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2018年11月25日 (日)

ツグミもやっぱり来ていた・・・。釣りは超渋い結果に。

11月24日(土) 晴  


6時前の目覚め。ケスケスッというツグミの声。アカハラ以外にツグミもやぱり来てるようである。以下は参考のためインターネットでコピーした写真。

アカハラ 

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ツグミ

Tugumi

ベッドの中で The Global Cold Warsを読み続ける。第4章は第二次世界大戦後、いわゆる第三世界ができるがこれは米ソ冷戦の産物でもある。


第三世界とは旧ヨーロッパの植民地主義を を米ソいずれもが戦後のリーダーとして否定し、相互に競い合いながら介入して作り出されていった世界なのだ。 アメリカは、結果的に第三世界の親ソ=左翼=革命勢力に対し、地元のナショナルな勢力(いってみれば、ファシズムとも関係がある・・・私の見解)を使って 対抗していくかことになる。中国の共産党政権や朝鮮戦争、インドネシア、マラヤ(マレーシア成立前)、イラン、パレスチナ、アフリカのアルジェリア、ガーナ、 コンゴ、南アフリカ・・・。


インドもそうだが、第三世界の国々は、旧宗主国を外して、えげつない植民地主義に手を汚していないソ連(社会の正義)とアメリカ (自由と市場経済)を天秤にかけながら各地域で国の独立を成し遂げる。誕生した政権は運営方針を巡っていずれかのパトロン(ソ連かアメリカ)の支援を受けながら 対立し、政情不安、内戦と混乱が続く。バンドゥン会議で第三世界の首脳が集まり非同盟を謳い、相互の協力を約束したがうまくいかない。国を運営するにはそれを担 う人材がが欠けていた。独立というけれど、植民地の宗主国を追い払っても、国を運営したことがない彼ら。旧宗主国は当然ながら、そのような人材は育てていない。 (日本は別だったろう。日本のアジア支配を欧米植民地主義の最悪の形態と評するのが欧米の歴史叙述だがこの点については日本人として異議がある)


国は政策として若者をアメリカやソ連に留学覇権する。明治時代の日本と同じ。アメリカ組はアメリカの公民権運動を目撃してショックを受け反アメリカになり、ソ連 留学組はソ連の現実に幻滅して反ソ連になる。集団主義と社会の公平と正義(共産主義)か、個人の自由と市場主義(資本主義)か。米ソの対立の中でどうちらもうまく いかない第三世界の悲劇。そもそも、自立して国を運営する能力・資格がないと見做されてもいる(子供または大人になりつつある青年)。


コンゴは最悪である。ジョセフ・コンラッドに描かれたHeart of Darkness (闇の奥)。イギリスやフランスですら現地人をある程度教育し、植民地支配の現地代理人を 育てていたが、コンゴはまったくそれがなかった。レオポルド2世の個人私有物として始まったコンゴはあまりの残虐な支配と搾取が20世紀初頭に批判の対象となり、 国王の手を離れベルギー政府の管理となるが、現地代理人を育てることなく、独立当時は200部族ちかい寄せ集めの集団が割拠する地域でしかなかった。


国の統一を巡って 分裂闘争するのは必至であった。ソ連の支援を受けるにも、アメリカの支援を受けるにも、大事なのは国の体を成すための自らの国民という統一体をなすコンセンサスが なければいけないが、それがないのだ。独立の主体となる当事者にとっても、自由・民主主義・社会的公平と正義・自立・近代化を実現するための素材がなかった。 独立当初の感激はやがて幻滅になり、とめどない混乱を続け21世紀の今日まで引きづっている。


私の知識はアフリカや中近東を含むイスラム圏がこっそり抜け落ちている。まったくの無知というわけではないが、断片的で英語情報に基づくものがほとんどだ。つまり、 イギリスやアメリカの視点で書かれたもの。アフリカ自身の立場で書かれた研究書も英語(フランス語もある)もあるわけだが、アングロサクソンの世界観で整理された 提示のされ方で先入観ができているのだ。サイードのいうオリエンタリズム。それにも関わらず、、スウェーデン人(西洋人)による英語の著書だが、この本は中立的な 、第三世界に対する同情をもって書かれており一読に値するように思われる。


