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2018年10月31日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その116

10月30日(火)快晴
 
3時前に目覚めて眠れなくなる。明け方まで早朝の読書に耽る。
 
まずは、ステファン・ツヴァイクの旅行記「Auf Reisen」をパラパラめくる。読み始めは最後の「昨日のウィーン」。同氏の自伝的回想録「昨日の世界」は翻訳で昔読んだことがある。この旅行記は、ユダヤ人で、故郷のオーストリアを捨てて亡命生活をしていたツヴァイクがウィーンについての思い出を綴っていて、「昨日の世界」と重なっている。題は「Das Wien von Gerstern」。英語ならThe Vienna of Yesterday。ウィーンの前に定冠詞Theがついている。
 
失われてしまったハプスブルクのウィーンと第一次世界大戦後に復興したウィーン。ヒトラー(リンツ生まれのオーストリア人)のナチス・ドイツに併合されるまでの「あのウィーン」。それは、ヨーロッパを体現する文化。それは、モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、ブルックナー、マーラーであり、ヨハン・ストラウスでありハイドンらの音楽の伝統である。そして、世紀末様式の建築でありクリムトたちの絵画であある。いまはもうない「あのウィーン」。放浪のユダヤ人にとっては、ウィーンは旅先の一つとなってしまった。
 
Zweig
 
The Eitingons」を読み続ける。スペイン内戦でのソ連の関与の暗黒面とは、ジョージ・オーウェルも厳しく非難した、アナーキスト系のPOUM(マルクス主義統一労働党)をトロツキー派として弾圧したこと。モスクワのおひざ元では「モスクワ裁判」というショウ的な見世物のなかでスターリンの粛清劇が進行していた(スターリンの地位を脅かすとされた赤軍のエースであるトハチェスキー元帥も銃殺刑となる)が、スペインでは、裁判すらない凄惨な処刑劇が繰り広げられたという(左翼同士の内ゲバ)。
 
6時過ぎ起床、日記をつける。近くの柿木からモズが高鳴いている。
7時前、居間におりてリハビリを半分やって、朝食(塩鮭と納豆とみそ汁とご飯)を食べ、一休みして残り半分のリハビリを継続する。8時半過ぎ、ハローワークへ出かける。失業手当給付を受けるたえの就業活動だ。40分で終了。帰り道、京成百貨店に寄り道して、ブリと大根を購入する。ブリの値段がだいぶ安くなってきた。ぶり大根が食べたくなった。
 
父の血圧が昨日のデイケア先で高く、入浴ができなかったという。それで、ということなのか、ケアマネージャーさんが今日は父の在宅ケア方様子を見に来た。排便やらいろいろ
あって、最後に血圧を測ると下がっていたので一安心。
 
昼食(スパげてっぃナポリタンとコーヒーにミカン)を食べて、日課となった午後の釣りに出かける。昨日と同じ場所だ。現場について見ると二人の釣り師が護岸の両側を占領していた。仕方なく、真ん中付近に釣り座を構えた。が、ここは根掛かりする場所だった。
 
Tsuriba2
 
仕掛けを2つロスしてしまう。下流側の人は昨日話しかけてきた人。見ている前で2尾イシモチを釣り上げた。上流側の人は50㌢のフッコを釣り上げた。自分はトラブルが続き、さらに、アタリがあった直後ハリス切れというさらなるトラブルでツキに見放された感じだった。それでも、20㌢をかろうじて超えるセイゴを4尾釣り上げて16時前に家路につくことが出来た。
 
釣果 セイゴ4尾(21㌢~23㌢))
Seigo_4bi
 
夕食は、ブリ大根でご飯を食べる。食前に、ガーリックトーストを作り、赤ワインを飲みながらサラミと一緒に食べる。
 
居間で日本シリーズ第三戦(広島対ソフトバンク)を見るが途中で眠くなり早々と2階のベッドに上がる。よく考えれば今朝は3時起きだった。

2018年10月30日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その115

10月29日(月)  快晴
 
5時半の目覚め。
 
「The Eitingons」を読み続ける。スペイン内戦の章の続き。NKVD(内務人民委員部)の秘密工作と暗躍ついて。
 
ソ連は、スペインにおいて二つの敵がいた。フランコ将軍とナショナリスト(ファシスト)が一つ。もう一つは、トロッキスト、半スターリン主義者。後にアメリカに亡命するAlexander Orloveの下でエイティンゴンは活躍する。ヘミングウェイの当時のベストセラー小説「誰が為に鐘は鳴る」は、フランコ軍に対するゲリラ戦を描いていた。敵内で鉄道や橋の破壊、サボタージュなどの工作を行った。エイティンゴンはそれに深く関わった。実際にヘミングウェイはヴァレンシア近くのゲリラ戦のトレーニングキャンプに招待され見学したらしい。
 
今朝もモズの高鳴きを聞こえる。リハビリを半分やって、朝食(石窯パン、サラミ、サニーレタス、クロワッサン、牛乳)を食べる。いつものように2階に上がり日記を書き、父がデイケアーに出かけた直後、私学共済の保険料と板橋区役所の住民税(昨年の所得に対する)を支払いに出かける。序でに、スーパーで野菜類(春菊、柿、リンゴなど)を購入して帰宅。
 
早めの昼食(巻きずしとバナナ)を食べて、日課となった午後の釣りに出かける。弟と来週の火曜日の釣り場所をどこにする、今日は新しい場所、静かにのんびりと釣りができる場所の偵察に出かけることに。那珂川河口から上流に約2キロくらいだろうか。常陸那珂側の護岸が整備されたところにやって来た。以前、一度だけ竿を出して30㌢のセイゴを釣ったところだ。
 
Nagagawakakou_2
 
釣り人が一人。話しかけるとハゼを狙っているがアタリがほとんどないという。小さいのを1尾だけつっただけと浮かない様子。
 
上流側の一番端に釣り座を構えた。時計は13時前。中潮で潮は微妙に下流に流れているがすぐ上げ潮に転じるはずだ。第一投で下流側の竿に12㌢のハゼが釣れた。しかし、その後は静かに経過する。時折アタリはあるが、針掛かりしない。たぶん、木っ端セイゴだろう。余りにも暇なので竿を一本増やした。5.4㍍の磯竿だが、上から50㌢のところが少し折れていて自分で補強したものだ。やわらかい竿で25㌢~30㌢のセイゴ釣りの引きを楽しむためだ。本当は良型のブルブルブルッとくるアタリを楽しみたいのだが、どうも無理のようだ。
 
14時過ぎから川が上流に流れるようになった。そろそろ来るのじゃなかろうか。初老の(私もそうだが私より明らかに年配)の釣り師がやってきた。「全然駄目ですよ」とぼやき入れて回答した直後、下流側の竿に反応が。木っ端セイゴからも知れないが、竿先が連打される。合わせを入れるとそれなりに重い。まずまずのサイズの魚が来たようだ。セイゴだろうと思って護岸に引き上げてよく見るとイシモチ(ニベ)ではないか。こんなところでイシモチが釣れる!びっくりした。これを見た釣り師も少し下流で竿をすぐに出し始めた。
 
イシモチは群れで行動するからバタバタ釣れるかなと期待が高まる。直後、真ん中の竿がガタガタ音を立ててずれ動くほどの大きなアタリ。来たぁ、と竿を合わせると軽い。ハリスを切られてしまった。ハゼ狙いの6号針、ハリスが1号で失敗した。即座に12号の丸セイゴ針(ハリスは2号)に交換した。すると、10分ほどして大きなアタリ。2尾目のイシモチが釣れた。それから、20㌢くらいのセイゴが来て、15時過ぎ、下流側の竿にあたイシモチが来た。そしてアタリが止まった。川の流れも止まった。餌も尽きた。15時半、納竿。
 
釣果 イシモチ3尾(25㌢、23㌢、22㌢)セイゴ(20㌢)
Shimochi_3bi
 
満足して16時過ぎに帰宅。休憩して、夕食の準備。昨日釣ったセイゴのグリル(塩焼き)とキノコ炒めの一品を作る。
 
東京のYちゃんのお母さんからラインの連絡。明日は学校でハロウィンパーティがあるらしく、Yちゃんのの仮装姿の写真が添付されていた。
 
インドネシアのLCCが墜落。200名近い犠牲者。そういえば、安倍首相が中国にでかけて習近平国家主席と会談したのは昨日だったか。米中の新冷戦が始まり、中国は日本をあまり敵に回したくないらしい。毎日、釣りに没頭して世事に背中を向ける日々。世捨て人ではないのだが。
 
弟に来週火曜日の釣りは本日下見した場所でのんびり釣ろうと提案。当日は大潮。9時前が干潮だから、9時半過ぎから満潮の15時ごろまで。OKの回答あり。弟とは2008年の6月に久慈川河口にイシモチ釣りに出かけて以来だ。

2018年10月29日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その114

10月28日(日) 快晴
 
5時半に目が覚める。
 
「The Eitingons」を読み続ける。22章「女歌手」の残りと23章「スペイン」の最初の三分の一。
レオニド・エイティンゴンがスペイン市民戦争(内乱)で暗躍したらしい。バレンシアに著者は取材で足を運んでいるが、市場で売られているものに唖然としている。それは、羊の頭、鶏のお腹から直接取り出した卵、豚や牛の蹄、血の豆腐、鶏の鶏冠、牛の胃袋、脳髄膜な
ど。どうってことないと思うのだが(アムステルダムの市場では、皮を剥かれたウサギが吊るされていた)ユダヤ系のイギリス人でしかも女性だからだろうか、ゲンナリするらしい。
 
読んでいると、例によってモズの高鳴きが聞こえる。7月一杯はウグイスだったが、今はモズだ。もうそろそろ、ジョウビタキがやってくるだろう。
 
6時半過ぎまでベッドで読みふけり、一階に降りる。リハビリと朝食(石窯パン、牛乳、納豆、ミカン)、そして、2階で日記を書いてゆっくりする。体が張っている。昨日の阿字ヶ浦での遠投の影響だ。左足よりも、肩、腰、背筋。
 
花火が鳴った。日曜日の今日は地元ではフルマラソンの大会が開催中だ。
阿字ヶ浦の釣果(イシモチ、イシガレイ、シロギス)をラインで弟に送ったら、11月6日(火)の休み(弟は銀行から出向して鹿嶋にあるビジネスホテルの支配人)が取れるので一緒に
釣りに行こうとの連絡があった。釣る場所と時間を研究して決める旨、返信する。わざわざ
来てもらってボウズでは様にならない。
お昼:エビピラフとコーヒー。
 
午後:日課の釣りに出かける。今日は那珂川の河川敷。上げ潮の2時間半だ。
 
到着時直後の護岸:
 
Agehajime
 
 
15時過ぎの護岸:
 
Mancho
 
一昨日よりはアタリは多かったが、サイズが小さい。8尾釣ったが、5尾は20㌢未満でリリース。持ち帰りは3尾(26㌢、21㌢、20㌢)。
 
Seigo_3
 
ハゼが全然釣れない。船着き場の漁師さんによれば、「11月になれば多少は釣れるだろう」、とのこと。そして、「ハゼはここよりもっと下流の三反田あたりがいい」と。漁師さん、イシモチ釣りが好きらしい。今年は35年来の不出来。こんなに釣れない年はなかったという。餌はサンマの切り身を使う。30㌢級の良型が釣れるという(私も知っていることだが)。明日は三反田方面でハゼを狙ってみるか…。車を止める場所に苦労するのだが。
 
夕食:こってりと山椒を効かせて煮付けたイシガレイで軽めの赤ワインを飲む。
 
Karei
 
 
夜:昨夜の続きの「大河のうた」を見る。アプは、母の叔父の世話でヒンズー僧の見習いをしながら、小学校に通う。向学心が強く、頭角を現し、県の試験で次席を取り、校長先生に奨学金付きの大学進学を勧められる。反対する母親(ヒンズー僧になって家計を稼ぎ母の面倒を見る)を押し切って(母は息子にビンタをする最後は折れて息子の大学進学を許す)カルカッタへ行く。校長先生の紹介で印刷会社のオーナー宅に住み込みで働きながら大学に通う。
 
この映画では電車(蒸気機関車)が近代化の波の象徴としてしばしば登場する。第一作でも姉とアプは蒸気機関車を見に出かけるシーンがある。この映画でも、アプが田舎からカルカッタへ上京するシーンが何度も出てくるし、一人になった寂しい母がひたすら息子を思い帰郷を待ち焦がれるシーンで遠景に蒸気機関車が登場する。
都会の大学生活に魅せられたアプは田舎の母のもとへの足が遠のく。母の苦悩、そして病。息子の帰郷の際にそれを言い出そうとして口をつぐんでしまう。休暇の時期も試験の準備があるといって帰郷しなかったアプに手紙が届く。母が病に倒れたと。戻ったアプを待っていたのは母の死。世話になった叔父に葬式をしてヒンズー僧の職につくことを勧められる(=学業放棄)、本人は葬式もせずに(カルカッタで自分ですると言って)、カルカッタに戻っていく。
 
第一作はインドで大評判になったが、この第二作での母と息子の描き方がインドの社会通念に反するということで不評だったらしい。海外での受け止め方は好評でヴェニス映画祭では、黒澤明の「蜘蛛の城」と賞を競って、サタジット・レイ監督のこの映画が金獅子賞を受賞した。
 

2018年10月28日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その113

10月27日(土)雨、後曇り、時々晴れ
 
4時過ぎに目が覚める。「The Eitingons」を読み続ける。20章の「友人たち」の途中から、21章「パレスチナ」と22章の「女性歌手」の途中まで。
 
ウィーンのフロイトの実質的パトロンにしてベルリンで精神分析クリニックの所長をしていたマックス・エイティンゴンは、ニューヨークの毛皮王であるモッティ・エイティンゴンと祖父を同じくする。この本の著者は、3人目のエイティンゴンの家系に繋がる人で、ソ連のthe London Review of Booksの編集者で、秘密工作員レオニド(ナウム)・エイティンゴンの祖父ボリスの孫にあたる。そして、この祖父のボリスとニューヨークの毛皮大富豪モッティとは血を分けた兄弟なのである。さらに、モッティは、精神分析医のマックスの父カイムの娘(マックスの妹)と結婚して毛皮取引等の国際ビジネスを引き継いでいる。毛皮取引商社の当主カイムは、息子のマックス(精神分析にのめり込み、音楽や芸術を愛するディレッタント)より、娘婿のモッティに将来を託したということだろう。
 
エイティンゴン一族の富の膨大さは図り知れない。しかし、ニューヨークのモッティ・エイティンゴンが当主となる毛皮取引きが1929年の株式大暴落以来の大不況から次第に傾いていく。ビジネスの拠点は、ロンドン、ポーランドのLODZ、ドイツのライプチヒ、そしてニューヨーク。高級毛皮の需要は落ち込む一方、軍需関連の服は大きな需要を伸ばすがエイティンゴンの守備範囲ではない。
 
