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2018年11月30日 (金)

セイゴ釣りは渋かった。深夜まで読書に耽る。

11月29日(木) 曇り

6時過ぎの目覚め。今朝はアカハラの声を聞けず。雨の予報だったが雨が降った気配はなし。ただし、寒い。The Global Cold Warの第4章を読了する。

朝食は、昨日のセイゴのアラで作った味噌汁、納豆、海苔、ご飯少々とバナナ。バッハのCD音楽を聞きながら日記をつける。終了後、母の用足しで外出(徒歩と車)。父の介護用品、石窯パン、コロッケ(牛肉コロッケとカニクリームコロッケとメンチカツ)、塩鮭、白ワイン、葱、春菊、ポテトサラダ、おはぎ、アンパン、牛乳。

昼食(コーヒーと石窯パンと牛肉コロッケのサンドイッチにミカン一個)を取って、午後の日課の釣りに出かける。釣り侍で餌を購入。新しい釣り情報を聞くと、タコが好調らしい。投げ釣りは厳しい。カレイがすこしずつ出始めている。

マイスポットで3本の竿を出し終わったのが13時半。遠投(80㍍60㍍の2本)に近場(40㍍前後)で勝負することに。小潮で潮はさらに弱まっている。錘は下流に少々流される程度。



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まったくアタリなし。散歩人が立ち寄り世間話していると、いつもの若者というか中年男がやってきた。昨日は20㌢のハゼを釣ったという。釣果は10尾。ナブラがたったのでルアーをやると小さいセイゴも釣れたという。写真を見せてくれた。3人で釣り談義していると、上流の竿にかすかなアタリ。ググっという引き込みがないので小物だ。竿を回収すると15㌢ほどのちっちゃなセイゴ。川にお帰りいただいた。14時半過ぎ、散歩の二人は帰っていた。中年釣り師は那珂湊へ今日もハゼ狙い。

15時前、真ん中の遠投竿にアタリが来た。2度、3度お辞儀した。合わせを入れると獲物がいた。が、すぐ軽くなってしまった。バラシだ。残念。それっきりで沈黙が続く。今日はひょっとしてボウズか、という予感が忍び寄る。近場に投げている竿は、場所を代えてもまったく反応なし、エサもそのままなので片付ける。そうこうするうちに下流側の竿の鈴がチリンと一度だけなる。道糸がすこし弛んでいる。ひょっとして、と合わせを入れてもよくわからない。魚が手前に来ているのだ。リールを巻き始めてすこししてようやく針掛かりしていることがわかった。手前で鰓荒い。しかし、無事取り込んだ。14号の針は飲み込まれていた。30㌢越えのセイゴだ。ほっとした。これで良し、帰れる。とは、云え、2度だけのアタリは寂しい。15時45分まで粘った。が、結局、不発。1尾の持ち帰りで今日は終了となった。



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手ぶらで帰るよりやっぱり獲物があるというのは心を軽くする。車中では、昔懐かしのテレビの音楽をやってた。ハチハチニーサン海底人・・・。ラジオを聞くのは車中の移動と災害があって停電となったときだけだ。ところで、今日は護岸の上り下りで禁を犯してしまった。安全策を取らず(石段の上り下り)ではなく、護岸の斜めになった斜面(三分の一は草と土、三分の二はコンクリート)を上り下りした。雨などで濡れていたらやめるが、もうそろそろいいだろう。それくらい左足首はしっかりしてきたと思う。これもリハビリ? 

釣果:セイゴ32㌢ 1尾

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夕食は、豚肉の生姜焼き(冷凍)、赤ワイン、牛肉コロッケ、レタス、ポテトサラダ、セロリと大根のマリネにご飯少々。


夜の読書:「中国4.0 暴発する中華帝国」(エドワード・ルトワック著、文春新書)を読む。



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ルーマニア生まれのユダヤ人!でイギリスのLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)を卒業、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学で博士号を取ったストラテジスト(軍事・安全保障のアドバイザー)である。中国の専門家ではない中国論。面白い視点が満載であり、なるほど、そうかぁ!という指摘に頷いてしまう。

日本の国際政治学者や中国専門家の著作とは一味も二味も違うので読んでいてスリリングだ。中国の海洋進出の根拠となる「九段線」は国民党の軍人が酔っ払って作った荒唐無稽な話と一蹴している。清朝と中国を同一視するなら、スリランカはインド領有を主張できる(大英帝国の一部をなしていた)という比喩もなるほど! 敬愛する岡田英弘氏は、清朝をハプスブルク帝国やイギリス連合王国になぞらえていた。「同君連合」という概念。一国の王様が(皇帝が)複数の王国に君臨統治すること。


清朝は、満州人の王様(族長)が、中国(万里の長城以南)の皇帝として君臨し、モンゴル族の婚姻関係を結び同盟関係にもとづく族長として君臨し、チベット仏教を宗主として保護したのが実態。清朝の領域が中国というのは荒唐無稽すぎるのだ。中国の理屈は、未開民族は文明の高い中国に同化されて中国人になる=異民族支配が打ち立てた王朝(彼らは中国式に皇帝と名乗り、中国の官僚制にもとづく統治機構にのっかる)が中国、という考え方をしているが、荒唐無稽で独善的すぎるのだ。同化したというなら、チベットやウィグル人(イスラム)やモンゴルとあれほどの摩擦や対立など発生しないであろう。

ロシアと中国の比較もおもしろい。ロシアは戦争に負けたことがない。ただ一回の例外を除いて。それが、日ロ戦争。中国は戦争には負けっぱなしである。「ロシアは戦略を除いてすべてダメ、中国は、戦略以外はすべてうまい」。「孫子」の子孫を誇る中国だが、鄧小平の路線から胡錦涛時代を経て習近平体制によって大きく変質し、自らを敵対する周辺の国から囲い込まれてしまう政治路線に突っ走ってしまたのがリーマンショック後(北京オリンピック後)の10年である。安倍総理が数年前に、中国を19世紀末から20世紀初頭のドイツになぞらえたが、トランプ政権のアメリカ=大英帝国、習近平の中国=カイザー・ウィルヘルム二世のドイツ帝国なのだ。ロシアの対比で、ドイツは、ルトワック氏によると、戦略がまるでダメな国。戦争に勝ったのは、ドイツ統一を成し遂げた戦争(普墺・普仏戦争)だけでそれ
以外はすべて負け。戦後の平和路線のなかであれだけ経済的に成功し、金銭の面でもEU諸国を支え続けているのでに、周りから嫌われ続けるドイツ。

韓国については、特に面白い指摘があった。まず、韓国は独立したがらない国である。深層意識では、中国の天下で元の鞘に収まりたがっている。ルトワック氏は、日本は十分すぎすほど植民地支配に対して謝罪しているとして、しかし、韓国は今後も謝罪要求を続けるであろうという。理由は、オランダと同じ。オランダはあまりにもたやすくナチス・ドイツを受け入れてしまった。そのため、戦後の反ドイツは半端ではなく1960年代までドイツ人はオランダで休暇をとるにも民宿などはドイツ人お断りであった。私は1983年から1984年までアムステルダムに勤務したが、ある人から指摘されて気付いたのは、オランダにはドイツの銀行の支店がない、ということだった。フランスのようにレジスタンス勢力がたくさんの犠牲と血で贖っていない代償は、ねちねちとした憎悪(自分たちの父・祖父世代をドイツ人に投影する)となって燻る。ルトワック氏は、ルーマニアの出身だが、ユーゴスラビアは全然違うという。チトーらのパルチザンで残虐なナチスに血であがなう抵抗をしたことによって、戦後はオランダのような屈折したドイツ嫌いは残らず、クロアチアの民宿では1950年代からドイツ人(オーストリア人)のリゾートとして繁栄し交流がなされていたという。

日本によって見事に唯々諾々と心地よく?支配されてしまった韓国も同様。韓国の人々(エリートたち)の怒りは自分たちの祖父に向けられているという。植民地時代に抵抗はあったが非常に限られていた。大方の韓国人、両班でなければ人でなしの韓国社会の庶民の大多数は日本支配を抵抗なく受け入れたというのが現実だった。支配層=両班の系統はそれが許せないのだ。

G20が明日からアルゼンチンで始まる。焦点は、米中対立の行方だ。トランプさんのスタンスは、かつての大英帝国がドイツを嫌い抜き、ことごとく反ドイツ政策を画策した19世紀末から20世紀初頭の再現である。イギリスは、ロシアとフランスという二つの時には敵対する大国と連携してドイツを囲い込んでいった。地政学的に言えば、中国の場合、北はロシア、西南はインド、東南は日本とASEAN諸国が、中国包囲網を作ることができるし、ロシアを除いてはそうなりつつある。。政治的には反中国のトレンドがこの10年でできつつあるが、経済的=金はどうか。確かに、money talks (カネは力なり)だが、政治(人々の信条と矜持、国の成り立ちなど)と経済は必ずしも手を携えるわけではない、と著者はいう。

中国の危うさは、確かに、経済規模では計り知れない影響力を世界にもっているが、政治が、「アフリカの小国並みに不透明で不安定」であることが世界に不安を与えていると指摘している。G2論をアメリカの金融界の利益を代弁するキッシンジャー(ユダヤ人)をぶったが、中国はそれにのろうとして、結局アメリカに袖にされてしまった。キッシンジャーには1960年代のデタント(米ソによる世界統治)が頭にあったようだが、ルトワック氏によるとアメリカ政権は一顧だにしていないという。中国とは価値観が違いすぎる。イギリスとのG2なら有り得ただろうが、という。


中国は内政問題で手が一杯で外交に対する配慮はあまりできていない、というのもあるようだ。習近平政権の弱点は、腐敗撲滅の対象から自らが所属する太子党の勢力を除外していること。恨みを買うことは必然であり、暗殺未遂事件が起きているという噂が時折でてくるゆえんである。中国人自身も自ら語る「内訌」(うちわもめ)である。10年の任期延長手続きはすでになされているが、後継者が誰になるのかはまだ一向に見えてこない。ひょっとして、中国共産党支配の終焉?習近平は第二のゴルバチョフになるのか? ルトワック氏の本に刺激されながら、妄想が広がってきた。

ちなみに、本の帯の裏側に、タイトルの4.0に関し、1.0=平和的台頭(鄧小平路線、リーマンショックまでのこと);2.0=対外強硬路線(胡錦涛政権の後半のこと。復活しつつある偉大なる強国に相応しい政治をすべきだとう国内圧力による);3.0=選択的攻撃(習近平政権の現在)。アメリカに揺さぶりを掛けられている今後の中国の政策は4.0になるらしい。

2018年11月29日 (木)

まだまだ釣れるセイゴ。

11月28日(水)晴、後曇り


6時前の目覚め。アカハラの地鳴き。The Global Cold Warを読み続ける。アメリカの中南米への実質的な非公式の帝国主義的介入。冷戦が始まるずっと以前、19世紀中葉からすでにアメリカは帝国主義者として振舞ってきた。1911年のメキシコ革命。ニカラグア、グアテマラ。ソ連の成立と社会正義=左翼運動=労働運動=土地改革から、軍部によるクーデター、既得権益者、いわゆるファシスト的性格をもつ腐敗した勢力に肩入れする選択肢をとるアメリカ。

簡単なリハビリを済ませて、朝食(納豆、笹かまぼこ、ポテトサラダ、ご飯)を取り、2階で日記をつける。音楽CDはビートルズのホワイト・アルバム。CDで所有する唯一のビートルズのアルバム。他のアルバムはすべてレコードだ。大事に保管しているが再生する手段がない。先日、駅の大手家電量販店の店頭に懐かしのレコード再生装置がディスプレイされていた。2万円もしない。買ってもいいかなぁ、とふと思った。眠ったままのレコードはかなりある。

母の使いで、近くのKクリニックへ薬を貰いに行く。待たされるだろうことを予想して、遠藤周作の「深い河 創作日記」を持参。待合室で読む。日記をパラパラと読んだが、日記の後の、同氏の宗教関する思いの吐露(エッセイ?)が面白かった。また、三浦朱門と河合隼夫両氏の対談が参考になる。小説の展開と材料としての取材と勉強、過去の作品との関係などだ。同氏の良き読者ではないが、買ったまま放置した本がいくつかあるので(「沈黙」も未読)、この機会に読んでみようと思う。自分の読書の動機は、「自分はどこから来て、どこへ行く」という哲学だ。誰もわからないことだ、死後のことなど。魂はあるのか?そんなことどうでもいい、というのがこれまでの自分だった。今もそうだ。「死んだらおしまいだ」という感覚がいまだに濃厚だ。唯物主義的世界観に洗脳されているわけだ。でも、ひょっとして、という思いは、頭の片隅にはある。60歳代に突入し、いまだ、両親が健在とはいうものの、間違いなくやってくる死について考えるというか、どう受け止めて見送り、そして自分も備えるのか、ようやく真剣にならなければいけない年ごろに!?なったということだろうか。

お昼は、銀座ナイルカレーを一人前作り、母と半分に分けて食べる。食後は、2時間ほど那珂川河口のマイスポットに出かけた。

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中潮最後の日。竿を2本出したが、ほとんど潮が動いていない。アタリもほとんどない。ポカポカ陽気でぼんやりしていると、日曜日に言葉を交わした若者(と言っても40代)がやって来た。日曜日は、ちょうど私が帰るタイミングで潮が下げにはいったから釣れますよ、という私の言葉どおり、釣れたらしい。装備がハゼ釣りなので、最後にドーンとでかいセイゴかフッコかわからないが大きなアタリが来て、1号のハリスはあっけなく切られてしまったと。今日は、那珂湊漁港へハゼ釣りに行くそうだ。月曜日にやって10尾ほどは釣れたらしい。昼間は釣れないが、陽が傾いた遅い午後から日没までは結構アタリがあるらしい。暗くなるとパッタリとアタリはとまるらしい。勝負は15時半から16時半の1時間くらいか。

ひとしきり話をして彼は那珂湊に向かった。その間、アタリらしいあたりはなし。15時過ぎ、ようやく下流側の竿に大きなアタリが来た。ソレッ、とリールを巻く。今までになくすごい抵抗。かなりの大物と見た。なかなか水面まで上がらない。護岸手前で激しい鰓荒い。そして、軽くなってしまった。針がはずれてしまった。残念。逃した獲物は大きかった。フーッとため息。気を取り直して餌をつけて再投入。5分後、再びアタリが。しかし、針掛かりせず、きれいに餌を取られてしまった。今度こそと、再度たっぷりの餌を一本針につけて投入。10分ほどたってアタリが来た。ソレーッ、フィッシュ・オーン!!!ようやく護岸に引き寄せたのは30㌢越えのセイゴだった。今や、レギュラーサイズとなった感のあう30㌢サイズ。



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しかし、今日は、この3回のアタリだけで終了した。潮がまたぱたっと止まった。満潮潮どまりの時間帯に入ったようだ。15時40分、納竿。途中、新しくオープンしたイオンで買い物をして16時半前に帰宅した。 


釣果 セイゴ1尾 33㌢

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父の帰宅に合わせて夕食の準備をする。まずははセイゴの切り身のオイル焼き(オリーブオイル)を作る。それから、豚のロース肉を湯がいて摺りおろしの生姜と醤油に酢を入れてタレを作り豚肉に掛けた。脂を落としお年寄り(自分を含む)の好みに合わせた調理。簡単な豚肉の生姜風味の一品。イオンで購入したパリパリのレタスと盛り合わせた。

ゴーンさんの事件は、時間が経過するにつれていろいろと情報が漏れ伝わって来ている。銭ゲバのドロドロとした嫌らしさはあるが、あくまで合法的な範囲でしたことなのか(ゴーンさんは大変な秀才でもある。パリのグランゼコールの一つを卒業している)。それとも、やはり、法にもとる行為を意志的に行ったのか。その際、日産の利益を損なう背任行為をしたのか。

2018年11月28日 (水)

ハゼ釣りは空振り・・・ 

11月27日(火) 曇り後晴

5時半の目覚め。アカハラの声を今朝も聞く。

The Global Cold Warを読み続ける。コンゴの悲劇は胸が苦しくなるほどだ。原住民はまるで野蛮人扱い。実際に、高度な資本主義国の人間にあらざれば、アフリカの極貧生活者はそのように見えても仕方がなかったであろう。所謂、「土人」扱い。


ベルギーのあさましい植民地利権への拘りも、この「野蛮の地」になぜか鉱物資源が豊かに眠っていることだった。「お金」のなる木だ。何もなければたぶん放置されて人々は今までの素朴な(野蛮な)生活をじゃまされずに続けられたのかも知れない。ちなみに、広島や長崎に落とされた原爆の材料となったウランはコンゴ産である。

久しぶりにリハビリを居間でやる。朝食は、セイゴのアラ汁、セイゴの山椒煮、マカロニサラダとレタス、ご飯、納豆、そしてリンゴ。

テレビでは、ウラジオストックの街歩きをやっている。ウラジオストックの駅が出てきた。改札がない。なかなかの雰囲気を持つ中央駅。日露戦争最中に完成したシベリア鉄道の駅舎だ。当時の鉄道は技術革新の粋、駅舎も荘厳で見事な建築物が作られた。登場した母娘(5歳くらい)はハバロフスクから海を見に(たぶん海水浴)やって来たという。12時間かかって。


最初の会社勤務のとき、2年連続で8月に福井県の敦賀港からソ連船に乗ってナホトカ経由でハバロフスクまで夜行列車で出かけたことを思い出す。当時と変わっていないのだ。ウラジオストックはソ連極東艦隊の基地故に、観光客は上陸できず、ナホトカだった。ハバロフスクの記憶は、アムール川しかない。川というより海みたいだった。向こう岸がはるか彼方だった。

CDでStefan Grossmanやライ・クーダーのアクースティック・ギターの演奏や、エリック・クラプトンのブルース音楽をフィーチャーした版を聞きながら、日記をつける。


日記も、乗ってくると1時間はあっという間で分量も多くなる。一日一日の備忘録であるが、その時に感じたこと、思い浮かんだこと、時間が経過して後で思い出そうとしても真っ白の空白になってしまうような瑣事でも、ある一時、その瞬間の記録としてあとで読み返すと面白い。1990年代にマックのパソコンを買ったころから不定期につけ始めた習慣だ。
日記を書き終わり、郵便局へ私学共済保険の保険料の支払いにでかける。車は使わず徒歩だ。往復30分の散歩を兼ねたリハビリだ。歩く速度はかなり早くなったと思う。足の痛みも違和感はほとんどなくなった。装具を外して全荷重歩行を開始して2か月半である。でも、まだ完治という間隔からは程遠い。

天気予報で今日はポカポカ陽気、気温は18度近くまで上がるという。母から今日も釣りでしょうね、とからかわれた。エビピラフとコーヒーとミカン一個の昼食を食べて家を出る。那珂湊漁港でハゼ狙い。餌は余り物を使う。



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結果は、期待とは裏腹に、13時から15時までの2時間でたった3尾。



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アタリらしいアタリはなかった。シロギスまでは行かないが、ブルブルッと竿先を揺らすハゼ特有の強いアタリはまったく見られず。上げてみたら釣れていたというもの。「釣り侍」のスタッフの方によると、9月一杯までは那珂川で釣れたが、大雨の後、どこかに消えていなくなってしまった。深場に落ちたということでもない。どこにいるのかわからない、と。
本日最大の16㌢ハゼ。このサイズを5尾~8尾くらい釣りたいのだが・・・

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16時に帰宅。ちょうど、父の訪問看護師さんが帰るところだった。

