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2018年11月 7日 (水)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その122 The Eitingonsも終盤の佳境。35㌢のマゴチを釣る。

11月5日(月) 晴、時々曇り
ぐっすり熟睡して5時過ぎに目が覚める。一日おきの熟睡。一日おきの寝不足。

 

「The Eitingons」は終盤に差し掛かっている。ニューヨークの毛皮取引の当主モッティは戦後にまき直しのための商売の博打を打ったが結局劣勢を跳ね返すことは出来ず、毛皮王国は自然消滅、羽振りの良かった彼は、貧困とはいわないまでも落ちぶれてしまう。

 

一方で、ロシア革命以来、ソ連の毛皮輸入にからむ関係は、たえずFBIの監視の対象になって来たが、結局のところ1956年に死亡し、灰色のままケースクローズとなる。

 

モッティは、結果的にカイム・エイティンゴンが一代で築き上げた毛皮王国を無にしてしまったが、理由として、レイヨンというケミカル繊維の登場、ビジネスの超拡大政策と膨大な借り入れ、社会主義シンパとして、組合員へ譲歩(出来高制を時給制にしたほか、ビジネスが失敗しても契約に従って賃金を支払ったために、エイティンゴン一族の取り分がなくなった)。

 

 一方で、ロシア革命直後の共産政権に莫大は保釈金を支払って身柄を解放された裏には、モッティがアメリカの共産党組織への資金提供、AMTORGという毛皮の貿易代表部を隠れ蓑したスパイ活動に関わるエージェントや工作員を支援したのではないか、とまで噂されたが決定的な証拠はない。結局、モッティはビジネスでの金儲けだけに興味があった、とする評者もいるようである。

 

一方、レオニード・エイティンゴンもソ連の戦後の新しい時代に、ユダヤ人医者が引き起こした「医師団の陰謀」なるものをきっかけに、自身のユダヤ人性!によりスターリンからとうとう国家の反逆者とし有罪になり刑務所に服役する。スターリンの死により後継者と目され動き出したべリアから一旦は釈放れるが、すぐにべリアが失脚、再び服役(懲役12年)する羽目になる。

 

 
ブレジネフ時代に刑期を2年前倒し(最初の服役を考慮するよう再婚相手の連れ子の娘ゾーヤによる政権中枢への働きかけ)して釈放されるが、1980年初めに亡くなるまで名誉復帰はできなかった。名誉が回復されたのはソ連崩壊後、エリツィン政権になってからである。

 

アメリカの原爆開発に関わるスパイ活動にはエイティンゴンの名前はあまり出てこない。彼はむしろ、ドイツ占領下での秘密工作やトルコでのパーペン元ドイツ首相でトルコ大使の暗殺に関わっていた(失敗)のが理由のようであるが、アメリカのカリフォルニアには彼がトレーニングした工作員が複数おり(コーエン)間接的な関与はあったと推測される。

 

 レオニードの再婚相手の娘ゾーヤは語学の天才で、公式の政府通訳としてテヘラン会談やヤルタ会議で通訳をしたという。原爆開発においても、アメリカから送られてくる文書の翻訳に素人ながらかなりの期間関わった。

 

死刑になったローゼンバーグ夫妻スパイ事件については、この本を読んでいてやはり、この裁判による死刑は見せしめであった、ということが理解できた。スパイであることには間違いなかったが、ソ連の原爆開発に決定的に寄与したスパイであるフックス博士(懲役刑のあと東ドイツへ移って研究者として余生を送った)他、よりハイレベルは関係者は生き永らえた。ローゼンバーグ夫妻が死刑になったのは、たとえ軽度(連絡係)であっても、罪状を決して認めなかったこと(ほかの関係者はみな認めた上に、グリーングラスは、司法取引きで、自分の妻を救うために江セル・ローゼンバーグ(ジュリウスの妻)に罪状をなすりつけた)。

 

朝食:ホットミルク、納豆と笹かまぼこにご飯少々。

 

父は9時過ぎにデイケアーへ。自分はThe Eitingonsを読み続ける。

 

 
11時、本を置いて日課の釣りに出かける。

 

お昼は、ローストビーフサンド(わさび風味)と卵サンドにホットコーヒー缶を車の中でとる。

 

向かった先は、先々週以来の阿字ヶ浦海岸。海は凪いでいたが、潮は異常に澄んでいた。1時間半ほど遠投を繰り返したものの、海からの反応はまったくなし。見切りをつけて、那珂川のマイスポットに移動すして、14時過ぎから1時間半ほど竿を出す。ここならボウズはまずない。例によってセイゴがすぐ釣れたし、ハゼもかろうじて1尾釣れたが、最後の最後にサプライズが待っていた。

 

一番上流側お竿先が微妙に2度、3度お辞儀をした。またセイゴかと思ったがそのまま竿先は動かない。しびれを切らして竿に合わせを入れてリールを巻くと何かが掛かっている。護岸近くになって猛烈に抵抗を始めたが、一気に引き抜くと何と35㌢弱のマゴチだった。予想外のうれしい魚だった。 ハゼのお化けのような魚である。肉食魚だ。

 

Hatsumagochi

 

16時半過ぎ、途中で買い物(青野菜、果物など)をして16時半前に帰宅した。

 

夕食:セイゴのグリル(オリーブオイル風味、赤ワイン、ポテトサラダ、ガーリックトースト、サラミ、レタスとトマト。最後にご飯
少々とお新香。

 

 
食後は2階にあがりThe Eitingonsを読み続ける。21時16分、読了。直後、眠りに落ちる。

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