ベルリンのマックスは、金銭的に苦しむというか節約する生活を迫られたようで、ヒトラーが政権の座に就き、全権委任法が成立してヒトラーの独裁が始まり、ユダヤ人迫害が始まったことを契機に、パレスチナに移る。が、イスラエル移住後も欧州には頻繁に旅行をしていた。パリの滞在先はジョルジュ・サンク。金銭に不如意とは程遠い。このパリ滞在に関連して、スキャンダラスな事件が起きる。直接巻き込まれたわけではないが、事件に関わる人物として名前が挙がるのである。
 
事件とは、パリを拠点に活動していたというか担がれていた亡命ロシア人で白軍(皇帝派)のミレル将軍が行方不明となる。拉致され、ソ連で殺されたことが後に判明する。マックスは、芸術家のパトロンであり、その一人でもあったパリ在住のロシア人の歌手プレビツカヤは、ロシア民謡を歌う国民的な歌手であると同時に、実はソ連秘密警察のエージェントでもあった。ミレル将軍はプレビツカヤの夫スコブリンが設定した会合に出かけたまま行方不明になったのである。スコブリンは内戦(スペイン市民戦争)のスペインに逃走、フランス政府が身柄引き渡しを要求するもスペイン共和国政府は断る。プレビツカヤやフランスの法で裁かれ、20年の禁固刑。1940年に獄中で死亡している。著者は、明確に証明できていないが、ここに、3人目のレオニド・エイティンゴンの介在、そして、叔父のマックスのソ連秘密警察との関わりに想像を膨らませている
 
6時半過ぎ、1階のリビングでリハビリ、7時過ぎ、キッチンで朝食の用意。両親のおかず、大型アジのグリルを作る。昨夜食べて、おいしかったものの再現。自分は納豆、笹かまぼこにご飯少々。皿洗いの片づけ。休憩。2階で日記書き。9時過ぎ父はデイケアーに出かける。休憩しながら、釣り道具いじりなどに没頭する。
 
午前中は、母の使いで買い物に出かける(介護用のオムツと食材)。ついでに、上州屋に出かけてPEラインの1号(2600円!)を奮発して買う。
 
お昼は、スーパーで購入した巻きずし。
 
午後は、迷ったが、阿字ヶ浦海岸に足を運んだ。2時間、新しいPEラインを巻いたリールを使って遠投をしながら魚を探ったが、何も釣れずがっかり。昨日釣れたから今日釣れるとは限らない好例だ。しかし、PE1号で錘25号だと、普通に4色(100㍍)は投げられることが分かった(今までは、1.5号か1.2号を使用)。体調が万全で練習をすれば、5色は投げられそうだ。それ以上となるとたぶん無理だろう。その場合は、糸を0.8号にする必要がありそうだ。
 
栃木から下見にやってきたという釣り師と立ち話をする。よく阿字ヶ浦に通っているらしいが、「ここは数は出ないがシロギスのサイズがいいこと」、「20㌢越えが結構でるとのこと」、この海岸一帯はいたるところに根があるので気を付けたほうがよいこと」、「私が選んでいるところは砂地で左右150㍍位の幅は大丈夫だが、その先は100㍍を超える遠投をすると根掛かりするらしい」、ことなど。二人で話に興じていると、ヒラメ狙いのルアー氏が何と、大きなタコを釣り上げた。この時期タコが釣れるのだ。私も3年前にゴミが釣れたかと思ったほど重いものをリールで巻き上げてミズダコを釣ったことを思い出した(2015年の11月、那珂湊漁港)。栃木の釣り師は、明日の午前中にここで本番をやります、と帰っていった。
16時過ぎ、帰宅。休憩して夕食の準備をする。父のために昨日釣ったイシモチ(ニベ)の塩焼きを作った。28㌢と大型でうまく焼かないと火が通らないでの私の仕事である。
 
Shimochiyaki
 
夜、インド映画「大河のうた」を見る。サタジット・レイ監督の三部作の第二作。第一作がとても良かったので(今更だが、外国の人が、小津安二郎の映画を観ているうようなものか)、第二作と三作をアマゾンで注文したのだ。第一作は、娘を病気で失った悲しみに沈むアプの一家は田舎を捨てて都会へ出るところ、それも、牛車!で終わった。第2作の舞台は都会のベナレスで生活をしている情景から始まる。
 
Photo
 
貧しい生活に変化はない。マッチに火がつかなくてアプに2階の人にマッチを2本!貰いにやる母親の苦悩。父親がガンジス河で沐浴するシーン。狭い路地を走り回って近所の子と遊ぶアプのシーン。水道にやってくる猿と毛嫌いする母親。そんなある日のこと、父親が熱を出して帰宅する。医者を呼ばず自分が煎じた薬を飲む。翌日、父はもう大丈夫と沐浴のためにガンジス川に出かけた帰りにまた倒れてしまう。医者を呼んでみたものの、その翌朝、衰弱した夫を見て妻は悟ったのか、アプにガンジス河の水を汲んで来させ、聖水の川の水を夫に飲ませると息絶えてしまった。母と息子の二人になってしまったアブ一家。母は、富豪?の家政婦住み込みのオファーを受けてベナレスを息子と離れるために列車に乗る。
 
と、ここで眠くなってしまい、続きはまた明日に観ることに。2時間のサーフでの遠投で疲れたのであろう。左足は快方しているが、腰や肩に張りが出ている。左足首を無意識にかばっているのだろうか、右膝にも負担がかかっていて痛みではないが微妙な負担が
感じられる。
 

2018年10月27日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その112

10月26日(金) 晴
 
久しぶりに夢を見る。ドイツのケルンだかどこかで友人達とはぐれてしまう話。みなと一旦別れて、単独行動する自分。電車て一駅のり、降りるさいに改札機でトラブルが。後ろの女性が親切に助けてくれるが、それでももたもたしてしまう。何とか出られるが、後ろの女性は「ああ間に合わない」、と口走りながら先に走っていく。自分が乗った、一時間後で仲間と待ち合わせた街の駅だ。駅の改札をでたはずだが、そこはいろいろな路線が立体交差して列車が出たり入ったりしている。なにをするでもなく、時間がたち待ち合わせ場所に戻ろうとするがどの電車にのったらいいのか、わからない。駅員に尋ねようと話しかける。「どちらにお出でで?」と聞かれ、駅名が分からない。あれっ!自分がいるところはどこだっけ?それも分からない。タクシーを拾うにも、行き先すら告げらない。駅のような施設なのかをさ迷い続ける自分。日本人女性の一団が楽しそうに食事をしているのが眼に入る。目的地の隣駅の名前だけでも何とか思い出そうと駅の電光発着案内をさがしたりして約束の待ち合わせ時間がどんどん迫る。ああ、どうしようと、もがいていると、ハッと目が覚めた。
 
時計は5時半だ。外はまだ薄暗い。
 
一時間ほど「The Eitingons」を読んでいると、いつものモズの高鳴きが聞こえて来た。6時半過ぎ、リビングへ降りてリハビリ。キッチンで、両親にアジのグリルを作る。自分は、納豆、石窯パンのトースト、ミルクの朝食をとる。
 
朝食の片づけ(皿洗い)、生ごみ袋3つをゴミ収集場所に置きに行く。2階で日記を書き終わって、父がデイケアに出かけた直後の9時半、車で家を出る。上州屋で青イソメを購入して向かうは阿字ヶ浦海岸のサーフ。二日前の20㌢越えのシロギスが忘れられなくて・・・・。
 
到着すると海が荒れていた。常磐の海は荒い。釣り人が左手に一人見える。早速、継竿を準備して、3本針に餌をつけてソレーっと遠投するが、第一投は80㍍しか飛ばなかった。いわゆる3色。そして、サビいて仕掛けを回収すると仕掛けがぐちゃぐちゃに絡まっていた。3本針は無理と判断して2本バリに変更する。針は7号、ハリスは1.5号。シロギス狙いだが、ここは、イシモチやイシガレイも釣れるというから万が一のためにハリスは1.5号にした。ハゼ釣りで外道にセイゴが来ても対応できるように1.5号のハリスにするのと同じだ。今回はこれが結果的に良かった。
Ajigaura2
 
最初の一時間はまったくアタリなし。後で、潮見表を確認したら、干潮が10時半過ぎだ。釣り始めが10時過ぎだから、最初の1時間は干潮潮どまりを挟んだ時間だった。25号の錘を投げるのは結構重労働だなぁ、と思いながら場所を移した直後、4色(100㍍)ほど投げてサビキ始めた直後ガリガリッと獲物が餌に食いつく反応があった。しかし、針掛かりはしない。餌をつけてもう一度投げて、ふたたび少しずつサビキ始めると、再びガリガリガリッ~とアタリが来いた。合わせを入れてリールを巻くとずっしり重い。シロギスではない。打ち寄せる波から姿を現したのは25㌢越えのイシモチ(ニベ)だった。やったぁ!
Ishimochi
 
上針りを飲み込まれてハリス切れした。今が潮時だからと一本張りで青イソメの一本掛けで遠投。サビキ始めるとまた途中でアタリが。しかし、ガリガリガリッ~ではない。フグでもない。シロキスだともっと明確なアタリなのだが・・・半信半疑で糸を巻くと15㌢越えのシロギス
だった。
 
時計を見るともう11時45分。そろそろ帰る時間だ。しかし、釣れ始めたのだからと、家に電話。12時半までやって13時過ぎに戻ると伝えて釣りを継続。いつの間にか、右手のほうでは釣り人が二人竿を出している。左手の釣り師は大分前に帰っている。しかし、しかしその後はなかなかアタリが来ない。これで最後と餌をたっぷりつけて(太目の青イソメをチョンがけ)遠投してサビいていると、アタリが来た。ガリガリガリッでもココココーンでもない。リールを巻き始めると軽い。ダメか、と思ったら途中からずっしりと重くなった。波打ち際ですごい抵抗。波際あら現れ出でたのは平べったい魚。おお、カレイだ。よく見るとイシガレイだぁ。35㌢前後のグッドサイズ。
Ishigarei
 
ここで、納竿とした。最後の最後にまたドラマが待っていた。1.5号のハリスで良かった。イシモチもイシガレイも針は12号はほしいところだ。しかし、狙いはシロギス。イシモチとカレイは外道だ。こういう釣り方も可だ。幸い、前回悩まされたクサフグの猛攻はなく仕掛けもロスは最初の一投の3本針仕掛けとイシモチに切られた2本バリ仕掛けだけ。イシガレイだが、2本バリいずれも飲み込んでいたが仕掛けはちゃんと回収できた。
 
安全運転で車を飛ばしたが心はルンルンと弾んだ。久しぶりに心躍る釣りだった。しばらくは阿字ヶ浦に通うことになりそうだ。
 
家の戻ると両親が心配していた。なかなか帰ってこない。5月にケガして以来、私は半人前らしい。釣りに没頭していると時間が経つのを忘れてしまう。「釣りの魔力」という奴だ。しかし、ケガで懲りて、イシガレイを釣ったところで納竿した。ケガがなかったら、おそらく、満潮の15時まで釣り続けただろう・・・・・。
釣果(イシガレイ33㌢、ニベ28㌢、シロギス16㌢)
Chouka2
 
五目チャーハンとコーヒーの昼食を食べ、デザートはアイスクリーム。
 
魚の下ごしらえ(内臓を取る)をして、釣り具を片付けたりしていると15時になってしまった。さすがに、疲れが来た。2階のベッドに入りすこしうとうとする。
 
夕食は、アジのグリルにオリーブオイルを掛け、レモンを絞って白ワインを飲む。仕上げは、新宿中村屋のチキンカレー。デザートはリンゴ。
 
2時間半、遠投竿で25号の錘を投げ続けたのか、腰や肩が張っている。歳もあるけれど5月から半年近い療養生活で、足は別として体は訛っているようだ。釣りは絶好のリハビリだ。
 
弟に本日の釣果をラインで連絡。11月に一緒に釣りに行こうと約束をしているが、ハゼに
するかシロギスにするか、迷うところだ。ハゼなら、那珂川河口の少し上流の深場に溜まっているのでそれを狙うことになるだろうか。
 
そんな、こんな、と思いをめぐらしていると、2008年に釣りを再開したときに購入した本を思い出して読み返す。よくできた本である。少年時代の釣りは、母の実家の久慈川でのヤマベ釣りやフナ釣り、父に連れられて涸沼の船で釣ったハゼはセイゴやボラ。海釣りは50歳を過ぎてから始めたものだ。
Turinyuumon
 

2018年10月26日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その111

10月25日(木) 晴

5時半に熟睡から目が覚める。頭はすっきり、気分はいい。
 
日課となった「The Eitingons」を読み続ける。第20章、毛皮のディーリング(主として高級なテンの毛皮)でソ連政府公認のインポーターとして成功したMottyの交友。Franz Hoellering(フランツ・へらリング)が登場する。知らない人だがWikipediaで調べるとドイツ語で概略が読める。世の中、ほんとに便利だ。昔だったら、簡単にギブアップだ。ブリタニカ百科事典が手元にあるわけはないし、大きな図書館にいくにはここは田舎過ぎる。
 
この人はドイツのベルリンからアメリカに亡命(ヒトラーの政権掌握後)したが、ウルシュタイン社(ユダヤ系の出版社)で新聞の編集主幹で、前任者はあのアーサー・ケストラーである。アメリカに亡命したソ連のクリビツキーによれば、フランツ・へラリングはソ連の秘密警察OGPUのエージェント(スパイ)。もとコミュニストで反共に転向したウィタカー・チェンバースも同じ指摘をしている。Mottyはへラリンにいろいろと便宜を図ったパトロンである。
 
このユダヤの大富豪は、資本家であると同時に共産主義者とは言わないが非常に社会主義的であり、二つが矛盾することなく同居している。国家に所属するというよりユダヤ的な生き方からすれば当然のことなのかも知れない。
 
朝のリハビリと朝食(石窯パン、牛乳、リンゴ)後、2階で日記を書き、職務経歴書に手を入れていると11時半。。
 
早めの昼食(スパゲティナポリタンとコーヒー)を食べて、午後の日課に出かける。那珂川の河川敷へ。約12時半から15時までの2時間半。アタリは遠く、たまに小さなアタリが来るが針掛かりしない。餌が食いちぎられる。食いが浅いのか、それともセイゴではなくハゼか針掛かりしない。14時半過ぎ、小さなアタリが連続する。竿に合わせを入れてみるとずっしりと重い。右に左に走りながらファイトする。一気に護岸に引っこ抜くが、ハリス切れで護岸の土手に落ちるが何とか確保。目測35㌢弱のまずまずのサイズ。その後、2度アタリがあったが餌を食われただけで納竿。
 
