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2018年10月31日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その116

10月30日(火)快晴
 
3時前に目覚めて眠れなくなる。明け方まで早朝の読書に耽る。
 
まずは、ステファン・ツヴァイクの旅行記「Auf Reisen」をパラパラめくる。読み始めは最後の「昨日のウィーン」。同氏の自伝的回想録「昨日の世界」は翻訳で昔読んだことがある。この旅行記は、ユダヤ人で、故郷のオーストリアを捨てて亡命生活をしていたツヴァイクがウィーンについての思い出を綴っていて、「昨日の世界」と重なっている。題は「Das Wien von Gerstern」。英語ならThe Vienna of Yesterday。ウィーンの前に定冠詞Theがついている。
 
失われてしまったハプスブルクのウィーンと第一次世界大戦後に復興したウィーン。ヒトラー(リンツ生まれのオーストリア人)のナチス・ドイツに併合されるまでの「あのウィーン」。それは、ヨーロッパを体現する文化。それは、モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、ブルックナー、マーラーであり、ヨハン・ストラウスでありハイドンらの音楽の伝統である。そして、世紀末様式の建築でありクリムトたちの絵画であある。いまはもうない「あのウィーン」。放浪のユダヤ人にとっては、ウィーンは旅先の一つとなってしまった。
 
Zweig
 
The Eitingons」を読み続ける。スペイン内戦でのソ連の関与の暗黒面とは、ジョージ・オーウェルも厳しく非難した、アナーキスト系のPOUM(マルクス主義統一労働党)をトロツキー派として弾圧したこと。モスクワのおひざ元では「モスクワ裁判」というショウ的な見世物のなかでスターリンの粛清劇が進行していた(スターリンの地位を脅かすとされた赤軍のエースであるトハチェスキー元帥も銃殺刑となる)が、スペインでは、裁判すらない凄惨な処刑劇が繰り広げられたという(左翼同士の内ゲバ)。
 
6時過ぎ起床、日記をつける。近くの柿木からモズが高鳴いている。
7時前、居間におりてリハビリを半分やって、朝食(塩鮭と納豆とみそ汁とご飯)を食べ、一休みして残り半分のリハビリを継続する。8時半過ぎ、ハローワークへ出かける。失業手当給付を受けるたえの就業活動だ。40分で終了。帰り道、京成百貨店に寄り道して、ブリと大根を購入する。ブリの値段がだいぶ安くなってきた。ぶり大根が食べたくなった。
 
父の血圧が昨日のデイケア先で高く、入浴ができなかったという。それで、ということなのか、ケアマネージャーさんが今日は父の在宅ケア方様子を見に来た。排便やらいろいろ
あって、最後に血圧を測ると下がっていたので一安心。
 
昼食(スパげてっぃナポリタンとコーヒーにミカン)を食べて、日課となった午後の釣りに出かける。昨日と同じ場所だ。現場について見ると二人の釣り師が護岸の両側を占領していた。仕方なく、真ん中付近に釣り座を構えた。が、ここは根掛かりする場所だった。
 
Tsuriba2
 
仕掛けを2つロスしてしまう。下流側の人は昨日話しかけてきた人。見ている前で2尾イシモチを釣り上げた。上流側の人は50㌢のフッコを釣り上げた。自分はトラブルが続き、さらに、アタリがあった直後ハリス切れというさらなるトラブルでツキに見放された感じだった。それでも、20㌢をかろうじて超えるセイゴを4尾釣り上げて16時前に家路につくことが出来た。
 
釣果 セイゴ4尾(21㌢~23㌢))
Seigo_4bi
 
夕食は、ブリ大根でご飯を食べる。食前に、ガーリックトーストを作り、赤ワインを飲みながらサラミと一緒に食べる。
 
居間で日本シリーズ第三戦(広島対ソフトバンク)を見るが途中で眠くなり早々と2階のベッドに上がる。よく考えれば今朝は3時起きだった。

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