作曲家の平尾昌晃氏の遺産相続騒動と貴乃花親方の廃業引退騒動のニュースで騒がしい。トランプさんの国連演説をニュースで見たが、内容が余りにアメリカ的だ。国内政治がそのまま国際政治(外交)になっている。まあ、昔からそうだけど。アメリカ人学生の履歴書を読む機会は職務上何度もあったが同じだ。これでもかこれでもかという自己PRに終始した内容なのだ。押し出しの強さには少しウンザリした。国連の会場も白けたような笑いに包まれた(失笑?)。

朝食(石窯パン、サラミと納豆、レタスとトマト)後、病院へリハビリ・トレーニングへ出かけ汗を流した。アキレス腱や爪先立ち、サッカーボールを使った左足の運動のほか、最後は自転車を10分ほど漕いだ。約1時間のトレーニングでいつも以上に汗をかいた。

帰り道、両親の好物の煮付け用の魚(真カレイ)を京成百貨店の食品売場で買う。新鮮で美味しい生の魚はここが一番だ。値段は安くはない。まだ足に不安があるので行かないが、那珂湊のお魚市場にそろそろ足を伸ばそうかと考えている。ここは、地元産のほか日本各地の鮮魚貝類を本当に安く大量に買える。

<1月に買い出しに行った際の写真>

Nakaminato2


Nakaminato1

Nakaminato3

昼食は、百貨店で買ったエビ炒飯を母(父はデイケアー)と分けて食べる。それに栗に麦茶。

昨日に続きマーラー第2番(バーンスタイン指揮)を聞く。日記をつけながらの1時間半。マーラーの音楽は集中して音を追いながら聴かないと良さが半減するようだ。バロックやモーツァルトのように気安く聞けるようなバックグラウンド音楽には向かない。

夕食のビールの肴は、北海道産の生鮭をグリルしてバター・レモンソースを掛けた一品。

最初の職場に勤務していた時、タス通信の東京特派員から有楽町の外人記者クラブのレストランでご馳走になったのが北海道産のサーモン・ステーキだった。冷戦が終了した後の1990年代の話。特派員はレーニンのそっくりさんで、日本語はペラペラ。2002年のサッカーワールドカップでも一緒に仕事をした。同席した同僚とKGB のスパイに違いないと冗談を言い合った。 

小室直樹氏の「三島由紀夫と天皇」を読み続ける。

唯識論とは、アリストテレスの形式論理学で言うところの物事は「存在する」か「存在しない」の二分法を取らない。世界とは、「存在するのでもなく存在しないものでもない」範疇としてある「識」(眼・耳・鼻・舌・意の六識の奥にある第七識としての末那識=自我、さらにその奥にある阿頼耶識=無意識)が織り成す万物流転(実体として存在するのではなく、常に変化のなかにある)の現象である。海を例にとれば、あらやしきは水、その他の識は波、縁となるのが風。

仏教は根本に於いて魂(霊魂)の存在を認めない。輪廻転生する主体は「存在するものでもなく存在しないものでもない」阿頼耶識(あらやしき)である。輪廻転生を引き起こす縁=業(罪障)の本体は意志。「生まれ変わる=輪廻転生」とは「罪の証」のこと。「豊穣の海」四部作は「罪の書」である。

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