あまりに暇な釣りだったので、自然観察に興じた。
 
<ヤマトシジミ>
Chou_2
 
<アキアカネ>
Akatonbo
 
<オナモミ>
Togetoge
 
 
釣果 セイゴ33㌢一尾
Seigo11
 
セイゴの食いが落ちた原因だが、朝夕の気温が下がってきて、川の水が大分澄んできたからではないだろうか。夜釣りなら相当釣れるような気がする。涸沼川での経験では、寒くなるって水が澄んでくると日中は全然川から反応がないのに、陽が落ちた途端にバタバタと釣れだすのだ。12月になってからの話で今はまだ10月後半ばのだが・・・・。
 
夕食:アジのグリルを食す。一昨日、那珂湊漁港で五尾で500円で購入した大型アジ。
30㌢を超える大型アジ1尾を半分に切る。尻尾の部分はそのまま両面を焼く。胸の部分は開いて火を通りやすくする。焼きあがったら、お酒を振り、レモンを絞り食べる。シンプルだが、ベストの食べ方だろう。バターソースをかけてもよし、オリーブオイルをかけてもよろしい。
 
夜、2階で釣り道具いじりをする。久しぶりだ。釣りは開始したがあくまでもリハビリの一環だ。足場の悪い護岸、堤防はまだ恐ろしい。今通っている那珂川河川敷か、おととい足を延ばした阿字ヶ浦のサーフのいずれかであれば、それなりに安心して釣りができる。狙いは、セイゴ、ハゼ、シロギス、イシモチ、カレイ(これから冬場)、アイナメということになるだろうか。ブッコミ釣り(投げて置き竿で待つ)か、サーフから本格的な遠投してサビキながら攻めの釣りをするか。いろいろな思いが脳裏を駆け巡る。仕掛けを確認したり、ブッコミ用の
リールに新しいナイロン糸を巻いたりしていると21時になる。
 
ベッドに潜り込んで本を手にしたが、すぐに眠くなってしまった。
 

2018年10月25日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その110

10月24日(水) 晴

5時過ぎに目が覚める。外はまだ暗い。
「The Eingingons」を読み続ける。Max Eitingon(フロイトの実質的パトロン)、Motty Eitingon(ニューヨークをベースに毛皮取引きで巨万の富を気付いた大富豪)と Leonid(Naum) Eitingon(ソビエト秘密警察のエージェント)の3人が出揃ったが、エイティンゴン一族の活躍はユダヤ人の典型だ。ロシア系だが、ライプチヒ、ウィーン、ベルリン、ロンドン、ニューヨーク。Maxは13の言語を操ったという。アメリカの哲学者リチャード・ローティーや、ポーランド系ユダヤ人のアイザイア・ベルリン(政治哲学者)やアーサー・ケストラーや、エドモンド・ウィルソンや次々とエイティンゴン一族が綾なす物語に交錯するように登場する。第3部207ページまで読み進む。富の絶頂にあった毛皮ディーラーのMottyの凋落の始まり。ソ連政府との毛皮取引きにからむ疑惑。FBIから目を付けられる。組合運動、共産主義シンパ。芸術のパトロン。
外では今朝もモズの高鳴きが聞こえるて来た。6時半、居間に降りてリハビリをたっぷり40分。
朝食は、塩鮭と納豆に白いご飯。
2階で日記を書き、昨日の続きで職務経歴書のチェックをする。前回に書いたのが2012年。6年ぶりだが、今読むと余計なことは冗長な部分がある。コンパクトに簡素にまとめなおす
ことに没頭する。気が付けば11時半前。車で出かける。今日は、阿字ヶ浦海岸でシロギスを狙って見ることにする。12時前に、現場に到着。
Ajigaura1

弟譲りの年季の入った本格的な投げ竿を持参。
Nagezao

錘25号。PEライン1.2号。キス用の3本針の仕掛けをセットして、青イソメ(細いやつ)をつけて第一投。90㍍まではいかないが、まあまあだ。満潮まで3時間。サビキながらリールを巻いてくると、途中でアタリが。しかしこれは奴(ふぐ)のアタリだ。いやな予感。早めにリールを巻く。また、フグらしきあたり。リールを巻き始めると重い。20㌢を超えるフグが釣れた。しかも、一本の針はきれいに無くなっている。フグの鋭い歯で食いちぎられたのだ。
Fugu_2

少しずつ位置を変えて探る。1時間ほどしてリールを巻いていると、コココーン、とあの懐かしいシロギスのアタリが来た。ここで合わせてはいけない。我慢して、さらに糸を手前にゆっくりサビく。また、コココーンと反応がある。我慢しきれずにリールを巻く。砂浜に現れ出たのは20㌢を超える良型の美しいシロギスの姿。おまけに、メゴチならぬサビハゼも一緒に釣れていた。
Shirogisu2_2

これで、俄然やる気になったのだが、後が続かなかった。ことごとくフグ、フグ、フグ。仕掛けも5本ダメにされてしまった。14時過ぎ、タイムアップ。満潮手前であと2時間くらいやりたいが、どうもこの調子では、エサと仕掛けをフグに献上するだけと判断。家路についた。
<23.5㌢のシロギス(過去最高記録)>
 
Shirogisu1


夕食は、豚のシャブシャブ、セイゴの塩焼き、赤ワイン、ご飯少々。デザートに梨。
 
食後は、昨夜の続き、インド映画「ラガーン」の後半、クリケットの試合を見る。3日がかりの試合である。チームは11人。サッカーのイレブンと同じ。攻撃と守りで先攻と後攻があるが1イニングだけだ。11人がアウトになるまでか、規定投球数が終わるまで攻め続ける。

鉄のような重そうなボールを、ピッチャーが投げるが手首は使えない。バッターは360度どこへでも打てる。スタンド入りは6点。ゴロでフェンスならぬボーダーラインを越えたら4点。投げたボールを打たなくてもいいが、バッターの後ろのウィケットにボールがあたると?バッターアウト。アウトはほかにもあるようだがよく理解できなかった。

ウィケットが二つあって、バッターは常時2名がそれぞれのウィケットの前に立つが、打つのはキャッチャーがいる側。ボールを打つと二つのウィケットの間を二人のバッターが交互に行ったり来たりして点数が加算される。理解度は6割といったところ。野球と同じでルールは複雑。野球の隠し玉みたいなトリックでインドチームの一人がアウトになる場面も。
インドの映画は予定調和のハッピーエンド。先攻でイギリス側が上げた300数十点をインド側が最後の最後に逆転する。狂喜乱舞。メデタシ、メデタシ。この映画は2001年製作で大ヒットしたらしい。クリケットがテーマでもあり、70分近くが試合の場面。長らく、クリケットには興味があってもルールがわからず敬遠してきたが、心のどこかに理解したいという思いがあった。まだ、霧が完全に晴れたわけではないが、かなり今回の映画で啓蒙されたようだ。

それにしても、インド映画は長い。今回も3時間半を超える超大作。歌と踊り、恋(インド人とイギリス人の二人から慕われる主人公)あり、インドチームのメンバーの多彩さ(イスラム教徒のイスマイルや、不可触賤民で左手が不自由故にスピンボールを投げて活躍)、クリケットゲームそのものにに魅せられてしまった。ちなみに、インドでは、日本のアニメが大ヒットした。「巨人の星」のインド版である。もちろん、野球ではなくクリケット。未見だが見てみたいものだ。
 
今日は昨日とうってかわってポカポカ陽気。二階に上がると最近見かけなかったゴキブリに遭遇。大いに慌てる。昆虫好きの時分だが、ゴキブリばかりは。まだ小さい子供だ。ヨタヨタしている一匹は退治して葬った。ネットサーフィンをしていると、ブーンと蚊が飛んでくる。夏に逆戻りではないが、ベープマットをつけて就寝。
 

2018年10月24日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その109

10月23日(火) 曇り

6時に目が覚める。外ではモズの高鳴きが聞こえる。
昨夜は21時半にベッドにもぐりこんで、すぐに眠りに落ちた。熟睡である。久しぶりの8時間を超える睡眠。やはり、体は動かしすことは快適な睡眠に必要だと実感。家に籠って本を読んだり、考え事にふけるのは健康によろしくない。
 
成城石井で買ったクロワッサンの持ち帰りを朝食で食べる。それに、ミルクとリンゴ。
 
たかだか一泊二日の東京旅行だが疲れが残っているので、家でゆっくりすることにした。午前中は、自分の履歴書に関し、職務経歴をアップデートした。すぐに仕事をしようとはまだ思わないが、釣りと読書と家事だけでは退屈してしまう。まだあだエネルギーは残っている。集中して書いているとあっという間にお昼になる。
 
五目チャーハンのお昼を食べて、母の使いで買い物に車ででかける。
 
14時過ぎから、インド映画「ラガーン」(Lagaan - Once upon a time in India)を見る。
Lagaan

時代は1893年。インド中部のある村での話。ラガーンとは、農民が領主=ラジャ(かなりの部分はイギリス帝国に吸い上げられる。その代わりに、イギリスは、領主に対し法と秩序を維持する警察・軍事サービスを提供する)に払う「年貢」のこと。ひょんなことから、イギリス軍人と村との諍いが、クリケットと勝負をつけようという賭けに発展する。インド側が勝てば、向こう3年間の年貢は免除。負ければ、年貢は3倍になる。
最初は、村民からそっぽを向かれていた主人公(アミル・カーン)だが、徐々に賛同者を得、かつ、イギリス側からも密かにクリケットについていろいろルールを教えてくれるうら若き女性が味方をして準備が進む。しかし、一方で、主人公に恋する女性を取られ恨みをもつ村民の一人がイギリス軍側のスパイとなって、インドチームの一員となる。そして、晴れの舞台。ここまでで、2時間を超える。前半を終了。
 
夕食は、セイゴの切り身(3枚におろした)を白ワインで蒸したものに胡椒、オリーブオイル、
塩で味付けして食す。なかなか美味。山椒の煮つけ、塩焼きもいいが、このヴァリエーションは3つ目の選択肢として、病みつきになりそうな予感。
火曜日の夜は日本の喜劇映画を見る。「駅前茶釜」。森繁、フランキー堺、伴淳三郎のトリオ。今回は、ジャイアント・馬場が特別出演。振られ役というか、女房に逃げられるのは森繁さん。フランキー堺は例によって池内淳子と結ばれる。三木のり平は狸が化けた女役で登場する。舞台は、ぶんぶく茶釜で有名な群馬県の舘林。1963年製作。私は小学校2年生。出演者には、中尾ミエ、有島一郎、加東大介、小桜京子などなど、懐かしい面々。
 
今日は終日寒かった。気温は20度を超えていない。まるで11月だ。映画「ラガーン」の続きは明日見ることにして、シャワーも浴びず、足湯に浸かっただけで、21時半、就寝。
 

2018年10月23日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その108

10月21日(日) 晴

目覚めれば久しぶりの快晴。今日は1泊2日で上京する日。自分が祝福されている気分になる。

6時過ぎにリビングに降りてリハビリをたっぷりとやって石窯パン、ミルク、ブルーベリーでシンプルな朝食を食べる。

父がデイケアーに出かけた後の9時半過ぎ、すぐ近くのK外科まであるいてタクシーに乗って駅へ移動する。

10時26分発の特急で上野へ。車中は、持参した「The Eitingons」を読む。話はNaum(Leonid) Eitingonから離れて、Max Eitingonに移る。フロイトの実質的なパトロンでもあり、精神分析の普及に熱心にかかわった。Eitigon一族の莫大な富(それは、ロシアの毛皮取引)は想像を絶する。ライプチヒには病院を作っている。いわゆるフィランスロピストというやつだ。

12時半、Yちゃん母娘と新宿南口で待ち合わせて、新宿ワシントンホテルに船釣茶屋ざうおでお昼を食べに行く。生け簀で生きているヒラメとアジを釣り上げ(針で引っ掛ける)、ヒラメは唐揚げ、アジはフライに調理してもらい、そのほかに、エビの天ぷら、握り寿司セット、チジミなどをお腹いっぱい食べる。

その後は、板橋の大山に移動して、2時間カラオケで歌いまくる。3人がそれぞれに好きな
歌で自分の世界に浸るあっという間のお楽しみタイムだった。Yちゃんは若いだけに彼女の歌はまったく知らない。今時の歌はメロディーがあるのかないのか、言葉も多い。私の青春時代の字余りソング(吉田拓郎)とはまた違うのだが。最初は恥ずかしそうにして歌っていたYちゃんだが、後半は彼女の独壇場となる。Yちゃんのママの十八番「天城越え」と私とのデュエット「いつでも夢を」はかろうじて歌えたが、自分が必ず歌うレパートリーのアン・ルイスの「グッバイマイラブ」はとうとう歌えずじまいで次回に持ち越し。いつもは大人しYちゃんだが、今日は生き生きした一面を垣間見る思いでほのぼのとしてしまった。
 
マンションに戻り、軽食を取ったり、お菓子やケーキを食べて夜遅くまで駄弁って時間を過ごす。


10月22日(月)晴

5時過ぎに目覚める。

インターネットでニュースを読む。サウジアラビアのカショギ氏殺害疑惑の報道は困惑の度合いを一層深めている。中近東の大国といえば、エジプト、サウジアラビア、そしてイラン。エジプトは石油が取れないので地政学的にはあまり重要視されない。

西側(実質的にアメリカ)の保護下にあるサウジアラビアと、イスラム原理主義のおおもとにしてペルシャ帝国の末裔であるイランの対立構造があり、サウジアラビアがこけると大変な影響がでる。自国に批判的な言論人を今回のような形で抹殺してしまうのはおぞましいことで、恵まれた先進国のリベラルな世論が許すところではない。だから、ハチャメチャなアメリカの大統領ですら、歯切れが悪い。

西側石油からの莫大な石油収入を回収するのが、西側が売りつける武器商品である。トップはアメリカ、次いでイギリス。フランス、スペイン、ドイツと続く。中近東は、本当にわからない。イスラエル(西側西洋資本の中近東における楔)、オスマン帝国の末裔としてのトルコがプレーヤーに加わって、ロシアの野望、近年の中国(この国の泣き所は、エネルギー資源が外部依存であること)が虎視眈々と自国の利益追求に邁進しているのだ。
 
前日、新宿駅の成城石井で購入したパンの詰め合わせセットとコーヒーの朝食。リハビリはお休み。昨日は、新宿や大山で随分とあるいたのか、昨夜寝る前は足に少し痛みがでた。今朝は回復したが、やはり、全面的な回復への道のりはまだまだ長いと実感。

マンションの部屋は14階。西向きの窓から何気なく外を見やると、富士山が真冬ほどではないがくっきりと見えた。

お昼は、近所のYちゃんのママに餃子とチジミをごちそうになる。昨日の「ざうお」のチジミはハズレだった。自分のほうがニラをたっぷりいれたおいしいのができるというお言葉に甘えてご馳走になった。食事をしながらYちゃんの受験相談。