9時過ぎ、父はデイケアーに出かける。母は家の掃除。私は買い物を済ませる。お昼は、石窯パンでコロッケサンドを作って食す。


午後は、再び、那珂川河口のマイスポットに足を運んだ。久方ぶりに、散歩途中で、釣り好きの70歳の人と長時間四方山話しをする。ほとんどが釣りにまつわる話だ。 まだ現役で仕事をしていて釣りの時間ががあまり取れないらしい。ウナギ釣りの話がメインになった。このかたもウナギ釣りをよくされるらしい。私はたまに涸沼川で ヌマエビを現地調達してやるのだが、この方は近くの畑でドバミミズを取ってこの那珂川で釣るという。 夕闇迫るころからバタバタとこのマイスポット周辺では釣れだすらしい。暗くなって1時間もするとパタリとアタリがとまるというのは昨日の漁師と同じ。釣り談義に 興じっていると、3週間前、ここで50㌢のフッコを釣り上げた地元氏が加わった。しかし、今日の釣りは昨日と打って変わって暇な釣りとなってしまった。時折アタリは あるのだが、釣れるのは皆20㌢未満の木っ端セイゴばかり。ハゼは釣れない。


1時間半ちかく雑談をして二人は帰っていったが、その後も不調。結局20㌢越えのセイゴ1尾 だけを持ち帰って本日の釣りは終了となった。こういう日もあるのだ。大潮の最後の日なのだが、潮があまり動いていなかった。こういうことってあるのだろうか。 普通なら上げ潮の時は錘が上流側に流されるのだが、それがあまりなかった。釣り談義をした二人と意見が一致したが、潮どまりの前後の潮の動き始めの1時間前後が 一番パタパタと魚の食いがよくなるということだ。それでも、昨日は上げ3分のから5分まで釣れた一方で、今日は満潮潮どまりまでの2時間、アタリは遠かったのだ。 どういうことだろう。


釣り場付近のスナップショット(昨日だが、帰り道、舗装された堤防道を歩くオサムシと遭遇した):

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携帯なので小さいが、インターネットで拡大写真を見つけてコピーすると、こんな虫である。

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帰り道、車のラジオのFM放送から加藤登紀子の歌が流れる。100万本のバラ。ウディ・ガスリーの放浪者(ディポーティー)。なつかしい。昔学生のころ、ということは 1970年代中盤から後半だが、「アリスのレストラン」という映画があった。アロー・ガスリーが登場し、テーマソングの弾き語りが印象的だった。ウディー・ガスリーは アローのお父さん。アローの「放浪者」(ディポティー)は知っていたが、ウッディのは初めてだが、こんな時間、こんな場所の車の中で聞くとは! トランプ大統領の移民に対する厳しい姿勢に対する皮肉の歌として聞くことも可能だろう。時代は1930年代の大不況時代。

https://www.youtube.com/watch?v=qu-duTWccyI 


夕食は、豪州牛のサーロイン・ステーキで赤ワインを飲む。両親はセイゴの山椒煮とエビの握りずし(母だけ)。仕上げは、セイゴのアラ汁とご飯少々に納豆。


食後は見たいテレビ番組もなく、夜は柚子風呂に浸かり、早々と2階のベッドに潜り込み、The Global Cold Warを読み耽る。 YちゃんのママとYちゃん本人からラインで連絡が入る。二人とも風邪でダウン。今日と明日は自宅でゆっくり休養するという。体を暖かくすること(熱いお風呂に はいる)、栄養(私の場合は、豚肉とニンニク)を取ること、病院に行くこと、睡眠をたっぷりとって休養すること。当たり前のアドバイスだが返信する。

2025年の万博が大阪で開催されることが決定した。前回が1970年だから55年ぶり。私が中学校3年生の時。今でもよく覚えている。三波春夫が歌うテーマソング(こんにちは、 こんにちは、世界の国から・・・)、芸術は爆発だの岡本太郎氏の太陽の塔、そして、私の軟式テニス全国大会出場と修学旅行での大阪万博訪問。軟式テニスは中学校の 初回大会で県代表で出場した。帝国ホテル前の日比谷公園が会場。1回戦は島根県と対戦、勝利した。2回戦は愛知代表に敗退。宿は東京オリンピックの宿舎だった。 そのまま、父とペアーを組んでいた川田君と大阪へ新幹線で移動。生まれて初めて乗った新幹線。中学校の仲間たちは貸し切りの在来線だから何か得した気分だった。 今日との旅館で皆と合流したこと、夜枕投げをして鼻血を出したこと、奈良公園の鹿は記憶があるが、万博会場についての記憶がない。テニスの試合とぶつかった日でで 行かなかったのかどうかもあやふやだ。2025年ということは健康で生きていれば69歳である。前回の東京オリンピックはテレビ観戦だったが、2020年の東京オリンピック は、是非何かの競技は会場に足を運んでみようと思う。そして、大阪万博も。それには、健康で長生きすることが前提だ。

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