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2018年10月28日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その113

10月27日(土)雨、後曇り、時々晴れ
 
4時過ぎに目が覚める。「The Eitingons」を読み続ける。20章の「友人たち」の途中から、21章「パレスチナ」と22章の「女性歌手」の途中まで。
 
ウィーンのフロイトの実質的パトロンにしてベルリンで精神分析クリニックの所長をしていたマックス・エイティンゴンは、ニューヨークの毛皮王であるモッティ・エイティンゴンと祖父を同じくする。この本の著者は、3人目のエイティンゴンの家系に繋がる人で、ソ連のthe London Review of Booksの編集者で、秘密工作員レオニド(ナウム)・エイティンゴンの祖父ボリスの孫にあたる。そして、この祖父のボリスとニューヨークの毛皮大富豪モッティとは血を分けた兄弟なのである。さらに、モッティは、精神分析医のマックスの父カイムの娘(マックスの妹)と結婚して毛皮取引等の国際ビジネスを引き継いでいる。毛皮取引商社の当主カイムは、息子のマックス(精神分析にのめり込み、音楽や芸術を愛するディレッタント)より、娘婿のモッティに将来を託したということだろう。
 
エイティンゴン一族の富の膨大さは図り知れない。しかし、ニューヨークのモッティ・エイティンゴンが当主となる毛皮取引きが1929年の株式大暴落以来の大不況から次第に傾いていく。ビジネスの拠点は、ロンドン、ポーランドのLODZ、ドイツのライプチヒ、そしてニューヨーク。高級毛皮の需要は落ち込む一方、軍需関連の服は大きな需要を伸ばすがエイティンゴンの守備範囲ではない。
 
ベルリンのマックスは、金銭的に苦しむというか節約する生活を迫られたようで、ヒトラーが政権の座に就き、全権委任法が成立してヒトラーの独裁が始まり、ユダヤ人迫害が始まったことを契機に、パレスチナに移る。が、イスラエル移住後も欧州には頻繁に旅行をしていた。パリの滞在先はジョルジュ・サンク。金銭に不如意とは程遠い。このパリ滞在に関連して、スキャンダラスな事件が起きる。直接巻き込まれたわけではないが、事件に関わる人物として名前が挙がるのである。
 
事件とは、パリを拠点に活動していたというか担がれていた亡命ロシア人で白軍(皇帝派)のミレル将軍が行方不明となる。拉致され、ソ連で殺されたことが後に判明する。マックスは、芸術家のパトロンであり、その一人でもあったパリ在住のロシア人の歌手プレビツカヤは、ロシア民謡を歌う国民的な歌手であると同時に、実はソ連秘密警察のエージェントでもあった。ミレル将軍はプレビツカヤの夫スコブリンが設定した会合に出かけたまま行方不明になったのである。スコブリンは内戦(スペイン市民戦争)のスペインに逃走、フランス政府が身柄引き渡しを要求するもスペイン共和国政府は断る。プレビツカヤやフランスの法で裁かれ、20年の禁固刑。1940年に獄中で死亡している。著者は、明確に証明できていないが、ここに、3人目のレオニド・エイティンゴンの介在、そして、叔父のマックスのソ連秘密警察との関わりに想像を膨らませている
 
6時半過ぎ、1階のリビングでリハビリ、7時過ぎ、キッチンで朝食の用意。両親のおかず、大型アジのグリルを作る。昨夜食べて、おいしかったものの再現。自分は納豆、笹かまぼこにご飯少々。皿洗いの片づけ。休憩。2階で日記書き。9時過ぎ父はデイケアーに出かける。休憩しながら、釣り道具いじりなどに没頭する。
 
午前中は、母の使いで買い物に出かける(介護用のオムツと食材)。ついでに、上州屋に出かけてPEラインの1号(2600円!)を奮発して買う。
 
お昼は、スーパーで購入した巻きずし。
 
午後は、迷ったが、阿字ヶ浦海岸に足を運んだ。2時間、新しいPEラインを巻いたリールを使って遠投をしながら魚を探ったが、何も釣れずがっかり。昨日釣れたから今日釣れるとは限らない好例だ。しかし、PE1号で錘25号だと、普通に4色(100㍍)は投げられることが分かった(今までは、1.5号か1.2号を使用)。体調が万全で練習をすれば、5色は投げられそうだ。それ以上となるとたぶん無理だろう。その場合は、糸を0.8号にする必要がありそうだ。
 
栃木から下見にやってきたという釣り師と立ち話をする。よく阿字ヶ浦に通っているらしいが、「ここは数は出ないがシロギスのサイズがいいこと」、「20㌢越えが結構でるとのこと」、この海岸一帯はいたるところに根があるので気を付けたほうがよいこと」、「私が選んでいるところは砂地で左右150㍍位の幅は大丈夫だが、その先は100㍍を超える遠投をすると根掛かりするらしい」、ことなど。二人で話に興じていると、ヒラメ狙いのルアー氏が何と、大きなタコを釣り上げた。この時期タコが釣れるのだ。私も3年前にゴミが釣れたかと思ったほど重いものをリールで巻き上げてミズダコを釣ったことを思い出した(2015年の11月、那珂湊漁港)。栃木の釣り師は、明日の午前中にここで本番をやります、と帰っていった。
16時過ぎ、帰宅。休憩して夕食の準備をする。父のために昨日釣ったイシモチ(ニベ)の塩焼きを作った。28㌢と大型でうまく焼かないと火が通らないでの私の仕事である。
 
Shimochiyaki
 
夜、インド映画「大河のうた」を見る。サタジット・レイ監督の三部作の第二作。第一作がとても良かったので(今更だが、外国の人が、小津安二郎の映画を観ているうようなものか)、第二作と三作をアマゾンで注文したのだ。第一作は、娘を病気で失った悲しみに沈むアプの一家は田舎を捨てて都会へ出るところ、それも、牛車!で終わった。第2作の舞台は都会のベナレスで生活をしている情景から始まる。
 
Photo
 
貧しい生活に変化はない。マッチに火がつかなくてアプに2階の人にマッチを2本!貰いにやる母親の苦悩。父親がガンジス河で沐浴するシーン。狭い路地を走り回って近所の子と遊ぶアプのシーン。水道にやってくる猿と毛嫌いする母親。そんなある日のこと、父親が熱を出して帰宅する。医者を呼ばず自分が煎じた薬を飲む。翌日、父はもう大丈夫と沐浴のためにガンジス川に出かけた帰りにまた倒れてしまう。医者を呼んでみたものの、その翌朝、衰弱した夫を見て妻は悟ったのか、アプにガンジス河の水を汲んで来させ、聖水の川の水を夫に飲ませると息絶えてしまった。母と息子の二人になってしまったアブ一家。母は、富豪?の家政婦住み込みのオファーを受けてベナレスを息子と離れるために列車に乗る。
 
と、ここで眠くなってしまい、続きはまた明日に観ることに。2時間のサーフでの遠投で疲れたのであろう。左足は快方しているが、腰や肩に張りが出ている。左足首を無意識にかばっているのだろうか、右膝にも負担がかかっていて痛みではないが微妙な負担が
感じられる。
 

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