夕刻、大井町の「魚ちょ」へ足を運ぶ。半年ぶりの飲み会。面子は、最初の勤務会社の先輩たち。自分が入社当時の課長補佐の方は、すでに82歳。主任の人が69歳、3年上の先輩が65歳。私が62歳。2年上の先輩は、5月の連休明けから年金暮らしのベースをマレーシアはペナン島に移された。69歳の先輩は、93歳のお母様の介護に明け暮れている。10年前に舌癌の手術をしたが奇跡的に?癌の再発もなく元気にされ、こうして酒を酌み交わしている。タバコも1年前!?に止めたという。近況のことから昔の思い出話に花が咲き、2時間は
あっという間に過ぎる。後ろ髪をひかれつつ、実家に戻らないといけないので一足先に別れを告げ、家路につく。

20時発の特急に上野駅から乗り、21時半過ぎに帰宅した。
 

2018年10月21日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その107

10月20日(土) 晴たり曇ったり

昨夜は20時半には眠りに落ちた。そして目が覚めたのが早朝の3時過ぎ。それから眠れなくなる。この歳になると6時間の睡眠を取るともう眠れない。
 
すっきりした頭で、湯浅泰雄著「身体論~東洋的心身論と現代」(講談社学術文庫)を読む。第一章(100ページ)で、和辻哲郎と西田幾多郎の哲学の身体感について。
Shintairon
 
6時過ぎにベッドを抜け出して居間に移動、リハビリ40分をたっぷりこなす。
 
7時半ぎ、石窯パン、ブルーベリー、ミルク、レタスとトマトのサラダの朝食後、2階で日記を書き、部屋の掃除をする。3週間ぶりだろうか。掃除機をかけ、散らばった本を整理したりで1時間。明日から1泊2日で上京するので、食材の不足分や日用品のの買い出しに出かける。
 
お昼は、スーパーで買ったお弁当とローストチキン少々。
 
食べ終わって一休みした後、車で外出する。那珂川河川敷に行く前に、阿字ヶ浦海岸や那珂湊漁港を偵察することにした。
 
<阿字ヶ浦のサーフ>
Ajigaura_2
 
シロギスが釣れているという上州屋の情報だが、実際どうなのか。サーフでは本格的な装備の釣り師が二人ほど遠投してシロギスを狙っていた。
 
15分ほど見学していたがアタリはない。折から冷たい風が吹き、波も結構荒い。厳しそうな感じだった。
 
那珂湊はサビキでサバが釣れているようだった。人と車でごった返しており早々と退散、那珂川河川敷の釣り場に急いだ。到着してみると休日にも関わらず釣り人はいなかった。穴場なのだ。しかし、竿を2本出した直後に車が1台やってきて軽装備で船着き場で釣りを始めた。狙いは小物のハゼのようだ。しかし、今週1週間通って分かったことはハゼは全然いない、ということだった。言ったら、夢を破ることになるので黙っていた。
 
Nakagawa6
 
 
満潮は13時40分で満潮直後である。第一投で20㌢ほどのセイゴが釣れ、期待したのだが、その後のアタリは遠かった。釣れても20㌢未満の木っ端セイゴが数匹。15時の納竿直前にもう一尾(20㌢)を釣り上げて家路についた。
 
Seigo10_3
 
夕食の準備をしながら、「植物のはなし」(中公新書)をパラパラめくっていたら昨日の正体不明の雑草の花はツユクサであることが判明した。
 
夕食は、豚しゃぶと豆腐とローストチキンで赤ワインを飲む。
 
弟から連絡あり。出向で鹿嶋にあるホテルの支配人をしているのだが、ブラジルの旅行代理店から東京オリンピック期間のホテル予約の問い合わせが来たらしく相談を受ける。

2018年10月20日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その106

10月17日(金) 曇

2時過ぎに一度目が覚めて眠れなくなる。
「ヒンドゥー教とイスラム教-南アジア史における宗教と社会」(岩波新書、荒松帆雄著)を読み始めたらとまらなくなる。4時過ぎまで読んで再び眠る。
6時前に2度寝から目が覚めて居間に降りてリハビリを開始。テレビではトルコ大使館にったまま行方不明となったサウジアラビア人のカショギ氏の殺害事件を盛んに報道している。
7時半ぎ、石窯パン、サラミ、ブルーベリー、ミルク、レタスとトマトのサラダの朝食後、2階で日記を書く。
9時半前、車で日課の那珂川の河川敷へ。10時から12時までの2時間ほど、釣りに興じる。
Nakagawa5


ポツン、ポツンの間隔は空いたが、30㌢前後のセイゴを4尾仕留める。待つ時間が長いので階段で護岸を降りたり、雑草を観察したり、足の運動をする。
<ヒメジオン>
Himejion

<カタバミ>
Katabami
<?>
Hirugao
<西洋タンポポ>
Seiyotannpopo
<秋の空>
Akinosora
 
12時過ぎ納竿。釣果は、セイゴ4尾(29㌢~33㌢)
Seigo9
12時半過ぎに帰宅。昼食は、五目チャーハン、コーヒーにリンゴを食べる。
14時、近くのクリニックに薬(高脂血症)をもらいにいく。両親のインフルエンザの予防接種は11月上旬に実施することを決める。
帰宅して2階のベッドにもぐり込み、「The Eitingons」(舞台は中国からトルコのイスタンブールへ)を少し読むも、眠くなり昼寝となってしまった。

夕食:豆腐、セイゴの塩焼き、エリンギと枝豆のバーター炒め、キュウリの糠漬けとごはん少々。赤ワインも少々飲む。
クライマックスシリーズ、巨人は広島に三連敗。高橋監督の巨人は終わった。来季から原氏が3度目の監督に復帰。
インド映画「大地のうた」を観る。サタジット・レイ監督による1955年製作のベンガル語で作られた映画。モノクロの社会派リアリズム映画。「ワナジャ」を想起させる。ウィキペディアを観ると、やはり、レイ監督のこの映画はインド独立後のインド人による映画としては一線を画すものだった。

ベンガルの貧しい寒村で暮らす一家の姿をアプという少年の目を通して描いている。お姉さんのドゥルガと少年が遊ぶシーンは自分の子供時代と一部重なるところがあってジーンと来る。貧しさは日本の比ではないが(歯ブラシの変わりに指で歯をみがいたり、靴を履かず裸足など)、キャンディー売りや紙芝居ではないが覗き仕掛けの見世物を見に子供たちが一斉に集まるシーンだ。野原を駆け回り蒸気機関車を見に行ったり、旅芸人が演ずる芝居を観たり、木の下で憩う場面など、日々の生活の素朴さに心が打たれる。弟の面倒見がいい姉は、雷雨の中で遊んでずぶれになったのが原因で熱を出し、嵐の晩に命を落としてしまう。一家は生まれ育った先祖伝来の農村の生活に見切りをつけて牛が引っ張る荷車に乗って村を去るとことで終わる。少年は、姉が以前に裕福な近所の少女から盗んだと非難されながら決して認めなかったビーズのネックレスを家で偶然見つけ、黙して池に投げ捨てる。歌も踊りもないが、時折流れるラビシャンカールのシタールのメロディーが実に印象的だ。
 

2018年10月19日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その105


10月17日(木) 晴
5時過ぎに目が覚める。
 
早朝のベッドでの読書は、昨夜ベッドに持ち込んだ2冊の本のうち、堀田善衛氏の「インドで考えたこと」をパラパラと読む。今年の夏はインド映画に熱を上げたが、インドについての理解はお寒い限りである。このところ、「空と無我」に没頭してインド思想にのめりこんだのだが、現実の政治、社会、歴史や風俗について、映画という「自惚れ鏡」や哲学的な抽象の世界とは違う現実的な視点からのアプローチとして、ちょっと古いが長らく忘れていた本を取り出した。
 
Indo
 
堀田氏のこの本は1956年秋から1957年初めにかけて2か月間、アジア作家会議に関連して同氏がインドに滞在した旅行記である。インドに関するまとまった他の旅行記を自分は寡聞にして知らない。1956年は私が生まれた年。インドがイギリスから独立したのは1949年だ
から、独立してまだ7年しか経っていないインドは、反西欧(帝国主義)・親社会主義(親ソ)的な雰囲気である。インドの知識人の日本に対する評価:
 
「日露戦争でロシアを破って我々を喜ばせたが、一方で大英帝国と手を結んで帝国主義を志向してがっかりさせられた。第2次大戦では、憎き帝国主義国に戦いを挑んだ一方で、中国やアジア諸国を侵略した。この二重性は何なのだ」
 
6時50分、居間に降りてリハビリを開始。昨日の病院のマネージャーさんからのアドバイスを取り入れたストレッチに時間をかける。
 
納豆と笹かまぼこ、ポテトサラダとレタスにご飯少々の朝食。
 
2階で日課の日記をつけ終わったのが9時過ぎ。2時間の歩行訓練と称して釣り竿を車に積んで那珂川の河川敷に向かう。餌屋さんが10時開店であるのを忘れていた。「釣り侍」まで車を飛ばしそこで青イソメ50gを購入してから、川の上流方向へ逆戻りすることになって
しまった。釣り始めたのは10時10分過ぎ。風が強い。
 
Nakagawa4
 
今日は、竿立てを2つ用意した。10㍍ほど間隔を空けて竿を出したが、最初の1時間はアタリがほとんどなし。動きが出たのは11時を少し回った頃合いだった。まず、下流側の竿にアタリ。20㌢越えのキープサイズが来た。リールを巻いていると上流側の竿にものすごいアタリ。釣り上げた下流側の竿を置いて、上流側の竿を手に取り急いでリールを巻く。ずっしりと重く、途中からセイゴ特有の右に左に走るファイト。途中で水面の浮上し鰓洗い。糸を緩めると針を外されてしまうので一気にリールを巻き護岸の土手の上に引き抜いた。30㌢越えのグッドサイズ。過去の経験から食べておいしいのは25㌢から35㌢くらいのサイズ。フッコクラス(40㌢~60㌢)は、どうも臭みがあっていただけない。特に汽水域で釣れる奴はダメだ。海洋ものは臭みがあまりないらしい。
 
今日のアタリはこの一瞬の両方の竿に来たのが唯一に近かった。小さいアタリは時々あったが、エサを取られるだけ。2尾、3尾と20㌢に届かないセイゴが2尾とカイズ1尾が釣れたがすべてリリースした。
 
Kaizu2
 
12時過ぎ、納竿。家路についた。
 
Chouka
 
帰宅すると、ちょうど弟の長男(甥っ子)が家に立ち寄って帰ったところだった。北海道へ社員旅行してお土産(白い恋人)をもって挨拶に来たらしい。
 
昼食は、スパゲッティナポリタンと麦茶。
 
一休みして、近くのスーパーへ歯磨き粉とカボチャを買いに行く。次いでに自分用のパン、地元産のホワイトエールビール、魚のグリル用にタイムなどを購入した。
 
「インドで考えたこと」の続き:
良心的知識人として堀田氏はネガティブなことはほとんどこの本では触れていないが端々にすさまじいインドの現実に辟易している様子が伺える。朝鮮半島からは北朝鮮のみが参加。ベトナムは南北が参加するが仲がよろしくない。タイ、フィリピンなども不参加。冷戦が影を落としている。料理が口に合わず、まずいパンとバターと羊肉の料理(西洋料理=イングリッシュ・ミール)ばかり食べる毎日。また野外のピクニックでは詩の朗誦合戦に面食らう。インド人の早口の分かりにくい英語による能弁。ニューデリーからボンベイ(ムンバイ)まで列車で移動するのに30時間。同じコンパートメントのインド人の医者は20時間喋りっぱなしでグッタリする話、等々。当時の日本は、戦争に負けたが、アメリカの占領期を経て朝鮮戦争特需やら経済復興が始まり、人々は華々しい(インドに比べれば)資本主義の消費生活を享受しはじめたころ。インドのととつもない貧困と様々な宗教の力に圧倒され続ける
筆者である。
 
学生時代の同級生の女二人が1980年代にインドに旅行した感想をいまでも覚えている:二度とあんなところには行かない。
 
インドは、好きと嫌いがはっきり分かれる国らしい。最初の職場のある先輩は、インド旅行にハマってしまった。列車に乗って移動しているときに、列車強盗の一群の襲われてピストルを突き付けられながら無事に切り抜けた経験もある。治安は悪いし、衛生状態は想像を
絶する。しかし、何か人を魅了するものをもっているらしい。
 
夕食:豆腐、スルメイカのボイル、笹かまぼこ、ブロッコリ、キュウリの糠漬けでビールを飲む。ご飯少々。両親は昨日釣った30㌢セイゴの山椒煮を食べてもらった。大変美味だとのこと。
 
Sannshouni
 
クライマックスシリーズ、巨人は広島に逆転負け。これで零勝3敗。日本シリーズは絶望的だ。
 
「ヒンズー教とイスラム教」の本を読みかけて、眠くなり就寝。20時半過ぎだ。

2018年10月18日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その104

10月17日(水) 曇り、時々晴

5時半、目が覚める。このところ、睡眠が安定しない。何故なのかよく分からない。「The Eitingons」を読み続ける。
6時40分、居間に降りて軽いリハビリ。グレート・トラバースは、富士山。日本一の山。肩の脱臼と薄い酸素による苦しみに耐えて踏破。山頂の眺めの何と素晴らしいこと。
納豆と笹かまぼことご飯の朝食をとり、8時過ぎ、病院へ。朝のコーヒーを飲む。
トレーニングルームで、約75分、リハビリに汗を流す。ストレッチは大分高度化してる。正座を試みたい衝動はあるが無理せず。トレーナーさをから、左足の指先から足の先端の足裏がまだ柔らかいとの指摘。左足の爪先立ちをトレーニングのメニューに加えた。次回は11月1日にトレーニングを予定。
食材の買い物をして11時過ぎに帰宅する。
お昼は、カツサンド。
12時半、車で家を出る。今日はハローワークの失業手当支給認定日。事務所はマイスポットの釣り場から車ですぐのところ。1時間半ほど釣りをやってから出かける魂胆で餌の青イソメを購入(50g)して現場へ。
Tsuriba1

二本の竿を出し終わったところで一本目を聞き合わせるとずっしりと重い。リールを巻くとズンズンと手ごたえ。30㌢越えのセイゴがいきなり釣れてきたのでびっくりした。


Seigo7

餌をつけて投入、二本目の竿を聞き合わせるとこちらもずっしりと重い。しかし、護岸手前でバラシしてしまった。ハゼとセイゴの両方を狙うため針は7号・8号でハリスは1.5号だ。30㌢越えのセイゴはバラシが多くなる。
車を止めて昼寝をしていた人がやってきたので釣り談義する。ここに通って釣りをしている人らしい。この船着き場ではスズキクラス(60㌢越え)も釣れるが、エサは青イソメの房掛けにすること、ポイントは遠いので遠投が必要。じこの方は、錘25号を使って川の真ん中付近まで投げるそうだ。上流に投げるより下流側に投げること、等々。今年はウナギも釣れたらしい。9月の台風通過直後は地元の人がずらりと護岸に竿を並べ、昼間から大騒ぎだったらしい。

