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2018年11月15日 (木)

入院日記 リハビリ・直立歩行編 その129

11月14日(水) 晴


6時前の目覚め。徐々に睡眠状況がよくなってきた。しかし、体にだるさがある。先週まで那珂川河口の2キロほど上流地点に通って釣りに興じたが、最後のころは200㍍ほど歩くのが少しつらかった。体調の問題か、それとも、体力の衰えか。

朝の読書は、「不必要だった二つの大戦」。先年亡くなったアメリカの保守の論客パット・ブキャナン氏の著作である。副題はチャーチルとヒトラー。第2次世界大戦の英雄は英国のチャーチルでありアメリカのルーズベルト。ヒトラーは悪魔である。歴史はそのように評価し正史として書かれる。起きてしまった歴史にああだ、こうだと言っても始まらない。しかし、歴史に学ぶとは起きてしまったことと有り得ただろう可能性を検討することでもある。

チャーチル氏は、第一次世界大戦から第二次世界大戦を20世紀の30年戦争とし、その当事者として証言の書を書き、ノーベル文学賞を受賞した。昔のノーベル文学賞は今日とは趣が違う。そのまた昔にはフランスのElan Vital(生の躍動)で有名なアンリ・ベルグソンという哲学者もノーベル文学賞を受賞している。

大英帝国の転落は第一次世界大戦への参戦から始まる。そもそもの原因は、ハプスブルク王朝の皇太子がセルビアのテロリストに暗殺された極めてローカルな事件から始まった。フランス(アルザス・ロレーヌ喪失の復讐心)とロシア(バルカン半島への野心)が手を結び、ハプスブルクのオーストリア(オスマン帝国の衰退にともなう不穏なバルカン半島への野心でロシアと対立))とドイツ(ドイツ帝国の成立とともにヨーロッパ一の人口と軍事力・産業力を誇る新興国)が手を結ぶ。セルビアはロシアの後ろ盾を、ハプスブルクはドイツの後ろ盾を当てに突っ張りあう。ハプスブルクは、セルビアをつぶすために暗殺事件を利用して10項目の最後通牒をセルビアに突き付ける。セルビアは、9項目までは了承、1項目だけ拒否する(暗殺犯の取り調べと原因究明にハプスブルク側が加わる要求)。本来であれば、ハプスブルク側は、動員をかけてセルビアに戦争をしかけるほどのことはなかったらしい。セルビアつぶしが目的で始まった宣戦布告。ロシアが動員をかけ、ドイツがそれをやめるよう働きかけたのにたいし、逡巡するニコライ2世のロシア。ドイツの動員令。フランスの動員令。ここに来て、イギリスが、介入してくる。イギリスの400年来の外交方針は、ヨーロッパ第一の大国を潰すこと。そのためには、第一の大国の対抗馬を支援すること。つまり、この時はフランス。100年前のナポレオン戦争のときは、プロシャ(ドイツ帝国の中枢王国)だった。イギリスの伝統に従って若きチャーチルと外相グレイがが積極的に動き、時の首相アスキースや蔵相ロイド・ジョージを取り込んで、参戦に踏み切る。結果として、ヨーロッパ全体で1000万の戦死者、2000万の傷病者という予想もつかなかった惨憺たる大惨事を引き起こしてしまう。


ブキャナン氏は言う。イギリスが参戦しなかったら、ドイツが勝利をおさめ、その後の歴史的展開はまったくちがったものになっていただろう。もちろんヒトラーが政権をとるようなことはあり得なかった。

Buchanan

そもそも動員令は、開戦とイコールなのか?、国境付近に軍隊を張り付け外交交渉を継続するのがそれまでのヨーロッパの外交であった。それを不可能にしてしまったのは、ドイツ参謀本部の俊英シュリーフェン伯爵が考案したドイツの国防の国是となった「シュリーフェンプラン」(最初に速攻でベルギー経由でパリまで進撃しフランスを打ち破る。返す刀でロシアを迎え撃つ)による。フランスとロシアという2正面の戦闘を打ち破る秘策だった。そのためにドイツの鉄道網も整備されたという。ドイツにとって動員とは、シュリーフェン・プランを実行するためには一刻の猶予も許されない戦闘開始を意味していたのだった。これにより、誰もが予想もしなかったヨーロッパを巻き混んだ大戦を引き起こすことになった。これにより、誰もが予想もしなかったヨーロッパを巻き混んだ大戦を引き起こすことになった。