夕食は、3枚におろしたセイゴ切り身のムニエルを作ってホワイトエールを飲む。2枚つっくって1枚は両親に献上。魚というと、煮つけ、フライ、天ぷら、塩焼き、唐揚げのカテゴリーしか知らない両親にとっては、新しい味覚らしい。バターの香ばしさ、レモン汁ではなく柚子汁をしぼってもおいしいね、とのコメント。

19時から森繁の喜劇「駅前天神」を見る。このシリーズ、相当の本数が作られたようだ。放送は順不同のようだが、東京オリンピックの年のたぶん、真っ最中に封切られたようだ。のっけから、ホテルニュー大谷の全景が映し出される。今回は英語の先生役として森繁さんは登場する。フランキー・堺は孤児で森繁さんに育てられ、英語を教える弟子として登場。事実婚関係らしい森繁のパートナーが淡島千景(居酒屋の女将)で、その娘が池内淳子。池内淳子はフランキー・堺と熱々の仲。前妻との娘役が大空真由美。三木のり平は神主さん、その妻は畠山みどり(冒頭で歌を披露)。伴淳三郎は中村メイコと夫婦だが役どころがいまひとるわからない。王貞治選手が大空真由美の高校の同窓生として登場。お好み焼きを作るシーンも。新幹線の中でフランキーが弁当を食べるシーンや、岐阜羽島駅が出てきたり、メデタシメデタシ(フランキーは池内との仲を師匠の森繁から禁止されるが最後は許してもらい一緒になる)となり、最後の場面で、森繁が大阪弁をしゃべるイーデス・ハンソンから英語の発音を学んでいるところは笑わせる。


このシリーズはどうもフランキー・堺が主役のようであり、池内淳子とのコミカルなキスシーンも何度か出てくる。王選手がとにかく若い。一本足打法に開眼して前年の40本に続き、この年のシーズンは55本の新記録(いまだ破られず)を作って乗りに乗っている時だ。喋るセリフもそれを踏まえているうようだった。


毎回、目まぐるしく展開してバタバタ感があるこのシリーズだが、なかなか面白く最後まで観た。この歳でみる興味は、やはり、昭和の記憶を映画に活写された風俗や言葉遣いでなつかしむところにあるようだ。1960年代から1970年代(私の小中高時代=地方の小都市での生活)は、渡欧をして世界が広がる大学時代とバブルに乗った最初の会社の勤務時代(東京+日本全国+海外)とはやはりどこかで分かれているようだ。

2018年11月27日 (火)

新しい釣り場の模索

11月26日(月) 晴

6時過ぎの目覚め。目覚める前の夢うつつのなかでアカハラの地鳴きを聞いた。朝の読書もリハビリのお休み。

じっくり新聞を読まなくなって久しいが、朝日新聞の朝刊で「英国憲法を揺るがすEU離脱」のコラムが目に留まった。ロンドン特派員の記事。イギリスには成文憲法がないということは一応知っていたが、具体的にはどういうことかはもちろん知らない。Brexitは国内を二分し(2年前の国民投票では賛成がわずかの差で勝利、しかし、離脱賛成は、イングランドとウェールズで、残留支持がスコットランドと北アイルランド)迷走をしている。『英国憲法とは、「女王の議会」が定めた法律や、判例、国際条約、慣習のうち、領土や主権などの国のあり方を規定するものの積み重ねを指す・・』。45年前に欧州連合EUの前身に加盟した際にできた国内法「欧州共同体法」もそのひとつらしい。ブレグジットとは一種の憲法改正手続きらしい。イギリスは日本のように(つまりは、アメリカやフランスのように)国民主権ではない!!!主権は議会にあり、議会は女王のもの。国民に主権はない。汝ら臣民である。となると、国民投票の意味は?憲法を構成するなかで生きた文書とされるマグナカルタ(1251年、日本は鎌倉時代)は、イングランドの王権を制限する(封建領主の既得権益や都市の自由を尊重する)ものであった。国民は国の主ではない。国は王室(実質的には、王室をチェックする「議会」)のものなのだ。だから、かつては、封建領主=議会だったろうが、いまは、国民ということにはなる。問題は、UK(イギリスというとイングランドだけを指すことになる)の構成国!!!の半分は賛成、半分は反対という状況で、ブレグジットをやってしまうと、UKの国体=一体性がくずれてしまうのではないか、ということになる。かなり複雑な問題らしい。



朝食後、父はデイケアーに出かけて行った。2階の自室の清掃、そして、待望の炬燵の準備をする。昨夜は足が冷たくてなかなか寝付けなかった。足湯は一応したのだが芯まで温まらなかったようだ。風呂・シャワー嫌いの私である。毎日お風呂をたてて入ればいいのだろうが、私は炬燵をえらぶ。ゴロリとなって、ミカンを食べたり、本を読んだり、居眠りしたり・・・・。 日記を書いて、スーパーに出かけ、豆腐と人参と石窯パン、キッチンペーパー、柚子飴、お菓子などを買う他、現金をおろす。

昼食はエビピラフと石窯パンで作ったコロッケサンドにお茶。

今日は、セイゴ釣りはしないことに決めた。そのかわり、釣り場の探索をすることに。と言っても、新しいアイデアがあるわけではない。状況の確認と思い、マイスポットのさらに下流、河口の釣り公園に足を運んだ。



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ここは、いつも人が一杯で敬遠していたのだが、ウィークデーだからひょっとして竿が出せるのではと思ったのだ。行ってみると、人で一杯というわけではないが数人の竿でスペースは埋められていた。何を狙っているのか。ヒラメである。K氏からやっている釣り師と話し込む。年中通っているらしい。生餌でも冷凍のイワシでもなんでも釣れる。仕掛けに餌をつけて竿を放り込むだけ。60㌢の大物が頻繁に出るらしい。遠くに投げると牡蠣殻で根掛かりする。4色投げると20㌢~30㌢のシロギスお釣れる(50㍍~100㍍を探る)。スマホの証拠写真を見せてもらった。職業は聞かなかったが、注文があれば(携帯に電話がある)1時間以内で県内のどこにでもすぐ駆けつける。だから、予定がないときはここでヒラメ釣りをやっているという。話し込んでいるうちに、来たぁ、と声が出た。3本の竿の一本がゆっくりとお辞儀を始めた。俗に、ヒラメ40という。食い込むまで40数えろということらしい。合わせを入れると針掛かりしたようだ。が、途中で、釣り師が、奴だぁ、とトーンダウン。レギュラーサイズのアカエイだった。もっとでかいのも釣れるという。走り出すと5号のPEラインがいとも簡単に切られるらしい。



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取り込みの一部始終を観察していると、一番下流側で鈴が鳴った。若者がリールを巻いている。平べったり魚があがった。近づいてみると、実測40㌢のヒラメだった。



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今年の夏に60㌢のヒラメをいきなり上げて病みつきになったという。早速血抜きの処理。刺身がうまそうだ。40㌢と小ぶり、K市のベテラン釣り師いわく、2歳魚だよ。そんなかやで、1時間ほど釣り場を視察。ずらりと並んだ他の竿は沈黙を守っていた。一回の釣りで必ず一尾釣れるわけではない。確率は低いが当たれば60㌢。食べてもおいしいヒラメ。この魅力。いままで敬遠してきたが、新しい釣りの境地。ヒラメを12月は狙ってみるか。

那珂湊漁港内に寄り道して1時間ほど昨日の残りの餌で竿を出した。ハゼ狙い。あちこちあたったが、最後の場所でいきなり17㌢のマハゼが来た。2尾追釣したが、小さい3尾の持ち帰りで15時半、帰路に着いた。車中のFMラジオではバッハの音楽を聞きながら。
帰宅するとキッチンからいい匂い。母がアラ汁とセイゴの山椒煮を作っていた。久しぶりに空腹を意識した。療養中は時間がくると食事をしている感じだった。


17時半前、父が帰宅して、早速のセイゴずくしの夕食を堪能した。満腹になって太鼓腹をたたきながら2階へあがり炬燵にもぐりこむ。さっぱり面白くないテレビに見切りをつけ、本の整理をしながら、炬燵の中でブックサーフィンをする。

ヘルマン・ヘッセの高橋健二訳の本(春の嵐)のあとがきを見ていたら、1931年に同氏が渡欧してスイスのヘッセを訪ねた訪問記が目に留まり再読する。ヘッセはニーチェとゲーテをよく読んでいた。それに、杜甫、李白の唐詩の翻訳。シュテファン・ツバイクは知性が勝ちすぎる人で「詩人」ではない、云々。詩人はドイツ語でDichter。動詞はdichten。言語による芸術的創作活動(詩・小説・戯曲)という意味でDichtungという名詞がある。日本語というか漢字の「詩」より意味が広い。エルンスト・ユンガーもDichterだ。

昨夜、寝床で手にした遠藤周作の「深い河 創作日記」。小説「深い河」が遠藤氏の最後の作品になった。クリスチャンであったが、宗教とは何かということを最後まで問題にしていた。病弱な体質もあったこと、老年期で死を意識した集大成の作品である。一度読んだのだが、記憶がほとんどない。30代半ばのバブルがはじけた直後のころだろうか。「死んだらおしまいでしょう」というのが唯物論的世界観に毒された私の思いではあるが、「超越したもの」、何だかよくわからないけど畏れ多いあるもの、という感覚はどこかにはあるような気がする。神道はまさにそうだ。同氏の本が目に留まり、こんなことを考えるのも、人生に一段落がついたことに加え、健康だけが取り柄だった自分が、骨折であれ全治半年という大けがを負ったことが影響しているのかも知れない。「宗教」や「魂」、これら形而上学的なことはこれまでたまに考えることはあったが、いつも行き止まり(結局、五感で確認できない)となり、また今度、と放り出してしまう対象だった。



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21時過ぎ、ベッドに潜り込む。カール・ポッパーのThe Open Society and Its Enemies Volume two: Hegel and Marxを手にする。著者はウィーン生まれのオーストリア人で母語はドイツ語だ。今年の2月に東京の紀伊国屋書店で購入した本。長年読もう読もうと思って、読まなかった名著。翻訳というか古本でも数千円もする高価本なので、英語版(2000円前後)で読むことにした。小説や詩を読むよりはずっと簡単に読める。英語の勉強にもなる。今更この歳で!?と云うなかれ。人生、一生勉強である。


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得意な歴史の専門書と違い、難儀しながらの読書だが、熟読に値する本だと思う。が、朝の頭がクリアな時に読むべきと思う。というのも、すぐに眠くなってしまい、読書灯を消すことになったからだ。

2018年11月26日 (月)

半年ぶりで散歩(1時間半)をする。釣りは前日の仇を打った!

11月25日(日) 晴


6時前の目覚め。アカハラの地鳴きを聞く。

このところようやく睡眠が安定してきた。入院・療養で約4か月は体を動かさない日々。食欲もあまりなく体重は大幅に増えることはなく維持したか若干減量となった。この4か月は大きかった。体力が落ちたのだ。9月の両足歩行から徐々にリハビリを加速させ、10月半ばからは釣りを再開して1ヶ月ちょっとが経過した。釣りを始めた当初は興奮からしばらくは睡眠障害も起こした(たぶんそうだっただろう)。しばらくして、釣り始めは意気揚々としていても終わって片付けて、那珂川の土手を歩いて車に戻る際にぐったりと疲れを感じるようになった。それが2週間くらい続いただろうか。今はだいぶそれが軽くなってきた。食欲も増進している。良き兆候だが、昔の体力を回復するにはまだ時間がかかるような気がする。

左足首から膝にかけての骨折した部分に痛みはないが、長時間あるくとやっぱり負担を感じる。自宅の階段を降りる際は右膝にかなり負担がかかっているのがよくわかる。右膝と左足首が微妙に痛いのだ。

朝の読書は、The Gobal Cold War。 リハビリは、爪先立ち歩きだけやる。この数日はサボり気味だ。朝食は、セイゴのグリル、納豆、アラ汁、ご飯少々にバナナ。

休憩して、散歩に出かけることにする。千波湖を一周するのはまだ気が引ける。昔よく野球をやった市営住宅の空き地を通り抜けて千波湖畔に出て、それから旧国道6号を潜って、桜川沿いに昔は田んぼだった公園を歩いた。コスモスの花が咲き乱れている。そして、何やらラーメン屋台のイベント。

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出店数は少ないが、野菜を安く売っていたのでジャガイモ15個、玉ねぎ10個、葱4本、しめて480円を購入する。ドイツ風のソーセージの屋台が出ていたので300円だして頬張るも、全然うまくない。バードウォッチングでよく歩いた竹藪のそばの小道をそっと歩くが時間は10時過ぎ。シジュウカラとキセキレイに出あい、ウグイスの笹鳴きを聞くだけだった。ここはジョウビタキや薄暗いところはルリビタキも出てくる場所。竹藪ではシロハラもガサガサと餌のミミズを漁っていたりする。最後に野鳥観察したのは2008年の冬だか春先だったろうか。

ジョウビタキの写真(インターネットからコピー)

Joubitaki

ルリビタキの写真(同上)

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10時半過ぎ、帰宅する。退院後、初めての1時間半にわたる散歩。釣りでの運動とはまた違う本格的なウォーキング。ゆっくりと3キロくらいはあるいたのではないだろうか。まずまずであった。足は幸いにも痛くならなかった。

2階で、ハーポ・マルクスのハープの演奏をCDで聞きながら日記を書く。一段落するともうお昼だ。コーヒーを飲み、焼きおにぎりを一個食べ、乾燥芋を一切れ、それに、母の姪っ子(川崎市在住)が受け取った柚子のお返しに送ってきたリンゴを食べる。

12時半、車で那珂川河口へ。今日は、ぽかぽか陽気。昨日は釣れなかったが今日はどうだろうか。久しぶりに釣り侍で青イソメ60グラムを買って湊大橋を渡って那珂湊側に出るコースをとる。釣り侍の青イソメが生きがよく、さらに、消費税がかからない。60グラムは600円だ。釣り場には誰もいなかった。早速、竿を3本だし、竿先に鈴をつけてアタリを待つ。潮があまり動いていないようなので、堤防を散策することにした。行ったことのない下流側へ200㍍ほど下る。釣りができそうな護岸が数か所あった。戻る途中で昨日の地元氏がヘラブナ釣り!の準備を護岸でしているところに遭遇。声をかけようと思ったが熱中していたの思いとどまって釣り場に戻る。

土手に咲く花

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昨日は釣れなかったが、今日は手ごたえがあった。14時過ぎ、竿の鈴が大きく鳴った。リールをまくとグングンと手ごたえ。右に左に走る。途中で鰓洗いも。無事取り込みに成功。しかし、針は口の皮一枚でかろうじて獲物を捉えていた。間一髪だ。直後、もう一方の竿の鈴が大きく2度、3度なった。来た、来たぁ。こちらも同じサイズの良型セイゴらしき感触。やはり、食いが浅いのか針はかろうじて口先にひっかかっていた。2尾とも30㌢を優に超えるグッドサイズ。これで今日の釣りは終わってもいい、という気分になった。直後、3尾目が上流側の竿に来た。30㌢越えだ。3連荘。14時からわずか30分ほどで30㌢越えを3尾。上々である。それから、しばらくはまったりとする。満潮に近い時間帯に近づくに従い潮がゆっくりし始めたようだ。

<30㌢越えのセイゴが来た!>

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<口の皮一枚の危うさ>

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今日も、釣り人が途中でやってきた。同じ市内にすむ40代の男性だが、青イソメは気持ち悪くて触れないという。それでいてハゼ釣りが大好きらしい。疑似青イソメを使ってやっているらしい。釣り始めは湊大橋の下流の船着き場(私も涸沼・涸沼川でハゼが釣れなくなると、最後はここでハゼを釣ったー2008年、2009年ごろ)らしい。那珂湊漁港で先日は10尾ほど釣ったという。残念なら、今年の那珂川は釣れない、そして、ここも半日やって運がよければ3尾~6尾。10尾も釣れない。私のセイゴ釣りの仕掛けと装具をジロジロみながらいろいろ質問してくる。10年まえの私を見るようである。釣り師は下流側でハゼ釣りを始めた。

陽が大分傾いた。そろそろ帰ろうと思っていると上流側の竿の鈴がチリン、ひと呼吸おいてまたチリンと鳴る。木っ端セイゴか。しばらく放置して合わせを入れると針掛かりしているようだが軽い。木っ端だなぁ、と思っていると手前で急に重く、激しい抵抗。最後に釣れたのはやっぱり30㌢前後のセイゴだった。しっかり針を飲み込んでいた。下流の釣り師が見にやって来た。「いやぁ、すごいっすねぇ」。私にとってはレギュラー・サイズだが、昔、ハゼ釣りで20㌢前後のセイゴを釣っていていきなり25㌢級のセイゴがかかりその引きの強さと水面から現れた見事な魚体に感嘆したことを思い出した。

15時45分、納竿。若者に挨拶をして車まで戻る。潮は下流側に動き始めていた。最後の1尾はやはり潮が動き得だした直後の一撃だったのだろう。あと1時間やれば2~3尾、いや、もっと釣れたかも知れない。昔ならこのまま餌がなくなるまで釣り続けたが、ケガで用心深くなった自分は大事をとった。

竹内マリアの歌をFM放送を車の中で聞きながら(釣りに出かける往路でもかかっていたから特集だろうか)16時半前帰宅。大漁に両親は驚いていた。

釣果:セイゴ4尾(30㌢~34㌢4尾、23㌢1尾)

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夕食は、昨日買ったもう一枚目の豪州牛サーロインステーキの三分の一と赤ワイン。サイド・ディッシュは、午前中買ったジャガイモと大根の煮物。牛肉の三分の二は両親へ。仕上げは、タコの刺身とガリ(ショウガ)にご飯一杯。そして地元産のお茶。

食後は、セイゴの下処理でさらに一仕事した。鱗を落とし、内臓を取り、2尾は煮付けように筒切りにする。2尾は3枚におろし、身以外はアラ汁用の具にする。身は、酒蒸しかバター焼き用にする予定。1尾(23㌢)は尾頭付きの塩焼き用。

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大相撲九州場所は横綱不在の寂しい場所だった。地元出身の大関・高安は破れてしまい優勝を逃した。残念である。

カルロス・ゴーン氏の逮捕は欧米文化と日本文化のぶつかりあいと思っていたが、日本人の大人しさが、生き馬の目を抜く国際ビジネスマンに足元を見られ、甘い汁を吸われ、やりたい放題を許してしまった、というのが真相のようである。自業自得というと言い過ぎだろう。高潔な人格で清貧な経営者だったらゴーンさんは日本人の尊敬を得、叙勲を得たかもしれない。しかし、その正体を知って日本人はびっくり仰天である。あまりにえげつない銭ゲバぶりに。もと東京都知事の舛添さんとは比較の桁が違いすぎる。いずれにして不正があったのはどうも事実のようだが、本人は否定してるらしい。不正を見抜けなかった当事者(日産)の面子は丸つぶれだ。ルノーと日産と三菱連合を比べると、半分は日産の力らしい。日産が倒産手前まで自己変革ができなかったことも事実だが、日本の運命共同体的人間関係ではゴーンさんのようなドラスティック改革は出来なかった(バッサリと合理性にもとづき切るものは切ること)。ゴーンさんに切られた人たちは留飲を下げているからも知れ
ないが、5年後の日産はどうなっているだろうか。

寝床に入り、遠藤周作の「深い河 創作日記」をパラパラと読む。

2018年11月25日 (日)