14時前、竿にアタリが来た。この日2尾目の30㌢越えのセイゴだ。その間、20㌢未満のセイゴが2尾釣れたがリリース。納竿。車でハローワークへ移動、手続きをして、15時半過ぎに帰宅した。
Seigo_7

今日は父の82歳の誕生日。デイケアーから戻るタイミングにに合わせて、男の料理をした。昨日釣ったセイゴ3尾の塩焼きと得意のプリプリエビとセロリとパプリカのオリーブオイル炒めの二品を用意した。お酒で乾杯!し、セイゴの塩焼きはレモンを絞って振りかけたシンプルな食べ方だがさっぱりした白身にぴったりで美味。デザートは甘味たっぷりの梨。高齢故に沢山食べて飲むわけではないが満足した様子だった。
午前と午後に外出して体を動かしたのか、20時半にはベッドに潜り込む。「The Eitingons」を少し読んでから眠ろうとしたが、あっというまに眠りに落ちた。

2018年10月17日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その103

10月16日(火) 曇、時々晴
3時前に目が覚めてしまう。それからなかなか眠れないので、「言葉と無意識」の第4章「無意識の復権」を熟読する。3世紀のインドのナーガルージュナやヴァスバンドゥの「空」や「唯識思想」と、ソシュールやフロイトやユングが共振する。特に、ナーガルージュナとソシュールによる言語批判の共通点は、この世のあらゆる現象(存在)は「関係性」であって、「実体性」はないと考えている点が共通している。「実体」というのはなかなか面倒な言葉だ。英語ではrealityに相当する言葉なのだが。
認識論も存在論も、「言葉」の問題に行き着く。
 
1時間ほどまたうとうとして今度は「The Eitingons 」を少し読み進める。
 
6時半、居間に降りてリハビリ。2階から階段を降りるのが楽になった。蹲踞の姿勢もまぁ、そこそこできるようになった。
 
朝食は、石窯パンのトーストとブルーベリー・ジャム、ミルクとバナナ。
9時過ぎ、母に頼まれた郵便物を投函して、車で那珂川へ。2時間の釣りを兼ねて那珂川河川敷の散策をしばらく日課にしよう。
 
場所は、一昨日と同じ船着き場の傍ら。足場が安定していて見通しがきく。万が一転んでも誰かがすぐ気付いてくれる。2度、3度アタリがあっても針がかりしない時間が続いた。釣れだしたのは、10時半過ぎからの約1時間。20㌢以上のキープサイズのセイゴが4尾(30㌢が1尾、22㌢が3尾)、マハゼ1尾(13㌢)。リリース3尾。まずまずの結果に満足。
 
Seigo6
<持ち帰りの獲物たち>
Photo_2
 
12時前、納竿。帰宅する。
 
コーヒーと五目炒飯の昼食後を食べ、魚の下処理をした後、2階で日記を書いて、昼寝(1時間ほど)する。
 
「The Eitingons 」を読み進める。Naum EitingonのNaum はユダヤの名前。ロシア革命が直後、内戦が始まり、若きNaum は革命側、つまり、ボルシェビキ側に身を投じて反革命勢力(皇帝派の白軍や富農)と闘う。無政府状態となったロシアの内戦は凄惨なものだった。
頭角を現したNaum Eitingonは中国に派遣される。
 
夕食:サラミ、レタス、チェダーチーズを肴に赤ワインを飲む。仕上げは、銀座ナイルのチキンカレー。デザートはリンゴを食べる。
 
食後の宵の一時、映画「駅前飯店」を観る。横浜の中華街が舞台。森繁も伴淳も中国人として登場。フランキー・堺は日中のハーフ。三木のり平も中華街の床屋役で登場。しかし、何と言ってもビッグショットは巨人の王選手。ホームラン王のタイトルを取ったばかりの若い頃だ。多摩川の巨人練習グランドも出てくる。このシリーズは、フランキー堺は女性に振られるのではなくと結ばれるシナリオである。社長シリーズとの大きな違い。今回のお相手は池内淳子。

2018年10月16日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その102

10月15日(月) 曇り
 
夜中に目が覚めて眠れなくなる。
読書灯を点けて、「言葉と無意識」(丸山圭三郎著)を読む。ソシュールの言語学研究で著名な人。「空と無我」を読んで、仏教の〈中観派〉〈唯識派〉にも触れている箇所があると知り、30年近く前に読んだこの本(内容はほとんど忘れていた)を埋もれた本の中から漸く見つけ出した。2時間ほど読んでようやく眠くなる。
Maruyama
 
6時過ぎに目が覚め、居間に降りて日課のリハビリ。足の違和感は1週間前に比べればさらに相当程度改善していることが実感できる。
 
朝食(石窯パンとブルーベリーにミルクとバナナ)後、2階で日記を書く。9時半過ぎ、母の使いで銀行へ。今日は両親の年金が入る日だ。
帰り道、車のガソリンを入れ、ブックオフに寄り道。イザベラ・バードの評伝とサタジット・レイ監督の「大地の子うた」のDVDを購入。併せて1200円の出費。
Rei
 
昼食は五目チャーハンとミネストローネ麺。
 
食後、車で涸沼に出かける。広浦自然公園だ。散歩がてら竿を出そうという魂胆。実質2時間勝負。月曜日とあって人はほとんどいない。あまり釣れないということだろう、がまあ釣れても釣れなくてもどうでもいいと、自分に言い聞かせながら、竿を2本出したがアタリがまったくない。
Hinuma1
Hinuma2

1時間ほど経過した直後、竿を回収するとずっしりと重い手ごたえがあった。20㌢は十分越えているセイゴ(多分25㌢弱)が釣れた。
Seigo5

那珂川よりサイズはいいがその後もさっぱりでアタリ数が出ない。
 
場所を移動した直後にマハゼが釣れた。昨日と同じ13㌢くらいのサイズ。さらに、カイズ(20㌢越え)が釣れた。こちらも、アタリがあったわけではなくたまたま聞き合わせたら、重くなっていて釣れたのだった。
Haze1_3
Kaizu1

結局、セイゴ1尾、マハゼ1尾(13㌢くらい)、カイズ1尾(20㌢くらい)の3尾という貧果。涸沼ハゼの陸釣りは9月一杯。10月、11月も釣れるが場所が限定される。それから、潮が動いていないと釣れない。今度は、満潮の時間に合わせて(海の時間より3時間遅れる)護岸から遠投して狙ってみよう。来週だ。
 
涸沼の釣りは不発だったが、いい足の運動になった。岸辺は砂利だが平坦。屈む姿勢を何度もしたが痛みはほとんどなかった。
 
15時過ぎ、納竿。魚はすべてリリース。16時半帰宅。
夕刻までマーラーの第7番を聞く。
 
夕食:イカとアスパラガスのバター炒めを肴にビール。メインは豪州牛のサーロインステーキ(両親と分ける)。
 
寝不足なのか、居間で30分ほどうたた寝してしまう。テレビをつけると、ワイルドライフ「日本カモシカ」をやっている。白山連峰の日本カモシカの生態を活写した1時間の番組。カモシカだが反芻をするウシ科の動物。集団行動ではなく単独行動するのも日本固有種の特徴だという。子育て、冬の試練、早春の雪崩、1年の四季の中で最後は子と別れる母。
 
プロ野球のクライマックスシリーズは、ソフトバンクがホームラン攻勢で日本ハムを打っちゃる。

2018年10月15日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その101

10月14日(日) 曇り
 
5時に目が覚める。外からしとしとと降る雨の音が聞こえる。昨日の朝もそう。
 
目覚めの読書に、ジョージ・ミケシュの旅行記を手にする。Any Souvenirs のハンガリーのくだり。BBC の撮影班を引き連れて母国へ取材旅行してトラブルに巻き込まれ、国外追放される顛末。
 
東欧はハンガリーしか行っていない(何故か、2度も。1983年と2004年)。チェコめ旧ユーゴスラビアもポーランドも。況んや、ブルガリアやルーマニアにおいてをや。
 
オムニバスのテキストに収録されている(7月のblogにも登場)本文を読んだのだが、オリジナル本は持っていない。その代わり、ドイツ語翻訳版を持っている。これは、アムステルダム研修中にお互いの言語を教え合ったオランダ人から餞別にもらった本(1984年)。バイエルン、オーストリア、ユーゴスラビア(当時)、チェコスロバキア(実際には入国拒否)、そしてハンガリリーが登場する。著書が旅行したのは、1971年。もう、半世紀近く前のこと。
 
Gedankenfrei
 
リハビリと朝食(好物の身欠きニシンと納豆にご飯)をとり、2階で日記を書いていると晴れ間が差してきた。しかし、昨日からだが、気温はぐっと下がった。
 
食材の買い出しに出掛けて帰宅すると弟の家族(夫婦と娘)が様子を見にきていた。10月17日(水)は父の92歳の誕生日。昨年の今頃は皆で91歳のお祝いをしたが、まだ歩行補助器を使って自分で歩けた。11月に肺炎でデイケアー先から救急車で運ばれ入院。それからすべてが変わった。電動ベッドを自宅に入れた。デイケアーには通っているが、家ではほとんど寝たきり状態。そして、今年の5月の私のけが。いろいろあった
 
お昼は、何も準備していなかったので、近くのスーパーでお弁当を購入(天丼弁当、ロースかつ弁当、キノコ・栗弁当など)してもてなす。全快祝いは11月に予定。弟とは近々に一緒にハゼ釣りに行こうと約束した。
 
午後、車で那珂川の河川敷へ。昨日より200㍍ほど下流地点で釣り座を構える。4.2㍍の竿を2本出した。6号の一本針仕掛け。錘は8号。
 
Nakagawa2
 
第一投からアタリが出る。木っ端セイゴだ。魚影は濃い。
 
Gogan_seigo1
 
<ピンボケのハゼ>
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13時半頃から15時半の2時間(実釣時間は1時間半)で木っ端セイゴ12尾1(15㌢~18㌢)、マハゼ1尾(13㌢)が釣れた。すべてリリース。手ごたえは十分だ。20㌢越えはキープして持ち帰るり塩焼きにして食べようと思ったがまだまだ小さい。すべてリリースして、気分を良く16時過ぎに帰宅する。両親は昼寝をして起きたばかりだった。
 
夕食:サンマを焼いて食す。
 
食後、NHKの「ダーウィンが来た」を見る。カッコウの托卵の話だが、托卵の成功率は50%。托卵をオオヨシキリがどう見破るかが最近ドイツで明らかになった。卵には親特融の模様があって親は自分の卵と託された卵を見分けて排除するらしい。一方で、托卵された卵を
そのまま孵し、自分の雛と一緒に育てるカラスがスペインにいるという。托卵された卵から孵った雛も、カッコウの雛と違って攻撃的ではなく、カラスの雛と共生するらしい。なかなか勉強になる今日の番組だった。
 
マーラーの交響曲六番を聞いて、ベッドにもぐりこむ。「空と無我」を読了。
 

2018年10月14日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その100

10月13日(土) 曇り

4時半の目覚め。もうひと眠りしたいのだが、眠れず。このところ、哲学の認識論と存在論についてまたいろいろは本を拾い読みしながら考え事をしたり、冷戦を扱った歴史書(エール大学のバンクロフト賞受賞)の第1章を読んだりしていると6時半前になる。

Reisen

居間に降りてリハビリをこなし、キッチンで朝食(ミルク、サラミ、トマトとレタス、ブルーベリーに石窯パン)後、庭の周りを歩く。昨日から、マルハナバチ(か、クマバチ?)が花の蜜を吸いにしきりに飛び回っている。

Maruhana

2階でOm Shati OmのジュークボックスをYoutubeで聞きながら日記書いていると、あっという間にお昼になってしまった。

お昼は、混ぜご飯とチーズピザ。

食後、母には散歩と言って車で家を出る。2時間の釣りで15時には戻ろう。40gの青イソメを買って現場に到着したのは13時前。一本竿で釣りを開始。

Nakagawa

第一投でめずらしい根掛かりで針を一本失った。再度仕掛けを作って投入。竿先を見つめていると、ググッとお辞儀をした。第2投目でアタリ。釣れてきたのは木っ端セイゴ。15㌢にも満たないサイズだ。リリース。ハゼを狙っているのだが、セイゴが群れているようだ。

Seigo

去年もそうだった。セイゴの魚影が濃くてハゼはほとんど釣れなかった。まあ、いいかぁ。釣れれば何でもいいのだ。今日は竿を出して感触を思い出すための練習みたいなものだ。
足場がいいとは言っても、護岸におりる階段があり要注意だ。無理はしないこと。一尾釣れてから、アタリがもう一度あったが、針掛かりせず。その後、アタリはなく時間が過ぎ去る。足の運動のため、平坦な護岸の上の道をしばらく歩く。セイタカアワダチソウがあたり一面に茂っている。

Seitaka1

戻ってから、もう一本竿を出して竿先を見つめていると、そちらの竿にアタリが来た。これまた15㌢前後の木っ端セイゴだった。これもリリース。

Seigo2

時計を見るともう14時半だ。今日はこれでおしまい。5月7日にけがしてから半年ぶりの竿だしはまずまずだ。ハゼ釣りのはずが、ハゼの姿は拝めなかった。足が気になってあまり釣りに集中できなかったが、徐々にペースを取り戻せればと思う。

15時過ぎ、家に戻る。おやつを食べて休憩。釣りのことは内緒にしておいたが、来週は那珂湊に足を延ばすことを告げる。漁港でハゼを狙ってみようと思う。河川の護岸はやはりまだちょっと危ないような気がする。

マーラーの第五番を夕刻まで聞く。

夕食:豚のシャブシャブで赤ワインを飲む。メインは、新宿中村屋のチキンカレーとインゲン豆と白菜漬け。
 

2018年10月13日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その99

10月12日(金) 曇り、一時雨
 
5時前に目が覚める。
 
「空と無我」の熟読を続ける。著者は、東大仏文科を卒業、フランスに留学しているが、著書は仏教学である。変わり者と言ったら本人に大変失礼であろう。この本は、秀才にありがちな膨大な知識を要領よく整理してまとめただけの迫力に欠ける本ではない。魂がこもった著者の格闘の書である。著者は、仏教哲学の金字塔である「空」を評価しつつ、「輪廻」や「唯識」には否定的である。
 
6時50分、居間に降りてリハビリをたっぷりこなす。足のむくみは大分引いた。痛みも少しずつ消えている。蹲踞の姿勢で屈める一歩手前まで来ている。階段の降りも正面を向いて出来つつある。足の甲の強ばりもまだ少しあるが右足の感覚に近づいて来た。この数日間でかなり状態は改善した。
 
朝食:石窯パン、サラミ、納豆、レタスとトマトのサラダ、ミルク。
 
株安のニュースが続く。米中貿易戦争の影響がジワジワと出てきたということなのか。日本の経済力が全盛の1990年前後は、日本が対象だった。赤子の手のひらを捻るようにバブルが弾け、日本はそのまま沈んでしまったが、中国は日本とは潜在力が違う。いざとなったら、毛沢東時代の皆が貧しく平等な時代に戻れば、自給自足が可能だ。力でねじ伏せるのは土台無理な国。ましてや、日本のように狂信者(軍部)が暴発するような国柄ではない。いま起きていることは、共倒れにならない均衡を模索している状態なのだろう。アメリカの行動規範と新しい中国の行動規範のぶつかり合い。
 
シカゴ大学のミアシャイマー教授は、かつてアメリカがカリブ海をアメリカの内海にし、中南米を自分達の裏庭にしたごとく、中国が南シナ海でいまとっている行動は地政学的な必然性からくる当然なこと、従って、米中対決が必至であると、著書で悲観論を述べている。(20世紀の前半が、陰り行く大英帝国と台頭する新興国ドイツの闘いを、イギリスの歴史家トインビーは、かつてのアテネとスパルタの闘いにもなぞらえた)。1番手と2番手は闘う運命にある。
 
Photo
 
パソコンのウィルスソフトを購入してインストールする。ウィンドウズ10にして、パソコンのインターネットの処理速度が落ちた。念のためウィンドウズ7の古いパソコンを使ってみると、やっぱり早い。何だろ、この違いは?
 
