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2018年11月22日 (木)

釣りはお休み。 歯医者通院。石窯パンで作るコロッケサンド、実に旨し!

11月20日(水) 晴時々曇り


6時前の目覚め。「ニーチェ~ツァラトゥストラの謎」はまだ読みかけだが、ニーチェの本がバラバラになっているのが気になる。あちこちの本棚や押し入れのなかに置いたままだ。ふと目に留まった「キリスト教は邪教です!」~現代語訳のアンチクリスト(適菜収訳)を手にしてパラパラと読み始める。私の読書はいつもこんな感じで本題からそれて横道にそれていってしまう。

Nov22

キリスト教はイスラムとならぶ世界最大の宗教の一つ(カトリック・ギリシャ正教・プロテスタントや、中近東に残る原始キリスト教徒の末裔も含めて)20億を超える信者がいる。アジアでもフィリピンは9割を超え、韓国でも2割強がキリスト教信者だ。

韓国は儒教の影響が強いが、儒教は支配者の宗教(孔子廟は、ロータリクラブみたいなもの、とは敬愛する故・岡田英弘氏のたとえ)で、かつて仏教も栄えたが李氏朝鮮時代に排除されてしまった。ざっくり言って、弱者の下層民の宗教がキリスト教であり、実際のキリストさんが目指した生き方(高貴な生き方)とは違うものである。キリストの弟子たちが(特にパウロ)が捏造したインチキ宗教というのがニーチェの主張だ。

信仰というのは当のもの(現実)を見ないこと、逃げである。行き場のない弱き人(庶民)たちは、信ずることで希望(しかも現世ではなくあるかどうかも疑わい来世)を頼りに生きている。一方で、僧侶階級(パウロの輩)は、教会という神の代理人として特権を貪り庶民を影で欺いている。韓国のキリスト信者が多い理由は、下層民(庶民)がどうあがいても既成秩序=身分制社会=儒教社会で浮上できない厳しい現実から目をそらすための逃げを反映しているのではないか。

以上は暴論だとして承知しての勝手な私のコメント。

ところで、カルロス・ゴーン氏の逮捕は晴天の霹靂であった。逮捕の理由を報道で読むと、それほど重大な犯罪なのか(と思う私は変なのか?)。ゴーン氏の所得をビルゲイツやザッカーバーグの所得と比較したらどうなるのか。海外(本国のフランスやロンドン、ワシントン)は、日産のクーデター(ルノーに吸収合併されるという噂)がしきりに囁かれている。会社は誰のものか?グローバリゼーションが徹底してすすむ今日においては、アメリカの基準がすべてである。いまだに日本株式会社=会社員の運命共同体の論理が、グローバリズムと衝突したということか?確かに、ゴーンさんの嘘の申告は問題であったろうが、些末な法律をたてにゴーンさんを追い出そうとする姑息な日産側のクーデターというふうに見えてしまう。ゴーンさんに助けてもらったではないか、日産は。会社を救った恩に着せて、やりたい放題の我儘をゴーンさんが日産にし放題だったというニュース(家族のプライベートな食事や豪華な自宅の提供など)も報道されているが、それをぐるになってかいやいやながら(強制されて?=ゴーンさんの一種のパワハラ)協力したのは日産ではないのか?と、いろいろと想像が広がっていく。情報がもっと開示されないと判断はしかねる事態であるが。

退院してから初めてリハビリをさぼる。というか、4日連続の釣りで体が疲れていることが原因。朝食は、セイゴのグリル(2尾)、納豆、ご飯にネギの味噌汁。それにバナナを食べる。
父がデイケアーに出かけた後、4日ぶりに買い物にでかける。冷蔵庫の中は釣ってきた魚だけになっていた。ネストビールや赤ワイン、果物、石窯パン、漬物、青野菜に豚肉を買う。

11時半過ぎ、浅田クリニックへ歯の治療に。左奥歯の上は歯垢を取り、薬を前回塗ってもらったが今回は2度目。朝の水道水がかなり冷たくなっていまだに歯に沁みるので、ぬるま湯で口をゆすいでいるが仕方ないであろうとのこと。今回も薬を塗ってもらって次回は来週の金曜日。たぶん、これが最後になると思われる。15年ぶりの歯医者だが、これからは3か月か半年に一回は歯のメンテナンスに通うことになるだろう。院長より、歯の磨き方について注意を受ける。15年前、新橋の池田歯科では、固めの歯ブラシでゴシゴシ磨くべし、歯茎が強くなる、と言われそれを励行、浅田院長婦人(この方も医師)にきれいな歯茎ね、とコメントされたのだが、下あごの奥歯の歯茎が後退しているのは、強く磨きすぎが原因らしい。歳もとったことだし、固めから普通の歯ブラシに変えて、やさしく磨いては?というのが院長のアドバイスであった。母のお気に入り(地元で開院した際の最初の顧客らしい)の先生の言葉であり、従うことにした。

お昼は、石窯パンを使ったコロッケサンドを作って頬張る。実にうまい。あたらしい味覚の発見というわけではないが、食パンやロールパンにはさむだけが能ではない。


パンそのもののうまさがポイントなのだ、とつくづく思う。こんなおいしいパンと実家(つまり、田舎)で出会えるとは。生きる楽しみの要素はどんなところにも探せばあるのだと感じ入る。

午後の日課はお休み。体が60歳代になったということだろう。気力がない。ベッドに横たわり、The Global Cold Warを読んだりアンチクリストの現代語訳を読んだり、1時間ほどの昼寝をする。

夕食:セイゴのバター焼き(ムニエル)を作り白ワインを飲みながら食べる。仕上げは、レタスとコロッケ定食風にご飯を食べる。

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