ツグミもやっぱり来ていた・・・。釣りは超渋い結果に。

11月24日(土) 晴  


6時前の目覚め。ケスケスッというツグミの声。アカハラ以外にツグミもやぱり来てるようである。以下は参考のためインターネットでコピーした写真。

アカハラ 

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ツグミ

Tugumi

ベッドの中で The Global Cold Warsを読み続ける。第4章は第二次世界大戦後、いわゆる第三世界ができるがこれは米ソ冷戦の産物でもある。


第三世界とは旧ヨーロッパの植民地主義を を米ソいずれもが戦後のリーダーとして否定し、相互に競い合いながら介入して作り出されていった世界なのだ。 アメリカは、結果的に第三世界の親ソ=左翼=革命勢力に対し、地元のナショナルな勢力(いってみれば、ファシズムとも関係がある・・・私の見解)を使って 対抗していくかことになる。中国の共産党政権や朝鮮戦争、インドネシア、マラヤ(マレーシア成立前)、イラン、パレスチナ、アフリカのアルジェリア、ガーナ、 コンゴ、南アフリカ・・・。


インドもそうだが、第三世界の国々は、旧宗主国を外して、えげつない植民地主義に手を汚していないソ連(社会の正義)とアメリカ (自由と市場経済)を天秤にかけながら各地域で国の独立を成し遂げる。誕生した政権は運営方針を巡っていずれかのパトロン(ソ連かアメリカ)の支援を受けながら 対立し、政情不安、内戦と混乱が続く。バンドゥン会議で第三世界の首脳が集まり非同盟を謳い、相互の協力を約束したがうまくいかない。国を運営するにはそれを担 う人材がが欠けていた。独立というけれど、植民地の宗主国を追い払っても、国を運営したことがない彼ら。旧宗主国は当然ながら、そのような人材は育てていない。 (日本は別だったろう。日本のアジア支配を欧米植民地主義の最悪の形態と評するのが欧米の歴史叙述だがこの点については日本人として異議がある)


国は政策として若者をアメリカやソ連に留学覇権する。明治時代の日本と同じ。アメリカ組はアメリカの公民権運動を目撃してショックを受け反アメリカになり、ソ連 留学組はソ連の現実に幻滅して反ソ連になる。集団主義と社会の公平と正義(共産主義)か、個人の自由と市場主義(資本主義)か。米ソの対立の中でどうちらもうまく いかない第三世界の悲劇。そもそも、自立して国を運営する能力・資格がないと見做されてもいる(子供または大人になりつつある青年)。


コンゴは最悪である。ジョセフ・コンラッドに描かれたHeart of Darkness (闇の奥)。イギリスやフランスですら現地人をある程度教育し、植民地支配の現地代理人を 育てていたが、コンゴはまったくそれがなかった。レオポルド2世の個人私有物として始まったコンゴはあまりの残虐な支配と搾取が20世紀初頭に批判の対象となり、 国王の手を離れベルギー政府の管理となるが、現地代理人を育てることなく、独立当時は200部族ちかい寄せ集めの集団が割拠する地域でしかなかった。


国の統一を巡って 分裂闘争するのは必至であった。ソ連の支援を受けるにも、アメリカの支援を受けるにも、大事なのは国の体を成すための自らの国民という統一体をなすコンセンサスが なければいけないが、それがないのだ。独立の主体となる当事者にとっても、自由・民主主義・社会的公平と正義・自立・近代化を実現するための素材がなかった。 独立当初の感激はやがて幻滅になり、とめどない混乱を続け21世紀の今日まで引きづっている。


私の知識はアフリカや中近東を含むイスラム圏がこっそり抜け落ちている。まったくの無知というわけではないが、断片的で英語情報に基づくものがほとんどだ。つまり、 イギリスやアメリカの視点で書かれたもの。アフリカ自身の立場で書かれた研究書も英語(フランス語もある)もあるわけだが、アングロサクソンの世界観で整理された 提示のされ方で先入観ができているのだ。サイードのいうオリエンタリズム。それにも関わらず、、スウェーデン人(西洋人)による英語の著書だが、この本は中立的な 、第三世界に対する同情をもって書かれており一読に値するように思われる。


9時過ぎ、父はデイケアーに出かける。母は家の掃除。私は買い物を済ませる。お昼は、石窯パンでコロッケサンドを作って食す。


午後は、再び、那珂川河口のマイスポットに足を運んだ。久方ぶりに、散歩途中で、釣り好きの70歳の人と長時間四方山話しをする。ほとんどが釣りにまつわる話だ。 まだ現役で仕事をしていて釣りの時間ががあまり取れないらしい。ウナギ釣りの話がメインになった。このかたもウナギ釣りをよくされるらしい。私はたまに涸沼川で ヌマエビを現地調達してやるのだが、この方は近くの畑でドバミミズを取ってこの那珂川で釣るという。 夕闇迫るころからバタバタとこのマイスポット周辺では釣れだすらしい。暗くなって1時間もするとパタリとアタリがとまるというのは昨日の漁師と同じ。釣り談義に 興じっていると、3週間前、ここで50㌢のフッコを釣り上げた地元氏が加わった。しかし、今日の釣りは昨日と打って変わって暇な釣りとなってしまった。時折アタリは あるのだが、釣れるのは皆20㌢未満の木っ端セイゴばかり。ハゼは釣れない。


1時間半ちかく雑談をして二人は帰っていったが、その後も不調。結局20㌢越えのセイゴ1尾 だけを持ち帰って本日の釣りは終了となった。こういう日もあるのだ。大潮の最後の日なのだが、潮があまり動いていなかった。こういうことってあるのだろうか。 普通なら上げ潮の時は錘が上流側に流されるのだが、それがあまりなかった。釣り談義をした二人と意見が一致したが、潮どまりの前後の潮の動き始めの1時間前後が 一番パタパタと魚の食いがよくなるということだ。それでも、昨日は上げ3分のから5分まで釣れた一方で、今日は満潮潮どまりまでの2時間、アタリは遠かったのだ。 どういうことだろう。


釣り場付近のスナップショット(昨日だが、帰り道、舗装された堤防道を歩くオサムシと遭遇した):

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携帯なので小さいが、インターネットで拡大写真を見つけてコピーすると、こんな虫である。

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帰り道、車のラジオのFM放送から加藤登紀子の歌が流れる。100万本のバラ。ウディ・ガスリーの放浪者(ディポーティー)。なつかしい。昔学生のころ、ということは 1970年代中盤から後半だが、「アリスのレストラン」という映画があった。アロー・ガスリーが登場し、テーマソングの弾き語りが印象的だった。ウディー・ガスリーは アローのお父さん。アローの「放浪者」(ディポティー)は知っていたが、ウッディのは初めてだが、こんな時間、こんな場所の車の中で聞くとは! トランプ大統領の移民に対する厳しい姿勢に対する皮肉の歌として聞くことも可能だろう。時代は1930年代の大不況時代。

https://www.youtube.com/watch?v=qu-duTWccyI 


夕食は、豪州牛のサーロイン・ステーキで赤ワインを飲む。両親はセイゴの山椒煮とエビの握りずし(母だけ)。仕上げは、セイゴのアラ汁とご飯少々に納豆。


食後は見たいテレビ番組もなく、夜は柚子風呂に浸かり、早々と2階のベッドに潜り込み、The Global Cold Warを読み耽る。 YちゃんのママとYちゃん本人からラインで連絡が入る。二人とも風邪でダウン。今日と明日は自宅でゆっくり休養するという。体を暖かくすること(熱いお風呂に はいる)、栄養(私の場合は、豚肉とニンニク)を取ること、病院に行くこと、睡眠をたっぷりとって休養すること。当たり前のアドバイスだが返信する。

2025年の万博が大阪で開催されることが決定した。前回が1970年だから55年ぶり。私が中学校3年生の時。今でもよく覚えている。三波春夫が歌うテーマソング(こんにちは、 こんにちは、世界の国から・・・)、芸術は爆発だの岡本太郎氏の太陽の塔、そして、私の軟式テニス全国大会出場と修学旅行での大阪万博訪問。軟式テニスは中学校の 初回大会で県代表で出場した。帝国ホテル前の日比谷公園が会場。1回戦は島根県と対戦、勝利した。2回戦は愛知代表に敗退。宿は東京オリンピックの宿舎だった。 そのまま、父とペアーを組んでいた川田君と大阪へ新幹線で移動。生まれて初めて乗った新幹線。中学校の仲間たちは貸し切りの在来線だから何か得した気分だった。 今日との旅館で皆と合流したこと、夜枕投げをして鼻血を出したこと、奈良公園の鹿は記憶があるが、万博会場についての記憶がない。テニスの試合とぶつかった日でで 行かなかったのかどうかもあやふやだ。2025年ということは健康で生きていれば69歳である。前回の東京オリンピックはテレビ観戦だったが、2020年の東京オリンピック は、是非何かの競技は会場に足を運んでみようと思う。そして、大阪万博も。それには、健康で長生きすることが前提だ。

2018年11月24日 (土)

楽しき大潮のセイゴ釣り

11月22日(金) 晴

昨夜はよく眠れた。Yちゃんのママ、風邪をひいたらしい。急に冷え込んで体調を崩しいやすいので要注意。かく云う自分はいつも風邪を引くことすらなく健康に自信を持って生きてきたが、5月の骨折で用心深くなった。60代に突入したことへの警鐘というにはあまりにも大きな代価だった(半年間、入院・手術・療養をしいられ普通の生活ができない)ものの、今回の不注意によるケガは十分すぎるほど身に染みている。用心が必要な年齢になった。
夜明け直前、アカハラの地鳴きを聞く。10月からしばらくはモズだったが、ここに来てアカハラである。朝の読書はThe Global Cold War。
朝食はいつもの定番(味海苔、笹かまぼこ、納豆、ご飯、玉ねぎの味噌汁、ミカン1個)で済ませる。リハビリは今日もさぼる。2階で日記をつける。
バックグラウンド・ミュージックは、ハーポ・マルクスのハープ。CDを昔買ったの思い出して探し出した。ハープの音色は癒しのサウンドだ。ハーポはマルクス兄弟の一人。そしてユダヤ人。お父さんはフランスのアルザス出身、お母さんはドイツのフリースラント出身。楽譜は読めなかたらしいが、映画のシーンでは必ずハープで見事な演奏で一曲を奏でる。兄のチーコはピアノ(これも曲芸的な弾き方で笑い転げる)、弟のグラウチョは弾丸のような早口の喋り。映画のワンシーンでの演奏はこちら。何度見ても笑ってしまう ⇒

11時過ぎ、好天気に誘われ三日ぶりに那珂川河口へ出かける。昼食は車の中で肉まんと卵・ポテトサラダのサンドイッチにブラック・コーヒー。いつものマイスポットの近くの神社のそばに車を止めて準備をしていると、地元の人が通りかかって話しかけられた。漁師もしているそうだ。取れたてのウナギを見せてもらった。竹を組んだ仕掛けを沈めて定期的にウナギ取りをしているという。地元の料亭に卸しているという。昔はサラリーマンと兼業で船宿と釣り餌も扱っていた。バケツの中には見事なウナギが数匹と大きなハゼも。

問わず語りにいろいろと情報をもらった。この辺りはウナギは釣れるが、7月が最盛期。晴れが続くと潮がきつくてあまり釣れない。やはり雨上がりが狙い時らしい。思い出せば、涸沼川でも60㌢近いウナギを釣ったのは小雨降る夜だった。ウナギが釣れるのは夜の8時過ぎまでと仰ったが、涸沼川の記憶では夜の22時前だったような気もする。総合するとウナギや夜釣りというが日没後の2時間から3時間が狙うタイミングだろうか。深夜は釣れない。明け方は釣れると思う。子供のこと、早朝の千波湖でウナギを釣っていた人を見た記憶がある。

イシモチ(ニベ)は、日没直後は一時的に釣れなくなる。日没前にポツポツ釣れた後は、日没後の2時間くらい後から深夜過ぎまでが釣れる。そしてまたアタリが止まり、明け方にまた時合が来る、というのが私の経験だ。15分ほど立ち話をして釣り場へ。


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今日は大潮。干潮は9時半過ぎ。満潮は15時頃。上げ3分から8分のタイミングで釣ることにした。3本を竿を出す。一本はハゼ狙いでハリは7号、ハリスは1.5号である。でかいセイゴが来たらアウトだが、柔らかい万能竿にセットしたので40㌢くらいまでなら大丈夫だろう・・・。と、一番上流側の手前に投げて置いたこの竿に本日一番のセイゴのアタリが来た。柔らかい竿だけにものすごいしなり。合わせるとものすごい抵抗と重み。竿を柔らかさを使いながら護岸手前までゆっくり取り込み、手前で弾みをつけて引き上げた。と、護岸の石の上に落ちた。間一髪セーフ。目測35㌢前後の良型のセイゴだった。しばらくはこの上流側の竿にだけしかアタリが来なかった(サイズも20㌢を少し上回る型が2尾)。しばらくして、他の遠投をしていた竿にもアタリが出始めた。30㌢前後の良型セイゴを2尾を追加した。13時を過ぎて潮がかなり満ちてくるとアタリは頻発するがサイズが小さくなってしまった。


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14時、エサが尽きて納竿。車まで満ち足りて歩く。川沿いのススキを見ると心が和む。


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帰り道、那珂湊により刺身用のタコと乾燥芋を買って、釣り場を偵察する。イワシやカイズを狙っているようだ。16時前、帰宅。


釣果 セイゴ5尾(35㌢、32㌢、30㌢、22㌢2尾、ハゼ1尾12㌢)



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夕食は、ホワイトエールを飲みながら、豚肉のシャブシャブとレタスサラダを食べる。仕上げは、タコの刺身とご飯。美味い。


夜、疲れもあり、早々と2階に上がる。ベッドに潜り込み、アイザック・ドイッチャーの「非ユダヤ的ユダヤ人」(岩波新書)をパラパラと読む。第1章は、伝統に忠実なユダヤ人からはみ出した(反抗者)かつキリスト教社会からも異邦人扱いされたユダヤ人たち、つまり、非ユダヤ的ユダヤ人の例として、17世紀にオランダで活躍した哲学者スピノザ(スペインを追われたユダヤ人~マラーノの家系)ドイツの詩人ハイネや、共産主義思想の本家カール・マルクス(アメリカの喜劇俳優のマルクス兄弟とは別)、精神分析学の創始者ジグムント・フロイトが取り上げられる。ドイッチャー自身はポーランド人(ポーランド系ユダヤ人)としてのアイデンティティを持っている。13歳にしてユダヤのラビの候補者となった早熟の才人・ドイッチャーもユダヤの伝統に背を向けた一人だった。ユダヤの伝統に反発し、かつ、キリスト教世界においてつまはじきされる環境が強いられた人が辿る軌跡。

非ユダヤ的ユダヤ人は沢山いる。愛読するアーサー・ケストラー然り。ユーモア作家のジョージ・ミケッシュも然り。彼らは豚肉を使うハムを食べていた。映画俳優のチャップリンが来日した時に好物となった天ぷら。残っているビデオシーンでは揚げたてのエビをしきりに頬張っていた。エビなどの甲殻類はウナギなどの鱗のない魚類と同じで敬虔なユダヤ教徒は口にしてはいけない食べ物だった。



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2018年11月23日 (金)

正体はやっぱりアカハラだった。

11月21日(木) 曇り

明け方に少し雨が降っていた。6時前の目覚め。本格的な寒さを感じる。

今朝もリハビリはさぼる。朝食は、いつもの定番(納豆とご飯、トマトとレタスサラダに玉ねぎの味噌汁)。そして、、地元さんの緑茶とバナナ。

朝食直後、年一度の庭の手入れで造園業者さんが来る。天気が悪くて心配したがどうだろうか。黙々と寒い中仕事を始める。スペースを作るために愛車を昨年娘さんに引き取られて東京の町田で亡くなった佐伯さんの家(すでに空き家)のスペースに停める。

2階で日記をつけ、リハビリをしない代わりに徒歩でスーパーへ出かける。15分ちょっとの距離だ。買い物ではなく銀行振込みだ。往復30分だ。帰り道、千波神社による。子供のころ蟻地獄とここで遊んだ記憶が蘇る。50年以上前の記憶。神社の佇まいは昔のままだ。
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昼食は五目チャーハンと焼きおにぎりにコーヒー。庭師さんに母が振舞った豚汁を少々。ミカン一個。母から、榊の木にいつもやってくる鳥の話が出る。いま東向きの窓ガラスを通して止まっている。鳥の名前を聞かれたのでそっと覗いてみると、アカハラだった。やっぱり、そうだった。毎朝6時前に決まってこのところ地鳴きをしてその存在を伝えてくれる鳥はアカハラだった。枯葉をひっくり返してミミズを食べたり、ピラカンサの実を啄んだり。

午後は日課の釣りを考えたが、体が疲れていることとこの寒さで気力が萎える。2階のベッドに潜り込みThe Global Cold Warを読み続ける。バンクロフト賞を受賞した定評のある専門書である。読み飛ばすにはもったいないくらい中身が詰まっている。第1章(The empire of liberty:American ideology and foreign interventions)の要約とまとめのため再読する。そして、第3章The revolutionaries:anticolonialpolitics and transformationsを読了。

16時半過ぎ、庭師さんたちはひととおりの仕事を終えて帰っていった。

夕食は、昨日に続き、小ぶりなセイゴ2尾のバター焼きを作って白ワインをで一杯やる。病みつきになりそうだ。

カルロス・ゴーン氏は本日の臨時取締役会議だかで解任が討議される予定だという。突然の降ってわいた解任劇。日産のクーデター(弱小のルノーに良いとこどりされるのは真っ平?)ということだろうか。良くわからない。やり手のゴーンさん(ユダヤ人だから視野と情報ネットワークが日本人とは全然違う)が晩節を汚すことになったようだが、舵取りのゴーンさんを追い出してというか失って日産(それに三菱)は大丈夫なのだろうか。日本国内のマーケットはもう頭打ち。グローバル展開しないと生きていけないわけだが・・・・。作るのは日本、販売を含む世界戦略は外国人というのが通り相場のような気がするのだが。グローバル戦略はは土台日本人には無理ではないか。コツコツと汗水流して清貧に生きるのが日本人の生き方、というのが私の結論である。無理をしてもケガするだけ。東芝を見よ。足元を見られてババを引くのが関の山である。アナーキーな国際世界は海千山千の山師たちの草刈り場なのだ。歴戦の兵、2000年を超える情報の積み上げとノウハウを持っているのがユダヤ人のネットワークだと思っている。

ユダヤ人という存在は、華僑とならんで私を魅了してやまない存在である。憧れですらある。自分の生き方と正反対だからだと思う。ユダヤ人の存在そのものが、近代世界の展開を具現している、と言ったら言い過ぎだろうか。金融・ビジネスはもちろん、アカデミックな世界からアート(音楽・映画・文学)までいたるところユダヤ人だらけだ。昨今の反ユダヤ主義の噴出(欧米ではしょっちゅう報道の対象になる)は今に始まったことではない。実際に付き合ってみると嫌な奴らなのかも知れない。ユダヤに対する反発というのは日本人にはよくわからない。少なくとも自分にとっては。つまり、じっくりと付き合ったことがないわけだが、あるいは、じっくりではなくても、例えば、インド人とのビジネスのやり取りであまりのねちっこさとしつこさ、常軌を逸したこだわりに辟易して大嫌いになる、という個人的は経験は自分にもあることはある。反ユダヤはそういう一面もあるのだろうか。いろいろ付き合って見ると、連中とはまともに付き合ってられないよ、という特有の癖、特徴。

2018年11月22日 (木)

釣りはお休み。 歯医者通院。石窯パンで作るコロッケサンド、実に旨し!