お昼:スパゲティー・ナポリタンとチーズ・ピザにコーヒー。
 
足の具合がここ数日で一気によくなってきた。釣りを再開できるかも、という思いにかられて、釣具屋に出かけた。先ずは、ハゼ釣りにしよう。今年は、涸沼、涸沼川で好調らしい。孤独の中で釣るのなら何と言っても那珂川だ。4.2㍍の柔らかい竿(錘負荷8-12号と1-6号)の2本を購入する。決行日は明日、昼間の2時間を予定。あまり足場を気にしなくてよい勝田橋の上流の野球グランドがある河川敷にしよう。
 
夕食:イシモチの煮つけでビールを飲む。小皿は、シメジと葱と生姜の酒蒸しとスルメイカのボイル。
 
食後、映画「続・夕陽のガンマン」を観る。

2018年10月12日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その98

10月10日(水) 晴

昨夜は疲れもあり熟睡した。

上京の2日間はアッと言う間に過ぎ去ってしまった。

身体を動かさない(対話があまりない)日頃の生活から、一時の「動」の生活、怪我する直前までの生活、 に一瞬だが戻った。 早くリセットして社会復帰したい気持ちなのだが、左足だけでなく体全体が鈍ってしまっているようだ。疲れが抜けず、体がだるい。脱け殻のようになって、ぼんやりと不活発な1日を過ごす。

鮭と納豆ご飯の朝食。

お昼は、スパゲティー・ジェノベーゼ、蜜柑。

夕食は、白身魚のムニエル、赤ワイン。

夜、映画「全員集合いい湯だな」を見る。1969年作。ドリフターズが主演する喜劇。制作会社は、森繁の喜劇シリーズは東宝だが、こちらは、松竹。加藤茶のハー、ビーバーノンノンが懐かしい。それより、生田悦子や早瀬久美が若くてピチピチ、溌剌演技。芸者役の春川ますみと早瀬の取っ組み合いには腹を抱えて笑ってしまった。三木のり平がいかりや長介の親分役でちょっとだけ顔を出していた。

10月11日(木)曇り、時々雨

4時半に目が覚める。 「空と無我」を読み続ける。「空」と「唯識」の違いのくだり。拾い読みするには勿体ない内容の詰まった面白い本。熟読だ。

6時過ぎ、居間に降りて40分たっぷりのリハビリ。 テレビでは、日本百名山を一気に踏破する番組をシリーズでやっている(2015年頃の再放送)。見始めた2週間前?が徳島だったが、今日も日本アルプスの山々。15分刻みで1つの山だから、一時間番組で25回シリーズということになる。

鰯の丸干しと納豆とご飯の朝食をとる。

2階で日課の日記を書く。一段落した10時前、冷蔵庫の食糧が底をついたので、買い出しに出かける。

魚好きの父にのために選んだ魚は石持(ニベ)。

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高級魚ではないが、地元では食卓によく登場する。東京で出回る石持(シログチ)と似ているが食味はニベの方が、断然いい。砂浜からの投げ釣りでよく釣れるので、昨年までは、夏と秋はよく自己調達したものだ。今年は、まだ釣りに行けてないが、もうそろそろかな。いきなり、ガガガーンと来る強烈なアタリが堪らない。 早朝の海はそれにもまして気持ちいいものだ。写真は昨年の7月。この時は2尾しか釣れなかったが・・・

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お昼:カップ焼きそばとコーヒーに蜜柑。

午後は、3週間ぶりにハローワークへ求職活動のために出かける。まだ、気分的には仕事をするモードになっていないが、ようやく足の状態も回復し、モーダル・シフトのギアをそろそろ入れる時期ではある。足の運動のために、臨時駐車場に車をいれて、杖を使わずに片道200㍍を往復した。 このところ、くしゃみを頻発し、花粉症の症状が出ているが、原因はこれ(セイタカアワダチソウ)だ。

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15時過ぎに帰宅。アイスクリームとチョコレートのおやつ。

夕食:香ばしい石窯パンとサラミを肴に赤ワインを飲む。メインは、鶏とジャガイモ煮。

好調だった株価が世界で下がり始めたようだ。アメリカではかなりの規模のハリケーンが来襲。

2018年10月11日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その97

10月9日(火) 晴
5時半に目が覚める。
 
昨日は、9月上旬に直立歩行を開始してから、たぶん、一番歩いた日だろう。板橋区役所前駅からステーキレストランまで約600㍍、そこから東武東上線の大山駅まで1キロは歩いた。東武練馬駅とイオン・シネマの往復、大山駅から部屋に戻るまでも入れれば、4㎞は間違いなく歩いたであろう。前夜寝る前の左足はそれなりにむくんでいたが、今朝はだいぶそのむくみはひいてはいるものの、やはり、足への負担が残っている。痛みはない。
 
コーヒーとトースト2枚に目玉焼きの朝食をとり、午前中はゆっくりする。神田の古本屋街をうろついてから帰ろうと思ったが、前回の荷物整理で残ったものを今回持ち帰るので荷物が増えることと足への負担を考えて断念する。気兼ねしない本や巡りは11月になってからにしよう。
 
昨年末に、読もうと買って読みかけた本を見つけた。アメリカに移民した韓国系アメリカ人による在日朝鮮人一家の年代記的な小説で2017年に評判になった本。日本に併合された韓国の釜山から大阪にやってくるところまで読んで、5月の連休のけがで中断してしまった本。
 
Pachinko
 
お昼は、近隣のYちゃんのママが昨日もってきた栗を煮てくれたので一緒に賞味した。地元の高級栗だ。甘さは思ったほどではないがグッド。それに餃子もごちそうしてくれた。
 
明るいうちに戻ってきてほしい、と心配する母の声に忠実に帰宅したのは17時前だった。心配だった父の血圧に異常はなし。大丈夫のようだ。
 
歩くことそのものがまだまだ体力を消耗することなのだろう、帰宅すると疲れを感じた。夕食は、ビール・ワインはお休みにして、銀座ナイルのチキンカレーを食べる。
 
食後は、映画「駅前弁当」を見る。のっけから、浜松駅のホームで森繁と伴淳三郎が、鰻弁当を150円で売るシーン。今回の舞台は浜松。、当時はヤマハのハーモニカも販売していた。列車の車体も懐かしい。オレンジとダーク・グリーン色だ。フランキー・堺がある意味で主人公。モテない弁当屋の息子はジーパンとヘルメット姿でオートバイ(ホンダだろうと想う)を乗り回す。ヤマハ音楽教室も登場する。まるで、浜松の2大企業の宣伝映画だ。物語りは、フランキーが珍しく若い女性に惚れられて、結婚し、弁当屋の家業を継ぐことになりメデタシ、メデタシ。昭和35年の日本の風俗描写が面白かった。
 
そのまま2階にあがり早めに就寝する。

2018年10月10日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その96

10月8日(月) 曇り

1泊2日で東京へ。月に1度の息抜きだ。

五月初旬の怪我以来、5ヶ月が経過。季節は巡り、今は、もう秋 ! (こんな歌詞で始まる歌がありました)。

列車にゆられてカタカタコットン、カタコットン。秋を感じる景色を眺めながら、物思いに耽ったり、持参した「空と無我」をパラパラ読んだりしていると、上野駅に到着する。

3週間ぶりだが、連休最後の日で、すごい人混みに圧倒される。Yちゃんの好物の「東京ばな奈」を購入して(地元産の高級栗もお母さんへの土産品として別途持参)、タクシーは使わず、山手線と地下鉄で目的地へ。Yちゃん母娘と待ち合わせだ。お昼(ステーキ)を一緒に食べようと。
https://www.sengokuga.com/sengoku-itabasi/
 
東京も蒸し暑かった。12時前に到着して、ビールを飲みながら待つ。女性はいつでも男性を待たせることが特権だと思っている。「少し遅れる」とラインで連絡があったが、やって来たのは12時半を回っていた。

学生時代、親友のN君と喫茶店でコーヒー一杯で何時間も駄弁ったのを思い出す。お互いに時間にルーズ。1時間はざら、時には2時間待たせることめあった。卒業してからも付き合いは続いた。アムステルダムで研修をしているときはレニングラードから国際電話をもらったりした。1997年初めにそのN君は体調を崩してモスクワから帰国、手術の甲斐もなく(むしろ、無理に手術をしたために)あっけなく亡くなってしまった。
 
Yちゃんのママと私は、200gのサーロイン・ステーキをわさび醤油で食べる。このひと夏で背丈がお母さんに並び、体重が5キロ増えたというYちゃんは、熟成牛ステーキ(150g)。お店特製の大盛りサラダと一緒に、みなそれぞれ、お腹がすいていたので、残さずに平らげる。食後は、東武練馬にでかけ、買い物に付き合い、コーラを飲み、ポップコーンを食べながら映画(コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命)を観て午後のひと時を過ごした。

夕食は、ビールを飲みながらケンタッキー・フライド・チキンを食べる。半年ぶりだが、マクドナルドとケンタッキー・フライドチキンのどちらを取るか、聞かれたら、間違いなくケンタッキーのほうを取るだろう。こんがりオーブンで焼いたローストチキンにはかなわないが、ファーストフードとしてはグッドだ。
 
夕刻、Yちゃんの受験相談を受けながら、最近契約したインターネット契約のゴタゴタの話をしたり、決して詳しくないパソコンとプリンターのセットアップやら、人生相談(私のほうはさておいて)をされる羽目に。子育ての経験のない自分には手に余るが、彼女たちよりは長生きしてきた人生経験を頼りにされているようだ。女性は細かいこと、特に、損得勘定には敏感(損は絶対しないというスタンス)で、ああでもない、こうでもない、と迷いに迷う。こだわった結果、悩みは一層ふかまり、エネルギーを使ってしまう。Art is long。Lfe is shortなのだ。こちらは一応アドバイス(無駄なこだわりはせずに先に進むことを優先する)はするのだが、結局、本人は最初から決めていた選択をする。結局、話しを聞いてもらってさっぱりしたいだけなのだろう(と、ここまで書くと、反論が矢のように飛んでくる気がする。直前まで勤務していた職場のように)。
 
気が付けば深夜をすぎていた。

2018年10月 9日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その95

10月7日(日) 晴
 
6時前に目が覚める。気になる左足だが、昨夜はあれほどパンパンにむくんでいたのが、かなりすっきりしている。ほっと一安心した。
 
お天気は快晴だが、風強し。遠くで花火が聞こえる。運動会だろうか。
 
朝食は、ミルク、チョコレート・クロワッサンと石窯パンのトーストにブルーベリー・ジャム。
 
午前中は、足のストレッチは軽めにして2階で日課の日記を書いた後、食材の買い物に出かける。京成百貨店でメバルが安く出ていたので買う。3尾で800円。今夏は猛暑で野菜が高いが小松菜とサヤインゲンにレタス。さらに、豆腐、葱、ポテトサラダ、鶏肉、鮭の切り身、鰯の丸干し、オレンジなどを購入。
 
お昼は、巻き寿司、ヒレカツサンドにコーヒー。
 
父の血圧が130代に戻った。これなら、明日の朝も大丈夫でデイケアーに行けそうだ。中止した上京を明日から1泊2日に変更して出かけることにする。Yちゃんのママに連絡する。
台風25号の影響もあり、日中の気温が30度まで上がり蒸し暑い。扇風機を回した。夏に逆戻りだ。
 
2階でブック・サーフィンをしながら、昼寝をする。
 
3時のおやつは冷えた梨を食べる。映画「バルフィ」のジュークボックスを聞きながらインターネット・サーフィン。バルフィの音楽は、あまりインド性を感じないインドのニューミュージックみたいな印象。
 
ベネズエラに加え、アルゼンチンの通貨下落がひどい。この国は、20年置きにデフォルトを繰り返している。ブラジルと何が違うのか。イランの経済制裁で原油価格の上昇しているから、ベネズエラは、その内、息を吹き返すのではないか。多分、ロシアも。国際情勢は誠に複雑怪奇。風が吹けば、桶屋が儲かるようだ。
 
夕刻、ビールのツマミの1品を作る。小ぶりの海老と胡瓜と枝豆を手早くオリーブ油に生姜と葱のみじん切りとお酒で素早く炒め、塩コショウで味付けしたもの。この1品でビールを飲む。季節外れの猛暑日の夕刻の一杯にピッタリで、美味い!
 