ノーベル文学賞を取り、20世紀の英国が誇る大政治家で日本でも私淑する人が多いと言われるチャーチル。だが、本当にそうだったのか。起きてしまったことはもう変えようがないが、彼の著作では巧妙に隠されている多くの誤った判断としくじりについて、ブキャナン氏は検討を加えていく。

朝食にサバの文化干しを焼いて食べる。ちょっとばかり塩が効きすぎていた。朝のフルーツはバナナ。

バナナの記憶。子供のころはバナナはある意味で高級品だった。当時のバナナと言えば台湾バナナ。今は、フィリピン産、エクアドル産、さまざま。なーんだ、バナナか、という人も多いが、ベルリンの壁が崩れたとき、東独の人が国境を越えて西ドイツのスーパーで購入したのがバナだったという。20代のころ、ソ連の客船が日本を周遊した際の観光受入れの仕事をしたことがある。先方の団長と面談して一緒に船の中で会食をする機会があった。ソ連船の名前はハバロフスクかジェル人スキー(秘密警察の初代長官)だったか。デザートがバナナだった。団長はエストニア出身の人だったが、「おお、バナナ!」と感嘆の声を上げていたことを思い出す。バナナを馬鹿にしてはいけない。

8時15分、車でハローワークへでかける。失業手当給付の手続きに。その後、求職情報をチェックして面白そうなところを見つけた。求職相談をして、相手に確認してもらい、高齢者でもいいかどうか確認してもらうことに。担当者が休みで明日の回答となる。今更、正規職員を望んでいるわけでもなく、介護もあり無理だが、実家近くの職場で契約か派遣、いずれでもOK。お小遣い(釣りのガソリン代、エサ台)、東京で購入したマンションのまだ残っている家賃の返済や、年に1度、2度の旅行(海外はしばらくは断念、みちのくの奥の細道を訪ねたり、温泉旅行か)、等々。いずれにしても、エネルギーが続く限り、生涯現役を続けるつもりだ。釣りと野鳥観察と読書だけでは何かまだもの足りない。

ハローワークの臨時駐車場の雑草や昆虫をしばし観察して、帰途、京成百貨店で買い物(サンマ、銀座ナイルのカレー、カボチャ、大根等)をする。

お昼:百貨店で買った天丼弁当を食す。揚げたてはうまい。エビ、レンコン、カボチャにシロギス。590円はまあ安いほうだろう。

午後は、4日ぶりの釣りに出かける。今日は、新たな展開をと思い、那珂湊漁港へ。到着してみると、イワシが爆釣中だった。

Maiwashituri

時間は13時。サイズはそれほど大きくはないが、急いでサビキの用意をして30分ほど戦列に加わる。サビキ釣りに必要なコマセはまったく必要なし。第一投から手ごたえがあり釣れる、釣れる、釣れる。すぐに飽きてしまった。氷を持ってくるのを忘れた。おさかな市場で乾燥芋(父の好物)と味海苔(母の好物)を買い、無料で氷をもらい、40~50尾のマイワシを入れる。

本日の狙いはハゼ。那珂川が不調ということもあり、漁港内で狙ってみた。

Nakaminato


釣れたてのハゼは飴色で美しい!

Ameirohaze

北風ぴゅうぴゅうで、釣れる気がしなかったが、それでも1時間半ほどでかろうじて3尾を釣った。サイズは13㌢~16㌢でまずまず。天ぷらサイズだ。時間帯によって、仕掛けと餌(ジャリメ)を工夫すれば10尾~20尾狙えるのではないかという感触だった。明日に期待して、16時過ぎ帰宅。


釣果 マイワシ42尾 マハゼ 3尾

Maiwashi_42


Mahaze3

夕食は、ぷりぷりエビとセロリの塩炒めと秋鮭(北海道産)のムニエルに、ネストビール(エール)。ご飯少々。

食後、履歴書を書く。大学卒業時、第一の転職、第二の転職に続き、4回目である。熱中していると時計は20時。シャワーをさっと浴びて2階のベッドに潜り込む。
「不必要だった二つの大戦」を読み続けるが、すぐに眠くなった。

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