11月20日(水) 晴時々曇り


6時前の目覚め。「ニーチェ~ツァラトゥストラの謎」はまだ読みかけだが、ニーチェの本がバラバラになっているのが気になる。あちこちの本棚や押し入れのなかに置いたままだ。ふと目に留まった「キリスト教は邪教です!」~現代語訳のアンチクリスト(適菜収訳)を手にしてパラパラと読み始める。私の読書はいつもこんな感じで本題からそれて横道にそれていってしまう。

Nov22

キリスト教はイスラムとならぶ世界最大の宗教の一つ(カトリック・ギリシャ正教・プロテスタントや、中近東に残る原始キリスト教徒の末裔も含めて)20億を超える信者がいる。アジアでもフィリピンは9割を超え、韓国でも2割強がキリスト教信者だ。

韓国は儒教の影響が強いが、儒教は支配者の宗教(孔子廟は、ロータリクラブみたいなもの、とは敬愛する故・岡田英弘氏のたとえ)で、かつて仏教も栄えたが李氏朝鮮時代に排除されてしまった。ざっくり言って、弱者の下層民の宗教がキリスト教であり、実際のキリストさんが目指した生き方(高貴な生き方)とは違うものである。キリストの弟子たちが(特にパウロ)が捏造したインチキ宗教というのがニーチェの主張だ。

信仰というのは当のもの(現実)を見ないこと、逃げである。行き場のない弱き人(庶民)たちは、信ずることで希望(しかも現世ではなくあるかどうかも疑わい来世)を頼りに生きている。一方で、僧侶階級(パウロの輩)は、教会という神の代理人として特権を貪り庶民を影で欺いている。韓国のキリスト信者が多い理由は、下層民(庶民)がどうあがいても既成秩序=身分制社会=儒教社会で浮上できない厳しい現実から目をそらすための逃げを反映しているのではないか。

以上は暴論だとして承知しての勝手な私のコメント。

ところで、カルロス・ゴーン氏の逮捕は晴天の霹靂であった。逮捕の理由を報道で読むと、それほど重大な犯罪なのか(と思う私は変なのか?)。ゴーン氏の所得をビルゲイツやザッカーバーグの所得と比較したらどうなるのか。海外(本国のフランスやロンドン、ワシントン)は、日産のクーデター(ルノーに吸収合併されるという噂)がしきりに囁かれている。会社は誰のものか?グローバリゼーションが徹底してすすむ今日においては、アメリカの基準がすべてである。いまだに日本株式会社=会社員の運命共同体の論理が、グローバリズムと衝突したということか?確かに、ゴーンさんの嘘の申告は問題であったろうが、些末な法律をたてにゴーンさんを追い出そうとする姑息な日産側のクーデターというふうに見えてしまう。ゴーンさんに助けてもらったではないか、日産は。会社を救った恩に着せて、やりたい放題の我儘をゴーンさんが日産にし放題だったというニュース(家族のプライベートな食事や豪華な自宅の提供など)も報道されているが、それをぐるになってかいやいやながら(強制されて?=ゴーンさんの一種のパワハラ)協力したのは日産ではないのか?と、いろいろと想像が広がっていく。情報がもっと開示されないと判断はしかねる事態であるが。

退院してから初めてリハビリをさぼる。というか、4日連続の釣りで体が疲れていることが原因。朝食は、セイゴのグリル(2尾)、納豆、ご飯にネギの味噌汁。それにバナナを食べる。
父がデイケアーに出かけた後、4日ぶりに買い物にでかける。冷蔵庫の中は釣ってきた魚だけになっていた。ネストビールや赤ワイン、果物、石窯パン、漬物、青野菜に豚肉を買う。

11時半過ぎ、浅田クリニックへ歯の治療に。左奥歯の上は歯垢を取り、薬を前回塗ってもらったが今回は2度目。朝の水道水がかなり冷たくなっていまだに歯に沁みるので、ぬるま湯で口をゆすいでいるが仕方ないであろうとのこと。今回も薬を塗ってもらって次回は来週の金曜日。たぶん、これが最後になると思われる。15年ぶりの歯医者だが、これからは3か月か半年に一回は歯のメンテナンスに通うことになるだろう。院長より、歯の磨き方について注意を受ける。15年前、新橋の池田歯科では、固めの歯ブラシでゴシゴシ磨くべし、歯茎が強くなる、と言われそれを励行、浅田院長婦人(この方も医師)にきれいな歯茎ね、とコメントされたのだが、下あごの奥歯の歯茎が後退しているのは、強く磨きすぎが原因らしい。歳もとったことだし、固めから普通の歯ブラシに変えて、やさしく磨いては?というのが院長のアドバイスであった。母のお気に入り(地元で開院した際の最初の顧客らしい)の先生の言葉であり、従うことにした。

お昼は、石窯パンを使ったコロッケサンドを作って頬張る。実にうまい。あたらしい味覚の発見というわけではないが、食パンやロールパンにはさむだけが能ではない。


パンそのもののうまさがポイントなのだ、とつくづく思う。こんなおいしいパンと実家(つまり、田舎)で出会えるとは。生きる楽しみの要素はどんなところにも探せばあるのだと感じ入る。

午後の日課はお休み。体が60歳代になったということだろう。気力がない。ベッドに横たわり、The Global Cold Warを読んだりアンチクリストの現代語訳を読んだり、1時間ほどの昼寝をする。

夕食:セイゴのバター焼き(ムニエル)を作り白ワインを飲みながら食べる。仕上げは、レタスとコロッケ定食風にご飯を食べる。

2018年11月21日 (水)

朝の地鳴きはツグミではなくアカハラのようだ

11月19日(火) 晴時々曇り


昨夜はぐっすり熟睡した。5時半に目が覚める。The Global Cold Warを読んでいると、そとで野鳥の地鳴きが聞こえる。一昨日の日記でツグミの到来と記述したがどうもツグミではなく、アカハラ(同じツグミの仲間で、在来種。ツグミのようにシベリアから渡ってくるのではない)のような気がする。ツグミはケスケスッと鳴くのだ。囀りではないが。例年、真冬の庭のピラカンサの実を啄みにやってくるのはアカハラだ。

The Globall Cold Warはスウェーデン人の歴史家による著書なのか英語が平易である。今年は意を決してイギリスの著名な歴史家(故人)のホッブス・ボームの4部作を第4部から遡るように読み始めている。


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第4部(第一次世界大戦から冷戦終了)を3月から4月にかけて読了。第3部(普仏戦争によるドイツ帝国の成立から第一次世界大戦の勃発まで)をケガをして入院していた病院で読了した。第2部も購入済み(ナポレオン戦争終了後=ウィーン体制の確立からドイツ帝国の成立するごろまで)。ホッブズボームさんの英語は凝りに凝っていて手ごわいのに比べ、このオッド・ウェスタッド氏のシンプルで平易な文体はありがたい。


今朝は第3章の途中まで読み進める。所謂第3世界、第二次世界大戦までは植民地や半植民地の地域の視点からの叙述。インドのロイ(共産ソ連に接近)やネルー(リベラル派でソ連に親近感を持つ)、トルコのケマル・アタチュルク、ヴェトナムのホーチミン、中国の毛沢東、イランのパーレビー、インドネシアのスカルノ、アルジェリアのフランツ・ファノン。選択肢はマルキストかナショナリストか。目的は植民地の軛を取り払い自らの独立、目指すは、近代化だった。アメリカもソ連も、それまでのヨーロッパの帝国主義国のような経済的利益=搾取を目的とするいわゆる第3世界への介入をしたわけではない。彼らはそれぞれの国是にしたがった、えげつない帝国主義を否定しての近代化(modernity)を普及するミッションを固く信じて介入していった。

朝食は、セイゴのグリル、笹かまぼこ、海苔、納豆にご飯、そしてバナナ。リハビリは、軽めに済ませる。爪先立ちと爪先歩き、屈伸による踵への荷重を中心に。毎日の釣りで護岸のコンクリートの上を相当歩きまわっているのでいいリハビリとなっている。お昼過ぎの出発時は意気揚々と元気なのだが、帰ることになるとかなり疲れを感じてしまう。左足への負担はまだまだ大きいのだろうと思う。

午前中は2階で日記をつけながら、ジャンゴ・ラインハルトのジャズを聴く。父の訪問看護師さんが11時ごろやってくる。足の踝にできた床擦れはほぼ完治したようだ。

5月で退職した職場のK課長から昨日だが久方ぶりにメールがあった。東京のある大学の方が私にいろいろ話を聞きたいということらしい。仲介者が、在任中にお世話になったG大学の結構この世界では有名な方。さっそく、挨拶方連絡を入れると返信があった。どうも大学は地元の筑波大学を出た方のようだ。自分が2006年から12年まで勤めた常磐大学のスタッフでG大学を卒業した部下がいたが彼女を知っているという。世の中狭いものだ。

お昼は、五目チャーハンとミカン一個。

午後は日課の釣りへ。これで、先週の土曜日から4日連続。少し出遅れて釣り始めたのは14時前から15時45分までの約2時間。竿3本は忙しいので今日は2本だけにした。錘負荷27号4.5㍍の竿と25号4.2㍍の竿。片方は9号の2本針、もう一方は11号の一本針。ハリスは2号。50㌢以上の大型のフッコクラスがくるとやばいかもしれないが、釣れるのは20㌢~30㌢なので問題ないだろう。


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14時半過ぎからアタリが始まり餌切れ終了まで購入したほうじ茶のペットボトルを飲み干すことすらできなかった。水温の関係なのかよくわからないが、2週間前は40㍍~50㍍のところでアタリが多かったが、今はさらにすこし遠目に投げないとアタリが出なくなった。しかも、日によって、上流側の竿にアタリが集中したり、下流側に集中したり、均等に来たり、日によっても違う。

本日の釣果:マハゼ1尾(12㌢)、セイゴ10尾(22㌢~29㌢、持ち帰りは大きい順に6尾のみ、4尾はリリース)


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今日は散歩人と会話する。神奈川の相模原から大洗の簡保の宿に一泊しているという人。ハゼ釣りをするらしいが、今年の状況を聞かれたので、渋いですよ、と答える。涸沼に行ってきたらしいが、その通りだと、納得した様子。一般に、涸沼は水深が浅く、釣れるのは10月まで(除く、一部の水深のある場所は舟釣りなら可)だ。

帰り際、今度は地元の高校生らしき二人組が釣りにやって来た。声を掛けると、ルアーでシーバス(鱸のこと)を狙っているらしい。ここにはちょくちょくやってくる(夜)らしい。釣れるけど、型はは小さい・・・。頑張ってくださ~い。

徒歩で神社のそばの車に戻る。夕焼雲というか日没まであと30分の西の空と橋の風景がなかなかいいと感じ入ってスナップショット。16時半前に帰宅した。


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夕食は、帰途購入したフライドチキンと牛肉コロッケに赤ワインとご飯少々。ラッキョウがうまい。食後にリンゴ。父は、セイゴのグリル、母は私が準備した銀座ナイルのチキンカレーにラッキョウの付け合わせ。

火曜日恒例の映画鑑賞は森繁さんの喜劇「駅前音頭」。1964年=昭和39年=東京オリンピックの年8月の封切。後半はハワイロケ。不動の女優陣は淡島千景、淡路恵子、池内淳子。大空真由美が池内淳子の妹役で登場。いしだあゆみが出ていたようだが気付かず。駅前シリーズだが、冒頭に登場するも駅名は確認できなかったが、小田急線沿線らしい。社長シリーズとハワイロケはダブっているのではないか。映画でのホテルはヒルトンだが、最後のシーンの盆踊りのセットにはハワイ・グランドホテルの名前があった。三木のり平が日系ハワイ人役。不思議なモテ男・フランキー堺はやっぱり池内淳子と結ばれた。

夜になって気温がぐっと下がった。柚子の香りのする足湯に浸かり21時半過ぎに就寝。

2018年11月20日 (火)

ユダヤ人はやっぱり凄い

11月19日(月) 曇り


昨夜は20時前には寝てしまった。そして、深夜2時半に目が覚めて眠れなくなる。仕方なく、照明をつけて本棚に目をやると「ナボコフ自伝」が目に留まる。つくづく思うのだが、下手な小説を読むより著名人の自伝のほうが断然面白い。自伝だけでなく評伝を合わせ読むと一層面白い。この世で名をなした人への覗き趣味と言ってしまえばそれまでだが。自伝と言っても所詮、都合の悪いことは書いていないことが多い。裏を読むということもある。自伝と評伝を合わせ読むのがベスト。と、言っても、両方が読める人物というのはそうそういるものではない。そういう意味で自分がじっくり読んだのははアーサー・ケストラーだ。

ハンガリーのブダペスト生まれのユダヤ人。お母さんはウィーン出身の気位の高い人でブダペストで生活しながらハンガリー語は一切喋らなかった。ウィーン工科大学で教育を受け、あと少しで卒業というところで学業を捨て(両親に嘘をついて)、イスラエルを放浪する。キブツで働いたものの合わなくて飛び出す。ポケットに一銭もなく飢えながら野宿する日々。そんな人が道端で知り合いに出会い、ひょんなことからドイツのウルスタイン社(ユダヤ系の出版社、新聞社)の特派員となり、やがてベルリンで科学記事の執筆者になったり、その間、ドイツ共産党に入党したり、オルグの活動の中で次から次えと女と懇ろになったり、パリ駐在中に生活のためにエロ本を書いたり、ツェッペリン号に乗って北極探査の同行取材をしたり、スペイン内戦では、イギリスのジャーナリストの資格で入国し、取材中にフランコ軍につかまり死刑の判決。毎晩、銃殺刑の音を聞きながら今日は自分の順番かとおびえながら、イギリス政府の尽力で解放される。ヒトラーのドイツの戦争が始まるなか、奇妙な戦争で静かなパリで拘束され、収容所に入れられたり、南仏を転々として、ドイツ軍の手を逃れ(ヴァルター・ベンヤミンはスペインのピレネーで自殺してしまった)、何とかイギリスに逃れる。戦後は、スターリンのモスクワ裁判を描いた「真昼の暗黒」(Darkness at noon)で一躍有名になる。そして自伝を次々と書くかと思うと、その後は、政治活動や評論から遠ざかり書斎の人となり、科学論や超能力のエッセイを次々を発表し、相変わらず女癖は悪く、晩年はパーキンソン病を患い最後は秘書兼妻の南アフリカ人女性と心中してしまう。本人は複数の言語に堪能(ユダヤ人はどうしてそうなのか)で、パリで基盤を築くことも可能だった(サルトルやボーボワールとも付き合っていた)が、イギリスを最終的な本拠地にした。何という人生だろうか。面白くないわけがない。

ところでナボコフ自伝。ベストセラーの「ロリータ」くらいしか知らないし、それも読んだことがない。レニングラード出身の大富豪貴族の末裔で、ロシア革命とともにドイツへ亡命。ベルリンで生活するが、大学はイギリスのケンブリッジ大学でフランス語と動物学(蝶々に詳しい)を学び、アメリカに移り、大学で教えながら小説家として名を成す。記憶で語る有名人がすごい。日露戦争でロシアの外務大臣として登場するウィッテも一族の一人だ。家の使用人が50人もいたという。外交官の叔父さんは、フランス語と英語とロシア語のチャンポンでしか会話ができない。子供時代の家庭教師はイギリス人。ベルリン時代はロシア語で著作をものしていたが、だんだんと皆がソ連に帰国して生活が成り立たなくなると英語での著作に切り替えたり。



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子供時代の回想の部分のちょとしたページの拾い読みをしていると、また眠くなった。
6時前に再び目が覚める。The Global Cold Warを読み進める。7時過ぎ、リハビリを挟んで朝食をとる。納豆とセイゴのグリル(オリーブオイルとレモン汁風味)とご飯にバナナと日本茶。このところ日本茶を飲む。地元大子産のお茶。

父は9時過ぎにデイケアーへ。2階でCD(ジャンゴ・ラインハルトのジャズ)を聞きながら日記をつける。アメリカのカリフォルニアではまだ山火事が再燃している。しかも死者の数が半端ではない。ひょっとして人災ではないか。

たまたまネットサーフィンしていると、BBCの外国映画ベスト100なるものが最近投票により選出されたそうだが、日本の映画がかなりランクインし、しかも、1位も日本の映画だという。チェックしてみるとなるほど。長らく自分も日本が誇るベストワンと思っていた映画がBBCの投票でも1位だった。黒澤明の「七人の侍」だ。万歳!