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食後、「ダーウィンが来た」を見る。登場したのは、最小の猛禽ツミ。ハトほどの大きさのタカだ。もともと山地性の鳥だが、最近は都会に進出している。餌となるスズメ、メジロ、シジュウカラ、ムクドリ、ヒヨドリなどの数が山地より多く、繁殖しやすいかららしい。5月に退職した大学のキャンパスでもよく鳴き声を聞いた。カメラで巣作りから子育て、巣立ちまでを捉えるのは根気がいる作業だが期待に違わね観察シーンの数々に満足した。繁殖時期に、自分の巣に近づく人を襲うカラスの巣は撤去される、ということをツミは分かっていて、わざと人家のそばに巣を作るというのは驚きだ。ツバメの戦略もまさにそうなのだが。
 
夜の読書:
 
「空と無我~仏教の言語観」(講談社現代新書)を拾い読みながら物思いに耽る。インドのナーガールジュナが展開した〈空〉の思想。インド哲学が生み出した精緻極まる認識論と存在論。西洋哲学の二元論の否定。デカルトの「我想う、故に我存り」の否定。自分(自我・自己意識)とは、認識の対象となることを常に拒み、無限後退していく、生命現象(宇宙、エネルギー)そのものの作用のある一段面。「無我」ないしは「非我」と言葉で名付けることすら、誤解を招くもので、「意識作用をもたらし続ける側」(意識とは言葉になること=既に、対象化されているのだ)の暗示にしか過ぎない。フロイト理論の「無意識」は、お粗末な矮小化だ。
 
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2018年10月 8日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その94

10月6日(土) 晴

5時過ぎに目が覚めて、日記を書く。

6時過ぎ、居間に移動してリハビリ。昨日で、装具を外して4週間が経過したが、完全復調なはまだ道遠しだ。歩行の際の左足にかかる荷重で微妙な痛みがまだあるのだ。この1ヶ月でかなり緩和したが、速く歩けないし、階段を降りる時はまだつらい。荷重をギリギリまで増やしたトレーニングを先週からしているためか、痛みは減ってはいるが、左足のむくみがまたひどくなった。いったい、いつまで続くのか?永遠に回復しないのではないか。挫けそうな気分になる。溜息・・・だ。

台風25号は、日本海側で、関東はラッキーだが、明日は猛暑日になる予報だ。

父の血圧がまた180を越えた。特別処方の薬を飲ませる。朝食後、しばらくして160位には下がったが、状況は不透明だ。避けられないことだと分かっているが、心配は募る。

年に1回の父の年金に関する書類が来たので、回答書類を作成して投函しにいく。

台風の影響からか、気温がグングン上がり、蒸し暑い。冷房はつけないが、扇風機を回しながら、2階で日記を書いたり、本の整理をしながら、ブック・サーフィンで時間を過ごす。
大岡昇平の旅行記が出てきた。ロックフェラー財団の財政援助で1953年から1954年にかけて1年間アメリカとヨーロッパを旅行した記録。標題は「ザルツブルクの小枝」。

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アマゾンで注文したインド映画「ラガーン」が期日に届かず、催促の連絡を入れる。インドの国民的スポーツはクリケットにまつわる、インドと宗主国イギリスの戦いを描いた映画だ。

お昼は、スパゲティー・ナポリタンにガーリック・トーストと栗にコーヒー。

午後の前半は昼寝。3時のおやつにケーキと麦茶。

すっきりしたところで、二時間ほどユンガーの翻訳作業に没頭する。先ずは、第1章の最終訳を完成させることを目標にする。ちくご訳から読みやすい自然な日本語にすること。

夕食は、海老とセロリの塩炒めでビール。小皿は、冷奴、サラミとサヤインゲン、湯がいた真いか等。それに、ご飯少々。

築地の魚市場が豊洲に引っ越しを始めた。

BS放送で土浦全国花火競技大会をしばし見る。強風で競技が一時中断する。結局中止になってしまった。

夕刻の父の血圧は130前後まで下がった。降圧材の薬が効いているようだ。明日の午後から2泊3日で上京を考えていたが、万が一の事が心配で、取り止めることにした。Yちゃんのママに連絡する。残念。

スズメバチ駆除の番組を見る。韓国で猛威を振るっている新しい種類ツマアカスズメバチの駆除方法がすごい。水圧ポンプで吹き飛ばしたり、スプレーに火をつけて火炎放射機のように焼き払ったり。台湾は昆虫の宝庫だが、スズメバチの種類も豊富。日本にはいないスズメバチは攻撃性の強いのは繁殖力にもすぐれ、巨大な巣を造る。駆除の名人が登場したが、駆除した獲物は酒に漬けて漢方に利用している。あるいは、たんぱく質が豊富なため肥料にする。日本では、幼虫を食べる人もいる。

2018年10月 7日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その93

10月5日(金) 曇り

6時に目が覚める。バソコンの設定が昨夜は終了せず、朝の起き抜けから、リハビリも朝食も忘れて、没頭する。

作業の最中にモズの声が聞こえてきたので、双眼鏡で音源を探ると近くの民家のアンテナの上で高鳴きしていた。写真を撮ろうとカメラを取りにいった間に飛び去ってしまった。
心配になった母の声が階下からかかって、キッチンへ。時計を見ると8時を過ぎていた。
 
朝食(クロワッサンと牛乳)を食べて、ようやく日課のリハビリ。そして、またパソコンの設定を続ける。
 
設定が終わったのが10時過ぎ、それから直ぐに車で出かける。リハビリのトレーナーから、外の歩行練習はスニーカーを履くようにとのアドバイスがあり新調することにした。持っているのは5月に骨折した際に履いていたもので2度と履きたくない。母が捨てたと思っていたら下駄箱の隅に収納されていた。昭和一桁世代は、「もったいない精神」の権化だ。
 
今回の骨折で懲りたので、靴の裏が滑りにくいこと、それと、履き心地が柔らかいこと、この2点にこだわって選ぶ。買い物は即断即決する自分だが、今回ばかりは、3度、4度と試した上で決めた。お金も奮発した。身に付けるものに全く無頓着な私だが、今回ばかりは痛い目に会い、慎重になった。

Photo
 
ジーンズ、パソコン、スニーカーと今週は買い物ずいて散財した。
昼食は、帰り道、マクドナルドのチーズバーガーセットを買って帰宅して食べる。本音はバーガー・キングのアボカド入りのワッパーミールを食べたいなぁ、だったが残念ながら地元にはない。

帰宅して車を車庫に入れていると、本日担当の訪問介護士さんから父の血圧が180を越えて高いので要注意との報告をもらい、慌てた。毎年、季節の変わり目のこの時期になると父は体調を崩すのだが、昨年も9月に体調を崩し、11月には軽い肺炎で入院。回復するのに2ヶ月もかかってしまった。

「オスマン帝国外伝」を見ていると今度はケアマネージャーさんが様子を見にやって来た。こんな時は本当に有り難い。薬を飲ませてもらって、血圧を計ると、取り合えず血圧は160位に下がっていた。

落ち着いたところで、ユンガーの翻訳文の見直しの作業を夕刻まで少し進める。

夕食:豚肉のしゃぶしゃぶでビールを飲む。小皿は、トマト、レタス、サヤインゲン、白菜漬け等。

食後の宵のうちは、居間で日記をつけながら、マカロニ・ウェスタンの傑作「夕陽のガンマン」を観る。名作だが観るのは2度目。

夜の読書:

吉田夏彦氏の「論理と哲学の世界」と小室直樹氏の「超常識の方法」を拾い読みする。後者は30年以上前に読んで感銘を受けた本。前者は8月に1度読み始めたが、猛暑で止まったままにしていた。学生時代以来、折りに触れて哲学書を手にして来たが、結局何なのか。哲学する、ドイツ語でいうphilosophieren の衝動。「俺は、いったいここで何やってんだ」、という疑問。この世に生まれる落ちて始まった自分の命。無限の宇宙の中で、子々孫々受け継がれる遺伝子を媒介にした生命の運動。ラッセルは、哲学を「宇宙を知るための試み」とか言ったそうだ。

Philosophy

2018年10月 6日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その92

10月4日(木) 曇り

深夜過ぎに目が覚めてまた眠れなくなる。「The Eitingons」の続きを読む。3時過ぎに再び眠りに落ちる。

リハビリと朝食をすませ、スズメバチ駆除の費用請求の書類一式を準備する。30分程で完了、書類を持って、消防署へ補助金申請の手続きにでかける。たった3000円のためではあるが・・・。
 
消防署のあとは、JR駅ビルにある家電販売店に立ち寄りバソコンを購入した。前回買ったのが2012年。東芝のダイナブックを愛用しているが、五万円で購入した。今回は機種にこだわらずにと思っていたが結局使いなれた同じ機種を買うことになった。六万円ちょっと。
 
お昼は、帰り道に買ってきた吉野家の牛丼をたべる。それにコーヒーと蜜柑。
 
「オスマン帝国外伝」その4を見る。想像した通り後宮(ハーレム)の女の激しい闘い(正室と側室)。側室のアレクサンドラはロシアの奴隷上がりの美女。皇帝の寵愛を得たアレクサンドラに激しい嫉妬を燃やす皇太子を生んだ2番目の皇后。後宮を管理する宦官も登場する。追い落とそうと回りがぐるになってアレクサンドラを牢に閉じ込めるが、これに気付いた皇帝は激怒し、アレクサンドラは牢から出され、エメラルドの指輪をもらう。
 
時間がかかるパソコンの設定をしながら、2階でブック・サーフィンをする。今日は、三島由紀夫の「外遊日記」と遠藤周作のフランス留学時代の日記をパラパラ読み比べたり、エドガー・アラン・ポーの詩集(原文との対訳)を拾い読みする。
遠藤周作氏は、戦後の1950年に留学で渡仏したが、香港、マニラ、サイゴン、シンガポール、コロンボ、ジプチ、ポートサイードに寄港しながらマルセイユまでの船旅をした最後の世代だろう。

三島由紀夫氏は昭和42年にインドに旅している。「豊穣の海」の取材もあったかも知れないが、詳細はあまりつまびらかにされていない。インド通信という短文に、「インドは世界一の美人国かも知れない。<かも知れない>というのは譲歩した言い方で、私の主観からすれば、世界一の美人国に間違いない。・・・都鄙を問わず、この世のものとも思われぬ優雅な美女に出会う・・・」とあった。同氏は、戦後の日本人では早くから名声を馳せ、世界周遊の旅に2度、3度と出かけた同氏の感想であり、インド映画に目下淫している自分も思わず頷いてしまう。

Hon1

夕食:昨日の残りの鯖の味噌煮、春菊のお浸し、トマトにご飯少々。デザートは、赤ワインと栗、ゴーダチーズ、梨。
 
慣れないウィンドウズ10に手間取り、深夜まで、バソコンの設定でブック・サーフィンをしながら時間を費やす。
 
詩集は、まれに思いだしたように手にする。堀口大学のフランス訳詩集「月下の一群」、萩原朔太郎、中原忠也、西脇順三郎。アメリカは、エドガー・アラン・ポー。ドイツなら、ハイネとプラーテンにリルケ。フランスなら、プレべール。漢詩なら唐詩選。

Hon2

加島祥造氏のポーの処女作「Alone(ひとりで) 」についての解説:
詩とは社会の正邪善悪を越えた向こうにある神秘からくる・・・それに出会った時の驚きからくる・・・そうした神秘への驚きはいつも、ひとりでいるときに起こるものだ。詩というものは、ひとりでいて、あの神秘にふれる時に生まれる。
 
ポーが19歳のときの処女作<Alone>は以下のごとし:
 
From childhood's hour I have not been
As others were --- I have not seen
As others saw --- I could not bring
My passions from a common spring---
My sorrow --- I could not awaken
My heart to joy at the same tone........
 
子供時分からぼくは他の子たちと違っていた---
他の子たちが見るうように見なかったし
普通の望みに駆られて夢中になったりしなかった。
悲しさだって、他の子と同じ泉からは
汲みとらなかった---心を喜ばす歌も
みんなと同じ調子のものではなかった.........
(加島祥造氏訳)

2018年10月 5日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その91

10月3日(水) 晴
 
4時に目が覚めてからもう一眠りができないのまま、ぼんやりしたままの頭で日記を書く。
 
6時半に1階のリビングへ降り、今日は通院の日だが、リハビリは手抜きせず40分たっぷりやる。
 
先週金曜日に発生したインドネシアの地震の犠牲者は1000名をはるかに越えた。援助物資が不足したまま、商店の略奪も発生するという不穏な状況だという。
 
日本の株価が上がり続けている。1990年代以来の高値が付いた。1980年代のバブル期の3万まであと5千円。しかし、あの当時のような熱気はない。冷めたものだ。
 
第4次安部内閣が発足。沖縄知事選では自公推薦候補が落選。安部首相は、9条にからむ憲法改正を来年度目指すという。米中対立が鮮明になっている中、アメリカは日本への安全保証面でのさらなる負担(軍事力の派遣を含む)求めてくることは必至。朝鮮半島や南シナ海での動きは全て、米中のつばぜり合いで起きていることだ。
新冷戦の時代と言われるが、現代中国の発展はアメリカと国交回復したことによって起こった。中国はアメリカ経済(=国際経済)に組み込まれている)のが、米ロが対峙した冷戦とは違う。
 
クロワッサンとブルーベリーとミルクの朝食。
 
8時過ぎ、病院へ出かける。杖は置いていく。ホットコーヒーを飲んで一服してから、リハビリ・ルームに入る。約1時間30分、新しい運動も取り入れてたっぷりと屈伸と筋力トレーニングに汗を流す。今回は、実習生の付き添いもあり、合間合間に入院からこれまで4ヶ月の経過について話をした。
 
京成百貨店の食品売場で買い物をして帰宅する。昼食は、揚げたての天丼弁当に麦茶と蜜柑。
 
14時前、母を近くのクリニックへ車で連れていく。徒歩3分の距離だが。年1回の健康診断。血液検査とレントゲンに医者の定期面談。父と母の薬を処方してもらう。母の健康状態について医者の話を聞く。自分の健康診断もしないといけないと思いつつ帰宅。
 
「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハーレム」を偶然だがBS4で放送しているのを発見。
 
https://www.youtube.com/watch?v=tGAIytPN1k0
 
題名がすごい。興味津々で第3話を見る。オスマン帝国全盛時代のスレイマン皇帝時代のコンスタンティノープル(イスタンブール)が舞台。史実に忠実というよりフィクション。トルコで大ヒットしたドラマだと聞いたことがある。皇后以外にハーレムの美女が登場して、愛欲と陰謀が繰り広げられる。今回は、側室の美貌のアレクサンドラが皇帝の目にとまり夜のとぎをするのだが、皇帝の寵愛を得ること、子供を産むこと、そして、正妻の座を奪うことを堅く決意して皇帝を魅了し、二晩続けて皇帝の部屋に留まり、正妻の皇后に衝撃が走る。
 
夕食:ボリュームたっぷりの鯖の味噌煮を肴にビールを飲む。デザートは、梨と胡椒入りのゴーダチーズと赤ワイン。
 
ワインが効いて、早々と21時に就寝。
 

2018年10月 4日 (木)

病院日記 リハビり・直立歩行編 その90

10月2日(火) 晴

6時半に目が覚める。

1階の居間リハビリ。膝の屈伸は前屈みになり体重を掛けて苦しくなる一歩手前まで。左足の爪先の指の屈伸、足の裏側と足首周辺はひねったりぐるぐる回す運動に重点を置く。従来のストレッチは必要だが効果は薄くなっている、とは病院のリハビリ担当の先生の話。体重の荷重を増やして屈伸の範囲を拡げる。

朝食(石窯パンとブルーベリー・ジャムにチェダー・チーズ、ミルク、レタスとトマト)後、歩行訓練を外でやる。家の回りの地面、土の上の歩行はことのほか心地良い。

ジョロウグモの蜘蛛の巣が多い。一輪の青い花も。ススメバチらしき蜂や赤蜻蛉、アゲハチョウの姿も見かける。庭は、小さいが昆虫たちのパラダイス。

Jorou

日記を書いて、また、家の周りをぶらぶらしていると、ススメバチが飛んでいるのを目にする。怪しい!もしかして!、と家の軒下に目をやると、あったぁ!蜂の巣が。

Suzume

インターネットで確認すると間違いない、スズメバチだ。巣はまだ小さいのでちょっとほっとしたが、駆除はすぐにしないとマズイ。

気になるスズメバチの駆除だが、その前に、お昼(コーヒー、混ぜご飯、ガーリック・トーストに栗とミカン)を食べ、その後2ヶ月ぶりに床屋へ出かけた。カットだけの1000円。更に、UNIQLOに寄り道してジーンズとデニムのシャツを購入する(服を買うなんて何年ぶりか)。全ては気分転換を兼ねて、朝食を食べながら決めた予定の行動。

帰宅してから早速インターネットで調べ、消防署に相談、業者を紹介してもらう。巣の大きさを伝えると初期の段階、駆除はすぐにできるらしい。17時前に業者さんが来てくれた。

プロの見立ては営巣から2ヶ月くらいの巣。中は2層で、この段階のスズメバチはまだ人を攻撃しなという。

梯子を立て掛け、防御服の完全武装姿になり、あっと言う間に巣を撤去。

Suzume1


Suzume2


Suzume3

巣を見るとやはり2層で、幼虫も入っていた。今年は猛暑でスズメバチの活動も昨年の1/3程度と活性はそれほどでもないらしい。費用は六千円。半額は消防署に請求すれば払い戻してくれる。

外に出ていた蜂が戻って来るらしいが巣は撤去されているので、すぐに諦めていなくなるとのこと。話しているうちに1匹が戻って来た。駆除のプロは、網で素早く捕まえて足で踏んずけて葬った。

到着から作業をして撤収するまで僅か40分位の退治劇だった。まだ、早い段階だったから良かったが、4層位の規模になると人を襲い、駆除も大変になるて言う。巣が家の外の軒下だったことも幸いして早期発見、駆除も簡単だった。これで一安心、一件落着。

Suzume4

心配の種が取れた後の夕食は、豚肉の生姜焼きとシシャモでビールを飲む。デザートは甘味が増した梨。

夜、映画「駅前団地」を見る。新しいシリーズ。森繁とフランキー・堺に伴淳三郎の3人が繰り広げるドタバタ喜劇。ロケが、小田急沿線で、百合ヶ丘界隈。西生田駅も映った(新百合ヶ丘駅はまだ存在せず)。1961年公開。

https://www.youtube.com/watch?v=xD8K7eVzxZU

映画を撮影した頃は農地がどんどん売られ、東京のベッド・タウンとして分譲団地が盛んに作られ始めた時代。冒頭で、坂元九ちゃんがクリーニング屋役で自転車に乗って登場する。

フランキーは、一儲けを企むお調子者の土地不動産のバイヤー。

森繁は、男やもめの医者。

伴淳は土地持ちの農家で農地を売ったにわか成金で女にだらしない。後妻役で森光子も登場。駆け落ちしてできた先妻とできた息子が山内賢。

映画のストーリー(古ぼけた医院の森繁が、女医役の淡島千景と最後に結ばれ百合ヶ丘団地の傍にできたばかりのモダンな病院の院長に収まる)以前に、自分が幼稚園に通い始めた頃の日本の生活風景・風俗が映画の中に活写されていて興味が尽きなかった。

伴淳の農家の電化製品一式を列挙すると:テレビ、ステレオ、洗濯機、冷蔵庫、コーヒー用のサイフォン、トースター。一方で、日本の国産車はポンコツ車だ。

2018年10月 3日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その89

10月1日(月) 明け方まで雨、その後晴

風と雨音で深夜過ぎに目が覚める。階下から母が呼んだと思い、降りて見ると気のせいだった。時折風がヒューヒューと唸り、雨が打ち付けるる音が凄い。戸がガタガタとなり、家全体が揺れる感じだ。リビングでテレビをつけると台風は長野県付近。明け方まで荒れ模様は続きそうだ。何事もおこらないことを祈りながらまんじりとしないままベッドで過ごす。仕方なく、「The Eitingons」を読み出したら面白くて気がつくと明け方まの4時になっていた。外は、まだ暴風雨が続いているが、眠りに落ちた。

7時過ぎ、目が覚めると、あたりは静かになっていた。風はまだ吹いてはいるが、台風は去ったようだ。

眠れぬ一夜だったが、母は熟睡したと言う。補聴器を外せば、暴風雨の音は全然聞こえないのだから眠れるはずだ。

リハビリと朝食後、庭にでて、嵐の後の爽やかさに浸る。金木犀のオレンジの花が大分散ってしまった。

<嵐が去った直後の空>

Aozora

<ピラカンサの実>
Pirakansa

<散ってしまった金木犀の花>
Taifunoato_1

<柚子の実>
Yuzu

日記を書いて2階に上がり、Yちゃんのお母さんに頼まれたで調べ事に没頭(インターネットと電話)。

一時間程で終了しやっと落ち着いてから、マーラーの交響曲第四番を聞く。短めの曲とは言ってもほぼ一時間の演奏だ。

お昼:石窯パンのトーストに明太子スパゲティー。

午後は、寝不足もありぼんやりして過ごす。退職直後に怪我してしまい未だにリハビリをする身だ。何も考えずに、養生しながら回復を図ってはいるが、これから何をしていくのか。自分は、あまり深く考えず、行き当たりばったりの性格。野心と言えるほどのものをもったこともない。あれやこれや考えているうちに眠りに落ちた。

眠ったのはそれでも1時間ほど。台風後のフェーン現象で気温がグングン上がり30度を越えた。アイスクリームが食べたくなって、気晴らしに車でスーパーへ買いに往く。

夕食:餃子を肴にビール。メインは、北海道産の生サーモンの切身を焼いたステーキ。レモン汁と溶かしバターと胡椒だけの味付け。

京都大学の先生がノーベル医学賞を授賞した速報が流れる。

台風は北海道付近で熱帯低気圧になった。ところが、台風25号がまたフィリピン付近で発生したらしい。どのような経路をとるかは予想がまだつかないと言う。

寝不足で欠伸が止まらない。シャワーを浴びて、早々と2階のベッドに入る。外では、嵐が去って、秋の虫が盛んに鳴いている。

「The Eitingons」を読み続ける:

ロシア革命の際に毛皮取引のドンMotty Eitingonは革命政府に身柄を拘束されるが莫大な保釈金を支払って保釈される。ハード・キャッシュが必要な革命政権と取引きをし、莫大な金額の契約を取り結ぶ。

エイティンゴン一族のネットワークはユダヤそのものだ。毛皮=シベリアで、仕入れのハンターを押さえるためであろう、ハルビン(満州・ロシアが開拓して発展した都市)にも支店を出している。シベリアの毛皮の一大マーケットは北米アメリカだった。それを仕切っていたのがMottyで、作り上げた資産は半端ではなかった。Eitingon Shild(ロスチャイルドのもじり)と言われる所以である。

2018年10月 2日 (火)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その88

9月30日(日) 雨

深夜過ぎに1度トイレに起きた後、次に目が覚めたのは朝の6時。完全熟睡。外は土砂降りではないが雨、雨、雨だ。

ベッドの中で、積ん読のままだった「The Eitingons―A TwentiethーCentury Story」を読み始める。冒頭は、メキシコのトロツキー暗殺の叙述で始まる。エイティンゴンと言う聞き慣れない名前。ドイツに源を発するユダヤ一族の物語り。作者によるとドイツのEttingenが出自らしい。キッシンジャーの先祖の出自がKissingenであるように。  舞台はイギリス、ロシア、アメリカ合衆国。

この本を手にするきっかけは、関東軍の謀略とされる張作霖爆殺事件が実はソ連によるものだった、という説をだしている「誰も知らなかった毛沢東」(ユン・チアンとジョン・ハリディ共著)で、実行の現場責任者としてこの名前が出ていたからだ。

著者はエイティンゴン一族に連なる子孫。両親の母方
はロシア時代から毛皮商でアメリカで財を成した大富豪一族。その一族とソ連の情報機関の工作員はどういう繋がりがあるのか、運命の糸がどのように絡み合って人生のドラマが展開したのか、興味津々になりアマゾンで取り寄せた。

Eitingon_2

7時になって1階に降りると静まりかえっている。母が朝寝坊した。いつも6時には起床し動き始めるのだが、心配になりそっと部屋を覗くと寝息をたてている。

居間に戻り、ワールド・ニュースを見ながら、40分のリハビリ・トレーニング。インドネシアの地震で384名が少なくとも犠牲になったらしい。

台風24号で九州南部に大雨と強風。関東を通過するのは今夜だ。

石窯パンと納豆と牛乳とレタス・トマトサラダの朝食。

8月に大阪の拘置所から逃走した犯人がようやく見つかった。何と山口県で、万引きの現行犯で拘束され、警察に引渡して身元が判明した。

廊下10往復歩行をして2階へ上がり、マーラーの交響曲第三番をバーンスタイン指揮によるウィーンフィルの演奏で聞く。スッキリした頭で、朝食後の寛ぎのなか、徐々に集中を高めながら音を追っていく。何せ、1時間45分の世界最長の交響曲でギネスブックにも登録されている曲。第6楽章まである。第三番はかなり聴き込んだ曲で懐かしさを感じながら最後までギッシリ詰まったマーラー節を堪能する。

第5楽章はニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」にある「夜の歌」のソロ。殊のほか印象的でニーチェの本を引っ張り出した。

 

以下、手塚富雄氏訳:

おお、人間よ、心して聞け。深い真夜中は何を語る?

「私は眠った、私は、眠った -----、

深い夢から私は目ざめた。-----

世界は深い、

昼が考えたより深い。

世界の痛みは深い-----、

悦び-----それは心の悩みよりいっそう深い。

痛みは言う、去れ、と。

しかし、すべての悦びは永遠を欲する-----

-----深い、深い永遠を欲する!」

マーラーを聞くには体力が必要と実感。指揮者も演奏者も同じだろう。

時計を見ると12時を回っていた。お昼は、五目チャーハンとクロワッサン1個にコーヒー。最後は小さい粒の葡萄を15粒ほどお腹に入れた。

2階のベッドで昼寝をしながら「The Eitingons―A TwentiethーCentury Story」を読み続ける。

ユンガーの翻訳はお休みにしたが、翻訳で難儀するのが軍事に関する用語だ。しかも、第一次大戦の話。参考にと思いたち、レマルクの「西部戦線異常なし」の原文と名訳といわれる秦豊吉氏の翻訳を付き合わせながら語彙の確認めいたことをしてみる。簡単にいえば対訳による再読だ。ドイツ語の勉強にもなる。

Photo_2

夕刻、台風は四国・関西に。雨、風、高潮。関東は深夜過ぎ、明日の明け方だ。早々と窓の戸を立てて備える。

外出しない今日は、午後もリハビリをする。リビングと座敷と庭向きの廊下を円を描くように10回り歩行する。約200㍍。

夕食は、ぶり大根、豪州牛ステーキ(両親と分ける)と茄子の浅漬けを肴に赤ワインを飲む。デザートは栗。赤ワイン(軽め)に良く合い8個平らげる。

早めに2階に上がり本の整理をしながら、ベッドでブック・サーフィンをする。外は風も吹かず静かだが、東京の山手線は20時で運休になると言う。

Yちゃん、明日の朝は台風の影響で大変だぁ、と心配の連絡をすると、東京都の学校は都民の日でお休みらしい。

21時過ぎ、一陣の風がいきなりヒューヒューとなりながら、2階の窓の戸をガタガタと揺らした。いよいよ台風がやって来た。

 

2018年10月 1日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その87

9月29日(土) 曇り、後雨

夜中に1度もトイレに起きず5時過ぎに目が覚める。外はまだ暗いが夜明けを前にカラスが鳴き始めている。日記を書く。

6時過ぎ、リビングでリハビリ開始。膝の屈伸、左足に体重をかけたの爪先立ち、足首のストレッチでたっぷり40分。最後は、廊下を10往復(約200㍍)をで仕上げる。

朝食は、クロワッサン、シリアル、牛乳、だし巻き玉子にレタスとトマト。

台風24号が沖縄を直撃。瞬間最大風速50㍍んを越える。手強いというかヤバイ台風。関東は明日夕刻か。

昨日インドネシアにまた大地震。スワベシ島でマグニチュード7.5で3㍍の津波が襲ったらしい。

午前は、ユンガーの翻訳作業を少しやり、買い物(昨日食べ損ねた牛肉コロッケも買う)をする。

お昼:カツ丼、麦茶。

午後は、本の整理、ネットサーフィン、昼寝で過ごす。

日本の作家で自分が熱中し多くの作品(小説、旅行記、日記、エッセイ等)を系統的に読んで真面目に付き合ったのは、結局のところ開高健三島由紀夫の二人。

外国の作家は、ドイツ語を学んだこともあり、トーマス・マンエルンスト・ユンガー。それに、ヘミングウェイ、チェーホフ、ジョージ・オーウェルとサマセット・モーム。加えて、ジョージ・ミケッシュとアーサー・ケストラー(後半生の科学エッセイの著作は難解でまだ積ん読状態)。

17時過ぎ、父がデイケアから戻ったタイミングで夕食の準備。好評の海老とセロリの塩炒めを作る。オリーブオイル、日本酒、塩、ニンニクなどの有り合わせの調味料だけで作る簡単な一品。海老もインド産の冷凍だ。

今回は彩りを考え、赤と黄色のパプリカにアスパラガスも使う。出来映えはベリー・グッド。高齢による体力の衰えから最近は口数がめっきり減った父から「今日は海老が一番美味かった」とコメント。

地元産のホワイトエールのビールを飲みながら、牛肉コロッケ!!と海老とセロリ炒めを賞味する。

Ebiserori

山葵醤油で味付けした笹かまぼをこ鮭茶漬けのご飯に乗せて食べたあと、デザートは、赤ワイン(国産の軽めのもの)を飲みながら栗と葡萄とゴーダチーズ。

Desert

東京のYちゃん母娘からラインの連絡あり。Yちゃんは元気になって土曜日の今日は午後から塾に出かけたらしい。

ブラタモリ(今回は山形県酒田市)を見て、2階へ上がる。三島由紀夫の「私の遍歴時代」を手にしてベッドに潜り込む。

Henreki

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