お昼:五目チャーハンとミカン一個。

12時半、日課の釣りへ。「釣り侍」で青イソメを70g購入。到着すると誰もいない。孤独な釣りだが、今日もアタリはそこそこあった。昨夜雨が降って水温が下がったようだがまだまだ魚の活性は高そうだ。一本目の竿に餌をつけて遠投して次の竿の準備をしていると竿先の鈴がなった。リールを巻くとカイズ(クロダイの子供)が釣れた。かなりの引きだった。



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幸先良いスタート。しかし、今日は、2度のしかも有り得ない?アクシデント(2度の道糸切れ)に遭遇した。PEラインだが古いものを使っているためだろう。1度目はカイズが釣れた直後。鈴がなってリールを巻くとプッツン。愕然とした。しかし、3本目の竿を出して同じ場所で仕掛けを投げ、たまたまリールを巻くと、道糸切れした糸と仕掛けが引っかかってて回収できた。しかも、仕掛けの先の針には本日一番の30㌢前後のセイゴが釣れていたではないか!そして、この道糸切れを起こした糸を再び繋いで釣りを続けたのだが、2度目の道糸切れを起こし、また同じように仕掛けが回収され、サイズは小さめのセイゴが釣れて
いた。2度の偶然とは言わないだろうが、こんなこともあるのだ。


15時半、エサが尽きて納竿。釣果はセイゴ10尾とカイズ1尾。昨日と同じだがサイズが少しアップした(20㌢~28㌢)。なぜかハゼは釣れなかった。いつまで釣れるのか那珂川河口。

Nov193
帰宅して、夕食の準備。家事も私の日課になりつつある。皿洗いと魚の料理(煮つけだけはまだ母親がやっている)。今日は、さらにローストビーフを作った。といっても簡単だ。300gの牛肉に塩・コショウをする。耐熱皿においてラップをし、電子レンジ500ワットで5分。それから、肉全体をフライパンにオリーブオイルを敷いて肉全体の表面を焼いて出来上がり。牛肉のラップに作り方が書いてあるのだ。わずか10分でできてしまうローストビーフ。

父が戻って、一緒に夕食をとる。両親はセイゴの山椒煮(山椒と昆布を使う)。私はロースト・ビーフに石窯パンと赤ワイン、それに、セイゴのグリルも食べる。冷蔵庫の中はセイゴだらけだ。ロースト・ビーフはなかなかの出来だった。付属のグレービー・ソースもいいが、ワサビ醤油でもうまい。

テレビでは、日産のカルロス・ゴーン会長が事情聴取を受けており今夕に逮捕される見通しであるとの報道が盛んになされている。金融取引法違反とかなんとか。


ゴーンさん、出自はレバノン。生まれはブラジルだが、一族はレバノンのユダヤ系。レバノンのユダヤ人というと思い出してしまうのはイギリスのガリバー・トラヴェル・エージェンシーの社長(今、どうしているか)。彼もレバノン出身のユダヤ人だった。日系のMツーリストのホテル仕入れ部門に入り、ノウハウを身に着けると独立。Mツーリストの向こうを張って日本に進出。私がロンドン駐在をしていたころは、立派なガリバーハウスの本社ビルを持っていた男。ユダヤ人というのは生きる次元が日本人とまったく違う。このユダヤ人のもと上司(Mツーリスト)も独立してスペインのマドリッドに事務所を構えて手広くビジネスをしていたようだが、ガリバーハウスのビルを持ち、ニースに別荘を持つほどの蓄財はなかったと記憶する。

今日はユダヤ人の話しに始まり、ユダヤ人の話で終わる。ちなみにナボコフの奥さんも二人とっもユダヤ人らしい。

2018年11月19日 (月)

とうとうツグミがやって来た。

11月18日(日) 晴


6時前の目覚め。外でツグミが地鳴きしている声がする。とうとうやって来たか。朝の読書は、「ニーチェ~ツァラトゥストラの謎」を読み進める。

朝食は、鮭の塩焼き、玉ねぎの味噌汁とご飯にお新香。軽めのリハビリをすませて2階へあがる。ライ・クーダーの「パリ・テキサス」のCDを掛けながら日記を書く。何とも言えないアクースティック・ギターの奏でるブルース調とメキシカンの音色。日記が一段落して、母の使いで買い物。近くのKストアーで洗剤、ジャガイモ、介護用品などを買う。その後、車でKスーパーへ。石窯パン、ローストビーフ用の豪州牛(1000円しない)、冷凍のナポリタン・パスタとチャーハン、青野菜(春菊と鞘インゲン)、ポテトサラダなど。

お昼は、スパゲッティ・ナポリタンとコーヒーに石窯パン少々。石窯で焼いたフランスパンだが、とにかくうまい。バターすらいらない。

12時半、車で家を出る。マイスポットの那珂川河口へ。今日は、若潮。満潮は12時半。青イソメ60gを購入した。竿は3本。これは昨日と同じ。到着してから釣り場までの200㍍をゆっくり歩く。アイスボックス、3本の竿と竿立て、リールや釣り道具を入れたリュック。結構は荷物だ。

<車を止めた傍の小さな神社>

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<心が休まる田舎家の佇まい>


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<土手の舗装道~歩こう、歩こう、私は元気・・・>

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満潮直後に始まった釣りは最初から最後まで頻繁にアタリがあり忙しい釣りだった。しかし、サイズは小物ばかり。最初の時間帯、アタリはあれど針掛かりしない。真ん中の竿に14㌢のハゼが食いついてきて理由が分かった。以前もそうだったが、満潮前後はハゼが釣れるのだ。至急、仕掛けを11号~14号の針から7号に取り換えたところ、ハゼ2尾がすぐに釣れた。が、その後はセイゴ攻勢だった。ダブルもあった。一度は、ライントラブルで仕掛けだけが川の中に飛んで行ってしまったり。

いろいろあったが、15時半過ぎ、エサが尽きたところで獲物はセイゴ10尾(20㌢~23㌢)とハゼ3尾(12㌢、13㌢、14㌢)。退屈することなく体を動かして、最後は結構疲れた。合間にジョウビタキのカッ、カッ、カッという地鳴き、ヒッ、ヒッという縄張り宣言の声などを聞くことが出来たのも良かった。何より素晴らしいのはここで釣りをする人がまったくいないことだ。私一人の釣り場。孤独をかこちながら自分の世界というか、釣りそのものに没頭して無心になれる時間・・・・・。納竿して荷物を持って車まで戻る際は、疲れを感じた。体の鈍りはまだまだ回復していない。
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夕食:昨日のセイゴのグリルと焼き餃子で赤ワインを飲む。グリルの塩は控えめに、レモンとオリーブオイルとかけて食べたが美味。

夜はこのところ午後の半日の釣りの効果もあって、すぐに眠くなる。今夜も足湯につかって2階のベッドに潜り込んで「The Global ClodWar」を手にするもすぐに眠りに落ちた。不健康な!?読書をして頭が冴えるより全然健康的のような気がする。

2018年11月18日 (日)

一ヶ月ぶりの部屋の掃除、マイスポットでの釣り、刑事コロンボ

11月17日(土) 晴

3時前に目が覚めてしまう。昨夜は20時には寝てしまったから7時間弱の睡眠は確保しただろうか。頭がクリアで眠れそうもない。整理しかけたまま雑多に置いたままになっている本の中から懐かしいというよりはさっと読みした「書斎の旅人」(向井敏著)を手にする。昭和58年のころの本。書評氏による読書案内だ。私の読書開眼は、大学を卒業してサラリーマン生活が始まったころ出会った小室直樹の一連のサラリーマン向けに書かれた光文社シリーズの本(「ソビエト帝国の崩壊」「アメリカの逆襲」「韓国の悲劇」等)である。大学時代にドイツ語とドイツ史を学んだり、専門書を読んだけれど、小室氏の著作によって血沸き肉躍るアカデミックな世界を知ることとなった。こんなに面白いのかぁ。病みつきになって氏の著作が出るごとに即購入しては読んだものだ。

さて、向井氏の「書斎の旅人」は小室氏と直接関係はない。小室氏の著作と並んで20代に読んだのは開高健の釣りエッセイである。「フィッシュ・オン」「オーパ」「もっと広く・もっと遠く」「オーパ・オーパ(アラスカ・カリフォルニア・カナダ・モンゴル・中国)」「私の釣魚大全」などなど。小説家としての著作よりも氏の釣り紀行やエッセイに魅せられて、失礼ながらついでに小説を読んだものだ。小説なら、やっぱり、三島由紀夫かトーマス・マンだった。いまでもそうだ。

話がそれまくるが、開高健と谷沢永一と向井氏は学生時代に同人雑誌をものした仲間だったらしい。そして、3人は無類の本好き。向井氏と谷沢氏共著「縦横無尽」に出会ったのはいつのころだろうか。30代前後のことだろう。ふと手にした文庫本による二人の縦横無尽な読書案内。魅せられてしまった。この案内に従って自分の本を必ずしも選んだわけではないが、相当に影響を受けた。彼らを通して自分の読書範囲が広がったと思う。中国史の宮崎市定氏の著作群。仏文学の洒脱な篠沢秀夫氏の「篠沢フランス文学講義」、日本史の大石慎三郎氏の著作群、カール・クラウスの「アフォリズム」、今西錦司の「私の進化論」、サマセット・モームの「作家の手帳」(自伝のサミング・アップより面白い)、フランツ・ブライの「同時代人の肖像」(リルケやカフカのコメントが面白い)、等々。

書評を見ると、見落としていたのもある。中川八洋氏の「欧米デモクラシーへの挑戦」。これは未読だが、同氏の著作「正統の憲法バークの哲学」「保守主義の哲学」「大東亜戦争と開戦責任(近衛文麿と「山本五十六)」等は目を通した(一部未読)。東大で宇宙工学を専攻した人がアメリカのスタンフォードで政治学の博士号を取得し筑波大学で国際政治などを教える学者だが、「鬼才」というのが相応しいだろう。小室直樹氏に通じるものを感じる。「学問は衝動でやるものだ」と小室氏は言った。世間の常識からはずれる言動もあり危うさを感じる側面を持ちつつ、両氏の鋭い感性と学識にもとづく歯に衣着せぬ論点は並みの学者の比ではないと思う。まあ、素人である自分(歴史はアマチュアながら準プロを認んずるものだが)にとっての話だが、わけのわからない専門家向けのジャーゴンに満ちた論文から離れて天下国家を論じ、啓蒙の書を堂々と世に問う両氏の姿勢にいたく感じ入って、いまも私淑している。
Mukai

5時過ぎ、ふたたび眠りに落ちる。次の目覚めは7時前。簡単なリハビリをして朝食(笹かまぼこ、鰯の甘酢煮、沢庵、ご飯)を取り、ルーティンの食器洗いをする。2階にあがり日記を書く。父は9時半前にデイケアーに出かけて行った。日記をつけた後、1ヶ月振り?の部屋の掃除をする。何かにつけてギリギリまで動かない自分。どうせ汚れる、グシャグシャになるのだからと、片付けをしないまま部屋の中は散らかり放題。そして、ある日、一気に整理整頓。部屋はスッキリした。

昼過ぎ、天気がよくぽかぽか陽気に誘われて釣りに出かける。ハゼ狙いは諦めた。那珂湊はまた大潮の時に行くことにし、一週間ぶりにマイスポットへ。昼食は途中
のコンビニで肉まん、キャベツ入りのメンチカツ(これはハズレ)、ハムエッグサンドにほうじ茶を取る。

13時過ぎから竿を3本出す。前回の記憶から遠投に切り替えた。錘負荷27号の竿、錘も20号。2色半(60㍍前後)近く投げてポイントを遠く取った。


<晩秋の色合い濃いマイスポット>
Bannshu
すぐにアタリが来たが針掛かりしない。ハゼか?木っ端セイゴか?その後、まったりとした時間が続く。途中でルアー氏がやってきて30分ほどルアーを投げる。空振り。昼間のルアー釣りで
セイゴというかフッコ・スズキクラスを釣り上げるシーンは見たことがない。夜釣りだろうと思うのだが・・・・。

3本の竿のうち、一本だけは近場のポイント(2色手前=40~50㍍)に投げた竿にかすかなアタリが14時半過ぎにようやく来た。2度、3度お辞儀した後リールを巻くと重い。22~3㌢のセイゴが釣れた。ホットした。その後も、少しずつアタリが出始めたが20㌢未満のセイゴばかり。そして、15時過ぎ、一番下流側の竿に本日一番の大きなアタリが来た。ソレッ!!!ずっしりと重い。30メートル先で鰓荒いの抵抗。30㌢越えのまずまずのセイゴがようやく来た。その後の1時間、頻繁にアタリが来るがバラシが2度。そこそこのサイズだったとは思うが残念。真ん中の近いポイントはまったくアタリなし。15時半過ぎ、納竿。5尾キープ(30㌢、24㌢、23㌢、22㌢、21㌢)。16時過ぎ帰宅したが、もう辺りは薄暗い。本当に陽が短くなったものだ。

<本日一番の獲物>


Ichiban
<土手の草花>
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帰宅して魚の下ごしらえをしてから夕食の準備をする。父の帰宅は17時半。合間に刑事コロンボ「美食の報酬」を見る。3度目か。フグの毒で殺人が演じられる。日本人も登場(芸者)。コロンボ刑事、フグ刺しを食べる。

夕食は、豪州牛のステーキ(父2切れ、母5切れ、自分2切れ)、ガーリックトースト、サラミ、赤ワイン、そして、仕上げは、新宿中村屋のチキンカレー。私のカレーの匂いで母がカレーを食べたいというので明日、銀座ナイルのチキンカレーを出すことに。

2018年11月17日 (土)

正座できた。リハビリは続くけれど・・・

11月16日(金) 晴


6時前の目覚め。
今日は通院の日だ。コロッケとイワシの甘酢煮とご飯の朝食を取った8時過ぎ、車で病院へ。レントゲンを撮り9時半、医師と面談。担当医が今回から変わった。すべて順調とのこと。骨だから、手術は医者でもあとは体が自動的に回復するのを待つだけだ。5月の手術をした1年後ということで5月17日に通院することに。足に埋め込んだ金属片は取らないと医師に告げた。

10時から2階のリハビリルームでトレーニング。今日はじめて正座をした。恐る恐るだが問題なく正座が出来た。蹲踞の姿勢はすでに釣りで何度もとっているし痛みもないからできるとは思っていた。つま先歩きや小走りをしたり、階段の上り降りをチェック。問題なし。後はとにかく歩くことによってリハビリを続けるしかない。つまり、私次第ということ。次回は3週間後。地元の千波湖の一周散歩を日課にする時が来たようだ。

足の可動域はすべてチェックが澄んだ。後は、地道に原状復帰にむけて自分でリハビリを継続していくだけだ。本日をもって、退院日記・リハビリ編は終了することにする。長かった。6ヶ月近い時間が流れた。左足が完璧にもとに戻ることはないだろうがまだ改善の余地は十分にあるということ。

帰路、ダイソーによってホチキスとA4版のコピー用紙を購入。帰宅して、履歴書と職務経歴書をプリントし、郵送の準備完了。

お昼:カツサンドと巻きずしにコーヒーとみかん。

午後は、郵便局に出かけて書類を発送。その足で浅田歯科医院へ歯の治療に。歯のクリーニングと、左奥歯の歯が沁みるところに薬を塗り、前歯が少し欠けている二本の歯を埋めてもらう。実質1時間ちょっとだった。部分麻酔をしたので唇がうまく動かないので夕食は18時過ぎからとることに。運転は問題ないらしい。16時半前、まだ明るい時分に帰宅。

夕食:久しぶりの豪州牛のサーロインステーキ。直火で焼いて塩コショウとわさび醤油で赤ワインを飲みながら食す。いつになく美味。スーパーで買った石窯パンがまたワインによく合う。付け合わせのサラダは鞘いんげん。仕上げはご飯少々に納豆と鰯の甘酢煮。

今日は終日出たり入ったりで体を動かしたのか、疲れが溜まったようだ。歯の痛みはない。20時前、2階のベッドに潜り込んで、エドガー・アラン・ポーの本を手にする。この人は本当に独特の世界を持っている。ひょっとすると狂気一歩手前の。MS. FOUND IN A OTTLE (瓶の中の手記)をぱらぱらめくる。何度か読んだことがある日本語版ではなく今回は英語版だ。独特の呼吸と雰囲気が行間からあふれ出てくる。スリラー、サスペンス、待ち受ける何かとてつもないもの、恐怖、ぞっとするもの。凡庸な感性では見えないものを感知するセンサーが備わっているのだろうか。得たいの知れない悪い予感、超常なるものが身体に乗り移ってそれに突き動かされるように文章が溢れ出てくる、そんな感じだ。病気なのか、狂気一歩手前の正気が垣間見る幻想なのか。表現の出方に違いがあっても、感性的にニーチェや、三島由紀夫とも共通する何かを感じる。何かが降りてきて自動筆記するような。

2018年11月16日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その130

11月15日(木) 晴


5時半の目覚め。睡眠は安定してきた。朝の読書は昨日に続き「不必要だった二つの大戦」を読み進める。

7時前、居間におりてリハビリをする。いつまで続くこのか・・・永遠にやってこない治癒・・・。希望を持とう、希望を。骨折は完全治癒はしない。左手首がそうだ。普段は意識しなくても負荷がかかるシチュエーションでいやでも思い起こされる違和感が残るのだ。くよくよせずに前向きにというところか。釣りは出来るのだから。歩く姿もほとんど通常と変わらない。もちろん、左足首から脛にかけては微妙な痛みはあってこらえているわけだが。

納豆と生鮭のムニエル半分(前日の残り)にご飯少々の朝食。2階に上がり日記を書いたり考え事をしたり、イワシの甘酢煮を作る手伝いをしたり、瞬く間にお昼となる。

焼きおにぎり2個を食べて、釣りに出かけることに。今日も那珂湊漁港へ。ハゼ狙いであ。釣り侍でジャリメを30g購入する。石持が釣れているというので聞いてみるとサーフから4色以上投げないと釣れないらしい。コンスタントに5色投げてとなると・・・つらい。が、12月に入るまでに一度ラストチャンスで狙おうか?

那珂湊漁港のハゼ釣りは空振りに終わった。15時過ぎまで2時間半、3尾。どういうわけだろう、フグらしき気配が。針ごと切られること3度。心が折れた。ハゼ狙いはやめて、またセイゴかイシモチを狙ってみようと思う。相変わらずイワシは釣れていたようだが。

天気も良く気持ちがいい釣り場なのだがハゼはさっぱり・・・・>

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夕食:サンマの塩焼き、カニクリームコロッケでホワイトエールビールを飲む。

4連敗した稀勢の里は今日から食後2階で履歴書と職務経歴書を完成させる。明日郵送する予定。

2018年11月15日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その129

11月14日(水) 晴


6時前の目覚め。徐々に睡眠状況がよくなってきた。しかし、体にだるさがある。先週まで那珂川河口の2キロほど上流地点に通って釣りに興じたが、最後のころは200㍍ほど歩くのが少しつらかった。体調の問題か、それとも、体力の衰えか。

朝の読書は、「不必要だった二つの大戦」。先年亡くなったアメリカの保守の論客パット・ブキャナン氏の著作である。副題はチャーチルとヒトラー。第2次世界大戦の英雄は英国のチャーチルでありアメリカのルーズベルト。ヒトラーは悪魔である。歴史はそのように評価し正史として書かれる。起きてしまった歴史にああだ、こうだと言っても始まらない。しかし、歴史に学ぶとは起きてしまったことと有り得ただろう可能性を検討することでもある。

チャーチル氏は、第一次世界大戦から第二次世界大戦を20世紀の30年戦争とし、その当事者として証言の書を書き、ノーベル文学賞を受賞した。昔のノーベル文学賞は今日とは趣が違う。そのまた昔にはフランスのElan Vital(生の躍動)で有名なアンリ・ベルグソンという哲学者もノーベル文学賞を受賞している。

大英帝国の転落は第一次世界大戦への参戦から始まる。そもそもの原因は、ハプスブルク王朝の皇太子がセルビアのテロリストに暗殺された極めてローカルな事件から始まった。フランス(アルザス・ロレーヌ喪失の復讐心)とロシア(バルカン半島への野心)が手を結び、ハプスブルクのオーストリア(オスマン帝国の衰退にともなう不穏なバルカン半島への野心でロシアと対立))とドイツ(ドイツ帝国の成立とともにヨーロッパ一の人口と軍事力・産業力を誇る新興国)が手を結ぶ。セルビアはロシアの後ろ盾を、ハプスブルクはドイツの後ろ盾を当てに突っ張りあう。ハプスブルクは、セルビアをつぶすために暗殺事件を利用して10項目の最後通牒をセルビアに突き付ける。セルビアは、9項目までは了承、1項目だけ拒否する(暗殺犯の取り調べと原因究明にハプスブルク側が加わる要求)。本来であれば、ハプスブルク側は、動員をかけてセルビアに戦争をしかけるほどのことはなかったらしい。セルビアつぶしが目的で始まった宣戦布告。ロシアが動員をかけ、ドイツがそれをやめるよう働きかけたのにたいし、逡巡するニコライ2世のロシア。ドイツの動員令。フランスの動員令。ここに来て、イギリスが、介入してくる。イギリスの400年来の外交方針は、ヨーロッパ第一の大国を潰すこと。そのためには、第一の大国の対抗馬を支援すること。つまり、この時はフランス。100年前のナポレオン戦争のときは、プロシャ(ドイツ帝国の中枢王国)だった。イギリスの伝統に従って若きチャーチルと外相グレイがが積極的に動き、時の首相アスキースや蔵相ロイド・ジョージを取り込んで、参戦に踏み切る。結果として、ヨーロッパ全体で1000万の戦死者、2000万の傷病者という予想もつかなかった惨憺たる大惨事を引き起こしてしまう。


ブキャナン氏は言う。イギリスが参戦しなかったら、ドイツが勝利をおさめ、その後の歴史的展開はまったくちがったものになっていただろう。もちろんヒトラーが政権をとるようなことはあり得なかった。

Buchanan

そもそも動員令は、開戦とイコールなのか?、国境付近に軍隊を張り付け外交交渉を継続するのがそれまでのヨーロッパの外交であった。それを不可能にしてしまったのは、ドイツ参謀本部の俊英シュリーフェン伯爵が考案したドイツの国防の国是となった「シュリーフェンプラン」(最初に速攻でベルギー経由でパリまで進撃しフランスを打ち破る。返す刀でロシアを迎え撃つ)による。フランスとロシアという2正面の戦闘を打ち破る秘策だった。そのためにドイツの鉄道網も整備されたという。ドイツにとって動員とは、シュリーフェン・プランを実行するためには一刻の猶予も許されない戦闘開始を意味していたのだった。これにより、誰もが予想もしなかったヨーロッパを巻き混んだ大戦を引き起こすことになった。これにより、誰もが予想もしなかったヨーロッパを巻き混んだ大戦を引き起こすことになった。

ノーベル文学賞を取り、20世紀の英国が誇る大政治家で日本でも私淑する人が多いと言われるチャーチル。だが、本当にそうだったのか。起きてしまったことはもう変えようがないが、彼の著作では巧妙に隠されている多くの誤った判断としくじりについて、ブキャナン氏は検討を加えていく。

朝食にサバの文化干しを焼いて食べる。ちょっとばかり塩が効きすぎていた。朝のフルーツはバナナ。

バナナの記憶。子供のころはバナナはある意味で高級品だった。当時のバナナと言えば台湾バナナ。今は、フィリピン産、エクアドル産、さまざま。なーんだ、バナナか、という人も多いが、ベルリンの壁が崩れたとき、東独の人が国境を越えて西ドイツのスーパーで購入したのがバナだったという。20代のころ、ソ連の客船が日本を周遊した際の観光受入れの仕事をしたことがある。先方の団長と面談して一緒に船の中で会食をする機会があった。ソ連船の名前はハバロフスクかジェル人スキー(秘密警察の初代長官)だったか。デザートがバナナだった。団長はエストニア出身の人だったが、「おお、バナナ!」と感嘆の声を上げていたことを思い出す。バナナを馬鹿にしてはいけない。

8時15分、車でハローワークへでかける。失業手当給付の手続きに。その後、求職情報をチェックして面白そうなところを見つけた。求職相談をして、相手に確認してもらい、高齢者でもいいかどうか確認してもらうことに。担当者が休みで明日の回答となる。今更、正規職員を望んでいるわけでもなく、介護もあり無理だが、実家近くの職場で契約か派遣、いずれでもOK。お小遣い(釣りのガソリン代、エサ台)、東京で購入したマンションのまだ残っている家賃の返済や、年に1度、2度の旅行(海外はしばらくは断念、みちのくの奥の細道を訪ねたり、温泉旅行か)、等々。いずれにしても、エネルギーが続く限り、生涯現役を続けるつもりだ。釣りと野鳥観察と読書だけでは何かまだもの足りない。

ハローワークの臨時駐車場の雑草や昆虫をしばし観察して、帰途、京成百貨店で買い物(サンマ、銀座ナイルのカレー、カボチャ、大根等)をする。

お昼:百貨店で買った天丼弁当を食す。揚げたてはうまい。エビ、レンコン、カボチャにシロギス。590円はまあ安いほうだろう。

午後は、4日ぶりの釣りに出かける。今日は、新たな展開をと思い、那珂湊漁港へ。到着してみると、イワシが爆釣中だった。

Maiwashituri

時間は13時。サイズはそれほど大きくはないが、急いでサビキの用意をして30分ほど戦列に加わる。サビキ釣りに必要なコマセはまったく必要なし。第一投から手ごたえがあり釣れる、釣れる、釣れる。すぐに飽きてしまった。氷を持ってくるのを忘れた。おさかな市場で乾燥芋(父の好物)と味海苔(母の好物)を買い、無料で氷をもらい、40~50尾のマイワシを入れる。

本日の狙いはハゼ。那珂川が不調ということもあり、漁港内で狙ってみた。

Nakaminato


釣れたてのハゼは飴色で美しい!

Ameirohaze

北風ぴゅうぴゅうで、釣れる気がしなかったが、それでも1時間半ほどでかろうじて3尾を釣った。サイズは13㌢~16㌢でまずまず。天ぷらサイズだ。時間帯によって、仕掛けと餌(ジャリメ)を工夫すれば10尾~20尾狙えるのではないかという感触だった。明日に期待して、16時過ぎ帰宅。


釣果 マイワシ42尾 マハゼ 3尾

Maiwashi_42


Mahaze3

夕食は、ぷりぷりエビとセロリの塩炒めと秋鮭(北海道産)のムニエルに、ネストビール(エール)。ご飯少々。

食後、履歴書を書く。大学卒業時、第一の転職、第二の転職に続き、4回目である。熱中していると時計は20時。シャワーをさっと浴びて2階のベッドに潜り込む。
「不必要だった二つの大戦」を読み続けるが、すぐに眠くなった。

2018年11月14日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その128

11月11日(日)晴 


5時過ぎに目覚める。睡眠は少しずつ良くなっている。しかし、62歳を過ぎたこの歳。体のあちこちの微妙な不具合が気になりはじめる。

まず、歯だ。最後に歯医者にかかったのは新橋にある最初の会社勤務時代の2003年か2004年。秋口に香港旅行をした際に前歯を折ってしまった時だ。この時は女性同伴で楽しい旅だった。空港が新しくなっていた。以前のようなビルの谷間を恐々と発着するのではなかった。タイガー・バーム・ガーデンもなくなっていた。九龍のシャングリラホテルに宿泊。朝食時、おいしいフランスパンを食べていて前歯がぽっきり折れてしまった。今回は前歯ではなく左上の奥歯。痛みを時折感じるようになったのは6月から。冷たい水が沁みるのだ。最近ふたたびそれが気になりだした。左奥の奥歯の治療は、1990年代で秋葉原の事務所に勤務していたころだと思う。

次は、左手中指。これはすでに既述したので省略するが、症状は10年くらい前からあった。最後は、目。目の中を小さな蚊のようなものが飛ぶようになった。とくに左目だ。白内障や緑内障の症状ではなさそうだが、気になり始めた。

午後の15時まで家でゆっくりする。15時、家を出て常磐線で上野まで出て巣鴨駅までいく。18時過ぎの待ち合わせ。

相手はYちゃん母娘。今日は鰻を食べることになっている。早めについてので周辺を散歩。巣鴨と言えば、学生時代にたまに雀荘にいったり、地蔵通りを歩いた記憶はある。夕刻だったが菊の花の展示があった。

18時半過ぎ、Yちゃんたちと一緒になって、鰻(うな重)、天ぷら、刺身、ビール(私だけ)で楽しい夕食タイム。Yちゃんはカラオケに行きたいというが、今日は一日模擬試験を受けたり解説で疲れているから明日の夕方にする。

Yちゃん親子へのお土産は、バナナケーキ(東京名物なのだが)と実家から持参した柚子の実20個を渡す。

帰り際、ナイトキャップ用にビールを買ってマンションへ。何と、実家のホワイトエールを売っていたのでこれを買うことに。最近はすっかりこのビールにのめり込んでいる。

大相撲九州場所初日。二人の横綱が休場。稀勢の里も初日から土。状況はよろしくない。先日は若乃花が相撲界から足を洗ってしまったばかり。今場所も波乱につぐ波乱があるような予感。



11月12日 (月)晴、後曇り、一時雨

5時半の目覚め。朝からネットサーフィンをする。昨日というか11日はヨーロッパで休戦記念日。第二次世界大戦ではなく第一次世界大戦のだ。毎年、この日はニュースでかならず報道される。ドイツとソ連を除き、ヨーロッパ各国の死傷者は第二次世界大戦より第一次世界大戦のほうが甚大だったから、痛みの記憶もそれだけ深いということだろう。

朝食は、トースト、ブルーベリーにコーヒー。終日、自宅マンションで本を読んだり考え事をする。お昼やYちゃんのままの手作りのチキンカレーとナン。その前に、餃子を焼いてもらってホワイト・エールビールを飲みながら食べる。

夕方、16時、十条駅すぐそばのカラオケで待ち合わせ。2時間コース、飲み物一杯を入れて1600円弱。カラオケも安くなったものだ。今回もYちゃんの独壇場。私やYちゃんのお母さんが知らない今時の曲をどんどん歌う。ナユタン星人とは誰?バルタン星人は知っているのだが。韓国のBTSだかなんだかが、原爆Tシャツで来日できなくなったことを知っていた
というか、Yちゃんから話題にされた。Yちゃんにとっては、原爆の問題よりも、そのグループが来日できなくなったこと、紅白歌合戦にも出られない、ということがニュースのようだった。結局、私が歌ったのは3曲。布施明の「これが青春だ」と小椋佳の「さらば青春」、そして、最後はYちゃんのママとデュエットで「銀座の恋の物語」。Yちゃんのママは、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」とテレサ・テンの「つぐない」、と私のよく知らない演歌2曲ほど。次回は、もっとデュエットしようと練習する約束をする。

カラオケの後は一緒に食事。広東料理をうたい文句にしている中華レストランへ。小籠包、肉まん、五目おこげ、鶏肉のローストの前菜、北京ダックならぬ広東豚(食べ方は北京ダックと同じ)、豚足の煮込み、などなど。私は当然ながら生ビールを飲む。

19時過ぎ、Yちゃん母娘とお別れして帰路に着いた。また、12月にカラオケに行こうとYちゃんと約束した。上野発の急行が30分遅れ、実家に戻ったのは22時前だった。両親は当然ながらすでに就寝。こっそりとキッチンの扉を開けて家に入った。



11月13日(火)曇り

熟睡から目覚めたのは6時前。ぐっと冷え込んだ朝なのか寒い。本格的な冬の予感。長い療養生活からか体が鈍っている。左足の具合は昨日、東京のマンションから十条駅まで20分近く歩いて違和感が大分なくなって順調だと実感した。しかし、朝起きてみると、何かこわばりを感じた。本調子に戻るのはいつになるのか。それとも、2度と以前のようにはならないのか・・・・。

朝食(納豆、笹かまぼこ、お新香、ご飯)、リハビリはそこそこにして、10時過ぎ、買い物へ。冷蔵庫の中はほとんど空っぽである。サバの文化干し、北海道産の生鮭、ポテトサラダ、オハギ、葱、納豆、白菜漬け、バナナ・・・・・。

お昼は、スーパーで買ったけんちんウドンを食べる。それにコーヒー。

歯医者に行くことにした。どこの歯医者へ?母が5月まで通っていた20年来の付き合いの浅田歯科に電話して16時にアポを取った。自宅のすぐ近くにもあるのだが、母の推薦する名医のもとへ行くことにする。行ってみると、相手も母のことをよく覚えていて親切に接してくれた。レントゲンを撮ったり、歯茎をチェックしたりして、とりあえず、歯の掃除をしてもらうことに。原因は、虫歯で抜いた奥歯の変わりに人工の歯を入れたが一番奥でブリッジを
かけるその奥の歯がないため、骨にかかる負担が大きいことによる何等かの影響ではないかということらしい。写真ではまだ判定がつかない(歯肉が腫れている)が、虫歯の可能性もあることはある。が、まずは、歯の清掃(歯垢)をやって様子を見ることになった。初診料3800円也。

17時半過ぎ、帰宅。両親はすでに夕食を済ませていた。横綱稀勢の里は三連敗。解説者の北の富士いわく、負け方がよくない。このままでは、引退ということになるのではないか。残念なことだが、昨年初場所のケガからとうとう立ち直れないまま、横綱をおりることになりそうだ。

19時から映画「駅前女将」を見る。森繁の喜劇シリーズだ。今回は両国駅。途中まで見るも、上京の疲れ、歯医者の治療、で疲れたのか眠くなり、2階にあがりそのまま就寝。

2018年11月11日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その127

11月10日(土) 晴


4時過ぎに目が覚める。

今朝のの読書は、読みかけて放っておいたThe Global Cold War (Odd Arne Westad)の第1章を読了する。タイトルはThe empire of liberty: American idology and foreign interventions。第2章のThe empire of justice:Soviet ideology and foreign interventionsを引き続き少しだけ読み進める。

アメリカの国柄もソ連の国柄もイデオロギーに基づいた革命によって作られた点では似ている。アメリカには「明白なる使命」という信仰のもと近代資本主義の権化、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ=善で、封建主義と身分制に虐げられた世界にその善を普及させることが、彼らの拡張主義を正当化してきた。ソ連は、ロシア帝国の膨張主義をある意味で継承した。東の野蛮を文明化するという使命、労働者なぞほとんどいない、農民国家の伝統のロシアの近代化をめざしつつ、私有財産や身分制を否定し、西側の近代資本主義の段階の先を目指そうとする。両者とも、自分たちの「生き方」を世界に広めようとする「普遍主義」を目指した。

左足はいつになったら右足と同じレベルになるのだろう。まだ、歩いていると庇ってしまう。リハビリ・トレーナーのアドバイスに従い足指トレーニングと左足に重心をかけた屈伸を念入りにやってはいるのだが、違和感はまだまだ続く。

朝食(塩鮭、納豆、ご飯、玉ねぎの味噌汁)を取って、2階にあがり日記を書く。父は9時半前にデイケアーに出かける。午前中は、昨日収穫した柚子の仕分けの手伝いをする。Kストアーでの買い物(台所用品等)の際にも20個ほどお裾分けした。

11時半すぎ、焼きおにぎりと五目チャーハンにデザートの柿の昼食を食べて、車に乗り釣りへ。今日は北風が収まってポカポカ陽気。ひょっとしてという期待したが、アタリは遠く、15時前後の30分にバタバタと20㌢をかろうじて超えるセイゴ4尾が釣れたのみだった。それ以外は木っ端セイゴばかり5尾ですべてリリース。ハゼの気配なし。この場所はもうだめだろうか・・・・。

16時過ぎ帰宅。魚を捌いて一段落しながらテレビをつけると、刑事コロンボの再放送をやっている。最後まで見てしまう。何度見ても飽きないシリーズだ。

夕食:鶏のもも肉のローストを作り赤ワインで一杯やる。付け合わせはモロッコインゲンと沢庵。昨日買った石窯パンがとても美味。これだけでお腹一杯になる。デザートはリンゴ。

居間に戻ってテレビをつけると、今度は有料チャンネルのたまたまだが無料放送で「007ゴールドフィンガー」をやっている。なつかしい!高校生の時にリバイバルで大工町のミラノ座(だったと思う)で見た映画だ。シャーリー・バッシーのパンチの効いたテーマソングがすばらしい。007シリーズはやっぱりショーン・コネリーだろう。ベストは、この「ゴールドフィンガー」か「ロシアから愛を込めて」になるだろう。

007シリーズで出てくる悪役は、ソ連か中国である。冷戦さなかに始まったスパイ映画であるから当然といえば当然であるが。冷戦終了後の007シリーズが面白くなくなったのは諜報を対象とする敵がいなくなったから?そんなことはないだろうが、アングロサクソン文明的な生き方が世界を席巻する現代にあって、非アングロサクソン的なものはみな何らかで歪曲されおもしろおかしく描かれてしまう。

エドワード・サイードではないが、イスラムに関する報道は事実の部分はあるにしてもあまりに酷い(オリエンタリズムは満ち満ちている)。

「サスペリア」という怖い映画があったが、主人公が最後のほうで目撃する戦慄のシーン、老婦が肉切り包丁で死体?を切り裂いているらしき場面での会話はロシア語だった。

映画「ダイハード」の第一作は、日本のバブルの頂点で、日本人がアメリカの資産を買いあさっていた時代だが、ナカトミプラザとナカトミ社長(日本人)の描かれ方に違和感を感じた日本人は多いはずだ。古くは、「ティファニーで朝食を」でカメラをいじくる日本人、最近と言っても1990年代初めだがスタンリー・キューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」で出てくる女買いをする日本人・・・・。刑事コロンボのドラマでも、これは1960年代後半だが、年老いた庭師として日本人が登場したなぁ。英語がほとんど通じなくてコロンボが片言の英語でその日本人庭師(犯人を追い詰める重要な証言者)と会話するシーンがあった。

明日日曜日は、午後から久しぶりに上京する予定。

2018年11月10日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その126

11月9日(金) 雨、後曇り


5時過ぎに目が覚める。二日続けて熟睡できた。

朝の読書は、「ニーチェ~ツァラトゥストラの謎」(村井則夫著、中公新書)を手にする。とりあえず定年になって時間に余裕が出来たらじっくり読みたいと思っていたニーチェ哲学。原書と翻訳を併読しながら取り掛かる前の準備にこの本を選んだ。現代音楽がドイツのワーグナーとともに始まったと言うなら、現代の哲学は同じドイツのニーチェなしには考えられないだろう。寄せ集めの知識によれば、ニーチェはショーペンハウアーの影響(仏教の影響もある)見られ、無意識を発見したといわれるフロイトの先駆者である。ダーウィンの「進化論」にも影響を受けている。1844年生まれ。19世紀。時代は、イギリスの産業革命がヨーロッパや北米に伝播しいわゆる「グローバリゼーション」が始まる時代である。宗教の拘束力が衰え、近代科学的世界観がそれに代わって世界を席巻しはじめていた。哲学者としてドイツ観念論のカントやヘーゲルのような体系的な著作を残したわけはない。直観をアフォリズムで表現した、詩人的な哲学者だった。

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7時過ぎ、いつものリハビリと朝食(納豆、笹かまぼこ、ご飯、バナナ)。

8時半過ぎ、ハローワークへ出かける。外は小雨が降っている。臨時駐車場に車をとめて200㍍ほど歩いて事務所へ。求職活動と面接だが、スイッチがなかなか入らない。40分で終了し、京成百貨店の食品売り場へ。冷蔵庫の中の魚が尽きた(ハゼは冷凍、30尾くらいになったら唐揚げか天ぷらをしようと思う。現在16尾)。魚を買うならここだ。アイナメが一尾450円で出ていたので2尾購入する。鰆に切り身4切れで500円弱というのも安い。これも購入。パンやモロッコインゲン、母の好物のエビの握り寿司などなど。さらに、近くのスーパーに立ち寄り、石窯パン、最近愛飲しているネスト・ビール、父の好物のお萩と柚子飴、果物(柿とリンゴ)などを買って帰宅する。

お昼は、ソーセージロールパンとコーヒー。

2階で日記を書いていると、明日土曜日に来ると聞いていた従兄夫妻が我が家の柚子の実を取りに完全装備(梯子、ハサミなど持参)でやって来た。どうも母が曜日を間違える勘違いをしたらしい。庭(といっても小さいが)の東向きのブロック塀の縁に父が植えた柚子の木が毎年沢山の実をつけるようになったのはここ10年である。昨年は不作だったが、今年は豊作。200個はあると母は早くから騒いでいた。私も手伝いとして加わって実を取り始めると、半端ではなかった。200個どころではない。500個、いやそんなものではない。16時になって薄暗くなるまで柚子の実とりに没頭する。用意した籠に収まらず段ボール箱も追加した。1000個近くあるだろう。実をとるのが大変な理由にこの木の枝には鋭い棘があるからだ。とにかく骨が折れる作業だった。従兄によれば、柚子取りは毎年の楽しみらしい。母によれば、豊作の柚子は、隣近所に配り、川崎に住む母の姪っ子に送ったり、父方の姪に送ったり、我が家で食し、柚子湯風呂にしたり。長らく、実家をないがしろに、一人勝手に生きてきた自分だが、私がしらずともこのような巡り来る季節のなかで柚子を介したコミュニケーションが一族・近隣コミュニティーで行われていることに今更ながら感じ入ってしまった。

①西向き側の柚子の実 (東向き側はもっとすごい)
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② 私の従兄(確か7つ上) 小さいころ、母の実家の久慈川で釣りを教えてもらった(鮎、カジカ、フナ、ウナギ、ナマズ、ヤマベ、ドジョウ)。
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③大きな籠が一杯(数えていないが200個はある)


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④ブロック塀の外側に軽トラックを入れて拾う義理の姉。。土地の所有者にはもちろんお礼に柚子を差し上げた。


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夕食:鶏のもも肉のグリルに蜂蜜を塗って食べながら赤ワインを飲む。石窯パンとサラミ、ポテトサラダ。
午前中の外出と午後の柚子取りで体に疲れが溜まったのか19時過ぎには眠くなる。いつもシャワーで済ませてしまうのだが、今夜は湯舟につかり左足をマッサージして20時過ぎに就寝。
 

2018年11月 9日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その125

11月8日(木)晴時々曇り、北風強し

5時過ぎの目覚め。何とか眠ることが出来た。ところが、左手指の中指の第二関節に異変が。もう大分前から指の関節がコキコキとなり気にはなっていたのだが、日常生活に支障はないし放っておいた。そしていつの間にか第二関節の曲がりが悪くなりまっすぐにしようとすると痛みが伴った。それでも、まあいいかぁ、と忙しさにかまけて放置。と、この3週間、釣り三昧で毎日左手で竿を握っていたせいもあるのだろうか、数日前から夜中に限って痛みが出るようになった。腱鞘炎?何だろう。

朝食(納豆と笹かまぼこにご飯、バナナ)とリハビリを済ませて、近くのクリニックへ。両親が大変お世話になっている。現在の院長は自分と同じ出身高校の7年下の後輩である。一応、胃腸外科なのだが、整形外科に行くように言われる。県庁に行く途中に山本整形外科というのがあるから、と。うーん、面倒だが、来週足を運ぶことにしよう・・・。

アメリカの中間選挙は、上院は共和党が多数派を維持したが、下院は民主党が多数派となった。捻れ現象の再来。オバマ大統領の時もそうだった。図式というか、マスコミが盛んに喧伝するのは、保守的な白人中年層はトランプ大統領支持。南米移民や有色人種や若年層は民主党だという。そうかも知れないが、私には、「都市」対「地方=田舎」という
対立図式に見える。今回は、都市のノンポリの若者層がオジサンたちの支持する保守的で非リベラルな現実政治に違和感を覚えて(正義感)反共和党=民主党への投票となったと考える。

アメリカの分裂は深まるばかりのようだ。結局、イギリスでもそうなのだ。グローバリズムは国境を否定して資本が自由に移動して、資本の論理=効率と利潤にさらされるため、モノづくりは人件費の安い発展途上国に負けることはわかっているのだ。ロンドンはEU残留を希望するが、地方はノーなのだ。トランプさんは、今一度、かつてのアメリカに戻れると信じているのだろうか。
 
トランプ政権発足の意義はまだよくわからない。少なくとも識者がいうように、アメリカの一極世界支配は終わる=アメリカが降りつつある、ことの現れであるということはどうも真実のようだ。もうアメリカのあの黄金時代は来ないのではないか。第2次世界大戦終了直後がアメリカの絶頂だった。冷戦により、アメリカとソ連は疲弊したが、ソ連が先に脱落した。その間、日本という反映の徒花がアメリカを脅かしたが、冷戦のコストの重荷から解放された
アメリカは、IT革命をベースに日本を潰し、グローバリズムの勝者としてアメリカは再び輝いたのだったがリーマン・ショックで終わった。
 
では、20世紀の第一次世界大戦を契機に世界覇権が大英帝国からアメリカ合衆国に移ったように、いままさに、アメリカの世界覇権は中国に移ろうとしているのだろうか。こればかりは何とも言えない。近代資本主義はアングロ・サクソンのエートスとユダヤ資本による相乗効果でできあがったシステムである。一時はソ連の共産主義が期待されたが、日本の経済繁栄とと同様に徒花に過ぎなかった。では、中国は? 中国はアジアの地域大国であることは間違いないだろうが、漢字文化圏の国である。宗教もキリスト教ではないアング・ロサクソンの英語文化圏、アングロ・サクソンのシステム(議会制デモクラシーのもと私有財産の保護と自由主義にもとづく商工業の発展)を継承し、あるいは超えることは土台無理のような気がする。
 
人口の多さによるGDPの規模の大きさと日本をモデルにした工業生産をベースにした輸出モデルは、必ず限界が来るのだから、中国もいずれ現在の日本のようにモノづくりでは国富を維持できなくなる、というか、いままさに、それで米ソが対立している。日本モデルの脱却の先にある中国の未来像とは?
 
お昼は、焼きおにぎりとバナナ。そして、日課の釣りに出かける。大潮3日目で期待したのだが、相変わらず冷たい北風が吹いていて悪い予感があった。以前、ベテランの老釣り師から「北風が吹くときは釣れない」と呟いていたのを思い出す。結果はその通りだった。釣れるのは20㌢未満の木っ端セイゴでしかも、バラシばかり。かろうじて、カイズ(というか、チンチン)を1尾釣り上げたがリリースサイズ。
 
Nakagawa_turiba



Kaizu
 
おまけに、今日は遠投竿を用意して3色以上投げた(80㍍くらい)が、アタリがあった直後にPEラインが切れてしまうトラブルもあった。これでやる気をそがれてしまたった。15時に早々と切り上げ、手ぶらで帰宅する。いわゆる「ボウズ」であった。

土手の草花:
Kusabana1




Kusabana2


夕食:セイゴのムニエルを作って食す。なかなか美味。カリっとオリーブ・オイルを敷いたフライパンで小麦粉と塩コショウをまぶしたセイゴを焼き上げ、バターの香りとレモンの酸味で仕上げたのだが、地元産のホワイトエールビールと相性もよく、堪能した。味わいながら、ロンドンで食べたドーバー産の舌平目の大きなムニエルを思い出した。ロンドン駐在時代、
ハノーバースクエアーにあったイタリアレストラン「ランブロスコ」で食べたスズキのグリルも旨かったが、ムニエル=バター焼きがこれほどうまいとは。長らく忘れていた洋風の魚料理に久方ぶりで舌鼓を打った思いだ(家では、和風=煮つけか塩焼きか刺身)。



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2018年11月 8日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その124

11月7日(水) 晴時々曇り


一日おきのジンクス。昨夜は熟睡した。5時過ぎの心地よい目覚め。アメリカでは中間選挙でいつになく盛り上がっている。トランプ政権になってから米国内政治はもちろん、国際政治もいろいろ不協和音で騒がしくなっている。
 
リハビリ後、朝食(セイゴの塩焼き、納豆、ご飯少々、ミカン)を取り、2階に上がり日記を書く。父は9時にデイケアーへ。
 
午前中は食材の買い物へ出かける。春菊が安くなった。葱、鶏のモモ肉、ホワイトエールビール、納豆、バナナ、お菓子、お茶、砂糖。父の好物の魚は冷蔵庫にたっぷりセイゴが入っているので買わず。飽きない程度に、時折ブリ、鰆、鮭などを買う程度。カニ弁当は母の贅沢にと購入。
 
昨日の雨の影響か、冬を予感させる寒さを感じる。外は北風が吹いている。木枯らし1号と言っていいかもしれない。気象庁はまだ発表していないが・・・。
 
五目チャーhンとバナナの昼食をとって、午後の日課の釣りに出かける。昨日は午後の部がオジャンになり不完全燃焼だった。しかし、10年ぶりの弟との釣りは良かった。弟とは5月のケガまではすれ違うことが多かった。顔を合わせるのは年に2度か3度。夏のお盆とお正月、お彼岸とか誕生日くらい。弟によると30代に釣りに熱中したがが、ここしばらくはご無沙汰だったらしい。仕事に追われ、たまの休みはゴルフの付き合いだというが、今日は体の節々々がいたいとラインで連絡があった。
 
弟で思い出すのは、実家の家の近くにある千波湖のヘラブナ釣りである。昔は周りが田んぼと小川が流れ、子供のころはメダカやドジョウ、ザリガニ取りで遊んだものだ。この湖はヘラブナ釣りの名所でもあった。私はどうもヘラブナ釣りには触手が動かなかったが、弟が中学生のころだろう、春先の乗っ込みのシーズンのある日、一人で早朝にでかけて沢山のヘラブナを釣ってきて驚いたのをいまもよく覚えている。
 
さて、今日の釣りだが、北風が冷たかった。南向きの護岸下なので直接風にあたるわけではないが、竿先はあおられアタリは取りにくかった。ハゼ狙いの竿を2本、セイゴ・イシモチ・コチ・カレイ狙いは1本でアタリを待ったが、不発だった。たまにあげると10㌢~14㌢のハゼに交じって「未満」サイズが釣れるか、15㌢前後の木っ端セイゴが多い。

昨日の潮位:
Sakujitu_3

今日の帰り際の潮位:
Kyounogogan

15時半、見切りをつけて終了。大潮で水位はかなり上がって期待したのだが、こういう日もあるのだ。ゆっくり片付けをして150㍍の堤防道を歩いて車に戻った。
 
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夕食は、ホワイトエールビール、ガーリックトースト、サラミ、レタスとポテトサラダに、セイゴのグリル。今日のセイゴは、レモンとオリーブオイル味で食すが、美味であった。明日は、小ぶりのセイゴのムニエル(バーター風味)を作ってみようかと思う。仕上げに、鮭茶漬けと笹かまぼこにワサビをつけて食す。これまた良し。お腹いっぱいになる。デザートはリンゴ。お気に入りのホワイトエールのラベル:(魚料理にぴったり)
 
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ちなみに、両親は山椒と昆布を使った煮つけ:
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入院日記 リハビリ・直立歩行編 その123

11月6日(火) 曇り後雨
 
やはり、昨夜はよく眠れなかった。深夜零時前にトイレに起きて眠れなくなる。ベッドのなかでごろごろしていると1時。仕方なく、読み終わったThe Eitingonsのまとめをすべく、前半の章を中心にパラパラめくりながら振り返りをした。3時前後だが眠りに落ちた。そして、次に目が覚めたのが5時。そして、また、眠れなくなる。昨夜の就寝時間が22時ごろだから、結局のところ睡眠時間は4時間半くらいだろう。
 
朝食(納豆と笹かまぼこにご飯)を取ってリハビリを済ませて休憩していると、8時半過ぎ、早くも弟が車でやって来た。今日は一緒に釣りにでかける約束をしていたのだ。私より5歳下。地方の銀行員だが、2年前から出向人生で、鹿嶋市のあるビジネスホテルの支配人をしている。先日は、東京オリンピックの期間の予約で相談を受けたばかりである。
 
雨は降っていないが予報は午後から雨。雨天中止だが、雨が降っていので決行である。私の車を弟が運転し私がナビゲーター。釣り場で問題となるのはどこに車を止めるかだ。那珂川はそれがいつも問題になるのだが、マイスポットは150㍍ほど歩くが小さな神社のそばに車を止められる。車上荒らしが横行しているらしいが昼間なら大丈夫。夜釣りだとたぶん
やばい。
 
9時半過ぎに現場に到着。干潮時で水位は低かった。15時前の満潮までの5時間勝負。大潮初日。期待したいところである。しかし、11時ごろからポツポツと雨が降ってはやんでを繰り返し13時を過ぎると本格的な降り模様となってしまい釣りを終了することとなってしまった。
 
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Otouto
 
のんびり、世間話しでもしながらというより、孤独を楽しみながら日々追われる生活(職場と家庭)からちょっとばかり抜け出して物思いにふけったり、竿先に没頭して我を忘れるひと時は得難いものだ。前日にマゴチを仕留めて期待は高かったが、釣果そのものは雨にたたられ、体もびしょぬれになり散々な結果となってしまった。が、弟はこの日最大の31㌢のセイゴを釣り、最後に15㌢のマハゼを釣り上げ、まんざらでもなさそうだった。いつまでここは釣れるのか、と聞かれたが正直わからない。セイゴなら1月一杯は釣れるだろう。ただ、水が澄んでくると夜釣りになってしまう。昼の釣りということだと12月半ばくらいだろうか。
 
釣果:セイゴ5尾(20㌢~31㌢)、ハゼ6尾(10㌢~15㌢)
 
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14時過ぎに帰宅。熱いコーヒーと柿にスパゲッティ・ナポリタン(冷凍)を振舞って、またやろう、と呟きながら雨の中帰っていった。弟との釣りは、10年前に久慈川河口でイシモチ釣りをやった記憶がある。この時はボウズ。今回はまあ、大漁ではないが魚と戯れることが出来たので合格点だったろう。夕方まで、2階のベッドでうとうとしたりして休憩を取る。
 
夕食は、焼き餃子でビールを飲む。そして、銀座ナイルのチキンカレー。
 
食後、喜劇「駅前火山」を見る。鹿児島が舞台。駅は西鹿児島駅のこと。1968年作、シリーズ23作目だという。どういう順序で放送になったのかは不明。藤村有弘、松山英太郎、前田美波里、ジュディ・オングなどが登場するところが時代を感じさせる。中村メイコが伴淳三郎の奥さん役。映画の中でフランク永井の「夜霧よ今宵もありがとう」を登場人物が歌うシーンも。自分が初めて鹿児島に行ったのは、1979年秋だったろうか。ソ連のクルーズ船の入港にからむ観光に関わった。右も左もよくわかっていない新人の頃。指宿温泉にはロシア人200名だか300名とバスで出かけた。さすがに砂風呂に200名が入ることはなくショウを見ながらお昼を食べたような気がする。今回も、フランキー・堺は池内淳子と最後に結ばれる役回り。
 

2018年11月 7日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その122

11月5日(月) 晴、時々曇り
 
ぐっすり熟睡して5時過ぎに目が覚める。一日おきの熟睡。一日おきの寝不足。
 
「The Eitingons」は終盤に差し掛かっている。ニューヨークの毛皮取引の当主モッティは戦後にまき直しのための 商売の博打を打ったが結局劣勢を跳ね返すことは出来ず、毛皮王国は自然消滅、羽振りの良かった彼は、 貧困とはいわないまでも落ちぶれてしまう。
 
一方で、ロシア革命以来、ソ連の毛皮輸入にからむ関係は、たえずFBIの 監視の対象になって来たが、結局のところ1956年に死亡し、灰色のままケースクローズとなる。 モッティは、結果的にカイム・エイティンゴンが一代で築き上げた毛皮王国を無にしてしまったが、理由として、レイヨン というケミカル繊維の登場、ビジネスの超拡大政策と膨大な借り入れ、社会主義シンパとして、組合員へ譲歩(出来高制 を時給制にしたほか、ビジネスが失敗しても契約に従って賃金を支払ったために、エイティンゴン一族の取り分がなくなった)。
 
一方で、ロシア革命直後の共産政権に莫大は保釈金を支払って身柄を解放された裏には、モッティがアメリカの共産党組織への 資金提供、AMTORGという毛皮の貿易代表部を隠れ蓑したスパイ活動に関わるエージェントや工作員を支援したのではないか、 とまで噂されたが決定的な証拠はない。結局、モッティはビジネスでの金儲けだけに興味があった、とする評者もいるよう である。
 
一方、レオニード・エイティンゴンもソ連の戦後の新しい時代に、ユダヤ人医者が引き起こした「医師団の陰謀」なるものを きっかけに、自身のユダヤ人性!によりスターリンからとうとう国家の反逆者とし有罪になり刑務所に服役する。スターリンの死 により後継者と目され動き出したべリアから一旦は釈放れるが、すぐにべリアが失脚、再び服役(懲役12年)する 羽目になる。
 
ブレジネフ時代に刑期を2年前倒し(最初の服役を考慮するよう再婚相手の連れ子の娘ゾーヤによる政権中枢への働きかけ) して釈放されるが、1980年初めに亡くなるまで名誉復帰はできなかった。名誉が回復されたのはソ連崩壊後、エリツィン政権 になってからである。
 
アメリカの原爆開発に関わるスパイ活動にはエイティンゴンの名前はあまり出てこない。彼はむしろ、ドイツ占領下での秘密 工作やトルコでのパーペン元ドイツ首相でトルコ大使の暗殺に関わっていた(失敗)のが理由のようであるが、アメリカのカリフォルニアには彼が トレーニングした工作員が複数おり(コーエン)間接的な関与はあったと推測される。
 
レオニードの再婚相手の娘ゾーヤは語学の天才で、 公式の政府通訳としてテヘラン会談やヤルタ会議で通訳をしたという。原爆開発においても、アメリカから送られてくる文書 の翻訳に素人ながらかなりの期間関わった。
 
死刑になったローゼンバーグ夫妻スパイ事件については、この本を読んでいて やはり、この裁判による死刑は見せしめであった、ということが理解できた。スパイであることには間違いなかったが、ソ連の 原爆開発に決定的に寄与したスパイであるフックス博士(懲役刑のあと東ドイツへ移って研究者として余生を送った)他、 よりハイレベルは関係者は生き永らえた。ローゼンバーグ夫妻が死刑になったのは、たとえ軽度(連絡係) であっても、罪状を決して認めなかったこと(ほかの関係者はみな認めた上に、グリーングラスは、司法取引きで、自分の 妻を救うために江セル・ローゼンバーグ(ジュリウスの妻)に罪状をなすりつけた)。
 
朝食:ホットミルク、納豆と笹かまぼこにご飯少々。
 
父は9時過ぎにデイケアーへ。自分はThe Eitingonsを読み続ける。
 
11時、本を置いて日課の釣りに出かける。 お昼は、ローストビーフサンド(わさび風味)と卵サンドにホットコーヒー缶を車の中でとる。
 
向かった先は、先々週以来の阿字ヶ浦海岸。海は凪いでいたが、 潮は異常に澄んでいた。1時間半ほど遠投を繰り返したものの、海からの反応はまったくなし。見切りをつけて、那珂川のマイスポットに移動すして、14時過ぎから 1時間半ほど竿を出す。ここならボウズはまずない。例によってセイゴがすぐ釣れたし、ハゼもかろうじて1尾釣れたが、 最後の最後にサプライズが待っていた。
一番上流側お竿先が微妙に2度、3度お辞儀をした。またセイゴかと思ったがそのまま竿先は動かない。しびれを切らして 竿に合わせを入れてリールを巻くと何かが掛かっている。護岸近くになって猛烈に抵抗を始めたが、一気に引き抜くと何と35㌢弱のマゴチだった。 予想外のうれしい魚だった。 ハゼのお化けのような魚である。肉食魚だ。
 
Hatsumagochi
 
 
16時半過ぎ、途中で買い物(青野菜、果物など)をして16時半前に帰宅した。
 
夕食:セイゴのグリル(オリーブオイル風味、赤ワイン、ポテトサラダ、ガーリックトースト、サラミ、レタスとトマト。最後にご飯 少々とお新香。
 
食後は2階にあがりThe Eitingonsを読み続ける。21時16分、読了。直後、眠りに落ちる。

2018年11月 5日 (月)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その121

11月4日(日) 朝のうち雨、後曇り
 
一日起きに睡眠がよろしくない。3時前に目が覚め眠れなくなり。2時間ほど読書(The Eitingons)。
 
5時前にまた寝入る。すると、変な夢を見た。魚釣りをする場面だが、この釣り場は過去にも何度も夢で出てくる。子供のころ出かけた海水浴場(姥の懐という所)や浜離宮に似た場所で釣りをする自分。釣り竿も釣った魚もいつのまにか潮が満ちて海の中。慌てふためいてパニックっていると目が覚める。
 
朝食:ホットミルク、納豆とセイゴの塩焼きにご飯少々。
 
テレビで「バグダットカフェ」をやっていたので見る。ドイツ人の中年太りの美人でもないオバサンが旅先のアメリカで旦那と喧嘩別れてふと泊まった冴えないカフェ兼モーテルで繰り広げられる不思議な物語。ベンダースの「パリ・テキサス」とはまた違った味わいのあるジャーマン・ムーヴィー。見逃していた名画を偶然だがやっと見ることができた。朝食の間の30分は見てない。最後のヒッピー風のイカレた画家のプロポーズにドイツ人のオバサンが返答しようとするところで映画は終わる(OKしたのだろうか?いや、そうではないのかも。どっちだ)
 
午前中はぼんやり、何もしないで過ごす。
 
お昼は、チャーハンとコーヒー。
 
午後は2時間半ほど、マイスポットで竿を出す。今日は中潮で満潮前後の釣りだった。竿は3本出したが、上流と下流側にそれぞれ1本。真ん中の3本目はハゼ狙いにして針6号の2本バリ仕掛けで柔らかい竿を出した。到着早々、上流側の竿で手のひらサイズのクロダイ(チンチン)が釣れたが、その後は真ん中のハゼ狙いの竿にサイズは小さいがハゼがアタリだした、ようやく那珂川でハゼが釣れ始めたか、という思い。
 
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そうこうするうちに上流側に物凄いアタリが来る。激しい抵抗、鰓荒いの末に護岸に引っこ抜いたのは目測35㌢弱のセイゴだった。帰り間際、一番下流側の竿にアタリがあり、25㌢弱のセイゴが釣れてゲームセット。16時過ぎに帰宅した。
 
釣果:セイゴ33㌢1尾、23㌢1尾、ハゼ6尾(10㌢~13㌢) クロダイの子供のチンチンは帰り際に川へリリース。
 
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夕食:吉野家の牛丼を食べながら赤ワインを飲む。デザートはリンゴ。
 
面白いテレビ番組がないのでシャワーを浴びて早めに2階へ。イギリスの歴史家のポール・ジョンソンの「Intellectuals」をパラパラと読む。取り上げられる人は、ルソー、シェリー、イプセン、マルクス、トルストイ、ヘミングウェイ、ブレヒト、バートランド・ラッセル、サルトル、などなど。気が向いたときにたまたまめくった個所を読んだりしてほとんど目を通した本。著名な人たちのプライベートな部分を赤裸々にに暴露した本でもある。歴史において名をなした人たちだが、非常識ぶり、傲慢さ、ハチャメチャ振りに唖然とさせられる。読んだのは、リリアン・ヘルマン。「マルタの鷹」などのハードボイルド小説で名を成したダシール・ハメットの女房でもああるが、アメリカのユダヤ系左翼知識人でスターリンのソ連共産主義の旗を振った人。ソ連崩壊の前に亡くなっているが、スターリンの化けの皮が剥がれても開き直る左翼リベラルの知識人の自己欺瞞以前に、彼女がいかに大ウソつきであったか、これでもかとジョンソンは容赦ない。第2次世界大戦中のパリ(ドイツ降伏後?)でヘミングウェイにモーションを掛けて振られた話しや、旦那のハメットはリリアンと出会う前は次々と傑作を発表したが、この女と一緒になってからはまったく創作力が枯渇してしまったこと、その代わり、リリアン自身が次々と旦那からインスピレーションを得て?傑作(舞台劇は映画のシナリオ)を創作したこと。ハメットはリリアンにとって、男版のミューズ?
 
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2018年11月 4日 (日)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その120

11月3日(土)晴
 
5時の目覚め。「The Eitingons」を読み続ける。 レオニド・エイティンゴンはトロツキーの暗殺が成功すると実行犯は逮捕されたが、実行犯の母とキューバに逃れ(母はキューバ出身)身を潜め(イラク人のパスポートで入国、ブルガリア人として出国)、次いでニューヨークへ、さらにカリフォルニアへ、サンフランシスコから上海、ハルビン経由でシベリア鉄道にのりモスクワへ戻る。1年がかり。(カリフォルニアは2度目。前回のカリフォルニア訪問は、中国系や日系移民から秘密工作に従事するエージェントのリクルートに関わったらしい。(ゾルゲ事件でかかわった 関係者はアメリカのカリフォルニアでリクルートされた人たちが関わっている。)1941年、6月17日、ヒトラーのソ連侵攻の5日前にレーニン勲章を受ける。独ソ戦の開始とドイツの快進撃で苦境に立ったソ連だが、エイティンゴンは、ドイツ占領下の地域に潜入して、あらゆる破壊・誘拐・サボタージュの秘密工作に従事する。トルコでは、ドイツの元首相にしてトルコ大使だったフォン・パーペンの暗殺を企図してこれは失敗する。
 
リハビリと朝食を済ませ、父はデイケアーに出かける。2階で日記をつけ終わった10時半過ぎ、那珂川のマイスポットへ。
 
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潮は若潮で 満潮は13時ごろ。11時半から14時半過ぎまで実釣3時間、3本の竿を出した。餌はいつもの青イソメ。昨日と違って前半 は結構アタリがあるがサイズが小さい。結局、持ち帰りサイズ(20㌢越え)は4尾で、25㌢を超えるサイズは釣れず。
 
釣果:セイゴ 4尾 21㌢~25㌢
 
<写真は20㌢越えのダブルで釣れたセイゴ>
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お昼は、コンビニで知れた卵サンドとドライカレーにゆで卵が入ったおにぎり!
 
15時半過ぎ、釣りの帰りに買い物をして帰宅。毎日魚料理が続き、肉が食べたくなった。豚肉のロースとコマ肉を1パックずつ 購入した。父の帰りに合わせて(17時半)夕食は、豚肉をシャブシャブにしてショウガ醤油にたっぷりのレモンを絞って食べる。 付け合わせはパリパリのレタス。それに、ガーリックトーストと赤ワイン。デザートは柿とナチュラル・チーズ(チェダー)。
 
日本シリーズ第6戦を観戦する。福岡でダイエーが3連勝。今日の試合は広島のホームに戻って行われる。初回から緊迫した 試合だが、広島は初めて盗塁を成功させた、と思いきや工藤監督のリクエストによる写真判定になりアウトとなる。負けている 広島を応援していたが、この展開はまずいと思われた。短期決戦では流れがある。相変わらずずるずるとダイエーのペースに 押され続ける広島。この流れだと負けるな、と悪い予感。、釣りで疲れたのか睡魔に襲われ、そそくさとシャワーを浴びて 2階へ上がって就寝。
 

2018年11月 3日 (土)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その119

11月2日(金) 晴
 
6時に目が覚める。4時前に目が覚めたが再び眠りに落ちる。
 
ベッドでぼんやりしていると時計は6時50分になってしまった。朝の読書はお休み。今日もモズの声を聞く。そして気温は低く寒い。
 
7時前、居間に降りリハビリの前半のパートをやり、キッチンへ。セイゴの塩焼きを作り、朝食を取る。
 
このところ、The Eitingons(エイティンゴン一族)に没頭。20世紀前半の歴史を一族とともに辿っている。しかし、補助教材がないとなかなかぴんと来ない部分も多々ある。そういう意味で福井義高氏の本はとても参考になる。
 
朝の早い時間は2階で日記をつける。日記と物思いに没頭していると、一階では父の訪問看護師がやってきていろいろ世話をしている。
 
11時半過ぎ、近くのクリニックのK医師がインフルエンザの予防接種のために足を運んでくれた。すべてが終了して12時半、簡単な昼食(コーヒーと五目チャーハン)。
 
日課の釣りはお休みにする。疲れがたまっている。体力が落ちた。無理はしなで体をいたわることに。母の使いでインフルエンザの精算にクリニックに足を運び、それから、生活用品の買い物に出かけたりで、もう15時になってしまった。太陽はもう西に大分傾いている。一日が何と早くはかないものだろうか。
 
いつもならジョウビタキが前のNさんの家のテレビアンテナに留まってナワバリ宣言の鳴き声を聞かせてくれる時期なのだがさっぱりである。モズが居座ってジョウビタキが近寄れないのだろうか。庭のゆずの木がたくさんの実をつけた。
 
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ベッドに横たわりうとうとしたり、福井義高氏「日本人が知らない最先端の世界史1」も合わせてパラパラと拾い読みをする。
 
夕食は、イシモチの煮つけ(山椒風味)で地元の酒造会社特製おエールビールを飲む。ょっと値がはるが実にうまい。以前、クアラルンプールに出張したとき、ホテルのバーでこの銘柄のビールが置いてあるのにびっくりしたことがある。仕上げはレトルトだがビーフカレー。付け合わせは、ゆず白菜漬けとモロッコインゲン。
 
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2018年11月 2日 (金)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その118

11月1日(木) 晴
 
5時に目が覚める。秋になって一番の冷え込みを肌で感じる。
 
昨夜寝る前に手にしたがすぐに眠ってしまった福井義高氏の「日本人が知らない最先端の世界史 その2」を読む。
 
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第1章は、「張作霖爆殺・ソ連犯行説を追う」、第2章は、「日本を手玉に取った愛国者(セミョーノフ)」、第3章は、「ゲルニカ神話の虚妄」までパラパラと読む。レオニド・エイティンゴンは1920年代後半の中国、そして、1936年から始まるスペイン内戦に登場する。
 
第1章の扉には、レオニド(ナウム)・エイティンゴンの言葉「わが秘密はわたしのものではなく国家に帰属する」(第5章の人民戦線=善玉説の大いなるカモフラージュの章で再び登場する)が、、第3章の扉には良く知らないが、ジャン・フランソワ・ルヴェルという人のの言葉「世界を動かす第一の原動力は嘘である」が、次の第4章の扉には、スターリンがチャーチルに言ったという「結局、我々を裁くのは歴史です」が、それぞれ付されている。
 
細かい事実を積み上げても砂を噛むような無味乾燥の歴史叙述だけが残るだけで、真実は見えてこない。それでも、本当のところは何だったろうか、という衝動が人にはある。私がいつまでもこだわりつづけるのは、専門家でもないけれどただひとつ「知りたい」というこの衝動だ。著者の福井氏は専門の歴史家ではない。肩書きを見ると、東大法学部卒の超エリート。頭脳明晰。カーネギー・メロン大学で博士号取得。専門は会計制度・経済の情報分析だという。歴史は余技ということだろうが、実に面白い論争の本を書いてくれたものだ。
 
張作霖爆殺事件は、結局のところ、ソ連側にも日本側にもそれぞれ張作霖を殺す動機があった。殺害現場の状況から河本大作氏のいう関東軍が線路に仕掛けた爆弾では死ぬことはあり得ないとする一方で、ソ連側から出てきた最近の資料から、彼らの秘密工作員が高架橋にしかた爆弾で張作霖が爆殺された可能性を否定しない。しかし、どちらの行為が張作霖を最終的に殺したのか、まだ確定していない、というのが現状である。
 
「The Eitingons」を読み続ける。スターリンの懐刀である、中国やスペインで秘密工作を手掛けたレオニード・エイティンゴンは、メキシコではとうとうトロツキーの暗殺に成功する。この暗殺には二つのプロットがあった。一つは、詩人としても有名なシケイロス氏の一団による襲撃事件でこれは失敗した。レオニードが主導したのは、スペイン内戦でリクルートした工作エージェントのMercader母子によるものであった。
 
美男の息子Ramon Mercaderは、メキシコのトロツキーの取り巻きの女性(トロッキスト、アメリカ人女性)に取り入り、トロツキー夫妻に招かれてお茶に招待されたりするようになり、とうとう1対1の場面で身にまとったレインコートの下からアイスピックを取り出してトロツキーの脳天を砕いて目的を遂げた。
 
7時前、居間に降りリハビリをしながら、セイゴの塩焼きを作り、朝食を取る。8時半、2週間ぶりの通院。リハビリルームで70分にわたるトレーニングをする。マネージャーさんから、まだ左足の甲の裏が柔らかい、足指の運動と右足で庇わずに左足の指をしっかり使って
地面をつかむようにした歩行訓練をするように、とのアドバイスを受ける。次回は、11月16日(金)。医師の了解を得て、この日に、正座をする予定。これができればリハビリは完了することになると思われる。
 
帰路、母の使いで銀行で現金をおろしたり、京成百貨店や近くのスーパーで買い物。家に戻ったのはお昼を過ぎていた。愕然とすることが一つ。スーパーで購入したシャープペンシルの芯(300円弱)が見つからない。ひょっとして買い物籠に忘れたか?以前も、果物の梨を買って忘れてしまったことがあった。以前だったら、電話をして取りに戻るのだが、高価なものでもないし金額が金額だからとそのままやりすごすことにしたが、購入して現物を忘れるということを2度もしてしまった自分に正直なところ少しうろたえる。
 
昼食:スーパーで買ったかつ丼を食す。それにコーヒー。2階で日記をつけて一休み。
 
13時半過ぎ、日課の釣りへ出かける。今日は小潮の最終日で潮の動きはよろしくない。が、釣れる釣れないは別で釣り糸を出すことに意義がある。今日も釣り場には誰もいなかった。
 
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釣り始めてしばらくすると自転車でとおりかかった初老の人(私より上)に声を掛けられ、しばし世間話をする。最後に護岸の上り下りは直接やらないで50㍍ほどあるいた下流側にある階段を使うようアドバイスを受ける。敢えて聞かなかったが、ケガしたことがあるのだろうか。
 
通りがかりの人が去った直後、竿を出して10分程、下流側の竿をきき合わせてみるとずっしりと重い。リールを巻くと激しい抵抗、右に左に走る。それなりのサイズのセイゴだ。護岸近くで激しい鰓荒いをされたが一気に引き抜いた。35㌢前後の良型。これが釣れれば文句はない。いきなりの一発で気分爽快。今朝は寒かったが、ポカポカの太陽光線を浴びて幸福な気分を味わう。
 
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その後しばらくは音沙汰なしに時間は経過したが、15時過ぎ、上流側の5.3㍍の磯竿(錘負荷20号)を見やると、竿がピクピクお辞儀を始めた。そして、次の瞬間大きくお辞儀をした。ソレッ、来たぁ、フィッシュ・オン。久々の明確はアタリだ。竿を手に夢中でリールを巻く。ずっしりと重い抵抗が伝わる。これも良型サイズ。真ん中の竿だったが魚が上流に走り、一番上流側の竿を追い越してしまった。やわらかい竿なので竿全体が大きくしなる。魚の抵抗を楽しみながらようやく取り込んだのは先ほどよりやや小さめだが30㌢越えの元気なセイゴだった。
 
今日はこれで良しという気分になった。下流側の竿を回収すると、またブルブルッと手ごたえがある。27㌢前後の塩焼きには持ってこいのセイゴが釣れた。不発の一番上流の竿には最後にアタリが来た。2本バリにダブルで来た。20㌢を少し超えるサイズ。今日はリリースして、3尾持ち帰りとした。15時45分に納竿。荷物一式をもって、50㍍ほどさらに下流側に歩き、階段状になった護岸を上り、200㍍近く歩いて車に戻る。16時半に帰宅。
 
釣果 セイゴ3尾(35㌢、32㌢、27㌢)
Seigo_3bi
 
夕食:魚が続いたので餃子を作り(冷凍だが簡単に調理できる)赤ワインでいっぱいやる。
 
日本シリーズ第5戦を見る。3回に広島が先制したが、1点で終わり。2点目はライトの好返球(ノーバウンド)で本塁タッチアウト。ソフトバンクの好守(キャッチャーはもちろん)が光る。結局、これが響いて延長戦になり、最後はサヨナラホームランで5対4で負ける。結果論だが、広島に3回に2点入っていたら逆スコアーで9回で勝っていた。

2018年11月 1日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その117

10月31日(水) 晴
昨夜は19時半に就寝。そして、目が覚めたのは早朝の4時。9時間近く睡眠をとったことになる。このところ、熟睡しては睡眠不足の繰り返し。何だろう・・・・。
 
目覚めの読書は、まず、ロバート・グレーブスの詩集。ペンギンブックスの古本で随分前だが、お茶の水駅近くの丸善で買った記憶がある。英語の詩集はエドガー・アラン・ポーに次いで2冊目だ。1895年生まれだから、ドイツのエルンスト・ユンガーと同い年。これまで何度か、手にして読もうとしたがすんなり頭に入ってこなかったが、今朝は偶然開いたページの「銀蠅」(Blue-Fly)が目に留まった。同氏の著作は岩波文庫で「さらば古きものよ」を読んだことがある。第一次世界大戦によってショックを受けた世代で、それまでの古き良き時代へ決別の書。
 
 
Graves
 
さらに、「The Eitingons」を読み続ける。いよいよ舞台はメキシコに移る。トロツキーの暗殺の章。レオニド・エイティンゴンによってスペイン内戦時代にリクルートされたスペイン人とともにエイティンゴンはメキシコへ移動する。
 
6時過ぎ日記をつける。今日も近くの柿の木からモズが高鳴きが聞こえる。
 
6時半過ぎ、キッチンでイシモチ2尾とセイゴ1尾を焼いて朝食の準備。魚を焼きながらキッチンでリハビリ(左足のつま先立ちを繰り返す)。
 
9時前、父は迎えが来てデイケアーに出かけた後、近くの掛かりつけの医者がいるクリニックへ月の一度の両親の薬をもらいに出かける。インフルエンザの予防接種は明後日の午後一番にK医師自ら自宅に来ていただいて予防接種してくださるとのこと。問診を書いて事前に病院にもっていくことになった。処理して事前にクリニックに届ける(徒歩3分)ことにする。
 
昼食(エビピラフにミカン)を食べて、午後の釣りに出かける。昨日と同じ場所だ。三連荘だ。今日は誰もいなかった。
 
Kyoumo_nakagawa
 
釣り始めは12時半過ぎ。14時半過ぎまでの2時間はほとんどアタリがなかった。仕掛けを回収してみたら20㌢未満のセイゴがたまたま釣れていた。即リース。14時半を過ぎて、ようやくポツポツとアタリが出始めたが釣れるのはセイゴばかり。サイズもキープサイズ(20㌢)ギリギリのものばかり。アタリも竿先がちょこちょこ動くだけで、ビシバシたたくようなアタリがない。15時前、ようやく本日初めての明確で大きなアタリ。25㌢前後のイシモチだった。グー、グーと鳴く。
 
Tsuritate_ishimochi
 
それから30分の間に25㌢前後のセイゴ2尾を含む入れ食いとまではいかないが、魚の食いが立つ時合だった。終わってみれば、10尾。6~7尾はリリースしたから昨日に比べれば楽しめる釣りだった。
 
釣果:イシモチ(ニベ)1尾(24.5㌢)、セイゴ 9尾 (20㌢~27㌢)
Chouka3
 
夕食は、イシモチの塩焼き、鶏のもも肉の赤ワイン煮込み、ガーリック・トーストにビールとご飯少々。
 
日本シリーズ第4戦をテレビで観戦。ソフトバンクのキャッチャーの肩が素晴らしい。広島のこれまでの盗塁阻止率100%。足技をからめて得点するパターンが封じられてしまった。第3戦、第4戦とソフトバンクが堅守と打力で広島を押し切った。

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